ニビシティ

 ――あなたはもったいない人だ。

 この言葉を言われるのは、二度目だ。

サツキは苦笑して、頭をかく。オーカの走り去る後ろ姿を見送りながら、昔に同じことを言った人物を思い出す。

 ユリカ。サツキの幼なじみ。

 去年のポケモンリーグのあと、リーグに出ないと言ったサツキに対しての言葉だった。

多分、オーカとユリカの言った“もったいない”は大きく意味が変わってくるのだろう。ただ共通していると言うなら、「サツキを高評価している」という点だろうか。

そうでなければ、出てこない台詞だろう。

 だけれど、二度違う人物に言われてもサツキにはぴんとこなかった。もったいないと言われても、今がサツキのすべてなのだ。

 ユリカが言った「もったいない」は、ひとえにサツキの臆病さをあげつらったものだ。

けれど、オーカは。

「……あはは、怒られちゃった」

 再びピカチュウに向きなおって笑う。

ここに来るまでに何人もの人に怒られている。それなのにどうしてこんなにも言われているのか、どうにもしっくりこなくてサツキには笑うしかなさそうだった。

「い……ったぁ! もう、大人しくなったかなと思ったら!」

 そんなサツキの態度を見るなり、大人しくしていたピカチュウが再び牙を剥いてサツキの手にさっきよりも強く電撃を浴びせる。

その不意打ちに驚いて手を見ると、さっきまでは痕が残らない程度の弱さだったのに小さくやけどのように赤くなっている場所があった。

 ピカチュウはそっぽをむいたまま、けれど反抗ではなく怒りのような表情をしている。

「――――……君も、怒っているの?」

肯定するように、一瞬だけサツキを見て、今度こそ背を向けられてしまう。

 この子に好かれるのは、まだまだ先が長そうだなぁ。

+++

「いーい、君の名前は、今日からピーちゃんだよ。ぴ・い・ちゃ・ん! ……痛い!」

 場所を変えて、ポケモンセンター。

トキワの森を走り回った疲れを癒してもらったついでに、もう一度ピカチュウと向きなおっていたずらについての注意をするサツキ。

しかし、反抗的なピカチュウは当然聞くわけもなく。

 ついさっきまでは大人しく腕の中にいてくれたというのに。

「親密度のやつもまったく表示されないしなぁ…………。見間違いだったのかなあ」

トキワの森を逃げまどっている間、ピカチュウのいたずらによって誤作動したなつき度チェッカー。

本当に一瞬だが、まだ捕まえていないピカチュウのアイコンがここに見えたのだ。ミーちゃんやメーちゃんのようなピンクのバーではなく、青いバーだったが親密度も表示されていた。

 だから、サツキはピカチュウを捕まえようと思ったのだ。

表示された、青いバーが図鑑の中ほどまでに伸びていたから。

 しかし、今は見る影もなく、バーはからっぽのピカチュウのアイコンだけが表示されている。

 なんだか、だまされた気分になる。

「大丈夫? さっきから何度も攻撃されてるみたいだけど……怪我とかない?」

「あっ……大丈夫です」

 やさしい、女性の声。

慌てて姿勢を正すと、そこには白衣のジョーイさんが立っていた。

 周りを見てもポケモンを連れてきそうなトレーナーはいない。だから声をかけてきたのか。

「えと……痛いけど、痕にならないのがほとんどなので、大丈夫です。ありがとうございます」

「そうなの? 結構大きなやけどを負わされてくる人が多いんだけど……。……そのピカチュウ、トキワの森のいたずらピカチュウよね?」

おずおずと言ったように問いかけてくるジョーイさん。

それと同時に、耳にまで聞こえてくるほどばちばちと音を立てるピカチュウの姿が目に入る。

今までサツキが受けてきたのとは比べものにならない殺気に、ぞっとして体を引いた。どうしたのだろう、急に。

「ピーちゃん、やめなさい。ジョーイさんはなにもしないんだから、ていうか、そんな警戒しなくっても誰もなにもしないよ!」

「いいのいいの。あんなに大人しくてびっくりしていたくらいだから……」

「でも!」

「わたしの知っているこのピカチュウはこうだから」

困ったように、けれど逆に安心しているようにジョーイさんがピカチュウを見る。

ばちばちばち、と音が立つほど電撃を纏ったピカチュウはそんな優しげな瞳に見つめられても一切電撃を止めようとはしない。どうにか大人しくさせようにも、これではサツキも触れられそうになかった。

「……あの、ピーちゃん……ピカチュウがこの町でしていたことは、なんとなく聞きました。物を盗んだり、子供に攻撃したりしてたんですよね?」

「ええ。……でも、それにはね、理由があるの。このピカチュウは元々、トキワの森に住んでいたわけではないのよ」

しかたなくこのまま、ピカチュウが動き出さないように監視しながらサツキはジョーイさんの話を聞く。

「このピカチュウは、数年前にトキワの森で捨てられた子なのよ」

「捨てられた!?」

思わぬ言葉に顔をあげる。

ジョーイさんは少し悲しげに笑って、ゆっくり話し出す。

「どんなトレーナーかはわからないんだけどね。昔、ピカチュウを連れたトレーナーがニビに来ていたの。二年くらい前、だったと思うわ。そのトレーナーがニビから立ち去った後、このピカチュウがニビの人たちに悪さをするようになったの。はじめは食べ物を盗むくらいだったから、突然野生化したからお腹空いてるんだろうってことで済ませていたんだけどね。ある日……そのピカチュウにご飯をあげようとした子供が怪我をしてしまって……。だから、町の人がみんなで追っていたの」

「そうだったんですか……」

 改めて聞かされる、ピカチュウとニビシティの確執。

あの異様な雰囲気に反抗して、ついピカチュウを捕まえてしまったが、冷静に聞けばやはりピカチュウの所行は許されないものだとわかる。

それでもまだ、サツキはピカチュウに改善の余地があると信じていた。

 ――あのとき腕の中にいてくれた体温を信じたかった。

「今まで、ピカチュウは誰にも触れさせなかった。近づくことも許さなかったし、誰かのポケモンになるなんてことをさせなかった。……そんなピカチュウが、あなたには怪我をさせないで逃げ出さないで一緒にいる、それってピカチュウにとって貴重な一歩だと思うの。そのピカチュウは、きっといい子になれるとわたしは思うの」

ジョーイさんは優しく、思いのたけを語る。

それはサツキと同じ、ピカチュウへ寄せる希望だった。

「こんなことを言うのは、勝手だと思う。でもお願い。そのピカチュウをどうか見捨てないであげて」

 わたしには手を出すこともできなかったから。

そう、ジョーイさんは懇願する。

その目を見て、サツキは安堵した。やっぱり、ピカチュウを捕まえたのは間違ったことじゃなかった。同じように、ピカチュウのことを守ってあげたい人がここにいる。

「もちろん、絶対離れません。ピカチュウに信じてもらえるように、あたしがんばる」

 きっぱり宣言すると、ジョーイさんは心から安心したように微笑んだ。

そして話が終わったと同時に、新しくポケモンを連れてきたトレーナーがジョーイさんを呼ぶ。「はーい」と明るく優しい返事を返して、もう一度だけサツキを見て手を振ってカウンターに戻っていく。

それに手を振り返してから、ピカチュウに向き直る。

 ジョーイさんが話はじめてから、そちらに集中してしまっていたが、どうやらピカチュウは大人しく待っていてくれたらしい。

サツキが振り返ったのを見て思い出したようにばちばちと電撃で威嚇を始めたのを見て、つい笑ってしまう。

「ピーちゃん、君って結構いい子だよね?」

言うと、顔を真っ赤にして電撃を放ってくる。

痛いのだが、やっぱり傷は残らない。

 さっきの話を聞く限り、サツキにだけは比較的なついてくれている、ようである。理由はわからない。それでも信頼してくれようとしているのであれば、サツキは全力でそれに報いたいと思う。

 ――ねえ、君は捨てられたときに人が嫌いになってしまったのかな。

 ――それでもどうか、あたしを信じてほしいな。

「ピーちゃん。これから、よろしくね?」

 にっこり、笑いかけると後ずさりして逃げる体勢に入る。なんとも失礼な反応だと思う。

「……サツキさん」

「あ、オーカ」

 うぃーん、と自動ドアが開くのと同時に麦わら帽子の小さな女の子が入ってくる。もう何度かすれ違ったオーカだ。

オーカはこちらを見つけてまっすぐに歩いてきて、なにかポケットをごそごそやったかと思うといくらかの小銭をテーブルに置いた。

「……なにこれ?」

「サンドイッチ、いただいてしまったので。……その、お礼が遅くなってすみませんでした。おかげで助かりました」

「えー、別によかったのに」

ずずいと小銭を押し返す。別にお金が欲しいとか思ってあげたわけではないのだ。しかし、オーカは逆にサツキの手を押し返してきた。なにがなんでも受け取ってもらおうとサツキに小銭を握らせてくる。

「オーカ、君って律儀だよね」

「サツキさんこそ、大人しく受け取ってくれませんか」

「旅に出たばっかりなのに行き倒れなんて可哀想だからあげただけだから、あたしお金なんて欲しくないもん~っ」

「お礼くらい大人しくさせてください~っ」

 微動だにしない互いの手。

手の体温でだんだんと小銭も温まってきた。サツキの手に乗せられている小さなその手は、思いの外力があって、しかも熱い。クーラーが効いているとはいえ、夏に触れているのは少しいやになるくらい熱い。

 そんなサツキとオーカの応酬がおもしろかったのか、テーブルに立つピーちゃんが指をさしてけたけたと笑う。

「君のせいなんだよっ!」

「おまえのせいなんだぞっ!」

「ピッ!?」

一斉に怒鳴られるとぎょっと仰け反って、二人が動けないことをいいことに自分からモンスターボールに戻っていく。

 逃げた! 都合がいいんだから!

 見届けて、二人顔を見合わせる。

「……ね、お金はいいから。あたしのポケモンが迷惑かけたんだから」

「……サツキさんが謝ることじゃないじゃないですか……」

 はあっ、と大きくため息をついて、落ち着いたところでオーカを言いくるめる。渋々といった様子で小銭をしまうオーカを横目に、サツキはピーちゃんの逃げたモンスターボールをの方を見る。

 いつのまにか、しっぽがハートになっているピカチュウがサツキの隣に立っていた。ピーちゃんの逃げたモンスターボールをころころころころ、遊んでいるのか、開けたいのか、そんな風にいじっていた。

「それで、これは君のピカチュウだっけ?」

「あーっ、ピカすけなにしてんの!」

「……その子女の子だよね?」

 “すけ”って。

オーカが暴れるピカチュウを抱き上げると、その手からボールが落ちる。地面に当たった拍子でスイッチが押されたのか、中からピーちゃんが吐き出される。

 さっき散々ピカすけがいじっていたから目を回したのか、じっと頭を伏せて動かない。

「すみません、さっき顔合わせたときからやたら構いたがってて……」

「あー、仲間見つけて興奮したんだねー。……とりあえず、隣座る?」

ぽんぽんとソファの隣を叩いて促す。

それに少し視線を泳がせてから、そっとオーカが隣に座った。こんな風に、落ち着いて話すのは初めてだと、今更サツキは気付く。

 顔を合わせたときは、毎回怒られていたからか。少し不思議な感じがした。隣にちょこんと座るオーカは、こうして見るとやはりとても小さくて、守ってあげたくなるようなかわいさがあった。

「……サツキさん、明日、ニビでジム戦があるそうです」

「そうみたいだね。チラシ見た。……あれ、いつもやってるものじゃなかったんだね」

 ポケモンセンターの一郭にある掲示板。そこにニビジムの解放日の書かれたポスターが大きく貼ってある。

「ここのジムリーダーは副業でオツキミ山の方でも仕事をしているそうです。だから、毎日ジムはできないんじゃないでしょうか」

「ああ……なんかそんなこと前に聞いたなあ」

「サツキさんのご両親はしていないんですか?」

「うちは毎日行ってるはずだよ」

父も母もジムの話しかしないから、ジムは毎日開いているものだとサツキは思っていた。どうやらそうではないらしい、初めて知った。

「ジムリーダー、別にジムの仕事だけやってるわけじゃないですからね。事前に電話したりした方がいいですよ」

「よく調べてるねえ」

「逆に、なんで知らないんですか。ジムリーダーの子供のくせに」

 うーむ、手厳しい。

サツキは苦笑いを返すしかない。今まで、ジムに挑むなんて考えたことがなかったから気にしたこともなかったのだ。

でも言われてみればそうか。突然挑みに行ったって、ほかの挑戦者と被ったりするかもしれない。ここで教えてもらえて本当によかった。

「あ、じゃあニビジムに電話した方がいいかな!?」

「ニビジムはジムトレーナーに三回、勝って初めてジムリーダーと戦える方針です。その必要はありませんよ……というか、ポスターに書いてあるじゃないですか。ちゃんと読んだんですか」

「あはは……ごめん」

慌てて立ち上がったのを制される。

 本当に、小さいのにしっかりしている。これじゃあどっちが年上かわからない。

「それで。ポケモンの調子はどうですか。……さっき見たところじゃ、そのピカチュウに言うことを聞かせるのは難しそうですけど?」

 じっとりと睨めあげて、サツキの痛いところを突く。

 問題にされたピーちゃんは、ピカすけにじゃれつかれてどうも困ったように逃げている。何度も何度も攻撃したりしているのにピカすけはへこたれず、むしろおもしろがってたいあたりをしたりしているから、ピーちゃんでは対処がしきれないらしい。

なんだかもう、ニビの問題児としての貫禄がまったくない。

「いやぁ……うん、そうなんだけどね」

 サツキには他の人間よりは少しだけなついてくれている、らしいと言うものの、サツキの言葉はずっと無視してくれているピーちゃんだ。今日明日でなんとかなるものではないだろうし、そんなに性急にサツキも仲良くなろうと考えていない。

 ゆっくりでいい。サツキはそう思っているのだが、オーカはそうではないらしい。

 オーカの言い分はわかるのだが。でも、引き取ったからには責任を果たさなければならないだろう。

「タケシさんは岩タイプの使い手だから、ピーちゃん……ピカチュウの出番はないかなあって。あたしにはヒトデマンのミーちゃんもいるし、ゼニガメのメーちゃんも水タイプだし。多分、下手こかなきゃジム戦だけならなんとかできると思う。ミーちゃんはいつも通り快調だし、メーちゃんとの連携も取れてきた。……オーカが心配するようなことには、ならないよ」

 岩タイプに水タイプは相性がいい。

それだけを見れば、おそらくサツキはかなり有利だろう。ピーちゃんに頼らざるをえない状況にさえならなければ、だが。

楽観的だが、信じるしかない。やるしかない。

ピーちゃんには頼れないのだ。

「……そうであることを祈ります」

 言って、立ち上がってピカすけを抱き抱える。

ぴんと背筋を伸ばして歩く姿は、惚れ惚れするほど綺麗だった。その小ささから、弱さも脆さも感じさせないほどしっかりとした姿勢。

 なんだか、眩しくなった。

「明日、ニビジムで」

 もう一度、自動ドアが開く。

来たときと同じように揺るぎない足取りで出ていく。

 オーカはきっとバッジを取るだろう。確信できた。彼女は強い。

 小さな体で、誰にも負けない迫力がある。サツキよりも、年下なのに。

 年下に負けるなんて、そんなのは、いやだ。

「……がんばろう」

+++

 二人の少女が旅立った、マサラタウンで。

幼げな美貌の彼女は決意する。

「……同年代の女の子が二人、マサラから出ていったんだそうだ、ニドリーノ」

傍らを歩くニドリーノに、独り言のように彼女は話す。

誰もが振り向き魅了されるような愛らしい容姿とは裏腹に、感情の感じさせない堅い口調で、彼女は呟く。

「なら、わたしが旅立って危ないこともないはずだ。……そうだろう?」

問いかけに、ニドリーノは低く鳴く。

それに満足したように、彼女はうっすらと微笑んで、それから彼女の前にそびえる建物と対峙した。

 看板にはこうある。

 ”オーキド研究所”

「……ごめんください。どなたかいらっしゃいませんか?」

果断に扉を開いて、声を張り上げる。

少女の愛らしい声が響く。無機質な研究所の中は昼間にしては薄暗く、人気ない。声はむなしく吸い込まれていくばかりで、誰も返事をしなかった。

 それでも少女は気にせずに中へ入っていく。

細くか弱い、頼りない足は迷いなく研究所の奥へと進めていき、やがて研究資料のポケモンたちの前へとたどり着く。

小さな少女の二倍ほどはあろうかという高さまで、ぎっしりとモンスターボールの並んだ棚を、少女は感慨なく見上げて、そして興味なさげに目を離す。

 振り向いた先に、棚とは別にモンスターボールの飾ってある台を見つけて、今度こそと少女は近づく。

三つだけボールを飾れるようにスタンドの付いた台には、たった一つだけボールが飾ってあった。

 その中のポケモンと、目が合う。

 赤い体に生意気なつり目をしたポケモンだった。

「……。……オーキド博士は、いないのね」

 もう一度、あたりを見回して。

 諦めたようにため息を付く。

「もう、強行するしかないか……」

肩を落として、入り口へと戻る。

 無理はしたくなかった。だが、今日中に出なければリーグまでに間に合わない。だったら、あとでどう怒られようとも行こうと思った。

 カツン、カツン、とブーツが床を鳴らすたびに、低い地響きのようなニドリーノの足音が続く。

長くない玄関までの間、その心地よいリズムを聞いて――異物を感じた。

 人の足音ではない。もっと小さな、ポケモンの足音だった。

「……お前は」

振り向いて、少女は眉を寄せる。

 小さな赤い体に生意気に睨みつけてくる目。

さきほど顔を合わせたあのポケモンが、なにやら白い物を持って着いてきていた。

ポケモンの持っているそれは、いつか母が見せてくれた物に似ている。ポケモン図鑑と呼ばれていた、あの機械に。

「着いて来るな。お前は博士のポケモンだろう。そんな物を持って……なにがしたい」

 よそ行きの口調を捨てて、少女本来の堅い口調で突き放す。

しかし生意気に睨みあげながら、そのポケモンはバウと吠えたきり少女の前を動かない。

一歩、少女が扉に向かうたびにポケモンも共に歩く。

 受け取るまで、絶対に離れないと言うように、赤いポケモンは少女のそばに着いていく。

それを見て、困ったように眉根を寄せる。どう対処すればいいのか悩んだのだ。

 町を歩くだけで誰かに告白をされるほど、可愛らしい容貌の少女はただなつかれたり惚れられたりするだけなら慣れていた。同じようによくもてる母から教育された処世術のおかげで対処にも精通していた。

 しかし、このポケモンはただ、着いてくる。そこに感情はなく、明確な意志によって着いてくる。

少女の美貌に惑わされているわけではないのだと、わかってしまう。

 だからこそ、どうしていいのかわからなかった。

 そもそも少女は、オーキド博士に母を説得してほしいだけだったのだ。その博士がいないのなら、ここのポケモンにさえ用はないのだ。

だから、ポケモンを盗むような真似はしたくないのだ。

 しかし。

「わたしに……連れて行けと言うのか……?」

 バウ、と肯定の鳴き声を上げる。

 聞いて、少女はポケモンと目線を合わせるようにしゃがむ。その手の箱を受け取って開くと、ポケモンの姿と名前がタッチパネルの画面に映し出されていた。

 ――ヒトカゲ。

「……ヒトカゲ。わたしはこれから、ポケモンリーグを目指して旅に出る。でもそれは、目的を果たすための下準備でしかない。きっと、無理を強いるぞ。それでもいいなら、着いてくるといい…………わたしが連れて行くわけじゃないからな、お前が勝手に着いてくるだけだ」

 わかったな。

言い含めるように言うと、ヒトカゲはすたすたと玄関の方へと歩いていく。

 ――お前が俺に着いてくるんだ。そう言うように。

 つくづく、生意気なポケモンだと少女は思う。呆れたようにため息をついて、次の瞬間、スイッチが入ったようにまた愛らしい少女の雰囲気を復活させる。

「行きましょう、ニドリーノ。ポケモンリーグへ」

 カツン、と最後の床を踏んだ。

+++

 ニビシティの中心地から、やや左にはずれた場所。

ニビジム。その中はそこまで広くない場所に詰めかけた人がすし詰め状態になっていた。今日がジムの解放日であるせいである。

 ジムの隅っこにひっそりと存在する受付に並んで、サツキもまたジムへの挑戦券を受け取っていた。番号札は四二番。締め切りぎりぎりに並んだために、番号は後ろの方だ。

 ジムには三つリングがある。そのそれぞれで、挑戦券と番号札を持ったトレーナーが順繰りにバトルを繰り返していた。

このジムは、ジムリーダーと戦うまでに三回、ジムリーダーの門弟に勝たなければならない。三人の門弟に勝って初めてリーダーと戦う権利が得られる。そして、それを得られるのは、いつも何十人集まる中でも片手で数えられる人数だけ。

それは三十年近く前から、形態が変わっていない。

 ジムトレーナーは、ジムリーダーから教育を受けながら、常にジムリーダーの座を狙っている強豪だ。当然、勝つことは簡単でないのである。

 サツキはじっと、三つのうちで一番大きなリングを観察して、ジムトレーナーと挑戦者の戦いを観戦していた。

観戦者の中にはただのやじうまもいるらしい、まるでボクシングの試合のように怒号が飛び交っている。

 この中で、サツキもバトルをしなければならない。

 考えて、ぞっとした。勝っても、負けても、観衆に晒される。それはまるで、ポケモンリーグのようだった。

戦っている挑戦者も、それぞれ少し戦いにくそうに見える。やはり、あの上はプレッシャーがすごいのだろう。

「番号札、二十四番。三回戦ともに勝利のため、ジムリーダーへの挑戦権が与えられます。二十四番の方は中央リングの係員まで申し出ください」

 天井のスピーカーからおもむろにアナウンスが流れる。

ジム開場から三十分。もう二十四番まで行っていることにも、もう挑戦権を獲得した人がいることにも驚いた。

どんな人だろうと気になってあたりを見回してみたが、人ごみが酷くて見つけられそうになかった。

「おい、あっちのお嬢ちゃんすげーぞ!」

「おチビちゃーん、そんなおじちゃんはひっくり返してやれー!」

「じじすけー、こんな小さな子にやられてるなんて情けねーぞ――!!」

 左リングからなにやらおもしろおかしく囃し立てる声が聞こえてくる。

 おちびちゃん。その単語が気になって、人混みをかき分けて左のリングへと歩いていくと、あの麦わら帽子の少女がジムトレーナーとの戦いの最中だった。

「オーカ……」

「イシツブテ、ころがる!」

「フシすけ、やどりぎのタネで動きを止めるんだ!」

 オーカの一挙一動に外野がいやに盛り上がる。

こんなにも幼い女の子がジムで健闘しているのだ、いい見せ物に違いない。

 しかし、サツキは見ながら感嘆していた。

オーカも、そのポケモンも、その動作が最小限で簡潔なのだ。一見、軽く戦っているようにさえ見える。

最小限で最大の攻撃。それは、ポケモントレーナーにとって一種の理想の戦い方だろう。それを彼女は、たった十歳で身につけているのだ。

高いバトルセンスと技術、それから知識があるのだろうと思う。

「イシツブテの眉間につるのムチ!」

「イシツブテ!!」

 やどりぎのタネで動けなくされたイシツブテの眉間に、正確に突きつけられるつるのムチ。それはまるで矢のようにイシツブテに刺さり、バキッ、とイシツブテにヒビが入る。

目を回すイシツブテと、息が乱れてさえいないフシギダネ。その力量差は圧倒的だった。

 たとえ、ジムトレーナーが挑戦者の力量を量るために手加減をしているといっても、こんなにも見事に差のできるバトルはそうない。

昔、何度となく両親の試合、ジムトレーナーの試合を見てきたからこそ確信する。ジムトレーナーが手加減をしすぎているのではなく、オーカがとてつもなく強いのだと。

 最小限のダメージで最大の攻撃を与える。それはけしてたやすいことじゃない。それを可能とするのは、オーカの指示の上手さと知識、それからポケモンたちへの丁寧な教育と練習の成果だ。

 動かない的だといっても、一点に、正確に素早く弓を射ることがどれだけ難しいことか。

 強い。確信する。

「……あ」

 バチッ、とオーカと目が合う。

オーカはおもむろにしゃがんで、リングをくぐり抜けて降りてきた。

「来ましたね」

「おつかれさま。すごいね、あのバトル! 技のタイミングも位置もぜんぜん狂いがないし、一撃! あたしにはマネできないやあ」

「あれくらい、リーグに出るなら当然です。むしろ手加減されすぎて腹がたったくらいです」

 大きなつり目をぎっとサツキに向ける。

その迫力に思わず一歩うしろに下がった。ジムトレーナーへの怒りではない、サツキに対する怒りだった。

「番号札四二番の方、右側のリングの方へお越しください」

「あ……」

「呼ばれましたか?」

天井から振るアナウンスが、サツキの番号を読み上げる。

来てからそんなに時間は経っていないのに、最後の方に並んだサツキがもう呼ばれるとは、ものすごい回転率である。

「一つ目のバッジで、負けるなんて無様は見せないでくださいね」

「……がんばるよ」

 オーカの厳しい声かけに苦笑を返して背を向ける。

少しオーカと話をしている間に、ジムの中はずいぶんと人が減ったようだった。ほとんどの人が一回戦で負けるせいか、もうジム内にいるのは未挑戦者数人と観戦に来た野次馬だけになっている。

 おかげで、さっきは酷く移動に苦労したのに左リングから右リングへ向かうのは難しくなかった。

 回り込んで、リングへあがる階段に向かう。立っていた係員に番号札を見せて、リングの中へと歩いていく。

 どくん、どくん。

リングに一歩進むごとに、緊張でイヤな脈動が聞こえる。一緒に観戦者の騒ぎも聞こえてくる。

聞こえるたびに、どんどん体温が失われていくように思える。

 大好きなバトル。楽しいバトル。

 ああでも、やっぱり見せ物になるのは嫌だなあ。

「これより、挑戦者サツキの一回戦を始める。使用ポケモンは一対一。挑戦者のポケモンが戦闘不能になった時点で挑戦は終了する。両者、構え!」

 審査員のかけ声に併せて、ジムトレーナーとサツキがボールを取る。

相手のジムトレーナーは、他のリングのトレーナーと同じように筋骨隆々の男性だった。このジムの方針なのだろうか。威圧感に、冷や汗が背中を伝う。

「がんばれよお嬢ちゃん!」

「ガキがジムなんて十年はえーぞ!」

「親父ー! ひねりつぶせー!」

 怒号が飛び交う。

 あの人たちの前で、サツキが負けたら、どんな言葉を受けるのだろう。

 あの人たちの前で、ジムトレーナーが負けたら、どんな言葉を受けるのだろう。

 ああ、嫌だなあ。

 帰りたいなあ…………――――。

「はじめ!」

「いくよっ、ミーちゃん!」

「いけっ、イシツブテ!」

 リングの中央、現れるヒトデマンとイシツブテ。

両者はぎっとにらみ合い、トレーナーからの指示を待つ。

そのトレーナーたちもまた、相手の出方を待って動かない。リングは観戦者の怒号に包まれて、停滞を見せる。

 動かなければ、ならない。

 ――でも、あの人たちの前で、下手な試合をしてしまったら――。

 サツキはそんな恐怖ばかりに包まれて動くに動けない。試合が、怖いのではない。観戦者が怖かった。

 怒号が怖かった。怖いのだ。怒号が。

 でも戦わなければならない。

勝ってバッジを手に入れて、オーカと戦わなければならない。そのためには、ここで負けるわけにはいかない。

わかってる。わかっていても、昨年のリーグが忘れられない。

「……。来ないならこっちから行くぞ。イシツブテ、いわおとし!」

「! ミーちゃん、こうそくスピンではね飛ばして!」

サツキが恐怖にすくんでいる間にトレーナーが動き出す。

空中から降ってくる岩をとっさに跳ね返させるものの、それだって無傷でできる芸当ではない。岩でリングが狭まり、動きづらくもなる。

 怖いとか言ってる場合じゃない……とにかく勝たなくちゃ……!

「ミーちゃん、バブルこうせん!」

「ころがるで割って進め!」

「ミーちゃん!」

バブルこうせんを割りながら、勢いを殺さずイシツブテがミーちゃんに突撃する。その早さに避けきれなかったミーちゃんは、攻撃が急所に入ったのか宝石をチカチカと点滅させながら、ふらふらと立ち上がる。

 ぼやぼやしている余裕はない。いくら相性がいいと言っても、このままでは負けてしまう。

 きっと目標を見定める。

イシツブテは回転をやめないままどんどん威力を増していっている。あれを手始めに止めなければ。

「ミーちゃん、周りの岩にスピードスター!」

「周りの岩にだと……!?」

命じられたとおり、いわおとしで出現した岩たちがスピードスターで砕け散っていく。それはリング中にまきびしのように落ちる。大きさは一定でなく、砂のように小さいものも岩のように大きいものもばらばらに。

それらが、砕ける勢いのままにイシツブテに当たる。イシツブテの足下に大きな石が入り込む。

そんなダメージに耐えかねて、ついには砕けた岩にぶつかって回転が止んだ。これで狙い通り。

「今だ、みずでっぽう!」

「イシツブテ!」

「イシツブテ、戦闘不能! 勝者サツキ!」

 ウオオオオオ!!

 審査員の号令と同時に観戦者たちから歓声があがる。少し集中して忘れていたせいで、その大きな声に思わず肩を跳ねさせた。

怒号は、聞こえない。ただ興奮気味に、サツキを褒めているらしい雄叫びが聞こえる。

ジムトレーナーは責められない。

 それを確認して、少し安心する。

「挑戦者の方はこちらへ。リングの清掃が終わるまで少々お待ちください」

「あの、ポケモンの回復とかは……」

「このジムは勝ち抜き戦なので、回復は全試合の終了後となります。キズぐすりでしたら試合前後に係員が立ち会いの中で五個まで使うことができます。使用しますか?」

「あ……わかりました……いいです」

誘導されるままにリングから一旦降りる。

 まともに説明を聞いていなかったことが仇となった。勝ち抜き戦なら、もうミーちゃんは出せない。

さっきのバトルでだいぶ消耗させてしまっている。これ以上無理をさせるわけにはいかない。

ともすれば、あと二戦。メーちゃんだけでしのがなければならない。

 しのげたとして、ジムリーダーはどう対処をするか。

「……ピーちゃん……」

そっとピーちゃんのボールを持ち上げる。

中に座るピーちゃんは不機嫌にサツキを一瞬睨んで、すぐに背を向けてしまう。まだなついてくれはしない。

「ごめんね。もしかしたら、君に頼ることもあるかもしれない。そのときは、お願い。あたしに力を貸してほしい」

 語りかけにピーちゃんは反応しない。

ため息をつくと同時に係員に再び呼ばれてリングに戻る。

 とにかく、ピーちゃんに頼るような状況にならなければいいのだ。

「行くよ、メーちゃん!」

 恐怖は、少しだけ減った。

 あとは目一杯戦うだけだ。

+++

「ゴローン、戦闘不能! 勝者サツキ! これにて挑戦者サツキには、ジムリーダータケシへの挑戦権が与えられます!」

 はぁ、はぁ、と深く息を吸う。

二回戦、三回戦、ともに無理してスピード勝負を仕掛けたせいで、サツキもメーちゃんも酷く消耗をしていた。これを余裕の表情でしていたオーカとは比べものにならない無様さだと思う。

 しかし、なんとか三回戦までメーちゃんだけで勝ち抜けた。これはいい傾向だと思う。

 ちら、とリングの下を見る。

 いつの間にか他のリングの試合は全て終わっていて、今戦っているのはサツキだけなせいか全ての観戦者がサツキの元へと集まっていた。その多さに目眩がする。

これまで意識していなかったが、変わらずサツキは観衆の目に晒されているのだ。見てしまって、また恐怖が湧いてくる。

 なんでこのジムは観戦なんてできるんだろう、迷惑だなあ!

「……オーカ」

 その観衆の中に、一際小さな麦わら帽子を見つける。

男の人たちに埋もれてしまって帽子以外は見えないが、それでもあの帽子はオーカだと断定ができた。それを見つけて、少し落ち着く。

 オーカが見ているのに、無様なところは見せられない。

 いけ、サツキ。あと一戦。

「メーちゃん、あと一戦、行ける!?」

 声をかけたメーちゃんがまかせろと言うように腕を上げる。

息はあがっているが、まだ少しはがんばってくれそうだった。係員に言って水とキズぐすりだけあげて、それからぎゅっと抱きしめた。

 あとちょっと。あとちょっと。

 無理させてごめんね。

「ジムリーダー、入場!」

 ワアアアアアア!!

観衆が沸き立つ。

今日、三回目の登場となるジムリーダーは、涼しげな表情でリングへと上がる。

細い目と、逆立てられた髪。鍛えられた肉体。中年というよりは、壮年と言ったほうがしっくりくる、精力的な男性。

 タケシ。ニビジムジムリーダー。通称、強くて硬い石の男。

「いらっしゃいサツキちゃん。ここまで勝ち上がってきてくれて嬉しいよ。君と戦うことになるとは思わなかった」

「こんにちはユリカのお父さん……ううん、タケシさん」

 幼なじみユリカの父としてのイメージの方が強いタケシ。しかし、今サツキの前にいる男性は、いつもの優しい父親の表情とは大きく違っている。

 父に連れられて、ジムリーダーたちとは一通り顔見知りだ。だからこそ、こうした場で向き合うことがなんだかむずがゆい感じがした。

「君を見ると思い出すな。サツキちゃんのお父さんを相手したときを」

「あたしはパパじゃないですよ。……全力で、行きます!」

「ジムリーダー戦では、挑戦者のみ一回だけ交代が認められます。どちらか一体が戦闘不能になった時点で終了です、よろしいですね。それでは――開始!」

 お願い、メーちゃん!

願いを込めて、メーちゃんを送り出す。

同時にタケシがボールを放る。彼の相棒はよく知っている。

「イワーク……」

小さなメーちゃんに対して、リングの半分ほどの長さもあろうかと言う巨体が場に現れる。

イワーク、いわへびポケモン。体長八.八メートル、体重二一○キログラム。

『普段は土の中に住んでいる。地中を時速八○キロで掘りながら餌を探す』

 特徴は知っていても、あえて図鑑を見てみる。数字で見る巨漢に改めて圧倒される。メーちゃんとどれだけ差があることか。

「ほう、ゼニガメか。いつものヒトデマンじゃないんだね」

「新しい仲間です。タケシさん、ミーちゃんの手の内知ってるんだもん。だから……今日のバトルは、新鮮でいいでしょ?」

 強がって少し挑発的に言う。

もしも今まで見ていたのなら、ミーちゃんが戦闘に出られるだけの体力が残っていないことに気付いているだろう。それでも、今は強がらなければならない。

 バトルで弱気になることは、そのまま負けに繋がる。それくらいは、サツキだってよく知っている。

「さあ、どこからでもかかってくるといい!」

「メーちゃん、あわ!」

ふわふわ、ふわふわ、メーちゃんの口からゆったりとしたスピードであわがイワークへと飛んでいく。見るからにあまり威力のない技で、あっと言う間にイワークのしっぽで薙ぎ払われる。

しかしそれは様子見のためのおとり。メーちゃんは既にタケシとイワークの死角へと回り込んでいる。

「みずでっぽう!」

「甘いな」

「!」

ミギャアアアアア!!

 イワークのしっぽに絡めとられたメーちゃんの悲鳴が上がる。

確かにイワークやタケシかは見えない位置にいたはずなのに、一瞬にして締め付けられていることにサツキの思考は止まる。

 ――負ける。

「メーちゃん!」

「死角に回ったって、どう移動したかは結構見えているものなんだよ。さ、……イワーク、そのまま締め上げろ!」

 どうしよう、メーちゃんをどうにかして出してあげないと。

 しかし苦しみに技を繰り出すことも難しそうに見える。このままではじわじわと体力を削られて戦闘不能になるばかりだ。

「なーんだ、今日はバッジ手に入れたのは二人だけか?」

「結構期待したが、こりゃあだめだなあ」

 ぞく、と。

 観衆の声が聞こえてくる。

嘆息の声。失望の声。勝手に寄せられた期待が、崩れていってサツキを責める。

 頭が、動かなくなっていく。

 足が、震えてくる。

 怖い。

 バトルが怖い。

「――――サツキさん!」

 キ――ンと通る声が野次を蹴散らす。

よく知った、幼くてしっかりした声がサツキに声をかける。

「ピカチュウを出して! まだ終わってない!」

「……!」

「諦めないで!」

 ピカチュウ。まだサツキになついていない、あの問題児。

それを出せとオーカが言う。ピカチュウを捕まえたことに否定的なオーカが。

 そうだ、この試合だけは交代ができる。今だったら、まだ一つも試合をしていないピカチュウが、元気なピカチュウが、バトルをすることができる。

 まだ終わらない。

 終わっていない。

「メーちゃん……交代! お願い、ピーちゃん!」

イワークの締め付けからメーちゃんが解放されると同時に、サツキの投げたボールが開く。

 高らかに投げられたボールから現れたのは、あの黄色の体をした電気ねずみ。

このニビシティの天敵。

 ピーちゃんが現れた瞬間、ジム内に動揺が広がる。それに対して過剰なほど攻撃性を見せたのに、慌ててサツキはピーちゃんへと駆け寄って抱きしめた。

「う……ぐ、ああああああああっ!!!」

 同時に焼け付くような電撃がサツキの体に刺さる。それでも離さないように腕に力を込めて耐えていると、すぐに電撃は止んだ。なんだか目の前が赤くちかちかする。

ふっと後ろを見ると、観客は誰も電撃を浴びたりはしていないらしい。それだけでよかったと息をついて、ピーちゃんへと向き直る。

「ピーちゃん、落ち着いて。外の人を怪我させたらだめ。大丈夫、誰も君を傷つけたりしないよ。あの人たちは、君に手出しなんかできないよ。だからその電気をしまうの」

 早口にまくし立てて、サツキはピーちゃんの視界を奪うようにその前に立ちはだかる。

ピーちゃんに驚愕と敵意を見せるニビの人たちからの視線を届けないように、必死にサツキはピーちゃんの視線をこちらに見させた。

 あの観衆は危険だ。サツキの中の警報が鳴る。

だから、大勢の前でやるバトルは嫌だったのだ。こうやって精神が意味もなく揺さぶられるから。それはサツキだけでなく、こうしてポケモンにまで影響が出てしまっている。

ここでサツキが、どんと構えていられるようなトレーナーだったら、ポケモンたちだってそれに倣ってくれたかもしれない。だがサツキは怖いのだ。今にも手足が震えてしまいそうなほど、知らない人たちからの謂われのない罵倒が怖い。

 怖い。怖いのだ。

 だがやらなければならない。

 これを乗り越えられるならサツキにはできるのだ。

「あのね、ピーちゃん……あたし、怖いの。わかる? 手、震えてるの。あの人たち、怖いよね。嫌だよね、わかる、わかるけど……でもね、勝たなくっちゃいけないの。オーカとあたし、戦うためにはここで負けるわけにはいかないの。ミーちゃんもメーちゃんも、さっきのバトルで疲れてる。君しか頼れる子はいないの。お願い、お願い……あたしと一緒に戦って」

 伝わったのか否か、ピーちゃんがくるりとサツキに背を向ける。

その視線は観衆ではなく、まっすぐにイワークへと向いて睨みつけている。バチバチと頬の電気袋を鳴らして。

 準備万端、そんな様子のピーちゃんに励まされ、サツキも痺れる体でゆっくりと立ち上がる。

不思議と痛くはなかった。

「試合を中断させてごめんなさい。やりましょう、タケシさん!」

「……本当に大丈夫なのか? 体の手当は……」

「この勝負を棄権なんてできない! ピーちゃんがせっかくやってくれるって言っているのに、あたしがこんなことで放り投げるなんてできません! 始めてください!!」

 戸惑うタケシに怒鳴り散らす。

サツキがバトルできる体かどうかなんて、そんなものは関係ない。だってこれから戦って怪我をするのはポケモンたちなのだ。それが、多少技を受けたからといってトレーナーが投げ出すわけにはいかないのだ。

 サツキは臆病者だが、意気地なしでも根性なしでもない。

 これはバトルなのだ。その最中どんなに傷ついたって構わない。サツキは、ポケモンたちに寄り添いたい。

 その叫びにタケシは微笑む。小さく、口元がわかったと動いた。審判へ再開の合図を指示して、イワークを一端下がらせる。

「その心意気は気に入った。だが……そのなついていない問題児で俺に勝てるかな?」

「勝ちます。あたしはピーちゃんを信じてる」

「試合、再開!」

 審判のかけ声と同時にニ体の距離が一気に狭まっていく。

イワークとピカチュウ、その体格差はメーちゃんの時とさほど変わらない。しかし、スピードでは格段にピーちゃんが上、疲れていたメーちゃんと違ってピーちゃんは体力満タンの状態でリングに立っている。

 イワークがその大きな長い体をぐんと伸ばしてピーちゃんに接近するのに対し、ピーちゃんはその死角だとか、リングの外周だとか、逃げ回るように離れて駆け巡っている。

それに追いつけないイワークに対する陽動かと思ったが、どうも様子が違う。

目を凝らすと、できるだけ接近しないように、そして時々遠くから電撃を放っているのが見えた。

イワークは岩、地面タイプ。地面タイプに電気は通用しない。当然、どんなに電撃を受けてもイワークは微塵もダメージは受けない。

 なにも指示をしていないせいで、なにをしたらいいのかわからないのか。

「ダメだよピーちゃん! イワークに電気で攻撃したって通じないよ! 近づいて、アイアンテール!」

 指示を飛ばしてみても、ピーちゃんはこちらを一瞬見ただけですぐにイワークの周りをうろうろと回る。

指示を聞かないとか、戦いたくないとか、そう言ったことではない、ように見える。その目は少なからず闘志に燃えて、しっかりとイワークを捕らえている。

 それなのにどうして、遠距離攻撃しかしようとしないのか。

「うろちょろうろちょろ……邪魔くさいな。イワーク、いわおとしで進路を塞いでやれ!」

「ピーちゃん、周りをよく見て、避けられるよ!」

空から降ってくる大きく大量の岩。

ピーちゃんはそれを見たとたん、ピタっと止まってしまう。降ってくる岩を凝視したまま、目を丸くして。

その表情はけして戦意を失っているようなものではなかった。端から見れば、避け方を模索しているように見えた。

 ――違う。

「サツキちゃん!?」

「サツキさん!!」

体が勝手に動いたのを感じた。

岩の隙間を縫って、走って、ピーちゃんの元へと。危険だ、と叫ばれる声も無視して、ただ一心にピーちゃんの元へと走る。

彼の上へと降りゆく、巨石から彼を守るべく。

「ピーちゃん……ッ」

 どぅん、と岩が落ちる音を最後に、リングの上が静まり返る。

足が痛い。岩に擦ったらしい。だがそんなことはサツキには重要じゃなかった。ピカチュウは無事か。腕の中にいる彼を見る。

 震える体を抱きしめてあげる。

 大丈夫だよ。大丈夫だよ。

「ごめんね、ピーちゃん……怖かったんだね」

 けっして近くに寄らないで、遠くから電撃を浴びせていたのは、どうしてか。ポケモンたちは本能でタイプ相性というものをわかっている。利かない技を普通は打たない。

それなのにピーちゃんは遠くから相手に効果のない電撃ばかりあびせていた。それはおとりにはなっても、なんの意味もない行為だ。

 彼の表情は好戦的だった。けれどサツキにはわかってしまったのだ。

その目は恐怖におののいていることを。

「あたしのために、がんばってくれてありがとう。君は本当は、恐がりなんだね。だから人が怖くて威嚇してたんだね。自分を捨てた人間が、信用できなくて。それでもあたしのことは信じようとしてくれたんだね。だから、本当は怖いのに、戦おうとしてくれたんだよね。ありがとう……ありがとう」

 ぽろり、涙がこぼれてくる。

トレーナーに捨てられる、ポケモンの苦しさをサツキには想像しきれない。誰も寄せ付けなくなるほど、荒れるということは、悲しいということだけしかサツキにはわからない。

それでもサツキのためにもう一度戦おうとしてくれた、ピーちゃんの心がうれしかった。

強がっているだけで本当は臆病なのに、どうしてサツキは彼にバトルを強いてしまったのだろう。考えれば考えるほど、後悔で心が苦しかった。

「もう、やめようね。戦わなくていいよ。怖いことは嫌だよね、あたしも嫌だよ……怖いことは嫌い。そうだよ、バトルに立ち向かうのは怖いよね、あんな技を受けて痛い思いするのなんて嫌だよ。ごめんね、そんなことさせてごめん……」

ぼろぼろぼろ、と流れる涙が止まらない。

 サツキは悲しかった。

 この涙がピーちゃんのための涙でないことが。

ピーちゃんがサツキの涙をなめる。一生懸命なめて、止めようとしてくれるのに涙が止まらない。

 ごめんねピーちゃん。あたしひどい人だ。

「バトル、勝ちたかった、なぁ――――……」

 ついに漏れる本音。

 ここで終わってしまうことが、悲しかった。

 それでもポケモンたちに無理を強いることは、できないのだ。

強くならなければならない。

もう一度、今度はミーちゃんとメーちゃんだけで勝ち上がれるように強くならなければ。

 悔しいが、これが、潮時なんだろう。

 ああオーカ、こんな情けないあたしじゃやっぱりリーグにはいけないよ。

 リーグに行くための切符さえ、あたしには手にする資格がなかったんだよ。

バトルは好きだ。強いと自負もしていた。だが、怖いものが嫌いなサツキには、やはり荷が重いのだ。

 ここで手放せることを、喜んでいいのか、悲しんでいいのかわからない。

 ただ悔しいと感じる心も本当なのだ。

 ここで終わる? まだ一歩も踏み出せていないのに?

 オーカのような小さな子が――……リーグを目指して走っていくのに!?

「挑戦者、棄権しますか」

「……――――」

 無慈悲に問われる選択。

 YESを言えば、そこで道は絶たれる。

 サツキは悩んでいた。本当は旅になど出たくなかったのに。リーグに行きたいなど考えたこともなかったのに。

 ここで、終わってしまうの――――……?

「あっ……ピーちゃん!!」

 するり、ピーちゃんが腕の中から飛び出していく。

それまで運動を制止していたリングの中央へとまっすぐ、駆けていく。その後ろ姿は頼もしく、恐怖を感じられない。

ただ真っ直ぐ、中央にそびえるイワークへと駆け寄っていく。

「ッイワーク、応戦しろ!」

前兆もなく再開されたバトルにタケシが慌てて指示をするも、遅かった。

ピーちゃんはその小さな体をイワークの額に乗せて、攻撃準備を終わらせている。ぎらり、しっぽを刃のように光らせて、イワークへと目を合わせた。

 ――――まさか。

「ピーちゃん!」

たんっ、とイワークの上で宙返りをする。

 対応しきれないイワークの眼前に、刃となったしっぽが振りおろされていく。

 ――アイアンテールだった。

その様子に誰も着いていけなかった。

サツキも、タケシも、そして観客も。

 どぅん、と地響きを鳴らしながら体躯を落とすイワークを、口を開けて見守っているしかなかった。

静まり返ったリングの中、一匹、軽やかに着地するピーちゃんを除いて。

「――……イワーク、戦闘不能! 勝者、挑戦者サツキ!」

 響く、審判の宣告。

遅れて、わああああ! と歓声が上がった。

それに着いていけないのは、サツキだけだ。

「ピーちゃん……」

サツキの足下、ピーちゃんは不機嫌そうにちょこんと立つ。泣いた跡を丁寧に舐めとって、これでいいだろと言うように一回だけ鳴いた。

「……あたしのために、戦ってくれたの?」

問いに、気まずそうに目をそらす。その先にはピーちゃんを庇って受けた擦り傷があった。

 謝罪のつもりなのかもしれない。彼は、臆病で素直でなくて、強がりで――そして優しい心根を持っているのだろう。

ピーちゃんの想いを想像して、サツキは胸が熱くなる。

怖かっただろうに。嫌だっただろうに。大嫌いな人間のために戦うだなんて。……ねえ、君は少しでもあたしを好きでいてくれてるのかな? そう思って、いいんだよね?

「ありがとう、ピーちゃん!」

ぎゅう、とその小さな体を抱きしめるともがいたあげくに静電気攻撃を受けた。まだそこまでは許してくれないらしい。

「……まいったな。俺の負けだ」

 不意に頭上から声をかけられる。目線の先には黒く大きな手が伸びていた。

タケシのものだ。

その手に手を重ねると、大きな力で引き上げられる。あっと言う間に立たされたサツキは、まっすぐにタケシの目を見た。ユリカと同じ、細くて優しい目だ。

「……タケシさん、あたし、勝ちでいいの?」

思わず問う。イワークは倒した。しかしそれは、一旦バトルを中断したあとの不意打ちだったからだと、サツキは思っていた。

サツキが泣いて座り込んでしまったから、あんな形で終わってしまったのだ。それは勝ちと言っていいのだろうか、サツキは不安だったのだ。

 けれどタケシはぐしゃぐしゃとサツキの頭を撫でて、気にするなと笑った。

「あれは勝ちだよ、中断されたのに油断した俺のミスだ。さ、バッジを受け取りなさい」

差し出された銀色のバッジをこわごわと手に取る。タケシの顔色を伺ったあと、丁寧な手つきでジャケットの裏につけた。

ピーちゃんにも見せてあげたが、興味なさそうに一瞥されただけだった。

「お父さんとの試合を思い出したよ。同じように、なついてないピカチュウでイワークを倒された。歴史って巡るものだな」

「えっ、パパのピカチュウも?」

「あのピカチュウも、ずいぶん町を騒がせてくれてたよ。あっちは生粋のいたずらっ子だったけど」

 ああやってポケモンを庇えるから、どっちのピカチュウも二人には心を開くんだな。

懐かしそうに、タケシがピーちゃんを見つめる。

 人嫌いのピーちゃんは、今サツキの後ろに隠れている。静電気をまとってひたすらに威嚇をするそれは、彼の臆病さを感じさせた。

「そのピカチュウ。……本当は人が怖かったのか」

「うん……。だけどピーちゃんは、誰かの手持ちだったから、自分でご飯を取れなかったんだと、思うんです。だから町に出没してた。それでも人が怖かったから、ずっと威嚇して、攻撃して、がんばってた」

「そうか。……そうやって、ポケモンの気持ちを汲み取れる君だから、ピカチュウは心を開いたんだな」

タケシはピカチュウと目線を合わせるようにしゃがみ込む。だが体の大きいタケシは恐怖の対象にしかならないのか、ついに自分からボールの中へと帰ってしまった。器用な子だ。

 ピーちゃんがサツキの体を上るのを見ながら、タケシはサツキの足を見る。

バトル中、ピーちゃんを庇って受けた擦り傷だった。血がにじみ出てまだら模様になった傷口を痛々しそうに見ながら、大丈夫かと口にする。

サツキは「大丈夫です」と言って、タケシに立つように促した。

「だけど、あまり無茶はしないでくれよ。まったく肝が冷えた……お父さんに怒られちゃうよ」

「だって、あれ以上ピーちゃんにバトルさせるわけにいかないと思って……」

「優しいことはいいことだけどね。バトルは、トレーナーが不用意につっこんだら危険だ。君が逆にポケモンの足手まといになることだってあるんだ。優しさを間違って、自分を犠牲にしたらいけない」

 優しく諭されてしまう。

サツキはピーちゃんを助けたことを後悔していなかった。擦った足はじくじくと痛むが、それ以上にピーちゃんを守れたなら、それでよかったと思っているのだ。

トレーナーはバトルの最中、ただ安全なところで指示をするばかりだ。それをサツキは、いつもなにかが違うと思っていた。

 自分も戦いたい。

それを今回、果たせた気がする。だから満足しているのだ。

 いまいち説教に不満気なサツキにタケシは苦笑する。

 それから、急に怖い顔になって、サツキを見据えた。

「ときにサツキちゃん。君はジム戦の最中、二回、挑戦をやめようとしただろう」

 びくり、肩が震える。

「いつもと調子が違ったようだ。……君は、なにに恐怖した?」

 見抜かれてる。

どくん、どくん、と心臓がいやな音を立てる。ユリカとバトルする姿を知っているタケシは、サツキをきちんと見抜いている。

 二回、サツキはジムから逃げたくなった。

 一回目は、予選の一回戦。

 二回目は、ピーちゃんを庇った後。

一回目は観客の怒声に怯えて。二回目は自分の限界と目指す場所の差に怯えて。

指摘されることが、痛い。

タケシはサツキの臆病さも知っている。だからこそ聞きたくなかった。

 痛い、痛い。

「ジムバッジを集めるなら、リーグに行こうとするんだろう。その最中、負けることもあるはずだ。しかたない。だけどねサツキちゃん」

タケシが言い含めるように言う。

「恐怖に負けている限り、君はリーグじゃ勝てないよ」

遊びじゃない、本気のバトル。その中で恐怖は命取りだ。

 だがタケシは知っている。サツキが本来ならばとても強くのびのびとしたバトルをすることを。いずれは父をも越える可能性を秘めていることを。

 だからあえて言う。「もったいない」と。

「よく考えておくんだ、サツキちゃん。リーグに挑むべき姿勢について」

 それを最後に、タケシはリングを降りていく。

サツキは一人、バッジを握りしめて立ち尽くした。

+++

 もったいないと、人は言う。

サツキはタケシに言われた言葉を考える。

 ――君は、なにに恐怖した?

父の言ったこと、タケシの言ったこと。照らしあわせて導くならば、サツキが克服するべきは恐怖心なのだろうか。

だがそれだけでは、オーカに言われたことが説明つかない。

 ――人をなめたバトルをする。

 あまりに立て続けに説教をされるせいで、なんだかバトルすることそのものを責められている気分になってくる。それが叱咤であることはわかっているのだが、サツキの弱い心にはハンマーで殴られるのと同じような衝撃が来るのだ。

 胸が痛い。痛い。

「……だめだめ! 今はとにかく進まなきゃ。リーグまであと二ヶ月もないんだから!」

 どんなに苦しくても、今は進むしかない。それを覚悟して一歩踏み出したのだ。

 たとえ自分の意志でなく、ただ引きずられただけだとしても。

「……あ」

「サツキさん……」

 ニビシティポケモンセンター前。

もうポケモンたちの回復が終わったのか、体に似合わない大荷物を背負ったオーカが出てきた。

「もう行くの? 今からだと夜になっちゃうよ」

「時間はないので」

 ジム戦のあと、気付いたら十五時を回っている。この先のハナダシティに行くなら山をくぐらなければならない。こんな時間に小さな女の子が旅立とうとしているのは心配だった。

だがサツキには止める権利もない。

「オーカ、バッジゲットおめでとう。あたしも手に入れたよ、……なんとか」

「はい。見てました」

オーカの麦わら帽子にはグレーバッジがついている。サツキからはよく見えた。

 バトルを見ていた、というオーカの表情は冷めきったもので、きっと呆れられているのだろうと容易に想像ができた。

酷いバトルだった。サツキもわかっている。

「ありがとうオーカ、声かけてくれて。おかげでなんとか勝てたよ」

「見てられなかっただけです。……ポケモンを庇ったりなんかして。馬鹿なんですか?」

まだ傷口がむき出しのサツキの足を冷めた目で見る。

「今回はかすり傷で済みましたけど、あなた、死ぬつもりですか?」

「そんなこと……」

「あまりおかしなことをして、ポケモンたちにいらない心配をかけないでください。バトルに人が入り込むものじゃありません。あなたを攻撃してしまったポケモンも、あなたを守れなかったポケモンも、両方が苦しむことになるんです。ポケモンたちにいらない傷をつけないでください」

 タケシに言われたことより、ずっと厳しい言葉を受ける。

サツキはただごめんねと言うしかない。オーカには言われっぱなしだ。それでも正しいから言い返せない。情けないことだ。

「ごめんね、心配してくれてありがとう」

「あなたの心配なんてしてません。僕はポケモンたちが傷つくのが嫌なだけ」

ばっさりと切り捨てられる。

だがサツキは、自分がリングに飛び込んだとき、オーカの声をきちんと聞いていた。オーカは少なくとも、自分の身を心配してくれてたんじゃないだろうか、とにこにこと笑ってみせる。

そんなサツキに怪訝な顔をして、なおもかわいらしい顔から厳しい言葉を浴びせてくる。

「酷い試合でした。あんな試合なら見たくなかった」

「……うん」

「あなたを決勝戦の相手に選んだことを後悔してます。今のあなたじゃリーグに勝てないでしょうね」

「そうだね」

きつい言葉を浴びせても、反論するでもなく穏やかに笑って受け止めるサツキに、オーカは手応えのなさそうな顔をする。

それでも彼女は言い切る。

「だけど勝利にしがみつこうとする姿勢はよかったです。あなたはもっと諦めのいい人だと思ってた」

 遊びでいい、と言っていたわりに、ジム戦での啖呵は熱いものだった。

オーカはあれで、少しだけサツキを見直していた。

「次に会うことがあったら、もっといいバトルを見せてください」

 それじゃあ、と背を向ける小さな陰をサツキは見送る。

 酷いバトルだった。自覚している。

はじめの一歩でこうもつまづくと思わなかった。ピーちゃんが勇気を出してくれなかったなら、本当にあのまま負けていたことだろう。

 次こそは。

自分に課された課題が、今回でまた少しだけ見えてきた。

恐怖心の克服。リーグまでに間に合わせる。

「……次はママだね」

 ニビシティの東側にそびえるオツキミ山を見る。

その向こうに、母の守るハナダシティがある。

+++

「ああ、よかったまだいた。サツキちゃん!」

 ポケモンセンターで、ポケモンたちの回復を待っていると急に知らない声に呼びつけられる。

紺の髪が特徴的に跳ねた、白衣の女性。その星のイヤリングは見たことがあった気がしたが、いくら首をひねっても思い出せない。

「……どちら様ですか?」

「覚えてない? わたしはオーキド博士の助手です。あなたに届け物を頼まれてきたの」

「届け物?」

 そう言うなり、オーキド博士の助手を名乗る女性は鞄から少し大きめの箱を取り出した。靴屋で並べてある、あの箱だ。

 渡された箱を開けてみると、子供用のシンプルな白いスニーカーが入っていた。ワンポイントに赤い線が入っている。

それは別に新品ではない。サツキが何度も履いた靴だ。

「お母さんに頼まれたの。ビーサンのまま出ちゃったみたいだからって……」

「あー……。忘れてた」

「本当はトキワの森の前に届けられたらよかったんだけど……。次はハナダに行くんでしょう? オツキミ山は滑るから、スニーカーに履きかえてね」

 傷だらけの足を見る。

岩でのかすり傷は大きくガーゼで隠されている。それ以外にも、トキワの森の逃走で足の甲までずたずたになっているのも酷かった。

 靴を履く。普段は面倒だからビーサンで済ませてしまうのだが。こんな酷い有様では仕方がない。

靴と一緒に入っていた黄色のソックスを履いて、靴を履きかえる。元々使っていたスニーカーだけあって足によくなじんだ。

「はい、じゃあこのビーチサンダルは持って帰りますね。旅、がんばってね!」

「うん、ありがとうおばさん!」

「お、おば……」

 用事が終わって帰る女性を見送ったあと、ちょうどよくジョーイさんから名前を呼ばれた。

振り向いた瞬間、元気よく仲間たちが腕の中に入ってくる感触に押された。