理想の人
「ユリカ様、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」
しっかりと着付けられた振り袖姿の前で、使用人や親戚、領地内に住む者たちが一斉に頭を垂れる。
かつてはタマムシシティの領主、そして現在に至っても町の多くを支配する名家。その跡取り娘ユリカの十三歳の誕生日を今日迎える。
九月十六日は毎年、仕える者たちや親戚がこれでもかと言うほど大広間に集い、ユリカの健勝を祝って酒を飲む。父や母の誕生日でも似たようなものだが、未来を担うユリカの誕生日は彼らの重大なアピールの日だ。だからなのだろう、彼らは必死になってユリカの機嫌を取りに来る。
「昨年もまた大会で優勝をされ、ご健勝で嬉しく思います――」
「背も伸びさらにお美しくなられましたが、そろそろ許嫁を考えてみては――」
「それならばあそこの息子は――」
「いやうちの倅なら――」
ユリカそっちのけでやいのやいのと騒ぐ爺衆に呆れながら、ユリカは膳の食事に手をつける。
――許嫁だなんて、くだらない。私に釣り合うだけの男が用意できると思っているのかしら。
ユリカも成長期にさしかかってから、この手の話題が本当に増えた。子どもをユリカの夫に添えて権力を手にしたいのだろうが、そもそも両親が恋愛結婚なユリカには唾棄すべき話だった。大体、結婚どころか恋愛にすら興味がない。
将来、家を継ぐ以上は結婚をするのだろうが。しかし、ユリカは文武両道の才女である。バトルも強ければ気も強く、それに張り合えるだけの男がこの親戚連中にいた記憶はない。そんな許嫁お断りだった。
「まぁまぁ。ユリカはまだ十三ですから、そんな早い話はいらないでしょう」
「しかしエリカ様、いつかは必ず来るのですよ」
「でも、ユリカが選ぶことですもの」
母が緩やかに断ると、そこで喧しかった爺衆が黙る。自分の名前が出る度にびくびくとしていた息子たちも興味を失ったように顔を食事へ戻した。
――結婚。
まだ急かされる歳でもないのに、そうも言われると意識してしまう。隣で父がこっそりと気にしなくていいからと言ってくれていても。
もしもするなら、どんな人がよいのだろう。
ふと父を見る。元は一般家庭で育った父は、苦労を承知で婿入りをしてきた。今でも親戚連中からよく思われていないことをユリカさえ知っているが、それでも嫌な顔一つせず、母のことを支えている。そんな人に、ユリカは出会える気がしない。
少なくとも、親戚にはいない。
世界のどこかにはいるのだろうか?
ユリカの心当たりは一人しかいなかった。
+++
宴席はユリカが退場したあとも続いた。
子どもであることを理由に早々に席を立ったユリカのことを気にもせず、ただ騒ぎたいだけの爺衆に呆れながら長く着ていた振り袖をほどく。
誕生日なのに跡取り娘として接待をしなければいけない身分は楽じゃない。前日にきちんと祝ってもらってなければユリカとて暴れたくなるほどのストレスだ。
緩い長襦袢に着替えれば、思わずため息が零れる。慣れていても宴席は苦手だ、好き勝手言う爺衆の相手も婆衆の相手も好きじゃない。子どもたちとは話も合わなければ立場も合わない。義務と慣習さえなければ、やりたくもないものだった。
さっさと寝てしまおう。敷かれた布団に足を踏み入れた時、ユリカ様、と静かな声が部屋に入った。
給仕とは違う、子どもの声。高いような、低いような、よく聞きなれた彼女の声にユリカはくすりと笑って声をかけた。
「お入りなさい」
すっと襖を開けたのは、家で浮かないためか青の着物を着たサツキだった。わざとらしく礼をしたあと、彼女はすっくと立ち上がってユリカに駆け寄ってくる。
「ユリカ、誕生日おめでとう!」
「来てくれたのね」
「疲れてるかなって思ったんだけどね。えへへ、来ちゃった」
覆い被さるように抱きついて、サツキは笑う。少し伸び悩んでいるのを気にしている彼女だが、すっかりユリカを追い越した背は、成長期が来たくらいでは一瞬だって追い抜けていなかった。
サツキと誕生日記念に遊ぶのは明日の予定だったが、待ちきれなくてと彼女が言い訳する。
「毎年誕生日当日には会えないでしょ? でもやっぱり誕生日に会いたかったから来ちゃった。一緒に寝るだけ。だめ?」
サツキは優しい。
ユリカが疲れているのを見越して、だから来たのだろう。ユリカと同様に大地主の孫娘として親戚付き合いに翻弄される彼女にはユリカの立場がわかってしまうのだ。
だがそれを言わないで、自分が来たかったと言い訳して。甘えるようにねだるサツキの髪を撫でる。風呂まで済ませてからわざわざ来てくれたらしい、彼女からは甘いいい匂いがした。
ユリカが結婚をするなら、自分と張り合える人がいい。そんな理想とは別に、父を思い出すと、サツキのようなユリカのために動いてくれる人がいいなと、思ってしまう。
家のために動くのは自分だけでいい。結婚するならユリカのために動いてくれる人がいい。家のために苦労する母を見ていると、自然とその隣にいるのがしがらみのない父でよかったと思えるのだ。
「ユリカ?」
「ううん。来てくれて嬉しいわ。一緒に寝ましょう」
「よかったあ」
そんな思考は伝えずに、ただ謝意を伝える。
今は結婚なんてどうでもいいから、サツキがいてくれれば十分だった。