Day5

画面で細かく推移する株価を睨みながら、マサミはコーヒーをすする。仕事は一段落していたから、やることと言えばメルの弟を探すことと株取引くらい。しかし、医者の知り合いに相談を片端からするも断られていて、次はどう探るかと悩んでいるところだった。

守秘義務の重い医者たちから情報が引き出せないのは薄々わかっていたが、こうもひっかかりがないと困ってしまう。看護師の方が口は軽いだろうが、女とわざわざ自分から接触するような趣味はなかった。仕事の都合上、寄ってくる女はIT企業系職員ばかりで、医療機関の女がいないのもあったが。

どうしてこんなことをしているのだろうと、たまに振り返って不安になる。女が嫌いなのにメルを家に招き入れて、そのせいで不安定になって、傷付けては自己嫌悪して、それでも頼まれた仕事をやめられない。

メルはあれだけマサミに当たられても気にせず働いている。神経のずぶとい女だと呆れるほどだが、そうしてまでも弟を探したいのだと彼女の働きを眺めていると思う。他人に興味がなさそうな彼女が、そんなに探す弟がどんな人間なのか、気にならないわけでもなかった。

しかし、行き詰まった。頭を抱えていた時、マサミの携帯が無機質に鳴る。仕事の相手ではないーー仲の良い医者の名前だった。

「はい、ソネザキです」

『ああ。マサミくん、今大丈夫か』

「ええ。どうしましたか」

色違いポケモンのコレクター仲間の一人。ジョウトの方で働いている彼はマサミの暇を確認すると、話を続ける。

『以前、アントワープって子を探してるって来ただろう』

「なにか知っているんですか?」

『いや……ただ、表社会に出られない祖父っていうのが引っかかってね』

曰く、裏社会の息がかかった病院というのに心当たりがあるという。加えて、メルの話から察するに祖父は裏社会のボスクラス。そんな人間が孫を預けるならば、このあたりだろうと病院の名前を教えてくれる。

『そこは裏社会と繋がっているって噂を聞く大病院だ。重い病気も対処できるいい医者が揃っているし、機材も常に最新式。……そこは私立でね。エンジュのあたりでそういうところは、僕はここしか知らない』

「なるほど、ありがとうございます」

『だが……あまり深追いをしない方がいいぞ。ロケット団の息がかかっている可能性が高いからな。その子供の立ち位置によっては、知っただけでも消されかねない』

「……ええ」

忠告に、マサミはそっと頷く。

ロケット団。マサミも過去に被害を受けたことがある。当時まだロコンだったキュウコンと一緒に攫われそうになったのだ。色違いは高く売れるし、マサミも顔が整っているのでそのまま売ろうとでもしたのだろう。その日はたまたま叔父が来ていたからなんとか対処してもらったものの、両親もマサミもバトルはできないから叔父がいなかったらあのまま売られていただろうと想像するのは容易だった。

次に狙いを付けられたら、それこそ終わりだ。マサミも覚悟はできていたし、そんなヘマをするつもりはなかった。

ありがとう、と告げて電話を切る。一つあてが付いた病院をハッキングできれば、後は顧客情報から弟の住所が割り出せるに違いない。それまでもダミー情報だったら仕方がないが、病院から連絡が取れるようにはしてあるはずだ。

ーー病院から割り出すなら、まだ向こうに気付かれる心配もないやろ。

該当の病院を探し出す作業に入る。上手くいけば今日中に対処が出来るか。

そう望んだ時、ふと監視カメラに目が止まる。台所でメルが食器を洗っている中で、他に人間はいないはずなのに。

誰かが、リビングに侵入していた。

+++

マサミに付きまとう女らしき存在に目を付けられてから、しばらく。

あれから特に動きはない。常に警戒はしているし、マサミの目に触れないようにまめに不審な郵便物がないか確認もしているが、やはり何もない。飽きたのか、もしくは諦めたのか。直接来てくれた方が対処が楽なのに、こうも警戒し続ける必要があるのは少し疲れてくる。

ただ、犯人がメルのことをはっきりと見たのかもしれないな、とも思う。よくわからないが、メルは女避けとしても非常に優秀らしい。カケルから定期的にメルのせいで彼女に逃げられたとよくわからない苦情が来ていたのを思い出す。もしもそうならば気が楽で良いが。

とはいえ、マサミの周囲から女の匂いが消えたわけでもない。マサミがメルと同じなら、きっといつまででも気が抜けないままだろう。

食器を洗いながら、そう思考する。

洗剤のせいで手が荒れると溢してから置かれるようになったビニール手袋を遠慮なく使って、食器を洗うのはそんなに大変なことではない。元々マサミがさして食事をしないからだろう、一人分の食器はとても少なかった。

きゅ、と洗い物を終えて水を止める。洗濯物は干したからあとは掃除か、と踏み台を降りたところで、玄関の方からガチャリと音がする。

「ーーーー!?」

誰かが入ってくる。マサミと自分以外いないこの家に。

それを理解した瞬間、ぶわりと危機感がメルを襲う。襲われるとしても、せいぜい外だろうと思っていたが、まさかピッキングまでしてくるような相手なのか。

急いでリビングまで走り、メルはその場にニドキングを呼び出す。

「ただいまー……」

「ニドキング、侵入者を排除しろ!」

「え!?」

入ってきたのは母よりも少し年上そうな中年女性。柔らかな茶色の髪を揺らして、女性は慌てて外に逃げる。

害意はないか。しかし、見かけに騙されると痛い目を見るのはこちらだ。これ以上一歩も中に入れるわけにはいかない。そんな警戒心からニドキングを下げることなく、メルは続けた。

「何をしに来た、帰れ!」

「え、え!? 待って、誰!?」

「こっちのーーーー……っ」

台詞だ、と続けようとしたとき、いつの間にか来ていたマサミがすっと前に出る。

その目は初めメルを見たときのような殺意を持っていた。

「何しに来た、お袋」

お袋。その言葉を繰り返す。

マサミの母親か、と飲み込んで女性を見ると、立て続けに怒鳴られた彼女は困り果てたような様子で身を竦めている。よくよく見れば、顔立ちが似ているように見えなくもない。マサミの母と言われれば納得するような美人だった。

マサミは地を這うような声で、もう一度繰り返す。何しに来た、と。女性はそれにおそるおそる応える。

「な、なにって、元気にしてるのかなって……ご飯ちゃんと食べている? また少し痩せたでしょう」

「余計なお世話や。ここはもうお前らの家ちゃうやろ、そもそも鍵も返せって散々言ってるやんけ」

「一人でちゃんとしてるか、見に来るのは普通でしょう? それに、その子は一体」

「うるせぇ、お前には関係ない」

刺々しくマサミが噛みつくのに、女性は困りながらも食い下がる。しかしマサミの方が話を聞く気がない。メルの時でもここまで酷くはなかったのに、一体なにがあったのか。不思議に思いながらそっとニドキングと二人後ろに下がる。

親子間の話に首を突っ込むつもりはなかった。空気になろうと、メルは掃除道具を取り出してしまう。それにも構わず、二人は口論を続ける。

「心配してるのよ、生活は荒れているし、それに……あまりいい女の子と遊んでいないでしょう」

「あ゛?」

「それくらい、お母さんにもわかるんだから。その上そんな小さな子まで」

「うるせぇ、女なんか大嫌いや! お前も、そいつも、みんな! 出て行け!!」

悲鳴と怒号、どたどたと床を踏みならす音。それらが混じって、メルの気分を悪くする。無視をしようにも掃除が手に付かず、やがて女性を追い出したところでそっとメルは様子を伺う。

「ねぇ、今の人……」

「お前には関係ない、次に来たら追い返せ」

ぴしゃりと言うと、マサミは部屋に戻ってしまう。こうなるともう出てこないだろう。

メルには関係がない。まさしくそうだ、彼の親子関係などどうでもいいことだ。

しかし。少し気にかかることがある。

ーーあまりいい女の子と遊んでいないでしょう。

ーー女なんか大嫌いや!

矛盾した事象。女が嫌いと言いながら女の匂いを纏わせ、メルを雇い入れ。だが彼の憎悪が本物らしいというのはぶつけられていれば分かる。

異性から悪意や欲望をぶつけられる身として、彼のことをあまり他人事とは思えなくなっていた。

「…………」

それに、あまりこういう状況が続くとメルの体調にも響く。メル自身が気にしていなくてもメルの体はいつもはっきりとストレスを訴えるのだ。マサミの態度も、マサミを取り巻く女の匂いも、変化に弱いメルの体調に強く影響する。

マサミの問題は、メルには関係のないことだ。

だがメルには環境を整えなければいけない。満足に生きていくために。

「……待って、キュウコン。少し頼みたいことがあるんだが」

追い出された女性とマサミを見比べて、うろうろとしていたキュウコンを呼び止める。彼はメルを認めると、そっと耳を寄せた。

ぼそぼそと小さな声でキュウコンに耳打ちすると、彼はきゅうと小さく返事をする。それから、乞うように一つメルに頭を擦り付けた。

キュウコンはおそらく、マサミを救ってくれる人を求めている。

「……キュウコン。わたしになにができるかなんて、知らないぞ。わたしは、生きるだけが精一杯なんだから」

あまり期待するなよと釘を刺して、メルは静かに玄関へと向かう。こちらでなにがあってもいいように、サイドンを一匹だけ残してそっと家を抜け出した。

まだ間に合うはずだ。女性はそう遠くに行っていないはず。

ジバコイルに乗って、女性のことを探す。メルを警戒しているマサミから聞くのは悪手。家捜しをして変に思われるのも困る。だとすると、彼について知るならば母親から聞くのが一番いい。

マサミの精神状態に引きずられて、メルまで倒れるのは御免だった。

「……いた! ジバコイル、降りて」

ジバコイルで飛ぶこと数分。ハナダシティへの道を、女性はとぼとぼと歩いているところだった。

あまり時間はない。手っ取り早く済ませようと、メルは女性の前に降り立った。

「きゃあ!?」

「こんにちは、話を聞きたいのだけど」

「あ、あなたは、さっきの……!」

「マサミについて聞きたいの。あなた、お母さんなんでしょう?」

+++

突然空から降りてきた天使のような少女に、ナナミは混乱したまま道の端へと連れて行かれる。デートスポットと名高いこの場所で、川辺へと少女と二人きりでいるのは年甲斐もなくドキドキとしてしまう。

ポニーテールに結った緋色の髪は白磁の肌と鮮やかなコントラストを映し出し、華奢な体を黒のゴシック調のコートに包む姿はまるで堕天使のよう。さきほど降りてきたのも相まって、そんな印象を思ってしまう。

銀の目は見知らぬ中年であるナナミを臆面もなく映し、形のよい唇は、先ほどと同じ問いを繰り返した。

「マサミのことを知りたいの。なにか知らない?」

「あの……ま、待って。あなたは? どうしてあの家に?」

「アルバイトよ、彼に頼み事をしているの。わたしのことは今はいいわ」

名前さえ名乗らない彼女は、傲慢にマサミのことを聞く。

アルバイト。まだ幼い子供なのにと思いながら、マサミのことを想う。二人の間になにがあったのか、ナナミにはわからない。ここ数年の息子の考えは、ナナミにはなにもわからなかった。

「どうして、マサミのことを私に……?」

「彼の背景が知りたいの。マサミが不安定だとわたしにも影響があるし、彼を取り巻くものがわたしにも害なら、対処をしないといけないわ。何故彼は女を嫌うの? それが知りたいの」

「息子に聞いたら……」

「人のトラウマを直接聞くほど悪趣味じゃないわ」

嗅ぎ回るのも悪趣味だけれど。そう彼女は付け加えて、じっとナナミを見る。全てを暴き出そうとする、その目に見つめられるとなんだか落ち着かない。

ナナミは、なにも知らなかった。彼が大学に通っている頃なにかあったこと。それくらいしか。よくない女の匂いの付き方というのも勘でしかない。マサミが不安定なのは反抗期だからと大きく考えてこなかった。

だがそれを、少女にそのまま話すのは母親として気が引けて、言葉が上手く出せない。

「マサミは……。……どうして、それをあなたに話す必要があるの? 名前も教えてくれないのに」

「……マサミはわたしを知っていたけど、あなたは知らないのね。マサミはお母さんとも知り合いだったのに」

す、と少女の目が細められて、それからフェルメールと小さく名乗る。メルと呼ばれる、と言うその名前を聞いてから、初めて彼女が何者か察しが付いた。

たしか、ブルーという女の子。グリーンと同じように図鑑所有者として活躍をしたーーだがそれしかナナミは知らないーー彼女の娘が、そんな名前だったことを思い出す。あまり面影がないから、ナナミには検討も付かなかった。聞くだに壮絶な人生を歩んできた彼女に、こんなに大きな娘がいたのかと、知り合いでもないのに感慨深くなる。

「それで」

「え?」

「名前は名乗ったわ。彼にはなにがあったの? 元からああだったの? ……元からとは、あまり思えないんだけど」

彼女の言葉に思考を戻される。

マサミが、ああなった理由。彼女の言葉はどうにも抽象的で意図を汲みきれない。反抗期に理由もいるのだろうか。だが多感な年頃だから、なんて言葉は彼女はきっと求めていなかった。

「反抗期じゃ、ないかしら。大学から戻ってくる頃には、あんな感じだったから……」

「あの毎日違う女の匂いも、その頃から?」

「……え」

「それまで、女から異様な手紙とかは、なかったの?」

「……なんのことを言っているの?」

毎日違う女の匂い。よくない付き方とは感じていたが、それではまるで。よぎった想像に母として顔が曇る。

人懐こい素直な子供だった。人付き合いの多い方ではなかったけれど、勉強もよくしたし、従妹のことをよくかわいがる面倒見のよさもあって。色違いポケモンたちを守ってあげるんだと、まっすぐな優しさも持っていて。

そんなあの子が、まさか。毎日違う女の匂い? 女からの異様な手紙? そんなものナナミは知らない。そんなことをする子ではなかった。たとえ、今は反抗期で少し擦れていたとしても、そんな。

自身のショッキングな想像に、ふらつくナナミを少女は納得の行かない表情で睨む。

「……なにも知らないのね?」

「…………まさか、あの子」

「女を嫌って、女に怯えて、女から異様な執着を向けられるその恐ろしさをーーあなたはなにも知らないのか。母親なのに」

母親なのに。そう突きつけられたナイフに胸が痛い。

少女は信じられないといった様子でナナミを睨み付けて、続ける。

「変だと思っていたんだ。一人で住むような大きさじゃない家も、明らかにあと二人はいたはずの痕跡も、見たこともない両親も。その様子じゃどうせ父親だってマサミのことを知らないんだなーー誰も、マサミのことを守ってこなかったんだな!」

ぐさり、とナイフが刺される。

踵を返す少女を見つめながら、ずるずると腰が抜けていく。待ってという言葉も出せないで、伸ばした手は空を掴む。

もう少しその話を聞かせて。そう口に出来ないまま、目に入った腕時計がもう戻らないといけない時間になっているのを無情にも知らせた。