ディグダの穴
「うーん……行くと決めたはいいけど、やっぱフラッシュいるよなあ」
カルミンは洞窟前で独り言ちる。
プテラを手持ちにどうしても入れたくて、コハクの採れるというディグダの穴の前まで来たはいいものの、カルミンは暗闇を照らす手段がない。
適当に懐中電灯でも買ってくればいいのだろうが、数少ないお小遣いはポケモンたちの回復アイテムに費やされてしまっていつでも金欠なのだ。
オツキミ山では運よくサツキを捕まえたが、こんな行く理由がなければ来ない洞窟だと人気がない。
「お前らがフラッシュ使えたらよかったんだけどな」
一緒になって頭を悩ませる、カラカラとサンドに無茶を振っても仕方ない。
やっぱり、なんとかして懐中電灯を買うか。このあとイワヤマトンネルも抜けるんだし。
諦めのため息と一緒に、踵を返す。
「おい」
「わっ、すんません」
そこに、大きな人がいてぶつかりそうになったのを慌てて避ける。
目つきの悪い、端正な顔立ちの男は興味なさげにカルミンを一瞥する。居心地が悪くて、さっさと行ってしまおうと早足になったところで、腕を捕まれた。
「な、なんですか」
「お前、バトルはできるか」
低い、コガネ訛りの声で簡潔に聞かれる。
一瞬理解が追いつかなくて、もう一度繰り返された後に必死に首を縦に振った。
若いのに眼光が鋭くて怖い。目つきだけで殺されそうだ、と思うのはオーキド博士以来だ。
若い男は、カルミンの返事に黙ったまま、舐めるように見てくる。頭からつま先まで、連れていた手持ちまで。
一体バトルができるとなにがあるんだろう。聞こうにも、得体の知れない男が怖くて口を開く気にもなれない。
カルミンが縮こまっていると、長い沈黙の後ようやく男が再び口を開いた。
「五万でどうや」
「は?」
「俺のボディーガードと、代理でポケモンを捕まえるので五万。成功したらもう二万。足りないならあとは交渉とお前の腕次第。どうや、受けるか受けないか」
「え? ……え?」
がーっと言われた言葉に理解が追いつかない。
五万とか、二万とかは、……報酬のことだろうか?
「そ、それは、その……仕事ってこと?」
「それ以外になにがある」
男は無味乾燥な言葉しか話さず、混乱するカルミンなどお構いなしに話を進めてくる。
「ディグダの穴に、色違いのポケモンがいるらしい。そいつが欲しいが俺はバトルができんでな。代わりにやれる奴を探しとる。受けるなら報酬は弾む。どうや」
「ど、どうって言われても」
カルミンは混乱をどうにか整理しようと息をする。
男は背は高いが細くて白くて、見た目だけなら弱そうなのに、どうも目つきが恐ろしくて息が詰まる。人付き合いは得意な方だと自負しているのに、まったく、こんなに苦しいのは初めてだ。
だが、と思いとどまる。
日々の金欠にこの話は悪くない。バトルの賞金では稼げる額もたかが知れているし、日雇いの仕事だってこんなにくれはしない。
なにより、カルミンにはお金の要求ができるような相手もいない。
旅の資金をここで一気にもらっていくのは、むしろいい話だ。なにせ懐中電灯も買えないのだから。
「わ……わかった。いいよ。でも確認したいことが一つだけある」
「ふん」
「お兄ちゃん……フラッシュ使えるポケモン持ってる?」
+++
ディグダの穴は、クチバシティとニビシティを繋ぐ天然の通路だ。
その名の通り、ディグダたちが作った穴。彼らが幾度となく通った結果、人が不便なく通れるようになった不思議な道だ。
生息しているのはもちろん、ディグダとその進化系のダグトリオ。
その人の手が加わっていない真っ暗な道を、照らしているのはキュウコン。男――ソネザキ・マサミの手持ちだった。
だがただのキュウコンではない。男のキュウコンは銀色の毛並みをしているのだ……。
「……俺、キュウコンって金色だけしかいないと思ってた」
「金しかおらんよ、基本的には。このキュウコンは色違いやねん」
「い、色違いってあれだろ? 滅多にいない突然変異したポケモン!」
興奮と恍惚の狭間で揺れるカルミンに、マサミはなんでもないように言う。
思えば中に入る前も、色違いのポケモンを捕まえろと言っていたはずだ。
「そうや。アルビノみたいな色彩異常とはまた違う、ある一定の確率でポケモンの中に存在する、通常の個体とは違う色のポケモンのことを“色違い”って言うんや」
「なんでお兄ちゃんそんなすごいの持ってんの?! つか、さっきも色違い捕まえろって言ってたよな!?」
「そら、集めとるからに決まってるやろ」
声が大きい、と叩かれる。ポケモンたちが逃げるかもっと小さな声でしゃべれと当然のように命令された。
雇われている身分だし、年下だし、相手が偉そうなのはわかるのだが少し気に食わない。
「なあ、お兄ちゃん何者なの?」
「ただの色違いコレクターや。つか、さっきマサミだって名のったんやから、そのお兄ちゃんってのやめてくれん?」
気色悪い、と苦々しげに抗議される。
そう言われても、さんを付けて呼ぶのはなにかがひっかかるし、かといって呼び捨てにするのも気が引けるし、カルミンとしてはこれが一番ちょうどいいのだが。
「んー、考えとく。ねぇ、なんで色違いポケモン? 集めてるの? 悪趣味?」
「誰が悪趣味やねん。……あー、ええか。色違いポケモンっゆーんは、目立つやろ」
マサミが言葉を選びながら話し始める。
「“通常の個体と色が違う”っていうのは、生き物にとっては致命的なんや」
「……目立っちゃうから?」
「そう。その体になったのは自然に紛れて危険から逃げるためなのに、色が違うとそれができない。だから“色の違う生き物”たちは危険な目に遭いやすい」
「……」
子供にも聞かせられるように、少しだけ言葉を選んでいるようなのに、それでも重い。
マサミの言う“危険な目”が死であることくらい、カルミンにだってわかる。
生き物の中で、“特別”であることは死に直結する。
「そこで、俺たち色違いコレクターがいるんや」
「えっ、今の話とどう繋がるの? コレクターって趣味だろ?」
「あのなあ、生き物を飼うのにどれだけ金がいると思っとるん? 生半可な金額やないねんで。何十匹と飼うのに趣味だけでできるわけあるかい」
少なくとも、マサミが金持ちであるというのはわかるが。
上手くつなげられないカルミンにマサミは呆れたように説明を続ける。
「少なくとも、俺は色違いポケモンの保護を目的にコレクターやってるんやで」
「保護?」
「言ったやろ、色違いポケモンは危険な目に遭いやすいって。そいつらが安全に暮らせるように、俺の手元に置いてるんや」
マサミのキュウコンも、その昔手ひどく怪我しているところを保護したらしい。コレクターを始めたのも、銀のキュウコンがきっかけだったそうだ。
「とは言っても、俺はバトルはからっきしダメやから捕まえるんは他に任せっきりやけどな」
「だから、俺に捕まえろって?」
「そ。いつも頼んでる当てがみんな出払ってて捕まらんくてなー」
コレクターなんて趣味でやるものだと思っていたが、随分ボランティアな面の多い理由でやる人もいるのか。
カルミンはつい関心してしまう。
「俺お兄ちゃんやべー人だと思ってたわ! いい人なのな!」
「怒るで」
重いげんこつを一つ食らう。
まったく容赦がない。そんな風に思われる行動をする方が悪いのに。
突然五万でどうだとか言われたらやばい人としか思えないじゃん……。
「んで、お前は?」
「え?」
「なんでディグダの穴なんかに来たん?」
ディグダの穴はニビとクチバの通り道。
だがディグダたちの住処でもある。当然、この中を通るのは実力がなければ難しい。そんな危険な洞窟であるため、普段人は近寄らない。
のんきにしゃべってはいるが、今もカラがキュウコンを守るように行く手を阻むディグダたちを蹴散らし続けているくらいだ。
「俺、プテラが欲しくてさ。コハクを探しに来たんだ!」
「あー……そういやこの辺で採れたっけな」
「そうそう、オツキミ山で教えてもらったんだ。上手くいくかわかんないけど」
化石ポケモンの復元が一般的になったとはいえ、化石を見つけるのは難しい。
だがダメもとで来てみないことにはわからないのである。
「まあそっちがおまけで、メインは聖地巡礼なんだけど」
「はあ?」
「レックスの実力を見るためにサルゼードが身分を隠して一緒に通った場所! しかもプテラはサルゼードからの贈り物! 敵からもらったポケモンとか、なんかくるよなぁ~!」
「あー……はいはい、図鑑所有者物語な……」
そもそも、旅の中で図鑑所有者物語に出てきた場所を巡るのもカルミンの目的の一つなのだ。
これを言うと大抵呆れられるのだが。
「あ、でもプテラが欲しいのも本当だぜ!? レッドさんの手持ちって理由がなくはないけど、プテラかっこいいしさ」
「けどお前、手持ち地面タイプだけやないか。さらに岩まで入れたらバランス悪すぎるで」
「そこは……ほら、なんとかするって」
手持ちのバランスの悪さは自覚している。
今、カルミンの手持ちはカラカラとサンド。それにプテラを加えると、見事に水タイプに弱くなる。
わかってはいるのだが、どうもぱっと見て好きになるのが地面タイプや岩タイプだらけなのだ。
カルミンはレックスが好きだが、実はサルゼードも大好きだ。
サルゼードの使うニドキングやニドクイン、サイドンやゴローニャにどれほど憧れたことか。これは、あまり言ったことがないが。
ポケモンリーグではそれで挑むのは難しいが、地面タイプのポケモンだけで手持ちを構成できたら、楽しいだろうと思ってしまう。
「ふーん……そうやな。もし、色違いのダグトリオを捕まえられて、コハクが見つからなかったら。俺がプテラを探してやろうか」
「えっ?」
「仲間に呼びかければ、そんな難しいことやないで」
マサミがなにか考えていたかと思うと、思いついたようにそんなことを言い出す。
「化石専門のコレクターにも心当たりがあるし、ディグダの穴をほじくり返すより楽に見つかるで」
「い、いいの?」
「俺が無理矢理捕まえたからな。時間取った分は返したるよ。まあ、その時はプテラを成功報酬代わりにさせてもらうけど」
もう、七月も後半。ポケモンリーグまであと一ヶ月半を切った今、バッジはあと五つ。
今の調子でリーグを目指すなら、ギリギリ時間がなくもないが。
考えて、カルミンは返す。
「いいよ。自分で見つけたい」
「そうか」
「見つからなかったらその時だ」
手持ちは、自分の手で、自分の目で見て決めたい。
甘えたい気持ちを振り切って断る。
「ところでさ、色違いのボスってどのあたりにいるもんなの?」
「ボスは多分、穴の中央におると思う」
もうだいぶ歩いてきたというのに、見かけるのはディグダばかり。
曰く、出入り口にいるのは視察となる弱いディグダたちで、ボスは中央で群を固めているだろう、というのがマサミの見解だった。
だからいつまでたっても通常色ダグトリオさえ見ないのである。カルミンは現在地がわかるようなものは持っていないから、あとどれくらい歩けば中央なのかもわからない。
「今がやっと、序盤の三分の一歩いてきたってところやな……」
「えっ、まだそんな!?」
「阿呆、ニビとクチバにどれだけ距離があると思ってるんや。まともに歩けば一日二日はかかるぞ」
たしかに、ニビからクチバに来るまでそのくらいはかかったが。
景色も変わらない、陽も差さない、暗鬱とした洞窟。
ただ一本道を距離もわからず歩き続ける憂鬱。
まだ入ったばかりとはいえ、カルミンは嫌になってきた。
「……帰るか?」
「い、いや! 行ってやるさ! プテラだって探すんだから!」
頼まれたことを中途半端に投げ出すのは好きじゃない。ましてこれは仕事なのだ、なにがなんでもやり遂げなければ。
奮い立てるカルミンに、マサミは品定めするような視線を下ろした。
+++
ディグダの穴に入ってから、もう二時間が経過しようとしている。
相変わらず景色は代わり映えがなく、指示をするでもなくカラが行く手を切り開くからカルミンはやることもない。
退屈を凌ぐために、やれリーグを目指しているだとか、やれレッドに憧れているだとか、やれ図鑑所有者物語が好きだとか、とにかく思いつくがままにしゃべってはいたがそろそろ話題も尽きてきた。
マサミはそれなりに付き合ってくれるが、面倒くさい話題のときはそれを隠そうともしないので少し疲れてくる。
サツキと一緒だったときはもっと楽しかったのになぁ。
「……なあ、今ってどのあたり?」
「そろそろ、中央ってところやな。……このあたりで仕掛けていくか」
「? なにを?」
「ボスを誘き出す仕掛け」
そう言って、金物を鞄から取り出すと思い切りよく音を鳴らす。
カーン! カーン!
無情に響く鐘の音。跳ね返ってくることはなく、先の見えない闇に吸い込まれていく。これでボスを呼べるのだろうか。
「ちゃんと、バトルの準備しておけよ。今から敵を排除するためにわんさか来るからな」
「え。え」
「お前が戦うんはボスだけじゃ済まんで」
どどどどどどど!
揺れる地面と、響く重音。
地震とは違う揺れに、カルミンは最悪の想像をする。
「まさか――――……」
「さぁ、七万分の仕事、してもらおうか!」
ぼこぼこぼこぼこ!! と次々ディグダたちが顔を出す。
その数は十では足らない。少なくとも二十はいるか。カルミンたちを取り囲んで、侵入者を排除しようと意気込んでいる。
元凶であるマサミはというと、とうにキュウコンと一緒に“まもる”のフィールドの中に入っていた。
本当に、全部をカルミンに押しつける気だ。
――なんてやつだ!
「くっそー、カラ! パン! やるぞお前ら!」
カラカラとサンドを近くに呼び寄せ、指示のしやすい体勢を作る。
冷静で頼りになるカラカラと、状況がわかってるのかよくわからないサンドをどう使うか。それこそカルミンの腕の見せ所である。
「カラ、ボーンラッシュ! パン、ころがる!」
カラが大きく腕を振り、持っているホネをぶん回すと行く先々のディグダたちが軒並み倒されていく。まさに爽快という光景である。
次々と穴の中に逃げていくのを見て、カラは問題ないとカルミンはパンに目を移す。
問題は、いつだってこっちだ。
「こらパ――――ン! きりさくじゃなくてころがるの――――!!」
案の定、パンは指示とはまったく違うことをしていた。
このサンド。実力は高いのだがどうにも人の話を聞かないで早とちりをする癖があるのだ。
いつもきりさくを指示することが多いから、今日もきりさくだろう、といつものようにきりさくで相手を攻撃している。しっかり“ころがる”と言ったのに。
怒られたパンはというと、『うっそマジでー!?』とでも言いたげな顔をしている。いつもこうだ。
なまじ、きりさくで確実に倒していっているから間違っているとも言い難い。
「今日は敵が多いからころがるでなぎ倒してほしいの! きりさくじゃいつまでたっても終わらないだろ! ほら、ころがるの! ……スピードスターじゃなくて!」
なぎ倒すのは合っているのだが。
どうしてこうも言葉が通じないのか。カルミンは頭を抱える。
やるべきことはやれているのだが、やってほしいことはそれではないのだ!
「……大丈夫かいな」
「いいの! パンくん馬鹿だけど強いからいいの! いけパン!! もうなんでもいいからなぎ倒せ!」
多すぎる敵の数に考えることを放棄する。
カラもパンも弱くはない。多少放っておいてもなんとかする。
カルミンがやるべきなのは、集中を切らせないことと、作戦を考えることだ。
「おい、やみくもに倒しまくっても疲れるだけで意味ないで。どこかに中心がいるはずや、それを探せ」
「わかってるなら教えてくれよ!」
「おいおい、俺はクライアントやで。ちゃんと仕事せぇ、ヒントはやったやろ」
「性格悪いなお兄ちゃん!」
マサミは、本当に手を出すつもりがないらしい。
護衛を依頼してきたくらいだから、本当にできないのかもしれないが。こんな状況を作ってくれておいてまったく無責任な男である。
――どこかに中心……?
この群の中にボスがいるか。それを探すのが一番てっとり早いが、色違いらしいボスは見あたらない。おそらくこれは、侵入者を排除する第一軍にすぎないだろう。
だとすれば、ダグトリオが見あたらない以上ボスは通常色のディグダだ。
一体どこに。
「あーもー、めんどくせえ! カラ、パン、地震だぁ!!」
「おま……っ、こんな狭いとこでやったら……!」
ごちゃごちゃ考えるのは嫌いな方だ。
カラとパンが同時に起こす地震に、地中にいるディグダたちはひとたまりもない。ぼこぼこと穴を空けて逃げ去っていく。
中心はみつからなかったが、中心ごとやってしまえば楽である。
カルミンは地震の収まりを見て、壁から手を離す。さすがに二匹同時の地震はパワフルだ。こんな小さなポケモンがどうやって起こすのか。
「よし、これでディグダは全部やったな!」
「お前……こんなの二軍が来るに決まってるやろ。たぶん、数も増えるぞ」
「え?」
どどどどどどど…………。
地響きと共に、なにかが猛スピードで近づいてくる。
これは、さっきのディグダたちが近づいてきたのに雰囲気が似ているが、あきらかに数が違う。
「中心だけやって、適当にボスを引きずり出してくれりゃよかったのに。あんなに派手にやればこうなるわ……」
「うっそぉ~……」
さっきの大群とやっただけで、カラもパンもくたくたしてきている。主に、精神が。
カルミンも同様だ。疲れで泣きたくなってきた。
あれの二倍くらいの量を相手しないといけないのか。ここのディグダは一体何匹いるんだ。
「俺もーディグダ見るの嫌になってきたんだけど!」
「そりゃ俺も言いたいわ。……はぁ、こいつはあまり出したくなかったんやけどなあ。お前、ポケモンしまっておけ」
「え?」
「とりあえず流すぞ」
「え?」
カチリ、マサミが一つのモンスターボールを取り出す。
統率の取れた動きで顔を一斉に出したディグダたちの中心に、そのボールを放り込めば、真っ赤なギャラドスが姿を表した。
「赤い……ギャラドス――――!?」
「ギャラドス、好きに暴れろ」
もう知らね、とマサミが手を振った瞬間、ギャラドスが大きく体を揺らす。
狭い洞窟内を窮屈に圧巻するギャラドスは一挙一動毎にディグダを蹂躙しながら、次第に大きな水を動かし始めた。
ギャラドスの体から溢れでてくる大量の水。それは大きな波となって洞窟内に広がり、川のようになっていく。
その上をギャラドスが力強く泳ぐと、ディグダたちは断末魔をあげていく。
「なみのり――――……!!」
その水の暴力に晒されたカルミンもまた、流されないように堪えるので必死だった。
かろうじて胴体が出る水かさだが、それでも身動きが取れない。狭くてギャラドスが速度を出せないのだけが救いだ。
もし広かったら、カルミンだってひとたまりもないだろう。
元凶であるマサミは、やはりキュウコンの“まもる”の中で状況を見ている。
恨みを込めて睨んでやっても、馬鹿にしたような笑いを返してくるだけだった。
そのうちに、ディグダたちが消えていく。
ディグダたちが通った穴にも水が流れ込んだせいか、悲鳴は地中からも聞こえていた。これでは、三軍が出る余裕はなさそうだ。
ほっとしたのもつかの間、相手がいなくなったギャラドスは、カルミンに目をつける。
壁にはりついてじっとしていたカルミンの目の前に、頭から呑まれそうな大きな口がぬぅっと現れたのに、カルミンは反応ができなかった。
真っ赤な体に、深紅の目。
その美しさに魅入られる余裕もなく、カルミンの頭には危険信号が鳴り響く。
――――喰われる!
「戻れ、ギャラドス!」
ぱっ。
と、ギャラドスが目の前から消える。
思わずへたりこんだカルミンの目の前には、ボールを持ったマサミがいた。
無表情にカルミンを引き起こして、マサミは周囲の様子を見回す。
もう、ディグダたちがやってくる気配はない。
「お、お兄ちゃん……」
「これでボスがおでまししてくれるかな……まったく、ギャラドス出させるとかどういうことやねん。減給すっぞ」
「そいつ持ってるなら俺いらなくない!!??」
「阿呆、言うこと聞かんから出したくないねん! でなきゃ頼むか!」
「つか出す前に俺をまもるの中に入れてくれてもよかったんじゃない!!??」
「定員一名様限定や!」
ぎいぎいとカルミンが文句を言っている中、カラが自分から再び表に姿を表した。
ニビへとつながる方向をじっと見た後、カルミンのわき腹をホネでつつく。
「なんだよカラ……いつ出たの?」
「……どうやら、ボスのお出でのようやで」
大きくカラがホネを地面に振りおろしたかと思うと、次の瞬間カラの体が大きく跳ねた。
それもわかっていたのか、カラはきれいに飛んで着地する。
カラが叩いたその場所には、黄金に輝くダグトリオ。
この場所の、ボス。
「こいつが……」
「待ってました! 仕事や、坊主!」
行け! と背中を押され、すでにやる気のカラと並ぶ。
野生の色違いを見るのは初めてだ。野生で、こんなにも驚異を感じるポケモンも初めてだ。
マサミは、色違いは目立つからこそ危険に遭いやすいと言った。そんな中で、群のボスをやっているこいつは。
――相当、強い!
「やってやろうじゃん。いくぞカラ、ずつきだ!」
先手を打ったのはカラだ。
まっすぐ突進していくカラと相対するダグトリオ。そのずつきはあっさりと避けられる。
だが、これは想定内だ。
ダグトリオが地中に潜ったのを確認して、カラが大きく飛び上がった。
「地震!」
地震は地中にいる相手により大きなダメージを与える技。地中にいる時間の方が長いようなダグトリオには優位な技だ。
だがダグトリオも慣れているのか、気にもせず翻弄するようにカラの周りを出ては引っ込んで、と仲間のディグダたちが顔を出していた穴を自在に使う。
「カラ、いちいち追いかけるな。遊ばれるだけだ!」
そう言っても、やはり気になるのかカラはダグトリオの引っ込んだ後を追いかけてしまう。
これでは相手の思うつぼだ。
「……!」
そう思案している隙に、カラが被弾する。
頭の骨にべっとりとついているのは、泥のようだった。気分が悪そうにカラが顔を拭く。
それを皮切りに、ぼぼぼぼぼっ、と穴から次々と弾丸が飛び出してくる。
――どろばくだんか。
「くそっ、見えねぇ……!」
宙へと飛び出たどろばくだんは、弾けて花火のようにあちこちを汚していく。
その勢いは小石でも降ってくるかのようで、中心にいるカラは逃げる術もない。
相手は見えず、相手だけが自由に動き回れる通路を使って好きに攻撃をしてくる。
嫌な流れだ。どう断ち切れば。
「よし、カラ! 一番地面が薄い場所を探せ!」
姿の見えない相棒に、声を張り上げて指示をする。
ディグダやダグトリオが好き勝手に掘ったせいで、この洞窟はできた。
その原理は単純だ。穴を掘りすぎて地盤が耐えきれず、崩れることを繰り返した果てなのだ。
そしてそれは、今でも続いているはずだ。
数百のディグダが通った跡。わざと崩すのは難しくない。
「かわらわり!」
ビキッ!!
一回、大きく地面が割れる音がしたかと思うと、ごっそりと目の前の地面がぬけ落ちていくのが見える。
慌てて戻ってきたカラを抱き抱えて、少しぞっとするような気分で崩れ落ちた地面を見る。
まるでそこだけが消えたように、大きな穴が空いている。断面には無数のディグダが通った穴があって、やや気持ちが悪い。
その底には崩れ落ちた瓦礫が積まれていて、そこにダグトリオの気配はない。
「お……おい、なにしてんねん! 殺せなんて言ってないで!」
「こ、殺してない! 人聞きの悪い! ……ダグトリオ、大丈夫かな」
凄惨たる光景に慌てるマサミとカルミン。
ただ少し動きを止めたかっただけなのに、こんなにも穴が深いとは思わずカルミンは動けない。
固唾を飲んで穴を見ていると、一カ所、もごりとなにかが動いた。
「――い、生きてる!」
「……なにをしているんや……?」
喜ぶカルミンと訝しむマサミ。
その動きは妙なもので、動いていることはわかるが姿が見えない。
ただ、ゆっくりと瓦礫が砂に解体されているような気がする。
「……そうか、“たがやす”や! 自分のフィールドに作り直すつもりや!」
「ってことは、完成する前に叩かないとってことだな」
行けるか、カラ。
降ろして問うと、返事もせずにカラは穴へと飛び込んでいく。
それを察知したダグトリオが、姿を見せないまますなかけを繰り返して牽制する。しかし、カラはホネで器用に避けながら穴の底へと降りていく。
「……!?」
不意に。
カラが背中から撃たれた。弾丸は、背後の砂の中から、それがなにかもわからないうちに。
今までのすなかけは、ダグトリオが隠れているところから発射されていたのに。何故。
「だいちのちからやな」
「だいちのちから」
「遠くの敵に大地の力をぶつける特殊技や。砂の弾丸はミスリードで、本命はあっちなんや」
その攻撃を皮切りに、どろばくだんの時のようにだいちのちからがあちこちから噴出される。
どろばくだんの時と違うのは、どこから来るかが読めないところだ。
カラがだいちのちからに苦戦しているうちに、瓦礫はどんどんと柔らかな砂に変えられていっている。
あれが終わる前に勝たなければ、きっとこちらに勝機はない。
「くそ……っ、カラ――――!」
考えあぐねて、ただ叫んだ、瞬間。
「――――!!」
カラの姿が、ゆっくりと、しかし確実に変わり始めた。
体が大きくなり、頭蓋骨の形がどこか鋭くなる。
目つきや体つきがシャープになり、全体的に洗礼された姿へと変わる。
「ガラガラに……進化した……!」
カラは気付いているのかいないのか、大きくなった腕を振り、大きくなったホネを掲げ、周囲の砂を巻き上げ始める。
轟、と音を立てて竜巻のようになっていく砂の嵐と、砂を奪われてとうとう姿を露わにしたダグトリオが、カラのことを見る。
そこでようやく、カルミンはカラのしようとしていることを察知する。
「いけ、カラ――――みねうち!」
丸裸になったダグトリオに、カラのホネが容赦なく貫く。
瀕死直前まで体力を削るその技に、ダグトリオはとうとう目を回し始めた。もう反撃する体力もない。
この隙に。
腰から取り出した空のモンスターボールを、砂嵐に負けないようにめいっぱい振りかぶる。
そのボールはまっすぐにダグトリオに当たり、少しだけ揺れて、そうして動きを止める。
「……よしっ!」
思わず拳を握る。
ボスにふさわしく手強いダグトリオだった。そんな相手を捕まえたことに、カルミンは充足感に浸る。
ざっと穴の底へと滑り落ちて、モンスターボールを拾い上げるとたしかに中には黄金のダグトリオが収まっていた。
「おつかれ、カラ! やったじゃん進化したじゃん! お前やっぱかっこいいなー!」
シャープな姿へと成長したカラは、カルミンの言葉にやや照れたような反応をしながらも、はしゃぐことなく手を振るだけ。
どうも昔から、妙にシャイでクールな奴である。
「はい、おつかれさま」
「……あ、お兄ちゃん」
浮かれているカルミンの手から、するりとモンスターボールを奪ってく。
マサミは特に褒めるわけでもなく、代わりに琥珀色の石を投げて寄越した。
「えっ、えっ、これ!」
「コハク。地盤が崩れたときに見つけたんや。お前それ探してたんやろ?」
「いいの!?」
「俺が持っててどうすんねん。多分、プテラ入りやと思うで、前に見たのにそっくりや」
掲げてのぞき込むと、中にはたしかに虫のようななにかが入っている。
レックスも、コハクを見たときに虫けらのようなものが入っていると言っていた。きっと、こんなものだったに違いない。
「まじか……」
「で、そこで提案なんやけど」
「あ、ちょっと、返せよ!」
惚けているとマサミが再びコハクを取り上げてしまう。
背の高いマサミに腕を高く上げられると、もう届くような場所にない。
なんでこんないじわるをするんだ、この男は!
「お前、次のジムはどこに行くん?」
「た、タマムシだけど」
「ちゅーことは、そのあとはセキチクやヤマブキに回るんやな? 化石の復元ができるのはグレンだけ……お前、それまでプテラ育てるのは諦める気か?」
「ど、どういうこと?」
確かに、グレンは予定のままいくとかなり最後のジムになる。
プテラはドラゴン族に分類されることもある、育てにくいポケモンであるから、確かに早く育てたい気もある。だが行けないものはしかたない。
カルミンは水タイプを持っていないから、船も出ていないマサラからは行けないのだ。
「お前の代わりに、知り合いにこれの復元を頼んでやろうか」
「えっ?」
「思いの外警備が厚かったし、まぁいきなりふっかけたのも悪いとも思ってんねん。だからお前の旅の短縮に、ちょっと手貸してやらんこともない。俺に頼めば、まぁ三日もあれば手元に届けてやれるで」
「い、いいの?」
「ええよ。手間でもないしな」
「持ってったまま返さないとかない!?」
「お前俺をなんだと思ってるん?」
正直この短時間でどれだけひどい扱いをされたかわからないが。
そう言うとまたへそを曲げられそうなので飲み込む。
少し、いい人だと思えそうである。
「ありがとうお兄ちゃん!」
「ええよ。そら、はよ出るで。あと二時間はこの中や」
「えーっ、あと二時間も歩くのーっ!?」
+++
「うわぁ、夕焼けだ」
「ま、五時間も洞窟ん中あるけばそうなるやろ」
ようやく外に出られたと思うと、眩しい夕日が暗闇に慣れた目に刺さる。
ディグダの穴に入ってから、五時間。入ったのが昼間だったから、もう夕方の五時だ。
これからハナダに行くのはもう難しい。
「今日はニビで泊まりかなぁ」
「……」
大きくのびをするカルミンを横目に、マサミがまた色違いのピジョットを出して飛び乗る。
全体的に黄がかったピジョットは、通常色とはまた違った雄々しさがあった。
「……お兄ちゃん、何体色違い持ってんの?」
「数えたことないわ。乗れ」
「え、なんで?」
俺が行くのハナダなんだけど。
やんわり抗議すると、ピジョットに胸ぐらを掴まれ、そのまま背中に放り投げられる。
おやが乱暴ならポケモンも乱暴か!
「ハナダなんやろ。帰る方向や」
「……お兄ちゃんさ、いい人なの? いやな人なの?」
「お前降ろされたいか?」
ぶんぶんとかぶりを振って、そのままマサミの腰に手を回す。
鳥ポケモンに乗るのは初めてだ。少しどきどきする。
「頼むよお兄ちゃん!」
「へいへい……飛べ、ピジョット!」
マサミのかけ声で、ピジョットが大空へと舞い上がる。
上空から見る夕日は今まで見たなによりも美しく、荘厳だった。