スオウ島 その3

「まずはポケモンから離れてみるか」

昨日の夕方、カケルの告げた言葉に大泣きしたオーカに下された指示はそれだった。

ポケモンと通じすぎ、そのせいで強い能力も相まって手も介さずに能力を行使するオーカのスイッチを物理的に一旦切ってみようという話だった。

普段はそこら中にポケモンがいて不可能な策だが、ここはヤドンくらいしかいない無人島。手持ちさえ切り離せばできる。

強すぎる能力はバトルに影響を与えるだけではなく、オーカ自身の体にもよくない。毎日のように能力の使いすぎによる“強制終了”をかけられていたのでは、いつ体が駄目になるのかもわからなかった。

だから、と一旦オーカの体を休ませて、能力そのものに向き合ってみるのだ。

カケルの説明を、オーカはぼんやりとした頭で聞いていた。

昨日の話が、頭の中でこびりついて離れない。

暗鬱とした陰がオーカを包み込んで、思考を閉ざしてしまっているようだった。

「メルはポケモンたちを頼む。出しててくれれば、適当にトレーニングするだろうから」

「わかった」

「オーカも、手持ちを渡せ」

言われるがままに、メルにボールと、一緒に図鑑も渡してしまう。

手から離れても、ポケモンたちがオーカを気にする様子が流れ込んでくる。こんな当たり前のことが、今一番オーカを苦しめる。

ポケモンと会話をすることなんて当たり前だと思っていた。

バトル中も深く繋がっている感覚を、疑ったことなんてなかった。

だがそれこそが、オーカの不正の証で。

「…………」

ごめんねとさえ口にできない。

急所を狙う、そのやり方は自分が一生懸命編み出して勉強してできるようになったものだと思っていた。

でもそれは、トキワの力なしでは不可能な方法で。

なによりもトキワの力を嫌っているのに、それに一番頼っているのだと改めて突きつけられて、オーカは正しい判断もできなくなっていた。

――これから、どうしたらいいんだろう。

「オーカ、行くぞ」

てきぱきと話を進めていってしまうカケルは、メルとポケモンたちをその場に残してオーカの手を引いていく。

ポケモンを持たないなんて状態は、一体いつぶりだろうか。

ポケモンのいない場所に行く、ということそのものが初めてだろう。不思議な感覚の中で、少しずつオーカの中からなにかが失われていくのを自覚する。

おそらく、ポケモンたちから遠ざかっているせいで、少しずつトキワの力が鳴りを潜めているのだ。

「……どこに行くんですか?」

ただ腕を引かれるままに歩く場所は、不思議な迷路のようだった。

昨日バトルをした、たくさんのつららが砕かれた場所。大きな湖のある場所。川の流れている場所。

そんないくらかの空間をただ黙々と歩いていって、だんだんその傾斜が高くなっていることに気が付く。

体力のないオーカはその頃には息を切らし始めていて、カケルは時々様子を見るように立ち止まる。

「もうすぐだ」

ついにその傾斜を登りきると、外に出る。

山の頂上らしかった。風は穏やかで、夏の太陽が近い。

ただの外よりも暑い、と思うと近くに火口らしい場所を見つける。スオウ島は火山島だったらしい。

「大丈夫なんですか、こんなところに……」

「ここ数十年は活動を停止してるんだ。落ちさえしなければ心配はいらない」

覗いてみるか、と問われて全力で首を振るとなにやら笑われる。それから、適当な岩へと座る。

「体調はどんな感じだ」

「……変な感じがします。なにかが根こそぎ消えたような」

「やっぱり、ポケモンから遠ざかって力の放出が抑えられているんだな」

オーカの様子を逐一丁寧にメモをするカケルの姿は、見かけの柄の悪さからは考えられない真面目さだ。

こっそりとそのメモを覗いてみても、読めない漢字が多くてよくわからなかったが、オーカの様子と一緒に大量の推測が書かれているのがわかる。

几帳面な男なんだろう、初対面のオーカのためにこんなにも悩んでくれるほどに。

「その感じを覚えておくといい、力の制御に役立つ。理想はそのままコントロールができるようになることだが……まぁ無理だろうな」

「…………」

そうやって、カケルはあれこれと考えてくれる隣で、オーカは不謹慎な想いが浮かびつつあった。

こんなことを考えるのは付き合ってくれているカケルにも、紹介してくれたメルにも、そしてリーグで待つと言ってくれたサツキにも――その他たくさんの人に失礼だとはわかっているのだ。

それでも、考えずにはいられない。

「僕は――バトルをやめるべきなんでしょうか」

ずっとここまで、自分は不正はしていないと、力のコントロールはできないけどバトルにだけは使っていないと、信じてきた。

だがその大前提が崩されて、オーカはもうなににも自信が持てなかった。

不正をして手に入れた勝利。

不正をして手に入れたバッジ。

そんなものに、価値などあるわけがない。

そんなオーカの強さに、価値などあるわけがない。

不正のバトルにポケモンたちを付き合わせてしまうのも嫌だ。こんなトレーナーがおやだったばっかりに、彼らは正規の評価を得られないのだ。本当に強い子たちなのに、オーカのせいで。

「このまま、もしコントロールができるようになっても、罪を背負ったままバトルなんてできない……っ」

不正をして手に入れてきたバッジでリーグに出るだなんてできない。それこそ、全てのトレーナーに対して失礼だ。

サツキにも顔向けができない。人をなめたバトルをする、と他人に言っておいて自分が一番ふざけている。

こんなことは許せなかった。許せなかった。

――僕にはバトルをする資格なんてない。

「難しく考えすぎだ」

ぽん、とカケルの手がオーカの頭に置かれる。

どこか呆れたような声音で、彼はゆったりと語り始めた。

「少し昔話をしてやろう。バトルと親を嫌ったトキワの能力者の話だ」

意図のわからないまま、彼の語りに耳を向ける。

「その男は能力を持っていたが、使えなかった。別に使えなくても構わなかったが、せっかくあるなら使えるようになろうと思って、あるとき独力でトキワの力について調べて回った。男の親もトキワの能力者で、男は親をたいそう慕っていたから、同じ力があるということがたまらなく嬉しかったんだ。

だが、トキワの力について、同じ能力者に話を聞いて回っているうちにこんな噂を聞く。自分の親が、かつて人間を滅ぼそうとトキワの力と、ひいてはポケモンの力を悪用したんだという話だ。

その話を信じたくなくて、男は新聞をくまなく調べた。そんな記述はどこにもなかった。その話そのものはどこにもなかった。

けれど間接的な話は、あった。

昔、ある大会中ハクリューに乗った男が町に攻撃をしかけ、多くの家屋を壊したという事件。カントー各地に大量のポケモンが現れ人々を攻撃するという事件。その事件の二年前にリーグを優勝していた少年の失踪事件。

一つ一つは繋がらなかった。だがこの一連の事件を、数々の証言によって男は繋げてしまった。繋げて、それを親に問いつめた。

親は否定をしなかった。」

親が犯罪者だった男の話。

そんな親を慕っていて、使いものにならない力を愛そうとしていた男の話。

「それがわかってから男は荒れ狂った。犯罪者の子供であること、それと同じ能力を持っていること。自殺さえ考えるほど、男にとっては耐えがたい事実だった。

だが男は、今現在も親を慕っている。なぜだと思う」

「え……っ」

「憎みきれなかったのもある。だが、その事件以降罪を犯さず人々のためにその強さと能力を使った親の姿を信じたんだ。その話を知るまでは、たしかに誇れる親だったから。

しかし、男は親を許してもそんな罪を持つ親が名誉職についていることだけは許せなかった。だから今、男はそこからひきずり下ろすために修行をしている」

「名誉職から……?」

「そう。切符は手に入れた」

そこまで聞いて、鈍いオーカでも気付いた。

カケルの父――チャンピオンのワタル。

慈善事業を積極的に行っている、カントー・ジョウトの顔だ。

オーカも尊敬するその人が、過去にそんなことを企てていたとは信じがたいが、カケルが嘘をつくとも思えない。

ショッキングな話にどう返したらいいのかわからず、ただカケルの顔を見上げていると、また乱暴に頭を撫でられる。

「そんな犯罪親父が面の皮厚くチャンピオンやってるんだから、お前も恥じることはない。お前のはただの事故で、これから繰り返さなければいい話。それに、誰もお前のそれを不正だなんて言わん、気付いているやつもいないだろうさ」

「でも……」

「俺もこんな身分でバトルをしていいのか悩んだりもした。だが全ては自分の誠意を見せることで判断されたらいいんだ。俺が不正をしなければいい。しないかぎりバトルをすることは許される。

お前もだ。これからその力を使わないでいられるようになればいいんだ。そんな風に苦しむお前を、今は誰も責めはしない」

今日一日は気持ちを切り替えることに使うように、と言われて、オーカは黙る。

――誰も君を責めたりなんてしない。

――リーグに出ないなんて言うなら――あたしは許さないよ!

セキチクでサツキに言われた言葉を思い返す。

カケルに言われても、まだオーカの心にはわだかまりが残る。本当に許されていいのか、まだバトルを続けていいのか。

――サツキさん、あなたは僕を許してくれますか。

縋ってしまいたくなる。セキチクで言われたあの言葉に。

だがまだ駄目だ。直せない限りその言葉には縋れない。

胸を張れる自分でなければ、彼女の前には行けない。リーグに出なくて彼女に許されないよりも、こんな状態でリーグに出るほうが自分で許せなかった。

どんなに励まされても許されても、きっと自分で納得できなかぎりオーカは己を許さない。よく理解していた。だからこそ、ここで立っていないといけないのに。

――僕はどうしたら許されますか。

太陽がじりじりと肌を焼く中で、オーカは冷えた心に問いかける。

+++

メルは全ての手持ちポケモンを出すため外に出ていた。

夏場は熱中症になりやすいため、日傘を持って。鍾乳洞の出口のあたりで冷えた風に当たりながら、ボールをどんどん開けていく。

場に出されたのは、メルとカケルとオーカのポケモン、計十八匹。どれもこれも最終進化系だからか、それだけいるととてつもない迫力があった。

メルとカケルのポケモンたちはともかく、オーカの手持ちたちはぽかんと、もしくはうっとりとメルのことを見ている。そんな彼らに、メルは告ぐ。

「カケルさんとオーカは今頂上の方に行っている。お前たちはここで留守番だ、好きに遊べ」

以上。と告げると一瞬戸惑うような顔で見合わせるオーカの手持ちたち。そんな中で、真っ先に遊びに駆けだしたのはピカチュウだった。

ピカチュウを追いかけるように黄金のウインディとスピアーが走り出し、ゴーストが追い、フシギバナがなんとかとりまとめようと彼らになにか叫ぶ。

それを興味なさそうに見ているのはヤドンだった。

「? ヤドンだけ進化させてないのか」

おとなしく寝そべるだけのヤドンをメルは不思議に見る。

彼はメルのことを気にもせず、ただ空を見つめている。あっと言う間に駆けていった他の手持ちと比べ、随分と妙な奴だとメルは感想を抱く。

オーカのポケモンは全体的に子供っぽい印象のものが多かった。おやに似ているとでも言うのだろうか、一目で随分と素直な、という感想を抱いてしまうくらいだ。

カケルのポケモンに真面目なものが多いのと同じかもしれない。

「きゃっ……ちょっと、わたしを巻き込むんじゃない」

そうしてあたりを見回していると、突如ゴーストに腕を引っ張られる。その後ろにはメルのレアコイルとプリンもいる。目を離したうちに仲良くなったのか、メルも遊びに誘いに来たらしい。

「わたしは遊べるほど体力がないから……」

困るメルの様子も気にせずぐいぐいとゴーストはメルを連れていってしまう。

ニドキングに助けを求めてみても彼はなにもするつもりがなさそうである。サイドンは、リーダーとしての行動が染み着いているのか遠くへと行こうとするポケモンたちの行動を取りまとめるのに必死そうだった。

「困るんだぞ、お前の毒でわたしは倒れちゃうんだから……」

やんわりと言い続けてもゴーストもレアコイルもプリンも聞いてくれない。

途方に暮れたとき、その腕を水が撃ち抜いた。

「ヤドン……」

邪魔が入ったことにむくれるゴーストと、ぼんやりしてなにを考えているのかわからないヤドン。

二匹が今に騒動へと発展させようとしたとき、その体が輝き出す。

ゴーストに足が生え、腕が生え、浮遊体だったのが実体のある大きなぬいぐるみのようなシルエットへと変わっていく。

「ゲンガーになっちゃった……怒らないといいけど」

ポケモンの中にはおやが変わることが条件のものがいる。ゴーストはメルが預かったことで条件を満たしてしまったらしい。

体変わったことにきょとんとするゲンガーの隣で、ヤドンもまた姿を変えようとしていた。

足が発達し、そのしっぽにシェルダーがわざわざ海から寄ってくる。

その変化をメルも見つめていると、なにかが鞄から抜かれる。

白い箱型の機械。オーカから預かったものが、サイコパワーによって空中を浮く。

もうすぐ進化が終わろうとしたとき、ヤドンが機械を器用に操り、元の姿へと戻ってしまった。

「なんで進化が止まって……。お前、進化をしたくないのか?」

かたんと落ちた機械を拾いながらヤドンに問いかけてみる。彼はヤァンと一声鳴くばかり。

感情の見えないヤドンの意思に、メルはそれで気がつく。

ずっとこうやって進化を拒み続けているのだろうか、彼は。

「…………」

ヤドンの視線の先には野生のヤドンの群れがある。

その中で一匹だけ、頭に冠を乗せたポケモンがいた。

+++

慌てて二人が山頂から帰ってきたのは夕方になる直前のことだ。

「悪い、今日バイトだった! あとは頼んだぞメル、飯は昨日買ってきたので間に合うだろ!?」

「いつ帰るの?」

「明日の朝には戻る!」

ぜいぜいと息を荒らげてうずくまっているオーカのことを気にかけもせず、カケルはあっと言う間にカイリューに乗って行ってしまう。

夕方からのバイトが入っているのをすっかり忘れてしまっていたらしい。真面目なカケルらしくもないが、それだけオーカのことを考えていたのかもしれない。

カケルの悩んでいた時期も見ていたメルだ。彼がオーカに付きっきりになる理由もわかっていた。

「成果はどう?」

「せ、せいか……」

「ポケモンから離れてみて」

そんな彼に任されてしまったので、メルは改めてオーカに語りかけてみる。本当はカケルに全部任せるつもりだったのだが。

しかしオーカには早く克服してもらわなければメルも困る。そんな気持ちから、オーカと向き合う。

「いえ……うまく、気持ちが整理できなくて」

「そう」

申し訳なさそうにするオーカに、メルはそこで興味を失う。

オーカが悩む、不正だとかバトルへの真摯さだとか、そんなものはメルにはどうでもいいことだった。バトルに興味のないメルではもうそれ以上の介入はできない。

似たようなことを、以前サツキにも打ち明けられたが。そうやって悩む道理がメルにはわからない。

好きにやったらいいのに。

「ねえ、あなたはヤドンが進化しない理由を知っているの?」

「え?」

そうやって興味も失せて、ポケモンたちに意識を向けようとしたときそんなことを思い出す。

昼間、自分で進化を拒んだヤドン。その理由を。

「いいえ。……いつも聞くんですけど、なにも教えてくれなくて。勝手に図鑑使って進化キャンセルするからその通りにさせてるんですけど」

なんででしょうね、となにもわかっていないオーカ。

それを見て、メルは彼女の本質に気付く。そして彼も、これを知っているからなにも言わないのだと確信する。

「その力、ポケモンの言葉が聞こえないことってあるの」

「ありますよ、ポケモンの方から言いたがらなければそれ以上踏み込む方法がわからないので」

「ヤドンは言おうとしないのね」

「ええ……なにも言いません」

「なんでか考えたことある?」

オーカは問われても、ぴんとこない顔をしている。

そんな彼女を無視して、メルはヤドンを呼んだ。鞄から“おうじゃのしるし”と呼ばれるアイテムを取り出して、彼の目の前に掲げてみる。

「欲しい?」

メルの言葉に応えるように、ヤドンはサイコパワーでおうじゃのしるしを頭に乗せる。

そしてそのままボールに戻して、それをオーカに手渡す。

「ヤドンの進化が二種類あることは知っている?」

「は、はい」

「ならこれが意味することもわかるわよね」

「ヤドキングに……」

「出してみて」

言われるまま、オーカがヤドンをもう一度場に出す。

するとすぐにヤドンの姿が変わり始める。

足が発達し二足歩行となり、おうじゃのしるしを食べるかのようにその頭にどこからか現れたシェルダーが噛みつく。背筋は伸びて、堂々とした出で立ちで彼はオーカの前に立つ。

ヤドキング。高い知性を持つヤドンの進化系の一つ。

「ヤドすけ……」

「あなたは本当に素直なのね。だから今まで気付かなかったんでしょう」

「え……っ?」

「いつも答えが目の前に出されるから、自分で考えるってことをしてこなかったんだわ。今だって、カケルさんに全部教えてもらおうとしているし、ヤドンがヤドキングになりたくて進化を拒んでいたことにも気付いていない」

メルは彼女を見て思ったことをそのまま吐き出す。

「カケルさんは、ポケモンと繋がりすぎてるって言ったけど、たぶん言葉が足りてないわね。あなたは力に頼りすぎなんだわ。頼りすぎて、その力だけでポケモンのことを見てるから、逆になにも見えてないし、それがないとなにもわからないから切ることができないんでしょう。せっかくの能力が台無しね」

けして責めてはいなかった。

メルには彼女がどうあろうと関係のないことであったし、そうやって悩んでいることそのものが理解しようと思えないものだった。

だが、オーカには力を使ってもらわなければメルも困るのだ。

残された時間は一ヶ月。これからあと三つバッジを集める必要がある。スオウ島に長居はできない。

「もっとちゃんと見ないと、あなたきっと変われないわよ」

これは催促だった。

さっさと変われと、ただ急かしているだけだった。

メルはそうやって言いたいことを言い切ると、昨日も寝たフロアへ向かって歩き出す。

オーカが苦しそうな顔で立ち尽くしているのを放置して。