ポケモンリーグ 準決勝 第二戦 その2
「ぎゃああああ、今のなんだ!?」
「サツキなにしてるの!?」
「さっ、サツキは無事なんですの!? 今の!! 審判はなにを!?」
サツキが10まんボルトを体で受けきったのに対し、レッドたちはあまりの恐怖に叫び声を上げる。それでも試合は変わらず続くし、会場はどよめきと興奮に包まれる。
モニターを確認すれば、サツキが黒いグローブをつけているのが見える。レッドが渡した絶縁グローブだが、あんな、あんな使い方をするとは。
本人がけろりとしていても見ているこちらはゾっとしない。怪我でもしたらどうするのか。そもそもそれで技を防ごうなど、なぜ考えてしまったのか。
そういえば以前、ちょうどサツキがクチバにいた頃、マチスから一方的に連絡があった。「お前の娘クレイジーだったぜ」と、一文だけ書いてあったメール。あれはこういうことだったのか。こんなことするんならグローブなんて渡さなければよかった。レッドは娘の行動にハラハラしながら、バトルを見つめる。
「はぁ……あなたの悪いところばっかり似てきて……」
「お、俺だってあそこまで無茶しないって!」
「どうだか?」
「サツキちゃんの方がいくらかマシじゃない?」
頭を抱えるカスミに抗議するも、グリーンとブルーに突っ込まれる。
確かに「俺ごと撃て」と言った記憶がなくはないが、ただのバトルであんなことをした覚えはない。
「しかし、実力差が圧倒的だな」
「そうだな。相手には悪いけど……サツキが勝つんだろうな」
「まったく容赦してないものね。カルミンくんそんなに強くないし」
ここまで、カルミンが三匹、サツキが二匹下げている。サツキの方が優位の状況が続いていて、そしてここにいる誰もがそれを疑ってはいなかった。少年には悪いが、レッドもカスミも、サツキの強さについて保証していた。
元々、生来の気の弱さと優しさで実力をセーブしてしまっていた娘だ。それを外している今、簡単には負けないだろう。
「ねぇ、レッド。あなたは娘になんてつけるの?」
「ん?」
「代名詞よ」
先ほどの試合で、グリーンとブルーはそれぞれ娘に代名詞をつけた。「描く者」と「見抜く者」。二人の性質とバトルを表した言葉は、かつて自分たちがオーキド博士に貰ったものに法則を倣っていた。
レッドは、考える。
この旅の中で、大きく成長した彼女になにをつけるべきか。少し逡巡して、迷わず言った。
「変わる者――かな」
サツキは、この旅の中で大きく変わった。
あれだけリーグやバッジに興味を示さず、遊びとしてバトルがしたいと言っていたのに、今やあんなに立派に、人前でバトルをしている。
レッドからバッジを受け取るのを拒否して、父を倒してから貰うと宣言して。予選くらい通れなくちゃと、言ってみせて。
ユリカのリーグでの敗北がきっかけとはいえ、元々相手を負かせることに少しだけ躊躇があったサツキが、こんなに堂々とバトルをしている。
それは、大きな変化だった。
だが、この称号を与えるのは、このためだけではない。
「フィールドを変える。タイプを変える。相手を変える。サツキは、自分に有利になるように、自分や場を変えるのが上手いんだ。まるで、水みたいに姿を変えることが」
そして、彼女のバトルスタイル。
使えるものは、全て使って。変えられるなら、躊躇わず変わってみせる。そんな柔軟性こそが、彼女の強さだ。
それこそ、他のトレーナーならば絶対にしない、ポケモンを庇うという行為さえ、彼女がバトルに合わせて“変わった”証拠だ。
バトルフィールドを広く見通す力に、高い柔軟性を合わせた、そんなバトルが彼女の強さだ。
「サツキはこれからも、どんどん姿を変えてみせる。それが、水タイプなあいつのやり方だ。……なぁ、ママ?」
「ふ、ふふ。そうね。サツキも水タイプだものね」
同じ水タイプでも、水圧で押す妻はくすくすと笑う。水は本当に、色んな戦い方があるとレッドは思わされる。
彼女はこれから、どんな姿を見せてくれるんだろうか。
「さ、後半戦も勢い落ちずにいけるかな?」
レッドは楽しみでいた。娘の勢いある成長に、一瞬だって目を離したくない気持ちでいっぱいだった。
+++
――やばい。
カルミンは汗を拭う。
強い、あまりにも強い。目の前にいる少女が恐ろしくてたまらない。食いつくのが精一杯で、一瞬でも下げるのが遅れればいつでもとどめを刺されておかしくない。
サツキが強いのはわかっていた。数回とはいえ共に練習もして、その中で強さはよく理解していたつもりだった。だが、ここまで強いなんて想像もしていなかった。
彼女がこれまで、どれほど手加減をしていたのか。ハナダで感じた時以上に感じさせられる。これが、本当のサツキの強さなのだ。
全く歯が立たない、というわけではない。サツキのポケモンを二体は追いつめた。だがそれ以上にこちらの消耗が激しすぎる。
それに加えて、さっきのポケモンを庇ってみせた行動。
あんなことが、トレーナーにできてしまうのか。
カルミンとサツキの間に、大きな差が見えてしまった瞬間だった。
彼女は、サツキは。カルミンと同じような子供などでは、間違ってもなかったのだ。
――これがレッドさんの娘の、強さ。
――違う、レッドさんは関係ない。これこそがサツキの強さなんだ。
サツキの本当の実力を見たかった。勝ってほしいとさえ言った。
だが、これは。
これほどまでとは。
「……っ、いけ、イブ!」
「ブーちゃん!」
両者ポケモンを下げて、新たに手持ちを繰り出す。カルミンはエーフィを、サツキはブラッキーを。共にタマムシシティで捕まえた、兄妹のような関係だったイーブイたち。
イーブイだった頃のブラッキーは、特殊な能力に苦しめられてとても戦える状態ではなかったのに。いつの間に進化したのだろう、その表情は、とても凛々しく美しい。
ブラッキーを見たエーフィが驚いている。妹分があんなに立派に、自分に立ち向かっているのは彼にとって驚きばかりだろう。
毛並みのよい黒い体。赤い目を妖艶に細めて、ブラッキーはエーフィとの対峙を喜んでいる。そしてそこに、バトルに対する躊躇は感じられない。
サツキの、ようだと。カルミンは思った。
弱かった女の子が、こんなにも強く、美しく、自分の前に立ちはだかっているのが。
こうして戦うのに躊躇をするのは、大抵男の方だなと、読んできた本たちを思って苦笑した。
「イブ、しっかりしろ。これはバトルなんだ。ブラッキーが立ち向かってくるなら――お前が勝たなきゃ示しがつかないだろ!」
エーフィは、ずっとブラッキーを守ってきた。そんな相手に負けるなんて男として廃れるだろう。
そう叱咤すれば、エーフィは姿勢を正す。そうだ、ここで勝たなければ男が廃る。彼女に傷をつけるのは躊躇われるがそれ以上に――男としてのプライドが、こちらにはあるのだ。
「勝つぞイブ! スピードスター!」
「ブーちゃん、つぶらなひとみ!」
「!」
攻撃をしようとした、その瞬間。
素早くエーフィの前に現れたブラッキーが、至近距離でその目を合わせる。まるでキスでもするような距離で、赤く妖しい瞳を潤ませて、エーフィを見つめる。攻撃をしようとした手が止められ、エーフィが息を詰める。
やばい、これは。
カルミンとエーフィが、その魔力から正気に戻るよりも先に、ブラッキーが動く。ばしん! とエーフィの体が強く弾かれ、地面に転がった。だましうちか、とカルミンは拳を握る。
時々サツキから感じた、強い少女性。
その魔力を自在に操っているのを、ブラッキーから感じる。
あんなに弱く小さかったイーブイを、サツキはどんな育て方をしてみせたのだ。
「く……っ。イブ! 起きろ! あさのひざし!」
ポケモンリーグはドーム場だ。だから日差しは期待できないが、最低限の回復をしてエーフィは起き上がる。そしてスピードスターで今度こそ攻撃する。
悪タイプのブラッキーにエスパー技は使えない。だから、エーフィの攻撃手段は必然と制限されてしまうが――ここで交代するのは、エーフィに悪い。
「シャドーボール!」
「あくのはどう!」
放たれた漆黒の弾丸に対して、邪悪な波動が押し寄せる。ぞっとするような技同士が打ち消しあっている隙に、ひかりのかべを自陣に展開をした。普段ならあまり使わない技だが、ないよりましだろう。さらに、距離を詰められる前に自身をふるいたてて、攻めてくるのを待つ。
――そんなに真っ正面からばっかり攻撃してたって当たらないよ!
ハナダシティで、初めて練習を共にしたときに言われた台詞を思い出す。
真っ正面からばかり攻撃しても当たらない。さっきのブラッキーのように、なにか、意表を突くようなことができないと。 勝ちたい一心で頭を回す。ここまでサツキに一方的にやられてばかりだ、そろそろ、ここで一発勝ちたい。
「ブーちゃん。大好きなイブに、どれくらい成長したか見せてあげようね!」
「……!」
考えているうちに、再びブラッキーが攻めてくる。すり、と頭をすりつけてじゃれたかと思うと、妖艶に微笑んで可愛らしく一鳴き。まるで男を誘うようなしなやかさに、エーフィだけでなくカルミンまで一歩後退してしまう。
ゆうわくか。
ただの技だ。技、だが――その濃い少女性に飲まれる。よく見知った彼女たちの、見たことがないような少女性に、男であるカルミンたちは抗うことに躊躇する。
そっとブラッキーは手招きする。もっと近くに来てと。ふらり、エーフィが寄っていく。カルミンは息を飲んで、それを見つめてしまう。
このままでは。このままでは。
手のひらに爪を立てる。しっかりしろ、トレーナーはお前だ。
「イブ! いばる!!」
最大限の声を張り上げて、エーフィの意識をこちらに振り向かせる。
あと一歩進めば待ち望む彼女の元へと行くところだったエーフィが、はっと意識を取り戻すと低く吠える。その声は、それまでエーフィの庇護下にいたブラッキーにはよく効いた。エーフィとサツキを見比べて、どちらの言うことを聞いたらいいのか、わからなくなってしまったようだった。
「今だ、シャドーボール!!」
「ブーちゃん!」
混乱するブラッキーのおかげで十二分に力を溜められたシャドーボールは、彼女をやすやすと飲み込んでいく。
黒々とした闇に紛れていくブラッキーの姿はあっという間に見えなくなる。やがてどさりという音と共に闇が晴れ、よろよろと起きあがろうとするブラッキーの姿がそこに残った。
「ブーちゃん、戻って! ……がんばったね」
カルミンが追い打ちを仕掛ける前に、サツキがブラッキーを戻す。
その表情には、もうあの強い少女性はなく、いつもの知っているサツキになっていた。そのことに、カルミンは強く安堵する。
「ブラッキー、そんなに戦えるようになったんだな」
「すごいでしょう。ブーちゃんはずっと自分で戦いたかったんだって。それをイブに見せてあげられてよかった。――気を取り直そう! メーちゃん!」
カルミンが不思議な呪縛から解かれているうちに、サツキは次のポケモンを繰り出す。頑丈な甲良に大砲を背負ったカメックス――と言うには、やや小さすぎる気がする、その子を。
ようやく進化したとはいえ、まだまだ赤子のカメックスは小柄らしかった。そのことに、ようやくリラックスしてくる。まったく、女の子らしい時のサツキはなんだか苦手だった。
「さぁ、この調子で行くぞイブ! サイコキネシス!」
「そうはさせないよ。メーちゃん、みずのはどう!」
エーフィのサイコキネシスによる呪縛の中、力ずくで技を発動するカメックス。それを避けることは容易だったが、そのせいでサイコキネシスが解けてしまう。警戒を怠らないよう、エーフィに声をかけたのもつかの間、どっ! と重い質量のものが飛んでくる。それがカメックスであることに気付くのに、カルミンは遅すぎた。
「かみつく!」
「イブ、戻れ!」
ギャアアアア!! と悲鳴を上げるエーフィを必死で戻す。
サイコキネシスが解けた一瞬の隙を突いて、ロケットずつきを飛ばしてくるとは。その巨体に素早いイメージなどないのに、この速さは子供ゆえか。
加えて、躊躇いのないとどめのかみつく。一切の容赦のなさに、改めて冷や汗をかく。
――あたしは、あの時の約束忘れてないよ。
サツキは一昨日、確かにそう言った。
彼女はそれを忠実に守ろうとしている。初手に幼なじみであるスターミーを出し、次点に好戦的なオニドリルを出してきた。サツキは、本当に全力を出して勝とうとしている。
恐ろしかった。
強者と戦うような興奮よりも、ただこの底の見えない、友人だったはずの何者かに呑まれる感覚がただ恐ろしかった。時々表情は見えても、凪いだ海のように穏やかな雰囲気が恐ろしさと真摯さを伝えてくる。
怖い。これだけの本気をぶつけてくれる、彼女にどれだけのものが返せるのかが怖い。
だがしかし――そんな恐怖を抱いてもなお、立ち向かうしか術はないのだ。
「く、っそ……っ! いくぞ、パン!」
カルミンの手持ちは、残り二体。その片割れ、サンドパンを場に繰り出す。これでも二番目に付き合いは長く、カルミンが初めて自力で捕まえたポケモンだった。
サンドパンは問題児だ。早とちりで、しかも指示を曲解するからまともに手綱は取れない。だが、こと実力だけは信頼を置いていた。
さっき試合をしていた美少女のように、指示ができないのもたまには相手もやりにくくていいのかもしれない。
対カメックスには相性が悪い。だが、それでもサンドパンを信じていた。
「パン! 指示は一つだ、勝て!!」
カルミンがそう叫ぶと、サンドパンは任せとけとでも言うように片腕を上げて、地中に潜る。サツキはそれに対して動かない。カメックスも、出てくるのを待っているかのように静かにしている。
そんな中で、サンドパンは一瞬地面から顔を出したが、すぐに引っ込める。出ては引っ込みを繰り返して、相手の陽動を図っているのかと思ったが、カメックスの周囲をぐるりと巡っていることに気付く。
――――あいつ。
連想したのは、ディグダの穴で戦った黄金のダグトリオのこと。地中を自在に泳ぎ、姿を見せずに戦っていた、あの群のボスを。
あの時サンドパンは場に出していなかったが、それでもモンスターボールの中から見ていたのか。
「…………っ」
地中から出ては、マッドショットでカメックスを撃つサンドパン。種としては小柄としても、大型ポケモンに分類されるカメックスを一瞬で狙うのは容易らしい。
なにより、サツキが対策を考えかねて焦っている様子が見えた。
――そうだ。サツキには手が出ないだろうな。
サンドパンをしとめるのは簡単だ。地中に多くの穴が張り巡らされている今、地面はとても薄くなっている。そこを狙って壊してしまえば、サンドパンはがれきの下敷きになってしまうだろう。あの時のダグトリオのように。
だがサツキにはそれができない。状況把握の早い彼女はわかっているのだ、そんなことをすればサンドパンの無事が確保できないことを。
優しいサツキには、できないのだ。
「どうした、サツキ。このままだとメーちゃんが危ないんじゃないのか」
「…………っ」
サツキが苦しそうな顔をする。自分は今、とてもずるい言葉を言っていると思った。だけど、カルミンも負けられないのだ。
――パン、俺はお前を信じるしかない。
残っている手持ちはあと一匹。ここで少しでも削らなければ、もう後がない。
「メーちゃん……」
「パン! そろそろ終わりにするぞ!」
「――――ハイドロポンプ!!」
「!?」
非情にならなければ、勝てない。
そう覚悟して最後を告げるが、サツキがついに口を開く。
応えたカメックスが穴の一つに照準を合わせ、そこから水を流し込むようにハイドロポンプを射出する。その水量はあっという間に地中を浸水させ、勢いに飲まれたサンドパンが穴から打ち上げられた。
「パン――――ッ!」
「れいとうビーム!」
打ち上げられ、避けられないサンドパンに向かって、容赦なくれいとうビームが撃ち込められる。パキパキと音を立てて凍ったあと、落下の衝撃で氷が割れて取れる。しかし、一度凍るほどの冷気を浴びた体はすぐには動かないらしく、サンドパンは立ち上がるのも辛そうだった。
「――――っ」
サンドパンを戻しながら、カルミンは歯ぎしりする。
サツキの良心を盾にしようと、勝てない。
目の前の彼女は、どこか苦しそうに、けれども真剣に、カルミンの動向を見ている。絶対に目を逸らさないで、迎え撃とうとしている。
サツキは、かつての約束を、本気で守ろうとしている。
カルミンは思う。これは、勝てない。
サツキには勝てない。そうだ、自分はこれを望んでいたんだ。レッドの娘である彼女の、本気によって負けることを。
今彼女は、特別であろうとしている。
それをカルミンは、ひしひしと感じていた。これが、強者か、と。
「サツキ……」
+++
カルミンがサンドパンを下げる。
それを見て、サツキもカメックスを下げた。カルミンの手持ちで戦えそうなのは残り一体。サツキもそれに合わせてポケモンを変えることを、ずっと前から決めていた。
「フゥ――――…………」
大きく息を吐く。ついにこの時が来てしまった。ここで、勝敗が決まってしまう。
サツキは彼の求めるような試合ができただろうか? 全力を出したが、これは彼の満足行くものだっただろうか? もし、これでも足りなかったら? 彼に勝つことで傷つけてしまったらどうしよう? 恨まれてしまったら? 彼の夢への道をサツキが塞いでしまう。サツキがとどめを刺してしまう。そのあと彼はどうなるのだろう。彼を傷つけたくない。彼を悲しませたくない。夢に向かって一途に走る、彼の姿がとてもかっこよくてサツキは好きだ。そんな彼が、ユリカのように、折れてしまったら。その原因が、サツキになってしまったら。
「フゥ、フゥ、フゥゥ…………」
呼吸が浅くなっていく。
今更ながらに恐ろしかった。ここまでやってきたのに。覚悟はできたと思っていたのに。
負けるのは嫌だ。絶対に嫌だ。
だけど彼に勝つことで彼が傷ついてしまうのも嫌だ。
震える手で、ボールを掴む。もしかしたら今、彼にも――ガラガラにも、残酷なことをしようとしているのかもしれない。 しかし、試合は待ってくれない。取りこぼすようにボールを落とせば、中からガラガラが現れる。彼はカルミンをじっと見た後、サツキに振り返って近くへ寄ってきた。
「カラ……カラ……。カラは……カルミンに……勝てる?」
震える声で問いかける。
もしもできないなら、まだ後続はいる。ガラガラの精神に悪いようなことはしない。できないと言ってほしい気もした。
しかし、ガラガラは無言で、サツキの心配も気にしない様子で、強く胸を張った。かつての相棒を相手にしようと関係ないと。
す、とガラガラは骨を差し出し、とん、とサツキの胸を叩いた。瞬間、それまでの緊張がふっと吸い込まれたかのように消える。
――カラは、勝つつもりだ。
――そうだよね。勝つのはあたしだ。
改めて深呼吸をして、サツキは胸を張る。ここまで来てどうして日和ってしまうのだろうと己の弱さを嘆きながら、頼りになる仲間がいてくれることに感謝する。一人で戦っているのではない。彼らのために、自分のできることをしなければならない。
「……カルミン、さぁ、最後のバトルをしよう」
「長い準備だったな。……行くぞ、サツキ!」
サツキが落ち着くのを待ってくれていたらしい、カルミンがまっすぐこちらを見据える。彼の足下にはサツキが預けたジュゴンが大人しくしていた。あれだけ反抗的な態度をとっていた彼は、あれからどれくらいカルミンをと仲良くなったのだろうか。
相性でいえば、こちらの方が不利だ。しかし、相性程度に左右されるつもりはない。足下には下げる直前、カメックスが氷で穴を塞いだ跡がある。
つまりここは――サツキのフィールドなのだ。
泣いても笑ってもこれで最後の気概で、サツキは挑む。
「床を氷らせるの、お前本当に好きだよな……だけど、それはこっちも有利にさせるんだぜ! ゴーちゃん、床を滑ってアクアジェットだ!」
氷の床を滑り、アクアジェットを加速させてジュゴンは突っ込んでくる。たしかに氷の床はジュゴンにとっては好都合だろう。
しかし、こうして利用してくれるなら、こちらにもいいことはあるのだ。
「カラ、つるぎのまいで攻撃力を上げて――アイアンヘッドで迎え撃って!!」
氷の床で加速すれば、それだけ攻撃を避けにくくなる。スピードを上げている間に攻撃力を高めて、迫りくるジュゴンのスピードをさらに利用するのはわけもなかった。ガン! と大きな音が響き、二体が衝突する。ジュゴンはその場で止まり、衝撃でガラガラが弾きとばされた。
だがこれを予期していたガラガラは動揺せず、追い打ちと撃たれたしおみずをホネでなんなく防いでみせる。
手持ちを交換してから時は経ち、ぎこちなかったカラとのバトルは安定したものになっていた。カルミンの元にいた頃の癖が抜けたとは言わないが、サツキのやり方に馴染んできた証拠だった。
「今度はこっちから行くよ。カラ、かげぶんしん!」
「そんなの……全部潰せばいいんだ! こごえるかぜ!」
「遅い、かわらわり!」
多重に増えたかげぶんしんに紛れて、本物のガラガラがジュゴンの背後を取る。重い一撃がジュゴンを襲うが、転がったジュゴンはすぐに至近距離でのれいとうビームに切り替える。間一髪それは避けるも、次いでされたとっしんまでは避けきれずに、ガラガラが吹き飛ぶ。
まだガラガラの体力には余裕がある。ジュゴンの方が、いくらか苦しそうか。そう考えている間に、ジュゴンの体をアクアリングが包んだ。
持久戦に持ち込むつもりなら、ガラガラの方が不利になる。ここは悠長に構えていられない。
「カラ、がんせきふうじ!」
「閉じこめる気か……そうはさせるか!」
アクアテールによってがんせきふうじが破られ、その破片が四方へと弾け飛ぶ。それらをガラガラはホネを器用に使って撃ち返す。なげつけるの応用だ。
けして遅くはないが、大柄なジュゴンはそれだけ技を避けるのが遅くなる。撃ち返された岩のいくつかはジュゴンに刺さり、ぎゃぁうと声が上がった。
その隙を見逃すサツキではない。
「かわらわり!」
「ふぶき!」
「カラ!」
再びかわらわりをしようとしたところで、至近距離でのふぶきを受けてしまう。ガラガラの体は運良く凍り付かず、様子を見てもまだ戦えるようだった。ジュゴンをきつくにらみつけ、彼はしっかりとした足取りで立っている。
「サツキ」
さぁ、どうやって最後に繋げようか、と考えていたところでカルミンに声がかけられる。
バトルから気を背けないように注意しながら、サツキは彼の方を見る。カルミンはサツキを真っ直ぐに見ていた。
「サツキ、やっぱりお前強いよ。こんなに強いなんて思わなかった」
「カルミン……」
「約束、果たそうとしてくれてありがとう。だけど、……だけど、俺は最後まであがくからな! ゴーちゃん!」
合図と共に、ジュゴンが構える。それに合わせて、サツキもバトルへと意識を戻した。
ガラガラとジュゴンの攻撃が、同時に放たれる。
「ふぶき!」
「きあいだま!」
ガラガラの体をふぶきが襲い、パキパキと凍っていく。その暴風の中でも放ったきあいだまは一点のぶれもなく、スピードも落とさずにジュゴンへと吸い込まれていった。
きあいだまが、ジュゴンへと当たる。
それと同時に、ふぶきが止んだ。
「――――」
サツキとカルミンは、息を呑む。
どちらの勝ちだ。一瞬の動きも見逃さないように、二人は見つめた。
そして――ジュゴンの体が、傾いでいくのを見た。
「ジュゴン、戦闘不能! 勝者、サツキ!」
瞬間、びりびりと会場が揺れる。それが歓声であることに気付くのには時間がかかった。なにか、衝撃波のような巨大な音はサツキたちの耳よりも先に体を襲った。
準決勝という試合の大きさが、姿を成して襲ってきたような気分だった。
サツキは深く深呼吸して、一歩を踏み出す。そして、ガラガラの凍えた体を抱きしめた。凍りかけた部分をさすって暖めると、すぐに溶けていく。
「カラ……おつかれさま。やったよ。……よくがんばったね」
ガラガラはこんな状況になっても一言も発さない。それが出せないのか、出したくないのか、サツキはやはりわからない。彼の表情はどこまでも無表情で――しかし、瞳がいつもよりも雄弁になにかを語ろうとしているようだった。
ガラガラを労った後、サツキは彼をボールに戻す。そして――カルミンの方を、見た。
カルミンは泣いてはいなかった。放心したかのように倒れたジュゴンの体を見つめた後、しゃがみ込んで、ジュゴンの体を撫でた。表情は上手く見えない。しかし、彼は労るのもそこそこにボールに戻して、すっくと立った後少しだけ天を仰いだ。 サツキは話しかけなかった。
サツキは待った。
天を仰いでいた彼がこちらを見るのを。
「…………」
ばちん、と目が合う。
彼の表情はけして暗くなかった。無表情だと言った方が正しいだろう。なんだか、ガラガラに似ていると感じた。
それを合図にサツキは彼に歩み寄る。向かい合って立ち、彼を見つめた。そして、すっと手を差し出す。彼はそれを見た後、しっかりと握り返してくれた。
「カルミン、勝ったよ」
「ああ」
「あたしは、約束を守れた?」
「――――ああ」
彼はじっとサツキを見つめた後、サツキの腕を引いて抱きしめてくる。驚きながらも動かないでいると、すがりつくような声で「ありがとう」と囁いた。
「――――うん」
それ以上はなにも言えなかった。
だからサツキは、そっと彼の体を抱きしめ返した。
+++
「サツキ、お疲れさま」
今日の試合が終わって、控え室の片づけをしているところでユリカが訪れる。両親の姿が見えないので不思議に思っていると、今はエントランスホールの方にいるのだと教えてくれた。
「お父様、カンカンよ。あなたが男の子と抱きしめ合ったりするから」
「ああ、だから来ないんだ」
「ええ。お父様たちの友人方が観戦の時に一緒でね。今はなだめられていると思いますわ」
理由を聞けばすぐに納得した。サツキを溺愛する父が、あれを見れば激高するのは想像に難くない。
それを聞いてしまうと、少し合流するのが嫌だと思ってしまう。こういうときの父は非常に面倒くさいのだった。
「決勝進出、おめでとう」
「ありがとう、ユリカ」
「辛い?」
「…………どうだろうね」
カルミンの話を、ユリカには以前こぼした。聡い彼女ならば、カルミンの境遇を想像するのは難しくないだろう。だから、ユリカはサツキに辛いか聞く。
勝つのは、辛いかと。
サツキはなんとも言い難かった。辛いかもしれない。彼に勝つと決めていても、それでもラストの一体では躊躇いがあった。とても残酷なことをしようとしている気がして。
しかし、勝利の充足感にも酔っているのだ。自身に一切の足かせをつけずにやりきった試合。その勝利はこの上ない快楽だった。その両者が合わさって、サツキは酷く複雑な気持ちでいた。
カルミンとの試合でさえこうなのだから、明日のオーカとのバトルではどうなってしまうのだろうか。決勝という重い舞台で、サツキは。
「まだ言葉にはできないけど――あたし、後悔はしてないの」
「……そう」
サツキの返答に、ユリカは納得してくれたようだ。
ユリカにも、カルミンにも、サツキはバトルで失礼なことをしてしまった。その贖罪は果たせたのだろうか。少なくともユリカは、この返答を断罪しようとはしなかった。
「準備は終わった? そろそろ行きましょう。サツキのお父様が突撃してきても面倒ですわ」
「ふふ、そうだね。今日なに食べるか行ってた?」
このあとは、昨日のように外食の予定だ。明日の英気を養うために。
昨日や一昨日とは違って、出場者が四人に絞られた控え室の並んだ廊下はとても静かだった。小声でくすくすと話しながら、二人はエントランスホールを目指す。やがて、一室を通り過ぎようとしたとき、どん! と大きな音を聞いて二人は足を止める。
「――――…………くそ…………っ」
カルミンの声だった。
くぐもって、小さくしか聞こえなかったが、確かにそれはカルミンの声だった。どくん、とサツキの心臓が跳ねる。急速に首が締め付けられていって、苦しくなる。冷や汗が流れ、苦しくて、辛くて。
「…………」
たまらず、サツキはユリカの手を掴んだ。
それを彼女は拒まなかった。深呼吸を繰り返すサツキの背をゆっくりと撫でて、サツキの落ち着くのを待ってくれる。
「――――立ちなさい。あなたは強者よ」
耳打ちされる言葉に、サツキは止まる。
――立ちなさい。あなたは強者よ。あなたには立たなければいけない義務がある。
ユリカの言葉に、サツキは徐々に落ち着いていく。この道を選んだのだ。勝ちたいから。勝つと決めたから。立て、これは義務だ。
言い聞かせて、最後に大きく息を吐く。
そしてユリカと目を合わせ、二人は静かに彼の部屋を後にした。