ハナダシティ その2

 カルミンはジムにいた。

 水とカルキのにおいの充満したハナダジム。その中は大きなプールと、一本のそれほど広くない橋でできている。

その道をカルミンは無言に突き進んで、ジムトレーナーを片端から倒して、最後の大きなプールへと出た。

「いらっしゃい、カルミンくん。一人で来たのね」

 向こう岸に立つ、マリーゴールドのショートヘアーの女性。カスミが、優雅にカルミンを見る。

シャツにパンツという、ラフな格好であっても彼女の強さが滲み出ている。柔らかな優しさを感じさせる娘とは違って、母の力強さをそこに見た。

 憧れのジムリーダー。その前に立ってもなお、カルミンは苛立ちを隠せなかった。

「ジム戦、お願いできますか」

「いいけど……明日にしたら? あまり、冷静そうに見えないし」

「今じゃないとダメなんです!」

カスミが困ったように笑う。

その表情がサツキに被る。

「そう、じゃあ始めましょうか。使用ポケモンは一匹、倒れたら負け……いいわね?」

「……わかりました」

ボールからカラを出す。

ここに来る前にポケモンセンターには寄ってきた。もうバトルの疲労はないはずだ。

 行くぞ、カラ。今度こそ。

 俺たちは弱くなんかないはずだ。

 カラが妙に心配そうに、見上げてくるのは無視した。

「行くぞ、カラ! ホネブーメラン!」

「……」

 カラが大きく振り被って、ホネをカスミのスターミーに投げる。

スターミーはほとんど動かないまま、ホネの軌道を見切ってギリギリを避ける。一回目は、はずれ。だが攻撃はこれだけで終わらない。

 今のうちに、スターミーの気を引きつけておくためにカラは浮島に飛び乗る。

下はなみなみと水のたまったプール。落ちれば、じめんタイプのカラはひとたまりもない。

 大丈夫。カラなら大丈夫。

 とにかく勝つんだ。なにがなんでも。勝たないといけない。でないと気持ちが収まらない。

「カラ、かげぶんしんだ!」

「……」

 なにもしようとしないカスミに、ただでさえ荒れている気持ちが泡立つ。

 そんなに俺は弱いか。なにもしないでいられるくらい弱いのか。

 俺が今まで縋ってたものは、そんなにちっぽけなものだったのか。

 俺にはなにもないままなのか!

「ずつき!」

「スタちゃん」

今まで無言だったカスミが口を開く。

「こうそくスピン」

「――――!」

 全てが水の中に消えた。

 こうそくスピンでかき消された。

 戻ってきたホネブーメラン。カラの分身たち。カルミンのなけなしの自尊心。

 どさり、足を折る。

 倒れたカラは動かない。

「攻めて攻めて攻めまくる……そのスタイルは好きだけど。それって、自分が冷静じゃないときは一番やったらいけないのよね」

「…………くそっ……なんで、なんで……ッ!!」

「……」

 ダン! と床を殴ってもなにも変わらない。

負けた。なにもできないで負けた。もっと自分は強いと思っていたのに。

もっとできると思っていたのに。カスミにも、サツキにも、遠く及ばない程自分は弱かった。

 悔しい思いが胸を打つ。これだけに縋ってきたのに。

「……サツキとなにかあったの?」

 責めるでも、心配するでもない、穏やかな浅葱色の瞳でカスミは見透かしてくる。

今のバトルを馬鹿にするわけでもなく、カルミンを弱いと思うわけでもなく。ただカルミンの荒れる原因を、カスミは指摘する。

 カルミンは、どう答えていいのかわからなかった。自分が一方的に怒って、怒鳴って、勢いのままにここに来てしまったのだ。

「サツキとバトルした?」

「…………はい」

「あの子の動き、違和感あるでしょ」

 なにもかもお見通しと言うように、カスミは淡々と語っていく。

「昔はああじゃなかったのよ。もっと素直にバトルができた子だったんだけど……去年あたりから、あんな感じなの」

「……」

「君、手加減されたんでしょう」

「……!」

サツキの悪い癖を、カスミは語る。

できの悪い娘を想うように。そこに母子を見て、カルミンはますます苦しくなる。

「洞察力が高くて、反射神経もいい。なのに、技の指示が一歩遅い。……前はそんなことなかったのに。野生とのバトルは、なにも問題がないのに。あの子は今、どうしてか大好きなはずのバトルを心のどこかで怖がってる。それをミーちゃんが読んでしまうから、絶妙な力加減を作り出せてしまう」

「……ミーちゃんが読む?」

「ヒトデマンやスターミーが、どうやってトレーナーと意志の疎通を図るか知ってる?」

 表情はない。体を大きく動かすことも、あまりない。無機物のように見える、妙に柔らかな体。図鑑での分類も“なぞのポケモン”と書かれるくらい、読めないポケモン。

 どう感情を伝えるかなんて、考えたことがなかった。

「スターミーがエスパータイプなのは、知ってるわよね。進化前のヒトデマンはみずタイプだけど、同じようにエスパーの力を少なからず持ってるの。この子たちは、トレーナーの感情を読んで、自分たちの感情を送って、会話をするのよ。まあ、なんとなくわかる、程度だけど」

 コアに目を合わせたときが、一番よくわかるという。

常態的に感情のやりとりができない、彼らなりのコミュニケーション。

「だから、ミーちゃんはサツキの恐怖を読んでしまう。読んで、サツキが傷つかないように動いてしまう……。それで君と喧嘩したんだから、そろそろ気付いてくれてもいいんだけど」

「なんで、そんな話を俺にするんですか」

 俺なんか、昨日会ったばっかりの人間なのに。

 カスミはまっすぐ、カルミンの見る。その表情はジムリーダーのものではなく、母親のものだった。

「君は、サツキと友達でいたい?」

「えっ」

「サツキとちゃんとバトルしたい?」

穏やかに問われる質問。

 サツキと友達でいたいか。

 仲直りして、全力のバトルをしたいか。

 そんなの、そんなの。

「あのね、君。無くしたくないものがあるなら、絶対に顔を背けちゃだめよ。傷つけたくないから、傷つきたくないから、アレコレ理由を付けて逃げたらだめよ。向き合わないと」

「……」

「失いたくないものには向き合って、きっちり握っておかないとだめ。感情は言葉にしないと伝わらないし、伝えるべき時を逃すと伝えられなくなってしまう。そうなったら、もう、二度と手に入らない。喧嘩したっていいの、そのあと顔をつき合わせて、仲直りができるならいくらでもしていいの。一番いけないのは、自分の中で勝手に結論を出して、勝手に諦めて、失いたくないものを自分から捨てて悲しんでしまうことよ」

 ふっと、図鑑所有者物語を思い出す。

三章、スイクンをクララに託した、カリーナの独白。

レックスに失恋した、切ないあのシーン。

 もしかして、この人は。

「昔、そうやって逃げて、一番大切にしたかったものを無くしそうになったことがあるわ。……だから、もし、まだサツキと友達でいたいと思ってくれてるなら、もう一度向き合ってあげて」

「カスミさん、その大切にしたかったものって……」

「サツキは、まだ悩んでる最中で煮えきらないかもしれないけど、きっとちゃんと立てる子よ」

 にこやかに、カスミが笑う。

「大丈夫よ、君は強いわ。頭が冷えたらまたいらっしゃい」

 もしも、図鑑所有者物語が、本当にあった話なら。

「……ありがとうございました。また来ます」

「いってらっしゃい。どうか馬鹿娘をよろしくね」

 もう一度、冷静に向き合いたい。

 彼女がどうして、あんなことをしたのかに。

+++

 サツキは泣いていた。

川に流されながら、淡水に涙を溶かしていた。

 カルミンの怒声を反芻しながら、サツキは今まで言われたことを思い出していた。

 ――馬鹿にした戦い方をする。

 ――本気ってものを覚えろ。

父やオーカが言っていたのは、これのことだったのだ。

無意識に、バトルで手加減する癖。

 知らなかった。だけど心当たりがないわけじゃない。

 ずっと、リーグへの想いを聞いてからずっと、サツキはカルミンにユリカを重ねて見ていた。

 サツキよりずっと強くて、いつもブレないでしっかりした芯のあった幼なじみ。サツキよりも一歩先を常に歩いていて、サツキにはできないことを悠々とこなしてきた。

サツキはユリカが自信のあるもので失敗した姿を見たことがない。

ましてや涙など。どんなに痛い思いをしてもユリカは絶対に泣かなかった。むしろ燃えて反抗して、原因を乗り越えてしまう強さが彼女にはあった。

サツキにない、力強さを持ったユリカ。絶対に負けなかったユリカ。

 サツキは衝撃だったのだ。

 そんなユリカがリーグで負けたことが。

 負けて、あんなに大きな声で泣くことが。

去年の準決勝を、サツキは忘れることができない。

プライドとプライドがぶつかり合う、あの場所。

あそこで敗者はどうなるのか、サツキは目の前で見てしまった。

見てしまったら、もう無邪気に勝とうなんてできなかった。

 きっとあの瞬間に、サツキのバトルは歪んでしまったのだ。

 ようやく、自覚した。

 しても、どうにもすることができない。

(カルミンにどう謝ろう……)

 無意識のものを、今すぐに直せるわけはない。あの日のリーグ戦は、きっといろんな足かせとなってサツキにぶらさがっているはずだ。

 今すぐに直せないのに、ごめんなさいと言うのも、おかしい気がして。

 でも、早く謝らないと。早くカルミンに会わないと。

 でないときっと、ハナダを出たら会えなくなってしまうのに。

(どうしよう……)

 向こうから来てくれないかな。

 そう思ってしまう心が一番悪いと知っているのに。

「サツキ――――!」

(……!)

水の中にくぐもって聞こえる少年の声。

 なんで。どうしてここに。

水上を見上げれば、サツキと同じデザインの赤いジャケットが見える。

「出てきてくれ、ここにいるんだろ!?」

出るか。出ないか。

 逡巡するも、息が苦しい。

 出るしかない。

「……カルミン」

「……みつけた」

走ってきたらしい、少し呼吸の荒い彼はもう怒ってはいないようだった。いや、今も怒ってはいるだろう。ただ落ち着いていた。

「どうしてここに」

「カスミさんが水辺に行けって。いるんならここだろうって」

 ここは昨日、カルミンを連れて遊んだ場所だった。

サツキが一番好きな場所。

 それで検討をつけてきたらしい。来てくれたことにうれしさを感じるも、やはり怒らせたことが気にかかって彼のそばに行けない。

「さっきカスミさんに挑んできたよ。一撃だった。ジムリーダーは強いな」

「ママに……」

「頭冷えたよ。あんなバトルしたんじゃ、サツキに手加減されてもしかたない」

 サツキは、しようと思って手加減していたわけではないが。

よほど酷いバトルをしたのか、カルミンの表情には疲れが見えた。

「カルミン、あたし……」

「俺、サツキに聞きたいことがあるんだ」

「……なあに?」

「サツキはどうしてリーグに行くんだ?」

 昨晩、サツキがカルミンに聞いたこと。

 カルミンに言うのは、失礼だと頭をよぎる。だがここではぐらかすほうがよほど不誠実だ。

サツキがずるくて、弱いことはもう十分にバレている。嘘は今言いたくなかった。

「決勝で戦いたい子がいるの」

「ライバルか?」

「そんなんじゃないよ。今まで知りもしなかった、年下の女の子。その子に決勝で会おうって挑まれてる。だから、あたしはリーグに行こうと思ってる」

「サツキはバトルで天辺取りたいと思わないのか?」

 強くなりたい。

 そう思わなかったことがないわけじゃない。去年のリーグの前までは思っていたはずだ、純粋に。父と母のように、強くなりたい、いつかなれると、思っていた。

だけど今は。

「……わからない」

「……」

「あたしね、カルミンが行った後、考えてたの。あたしが、“おかしな”バトルをしてる理由」

 ようやく、カルミンの目を見る。

「あたし、本気の人に勝つのが怖いんだと思うの」

「……」

「本気の人に、こんな中途半端なあたしが勝っちゃって、それで本気でがんばってる人が泣いて苦しむのを見るのが怖くて、辛かったの。だけど、中途半端でも傷つけるなんて思わなかったの……ごめんなさい」

 そう。

 本気でバトルが好きなユリカが、負けてあんなにボロボロになって泣いて苦しんだのを見て、サツキまで深く傷ついたのだ。

 自分がああなりたくないと思うのと同じくらい、誰かをああするのが怖かった。

 自分が勝ってしまうことで相手を傷つけてしまうなら、勝たないことを選んだのだ。

だからサツキは、本当はリーグには出たくなかった。

それは今でも変わらない。出たくないし、出ないほうがいいと思う。

 だけど。

「だけど、リーグに行くって、ちゃんと決めたの。オーカに挑まれて、断るのも逃げるのも嫌だったから、しかたなくだったけど……行くって、決めたの。リーグまでには、カルミンみたいに本気の人が、いっぱいいるってわかってる。さっきカルミンを怒らせちゃった理由も、今やっとわかった」

「……」

「だからあたし、変わらないといけないと思う」

 もう嫌だからって逃げられる位置にはいない。

自覚したからには、今度こそ色々なものに向き合っていかないといけない。

 それが、サツキがカルミンにできる精一杯の謝罪と誠意だった。

「この旅でなんとしてでも変わっていかないといけないと思う。バトルにちゃんと、向き合っていこうと思う。本気になる方法、思い出していこうと思う。だから、だからね」

カルミンの赤い瞳が、サツキの浅葱色の目をじっと見ている。

 伝われ、あたしの決意。

「またバトルしてほしい!」

 カルミンが、岸辺にしゃがみ込む。

まっすぐ、細い腕をこちらに差し出して。

「……!」

「サツキ、約束してほしい」

 ぐい、と身を乗り出してサツキの腕を引き寄せる。

吸い込まれるように彼の元へと来ると、彼の目に泣いた跡があるのがわかった。

「決勝じゃなくていい。リーグで、俺と戦って勝ってほしい」

「……バトルしよう、じゃなくて」

「勝ってほしい。お前には」

サツキの手をそっと握って、カルミンはなんともいえない表情で微笑んだ。

「俺にとって特別なんだ。レッドさんも、カスミさんも、その子供のお前も。どうか勝って。優勝してくれ」

 もちろん、俺だって優勝を狙っていくけど。

 そう言うカルミンの思いが、サツキにはよくわかった。

レッドの娘である、サツキにはそれらしくあってほしい。

きっとサツキにはその責務がある。レッドの娘という、カルミンにとってなによりも特別な生まれのサツキには。彼に誠意を見せるなら、それが一番いいだろう。

 少し前のサツキなら、父親なんて関係ないと言った。だがもう、そういったことから逃げるのはやめなければならない。

「……うん。必ず、勝つよ」

 リーグで、カルミンに勝つ。

 そのためにサツキは強くならなければならない。あの日のリーグで負った足かせを取っていかなければならない。

 やるべきことが増えていく。

 不思議なことに、前ほどリーグが怖くなかった。

「……よし、じゃあさっさと川あがって、また特訓しようぜ! もち、泣いてる暇もないからな!」

「えっ」

 なんでバレているのか。

思わず顔が赤くなる。隠すために川に飛び込んだのに。

「か、カルミンだって泣いてたでしょ」

「な、泣いてない! 泣いてない!」

「うそだ、泣いたあとがあるじゃん!」

「うるさいな、早く服着ろよ!」

投げられたジャケットを渋々羽織る。長く川に潜りすぎたのか、少し寒い。

体についた水滴を落としたあと、頬を軽くたたいた。

 心機一転、今度こそバトルに誠実にならなければ。

 がんばろう!

+++

 それから、翌日。

「ようこそ、ハナダジムへ。仲直りしたのね、よかった」

「はい、おかげさまで。あのときはありがとうございました」

 ジムの最奥、大きなプールにいくつかの浮島があるその場所に、カスミはいつものように立っていた。

不思議とにこやかに会話するカスミとカルミンに一瞬ハテナが浮かんだが、そういえば昨日挑んだと言っていたことを思い出す。

「昨日ママとなに話したの?」

「やっぱりサツキと離れるのは嫌だなってこと」

「なに言ってんの?」

どうしてカルミンの口はこんなにも軽いのか。

そろそろサツキも慣れ始めてきたが、しかし心臓には悪かった。

 それを見ていたカスミは、またクスクスと笑っている。

「それで、どっちが先に来るの? サツキ? それともカルミンくん?」

「今日は、あたし」

 一歩、前に出る。

 一瞬カスミが驚いたような顔になって、すぐに自信家な笑みを見せた。

「いい顔つきね。これなら少しは楽しめそうだわ」

「少しじゃなくて、めいっぱい楽しませてあげるよ!」

 ボールの中から出したのはヒトデマンのミーちゃん。

一番手は、母もよく知っているこの子で。

 ハナダシティ、ジム戦。使用ポケモンは三体。どちらか一体が倒れた時点で終了となる。

 カスミが使うのは、もちろん、スターミーのスタちゃんだ。

「サツキ、あなたは旅に出てから、なにを考えてポケモンを育てた?」

 幼い頃、よく連れてきてもらったハナダジム。

その挑戦者の方に、サツキは今日初めて立つ。

「ポリシーを持ってるやつだけがプロになれるの。あなたはそれを意識したことがある?」

見慣れた、よく知っているはずの母が別人のように見えてくる。

ハナダシティジム、ジムリーダー。“おてんば人魚”のカスミ。

今、目の前にいるのは母であって母じゃない。

ハナダのジムリーダー。ポケモン協会に認められ、幼い頃からジムを任されている、実力者。

「わたしのポリシーはね……水タイプのポケモンで攻めて攻めて……攻めまくることよ!」

 その言葉を合図に、ヒトデマンとスターミーが一斉にプールに飛び込む。

プールの底は普通の二十五メートルプールよりよほど深い。バトル用だから、ポケモンが十分に戦って泳げる大きさがある。

そのせいで、中は浮島が邪魔をするのもあって上手く見えない。

 サツキもカスミも、バトルが開始直後に水着に着替えた。外にいたら指示ができない、やることはただ一つ。

「えっ、なんで水……ま、まさか」

カルミン一人が動揺の声を上げる中で、二人は一斉にプールの中に飛び込んだ。

 中ではミーちゃんとスタちゃんがぶつかり合っている。

 普通なら、こんなことはしない。水中ではろくな指示も出せないからだ。だが、バトルをしているポケモンが”彼ら”なら話が違う。

 ヒトデマンも、スターミーも、サイコパワーでトレーナーと意思の疎通を図る。だからこそできるバトルフィールド。

 ――どうするの、サツキ。

 ――スピードスターで動きを封じて行こう!

飛び込んでくる思考に驚くことなく、サツキもまた思考を飛ばす。

同じことをカスミもしているはずだ。地上でのバトルと違って、水中だと相手の動きが読みづらい。なにより息が持たない。

水の中は好きだが、できるだけ早くここから追い出さなければ。

 ミーちゃんの飛ばした星がスタちゃんの周りを旋回する。

当たらないままじわじわと、スタちゃんへと近づいていく。ゆっくり、上だけを開けて。

 少し露骨かもしれない。だがまあ、いい。

「……!」

 このまま上に上れ! そう願っているとスタちゃんは星が旋回するのとは逆の方向にこうそくスピンをやりはじめた。

回転が相殺されて、しまいには星が破壊される。

ちらとカスミを見た。まだまだ、余裕そうに微笑んでいる。

そう簡単に思い通りにはさせてもらえなさそうだ。

 ――! ミーちゃん、バブルこうせん!

次の手を考えているうちに、カスミがとうとう動き出した。

きらめく宝石のつぶてがミーちゃんを襲ったのだ。パワージェム。慌ててバブルこうせんで速度を落とさせて止める。

しかし、ミーちゃんの周囲には宝石たちが浮遊したままだ。まるでステルスロックのように。

逆にミーちゃんの動きが封じられたらしい。

 スタちゃんがパワージェムを繰り返すのを、ミーちゃんがバブルこうせんで応戦する。そのたびに、ミーちゃんの周りにだけつぶてが残る。

 そのうち、ミーちゃんがぶつかってしまうだろう。

 どうにか、これが利用できたら……。

サツキはミーちゃんに指示をして、一旦水上へと上がる。

浮島ではなくプールの脇に上がって、そこから合図を出した。

「サツキ、今どうなって……」

「始まるよ」

 ぐわん、ぐわんとプールがゆっくり渦巻いていく。

 ミーちゃんはうずしおは使えない。だが真似事くらいならできる。こうそくスピンで作った潮がだんだんと早くなっていく。その流れに乗って、宝石が流れていく。

無理矢理作ったうずしおによる、宝石の嵐。中にいるだけで潮に流され体力は削られるし、宝石にぶつかればダメージを負う。

 出てこい、スタちゃん!

「……!」

 バシャン! と大きな水しぶきをあげて、スタちゃんが飛び出てくる。それには母も掴まっている。特に傷が見られないあたり、宝石は運よく当たらなかったらしい。

「まったく、母親を巻き添えにするってどういうことよ!?」

「ママなら、察してくれるかなーって思ったんだよ。でも、やっと出てきたね」

スタちゃん、ミーちゃんがそれぞれ浮島に降り立つ。

そろそろ、邪魔なプールは閉じてしまおう。

「ミーちゃん、れいとうビーム!」

「プールを凍らせるつもり!?」

 ばきばきばき、と音をたてながらプールがみるみる凍っていく。浮島は固定され、大きな足場となる。

不安定なら、固定してしまえばいいのだ。まだプールの中に入るのも面倒だし。

二人とも、水着を着ている上に水タイプのポケモンを多く持っている。そのせいで面倒なことになるなら、入れなくしてしまった方が早い。

「よし、戻って、ミーちゃん」

「……次は、誰で来るの?」

 そこまでやって、一旦ミーちゃんを戻す。

このスケートリンクで一番楽しく動いてくれるのは、きっと君だ。

「おいで、メーちゃん!」

 水色の体に甲羅を背負った、小さな亀。元気よく飛び出してきたのは、ゼニガメのメーちゃんだ。

着地に失敗して、くるくると甲羅で回っているのを立ててあげる。

「ああ、グ……オーキド博士のところでもらったポケモン?」

「うん。ゼニガメのメーちゃん。生まれたばかりの女の子なんだ」

きょろきょろしていたメーちゃんが、呼ばれたと思って元気に返事する。今日も素直で元気いっぱいだ。

「ふうん? そんな小さい子出して、大丈夫かしら。容赦はしないわよ……サイコウェーブ!」

「メーちゃん、こうそくスピンで……滑ろ!」

氷に乱反射するサイコウェーブと、氷の上をしゅるしゅると滑っていくメーちゃんの追いかけっこが始まる。

 リンクの上はけして水平ではない。

あちこちがでこぼこしていて、縁はおおきく盛り上がっている。ところどころに浮島もあるために、滑るメーちゃんも好きにコースは選べない。

コースを選べないのはスタちゃんのサイコウェーブもそうだ。あちこちに乱反射して、自分だって攻撃を受けそうになっている。

 メーちゃんは甲羅に入ってある程度攻撃が軽減されるとはいえ、ダメージがないわけではない。

この追いかけっこ、切ったほうが勝つ。

「フィールド、壊していくわよ! パワージェム!」

「メーちゃん、絶対に出てきちゃだめだよ!」

 大きく空中に浮かび上がったスタちゃんが、流星群のようにパワージェムをリンクに打ち込んでいく。

大きな音を立てて割れていく中で、メーちゃんにはがんばって耐えてもらわなければならない。

 今に、スタちゃんに近づくチャンスがある。

「ハイドロポンプ!」

「……きた」

 スタちゃんの撃ったハイドロポンプが、走るメーちゃんに当たって大きくメーちゃんが飛び上がる。

スタちゃんと同じ目線にまで、飛び上がる。

「今だメーちゃん、かみつく!」

「スタちゃん!」

メーちゃんがかみつきのしかかった重みで、メーちゃんもろとも流氷の海の中に墜落していく。

今度こそトレーナーの入れない、プールの中。

出てきてもいい頃合いになっても出てこないのは、中で戦っているのだろうか。

「スタちゃん……」

「おい、サツキ入るつもりか!? 風邪ひくぞ!」

「中見れない方がいや!」

氷の張っていたプールは冬の海のように冷たい。いっそ痛いくらいだが、気にせずサツキは中に入る。

 中ではメーちゃんとスタちゃんが何度も何度もぶつかり合いをしていた。

かみついて剥がれようとしないメーちゃんを、スタちゃんが振り払うというのを繰り返している。

 スタちゃんは疲れ始めていた。このままなら勝てるかもしれない。

だが、メーちゃんのかみつくでは決定打に欠ける。このまま、水中に閉じこめることができたら……。

(そうだ)

 メーちゃんをこちらに呼んで、身振り手振りで指示を出してみる。うまく伝わっただろうか、メーちゃんは器用に穴を掘り始めた。

スタちゃんはメーちゃんを攻撃したそうだったが、サツキが近くにいすぎて手出しできないらしい。好都合だ、これで母が降りてこなければいいが。

 息継ぎをたまにしながら、数分ほど待つとメーちゃんにお願いした仕掛けが完成したようだ。ひょっこり顔を出したメーちゃんは、ばっちり! と言わんばかりににっこりと笑った。

 これでよし、メーちゃんとサツキが揃って笑顔でスタちゃんを見る。

たじり、下がったスタちゃんは水上に逃げようとするもそれはメーちゃんが許さない。

 あとはスタちゃんを固定するだけ。

かげぶんしんで誘導し、穴の付近に来たところでこうそくスピンでがんがんと床に打ちつける。

しばらくすると、上手くはまったのかスタちゃんは抜けられなくなった。

 これで準備は整った。

サツキとメーちゃんは水上へと上がる。

「サツキ!」

「スタちゃんは…………」

 中でどうなっているのか。

不安そうな二人にサツキは勝利の微笑みを浮かべる。

メーちゃんをボールに戻し、最後にピーちゃんを呼び出す。

「これで終わり!」

 ピーちゃんがしっぽをプールにつける。そこに全ての電気エネルギーを集中させ――放出させると、プールが爆発的に発光した。

「ま、まぶし……っ」

「スタちゃん…………!!」

発光が収束したところで、サツキは再びプールに潜る。

潜って、固定していたスタちゃんを救い出してあげる。コアは明滅して、体はぐったりとしていた。効果ばつぐんの技を、あんな状態で受けたのはひとたまりもなかったに違いない。

「す、スターミー戦闘不能! 勝者、チャレンジャーサツキ!」

 今まで沈黙を守っていた審判が声を上げる。

 今度のジム戦はめいっぱいできた。そんな満足感がサツキを包む。

「サツキ!  ……おめでとう!」

「ありがとうカルミン。……あたし、ちゃんとできてた?」

「できてた。強かった。……さすがだよ。あんなバトル、俺には無理だ」

カルミンにも示しのつくバトルができたか。カスミと戦うのに、恥のないものができたか。

心配していたこともなかったらしい。こんな風に全力を尽くすのは、やはり気持ちのいいものだった。

 この感覚を忘れてはいないのに、あたしは今までできてなかった。

 体に染み着いた感覚が、普通のバトルになると引き出せない。無自覚だったそれを認識すると、とたんに違和感に変わってくるのも不思議だった。

 これから、戻していかなきゃ。

「……サツキ」

「ママ」

 向かい岸にいたカスミがゆっくりとサツキの元に来る。

難しそうな顔をして、サツキの前に立つ。

 あ、これは。

「もう、あんたはまた無茶して! 唇真っ青じゃない! あんな氷水の中に入って風邪なんか引いたらどうするの! 今すぐお風呂入りなさい、向こうにシャワールームあるから!」

「ば、バッジは~!?」

「そんなの後でもいいでしょ! あ、プール壊した罰として夜にプール掃除手伝ってもらうからね!」

「あたし勝ったのに! ほめてよ!!」

 嫌な予感が的中して、カスミのマシンガン説教にバトルの余韻も吹き飛んだ。

ジムトレーナーの持ってきてくれた暖かなバスタオルに身を包んで、シャワールームに向かいながらまた話す。

「なあ、スターミーがしばらく出てこなかったけど、なにしてたんだ?」

「んー。穴掘ってプールの底に固定してた」

「そんなことしてたの!? 直すの大変そう……」

「……俺、明日に出なおした方がいいかな」

「いいかも」

+++

「サツキ、今日はお疲れさま」

 母の部屋で、サツキは淹れてもらった紅茶をすする。

 もうバトルと、プール掃除で体はくたくただった。甘い紅茶が身に染みる。

「ほんとだよー疲れたよー。もー、人使い荒いんだから」

「あんなに派手にバトルしたんだから、後片づけくらいしていくのは普通でしょ」

正直、ジムトレーナー以上に働かされた気がするのだが。

しかし大きな穴もあけてしまって、氷も残したままでそのあとにジムバトルが正規のフィールドでできなくなったので、そのあたりは申し訳ないと思っていた。

 あのあと、サツキとカスミがシャワーを浴びてからカルミンが予備のコートでジム戦を行った。

予備コートは普通のコートだったので、カルミンはすごく安心した表情で元気に立ち回っていた。カスミのキングドラにカラ一体だけで勝利して、随分と自信を取り戻した様子だった。

「でも、サツキとのバトル楽しかったわ。いつの間にか手持ちも増えてるし、強くなってるし……思ってたよりは、いい戦い方だったしね」

「それは、ママが相手だからだよ。普通のトレーナーが相手だったら、多分あたしはまた悪い癖を出してたと思う」

「……気付いたの?」

「うん」

 カスミも、やはり知っていたらしい。

サツキの、無意識に手加減をする癖。

 もっと早くに言ってくれたら。そう思うが、きっとサツキが自分で気付く必要があったのだ。

本当に強くなりたいと思ったとき、初めて気付かなければならなかった。遊びでやりたいだけなら、足かせがあるくらいでちょうどいいから。

 旅立つとき、父に言われた言葉は叱責でなくヒントだったことに、ここまできてサツキはようやく気付いた。

「あたし、正直まだ本気でバトルはできない。リーグに行きたいとか、優勝したいって気持ちも、まだよくわかんない。でも向けられた気持ちにはちゃんと応えなきゃ失礼なんだって……わかったから、これからがんばっていこうと思うの」

「……そう」

 サツキの少しだけ変わった心境に、カスミは静かに頷くだけ。

カスミはけして責めなかった。本気でバトルができないこと。できないままリーグに行こうとすること。それはきっと、母にはどうしてこうなってしまったのかがお見通しだからだ。

「それじゃあ、ママからは一つだけ、教えてあげようかな」

「?」

「逃げなければ、必ずいい結果に出会えるよ」

 優しく、カスミは言う。

「変わろうと思ったなら、けして逃げないで。きちんと、それに向かい合うの。そしたら、ちゃんと掴めるから」

 ママとの約束よ。差し出された小指に、小指を絡めて縦に振る。

「……うん。がんばるよ、ママ」

 残るバッジは、あと六つ。

 この先に在る出来事に、サツキはきっと正面から立ち向かおうと、決めた。

+++

 ハナダの祖父の家に留まってから、五日目の朝。

 サツキもカルミンも、今日は大きなリュックとディバッッグを背負っている。キズぐすりなども買い込んで準備万端だ。

「二人とも、忘れ物はない?」

「へーきへーき」

「大丈夫、だと思います」

祖父宅の玄関にはカスミが見送りに立ってくれている。

メイドたちも始めは来ようとしていたが、気負うので断った。

「長い間お世話になりました」

「いいのよ、こっちが引き留めちゃったんだし。旅が終わったら、マサラの家にもいらっしゃい」

「……ありがとうございます」

カスミの言葉に気恥ずかしそうにカルミンが頷く。

同時に、羨望にも似たまなざしを向けていることにサツキは気付いていた。母親というものに、憧れがあるのかもしれない。

「カルミンは、これからどうするの?」

「クチバに行くつもり。サツキもだろ?」

「ううん、ハナダの岬に寄っていこうかなって。じゃあ、ここでお別れだ」

「そっか、もう少し一緒に旅できると思ったんだけどな」

 順繰りに行けば、この先も一緒にいられたかもしれなかったが。どうも考えていることは違ったらしい。

寂しいが、目的が同じならまたいつか偶然会えるかもしれない。そう思えば寂しくなかった。

「また会えるよ」

「そうだな」

 そのときは、きっともっと強くなっていますように。

互いが互いに祈って、望む。そのときには、少しは足かせを外しておけますように。

「じゃあ、行くねママ」

「ありがとうございました」

「ん。いってらっしゃい」

気をつけてね。

そんな母の言葉を背に、二人はそれぞれの地へと向かった。