オツキミ山

 険しい岩道をひたすら歩き続けた先に、そびえる大きな山。

 ニビシティの東側に強敵として立つそこは、オツキミ山と呼ばれている。

かつて隕石が落ちてきた場所で、なにやら古代のものがよく発掘される不思議な山だ。特殊な石、月の石が採掘されるのもここだけであるし、この山にだけ生息するピッピは宇宙から来たなどという逸話もある。

 ちょっとしたパワースポットのような面もある山だ。

 中は鉱夫に掘られトンネルのように潜ることができるようになっている。

昔から採掘が進んでいるせいか、中には点々と電気もつけられていて、カントーのトンネルではイワヤマトンネルよりよほど通りやすい場所だ。

 それでも、中は見通すことはできない薄暗さを持っている。

 その前にサツキは立つ。

 立つ。

「……行くのかあ」

 遠い目をして、オツキミ山の入り口を見つめる。

昨日はジム戦のあと、夜にならないうちにオツキミ山前のポケモンセンターまで歩いてきて、朝になった今日にここを通り抜けるつもりだった。

 朝八時。いつもより早起きしてオツキミ山前に立ったはいいものの、山の中は時間関係なく薄暗い。

 暗いところが苦手なサツキには、少し勇気が要った。

 ――なんか、中に飛んでるし。目だけ光ってこっち見てるし。不気味!

山の中を凝視して、サツキは冷や汗をかく。

トキワの森とまったく同じだ。全然大丈夫になっていない。

 そんなサツキにいい加減しびれを切らしたのか、とうとう傍らにいたゼニガメのメーちゃんがサツキの手を引いて歩きだしてしまう。

「待って、メーちゃん待って、心の準備があああ」

「あーっ、なあ、ちょっと!」

 わあわあと叫ぶサツキに、少年から声がかかる。

メーちゃんと二人振り返る。そこには、蜂蜜色の髪にバンダナを巻いた、サツキと同じ年頃の男の子が立っていた。

 活発そうな細身の体に、少しいたずらっ子のような赤い目。ふっと父を連想したのは、きっと父の服に似たジャケットのせいだろうか。

「今からオツキミ山入るんだよな?」

「え、うん。そうだけど」

「じゃあフラッシュ使えるポケモンいるか!?」

 相手の目を眩ませて、命中率を下げる技、フラッシュ。それは暗闇を照らすのにもよく役立つ、旅では必須な技だった。

一応、使えることはある。ピカチュウのピーちゃんに任せれば。

「いるけど……」

「頼む、俺も一緒に連れてってくれよ!」

 フラッシュ使えるポケモン持ってなくてさぁ、と気軽に頼む少年にサツキは気圧されてしまう。サツキも人見知りはしない方だが、なんとも遠慮のない少年だった。

 別に、一緒に行くのは構わないのだ。

 その頼りのポケモンがピーちゃんでさえなかったなら。

「うーん、でも、ピーちゃんは人が苦手で……多分君のこと攻撃しちゃうし」

「いーよいーよ全然! 俺丈夫だし、ここ通れるならなんだって! な、頼むよこの通り! なんでもするから~!」

「参ったなあ……」

少年はまったく譲る気配がない。どうしてもここを通りたいらしい。

 中は、点々と電気がついている。だがそれは本当に点々とであって、中で暮らすポケモンに影響がない程度に小さい。だから通るにはフラッシュを使えなければ、難しいのだ。

 ふぅ、とサツキはため息をつく。

 いつまでも入り口で立ちすくんでいる暇はない。ここは少年の勢いを借りてしまうことにした。

「いいよ。攻撃されても文句ないなら」

「まじで!? サンキュー!」

土下座せんばかりに頭を下げていた少年はぐんと顔を上げ、目を光らせる。

あまりにも親しげな態度に、なんだか今会ったばかりではないのかも、なんて錯覚を起こしてしまう。

「あたしはサツキ。君の名前は?」

「俺はマサラタウンのカルミン。よろしく!」

「えっ、君もマサラの出身なの?」

 握手を交わしながら、サツキは思わず声を上げる。

マサラから、サツキとオーカ以外に町を出ている子供がいるとは聞いていない。

「あれ、お前もなの? へー、そっか。俺が出たあとに出てきたのかな」

「あたし、二日前に出てきたばっか……」

「俺は一週間前だ。ニビジムが開かれるまでニビにいたから、そこで追いつかれたんだな」

思わぬ同郷にどきどきしてしまう。

 けど、同年代にしては、こんな目立つ少年見たことがない。同じ地域に住んでいるわけではないのかもしれない。

「じゃ、さっそく行こうぜ!」

「うー……うん。出ておいで、ピーちゃん!」

促されて腹をくくる。

 開閉スイッチを押して、出てきたのはニビの問題児、ピカチュウだ。

ジム戦以来、サツキの言うことはかろうじて聞くようになってくれている。攻撃もないので、一応主人として認めてくれたのだろう。

 しかし。

「ピーちゃんだめっ、攻撃しちゃだめっ!」

「おわっ、……容赦ねーな……」

 隣に立つ少年カルミンの姿を認めた瞬間、バチッと空気を振るわせる。小さく放たれた電撃はカルミンが上手く避けてくれたおかげで、地面を焦がすだけだった。

「……行くの?」

「い、行くさ! ちゃんと!」

 ピーちゃんの容赦ない敵意に、カルミンは一瞬躊躇したようだが、すぐに持ち直して宣言する。

 いい、絶対、ぜーったい、攻撃しちゃだめだよ。そんなことした怒っちゃうんだよ、噴火しちゃうよ、だから絶対、やらないでね!

 言い含めるようにピーちゃんに言うと、不機嫌そうになんとか静電気を収めてくれる。

が、その視線はカルミンのことを睨みつけたままだ。

 ――好みじゃないのかな?

 なんだか第一印象が悪いらしい。心配になりながら、サツキは今度こそメーちゃんの手を握って踏み出した。

+++

 ぽつ、ぽつ、と薄暗く順路を示す灯りを辿って、足下を照らすピーちゃん。

その少し後ろをサツキとカルミン、それからサツキにしっかりと手を繋がれたメーちゃんが着いていく。なにやら少し大所帯である。

「そっか、昨日バッジをもらったのは俺たちともう一人だけだったのか。じゃあ昨日一緒のジムにいたんだなー、全然気付かなかった」

「一番始めにバッジもらってたのカルミンだったんだ。あたし聞いてたよ、アナウンス。さすがだねえ」

「だろー? サツキがいるなら残ってりゃよかったな。俺バッジもらってすぐに帰ったから」

 道中を盛り上げるのはもっぱら昨日のジム戦の話だった。

とはいえ、サツキのバトルは酷いものであったから、サツキはひたすら聞き役に徹する。それでもカルミンとの会話は不思議と退屈しない。

「バッジを集めてるってことは、リーグ目指してるんだよね? もうトキワジムは挑戦した?」

「まさか! 一番にレッドさんに挑戦なんて恐れ多いことできるかよ、レッドさんだぞ!」

トキワジムの話を振ったとたん、カルミンの勢いががらりと変わる。からっとした明るさが妙な熱気に沸かされていって、サツキは思わず後ずさった。

 レッドはカントーでは知らない人のいないジムリーダーだ。ファンくらいいても当然である。

 だが、こう、目の前に現れると。

「レッドさんには一番最後に挑むんだ。一番強くなってから、レッドさんと会って、握手してもらって、ジャケットにサインもらって、それから、それから……」

「か、カルミンは、ぱ……れ、レッドさん、が、好きなの?」

「もっちろん!」

 きらきらきらきら、輝く赤い瞳は興奮に満ちている。

「俺ずっと昔から大ファンなんだよ……あのポケモンリーグ戦を見てから! レッドさんともグリーンさんともブルーさんとも同じカントーに住んでるって知ったときはもー家突き止めようとがんばったんだけどさー」

「えっ」

 ずささっ、大きくサツキは体を離した。それに気付かないくらい、カルミンは語りに夢中になっている。

 カルミンはどうもただのファンでない。熱狂的で、ストーカー気質だ。

サツキは自分の家が知られているかもしれない、と恐々としたが、

「先生に止められて結局探せてないんだよなー、レッドさんの家」

「な、なんだ……」

 からから笑うカルミンに、サツキは胸をなで下ろす。そうだ、家を突き止められていたらサツキのことも知っているはずである。

 ただ、カルミンはオーキド博士にはサインを求めに行ったことがあるらしい。当然門前払いを喰らったらしいが――すごいファン根性だと、サツキは思った。

 パパのファンでもこんな熱烈な人見たことない。

 案外、レッドに似てると思ったことは気のせいでないのかもしれない。好きすぎて寄っていったのだ。

「でも、ジャケットはレッドさんと同じメーカーで買ったんだ! もう同じデザインはなかったけど」

「へー……」

「なぁ、サツキもレッドさんのファンなんだろ? 俺と色違いじゃ……」

「あたしがパパのファン!? ないない、絶対ない!!」

 冗談じゃない、サツキは鬱陶しくていじわるでサツキの嫌なことばっかりしてくる父をあまり好きではないのだ。

バトルをしている姿がかっこいいのは認めるが、断じてファンなのではない!

 かっと勢いで否定して、サツキは口走ったことに気付かなかった。

 カルミンが目を丸くして聞き返す。

「…………パパ?」

「――――……あっ」

慌てて口を押さえてももう遅い。

父のファンの前で、身内だとわかって面倒なことになるのが嫌だったから、他人のふりをしようと思ったのに。

「パパ?」

「ぱ、ぱ……あ、あはははは……」

上手いごまかしが思いつかず、曖昧に笑ってみせる。

 カルミンは惚けた顔で口をぱくぱくして、サツキをただ指さしている。

 あ、今のうちに逃げようかな。

 そろり、そろり、とメーちゃんを抱えてカルミンから距離を取ってみる。

しかし、背を向けて走りだそうとしたところで手を捕まれた。

「サツキってレッドさんの子供なの!?」

「わ――っ、やめて――――っ!!」

洞窟内にふたりの声が反響して、わんわんと響く。

それに驚いたズバットが一斉に羽ばたいてきたのに、サツキはまた叫んで頭を抱えてしゃがみこんだ。

 もうやだ。帰りたいよお。

 パパのばかあ!

「あーっ、そっか! 思い出したサツキ! レッドさんとカスミさんの子、どっかで聞いたと思ったんだ!」

「うわーん、ほっといてよお」

顔から火が出そうだ。すでに視界は涙で歪み始めている。今日ほど両親が有名なことを恨んだことはないだろう。

カルミンはそんなサツキの気持ちなど露知らず、純粋にうらやましがっている。

「やめてよ、恥ずかしい! パパはあたしにいじわるばっかするし、結婚しようってうるさいし、バトルのときばっかかっこよくて普段はいっつもママに怒られてて、ママがいないとどうしようもないような人なんだよ! そんなことあたしに言われても、困る!!」

「わ、わるい……」

 顔を真っ赤に怒鳴るサツキに、カルミンが押され負ける。

興奮がようやく収まったのか、決まりが悪そうに頭を掻く。憧れの人の身内にテンションが上がるのはわからないでもないが、あくまでサツキには父でしかない。そういうのは好きな人同士で話してほしい。

「でもそっか。サツキはカスミさんの子なんだな。どーりでかわいいと思った!」

「!?」

 ぐわああ、と顔の血の巡りがよくなったのを感じる。

 ほら、行こうぜ! と先を促すカルミンは、最後の最後に大きな爆弾を落としたことも気にせず、さわやかに笑っていた。

+++

 どこに行ったの、アタシの天使。

 どこにいるの、アタシの子!

「メル……メルがいないの! どうしようシルバー、メルがいないの! あの子までいなくなったら、アタシ、アタシ……!!」

「落ち着いて、姉さん!」

 ブルーはシルバーにすがりつく。否、半狂乱なのをシルバーに押さえ込まれ、身動きが取れないでいる。

 頭の中は悪い予想が激流のように巡っていて、とてもじゃないが落ち着けるような気分になれない。

「どうしよう、誰かに浚われたんじゃ……やっぱり留守番なんて頼むんじゃなかった……!」

「大丈夫、大丈夫だから……」

ブルーを押さえるシルバーの声にも焦りが見える。そう、この状況で二人が落ち着けるわけがないのだ。

 ブルーが買い物に出かけている間に、二人の娘フェルメールが失踪した。

置き手紙はなく、家が荒らされた形跡もない。ただ、いくつかの着替えと、モンスターボールが消えていた。

ただメルがどこかへ遊びに行っただけ、とも考えられたが、黙って出ていくような子ではないと断言できた。

 だからこそ、二人には最悪の予想が浮かぶのだ。

 メルが、何者かに浚われたのではないかと。

「大丈夫だよ……おかしなことが起きれば、すぐに近所の人が気付く」

「でも……!」

 ブルーを励ますシルバーの顔色もよくない。

 二人にとって、子供がいなくなるのは最も恐れていたことだった。

かつて――二人が、幼少期に浚われた記憶のせいだ。

 子供を持ってから、最も恐れ続けたことだった。また家族と引き離される恐怖を味わうのは嫌だったのだ。

二人はその昔、事情があって息子を一人手放している。

だからこそ、一人娘を箱どころか城に入れてかわいがってきたのだ。

 ただでさえ、一人娘メルは世界を狂わせるほどの可愛らしさを持っている。その容姿はさながら天使か妖精かと言わんばかりだ。そんな娘だからこそ、誘拐は最も現実味があって恐ろしかった。

 どこに行ったの、メル!

「…………でんわ」

「グリーン先輩からだ」

 ぷるるるるる!

 二人の混乱を無理矢理押さえつけるかのように、ポケギアのベルが鳴り響く。

こんなときに、なんなんだ。尊敬する先輩であっても悪態をつきたくなるのを抑えて、シルバーはできるだけ平静に応えた。

「……もしもし」

「シルバー、家にメルはいるか?」

 やや焦ったような声だった。

グリーンらしくない。聞こえてきた声音と内容に、二人は思わず顔を見合わせる。

「……どうしたの、グリーン。メルが……何?」

メルはいない。失踪している。

それが、しばらくぶりに連絡を取る相手に所在を問われるとは何事だろう。メルの居場所など、こちらが聞きたいくらいだ。

 不審を露わにせざるを得ない二人に、グリーンは構わず爆弾を落とす。

「メルがヒトカゲを連れて行った。なにか知らないか」

「なによそれ! メルがポケモンを浚ったって言うの!? あの子はそんな……そんな子じゃない! 大体どこにいるかなんて、こっちが聞きたいわよ! なんであの子はあなたのところに行ったのよ!」

 どういうことだ、と半狂乱のブルーにグリーンが当惑する。

シルバーはただ、メルが消えたことだけをなんとか絞り出して、ブルーの気を収めることに徹する。その尋常じゃない取り乱し方にグリーンも感じるものがあったのだろう、声のトーンを優しく落とした。

「違う、メルは浚ってなんかいない。ヒトカゲが着いていった。ポケモン図鑑を差し出して」

「図鑑を?」

「あいつは多分、自分が図鑑とセットだと思ったんだろう。フシギダネやゼニガメのように。頭がよくて……とても生意気な奴だったからな」

 消えたヒトカゲは変わり者だったらしい。

実力のある人間を的確に見抜き、それ以外を舐めくさって噛みつくポケモンだった。グリーンはともかく、イエローやオーカは近づけることがなかったという。

 そんなヒトカゲが、メルをトレーナーと認めて着いていった。

「だからお前たちのところに行っていないかと思ったんだが……そうか」

「ねえ、メルはどこに行ったんだと思う……?」

 いい加減泣きすぎて疲れてきたブルーが、弱々しい声で問う。

グリーンも彼女の心中を察して心苦しいのか、沈黙が続いた。

 ブルーが取り乱すのは、過去に浚われた記憶のせいだけではない。

 かつてのブルーと同じように、失踪し、オーキド邸からポケモンを盗み出しているからだ。細部こそ違えど、ブルーにとっては嫌な符号でしかないだろう。

 だが、これを言わなければ話は先に進まない。

「――ポケモンリーグ」

 重々しく告げられた言葉に、ブルーはとうとう泣き伏せてしまう。

 やめてほしかった。自分たちと似たような、不幸の道筋を辿るのは。

「監視カメラの音声で、聞きづらいがそんなことが聞き取れるものが――聞こえたと思う」

「でもどうして先輩のところに」

「昔を思い出せ。ブルーは俺たちが旅だったことを聞いてゼニガメを連れていったんだろう。……メルも、オーカたちが旅立ったから、ここに来たんじゃないのか」

 グリーンを探すしぐさをしていたという、愛娘。行動のきっかけがまるっきりかつての母と同じというのは、因縁を感じる話だ。

「メルがリーグに行きたいと思うほど、バトルが好きなようには思えない」

「そんなことは知らん。ただリーグに向かったと思うなら、そこまで心配する必要はないかもしれん」

「心配するわよ! 今まで、悪いものからずっと遠ざけて大切に育てて来たのに、旅なんかに出て変態に襲われでもしたらどうするのよ!」

 ヒステリックに叫ぶブルーに、グリーンは辟易したようにイエローみたいなことを、と呟いたのをシルバーは聞いた。

イエローは超の付く過保護だ。日頃から似たような恨み言を聞かされているに違いない。

「落ち着け、ヒトカゲは強い。あいつがメルを認めたなら、少なくともメルを危害から守ることはするはずだ」

「でも……っ」

「それに」

 グリーンが一拍置いて言う。

「お前たちの娘が、そう大人しく庇護されていると思うのか? もう十歳も過ぎたんだぞ」

「……」

二人は顔を見合わせる。

 そうだ。メルは、聞き分けはいいが大人しくない。天使のような容姿に反して、やりたいことは何を犠牲にしてもやり遂げる。バトルセンスも高く、リーグなど容易に突破してみせるだろう。

 大切に大切にと育ててきたが、思えば、メルの性質はそういったものとはまったく逆のところにある。

「少しは信じてみたらどうだ、娘を」

「……」

 ブルーは複雑そうに目を伏せる。

内心不安でしかたないに違いない。強いトラウマを刺激するメルの行動に、今すぐ連れ戻したい衝動に駆られているはずだ。

 だが、メルが黙って行動したということは、今回のこれは両親への挑戦状なのだと、シルバーは思う。

保護からの脱却。そのために、旅に出る。

 シルバーが同じ立場ならそうする。ブルーでもするだろう。二人とも、なによりも束縛を嫌う性格だ、それが娘に遺伝していないわけがない。

なによりメルは、目的のためなら手段を問わない。今回はこうなってしまっただけで、きっとなんらかの形で出ていくつもりだったのだろう。

「……メルを、信じよう。姉さん」

「…………うん」

 かつて自分を守ってくれた、大きかったはずの妻は、シルバーの胸の中で小さく泣いていた。

 グリーンに礼を言って切る。

 折り合いをつけなければならない。

シルバーはもうすぐ、親子としての転機を迎えようとしていることを感じた。

 どうか無事に帰ってきてくれ。俺たちの天使。

+++

「ねぇ、カルミンはどうしてパパが好きなの?」

 自分から打ち切っておいて、結局サツキはカルミンにレッドの話を振ってしまう。

いろいろと他愛のない話をしながらオツキミ山を歩いてきたが、結局、目の前の少年とレッドの話はどうしても切り捨てられないものだと観念したのだ。

 それに、純粋に理由も知りたかった。

 カルミンは待ってましたと言わんばかりに目を輝かせて語り出す。

「初めはさ、“図鑑所有者物語”のレックスから知ったんだ」

「図鑑所有者……物語?」

 名前だけは聞いたことがある。

故オーキド・ユキナリ博士の著書。“図鑑所有者”という選ばれた子供が、世界を災厄から救う冒険小説だ。それは全部で数十章もある長編で、もう数十年も昔の本だと言うのに未だに売れ続けている大ベストセラーだ。

 とはいえ、サツキは小説を読むのが苦手で、読んだことがないのだが。

「そのレックスとパパが何か関係あるの?」

「はっ!? お前知らないの!?」

 信じらんねー!! とカルミンが大げさに頭を抱える。

そんなに大げさに騒がれることだろうか。サツキはなんだか心外だった。

「あの小説が、昔あった事件を基に書かれてるっていうのは有名な話なんだぜ。特に、主人公のレックスはレッドさんがモデルっていうのはファンの間じゃ常識なんだ!」

「だって読んだことないし……」

「もったいねー!」

 レッドの経歴がレックスと酷似しているから、それだけは確定しているらしい。同様の理由でグリーンも、レックスのライバル、グスタフだろうとまことしやかに語られているという。

 だが、わかっていることはそこまで。

他の登場人物のモデルは誰かはわからないし、作中の事件の解決者が本当にその者たちなのかは、やはり誰も知らないという。

 ポケモンマフィアの事件、氷の仮面の男の事件、古代ポケモン復活事件……記録に残るほどの大きな事件は全て事実だ。だが、その解決者の記録はないのだそうだ。

 その現実と非現実の境があいまいなところが、なお小説の人気を続けさせる要因なのだと言う。

「まぁ、とにかくさ。俺レックスが好きだったんだ。憧れてた。そんな俺を見て、ある日先生が昔のビデオを見せてくれたんだよ」

「……パパの、ポケモンリーグ決勝戦?」

「そう」

 懐かしげに、カルミンが微笑む。

 ああ、本当にカルミンはレッドのことが好きなのだ。サツキはなんだか胸が熱くなる。こんな風に父を想ってくれる人がいるのは、恥ずかしいが嫌じゃない。

「一瞬で夢中になった。今も昔も、あれ以上すごいバトル見たことない。あの人がレックスの基になった人なんだって教えてもらってからは必死になってレッドさんのこと調べた。調べれば調べるほど好きになった。あの人みたいになりたいと思ったんだ」

 初恋って言ってもいいかもな、と冗談まじりに笑うカルミンに、サツキはたまらず手を掴んだ。

掴んで、そっかと返すのが精一杯だった。どう反応していいのかわからず、俯いて妙に熱い顔を耐えるしかなかった。

「今年旅立とうって思ったのもレッドさんが旅だった年だったからなんだ。俺の誕生日来月だけど、十一歳になる年だったから」

「うん」

「まぁ、ミュウにも会えてないし、俺には博士からもらった図鑑もないんだけどさ」

 少し残念そうにカルミンは話す。

そんな特別なこと、ふつうはそうそう起こらない。

「でも、ここでサツキに会えたのは、神様が俺にくれた運命のプレゼントなのかもな!」

「――!」

にっこり笑って言ってのけるカルミンに、サツキの心臓が飛び跳ねる。

 おちつけ、大した意味じゃない。

 カルミンにとってサツキは、“憧れのレッド”の娘だ。レッドとのつながりを持てたことそのものが、こんなことを言えてしまうくらい嬉しいことなのだ。

わかっているが言葉が悪い。

 なんていうか、心臓が足りない!

 どうしたんだよ、と挙動不審になるサツキをのぞき込むカルミンの様子は自分がなにを言ったのかまったく気にしていないようだ。それくらい何気ない台詞だったに違いない。だから性質が悪い。

「カルミンって、えぐいね……」

「はぁ?」

ぜい、と大きく息をつく。

 そんなサツキの緊張を知ってか知らずか、カルミンと繋いでいるのと反対の手を握るメーちゃんがくいくいと腕を引く。

 なにやら気になったものを見つけたらしく、繋いでない方の手をばたばたと振ってなにかを指さしている。

「どうしたの、メーちゃん。あっちになにかあるの?」

「あっちって、多分採掘場の方じゃないか?」

 順路と思われる道とは別に、掘り抜いて大きな広間になったような場所がその先には広がっている。誰もいないが、見えない奥の方までトロッコの線路が続いていた。

あっちの方を見てみたいのだろうか。

「行ってみるか?」

「道迷って出れなくなったらどうしよう……」

「へーきへーき、ちゃんと俺が外に出してやるよ」

「なにかに襲われたりしたら……」

 まっすぐに洞窟を抜けないことに怖がるサツキの手を離して、カルミンががっと肩に腕を回してくる。

にっと冒険好きそうな笑顔を見せて、

「そんときは俺が守ってやるよ」

きっぱり、有無を言わせない口調で言い切る。

 ああ、行かないって選択肢はないんだなあ……。

 メーちゃんとカルミンは気があうらしい。冒険好きらしく、このオツキミ山をただ通るつもりなんて初めからなかったのだ。

 こんな暗いとこ早く出たいよー!

 嘆いても二人には届くはずもなく、サツキは力なく引きずられるばかりだった。

+++

「きゃーッ!」

「カラ、ホネこんぼうでけちらせ!」

 頭上から突然襲い来るズバットの集団にカラカラが武器のホネを的確に打ち込んでいく。かなりの数がいたというのにカルミンとカラカラは焦るわけでもなくものの数秒でズバットたちを追い払ってしまう。

 驚きのあまり座り込んで抱き合ってしまう、サツキやメーちゃん、ピーちゃんとは大違いだった。

「まったく、ほんとビビりなんだなぁお前」

「うう、ありがとう……」

 採掘場に続く、より暗い道を進み始めてからずっとこんな調子だった。

守ってやる、と言葉通りに暗がりから現れるポケモンたちをカルミンはけちらしていく。その相棒のカラカラも、まるで剣士のような落ち着きようだ。

 サツキがカルミンに立たされる横で、涙目のメーちゃんがカラカラに頭を撫でられている。すっかりそれぞれ、コンビができてしまったようである。

明かり役のピーちゃんは一匹、強がって誰にも頼ろうとしないが。

「この程度で怖がってて、ちゃんと旅できんのかよー」

「できるよ多分……トキワの森だって通ったんだし……」

カルミンに手を引かれながら、サツキはこぼれてきた涙を拭う。

そもそも、こんな寄り道をしなければここまで怖い思いはしなくて済んだのだ。

採掘場へと進む道は、だだっ広いわりに明かりが少なく、足下を照らすだけのピーちゃんの明かりでは暗くて怖くてしかたがない。不安なく道を通れるほど明かりがあったのはハナダへ繋がる正規の道だけだったらしい。

「安心しろよ、俺がいる間は大丈夫だから」

「……うん」

 しかし、本当にカルミンに声をかけてもらえてよかったと思う。

メーちゃんがいるかぎり、きっとこの道を通っただろうし、カルミンがいなかったらサツキは絶対に動けなくなっていたに違いない。

ミーちゃんならばきっちりサツキを守ってくれるだろうが――。

 手、あったかくて安心する。

 視界の悪い洞窟内で、唯一信じられる繋がれた手。彼に会えてよかったと、心から安堵する。

「でも、なんでこっちはこんなに暗いんだろうね? お仕事してる場所だったんだよね?」

「ポケモンたちのすみかなんだろ、こっちは。ハナダに行くだけならこんなとこ来ないし、照らしてるのは順路だけで十分だろ」

もう使ってないわけだし。と、カルミンが言う。

 その言葉の通り、洞窟の中のあちこちでポケモンの群を見た。明かりに弱いズバットたちはこちらに入ってきたとたんに数が増えたように感じるし、稀少種と言われるピッピたちも、奥に入ってから見かけるようになった。

 人とポケモンの住み分けになっているのだ。

「……あ。なあ、見ろよサツキ。これ化石じゃね?」

「化石?」

壁を伝って歩いていたカルミンが、なにかに触れたらしく立ち止まる。

もっとよく見ようと、ピーちゃんを抱き上げて覗きこめばなにかの貝殻のようなものが見えた。巻き貝らしく、キャンディーのようにぐるぐるしている。

「これが化石? ただの貝殻だよ」

「お前博物館行ってないの? かいのかせき……オムナイトだったやつだよ」

 そういえば、着いてジムに挑んだだけで出てきてしまったせいでなにもニビを見てこなかった。

ニビシティには有名な博物館がある。昔、隕石が落ちたりとか、このオツキミ山だけでつきの石を発掘できたりとか、なにかと月に因縁がある町なので、博物館にあるものもそういったものが多い。

 採掘場から発掘された化石も、博物館に飾ってあったに違いない。カルミンの目がきらきらする。

「体は死んでから何百年してなくなっちゃったけど……こうやって、貝だけが今に遺ったんだ。きっとそうだ、これオムナイトだよ!」

「ほんとかなー」

 もし、これがかつてポケモンだったなら。

 図鑑が反応してくれるかな?

なにげなく思ってポケモン図鑑をかざしてみる。まだ白く、ほんの少し傷がついた電子機器。

「! さ、サツキ、それって……!」

ぎょっとするカルミンの質問に答えるように、ポケモン図鑑が鳴き出した。

 『オムナイト、うずまきポケモン。

大昔、海に住んでいた古代ポケモン。十本の足をくねらせて泳ぐ』

「あ、ほんとにオムナイトなんだ」

「そ、そ、それポケモン図鑑!?」

「え、うん……っ!?」

食いつくように肩を掴まれて思わず体が跳ねる。

抱き上げられていたピーちゃんもびっくりしたのか、カルミンの手に思い切り電撃を浴びせてしまった。

 叱るも、どうも反省の色がない。この子機会を伺ってたな。

 カルミンは電撃で刺されたところをさすりながら、改めて白いポケモン図鑑を眺めた。

「まじかよ……白いけど、これ……初代ポケモン図鑑と同じ形じゃん……」

「それは、図鑑所有者物語の話?」

「うん。……噂では聞いてたんだ、オーキド博士が図鑑を作ってるって。でもほんとだったんだ……いいなぁ~」

 ちょっと見せて、とカルミンが腕をひっぱるので、彼にも見やすいように図鑑を持ち直す。

中は現代仕様のタッチパネルなので、やっぱり全部は同じじゃないよな、とカルミンは少し残念がっているようだった。

「いいなぁ、図鑑所有者。サツキは選ばれたんだな」

「そんなこと……パパたちが子供にあげたいって、ロマンを押しつけてきただけだよ」

「選ばれたんだよ。レッドさんの子供に生まれたときからサツキは特別だったんだ」

 うらやましい、というカルミンにサツキはなんだか申し訳なくなる。自分は、レッドのような特別な人間ではないからだ。

ただの子供で、リーグを目指そうとは思える程度の実力しかない。それだって、本当はするつもりがなかった、ただただ平穏な生活を望んでいる子供なのだ。

 こんな風に、本当にほしがっている子にあげたらいいのに。

「なぁ、これ、取れるかな?」

「化石を? いいのかな」

「いーじゃん、誰が掘り返したって」

 ぱっとカルミンは話を変えると、カラカラからホネを受け取る。カラカラのホネは持ち手が鋭くなっているから、それで岩を削るつもりらしい。

 大きく振りかぶって、かいのかせきが埋まったところにぶつけようとした瞬間――。

「やめろッ!!」

ぐわん、と洞窟内に男の声が響く。

それに驚いたポケモンたちが一斉に奥の方へと流れていく。勢いに流されないようにと、カルミンがサツキを、カラカラがメーちゃんをそれぞれ抱いて守る。

「……誰だ……?」

 ポケモンたちの大移動が終わって、声の出所を探る。

 先ほど、サツキたちも通った道。そこに、一人の男が立っていた。

細く長い体。髪はぺたんとつぶれていて、眼鏡をかけている男。頼りなさと陰気さの中に、濃い怒気が混じっている。

不気味で思わず、カルミンのシャツを握る。

「なんだかポケモンが騒がしいと思ったら……なに勝手に子供がここを通っているんだ……? ここの化石はなあ……全部僕が見つけて、全部僕のものにするんだッ!」

「はぁ!? 山のものは山のものだろ、俺が見つけたんだから俺のものにしてなにが悪いんだよ!」

意味不明な理論にカルミンがキレる。その反論を男はなにも聞いてない様子で、ゆらゆら不気味に近づいてくる。

その手にはモンスターボールが握られている。

「カルミン」

「大丈夫、サツキに指一本触れさせやしない」

下がるようサツキを後ろに隠して、カルミンがカラカラにホネを返す。メーちゃんを奥へと隠したカラカラが、一匹、男の怒気を一身に受けるように前へ出た。

「この山、あんたのモンじゃないんだろ。それで俺たちボコして追い出そうってんなら、こっちだって相手するぞ」

「生意気なガキだなぁ……! 行け、ベトベター!」

 男の放ったボールの中から悪臭を伴って紫のスライムが現れる。不気味に笑うその物体は、ヘドロポケモンのベトベターだ。

思わずサツキも顔を覆う。ベトベターの体臭はサツキたちを攻撃するように取り囲んで苦しめる。ベトベターの敵意がそうさせるのだ。

「ベトベター、ヘドロこうげき!」

「ホネこんぼうで岩を砕け! 壁にするんだ!」

勢いよくホネで殴られた壁の岩がカラカラとベトベターの間に降り注ぐ。ヘドロは岩に貼り付いてカラカラまで届かない。

 パラパラ、と天井から砂がこぼれ落ちてくる。

 なんだか嫌な感じがする。

「もういっちょ、カラ! 天井にホネこんぼうだ、岩を落とせ!」

「させるなベトベター、どろばくだんで打ち落とすんだ!」

二匹が同時に天井に向かって攻撃を放つ。

ホネが天井に届く前にどろばくだんがホネを捕らえるも、それが起爆剤となってホネのスピードが上がる。

 危ない。

「カラ、ベトベター、そこから離れて!」

「サツキ!?」

「二人ともそこから離れて……落ちるよ!」

 サツキの叫びに二人がぎょっとしたように止まる。

カラカラもベトベターも動けないまま、サツキを見ている。

 びしッ、と嫌な音が響く。

 叫びながらバトルの中へと近づいていたサツキは、勢いのままにベトベターを突き飛ばしカラカラを回収する。

「伏せて!」

 ガラガラガラガラ!

重い音が洞窟内に響きわたる。

振動で内臓が揺れるのを感じながら、サツキは触れている体温が温かいことに安堵した。どこも怪我はしていない。

押し倒したカルミンを見ても、頭を打った以外怪我はなさそうだった。

間に合った。よかった。

「おじさん、大丈夫!?」

「お、お、おうー……」

 崩れた岩の向こう側から、男の間抜けた声が聞こえてくる。

一緒にベトベターの声もした。どちらも無事だったようだ。

「サツキ……なんで」

「ホネがどろばくだんで普通より早くなったでしょ。あんな勢いで岩を殴ったら、こうなってもしかたないよ」

がらがら崩れた岩のあった場所、天井を見上げるとぽっかりと大きなくぼみが空いている。かろうじて天井が抜けることはなかったらしい。

通常のホネこんぼうの威力ならただ攻撃の一環程度の岩しか落ちてこなかったかもしれない。だがそこにどろばくだんが加わって、予定以上に岩が崩れてしまったのだ。

「おかしいと思ったんだ。大声出しただけであんなにポケモンが逃げていくの」

 ここの岩は少しもろいのだろう。

だからバトルの予感を感じて、ポケモンたちが一斉に逃げていったのだ。こうなることを予期して。

「君が無事でよかった、カラ」

抱きかかえたままのカラの頭を撫でる。少し不本意なのか、顔をそらされてしまった。

 バトルを中止されてしまったカルミンは、またばつが悪そうに体を起こして、つかつかと男の方へと歩いていく。

男は落石のショックに立ち直りきれず、ベトベターを抱えたままガタガタと震えていた。

「おい、どうすんの。続きやんの?」

「ぼ、ぼぼ、僕は! ここの化石を取らなければなにもしない!」

「なんでそんな化石にこだわんだよ……あーもーいいよ、めんどくさいから。ここの化石は諦めるよ」

投げやりにカルミンが言って話を切る。

元は単なる好奇心だ、カルミンに執着は存在しない。

「でもおじさん、どうしてこの山の化石はあなたのものなの? 化石って、そんなにいる?」

純粋な疑問だった。突然怒鳴られたのも気には障っているが。

 化石から、ポケモンが復元できる技術はいまや一般的だ。だから古代のポケモンをゲットしたくて化石を探す人は少なくない。

だがそれ以外の目的がサツキには少しわからなかったのだ。

 そんなサツキに、男はいくつかボールを取り出した。中は全部オムナイトとカブトだ。全部で五匹いる。

「僕は、古代ポケモンの生態を研究しているんだ。ここでは地質を解析してかつてどんな場所だったのか調べたり、このオムナイトやカブトたちは昔どんな食べ物を食べていたのかとかを調べてたんだよ。そのための許可ももらってる。だからここは本来立ち入り禁止なんだ……君たちは看板を見なかったのか?」

 だから、全部僕のもの、なのだ。

サツキとカルミンは顔を見合わせる。全く、看板など目に入っていなかった。悪かったのは自分たちの方だったのだ。

「ごめんなさい、おじさん……」

「すんません……初めから立ち入り禁止だって言ってくれたらよかったのに」

気分がだいぶ落ち着いたのか、男の方も言い方が悪かったと笑ってくれる。

 立ち入り禁止を無視して勝手に化石を盗っていくポケモン泥棒もたまにいるらしく、男も神経が過敏になりやすい性質らしい。きちんと謝る二人に、男は素らしいへなへなとした笑顔を向ける。

「じゃ、もう大人しくハナダに向かうといいよ。オツキミ山は、結構、部分的に土地を買ってる人が少なくないから。通るのはいいけど、野生のポケモン以外に触ると今度こそ怒られるよ」

「本当にごめんなさい。そうします」

「あ、なあ、おじさん。化石のこと調べてるんだよなッ?」

別れようとした間際、思い出したようにカルミンが言う。

「他に化石がとれるところって知らないか……ませんか! 俺、プテラをゲットしたいんだ!」

「プテラ……ってことは、コハクだね?  ……ディグダの穴なら、たまに見つかってるって話だよ。あそこは誰のものじゃないから、好きに取れるんじゃないかな」

「ありがとう!」

 おっしゃ、と拳を握るカルミンを促して、二人はハナダへの道に戻っていく。

「あっ。あそこは今ボスが凶暴だから気をつけて……って、言いそびれたな……」

 まぁ、あの子強そうだからいいか。

男の独り言が、洞窟内に消えていった。

+++

 肌を潮風が撫でる。

ひやりとしたオツキミ山の中から一転、強い日差しと夏の熱気がサツキを襲う。

心が躍る、水の匂い。サツキは思い切り吸い込んだ。

「やっと外だ……!」

「はー、あっちー」

「いいね夏、気持ちいいね外!」

「お前暗いの嫌なだけだろ」

「そんなことないよ、あたし夏大好きだよ!」

夏だけではない。この先はハナダシティなのだ。

母カスミが守る町。母の故郷、水の町。

 サツキの第二の故郷と言ってもいいほど、サツキはあの町が大好きなのだ。

心が踊る。もう三日も水に触れられてないのだ、やっと泳げると思っただけで生き返る思いだ。

 旅に出て嫌だったのは、森も洞窟もだったが、なにより好きに泳げないことだった。

 サツキは人魚だ。水がないと生きられない。

「今が……十一時だな。こっからハナダはそう遠くないし、着いたら飯にしようぜ」

「そしたら泳ぎにいこうね! あたしの好きな場所教えてあげるね!」

「ジムに向けての特訓じゃないのかよ……」

 呆れるカルミンをひっぱって、ハナダへの草原を駆ける。

 夏が好きだ。太陽が好きだ。

 ああ、やっぱり暗くてひやりとしたところは性分に合わない!

「早く行こう、ママが待ってる!」

+++

 カーン、カーン。

 男が一人、化石発掘に勤しむ。

男の足下ではカブトやオムナイトたちが削られた岩をせっせと邪魔にならないようけなげに移動させる作業をしている。

 そんな音に誘われて、一人、少女が現れた。

 臙脂色の髪に、白い肌。銀の大きな目で男を見ているその少女は、まさに天使が現れたような愛らしさだった。

 少女の傍らには、灯り役のヒトカゲと、少女の護衛のニドリーノが同じように静かに立っている。

 少女は先日、マサラタウンを出た。今頃家では大騒ぎになっているだろうが、連絡手段を持たない彼女のところにその喧噪は来ない。

 マサラタウンを出てから、彼女は迷わずニビシティへと向かった。トキワのジムリーダーが両親の知り合いであることは知っていたからだ。連れ戻されないためにも避けた。

そうしてニビに着いた頃には、もうジム戦の受付は終わっていたので、次の日の今日、朝一番にバッジを手に入れここにいる。

 オツキミ山の、中に。

 そうして彼女は、オツキミ山の中をまた淡々と歩いていたのだが、どうにも人の目を惹く容姿のために、少し面倒なことになって道を逸れてきたのだった。

「……」

 だから今、彼女の目の前には男がいる。

陰気そうな、細く白い男。足下には、たくさんのオムナイトとカブトと、一匹のベトベター。

 声をかけようか、彼女は悩んでいた。

 あまり、男に声をかけてよかった思い出がない。

どんなに迷っても自力で脱出するか、ストーカーを抱えるリスクを侵して道を聞いてみるか。

 二つに一つ。

 さて。

「……!」

 そう悩んでいるうちに、カブトが一匹足に身を擦らせていた。

どうも、なつかれてしまったらしい。

「……離れてちょうだい」

 やんわりと拒絶してみるも、カブトは楽しげに追ってくる。

遊んでいるわけではないのだが。

「困ったわ……」

「なんだカブト、うるさいぞ……」

 とうとう、男が振り返ってしまう。

ばちり、と目が合った瞬間、男が息を止めた。

 もう覚悟を決めるしかない。

「ごめんなさい、カブトになつかれてしまったの。道を教えてくれたら、わたしはすぐに立ち去るわ」

「いや、こちらこそ、僕のカブトが申し訳ない。君、名前は……」

「人通りの少ない道でハナダに出たいの。わかるかしら」

穏やかに、素性を知らせないよう要求だけ言う。

 できるだけ早くここを去らなければならない。この男に捕まっている暇はない。

「ああ……ごめん、僕にはわからない。けど、この中に詳しい人を知ってるから、紹介しよう」

「あ……ああ、カブト、あなたは道を知っているのね?」

男が近付こうとするところに、カブトが猛アピールするのを適当に解釈する。

「この子を借りてもいいかしら?」

「ど、どうぞ。なんだったら、連れて行ってしまっても」

緊張しながら男が言うのに、少女は言質を取ったようににっこりと微笑んで礼を言った。

みるみるうちに男が赤くなっていくのを無視して、固まっているうちにこれ幸いとカブトを抱きかかえて去っていく。

「ありがとう。この子は大切にするわ」

 ヒトカゲとニドリーノを従えて、少女はさらに山の奥地へと去っていく。

 その後ろ姿に見とれていた男が正気に戻ったのは、それから三十分も経ったあとのことだった。


険しい岩道をひたすら歩き続けた先に、そびえる大きな山。

ニビシティの東側に強敵として立つそこは、オツキミ山と呼ばれている。

かつて隕石が落ちてきた場所で、なにやら古代のものがよく発掘される不思議な山だ。特殊な石、月の石が採掘されるのもここだけであるし、この山にだけ生息するピッピは宇宙から来たなどという逸話もある。

ちょっとしたパワースポットのような面もある山だ。

中は鉱夫に掘られトンネルのように潜ることができるようになっている。

昔から採掘が進んでいるせいか、中には点々と電気もつけられていて、カントーのトンネルではイワヤマトンネルよりよほど通りやすい場所だ。

それでも、中は見通すことはできない薄暗さを持っている。

その前にサツキは立つ。

立つ。

「……行くのかあ」

遠い目をして、オツキミ山の入り口を見つめる。

昨日はジム戦のあと、夜にならないうちにオツキミ山前のポケモンセンターまで歩いてきて、朝になった今日にここを通り抜けるつもりだった。

朝八時。いつもより早起きしてオツキミ山前に立ったはいいものの、山の中は時間関係なく薄暗い。

暗いところが苦手なサツキには、少し勇気が要った。

――なんか、中に飛んでるし。目だけ光ってこっち見てるし。不気味!

山の中を凝視して、サツキは冷や汗をかく。

トキワの森とまったく同じだ。全然大丈夫になっていない。

そんなサツキにいい加減しびれを切らしたのか、とうとう傍らにいたゼニガメのメーちゃんがサツキの手を引いて歩きだしてしまう。

「待って、メーちゃん待って、心の準備があああ」

「あーっ、なあ、ちょっと!」

わあわあと叫ぶサツキに、少年から声がかかる。

メーちゃんと二人振り返る。そこには、蜂蜜色の髪にバンダナを巻いた、サツキと同じ年頃の男の子が立っていた。

活発そうな細身の体に、少しいたずらっ子のような赤い目。ふっと父を連想したのは、きっと父の服に似たジャケットのせいだろうか。

「今からオツキミ山入るんだよな?」

「え、うん。そうだけど」

「じゃあフラッシュ使えるポケモンいるか!?」

相手の目を眩ませて、命中率を下げる技、フラッシュ。それは暗闇を照らすのにもよく役立つ、旅では必須な技だった。

一応、使えることはある。ピカチュウのピーちゃんに任せれば。

「いるけど……」

「頼む、俺も一緒に連れてってくれよ!」

フラッシュ使えるポケモン持ってなくてさぁ、と気軽に頼む少年にサツキは気圧されてしまう。サツキも人見知りはしない方だが、なんとも遠慮のない少年だった。

別に、一緒に行くのは構わないのだ。

その頼りのポケモンがピーちゃんでさえなかったなら。

「うーん、でも、ピーちゃんは人が苦手で……多分君のこと攻撃しちゃうし」

「いーよいーよ全然! 俺丈夫だし、ここ通れるならなんだって! な、頼むよこの通り! なんでもするから~!」

「参ったなあ……」

少年はまったく譲る気配がない。どうしてもここを通りたいらしい。

中は、点々と電気がついている。だがそれは本当に点々とであって、中で暮らすポケモンに影響がない程度に小さい。だから通るにはフラッシュを使えなければ、難しいのだ。

ふぅ、とサツキはため息をつく。

いつまでも入り口で立ちすくんでいる暇はない。ここは少年の勢いを借りてしまうことにした。

「いいよ。攻撃されても文句ないなら」

「まじで!? サンキュー!」

土下座せんばかりに頭を下げていた少年はぐんと顔を上げ、目を光らせる。

あまりにも親しげな態度に、なんだか今会ったばかりではないのかも、なんて錯覚を起こしてしまう。

「あたしはサツキ。君の名前は?」

「俺はマサラタウンのカルミン。よろしく!」

「えっ、君もマサラの出身なの?」

握手を交わしながら、サツキは思わず声を上げる。

マサラから、サツキとオーカ以外に町を出ている子供がいるとは聞いていない。

「あれ、お前もなの? へー、そっか。俺が出たあとに出てきたのかな」

「あたし、二日前に出てきたばっか……」

「俺は一週間前だ。ニビジムが開かれるまでニビにいたから、そこで追いつかれたんだな」

思わぬ同郷にどきどきしてしまう。

けど、同年代にしては、こんな目立つ少年見たことがない。同じ地域に住んでいるわけではないのかもしれない。

「じゃ、さっそく行こうぜ!」

「うー……うん。出ておいで、ピーちゃん!」

促されて腹をくくる。

開閉スイッチを押して、出てきたのはニビの問題児、ピカチュウだ。

ジム戦以来、サツキの言うことはかろうじて聞くようになってくれている。攻撃もないので、一応主人として認めてくれたのだろう。

しかし。

「ピーちゃんだめっ、攻撃しちゃだめっ!」

「おわっ、……容赦ねーな……」

隣に立つ少年カルミンの姿を認めた瞬間、バチッと空気を振るわせる。小さく放たれた電撃はカルミンが上手く避けてくれたおかげで、地面を焦がすだけだった。

「……行くの?」

「い、行くさ! ちゃんと!」

ピーちゃんの容赦ない敵意に、カルミンは一瞬躊躇したようだが、すぐに持ち直して宣言する。

いい、絶対、ぜーったい、攻撃しちゃだめだよ。そんなことした怒っちゃうんだよ、噴火しちゃうよ、だから絶対、やらないでね!

言い含めるようにピーちゃんに言うと、不機嫌そうになんとか静電気を収めてくれる。

が、その視線はカルミンのことを睨みつけたままだ。

――好みじゃないのかな?

なんだか第一印象が悪いらしい。心配になりながら、サツキは今度こそメーちゃんの手を握って踏み出した。

+++

ぽつ、ぽつ、と薄暗く順路を示す灯りを辿って、足下を照らすピーちゃん。

その少し後ろをサツキとカルミン、それからサツキにしっかりと手を繋がれたメーちゃんが着いていく。なにやら少し大所帯である。

「そっか、昨日バッジをもらったのは俺たちともう一人だけだったのか。じゃあ昨日一緒のジムにいたんだなー、全然気付かなかった」

「一番始めにバッジもらってたのカルミンだったんだ。あたし聞いてたよ、アナウンス。さすがだねえ」

「だろー? サツキがいるなら残ってりゃよかったな。俺バッジもらってすぐに帰ったから」

道中を盛り上げるのはもっぱら昨日のジム戦の話だった。

とはいえ、サツキのバトルは酷いものであったから、サツキはひたすら聞き役に徹する。それでもカルミンとの会話は不思議と退屈しない。

「バッジを集めてるってことは、リーグ目指してるんだよね? もうトキワジムは挑戦した?」

「まさか! 一番にレッドさんに挑戦なんて恐れ多いことできるかよ、レッドさんだぞ!」

トキワジムの話を振ったとたん、カルミンの勢いががらりと変わる。からっとした明るさが妙な熱気に沸かされていって、サツキは思わず後ずさった。

レッドはカントーでは知らない人のいないジムリーダーだ。ファンくらいいても当然である。

だが、こう、目の前に現れると。

「レッドさんには一番最後に挑むんだ。一番強くなってから、レッドさんと会って、握手してもらって、ジャケットにサインもらって、それから、それから……」

「か、カルミンは、ぱ……れ、レッドさん、が、好きなの?」

「もっちろん!」

きらきらきらきら、輝く赤い瞳は興奮に満ちている。

「俺ずっと昔から大ファンなんだよ……あのポケモンリーグ戦を見てから! レッドさんともグリーンさんともブルーさんとも同じマサラに住んでるって知ったときはもー家突き止めようとがんばったんだけどさー」

「えっ」

ずささっ、大きくサツキは体を離した。それに気付かないくらい、カルミンは語りに夢中になっている。

カルミンはどうもただのファンでない。熱狂的で、ストーカー気質だ。

サツキは自分の家が知られているかもしれない、と恐々としたが、

「先生に止められて結局探せてないんだよなー、レッドさんの家」

「な、なんだ……」

からから笑うカルミンに、サツキは胸をなで下ろす。そうだ、家を突き止められていたらサツキのことも知っているはずである。

ただ、カルミンはオーキド博士にはサインを求めに行ったことがあるらしい。当然門前払いを喰らったらしいが――すごいファン根性だと、サツキは思った。

パパのファンでもこんな熱烈な人見たことない。

案外、レッドに似てると思ったことは気のせいでないのかもしれない。好きすぎて寄っていったのだ。

「でも、ジャケットはレッドさんと同じメーカーで買ったんだ! もう同じデザインはなかったけど」

「へー……」

「なぁ、サツキもレッドさんのファンなんだろ? 俺と色違いじゃ……」

「あたしがパパのファン!? ないない、絶対ない!!」

冗談じゃない、サツキは鬱陶しくていじわるでサツキの嫌なことばっかりしてくる父をあまり好きではないのだ。

バトルをしている姿がかっこいいのは認めるが、断じてファンなのではない!

かっと勢いで否定して、サツキは口走ったことに気付かなかった。

カルミンが目を丸くして聞き返す。

「…………パパ?」

「――――……あっ」

慌てて口を押さえてももう遅い。

父のファンの前で、身内だとわかって面倒なことになるのが嫌だったから、他人のふりをしようと思ったのに。

「パパ?」

「ぱ、ぱ……あ、あはははは……」

上手いごまかしが思いつかず、曖昧に笑ってみせる。

カルミンは惚けた顔で口をぱくぱくして、サツキをただ指さしている。

あ、今のうちに逃げようかな。

そろり、そろり、とメーちゃんを抱えてカルミンから距離を取ってみる。

しかし、背を向けて走りだそうとしたところで手を捕まれた。

「サツキってレッドさんの子供なの!?」

「わ――っ、やめて――――っ!!」

洞窟内にふたりの声が反響して、わんわんと響く。

それに驚いたズバットが一斉に羽ばたいてきたのに、サツキはまた叫んで頭を抱えてしゃがみこんだ。

もうやだ。帰りたいよお。

パパのばかあ!

「あーっ、そっか! 思い出したサツキ! レッドさんとカスミさんの子、どっかで聞いたと思ったんだ!」

「うわーん、ほっといてよお」

顔から火が出そうだ。すでに視界は涙で歪み始めている。今日ほど両親が有名なことを恨んだことはないだろう。

カルミンはそんなサツキの気持ちなど露知らず、純粋にうらやましがっている。

「やめてよ、恥ずかしい! パパはあたしにいじわるばっかするし、結婚しようってうるさいし、バトルのときばっかかっこよくて普段はいっつもママに怒られてて、ママがいないとどうしようもないような人なんだよ! そんなことあたしに言われても、困る!!」

「わ、わるい……」

顔を真っ赤に怒鳴るサツキに、カルミンが押され負ける。

興奮がようやく収まったのか、決まりが悪そうに頭を掻く。憧れの人の身内にテンションが上がるのはわからないでもないが、あくまでサツキには父でしかない。そういうのは好きな人同士で話してほしい。

「でもそっか。サツキはカスミさんの子なんだな。どーりでかわいいと思った!」

「!?」

ぐわああ、と顔の血の巡りがよくなったのを感じる。

ほら、行こうぜ! と先を促すカルミンは、最後の最後に大きな爆弾を落としたことも気にせず、さわやかに笑っていた。

+++

どこに行ったの、アタシの天使。

どこにいるの、アタシの子!

「メル……メルがいないの! どうしようシルバー、メルがいないの! あの子までいなくなったら、アタシ、アタシ……!!」

「落ち着いて、姉さん!」

ブルーはシルバーにすがりつく。否、半狂乱なのをシルバーに押さえ込まれ、身動きが取れないでいる。

頭の中は悪い予想が激流のように巡っていて、とてもじゃないが落ち着けるような気分になれない。

「どうしよう、誰かに浚われたんじゃ……やっぱり留守番なんて頼むんじゃなかった……!」

「大丈夫、大丈夫だから……」

ブルーを押さえるシルバーの声にも焦りが見える。そう、この状況で二人が落ち着けるわけがないのだ。

ブルーが買い物に出かけている間に、二人の娘フェルメールが失踪した。

置き手紙はなく、家が荒らされた形跡もない。ただ、いくつかの着替えと、モンスターボールが消えていた。

ただメルがどこかへ遊びに行っただけ、とも考えられたが、黙って出ていくような子ではないと断言できた。

だからこそ、二人には最悪の予想が浮かぶのだ。

メルが、何者かに浚われたのではないかと。

「大丈夫だよ……おかしなことが起きれば、すぐに近所の人が気付く」

「でも……!」

ブルーを励ますシルバーの顔色もよくない。

二人にとって、子供がいなくなるのは最も恐れていたことだった。

かつて――二人が、幼少期に浚われた記憶のせいだ。

子供を持ってから、最も恐れ続けたことだった。また家族と引き離される恐怖を味わうのは嫌だったのだ。

二人はその昔、事情があって息子を一人手放している。

だからこそ、一人娘を箱どころか城に入れてかわいがってきたのだ。

ただでさえ、一人娘メルは世界を狂わせるほどの可愛らしさを持っている。その容姿はさながら天使か妖精かと言わんばかりだ。そんな娘だからこそ、誘拐は最も現実味があって恐ろしかった。

どこに行ったの、メル!

「…………でんわ」

「グリーン先輩からだ」

ぷるるるるる!

二人の混乱を無理矢理押さえつけるかのように、ポケギアのベルが鳴り響く。

こんなときに、なんなんだ。尊敬する先輩であっても悪態をつきたくなるのを抑えて、シルバーはできるだけ平静に応えた。

「……もしもし」

『シルバー、家にメルはいるか?』

やや焦ったような声だった。

グリーンらしくない。聞こえてきた声音と内容に、二人は思わず顔を見合わせる。

「……どうしたの、グリーン。メルが……何?」

メルはいない。失踪している。

それが、しばらくぶりに連絡を取る相手に所在を問われるとは何事だろう。メルの居場所など、こちらが聞きたいくらいだ。

不審を露わにせざるを得ない二人に、グリーンは構わず爆弾を落とす。

『メルがヒトカゲを連れて行った。なにか知らないか』

「なによそれ! メルがポケモンを浚ったって言うの!? あの子はそんな……そんな子じゃない! 大体どこにいるかなんて、こっちが聞きたいわよ! なんであの子はあなたのところに行ったのよ!」

どういうことだ、と半狂乱のブルーにグリーンが当惑する。

シルバーはただ、メルが消えたことだけをなんとか絞り出して、ブルーの気を収めることに徹する。その尋常じゃない取り乱し方にグリーンも感じるものがあったのだろう、声のトーンを優しく落とした。

『違う、メルは浚ってなんかいない。ヒトカゲが着いていった。ポケモン図鑑を差し出して』

「図鑑を?」

『あいつは多分、自分が図鑑とセットだと思ったんだろう。フシギダネやゼニガメのように。頭がよくて……とても生意気な奴だったからな』

消えたヒトカゲは変わり者だったらしい。

実力のある人間を的確に見抜き、それ以外を舐めくさって噛みつくポケモンだった。グリーンはともかく、イエローやオーカは近づけることがなかったという。

そんなヒトカゲが、メルをトレーナーと認めて着いていった。

『だからお前たちのところに行っていないかと思ったんだが……そうか』

「ねえ、メルはどこに行ったんだと思う……?」

いい加減泣きすぎて疲れてきたブルーが、弱々しい声で問う。

グリーンも彼女の心中を察して心苦しいのか、沈黙が続いた。

ブルーが取り乱すのは、過去に浚われた記憶のせいだけではない。

かつてのブルーと同じように、失踪し、オーキド邸からポケモンを盗み出しているからだ。細部こそ違えど、ブルーにとっては嫌な符号でしかないだろう。

だが、これを言わなければ話は先に進まない。

『――ポケモンリーグ』

重々しく告げられた言葉に、ブルーはとうとう泣き伏せてしまう。

やめてほしかった。自分たちと似たような、不幸の道筋を辿るのは。

『監視カメラの音声で、聞きづらいがそんなことが聞き取れるものが――聞こえたと思う』

「でもどうして先輩のところに」

『昔を思い出せ。ブルーは俺たちが旅だったことを聞いてゼニガメを連れていったんだろう。……メルも、オーカたちが旅立ったから、ここに来たんじゃないのか』

グリーンを探すしぐさをしていたという、愛娘。行動のきっかけがまるっきりかつての母と同じというのは、因縁を感じる話だ。

「メルがリーグに行きたいと思うほど、バトルが好きなようには思えない」

『そんなことは知らん。ただリーグに向かったと思うなら、そこまで心配する必要はないかもしれん』

「心配するわよ! 今まで、悪いものからずっと遠ざけて大切に育てて来たのに、旅なんかに出て変態に襲われでもしたらどうするのよ!」

ヒステリックに叫ぶブルーに、グリーンは辟易したようにイエローみたいなことを、と呟いたのをシルバーは聞いた。

イエローは超の付く過保護だ。日頃から似たような恨み言を聞かされているに違いない。

『落ち着け、ヒトカゲは強い。あいつがメルを認めたなら、少なくともメルを危害から守ることはするはずだ』

「でも……っ」

『それに』

グリーンが一拍置いて言う。

『お前たちの娘が、そう大人しく庇護されていると思うのか? もう十歳も過ぎたんだぞ』

「……」

二人は顔を見合わせる。

そうだ。メルは、聞き分けはいいが大人しくない。天使のような容姿に反して、やりたいことは何を犠牲にしてもやり遂げる。バトルセンスも高く、リーグなど容易に突破してみせるだろう。

大切に大切にと育ててきたが、思えば、メルの性質はそういったものとはまったく逆のところにある。

『少しは信じてみたらどうだ、娘を』

「……」

ブルーは複雑そうに目を伏せる。

内心不安でしかたないに違いない。強いトラウマを刺激するメルの行動に、今すぐ連れ戻したい衝動に駆られているはずだ。

だが、メルが黙って行動したということは、今回のこれは両親への挑戦状なのだと、シルバーは思う。

保護からの脱却。そのために、旅に出る。

シルバーが同じ立場ならそうする。ブルーでもするだろう。二人とも、なによりも束縛を嫌う性格だ、それが娘に遺伝していないわけがない。

なによりメルは、目的のためなら手段を問わない。今回はこうなってしまっただけで、きっとなんらかの形で出ていくつもりだったのだろう。

「……メルを、信じよう。姉さん」

「…………うん」

かつて自分を守ってくれた、大きかったはずの妻は、シルバーの胸の中で小さく泣いていた。

グリーンに礼を言って切る。

折り合いをつけなければならない。

シルバーはもうすぐ、親子としての転機を迎えようとしていることを感じた。

どうか無事に帰ってきてくれ。俺たちの天使。

+++

「ねぇ、カルミンはどうしてパパが好きなの?」

自分から打ち切っておいて、結局サツキはカルミンにレッドの話を振ってしまう。

いろいろと他愛のない話をしながらオツキミ山を歩いてきたが、結局、目の前の少年とレッドの話はどうしても切り捨てられないものだと観念したのだ。

それに、純粋に理由も知りたかった。

カルミンは待ってましたと言わんばかりに目を輝かせて語り出す。

「初めはさ、“図鑑所有者物語”のレックスから知ったんだ」

「図鑑所有者……物語?」

名前だけは聞いたことがある。

故オーキド・ユキナリ博士の著書。“図鑑所有者”という選ばれた子供が、世界を災厄から救う冒険小説だ。それは全部で数十章もある長編で、もう数十年も昔の本だと言うのに未だに売れ続けている大ベストセラーだ。

とはいえ、サツキは小説を読むのが苦手で、読んだことがないのだが。

「そのレックスとパパが何か関係あるの?」

「はっ!? お前知らないの!?」

信じらんねー!! とカルミンが大げさに頭を抱える。

そんなに大げさに騒がれることだろうか。サツキはなんだか心外だった。

「あの小説が、昔あった事件を基に書かれてるっていうのは有名な話なんだぜ。特に、主人公のレックスはレッドさんがモデルっていうのはファンの間じゃ常識なんだ!」

「だって読んだことないし……」

「もったいねー!」

レッドの経歴がレックスと酷似しているから、それだけは確定しているらしい。同様の理由でグリーンも、レックスのライバル、グスタフだろうとまことしやかに語られているという。

だが、わかっていることはそこまで。

他の登場人物のモデルは誰かはわからないし、作中の事件の解決者が本当にその者たちなのかは、やはり誰も知らないという。

ポケモンマフィアの事件、氷の仮面の男の事件、古代ポケモン復活事件……記録に残るほどの大きな事件は全て事実だ。だが、その解決者の記録はないのだそうだ。

その現実と非現実の境があいまいなところが、なお小説の人気を続けさせる要因なのだと言う。

「まぁ、とにかくさ。俺レックスが好きだったんだ。憧れてた。そんな俺を見て、ある日先生が昔のビデオを見せてくれたんだよ」

「……パパの、ポケモンリーグ決勝戦?」

「そう」

懐かしげに、カルミンが微笑む。

ああ、本当にカルミンはレッドのことが好きなのだ。サツキはなんだか胸が熱くなる。こんな風に父を想ってくれる人がいるのは、恥ずかしいが嫌じゃない。

「一瞬で夢中になった。今も昔も、あれ以上すごいバトル見たことない。あの人がレックスの基になった人なんだって教えてもらってからは必死になってレッドさんのこと調べた。調べれば調べるほど好きになった。あの人みたいになりたいと思ったんだ」

初恋って言ってもいいかもな、と冗談まじりに笑うカルミンに、サツキはたまらず手を掴んだ。

掴んで、そっかと返すのが精一杯だった。どう反応していいのかわからず、俯いて妙に熱い顔を耐えるしかなかった。

「今年旅立とうって思ったのもレッドさんが旅だった年だったからなんだ。俺の誕生日来月だけど、十一歳になる年だったから」

「うん」

「まぁ、ミュウにも会えてないし、俺には博士からもらった図鑑もないんだけどさ」

少し残念そうにカルミンは話す。

そんな特別なこと、ふつうはそうそう起こらない。

「でも、ここでサツキに会えたのは、神様が俺にくれた運命のプレゼントなのかもな!」

「――!」

にっこり笑って言ってのけるカルミンに、サツキの心臓が飛び跳ねる。

おちつけ、大した意味じゃない。

カルミンにとってサツキは、“憧れのレッド”の娘だ。レッドとのつながりを持てたことそのものが、こんなことを言えてしまうくらい嬉しいことなのだ。

わかっているが言葉が悪い。

なんていうか、心臓が足りない!

どうしたんだよ、と挙動不審になるサツキをのぞき込むカルミンの様子は自分がなにを言ったのかまったく気にしていないようだ。それくらい何気ない台詞だったに違いない。だから性質が悪い。

「カルミンって、えぐいね……」

「はぁ?」

ぜい、と大きく息をつく。

そんなサツキの緊張を知ってか知らずか、カルミンと繋いでいるのと反対の手を握るメーちゃんがくいくいと腕を引く。

なにやら気になったものを見つけたらしく、繋いでない方の手をばたばたと振ってなにかを指さしている。

「どうしたの、メーちゃん。あっちになにかあるの?」

「あっちって、多分採掘場の方じゃないか?」

順路と思われる道とは別に、掘り抜いて大きな広間になったような場所がその先には広がっている。誰もいないが、見えない奥の方までトロッコの線路が続いていた。

あっちの方を見てみたいのだろうか。

「行ってみるか?」

「道迷って出れなくなったらどうしよう……」

「へーきへーき、ちゃんと俺が外に出してやるよ」

「なにかに襲われたりしたら……」

まっすぐに洞窟を抜けないことに怖がるサツキの手を離して、カルミンががっと肩に腕を回してくる。

にっと冒険好きそうな笑顔を見せて、

「そんときは俺が守ってやるよ」

きっぱり、有無を言わせない口調で言い切る。

ああ、行かないって選択肢はないんだなあ……。

メーちゃんとカルミンは気があうらしい。冒険好きらしく、このオツキミ山をただ通るつもりなんて初めからなかったのだ。

こんな暗いとこ早く出たいよー!

嘆いても二人には届くはずもなく、サツキは力なく引きずられるばかりだった。

+++

「きゃーッ!」

「カラ、ホネこんぼうでけちらせ!」

頭上から突然襲い来るズバットの集団にカラカラが武器のホネを的確に打ち込んでいく。かなりの数がいたというのにカルミンとカラカラは焦るわけでもなくものの数秒でズバットたちを追い払ってしまう。

驚きのあまり座り込んで抱き合ってしまう、サツキやメーちゃん、ピーちゃんとは大違いだった。

「まったく、ほんとビビりなんだなぁお前」

「うう、ありがとう……」

採掘場に続く、より暗い道を進み始めてからずっとこんな調子だった。

守ってやる、と言葉通りに暗がりから現れるポケモンたちをカルミンはけちらしていく。その相棒のカラカラも、まるで剣士のような落ち着きようだ。

サツキがカルミンに立たされる横で、涙目のメーちゃんがカラカラに頭を撫でられている。すっかりそれぞれ、コンビができてしまったようである。

明かり役のピーちゃんは一匹、強がって誰にも頼ろうとしないが。

「この程度で怖がってて、ちゃんと旅できんのかよー」

「できるよ多分……トキワの森だって通ったんだし……」

カルミンに手を引かれながら、サツキはこぼれてきた涙を拭う。

そもそも、こんな寄り道をしなければここまで怖い思いはしなくて済んだのだ。

採掘場へと進む道は、だだっ広いわりに明かりが少なく、足下を照らすだけのピーちゃんの明かりでは暗くて怖くてしかたがない。不安なく道を通れるほど明かりがあったのはハナダへ繋がる正規の道だけだったらしい。

「安心しろよ、俺がいる間は大丈夫だから」

「……うん」

しかし、本当にカルミンに声をかけてもらえてよかったと思う。

メーちゃんがいるかぎり、きっとこの道を通っただろうし、カルミンがいなかったらサツキは絶対に動けなくなっていたに違いない。

ミーちゃんならばきっちりサツキを守ってくれるだろうが――。

手、あったかくて安心する。

視界の悪い洞窟内で、唯一信じられる繋がれた手。彼に会えてよかったと、心から安堵する。

「でも、なんでこっちはこんなに暗いんだろうね? お仕事してる場所だったんだよね?」

「ポケモンたちのすみかなんだろ、こっちは。ハナダに行くだけならこんなとこ来ないし、照らしてるのは順路だけで十分だろ」

もう使ってないわけだし。と、カルミンが言う。

その言葉の通り、洞窟の中のあちこちでポケモンの群を見た。明かりに弱いズバットたちはこちらに入ってきたとたんに数が増えたように感じるし、稀少種と言われるピッピたちも、奥に入ってから見かけるようになった。

人とポケモンの住み分けになっているのだ。

「……あ。なあ、見ろよサツキ。これ化石じゃね?」

「化石?」

壁を伝って歩いていたカルミンが、なにかに触れたらしく立ち止まる。

もっとよく見ようと、ピーちゃんを抱き上げて覗きこめばなにかの貝殻のようなものが見えた。巻き貝らしく、キャンディーのようにぐるぐるしている。

「これが化石? ただの貝殻だよ」

「お前博物館行ってないの? かいのかせき……オムナイトだったやつだよ」

そういえば、着いてジムに挑んだだけで出てきてしまったせいでなにもニビを見てこなかった。

ニビシティには有名な博物館がある。昔、隕石が落ちたりとか、このオツキミ山だけでつきの石を発掘できたりとか、なにかと月に因縁がある町なので、博物館にあるものもそういったものが多い。

採掘場から発掘された化石も、博物館に飾ってあったに違いない。カルミンの目がきらきらする。

「体は死んでから何百年してなくなっちゃったけど……こうやって、貝だけが今に遺ったんだ。きっとそうだ、これオムナイトだよ!」

「ほんとかなー」

もし、これがかつてポケモンだったなら。

図鑑が反応してくれるかな?

なにげなく思ってポケモン図鑑をかざしてみる。まだ白く、ほんの少し傷がついた電子機器。

「! さ、サツキ、それって……!」

ぎょっとするカルミンの質問に答えるように、ポケモン図鑑が鳴き出した。

『オムナイト、うずまきポケモン。

大昔、海に住んでいた古代ポケモン。十本の足をくねらせて泳ぐ』

「あ、ほんとにオムナイトなんだ」

「そ、そ、それポケモン図鑑!?」

「え、うん……っ!?」

食いつくように肩を掴まれて思わず体が跳ねる。

抱き上げられていたピーちゃんもびっくりしたのか、カルミンの手に思い切り電撃を浴びせてしまった。

叱るも、どうも反省の色がない。この子機会を伺ってたな。

カルミンは電撃で刺されたところをさすりながら、改めて白いポケモン図鑑を眺めた。

「まじかよ……白いけど、これ……初代ポケモン図鑑と同じ形じゃん……」

「それは、図鑑所有者物語の話?」

「うん。……噂では聞いてたんだ、オーキド博士が図鑑を作ってるって。でもほんとだったんだ……いいなぁ~」

ちょっと見せて、とカルミンが腕をひっぱるので、彼にも見やすいように図鑑を持ち直す。

中は現代仕様のタッチパネルなので、やっぱり全部は同じじゃないよな、とカルミンは少し残念がっているようだった。

「いいなぁ、図鑑所有者。サツキは選ばれたんだな」

「そんなこと……パパたちが子供にあげたいって、ロマンを押しつけてきただけだよ」

「選ばれたんだよ。レッドさんの子供に生まれたときからサツキは特別だったんだ」

うらやましい、というカルミンにサツキはなんだか申し訳なくなる。自分は、レッドのような特別な人間ではないからだ。

ただの子供で、リーグを目指そうとは思える程度の実力しかない。それだって、本当はするつもりがなかった、ただただ平穏な生活を望んでいる子供なのだ。

こんな風に、本当にほしがっている子にあげたらいいのに。

「なぁ、これ、取れるかな?」

「化石を? いいのかな」

「いーじゃん、誰が掘り返したって」

ぱっとカルミンは話を変えると、カラカラからホネを受け取る。カラカラのホネは持ち手が鋭くなっているから、それで岩を削るつもりらしい。

大きく振りかぶって、かいのかせきが埋まったところにぶつけようとした瞬間――。

「やめろッ!!」

ぐわん、と洞窟内に男の声が響く。

それに驚いたポケモンたちが一斉に奥の方へと流れていく。勢いに流されないようにと、カルミンがサツキを、カラカラがメーちゃんをそれぞれ抱いて守る。

「……誰だ……?」

ポケモンたちの大移動が終わって、声の出所を探る。

先ほど、サツキたちも通った道。そこに、一人の男が立っていた。

細く長い体。髪はぺたんとつぶれていて、眼鏡をかけている男。頼りなさと陰気さの中に、濃い怒気が混じっている。

不気味で思わず、カルミンのシャツを握る。

「なんだかポケモンが騒がしいと思ったら……なに勝手に子供がここを通っているんだ……? ここの化石はなあ……全部僕が見つけて、全部僕のものにするんだッ!」

「はぁ!? 山のものは山のものだろ、俺が見つけたんだから俺のものにしてなにが悪いんだよ!」

意味不明な理論にカルミンがキレる。その反論を男はなにも聞いてない様子で、ゆらゆら不気味に近づいてくる。

その手にはモンスターボールが握られている。

「カルミン」

「大丈夫、サツキに指一本触れさせやしない」

下がるようサツキを後ろに隠して、カルミンがカラカラにホネを返す。メーちゃんを奥へと隠したカラカラが、一匹、男の怒気を一身に受けるように前へ出た。

「この山、あんたのモンじゃないんだろ。それで俺たちボコして追い出そうってんなら、こっちだって相手するぞ」

「生意気なガキだなぁ……! 行け、ベトベター!」

男の放ったボールの中から悪臭を伴って紫のスライムが現れる。不気味に笑うその物体は、ヘドロポケモンのベトベターだ。

思わずサツキも顔を覆う。ベトベターの体臭はサツキたちを攻撃するように取り囲んで苦しめる。ベトベターの敵意がそうさせるのだ。

「ベトベター、ヘドロこうげき!」

「ホネこんぼうで岩を砕け! 壁にするんだ!」

勢いよくホネで殴られた壁の岩がカラカラとベトベターの間に降り注ぐ。ヘドロは岩に貼り付いてカラカラまで届かない。

パラパラ、と天井から砂がこぼれ落ちてくる。

なんだか嫌な感じがする。

「もういっちょ、カラ! 天井にホネこんぼうだ、岩を落とせ!」

「させるなベトベター、どろばくだんで打ち落とすんだ!」

二匹が同時に天井に向かって攻撃を放つ。

ホネが天井に届く前にどろばくだんがホネを捕らえるも、それが起爆剤となってホネのスピードが上がる。

危ない。

「カラ、ベトベター、そこから離れて!」

「サツキ!?」

「二人ともそこから離れて……落ちるよ!」

サツキの叫びに二人がぎょっとしたように止まる。

カラカラもベトベターも動けないまま、サツキを見ている。

びしッ、と嫌な音が響く。

叫びながらバトルの中へと近づいていたサツキは、勢いのままにベトベターを突き飛ばしカラカラを回収する。

「伏せて!」

ガラガラガラガラ!

重い音が洞窟内に響きわたる。

振動で内臓が揺れるのを感じながら、サツキは触れている体温が温かいことに安堵した。どこも怪我はしていない。

押し倒したカルミンを見ても、頭を打った以外怪我はなさそうだった。

間に合った。よかった。

「おじさん、大丈夫!?」

「お、お、おうー……」

崩れた岩の向こう側から、男の間抜けた声が聞こえてくる。

一緒にベトベターの声もした。どちらも無事だったようだ。

「サツキ……なんで」

「ホネがどろばくだんで普通より早くなったでしょ。あんな勢いで岩を殴ったら、こうなってもしかたないよ」

がらがら崩れた岩のあった場所、天井を見上げるとぽっかりと大きなくぼみが空いている。かろうじて天井が抜けることはなかったらしい。

通常のホネこんぼうの威力ならただ攻撃の一環程度の岩しか落ちてこなかったかもしれない。だがそこにどろばくだんが加わって、予定以上に岩が崩れてしまったのだ。

「おかしいと思ったんだ。大声出しただけであんなにポケモンが逃げていくの」

ここの岩は少しもろいのだろう。

だからバトルの予感を感じて、ポケモンたちが一斉に逃げていったのだ。こうなることを予期して。

「君が無事でよかった、カラ」

抱きかかえたままのカラの頭を撫でる。少し不本意なのか、顔をそらされてしまった。

バトルを中止されてしまったカルミンは、またばつが悪そうに体を起こして、つかつかと男の方へと歩いていく。

男は落石のショックに立ち直りきれず、ベトベターを抱えたままガタガタと震えていた。

「おい、どうすんの。続きやんの?」

「ぼ、ぼぼ、僕は! ここの化石を取らなければなにもしない!」

「なんでそんな化石にこだわんだよ……あーもーいいよ、めんどくさいから。ここの化石は諦めるよ」

投げやりにカルミンが言って話を切る。

元は単なる好奇心だ、カルミンに執着は存在しない。

「でもおじさん、どうしてこの山の化石はあなたのものなの? 化石って、そんなにいる?」

純粋な疑問だった。突然怒鳴られたのも気には障っているが。

化石から、ポケモンが復元できる技術はいまや一般的だ。だから古代のポケモンをゲットしたくて化石を探す人は少なくない。

だがそれ以外の目的がサツキには少しわからなかったのだ。

そんなサツキに、男はいくつかボールを取り出した。中は全部オムナイトとカブトだ。全部で五匹いる。

「僕は、古代ポケモンの生態を研究しているんだ。ここでは地質を解析してかつてどんな場所だったのか調べたり、このオムナイトやカブトたちは昔どんな食べ物を食べていたのかとかを調べてたんだよ。そのための許可ももらってる。だからここは本来立ち入り禁止なんだ……君たちは看板を見なかったのか?」

だから、全部僕のもの、なのだ。

サツキとカルミンは顔を見合わせる。全く、看板など目に入っていなかった。悪かったのは自分たちの方だったのだ。

「ごめんなさい、おじさん……」

「すんません……初めから立ち入り禁止だって言ってくれたらよかったのに」

気分がだいぶ落ち着いたのか、男の方も言い方が悪かったと笑ってくれる。

立ち入り禁止を無視して勝手に化石を盗っていくポケモン泥棒もたまにいるらしく、男も神経が過敏になりやすい性質らしい。きちんと謝る二人に、男は素らしいへなへなとした笑顔を向ける。

「じゃ、もう大人しくハナダに向かうといいよ。オツキミ山は、結構、部分的に土地を買ってる人が少なくないから。通るのはいいけど、野生のポケモン以外に触ると今度こそ怒られるよ」

「本当にごめんなさい。そうします」

「あ、なあ、おじさん。化石のこと調べてるんだよなッ?」

別れようとした間際、思い出したようにカルミンが言う。

「他に化石がとれるところって知らないか……ませんか! 俺、プテラをゲットしたいんだ!」

「プテラ……ってことは、コハクだね? ……ディグダの穴なら、たまに見つかってるって話だよ。あそこは誰のものじゃないから、好きに取れるんじゃないかな」

「ありがとう!」

おっしゃ、と拳を握るカルミンを促して、二人はハナダへの道に戻っていく。

「あっ。あそこは今ボスが凶暴だから気をつけて……って、言いそびれたな……」

まぁ、あの子強そうだからいいか。

男の独り言が、洞窟内に消えていった。

+++

肌を潮風が撫でる。

ひやりとしたオツキミ山の中から一転、強い日差しと夏の熱気がサツキを襲う。

心が躍る、水の匂い。サツキは思い切り吸い込んだ。

「やっと外だ……!」

「はー、あっちー」

「いいね夏、気持ちいいね外!」

「お前暗いの嫌なだけだろ」

「そんなことないよ、あたし夏大好きだよ!」

夏だけではない。この先はハナダシティなのだ。

母カスミが守る町。母の故郷、水の町。

サツキの第二の故郷と言ってもいいほど、サツキはあの町が大好きなのだ。

心が踊る。もう三日も水に触れられてないのだ、やっと泳げると思っただけで生き返る思いだ。

旅に出て嫌だったのは、森も洞窟もだったが、なにより好きに泳げないことだった。

サツキは人魚だ。水がないと生きられない。

「今が……十一時だな。こっからハナダはそう遠くないし、着いたら飯にしようぜ」

「そしたら泳ぎにいこうね! あたしの好きな場所教えてあげるね!」

「ジムに向けての特訓じゃないのかよ……」

呆れるカルミンをひっぱって、ハナダへの草原を駆ける。

夏が好きだ。太陽が好きだ。

ああ、やっぱり暗くてひやりとしたところは性分に合わない!

「早く行こう、ママが待ってる!」

+++

カーン、カーン。

男が一人、化石発掘に勤しむ。

男の足下ではカブトやオムナイトたちが削られた岩をせっせと邪魔にならないようけなげに移動させる作業をしている。

そんな音に誘われて、一人、少女が現れた。

臙脂色の髪に、白い肌。銀の大きな目で男を見ているその少女は、まさに天使が現れたような愛らしさだった。

少女の傍らには、灯り役のヒトカゲと、少女の護衛のニドリーノが同じように静かに立っている。

少女は先日、マサラタウンを出た。今頃家では大騒ぎになっているだろうが、連絡手段を持たない彼女のところにその喧噪は来ない。

マサラタウンを出てから、彼女は迷わずニビシティへと向かった。トキワのジムリーダーが両親の知り合いであることは知っていたからだ。連れ戻されないためにも避けた。

そうしてニビに着いた頃には、もうジム戦の受付は終わっていたので、次の日の今日、朝一番にバッジを手に入れここにいる。

オツキミ山の、中に。

そうして彼女は、オツキミ山の中をまた淡々と歩いていたのだが、どうにも人の目を惹く容姿のために、少し面倒なことになって道を逸れてきたのだった。

「……」

だから今、彼女の目の前には男がいる。

陰気そうな、細く白い男。足下には、たくさんのオムナイトとカブトと、一匹のベトベター。

声をかけようか、彼女は悩んでいた。

あまり、男に声をかけてよかった思い出がない。

どんなに迷っても自力で脱出するか、ストーカーを抱えるリスクを侵して道を聞いてみるか。

二つに一つ。

さて。

「……!」

そう悩んでいるうちに、カブトが一匹足に身を擦らせていた。

どうも、なつかれてしまったらしい。

「……離れてちょうだい」

やんわりと拒絶してみるも、カブトは楽しげに追ってくる。

遊んでいるわけではないのだが。

「困ったわ……」

「なんだカブト、うるさいぞ……」

とうとう、男が振り返ってしまう。

ばちり、と目が合った瞬間、男が息を止めた。

もう覚悟を決めるしかない。

「ごめんなさい、カブトになつかれてしまったの。道を教えてくれたら、わたしはすぐに立ち去るわ」

「いや、こちらこそ、僕のカブトが申し訳ない。君、名前は……」

「人通りの少ない道でハナダに出たいの。わかるかしら」

穏やかに、素性を知らせないよう要求だけ言う。

できるだけ早くここを去らなければならない。この男に捕まっている暇はない。

「ああ……ごめん、僕にはわからない。けど、この中に詳しい人を知ってるから、紹介しよう」

「あ……ああ、カブト、あなたは道を知っているのね?」

男が近付こうとするところに、カブトが猛アピールするのを適当に解釈する。

「この子を借りてもいいかしら?」

「ど、どうぞ。なんだったら、連れて行ってしまっても」

緊張しながら男が言うのに、少女は言質を取ったようににっこりと微笑んで礼を言った。

みるみるうちに男が赤くなっていくのを無視して、固まっているうちにこれ幸いとカブトを抱きかかえて去っていく。

「ありがとう。この子は大切にするわ」

ヒトカゲとニドリーノを従えて、少女はさらに山の奥地へと去っていく。

その後ろ姿に見とれていた男が正気に戻ったのは、それから三十分も経ったあとのことだった。