タマムシシティ その4
バトルに対する悩みが吹っ切れて、今までにないくらいすっきりしている。
だが、バトルに対して課題がなくなったわけではない。
――ポリシーを持ってるやつだけがプロになれるの。あなたはそれを意識したことがある?
――臆病なことはいいことだ! お前のそれは、武器になるぞ。
以前、母カスミとクチバジムジムリーダーのマチスにいわれた言葉。
サツキは、まだユリカのような独自のバトルスタイルを確立できていない。バトルはたしかに強かったが、そこになにかポリシーを持って戦っていたことはない。
だからこの確立が、サツキのこれからの課題だ。
難しいことだが、なにも理想型がないわけではない。
その理想型を形にするためにも、やはりユリカには会いに行かなければならない。
「みんな、今までごめん。でももう大丈夫。もう、情けないバトルはしない。それを証明するためにも、先に進むためにも――今日、あたしはユリカに勝つ! 着いてきてくれるよね!」
ポケモンたちに宣言すると、みんな力強く頷いてくれる。
サツキはユリカに勝ったことがない。だがもう負けるつもりはなかった。ユリカの癖はよく知っている。
サツキが今まで勝てなかったのは、ユリカを越えてはならない気もしていたからだ。ユリカは絶対に強くなければならなかった。
だがそんな思いこみももう捨てた。
サツキは負けない。負ける未来など見ない。
「ユリカにちゃんと――謝らなきゃ」
+++
タマムシに来たときのように、また大きな木によって作られた道を歩き、巨大な木造の屋敷に入る。
勝手を知ったこの家を自由に歩き、またお手伝いに彼女の場所を聞いてまっすぐに向かう。
緊張はしていた。だが、前回のように萎縮した緊張ではない。
気の引き締まるような気分で、厳かな屋敷の廊下を歩く。
旅の途中でさえなければ着物でもドレスでも着て正装したい気分だ。
やがて、一つの道場の扉の前に立つ。
中では今稽古中らしく、多くの人の声が響いている。空手の稽古で訓練生が集まっているんだろう、邪魔をしたら悪いかと思うが気にせずサツキは扉を開けた。
「たのもー!」
ざっ、とそこにいる全ての人間がサツキを見る。
心地の悪い注目の中、サツキは胴着に身を包んだ彼女だけを見つめて言う。
「ユリカ、あたしと勝負して」
大人の中に混じって、たった一人稽古していた細身の彼女は組んでいた相手からサツキに体の向きを直す。
凛とした立ち姿でじっとサツキを見つめた後、ユリカは口を開いた。
「いいでしょう。おいでなさい」
いいわよね、師範。と問いたあと有無を聞かずに彼女はこちらへ歩いてくる。この道場を使わせてもらっている身分なので、屋敷の娘であるユリカのほうが力が強いのだ。
「もう一度わたしの前に現れたのだから、覚悟はできているのよね?」
「言わせないで。なんのために来てると思うの」
サツキの答えに満足したように、ユリカは道場を後にする。
そのまま無言で、着替え、バトルフィールドへと移動する。
あの日と同じようで、その緊張感はあの日の比べものにならない。以前のサツキならば怯えてしまっていただろうピリピリした空気に、ユリカとこんな風になるなんて喧嘩したときでもなかったとなんとなく思う。
それくらい、バトルは全て伝えてくれる。
「形式は前と同じように三対三。ポケモンが全て戦闘不能になった方が負け」
「そう。どうか、前よりは楽しませてちょうだいな!」
「言われなくても!」
ルールを確認して、すぐに二人はポケモンを繰り出す。
場に出るのは、ラフレシアとカメール。
ユリカはもう、気付いている。サツキのなにかが変わったことを。
ならば期待通り、ウツボットを引きずり出さなければならない。
「はなびらのまい!」
「メーちゃん、あわ!」
はなびらのまい、なんて言葉にしては狂暴すぎる花の刃の渦に対し、メーちゃんのあわが弱々しくぶつかっていく。それらは花を濡らすばかりで、あわを切り裂いてメーちゃんへと襲いかかってくる。
だがこれは前準備。
「ふぶき!」
「!」
メーちゃんが殻に篭もり、ぐるぐる回りながらスプリンクラーのように冷気を吐き出していく。
事前に水で濡らされていた花びらたちはそれに一気に凍っていき、メーちゃんへと届く前に凍って落ちた。
昨日、ユリカ戦に合わせて教え込んでいた方法だ。
メーちゃんはまだ小さいせいか、技が若干軽いところがある。ユリカのポケモンたちは早い上に攻撃力も馬鹿にできないから、それではメーちゃんに対抗させるのが難しい。
だからこそ、一撃一撃を二段構えで対抗できるよう策を練っておいたのだ。ユリカに通じるなら、これはそのままエリカにも通じる。
「ふぅん……。でも、初動が抑えられたからって油断するつもりはないでしょうね? まだラフレシアのはなびらのまいは終わってなくってよ!」
「攻撃の対抗は二段構え。ラフレシアを倒すのは……三段構えで!」
ふぶきの冷気で、今フィールドは冷え込んでいる。
それはどんどん温度が低くなり、吐き出した氷の粒は地面に霜となって降りていく。花びらたちはそのせいか徐々に勢いを落としていて、時に霜で上手く機能しなくなってきたものも出てくる。
その影響はラフレシアにも当然出てきている。舞は続いているが、寒さに少し、動きが鈍い。
草タイプは冷気に弱い。だからこそ、初めはフィールドを味方につける。
それはまだ未熟なメーちゃんのためだけでなく、後続にだって有利になるからだ。
ユリカの初動がはなびらのまいで助かった。はなびらのまいが踊られている間は、ユリカの得意なマシンガン戦法も使えない。
「さぁ、そろそろ大丈夫かな? メーちゃん、れいとうビーム!」
はなびらのまいが終わる。そんな一瞬の隙を突いて、メーちゃんのれいとうビームがラフレシアに直撃する。
避けられるはずもなく、体の中心にれいとうビームをうけてラフレシアは苦しげに転げ回った。舞の後の“こんらん”状態もあって今ラフレシアは正気ではいられないだろう。
「メーちゃん、さらにこうそくスピン!」
今の隙に畳みかけんばかりにメーちゃんが勢いよくラフレシアに飛び込んでいく。
動けないラフレシアに、三度四度と攻撃を撃ち込んでいると、六度目でがしっとメーちゃんの体がラフレシアに捕まれた。
「……!」
「この子はヒステリックでね。攻撃を受けるほど怒り狂って手がつけられなくなるのよ、知っているでしょう?」
その目はこんらんしていない。
メーちゃんをつかんでいない方の手にはなにかの種があった。ラムの実だろう、あらかじめいつも持たせてあるのだ。
キィィィィイイイ――――!!!
耳をつんざくような怒りの悲鳴をラフレシアが上げる。攻撃でもなんでもないのに、メーちゃんはその一瞬で怯んで動けなくなってしまう。
「上手いことやったけど、この子をはなびらのまいの最中にしとめられなかったのがあなたのミスよ。痛かったわねラフレシア……体力を吸い取って上げなさい!」
逃げられない状態で、メーちゃんの体力がラフレシアに吸い取られていく。メガドレインだ。
霜に苦しんでいた傷あとが癒えていく。そうして技が終わったのか、ラフレシアはメーちゃんを乱暴に捨てて見下ろした。
このタイミングを待っていた。
「メーちゃん、ふぶき!」
「!」
ぶわっ! と、ふぶきがラフレシアの体と花弁の境へと直撃する。
ラフレシアの弱点、それはあの大きな花弁だ。あの花弁を確実に凍らせることのできる位置を獲得できるのを待っていたのだ。
ヒステリックなラフレシアは、絶対にメーちゃんを掴んで足下に捨てるだろうという確信があった。だてに幼なじみやっていない、ポケモンの性格だって把握済みだ。
「言ったでしょう、三段構えだって!」
花弁を凍らされ、ついに戦闘不能となったラフレシアが仰向けに倒れる。
まずは一勝。メーちゃんと一緒に小さく拳を握る。
気分がいい。調子もいい。もうあのリーグのユリカはちらつかない。
あたしは勝つ。
「安心したわ」
「!」
ユリカがボールを出した瞬間、メーちゃんが吹き飛ばされる。
目を回すメーちゃんに目もくれずに立ちはだかるのは、体がつるで出来たポケモン――モジャンボだった。
「二回目も情けないバトルされたらどうしようかと思ってた」
「期待には沿えるよ」
戦闘不能になったメーちゃんを下げて、次にオーちゃんを出す。
前回酷いバトルをさせた彼に、償わなければ。
「負けるつもりなんてないから」
ケ――――ン!!
いつものように、オーちゃんが高らかに鳴く。その鼓舞が開戦の合図だ。
「それにしても寒いわね。にほんばれ!」
照りつけるような陽の球が上空に放たれて、急上昇していく気温にメーちゃんの遺した舞台が溶けていく。
そう来るとは思っていたが、この気温差は体に堪える。
まずい。
「モジャンボ、げんしのちから!」
「オウムがえし!」
異常な速度で巨石が飛んでくる。なんとかオウムがえしで打ち消すも、砕けた岩は全てオーちゃんへと降りかかる。
モジャンボの特性はようりょくそ。この日差しの強いフィールドによって彼のスピードは通常を遙かに越えた速さを手に入れる。
うかうかしてたらやられちゃう!
「パワーウィップ!」
ばん! とオーちゃんが一瞬にして地面へと叩きつけられる。その音に驚いているうちにモジャンボの触手はオーちゃんを締め上げていく。
しぼりとる。相手の体力が多いほど威力が増す技――ユリカは速攻で終わらせるつもりか。
そうはさせるか。
「オーちゃん、ついばむ!」
苦しむオーちゃんが、気力をふりしぼって触手をついばむ。いくらか繰り返せばちぎれた触手がぼとりと落ちてオーちゃんが羽を広げた。
モジャンボのつるはいくらでも再生する。遠慮はいらない、いくらでも食いちぎってやる。
「つばめがえし!」
「つるのムチ、エナジーボール!」
オーちゃんが突っ込むより先に、モジャンボの攻撃が速くオーちゃんへとぶつかる。真正面から攻撃に突っ込む形になったオーちゃんがよろよろと落ちそうになったのを、なんとか持ち直す。
やはり、素早さがネックだ。
ならば。
「オーちゃん、こうそくいどう! こうそくいどう!」
もう一度、突っ込もうとするオーちゃんの速度が段階的にあがっていく。
ぐん、ぐん、と上がっていくオーちゃんの素早さにモジャンボの攻撃が空回る。
「こうそくいどう!」
「はたきおとす!」
「ドリルくちばし!」
速く、速く、速く。
ついに速度は音が遅れてくるほどになる。空を突っ切る音が響いて、ぎゅるるるる! と回転するオーちゃんの体ははたき落とそうとした触手すら貫いてモジャンボへとぶつかる。
体を抉りでもしそうなその強力な速度と鋭さは、耐久の高いモジャンボでも苦しそうだ。
「ダメおし!」
とどめとばかりにダメおしを叩き込んで、終わり――かと思いきや、モジャンボの体が動かない。
倒れもしない。その不思議さにはっとする、モジャンボは出たときの位置から微塵も動いていないのだ。
「ねをはる……?」
「あなたにしては、気付くのが遅いわね」
豊満なつるに隠された下に、おそらく根が張ってある。モジャンボは動けない代わりに、ずっと体力を回復していたのだ。
モジャンボは大きく動かなくても攻撃を当ててしまうから気付かなかった。してやられた。
今こうして悩んでいる間にもモジャンボは着実に回復をしていってしまう。
「さあ反撃よモジャンボ! ヘドロばくだん!」
「オーちゃん、モジャンボから一定の距離を保ってひたすら回って!!」
モジャンボの放つ素早いヘドロばくだんを、オーちゃんはギリギリで回避しながら飛び回る。オーちゃんは遠距離攻撃技がないから、このままでは攻撃はできないが目的はそれじゃない。
サツキはよく知っている。モジャンボは普段こそ穏やかだが、バトルになるととたんに短気になることを。
いつまでも当たらない攻撃、しかけてこない相手、動かない状況に大人しくなんてしていられないことを。
つるや攻撃が、ギリギリ当たるか当たらないかわからない距離でうろうろされたら、絶対に黙ってなんていられないことを。
――オーちゃんとモジャンボ、どっちが先に切れるかな?
「! モジャンボ、待ちなさい!」
「かかったね……!」
地面を掘れないなら、相手に動いてもらえばいい。
ぶちぶちぶちっ!! と音がして、モジャンボの張った根が切れる。大きく音をたてて、一歩。モジャンボが足をとうとう踏み出す。
再生された触手がオーちゃんへとかかろうとした瞬間、彼は一気に急降下して加速し、そのまま体に回転をかける。
空を切る音をたて、そのままモジャンボの腹へとつっこむ。
「ドリルくちばし――ッ!!」
深々とその腹にオーちゃんのくちばしが刺さり、一瞬時が止まる。
静寂の中、オーちゃんの羽ばたきだけが響き、彼がくちばしを抜く。モジャンボは反応なく、その動きを二人して見守った。
「…………」
どぅん……と重く低い音がフィールドに響く。
モジャンボの巨体が、静かに倒れた。
「…………よしっ」
拳を握る。
これで二勝。
あとはウツボットを倒すのみ。
「行くわよ、ウツボット」
ようやくここまで来た。
どれだけ時間がかかっただろう。
「やっと満足がいけそうですわ!」
「さぁ、行くよオーちゃん!」
すっと暗くなるフィールド。現れる巨大なウツボカズラ。
にほんばれの効果は切れた。対して、オーちゃんの素早さは健在。
このままいけるか。
否。
「つるのムチ、はっぱカッター、グラスミキサー!」
「オウムがえし!」
どの技が当たるかは賭けだった。
オウムがえしは最後に出されたグラスミキサーを選択して、そのままウツボットへと返す。だがオーちゃんの出すグラスミキサーよりもウツボットの方がよほど洗礼されていて歯が立たない。
近距離に持ち込もうとも、つるのムチが邪魔をする。
遠くに逃げようにもはっぱカッターはそれさえも許さない飛距離と威力を持ち、グラスミキサーが左右をふさぐ。
どこにも動けない。
全く、本当にウツボットは厄介だ。
「オーちゃん、はねやすめ!」
「させるものですか!」
少しでも距離を取って休もうとするオーちゃんの体を、ウツボットのつるは逃がさない。そのまま捕まえて、体力を搾り取ろうと締め付けだす。
先ほどのバトルの影響で、オーちゃんにはもう抜け出すだけの体力もない。
さらに、先ほどのはっぱカッターにどくのこなが塗られていたのか状態異常にもなっていた。もう長くは持たないだろう。
なら、最後のあがきだ。
「オーちゃん、からげんき!」
ただでなんて終わらせない。
その意気込みは彼も同じだった。つるを食いちぎり、ダメージを恐れず葉の渦へと飛び込んでいく。最大限のスピードで、体を回転させて、最後の気力をふりしぼってウツボットへとその身をぶつける。
「ようかいえき」
どろり、ウツボットの口から大量の液が突っ込んだオーちゃんへと流される。
ウツボットへのダメージがなかったわけではない。だがオーちゃんへのダメージが大きすぎる。
頭から被せられるようかいえきの重さに、オーちゃんがとうとう地に落ちた。じゅうじゅうと嫌な音をたてて、動かなくなる。
「戻って、オーちゃん」
「早く、ミーちゃんを出して」
お互い、最後の一匹。
場に幼なじみ二組が出揃う。
この瞬間をずっと待っていた。
「やっと本気のあなたと戦える」
「こんな楽しいバトル、初めて」
心が震えるようだった。
興奮で体の震えが止まらない。こんな一進一退のバトルは初めてだ。こんなに全力を尽くすバトルは初めてだ。
本気のバトルがこんなにも楽しいなんて!
「楽しもう、ミーちゃん!」
ミーちゃんのコアがピカピカと光る。
ごめんね、君にも長く迷惑かけたね。
「パワージェム!」
「グラスミキサー!」
二つの攻撃がぶつかり合い、土煙が舞い上がる。その中飛び込んでくるのは、ウツボットのつるのムチ。
避けることもできず、ミーちゃんは吹き飛ばされるがその損傷は少ない。
「……ミラータイプ」
「基本でしょ?」
タイプは変えるもの。
草タイプに水タイプは相性が悪い。その対策を練らないほどサツキだって馬鹿じゃない。
メーちゃんは、弱い攻撃力を水と氷の合わせ技で補った。ミーちゃんは、タイプ変化の技二種類を上手く使い分けて弱点を補う。
このくらいは当然にやらなければ。
「はっぱカッター、ベノムショック!」
「やり方雑じゃない!? リフレクター、ひかりのかべ、れいとうビーム!」
リフレクターではっぱカッターを、ひかりのかべでベノムショックをそれぞれ威力を軽減させる。そのうちにミーちゃんは空へと逃げきり、ウツボットへれいとうビームを撃ち込むもそれは軽々と避けられた。
はっぱカッターとベノムショックなんて、どくのこな含まれてますと言っているようなものじゃないか。
「スピードスター!」
「エナジーボール!」
エナジーボールを撃破しつつ、スピードスターがウツボットを襲う。どんなに逃げてもこの技は逃がさない。
逃げまどうウツボットに追撃としてスピードスターを追加して、様子を見る。ウツボットがただ逃げるなんてするわけがない。
スピードスターは地面をかすり削るようにウツボットを追いかけて、一緒になにか草を切っていく。
「気付くの早すぎですわ!」
「疲れてきたんじゃない、仕掛けが雑だよ!」
逃げていると見せかけて、ウツボットはくさむすびをしていたようだ。様子がおかしいから、どうせこんなことだろうと思った。
「あたしにそれは通用しないって、言ってるじゃん!」
ウツボットの体に無数の星が刺さり消えていく。さくさくした音にダメージがあるのかないのか読めないのが困りものだ。
サツキもユリカも、長いバトルにかなり体力を失っている。お互い息も切れはじめて、時々なんとか体を支えるような状態になる。
それでも力は抜かなかった。
このバトルに微塵も隙を作りたくなかった。
「こうそくスピン!」
「つるのムチ!」
ウツボットのつるを押し切って、ミーちゃんが激しく突っ込む。
その横から切り込まれるリーフブレードにミーちゃんがみずでっぽうをぶつけてその反動でまた距離を取る。
それを追うようにはっぱカッターが撃たれて、逃げきれなかったミーちゃんはコアにそれを受けた。だがミラータイプで草タイプになっているミーちゃんには大きなダメージにならない。
二匹は二人の幼なじみ。ずっと一緒に強くなってきた。
サツキとユリカがお互いを知り尽くしているように、ミーちゃんとウツボットもお互いをよく知っている。最大で最強のパートナー。
その実力の拮抗は、なかなか崩れない。タイプ相性の面でもお互いの技では大ダメージを与え切れないせいだ。
「…………」
「…………」
しばし、沈黙が流れる。
お互いがお互いを見つめ合い、息を整え、どうするのかを探る。
こんな時、相手の考えがわかってしまう。
どうするのか、どうしたいのか、どうするべきなのか。それはきっと相手も同じ。
均衡が崩れないなら。
もう、一発勝負。
「ハイドロポンプ」
「リーフストーム」
至近距離で、お互いの最大技が放たれる。
リーフストームはミーちゃんを巻き込み、ハイドロポンプはまっすぐにウツボットへとぶつかる。
技が途切れるまで、お互いは倒れなかった。
「…………」
「…………」
技が途切れても、お互いは倒れなかった。
サツキは呟く。
「れいとうビーム」
静寂の中、ビームの音がまっすぐに響く。
一瞬のことにウツボットもユリカも動かず、れいとうビームはそのままウツボットへと飛び込んでいった。
ハイドロポンプで濡れた体はいともたやすく凍っていき、ウツボットが氷のオブジェと成り果てる。その氷を破る体力は、もうない。
「――――」
静寂が場を包む。
勝負が終わった。サツキとユリカの息づかいだけがお互いの耳に届いてくる。どちらも動かず、動けないまま、じっと場を見つめる。
やがて、ゆっくりとユリカが座り込み、サツキはしっかりと背筋を伸ばした。
ぐっと力を込めて、拳を握って、叫ぶ。
「よっしゃぁぁぁああああ――――!!!」
こんな叫び声上げたことがない。
腹から声を上げて、興奮のままに叫んだ。
疲労と興奮に腕が震える。足ががくがくとする。汗があごをつたい、肌がびりびりとした。
こんなバトルは初めてだった。
こんなに楽しいバトルは初めてだった。
全力を出すことが、こんなにも疲れて、こんなにも楽しいだなんて、今までずっと知らなかった。
「勝ったぁぁぁぁあああああ――――!!!」
その興奮に、快感に、サツキはただ浸る。
ユリカの敗北に呆ける顔も気にせず、ただただ浸った。
気にしなくていい。勝負なのだから。もう気にしなかった。こんなにも楽しかったのだから。
一瞬落ち着いて、お互いの顔を見て、そして微笑む。
初めてユリカに勝った。
初めて、本気の勝負ができた。
「わたしの、負けだわ……」
「あたしの、勝ちだね」
座り込む彼女の腕を取って立たせる。
あんなにも強く大きな存在だと思っていたのに、勝ってみればサツキよりも背の小さな細身の少女だ。
こんな、ただ一つ年上なだけの彼女にサツキはどれだけいろんなものを背負わせていたんだろう。
「楽しかった」
「ええ、楽しかった」
勝敗の後腐れなく、二人は握手する。
バトルはこういうものだ。
こういうものだった。
なにを遠慮していたんだろうと、思う。
「ユリカ、今までごめんね」
「なにを謝るの。このバトルで全部くつがえしてくれたじゃない」
「ううん、あたし謝らなきゃ。ユリカにすごく失礼なことした」
目を逸らさないでサツキは語る。
ユリカに勝ったら、ずっと謝らなければならないと思っていた。リーグのことを。
「あの日……ユリカの負けた姿を見て勝手にショック受けて、勝手にバトル歪ませて……あたしすごく失礼なことした。ユリカのこと大きな存在に見すぎて、同じ子供だってことたぶん忘れてた」
「そんなの気にしなくても……だって、あれはわたしが負けたからいけないのよ。わたしは強くなくっちゃいけないのに」
「なんで自分のせいにするの!? 今回のことは、全部あたしが悪いの! あたしが、臆病で恐がりで、おかしな矛盾勝手に抱え込んだだけで、それをユリカをきっかけにしちゃっただけで、ユリカはなにも悪くない!」
気付いてから、ずっと言わなければならないと思っていた。
サツキだけが前に進んでも、ユリカはきっと立ち直れていないと思うから。あの日立ち止まってしまったのは、ユリカだって同じなのだ。
サツキはユリカを肯定しなければならなかった。
「あたしは、あの日、ちゃんとユリカを受け止めてあげなきゃいけなかったの。なのにあたし、ショックでユリカのこと受け止めてあげられなかった。そのせいでユリカ、三位決定戦全力出せなかったんだよね?」
ユリカは四位だった。
本来なら、三位決定戦で負けるはずのないユリカなのに、その実力差もしっかりサツキはわかっていたのに、ユリカは負けた。準決勝での敗北を引きずったせいだ。
それを引きずらせたのは、敗北したユリカをサツキが立ち直らせてあげられなかったせいだと、確信していた。
「なに言ってるの、わたしはそんな柔じゃなくってよ」
「馬鹿、シロガネ山より高いプライドしてるくせに! リーグで負けてすごく辛かった癖に! そのくせ、お父さんにもお母さんにも泣きつけないくらい甘え下手なくせに!」
ユリカは極度にプライドが高く、そのせいでいつも余裕ぶる癖がある。甘えるのが下手なのだ。甘えたいと思っても口に出せない、それを察してあげられるのはサツキしかいないのだ。
その役割をサツキはあの日放棄した。
「あたしがユリカのこと受け止めてあげなかったら、ユリカは一体誰に甘えられるっていうの!? あたしのせいなの。あのときあたしが泣いて、ユリカ自分でしっかりしなきゃとか思っちゃったんでしょ! だから、だから吹っ切れなかったんでしょ……ごめん、本当にごめんね……!」
あの涙を受け止めてあげられなかった。それは負い目だったのだ。
ユリカが負けた姿を見せてしまったことを、サツキがショックを受けたことを負い目に思っているように。
「ユリカだって普通の子供なんだってこと、あたし忘れかけてた……。負けることもあるし、泣いちゃうこともあるよ。それにショック受けるなんてあたしほんとサイテーだと思う。ずっと謝りたかったの。ごめん、ごめんね」
「……全く、先に言いたかったこと全部言っちゃうから、わたし何言ったらいいのかわからないじゃない」
ユリカが少し泣きそうに、サツキにもたれかかる。
肩に熱を感じながら、そっとその背中に手を回した。大柄なサツキに対して、ユリカは鍛えているのにずっと細い。
こんな細い体に、サツキはなんて重いものを乗せていたんだろう。分かちあうのが親友なのに。
「あのね、わたしは気にしていないわ。むしろ気付いていなかった……いつもわたしが弱ってることに気付くのはあなたが先で、言われた頃には立ち直らされてるから本当に自覚ないのよ。だから謝らないで。
それに、そんなことよりあなたがやっと本気で立ち向かってくれたことが嬉しい。わたしよりずっと強くなるって思ってたのに、あなたなにかに引っかかって全然実力を出せないんだもの」
「ごめん、でももう大丈夫。悩んでるのが馬鹿馬鹿しくなっちゃったから」
メルに言われた、馬鹿馬鹿しいの言葉の通り、本当に悩んでいるのがおかしなことだったと、全力で戦ってみて初めて実感する。
歪む前から、自分のために、自分のためだけに勝利をつかんで相手を蹴落とすその行為に複雑なものを感じていた。そんなものは気にしなくていいのだと、気付くのになんて時間がかかったのだろう。
「長かったわね」
「時間かかってごめんね」
ユリカはその間、サツキを怒りはしなかった。
怒ったところで深みにはまるばかりなことくらいわかっていたのだろう。でも馬鹿馬鹿しいとは言えなかった。ユリカはバトルが好きだから。
だからずっと、停滞していた。
本当に長かった。旅に出てから急速に動き出した時間に戸惑ってしまうくらい。
「旅の向こうに、答えはあったでしょう?」
「うん、あった。でももう一つ見つけなきゃ」
そっとユリカの体を離して、目を合わせる。
バトルに向き合えたから終わりではない。リーグまであと一ヶ月ある。その間にサツキはもう一つ道を見つけなければならないのだ。
――ポリシーを持ってるやつだけがプロになれるの。あなたはそれを意識したことがある?
――臆病なことはいいことだ! お前のそれは、武器になるぞ。
その答えを。
「ユリカ、あたしに格闘技を教えてほしい」
「えっ?」
唐突なお願いに、ユリカが豆鉄砲でも食らったような顔をする。
もう一歩進もうと思ってから考えていたことだ。サツキはバトルスタイルをまだ確立していない。だが理想型は存在する――その実現のために、ユリカの力は不可欠なのだ。
「あたしね、バトルスタイルを変えたいの。今みたいにポケモンの後ろから指示するだけじゃない――ポケモンたちと一緒に、戦いたいの! そのためにはまず自分が鍛えないといけないと思う……だからユリカ、あたしを鍛えて!」
ニビジムで、ピーちゃんを守ろうと岩なだれの中突っ込んだように。
ハナダジムで、ミーちゃんたちと共にプールに潜り込んだように。
クチバジムで、絶縁グローブを使って電撃から庇ってみせたように。
バトルしてくれるポケモンたちを、もっと側で支えたい。自分も一緒に戦いたい。
それがサツキの理想型。だが実現するには実力が低すぎる。
ユリカは細身ながら格闘技の大会で優勝をほしいままにするほどの実力者。彼女なら、その理想をわかって協力してくれると信じていた。
「お願い、ユリカ!」
「……言っておくけど、手加減はしませんわよ?」
「体力には自信があるよ」
「泣こうが喚こうがやらせるから」
「望むところ!」
ユリカの顔が、自信家で強気で雄大な彼女のものになる。
弱っていたのが嘘のように、気高く強くなる。
――君のそんな姿が好き。
「ならついてきなさい、すぐに始めましょう」
「押忍!」
大好きなユリカの背中を追って、サツキは一歩先の未来へと踏み出した。