Day7

メルが昼にご飯を作りに来るようになってから、またしばらく。いつの間にか年は明けて一月になっていた。

彼女に会わせた女から噂が広まり始めたのか、最近は連絡がどんどんと減ってきてマサミは気分がよかった。あれだけマサミの周りに女がうろついていても我先にと戦略をしかけようとしていたのに、絶対に勝てない存在がついたとわかった途端、軒並み手を引いていくのは滑稽なほどだ。代わりにメルの追っかけが増えているらしいが、彼女の方は適当に処理をしているという。

おかげで身辺が落ち着いたので、仕事が捗っていい。株取引も良い調子なので、座敷童を讃えるべく最近メルの時給を上げた。

代わりに依頼された、彼女の弟を探す作業は仕事の合間に細々と続けている。病院のデータから弟の住居を割ったり、彼の容態を調べたり、それから身元引受人について調べたり。

ただ。

そんな中で、マサミは一つの嫌な予感に手をかけ始めていた。

「……やっぱり……」

弟の身元引受人、モッコク。病院のデータにあった勤務先を見ると、運送業となっている。ホームページはそれらしく作られているが、登記を取り寄せてみればただのペーパーカンパニーなことがすぐにわかった。ホームページに書かれている、親会社と書かれているものさえもが架空の会社。なんて念入りに自身と切り離しているのだろうと、マサミはその入念さに呆れてしまうほどだ。

弟のいる病院と自宅さえわかれば、メルの依頼は達成する。しかし、ここまで明確に怪しい場所に彼女を送り込むのはいささか不安だった。

せめてなにかがわかってから、忠告だけはしてやりたいが。そんな気持ちで、モッコクの正体を探っていく。どこかに、なにかとっかかりさえあれば。

向こうに気付かれれば、マサミの身も危うくなる。それはわかっているのに、すぐそこまで迫っている真実に手を伸ばしたくなる。その好奇心にメルへの心配を言い訳にして、さらに奥まで追跡の手を伸ばす。

そうして探し始めて、どのくらいだろうか。やがて、マサミは一つの可能性に辿り着く。

「――――まさか……!?」

+++

ポケモンたちを庭へと出して、世話をするのにも慣れてきた。数少ないメルが外に出る機会を待って襲撃しようとしてくる人間の対処も。

種類は様々だ。ストーカーもいれば、マサミに横恋慕している者もいる。一通り同じように警察に突き出して、平和を守るのはメルの仕事だ。

最近ではマサミのポケモンたちも慣れてきたのか、一部の好戦的な者はメルのポケモンにバトルを教わって試す時間にもなってきていた。

「お疲れ様、ギャラドス。いい子だ」

赤いギャラドスはその筆頭だ。

元々気性の荒い性格だが、ニドキングたちに正しいバトルの仕方を教わってからは以前より生き生きとしている。相変わらずマサミには懐かないが、力の使い方を覚えて暴れることはなくなっていた。誰よりも早く、不審者を見つけてくれるなどの活躍は目覚ましい。

礼に体を撫でてやると、嬉しそうに笑う。初めて会った頃を思えば、本当によくなついてくれていた。

「――――メル」

「マサミ。仕事は終わったのか」

そろそろ室内に戻ろうかと考え始めた頃、マサミが庭まで出てくる。キュウコンが嬉しそうに駆け寄るのをあやしながら近付いてくるその顔はどこか暗い。

またなにか、嫌な思いでもしただろうか。彼を取り巻く異性からの欲望の渦は、簡単にマサミを傷付けてしまう。それらから守ってくれる人のなかった彼を、守りたいと感じたのは年の瀬の頃の話だった。

「大丈夫か。なにかあったのか」

「いや、俺のことじゃない。……弟の居場所がわかった」

「本当か!?」

物憂げな彼は、静かに告げる。

弟の――アニーの居場所がわかった。ついに会いに行けるのか。舞い上がってありがとうと抱きつくと、そっと剥がされた。マサミの表情は複雑そうなままで、一体なにがあったのかと小首を傾げる。

とりあえず中に、という指示を受けて、ポケモンたちをボールに戻し家の中に入る。マサミに着いて歩くキュウコンも、彼の様子が気になるのか何度も何度も彼のことを見上げていた。

リビングに着いたところで、マサミはいくつかの書類を机に広げる。受け取ってみれば、アニーの入院中の住所と、それから祖父がいるはずの住所が書かれていた。

「これ……!」

「病院はこれで正解。現在は手術を終えて入院中で、まだしばらくはいる。身元引受人の住所もおそらく間違いはないはずや」

「ありがとう、マサミ!」

「ただ」

椅子に深く座り、マサミはうつむいたまま黙る。

視線を泳がせ、閉じた口をなにやらもごもごとさせると、メルの顔を見てどこか悲しそうな表情をする。

なにを言いよどむのか、メルはわからないまま彼の言葉を待った。

マサミは、小さく言っていいのかわからない、と呟く。

「お前の親御さんが、どういう方針を取ってるかわからないから、はっきりとは言えないが」

「なに……? アニーになにか?」

「お前の、お爺さんは……」

そこで、また彼は口を閉ざす。

祖父。両親が名前さえ教えてくれない、謎の人。メルが知っているのは社長であるということだけ。

そんな人の正体を、彼は知ってしまったのか。メルは彼に跪いて懇願する。

「マサミ、お願い。なにがわかったの? 教えて」

「……言えない」

「なんで」

「やっぱりお前が知っていいことじゃない」

両親に、マサミ。何故揃って祖父に関してばかり口を閉ざすのだろう。メルが知るべきではないような祖父とは、どんな人なのだろう。

ろくな人ではないのはわかる。ただ、それを受け入れられないほど、メルはまだ子供だと思われているのだろうか。

不満を隠さないメルに、マサミは低い声で忠告をする。

「もし、お前が弟に会いに行くなら病院だけに行け。できれば家には行かないで、病院を出ていたらすぐに諦めて帰ってこい」

「嫌だ、どうして」

「あまり深追いするべきじゃない。ただ弟に会いに行くだけじゃない、お前は死にに行っているようなものなんや」

「わたしは死なない、ポケモンたちがいる」

「お前が行こうとしている場所にいるのは、お前が普段襲われているような程度の人間じゃない。会えなかったら帰ってこい、……出来れば行くな」

「なんで……」

父よりも、母よりも、厳しい言葉でマサミは反対する。

その表情は今までにないほど、メルのことを想ってくれていた。マサミは優しいから、関係がなくてもメルのことを心配してくれるのだ。

だが、その言葉はやはり飲めなかった。

「……悪いが、それは聞けない」

「メル」

「そんなに言うような場所なら、やっぱりアニーに会わないといけない。アニーのことが心配だ」

繰り返し危険だと言われるような場所に弟を預けていたくない。やはりメルは行かなければならなかった。

メルの体には、どういう手段を取ろうと無茶にしかならない。だったら行くのは怖くなかった。結果の軽重はあれど、悪い結果にしかならないのなら。メルはなにも怖くなかった。

すくりと立ったメルの決意に、マサミは目を伏せる。

「ごめんなさい、守ると言ったのに。……行っても、すぐに戻ってくるから」

「俺のことはいい、別に。ただ、行くならポケモンを一匹置いてってくれ」

「ポケモンを?」

マサミのことを守ると決めたが、それでも今一番に想っているのはアニー。そこは譲れず謝るも、マサミは代わりを要求する。

お前のポケモンは自分で戦えるだろ、と付け加えて。

「調べるのに多少無理をしたから、もしかしたら目を付けられた可能性もある。そうなれば俺にはどうにもならん、ボディガードが欲しい」

「わかった。ならシードラを置いていこう、頭の切れるやつだ」

「シードラか。なら……そうやな、ちょっと待て」

手持ちの内、メルがいなくても大丈夫そうな一匹を選ぶとマサミがなにやら部屋へと戻る。

少し経って、彼が持ってきたのは一つの輝くウロコだった。

「それ……」

「これと、それからギャラドスを交換する」

「いいの?」

「そいつはお前に着いていった方が楽しいやろ」

もう一方の手に握られていたのは、赤いギャラドスの収まったモンスターボール。ギャラドスは交換を察知すると、どこか嬉しそうにメルを見た。

どうせ俺には手が余る、とマサミは語る。

「ありがとう」

「礼を言うのはこっちやろ」

「ふふ、そうだな」

りゅうのウロコを受け取って、シードラに持たせて、マサミと交換する。

そうしてマサミがボールを開ければ、シードラは体をさらに大きくしてキングドラへと進化をはじめる。

とげの部分はひれとなり、伸びた触手は珊瑚のよう。切れ長の目を開けば、どこか神々しさのある気品が感じられる。

マサミを認識したキングドラは、すっと頭を垂れる。それから、メルにも改めてお辞儀をした。礼儀正しいやつだった。

「キングドラ、マサミを頼んだぞ」

マサミと同じくらいの大きさになった彼の頬を撫でれば低く鳴く。メルへの依存がない分、特に信頼のできる一匹だった。

「ギャラドスはあまりバトルもさせたことないから、お前の役に立つかわからんが……」

「最近随分と強くなっているぞ。ありがとうマサミ、大切にする」

「ああ。……行くときは、気をつけろよ」

す、と伸びた手がメルの頭を撫でる。

たった一瞬のことだった。すぐに彼は踵を返して部屋に戻ってしまう。

触れられた場所が熱い。どんな顔をしていいのかわからなかったが、ただ、きゅっと拳を握る。

「必ず、すぐに戻ってくる……」

アニーもマサミも、メルが守るのだ。そう決意して呟いた。