トキワシティ その2

「はぁ――…………」

大きく深呼吸をして、開いた目で目の前を見る。

小さな田舎町にはそぐわない、大きな建物。トキワジムと、看板が立っている。

この中で、父は待っている。

ついにこの時がきた。

「…………」

心臓は早鐘を鳴らし、高揚で体温が上がり、興奮に手が小さく震える。それは緊張ではなく、武者震い。

覚悟を決めて、ついに父の前に立つ。それは、サツキでも少し熱くなってしまうようなロマン溢れる状況だった。

親と同じ旅立ちをしてほしいと願った父を、あまり笑えない。

ポケモンたちのコンディションは十分。この日のために時間をかけて訓練を積んできた。父のバトルの仕方も復習して、対策も練った。手には父からもらった絶縁グローブも付け、準備は怠っていない。

父に、恥ずかしくない姿を見せられるはずだ。

深呼吸を繰り返し、ようやく扉に手をかける。

「こんにちは。マサラタウンのサツキです――レッドに、挑戦をしにきました!」

受付の人間に叩きつけるように言った言葉は自分で思ったよりも大きく、さらに緊張を加速させる。

そんなサツキを見て、見知った受付は微笑み奥を指す。

「ジムリーダーは奥で君を待っている。今日はジムトレーナーたちはいない――君の全力をお望みだ」

「はい」

トキワジムは、馴染み深い場所だ。ハナダジム同様、内装もジムトレーナーたちもよく知っている。

そんな場所が今、がらんどうの状態で無言の圧力をかけてくる。

このジムに余計な仕掛けはない。ただ、実力だけを示す場所として存在する。

だから、サツキはただまっすぐに歩けばいい。

まっすぐ――父のいる、扉に手をかけて。開ける。

「…………」

「…………来たな」

サツキの姿を認めた瞬間、父――レッドはにやりと笑う。

その隣には見知らぬ中年男が一人。赤色の派手な格好をした、爆発したように乱雑な頭の柄悪そうな男。新しくジムトレーナーを雇ったのだろうか。

少し気をそちらに取られて、すぐにレッドに向き直る。

「予約では、六対六のフルマッチを希望したらしいな。それについて変更は?」

「ない。……さらに、付け加えさせて」

「なんだ?」

電話では伝えられなかった、サツキの決意。

ずっと前から決めていたことを、告げる。

「ジムリーダーとしてではなく、レッドとしてあたしと戦ってください」

「…………!」

「あたしの全力を、パパの全力で迎え撃って! その上で――あたしはあなたに、勝つ!!」

レッドに勝てるか、勝てないか。

それについては、正直確信が持てない。父の底など見たことがない。

それでも、ここで勝つと言うことが重要だった。

今までろくな競争心を見せたことがなかったサツキだ。

「――――わかった」

これだけで十分、父にサツキの変化を見せられる。

もちろん、負けるつもりはない。

不敵な笑みを浮かべる父を、サツキは睨みつける。

「そんじゃ、審判は俺が勤めるっす。使用ポケモンは六体、入れ替え制。全てのポケモンを倒した方が勝ち、いいっすね?」

「はい」

「おう」

柄の悪い中年男が審判の位置につき、説明をする。

それから、真剣勝負に水を差すようなのんきさで号令をかけた。

「両者構えて――はじめぇーッ!」

「いけ、ゴン!」

「頼んだよ、オーちゃん!!」

二人が投げたボールから、同時に二体が現れる。

サツキは、オニドリルのオーちゃんを。

レッドは、カビゴンのゴンを。

カビゴンの巨体は立ちはだかる壁のようだ。その間の抜けた顔からは想像もつかないようなプレッシャーを持って、オニドリルとにらみ合っている。

対するオニドリルは、カビゴンを見て嬉しそうに鳴いて羽ばたく。バトルが好きな彼はどんな相手にも怖じ気付かない。それが、特攻隊長としてとても心強いのだった。

「さぁ来い、サツキ!」

「いくよ、オーちゃん! ドリルくちばし!」

高速回転と共にカビゴンの腹に向かって飛び込んでいくオーちゃん。それと同時にサツキもフィールドを広く見渡せるサイドラインへと走る。

定位置へとサツキがたどり着くと同時に、オニドリルの長く鋭いくちばしがカビゴンの太い腹へと突き刺さる。

深く。けれど、カビゴンの顔に痛みの様子は見られない。

「そのままのしかかりだ!」

「オーちゃん、こうそくいどう!」

ぬ、と大きい体を倒そうとするカビゴンよりも先に、こうそくいどうでオニドリルが避けきる。

カビゴンは、レッドが普段ジム戦では使わない歴戦の友。

こうして対峙するとよくわかる、そのレベルの高さに冷や汗をかく。

本当にレッドは、一切の手加減をするつもりがない。

「ゴン、はらだいこ!」

「かげぶんしん!」

「ヘビーボンバー!」

はらだいこで攻撃力を上げたカビゴンが、まるでロケットか大砲のようにオニドリルに差し迫る。

普段より一回りも二回りも大きくなったのではないかと錯覚するようなカビゴンの巨体は、かげぶんしんを何体も巻き込んで押しつぶす。

瞬間、全ての分身が消えた。

「オーちゃん!」

「オニドリル、戦闘不能!」

「まずは一体」

のそりとカビゴンが体を起こすと、その下で目を回しているオニドリルの姿が。

――たった一撃で。

体中の毛穴がぶわりと開く。圧倒的すぎる実力差を悟る。

父が強いのは知っている。だがその本気がここまでサツキと差があるものとは思っていなかった。否――これが本気かどうかさえわからない。

父は、レッドは、カビゴンと共に悠然と立ってサツキを待っている。

どれだけやれたら、この期待に応えられるのだろうか。

「カラ! 頼むよ!」

「おー、次はガラガラか。友達と交換したんだっけ?」

「そうだよ……とっても強い、友達とね……!」

カビゴンとの体格差が、さらに広がる。はらだいこを使っているカビゴンに不用意に近づくわけにはいかない。

ならば今度は、こうだ。

「カラ、地面にボーンラッシュ!」

ガラガラが勢いよく投げたホネが、カビゴンの周りに跳ね回り、地面にヒビを入れていく。

カビゴンは当たらないようにと身を捩っては、足元が削られていくのを見ていた。動く様子は、まだない。

「さらにステルスロック!」

「動きを止めに来たか……」

「いわなだれ!!」

宙に浮いた岩と、降りしきる巨石が混濁し、大小さまざまな岩の中にカビゴンを閉じこめる。けして少ないダメージではない。

岩の動きをよく見ながら、すぐに動かないのを確認してガラガラに指示を出す。あまり攻撃の間を空けたくない。

カビゴンのHPははらだいこの効果で既に半分を切っている。この勢いでとどめを刺さなければ。

「狙いは――がれきの中心! かわらわり!」

岩もろともに砕ける地点に目星をつけて、ガラガラは突撃する。その太いホネを槍のように突き出して、がれきの中で動けないカビゴンへと――。

「! カラ、下がって!」

「なしくずし!」

つっこませたのが、悪かったか。

直前に気付いたのも遅かった。

がれきを勢いよく弾け飛ばせて、カビゴンは中から躍り出し、ガラガラをそのままフィールド端まで吹き飛ばす。弾かれた岩に揉まれながら力任せに吹き飛ばされていくガラガラは、壁にぶつかったまま動かなくなる。

対するカビゴンは、大量の傷を負い、息を荒らげながら、まだ足取りはしっかりした様子だった。

「ガラガラ、戦闘不能!」

「戻って、カラ。…………」

「反応の速さはさすがだな。俺以上じゃないか?」

「……まだまだ」

体力が削れていないわけではない。その強さに絶対に敵わないわけでもない。

このまま、たった一匹で全部やられたりなどしない。

サツキは少しだけ焦りを感じながら、次こそ、とボールを選ぶ。

「今度こそカビゴンを倒してやる……メーちゃん!」

「カメックスか……。……なんか小さくないか?」

「まだ赤ちゃんだもん、しかたないじゃん」

カメックスの平均身長は1.6m。対してサツキのカメックスはサツキよりも背が低い。メルと同じくらいしかない。

当然、技も成体より劣る。だがパワフルさは、それでもみくびれないほどだ。

「そっかー、まだ赤ちゃんか……」

「遠慮はいらないよ!」

「する気もないよ。飛べ、ゴン! がれきまとめてお返しだ!」

「メーちゃん、こうそくスピンで打ち返して!」

カビゴンの巨体が大きく飛び跳ね、その衝撃でがれきが弾丸のように飛んでくる。カメックスはそれをなんなく弾き返すと、二体の間に壁のように岩が積み重なった。

カメックスの身長ほどになった壁は、盾になると同時に相手の動きを見えなくする。少し不安そうにカメックスがサツキを見てくるのに、落ち着かせるように頷いて返した。

カビゴンは、壁の上からカメックスを見下ろす体勢でいる。表情は相変わらず穏やかな様子だが、そろそろ疲れが見えてきている。

下手に動けばやられるが、それは向こうも同じくらいか。レッドの顔色も伺いながら、サツキは瞬時に指示を決めた。

「メーちゃん、回転しながらハイドロポンプ! 岩を巻き込んで!」

再び殻に籠もったカメックスは、そのまま大砲で水をまき散らす。高圧力の水は大きな渦となり、岩をも巻き込んでさらに成長をしていく。カビゴンさえも呑み込むほどに巨大化したそれを背負ったまま、カメックスはぎゅるぎゅるとカビゴンに接近した。

巨大な土石流と化したそれに愚鈍なカビゴンは逃げられない。一瞬触れたが最後、一気に中へと引きずり込まれていく。高圧力の水と岩に揉まれ、疲労しはじめていたカビゴンは徐々に抵抗をしなくなっていった。

このまま、押し切れるか。そう祈ったその時。

「ゴン、まだ行けるか――――はかいこうせん!」

「メーちゃん!」

ハイドロポンプの渦の中、強い光が乱反射する。カッと輝いた瞬間、水も岩も粉々に砕け散り、強い衝撃がフィールドをかけ巡った。

なんとか片目を開けて確認する。どしんと落ちるカビゴンの体。回転を止めたカメックスの甲羅。衝撃の後、少しの間を持って――殻の中から、カメックスが顔を出す。

「カビゴン、戦闘不能!」

「おつかれゴン。よくやった」

「…………」

目を回したカビゴンをレッドが戻す。

ようやく、一体。

カメックスが痛みに顔を歪めているのを見て、サツキも苦い顔になる。あそこまで追いつめてなお、こんな置きみやげをしていくとは。三体かけてようやく一体。あまりの実力の差に冷や汗が止まらない。

こんなにも父を恐ろしいと思ったことがあっただろうか。こんなにも、勝てないと納得させられてしまうことがあっただろうか。

だが、臆病なサツキは萎縮などしなかった。

恐ろしいと思う以上に、このバトルが楽しかったから。圧倒的な力を持つ父に、今の全力をぶつけてみせることが。

少しでもいい、なにがなんでも、父にこのバトルの傷跡をつけたい。

「さあ、次は誰で来るの!?」

「そうだな……。ゴンが倒されたか。サツキ、お前は本当に強くなった。だから――こいつで行こう! ニョロ!」

ボールから現れる、紺色の筋肉質な体。ぎょろりとした目に腹の渦模様が特徴的な、ニョロボン。

レッドの、相棒。

ここで出てきたことに驚きながら、サツキは歓喜した。ニョロボンが出てきたということは、サツキの実力が認められたことに等しいからだ。最大の力で戦ってくれていることがわかったからだ。

それにどれだけ応えられるか。食いついてみせると、拳を握り直す。

フィールドは先ほどの土石流であちこちに水たまりができている。それはニョロボンの足下も同様だ。ニョロボンもカメックスも同じ水タイプだが、水を生かす戦い方はサツキの十八番である。既にカメックスは満身創痍であるが、ただで終わらせない気概は残っている。

「メーちゃん、あまごい!」

「ふむ……それはこっちも優位になるけど大丈夫か?」

「水タイプの巧さでパパに負けるつもりないから」

あまごいによって降る雨に打たれながら思考を回す。カメックスはあと一撃受ければ倒れる。だからこそ、これは後続のための布石だ。

合図のために腰のモンスターボールを二回つつき、思考する。

ニョロボンはこちらの出方をうかがっている。近距離が得意なニョロボンだから、近づいてくるのを待っているのだろう。迂闊に近づいて思いのままになどさせはしない、できるだけ、後続のために手を尽くしたい。

土石流と雨でぐちゃぐちゃの地面。凍らせるのは簡単だが、この足下の悪さはニョロボンにとっても厄介なはず。凍らせてあげる必要はない。雨を後続のために残すためには時間もない。

ならば。

「ラスターカノン!」

「ニョロ、きあいだまで受けてやれ!」

ラスターカノンの能力を下げる効果に期待した。しかし、ニョロボンのきあいだまが真っ向からぶつかってくる。

光量はこちらの方が多いはずなのに、ニョロボンのきあいだまはそれを押し退けて着実にカメックスに向かってきていた。

攻撃をやめようがやめまいが、もう間に合わない。どう声を掛けようか悩んでいるうちに、きあいだまが着弾する。

「メーちゃん!」

周囲の水が蒸発する熱量と共に、カメックスがどぅんと地に伏せる。ニョロボンを無傷のまま後続に移すのは痛い。

レッドはなにも言わず、サツキを見ている。娘とバトルをするのがよほど嬉しいらしい、にこやかな、そしてサツキの嫌いな意地の悪さが滲んだ笑顔をしていた。

「カメックス、戦闘不能!」

「折り返しまで来たな。さ、どうくる。俺のポケモンはまだ一体しかやられてないぞ?」

「ピーちゃん、かみなり!」

「!?」

カメックスを下げ、ピカチュウを繰り出した瞬間に雨雲から強烈な雷が落ちる。なにも警戒していなかったニョロボンは見事に雷の餌食となり、炭のように焦げて崩れ落ちた。

しかし、すぐに起きあがろうとするのを見てサツキは攻撃の手を緩めない。動きが鈍っている間にでんじはで縛り、さらに10まんボルトをお見舞いする。

それでも倒れようとしないニョロボンのタフさに、サツキは歯がみする。事前に貯めてもらっていた電撃も今ので一旦切れてしまったようだ。ピカチュウに距離を取らせ、出方を見る。

「なるほど……絶縁グローブをしてきたのはこのためか」

「あるものは全部使わなきゃ。そうでしょ? 本当はこれで終わらせるつもりだったんだけどな」

「いや、いい線行ってたと思うぜ。ニョロでももうキツそうだ」

雨が止む。室内を覆っていた雨雲が霧散し、再び明るさが取り戻される。もう一度かみなりを落とすということも出来なくなってしまった。

ニョロボンの体力も減ってきたとはいえ、元々体力が低めのピカチュウは一発攻撃を受けただけでも致命傷になりうる。ここでニョロボンを倒せる確率は半々といったところだろう。

でんじはがうまいこと効いてくれていればいいが。

「ピーちゃん、じゅうでん!」

「さっきので使いきったか? ニョロ、じごくぐるま!」

「遅い! たたきつける!」

ぬかるんだ地面とでんじはによって動きが鈍っているニョロボンを迎え撃つことはたやすかった。ピカチュウにつかみかかろうとする腕の間に潜り込み、しっぽで上から叩きつける。

ばしゃんと大きな音を立てて地を打ったニョロボンはそのまま宙へ跳ね上がる。そこへさらにでんこうせっかで畳みかけようとしたそのとき。

「ピーちゃん、待って!」

「遅い! ともえなげ!」

ニョロボンの目が開いたのを見てストップをかけるも間に合わず、ピカチュウは飛び出してしまう。それをがしりと掴んだニョロボンは、小さなピカチュウの体に蹴りを入れ、大きく後方へと投げ飛ばす。

ピカチュウの体がいくつかバウンドしたかと思うと、モンスターボールへと戻っていく。見れば、彼は目を回してしまっていた。

サツキの反応速度はけして遅くない。ピカチュウも素早い種族だ。だが、レッドとニョロボンの動きが速すぎる。

「…………」

「一歩惜しかったな」

「でも、もう持たないでしょニョロボンも」

「サツキは後がないみたいだな」

ピカチュウが戦闘不能になったことがバレている。

直感し、汗が背筋を伝う。

手持ちはあと二体。ニョロボンは次でしとめるとしても、最後の三匹目は相手できるかどうか。

ここまで食いついてきたが、やはり圧倒的に強すぎる。これだけ食いつけたことは、いい方なのか悪い方なのかわからない。つくづく、普段のジムバトルでレッドが手加減をしていたのを思い知らされる。

最近のバトルの映像も見てはいたが、間違いない、そのどれでもレッドは本気を出していないだろう。今だって、本当に本気かどうか。

ぞっとするような実力差。楽しさと同時に、命の危険さえ感じる気がした。

「最後まで、諦めなんかしないから。いくよ、ブーちゃん!」

「おお、ブラッキーか」

「とってもかわいい女の子だよ……メロメロになっちゃうくらいにね!」

泥の中を汚れ一つつかせずに軽やかに駆け、身構えるニョロボンに甘いキスを振る舞う。さらに乱暴に噛みつけば、ブラッキーに魅せられたニョロボンは嬉しそうに体をくねらせた。

そこまでしたブラッキーは一旦距離を取りサツキの元へと戻ってくる。

これは保険だ。ニョロボンはもう限界だとは思うが、正直体力の底が見えない。ブラッキーは他のポケモンたちより経験も少ないから、真っ向から勝負をするのはできるだけ避けたかった。

「メロメロ……厄介だな」

「もう一個保険を打たせてもらうよ。あやしいひかり!」

「ちょっと小細工がすぎるんじゃないか?」

「だって倒れないんだもんニョロ!」

赤く光るブラッキーの目を直視したニョロボンは、目はブラッキーから逸らさないまま、ふらふらと足をもつらせる。

攻撃できる状態ではないはずだが、けして油断はできない。十分に距離を取って様子を見る。

次で終わりに、出来たらいいが。望みをかけて指示を叫ぶ。

「サイコキネシス!」

「ふぶきだ!」

「…………!!」

ブラッキーの魅惑を振り切ったニョロボンが、サイコキネシスに痛めつけられながらも技を繰り出す。それは攻撃というよりも暴雪であり、自らさえも巻き込んで部屋中を雪に巻き込んでいく。

水着だけに身を包んだ体は急速に冷えて、思わず身を抱きしめる。あまりの視界の悪さに目も開けられない中で、パキパキという音が耳についた。

長くはない吹雪。痛いほどの風が止んだかと思えば一気に暑くなる室内にただでさえ積もっている疲労を自覚する。

ニョロボンは、ブラッキーは、どうなったのか。ニョロボンに目を向ければ、ついにその身を沈ませて動けなくなっているのを見る。それに拳を握って喜んで、ブラッキーを讃えようとした、そのとき。

「――――!!」

「ニョロボン、ブラッキー、共に戦闘不能!!」

氷漬けになったブラッキーの姿を見る。

ぬかるんでいた床は吹雪によって氷のリンクに変わっており、それと地続きになるようにブラッキーは氷像と化していた。

ぞっとしながらブラッキーをボールに戻す。

相打ちか。否。これはこちらが打ち負けた。

あまりにも引きがよすぎる。こんらん状態のために自分を巻き込むのも厭わないなんて。

「さあ、最後だ」

「……嫌になるほど強いな」

うんざりしながら吐き捨てると、レッドは心からうれしそうに笑う。こういうところが嫌いだと、言ったら傷つくだろうか。

最後の一匹に手をかける。

幼い頃からの大親友。唯一無二の相棒。スターミー。きっとこの子でもこの状況を打破することはできない。

だが、最後はスターミーと共に立つと決めていたのだ。

「ミーちゃん!」

「最後はスターミーか。サツキらしい選択だな。俺は、こいつだ」

「フシギバナ……」

氷漬けのコートにどしりと対峙するのは、巨大な花を背負ったフシギバナ。

普段の温厚な性格が嘘のように鋭い目つきに、サツキもスターミーも背筋を伸ばす。

サツキの手持ちは最後の一匹。それに対して、レッドが手を抜くはずがない。

「サツキ、お前は本当に強くなったよ。最後まで諦めないで、勝負しようとしてくれるようになったことが本当に嬉しい。だからそんなサツキに敬意を表して、俺は全力でお前に勝つ」

「――――!」

「フシギバナ、メガシンカ!」

レッドがポケットから出したリング。その中心に指を添えて叫ぶと、フシギバナの姿が変わり出す。

進化か。フシギバナはこれ以上の進化を持っていないはず。その異様な変化に目を剥いていると、やがてフシギバナの姿が固定される。

背の花の幹が大きく伸び、まるで南国の植物のようになる。額にも花が咲き、鼻の頭には紋章のように斑が浮きだした。体の大きさはさほど変わらず、少し様相を変えただけ、というような姿。

それなのに、ビリビリとした恐怖が身を走る。

これは危険だ。相手をしてはいけない。

命の危険さえ感じるおぞましさに、サツキは体をかき抱いた。スターミーもまた、怯えたようにコアを光らせる。

レッドは、なにをするつもりだ。これはなんだ。なにが始まるというのか。

「よく見ていろ、サツキ。ポケモンバトルには、これだけの奥があることを。――――ハードプラント!」

瞬間、地が大きく揺れる。

地震かと思えば違う。地の底から巨大な根が這い出てきて、まるで光のような速さでうねり、地をかき混ぜながら迫ってくる。それは生き物のように、化け物のように、逃がす道など作りもせず、圧倒的な質量を持って――――スターミーへと、肉薄する。

「――――――――!!」

言葉にもならない悲鳴しか、喉から出すことが出来なかった。砕けた腰は地面が氷と水でぐちゃぐちゃになっているのも構わずに落ちる。

スターミーの体はいともたやすく巨大な根に弾き飛ばされ、天井にぶつかり、勢いのままにごとりと落ちた。まるで小さな子供がおもちゃを振り回すかのような気安さで。

ガタガタと体が震える。

ポケモンバトルは、こんなにも強烈な威力も出せるのか。

根がなくなったあとの地面は、まるでショベルカーで堀りでもしたかのような大きな穴が空いている。ジムを破壊しなかったことが奇跡のようだ。

恐ろしかった。とてつもなく。だが。

それと同時に、これに追いつきたいとも、思った。

「スターミー、戦闘不能! ――――勝者、ジムリーダー、レッド!!」

審判の声が響く。

それが体を拘束したものを溶かしたように、サツキはスターミーの元へと走った。

なにも出来ずに瀕死になったスターミーは、チカチカとコアを光らせて謝る。首を振って抱きしめれば、ついにコアの光を閉ざしたスターミーに、小さくごめんねと呟いた。

なにもさせてあげられなくてごめん。結局、三体も倒すことができなかった。ずっと勝てるビジョンが見えなかった。サツキも怖かったが、みんなはもっと怖かったと思う。それに報いてあげられなかったのが、一番悔しかった。

父は強い。どうしようもなく、それを思い知らされる。

だけど、いつかは。

「お疲れ、サツキ。お前はよくがんばったよ。さあ、グリーンバッジだ」

「…………。……。バトル、ありがとうございました。…………。それは、要りません」

「…………!」

バトルも終わり、近づいてきたレッドが渡そうとしてきたグリーンバッジを、丁寧に断る。

緑色の羽を模したバッジ。それを受け取ればポケモンリーグで予選をパスすることができる。

だがサツキには受け取れなかった。これを受け取る時は、初めから決めていたからだ。

「そのバッジは、いつかあたしが本気のレッドを倒してからもらう」

これこそが、サツキの成長を見せる一番の言葉だと思った。

いつか必ず、父を超えてみせる。そう宣言することが、かつてのサツキからどれほどかけ離れているか、サツキは知っていた。

遊びでいいと思っていた。

頂点など興味も持たないでいようとしてた。

そのサツキが、“最強のジムリーダー”レッドを超えると宣言することが。どれほど意識の変化を示すことであるか。

「…………そうか」

耳にしたレッドは、心から満足そうに、笑う。

少し乱暴に頭を撫でて、それから強く肩を叩いた。

「痛いよ、パパ」

「ポケモンリーグの予選は甘くないぞ」

「予選の相手なんて敵じゃない。……そうでなくちゃ、オーカと戦うことなんてできないから」

「……そうか」

ポケモンリーグまで、約半月。

それだけあれば準備期間は十分だった。

「パパ、あたしのポケモンリーグ、絶対見に来てね」

「当たり前だろ。……ポケモンリーグで待ってる」

父に別れを告げて、サツキはジムを後にする。

もう旅は終わりだ。だが家に帰ることはしない。ポケモンリーグが終わるまで、サツキの旅は終わらないからだ。終わらせることなど出来ないからだ。

――オーカ。あたしは必ず君に会ってみせるよ。

そう心の中で呟いた。

+++

「レッドさん、くっそ大人気ないっすわー」

「ははははは、なんとでも言え」

サツキが去った後、ジムの修繕をしてくたくたになったゴールドが心から見下げた様子で言ってくる。大人気なさではレッド以上であるこの男に言われると若干腹が立つ気もするが、構わず笑い飛ばした。

サツキが全力で来てほしいと言ってきた段階で、最後にああすることは決めていた。

レッドの全力を見せて、ポケモンバトルの究極を見せて、サツキがどう返してくるのかが見たかったから。

臆病な娘は、もしかしたらバトルを恐れてしまうかもしれないという気持ちはあった。実際、娘の目には強い恐れが浮かんでいて、脅かしすぎたかと反省しようともした。

だが、違った。

――そのバッジは、いつかあたしが本気のレッドを倒してからもらう。

恐れた上で、レッドを超えると宣言をしてみせた。

それがレッドは心から嬉しかったのだ。今まで競争心というものを見せてこなかったサツキが、闘争心を剥き出しにしてレッドを睨みつけてきた。水のようにどこかつかみ所のなかったサツキが、芯を持って立っていたのだ。

この成長がどれほど大きなものか、他人にはわかるまい。

きっとサツキは強くなれる。いい子に育っていっている。

「パパに勝とうなんてあと十年早い」

「やけに短いじゃないっすか」

「十年から先はどっちが勝つかわかんないからな」

あと十年、いや、あと五年もすれば分からなくなる。

娘に超される日は、きっと遠くないのだろう。子供の成長はあまりにも早い。娘に追い越されるまで、強大な壁で居続けることが、レッドの父親としての使命であると思う。

「ポケモンリーグ、楽しみだな」

成長した娘は、ポケモンリーグでどんなバトルを繰り広げるのだろうか。

きっと、レッドの知らない友達やライバルもいるのだろう。見知らぬ彼らと、バトルの中でなにを通わせるのか。

それが楽しみで仕方がなかった。