スオウ島 その4

カケルが翌日帰ってくると、場の空気は暗鬱としたものだった。

オーカは隅で膝を抱え込んでしまっていて、メルはそれを励ますことなく平然とポケモンの世話をしていた。

予想は大体つく。

「おいメル、お前なにを言った」

「大したことは言ってないけど」

元凶だと断言できるトラブルメイカーの妹分をオーカから遠くに呼び出す。

大したことは言ってない、ということはなにか言ったのはたしからしい。

詳しく聞いてみると、オーカに対して「ポケモンのことがなにも見えていない」と発言したと言う。

頭を抱えざるをえない。ただでさえふさぎ込んでいるあの小さな子供にそんな追い打ちをかけるようなことをしたら本当にバトルをやめかねない。

「お前、そんなことを言ってあいつが全部諦めたらどうするつもりだ!」

「諦めるんならその程度なんだろう」

メルはいけしゃあしゃあと言ってのける。

「そのままトキワの能力を腐らせてたらいいんじゃないか」

「お前、あいつに頼りたいんじゃないのか」

「頼りたいけど時間がない。あと五日あの調子ならわたしはここを出てグレンに行くぞ。だから焦ってくれないと困るんだ」

メルにとってオーカがバトルを続けるかやめるかは関係ない。ただ能力のコントロールができるようになってくれさえすれば、メルの目的は達成できる。

その利己主義というか合理主義というか、自分の都合のためだけに世界を振り回すことにためらいがない態度は常々感心してしまう。

「大体、時間がないのはあっちも同じ。ここでうだうだしているようなら、どのみちリーグまでにバッジを集めるのは間に合わない。なにか間違ってる?」

「本当に、感情ってものを全部無視してみせるよな……お前……」

カケルは大きなため息をついて、隅でうずくまるオーカの小さな姿を見る。

どう声をかけていいのかもわからない。カケルは能力のほぼない人間だ、能力に頼りすぎている状態がわからない。

前提として、『オーカは能力をコントロールできず、それに無自覚なせいでバトル中にも能力を使ってしまっていた』としていた。

だがメルの言葉を信じるなら、この前提も逆かもしれない。

メルは人に対して興味がない。だからこそ、恐ろしく鋭い観察眼を発揮してみせる。それを信頼して彼女の言葉を組み込むなら、こうなるか。

『オーカは能力に頼りすぎていてそもそもコントロールができる状態になく、ポケモンに対する行動、言動全てを能力を介して行っている可能性がある』

コントロール以前の問題。能力を理解して、それを操れるように意識を向けていくつもりだったが計画そのものを見直す必要が出てくる。

オーカがあと数日で、どこまで己と能力とポケモンに向き合えるか、ただそれだけが問題となってしまった。

+++

起きてから、ずっとオーカはじっとしていた。

目の前にはヤドキングが、なにを言うでもなくオーカを見下ろしている。その姿は昨日の夕方、メルによって得たものだった。

ヤドすけは、出会ったときから思考が読めないポケモンだった。

それまで会話のできないポケモンなんていなかったのに、ヤドすけだけは、鳴き声しか聞こえなかった。

だから、進化を拒む理由もわからなかったし、ヤドすけがどうして自分についてくるのかも、今何を考えているのかもわからない。

とぼけた顔で自分を見下ろすヤドすけが、今オーカに対してどう思っているのかが、わからない。

――自分で考えるってことをしてこなかったんだわ。

メルがオーカに向けて言った言葉が響いて止まない。

その通りだった。

ヤドキングの考えていることを、進化を拒む理由を、考えたことなどなかった。いつも聞こえてくる声だけを見て、行動を見てこなかった。

「ヤドすけ……怒ってる?」

虚ろに呟くその言葉に、ヤドすけは返さない。

ただなにも考えていないような無表情でオーカを見下ろしている。

ヤドすけの言葉を、オーカは聞いたことがない。それがどうしてなのかを、今まで考えたこともなかった。

力に頼りすぎて、自分で見ることも考えることもしてこなかった。

コントロールができないのは、自業自得だった。

「……オーカ」

「カケルさん…………」

低く洞窟内に響く男の声。

家で着替えてきたのだろう、じゃらじゃらとシルバーアクセサリーをつけた不良然とした格好のカケルがそこにいた。

格好の軽薄さとは裏腹に、カケルはオーカを優しく見下ろす。

「またメルがなんか言ったんだろう。悪いな、気の使えないやつなんだ」

「いえ……言ってもらえなきゃ、わからなかったので」

どっかりとオーカの隣に座るカケルは、太い腕をオーカの肩に回す。

まるであやすように自分へと体重をかけさせる動作に、ほんの少し荒れた心が落ち着いた。やや雑なところが、父や従兄を連想させる。

「でもあいつが責めてるわけでも、お前をいじめたいわけでもないことはわかってくれ。嘘はつかないんだ」

「はい…………」

「それで。お前は聞いてどう思った」

ぐりぐりとオーカの頭を弄びながらカケルは問う。

「…………僕はやっぱり、トレーナーをやめるべきですよね…………」

ずっと、考えている。

カケルに考えすぎだと言われても、やはりそう思っている。

バトルに対して、無意識に不正を行っていただけならば、まだよかった。だがオーカの罪はそれよりも深い。

ポケモンを見れていない人間が、トレーナーなんてするべきじゃない。

これから繰り返さなければいいなんて、そんな軽い問題ではなくなってしまったのだ。トレーナーを名乗ることさえ許されない人間だったのだ。

力が嫌いと、泣いて嫌がったそれがなければなにも見えないだなんて。

なんて皮肉なんだろうと思う。

どうしてこの力は、自分と切り離せないのだろう。

どうして、自分の元に来てしまったのだろう。

「ポケモンたちに申し訳ないんです。ちゃんと向き合えてなかったなんて、力ありきでしか僕はあの子たちを見れてなかったなんて、きっとみんな気付いてたはずなんです。

でも誰も教えてくれなかったのは、みんなきっと、優しかったからで、僕はそうやって気を使ってくれてたあの子たちの想いになにも気付けてなかったんです。

きっと今も理解してないんです、だって僕は、ヤドすけの考えていることがやっぱりわからないんです…………!」

わからない、で止まってしまう思考。

今こうしている間も能力がヤドすけに対してコンタクトを行っていることにも気付いている。

それを止める術もわからず、その方法を考えようともせず。

そんな、怠惰なのが、自分だ。

「わからないなら、理解しようとすればいいだろう。なんでそうすぐにやめるって言い出すんだ」

「んぇ」

ぐに、と頬を捕まれる。

「まだ十歳のガキのくせに、悲観的すぎるんだよ。人間いくらでも変われるんだぞ。そう思えるなら、今度はどうしたらいいのか考えるんだ」

「ううぅ」

「ほら、どうしたらいいと思う」

優しく促す声。

とうに涙声になった声で話すのは嫌だったが、言葉になっているのかもさだかでない声を、懸命に絞り出した。

「みんなと、もっと、むきあいたい……です」

「なら、そこから始めるか」

無理矢理顔を上げさせられ、カケルに乱暴に涙を拭かれる。

「ポケモンたちを見れてないから、それを能力で埋めているんなら、見れるようになればいらない能力は勝手にコントロールもされるだろう」

「…………」

「俺が使えるようになったのは、そういえば感覚全部をトキワの能力に明け渡してからだったしな」

何度も何度も、大きな腕で背中をさすられていると、少しだけ気分が落ち着いてくる。

ヤドすけは一連のやりとりに、やはり表情を変えないままだ。彼は、オーカをどう思っているのだろうか。

だが、見ることを意識すると。

品定めを、されているような気がした。

「バトルもトキワの力もそうやって簡単に嫌うな。その力は、今までもこれからもお前の大部分を構成するものなんだから。自分を嫌うのはよくない」

「…………」

「大体、リーグ目指してる奴が、そう簡単にバトルなんかやめられるか」

軽々と立たされて、ヤドすけと向かい合う。

――自分を嫌うのはよくない。

ヤドキングはそれを肯定するように、自分を見ている。

「…………まだ、間に合うかな」

君を理解するのは、まだ間に合うのかな。

これから理解しようとしても、みんなは許してくれるかな。

問いに、返事はない。

しかし、繋いだ手から温かな感情が伝わってきたのがわかる。

初めて、ヤドキングが能力を介して想いを伝えてくれた。

「うん。……これは最後のチャンスなんだね」

鈍いオーカにもわかる。

このヤドキングが、想いを伝えたということは、きっと二度と能力を介して伝えることはないということだ。

そして、これで理解をできなかったら、きっとこのヤドキングは自分の元から去ってしまうだろう。

「僕、がんばるからね、がんばるからね…………」

+++

やるべきことを見いだして、無理矢理朝ご飯を食べて。

一息ついたところでカケルが宣言する。

「よし、遊ぶぞ」

「?」

「なんで?」

カケルが唐突に言い出したことに、オーカとメルはきょとんと顔を見合わせる。

「ポケモンをまともに見れてないってことだと、バトル以前の話になってきただろう。手持ちがどんな性格なのか、能力を使わないで見るべきだ」

「それで、遊ぶ…………?」

「普段どんな行動を取っているのか。その行動はどういう考えでしているのか。きちんと観察することが今のお前の課題だ」

ポケモン一体一体に、行動に癖はある。

ビーすけは甘えん坊で、褒めてもらうともっと張り切り出す。

フシすけはしっかり者で、オーカも見えていないところをうまくカバーしながら動いてくれる。

ピカすけは少しお調子者で、調子にのってくると必ず失敗する癖がある。

ゴーすけは甘えん坊だけど、定期的に褒めないと拗ねてなにをするかわからないところがあるし、ディすけは細かいところをなにも見ないから、オーカが周囲に気遣っていないといけない。

ヤドすけだけは、わからないけれど。

そういったオーカの評価は、全て対話してきて思ったものだ。態度だけを見るとまた変わってくるかもしれない。

「性格はわかるだろうが、全て能力に頼って行動を見ていなかったとしたら、多分“動きの癖”はお前はわからないだろう。動きの癖まで把握してバトルを組んだ方が効率もいい。まずは、手持ちの性格と癖と行動原理についてきちんと観察するんだ」

「……バトル以前の話だから、遊ぶ、ですか」

「お前の悩みは、バトルだけの話じゃないだろう」

日常生活でも、バトルでも。

能力を可能な限り使いたくない。コントロールをしていたい。

それがオーカの悲願だ。

だからこそ、遊んで日常生活からコントロールを覚えようと、そういうことなのだろう。

「今は能力によって穴を埋めているなら、その穴を自力で埋められたら不要な能力を使うことも減ってくるだろう。能力を使ってない感覚は、昨日覚えさせたはずだ」

「はい……」

「あとは、気分転換ってところね。気分が塞いでたらバトルもできないし」

「塞がせたのはどこのどいつだ」

しらなーい、とメルがそっぽを向く。

彼女の態度は今まで通り、まったく淡泊な態度でオーカに放った言葉さえも本当にあったのかわからないほどだ。

カケルの、責めているわけではないという言葉は、きっと真実なのだろう。メルにはオーカを責める理由もない。

そんな淡泊で無興味な態度が、寂しいのか落ち着くのかは判断しがたい。

「というわけだから…………今日は外出るか。水着持ってたら着替えるか?」

「持ってきてないです」

「ん、そうか」

そうして、カケルについて洞窟の入り口まで戻り、ポケモンたちを一斉に外に出す。

スピアー、フシギバナ、ピカチュウ、ウインディ、ゲンガー、ヤドキング。手持ちが揃って並ぶのは、壮観で。

「……ん? ゴーすけ、お前いつのまに進化したの?」

『わかんない! 昨日遊んでたらこうなったの!』

「あ、ごめんなさい。昨日遊ばせてたらなっちゃったの」

ポケモンの中には、主を変えると進化する者もいる。ゴーストもそのうちの一体だった。メルに預けたことで、進化の条件を満たしてしまったようだ。

その自覚は、本人にはないようだが。

「みんな、まずは謝りたいことがある」

遊ぶ前に、改まってオーカはポケモン達の前に立つ。

各々、不安げに、心配そうに、よくわかっていなさそうに、オーカを見下ろしてくる。

「僕は今まで、君たちと話すのに全部能力に頼ってきた。コントロールできないからと、甘えてきた。誰も解決してくれないって、甘えてきた。不正をしたくないのに、君たちにずっと不正をさせ続けてきた。

本当にごめんなさい。今もカケルさんとメルさんの言葉だけで動いてる。

僕には、僕を客観的に見る力がない。君たちを見る力がない。能力に頼っていると言われても、実感がない程度に。

だから、リーグまでに、ここに居られる間までに、能力に頼らないで、僕の目で、見たもので、きちんとこれからを考えたいと思うんだ」

メルの言葉と、カケルの言葉。

――自分で考えるってことをしてこなかったんだわ。

自分の本質を無慈悲に暴かれて、その罪の自覚に悲しみ、苦しみ、バトルをやめようとした。ポケモンたちから離れるべきだとも思った。

――リーグ目指してる奴が、そう簡単にバトルなんかやめられるか。

だがカケルの言う通り、思うだけで本当にやろうなどとはやっぱり考えられない。理想のバトルをしたいから、こうして能力について悩んできたのだ。

今更このためにやめるなんてできない。それがわがままだとしても。

「不正の罪を償って、バトルをやめようと考えもした。君たちのおやでいる資格がないとも思った。でも捨てる方向に考えるのはここでやめる。

だってバトルが好きなんだ! 君たちが大好きなんだ!」

手持ちの一体一体の目を見て、オーカは宣誓する。

ビーすけが、少し安心したように目を輝かせる。

フシすけはどっしりと構え、ピカすけとゴーすけは大好きという言葉に反応するようにどこか色めき立つ。

ディすけが誇らしげにする隣で、ヤドすけはというとなにを考えているのかわからない目でオーカを見下ろしている。

その瞳の奥の考えに、思いを馳せる。

「まだ僕はこの力のコントロールを諦めたくない。だからどうか――僕についてきてほしい」

その手を、差し出した瞬間。

一斉に、それぞれが、鳴き声を上げた。

――鳴き声。

ポケモンの鳴き声を聞くのは、初めてだった。

全て言葉に聞こえていたオーカは、ポケモンの鳴き声と言われてもピンとこないものがあった。

現実に、通常聞こえるはずの声を、初めて聞いた。

『オーカ、僕は一生ついていくよ』

『もーやだ、改まってなに言われるのかと思ったー』

『お前を守るように言われてきたんだ! 俺は今更離れないし、バトルだってやめねぇよ!』

『オーカは難しく考えすぎるんだよ』

『最近オーカ元気なかった。それで元気になってくれるなら、僕も協力するよー!』

ビーすけが、ピカすけが、ディすけが、フシすけが、ゴーすけが……みんな、各々好きなように言葉を伝えてくる。

一瞬だけ聞こえた鳴き声は、次の瞬間すぐに言葉に変わってしまった。

だが、その鳴き声が、希望に思えた。

「……ありがとう、みんな」

コントロールができるようになったら、こうやって言葉を聞くことはほとんどなくなるのだろう。

それは少し寂しいが、言葉だけがコミュニケーションじゃない。それを、オーカは学ばなければならない。

ふっとヤドすけに視線を移す。

手持ちがみんなしてオーカを囲む後ろで、一匹佇んでいる。

その目が少し、満足そうに見えたのは気のせいだろうか。

「…………僕は、がんばるよ」