タマムシシティ その1
タマムシシティは、カントーでも有数の都会だ。
カントー一の規模を誇るタマムシデパートや、大きなゲームセンターなどがあり、カントーの住民にとっては一番の遊び場だった。
ヤマブキシティがビジネス街なら、こちらは歓楽街に近い。
そんな遊びの誘惑には脇目も振らず、サツキはタマムシの中心から外れた、人の少ない方へと歩いていく。
人や建物が減っていく代わりに、樹木が道を作るように整った形で植えられた方へと歩く。
その先にあるのは大きな木造の門。門番に挨拶して通してもらえば、また木造で大きい屋敷が現れる。
ここは、タマムシシティの名家。サツキの祖父の家のような洋風の館とは真逆の、和風な家だ。
大地主でハナダの御意見番として活躍をするサツキの祖父の家とは違い、この家は貴族といったような系統で、華道や茶道などの家元などを務めていたり、弓道を教えていたりとその業務の幅が広い。
サツキの家とは格が一つ違う、この家は幼なじみユリカの生家でもあった。
勝手知ったるこの家に来たのは、他でもない幼なじみに会いに来たのである。
「こんにちはー」
「ああ、サツキお嬢様。ユリカ様でしたら弓道場で練習中ですよ」
「ありがとう」
近くにいたお手伝いにユリカの居場所を聞いて、無遠慮にサツキは屋敷に上がる。
去年のリーグからほんの少し疎遠になっていた幼なじみの家は、相変わらずお手伝いの顔も屋敷の間取りもはっきりと覚えている。
弓道場がどこにあって、武道場がどこにあって、茶室や華道や舞踊を教える部屋がどこにあるかまで、サツキは全部知っていた。
迷わず真っ直ぐ、サツキは行く。
だがいつもと違うことが一つある。
サツキがこんなに緊張してこの家を歩くのは初めてだと言うことだ。
勝手知ったるこの家に来るのに緊張したことなど一度もなかった。
だが、サツキはこれからユリカに出会う。
きっと彼女は怒っているだろう。
ユリカはサツキのバトルが歪んでいることも、その理由も、きっかけも、どうせお見通しだ。
だからこそ、ユリカはこんな中途半端で歪んだサツキがリーグを目指して旅をしていることを許さないだろう。
サツキもまた、ユリカの考えることなど理解しきっているから。
覚悟はしてきた。
それに感情が追いつくかは別として。
「…………」
「…………」
広い弓道場。
そこにいるのは焦げ茶の艶やかな髪をまとめて、弓道着を身につけた細い目の美少女。
とすっ、と耳障り良く的に当たった弓は綺麗に中心へと刺さる。
彼女が弓を下ろし、こちらを見る。
その表情は無表情だった。
その佇まいが怒りに包まれているのも見通していた。
「……来たよ、ユリカ」
「おいでなさい」
挨拶もなく、ユリカは別の部屋へとサツキを誘導する。
途中、彼女が着替えるのを待って、それから長い廊下を歩く。
いくつもの襖の横を通り過ぎた先は、ポケモンバトルフィールドが四つある競技場だ。
こうなる覚悟は、してきた。
「話は聞いているわ。リーグに挑戦するようね」
フィールド挟んで向かい合い、ユリカが言う。
白いノースリーブのフリルがついたYシャツに、オレンジの膝丈のスカートといった上品な佇まいに反してユリカの威圧感は凄まじい。
ユリカが怒る理由を、サツキは今は知っている。
知ったからここに来た。
「うん」
「何故?」
去年は出ないと言ったのに。
言外に問われていることもサツキにはわかっている。話さなければならない。
これはサツキへの裁判だ。
「オーキド博士の娘さんに、決勝戦で戦おうって挑まれたから」
「ふぅん」
不機嫌に返事をして、ユリカはサツキを見つめる。
ユリカはおもむろにボールを取り出し、場に相棒のウツボットを出す。
ユリカにそっくりなウツボットもまた、サツキに冷ややかな目を向けている。
「手持ちは今いくつ?」
「四体」
「そう、では三対三で」
当然のようにバトルの指示をしてくる。予想済みなので慌てることはない。ボールの中からスターミーのミーちゃんを選んで場に出す。
「試してあげるわ、どれだけリーグで通用するか!」
ユリカがそう言った瞬間、ウツボットが動き出す。
つるのムチとはっぱカッターが同時に飛んでくるのをミーちゃんは避けずにスピードスターで器用に打ち落とす。
しかしそれにほっとしている暇もなく、今度はグラスミキサーを撃ち飛ばしながらウツボットがリーフブレードを構えて突進してきた。
攻撃をする暇もない。
これがユリカの戦い方だった。
相手に隙を与えることなく、攻めて攻めて攻めまくる。ユリカのよく回る頭とそれに応えられるポケモンたちの俊敏さによって生み出された奇跡のコンビネーション。
こんなマシンガン戦法を取れるのは、取るのは、ユリカくらいのものだ。
サツキはこれに、勝てたことがない。
「ミーちゃん、ちいさくなる!」
「あまいかおり、そしてようかいえき!」
少しでも逃げ道を作ろうとしても、瞬時に対応される。
あまいかおりによって動きを鈍らされたミーちゃんはようかいえきを避け損ね、直撃。まだ動けるが、動きが鈍っているとユリカに太刀打ちできない。
「戻ってミーちゃん。……行って、メーちゃん!」
結局、ミーちゃんが攻撃をできないまま交代する。カメールのメーちゃんが、場に元気よく飛び出して、瞬間、少し怯えた顔をした。
バトルの覚悟はしてきた。
だけどどうしてだろう。体が自分のものではないみたいだ。指示が上手くできない。こんなにユリカと戦えないことは今までなかったはずなのに。
そんなサツキの不調と戸惑いが、ポケモンたちに不安を与えていることに気付いていた。
「はきだす!」
「みずのはどう!」
交代の隙にたくわえていたものをウツボットが吐き出す。
二回はたくわえていただろう攻撃の重さにすぐにメーちゃんに避けさせる。まだメーちゃんは子供な分、攻撃が少し軽い。
ユリカの重く早い攻撃の嵐に、メーちゃんを出すのは少し酷だったか。
そんな後悔をしていると、ヘドロばくだんの雨が降ってくる。
さすがに危ない、と思わずサツキは走り出して、メーちゃんを抱えてヘドロばくだんを避ける。そんなサツキを、ユリカは苛立ったように見た。
「どうしたのサツキ、本気を出しなさい。そんな無様な姿見たことなくってよ。一度も攻撃をしてこないのはどういうこと?」
エナジーボールが、サツキめがけて飛んでくる。
「それとも――わたしを負かすのが嫌なのかしら!?」
ユリカは、気付いている。
サツキが、またユリカが負けたときに泣いてしまうことを恐れていることを。
「舐められたものね。……いいえ、そうさせてしまったのはわたしのせいだったわね」
にほんばれでフィールドが明るく照らされた瞬間、ソーラービームが撃たれる。
避けさせようとすると、メーちゃんがウツボットのつるに巻き付かれていることに今更気付いた。そのまま、閃光がメーちゃんを包む。
「メーちゃん!」
「次よ。次を出しなさい」
目を回し、ひっくり返るメーちゃんを一瞥して、ユリカは命じる。
「三対三だって言ったでしょ」
通常、ジムバトルなら一体でも倒れるとそこで終了だ。何故なら、一人一人にかまっていられる時間もないから。
だがこれはジムバトルではない。時間の制約もない野良バトル。
全てのポケモンが倒れるまで、バトルは終わらない。
「……お願い、オーちゃん」
ケ――――ン!!
登場と同時に、オニドリルのオーちゃんは高らかに叫ぶ。
バトルが大好きなこの子には、きっとユリカは理想に近い相手だと思う。
でもごめんね、今日は思うように戦わせてあげられそうにない。
ユリカを見るたびちらつくのだ。
リーグで泣いた彼女の顔が。
「はっぱカッター、そしてグラスミキサー!」
「オウムがえし!」
グラスミキサーとグラスミキサーがぶつかり合い、打ち消した衝撃で砂埃が舞う。その隙をついてつるのムチが飛んでくるのは予想していたから、逆にオーちゃんをウツボットへと向かわせる。
「つばめがえし!」
「……やっと一回」
三体目、オーちゃんになってようやくウツボットに攻撃が入る。
こんなに歯が立たないのは初めてだ。
ウツボットは若干痛そうにしたものの、まだ十分に戦える。
「ドリルくちばし!」
「リーフブレード!」
オーちゃんのくちばしとウツボットの葉が拮抗する。
どちらも引く気はなく、そのまま押し切ろうともがく。その力勝負に僅差で勝ったのはウツボットだ。
跳ね返されたオーちゃんに追従するようにエナジーボールが飛ばされる。
「オーちゃん!」
体勢を崩したままのオーちゃんはエナジーボールに直撃する。
ひゅるると落ちていくオーちゃんをウツボットのつるのムチが捕らえ、さらに攻撃を打ち込んでいく。
そんなポケモンたちの姿を見たくないのに、体が動かない。
「さぁ……最後よ。ミーちゃんを出しなさい」
目を回すオーちゃんを地へと放り投げて、ウツボットともども最後の一匹を要求する。
生け贄を要求するように。
最後にもう一度あがきたい。
ゆっくり、場にミーちゃんを出す。
「あのね、サツキ。バトルに対して真剣じゃないと勝てないのよ」
「うん」
「リーグに対して真摯じゃないと勝てないの」
「……うん」
ユリカはすぐに処刑をしなかった。
その言葉に怒りはなく、ただ淡々と事実を述べる。バトルに真剣でなければならない。知っている。これまで何度もそう言われてきた。
その言葉に沿えるように、ここまで旅をしてきて、もうすぐでなにかが掴めそうなことも感じている。
だから、ユリカの元に来たのだ。
ユリカに会えば、戦えば、最後の一つが掴めるかもしれないと思って。
ユリカは続ける。
「バトルは、リーグは、自分のために勝利を目指す者だけにその道を開くわ。だからね、余計な動機があると駄目なのよ……それじゃあ勝てないの。――昔のわたしのようにね」
「――――……えっ」
「終わりにしましょう」
言葉に戸惑う暇も与えず、ミーちゃんにはっぱカッターの嵐が飛んでくる。
こうそくスピンで打ち返させて、そのまま切り込んでいってもたやすく避けられる。さっきのにほんばれによって特性“ようりょくそ”が発動していて、ウツボットの動きがより俊敏になっているせいだ。
「サイコキネシス!」
「かげぶんしん、そしてグラスミキサー!」
対象を分からなくさせた上で全方位から放たれる攻撃に、ミーちゃんは避けることもできずまともに食らう。
よろけた隙を狙おうとウツボットがつるを伸ばして来るのにれいとうビームを浴びせて、その胴体にハイドロポンプを撃ち反動で距離を取る。
あのウツボットはパワーファイターだ。そのくせ器用だからあまり近づくのは得策じゃない。
ユリカの攻撃の癖はよく知っている。
もう終わりにしよう、と言ったあの言葉が合図であることも、仕掛けをどう施すのかもサツキはよく知っている。
サツキは、今最高になさけないバトルをしている。
だけどこのくらいのあがきはまだできる。やれるはずだ。
「はっぱカッター!」
「サイコキネシス!」
再三撃たれるはっぱカッターを、今度はサイコキネシスで返してやる。ウツボットはギリギリのラインでそれを避けきって、安堵したような表情を見せる。
「はっぱカッターにねむりごなを塗ってあることくらい……あたしにはちゃんと見えてるよ」
「……そう、その程度の気概はまだあるの」
ユリカはマシンガンのように数多く撃つ攻撃を得意としている、と一般には思われている。
それは、一面としては確かに正しい。だがユリカの真髄はそこではない。
勢いある攻撃の中に小さな罠を仕込んで、それにハマった相手にとどめを刺すのが正しいユリカの戦法だ。
本当に気をつけなければいけないのはそちらの方。サツキはよく知っている。
あまりにさりげなく行われるそれを、サツキだけはきちんと気付ける。
「いい目をしているわ、本当に……もったいないくらいに!」
だんっ、とウツボットが跳ね上がって、一気に距離を詰めてくる。
駄目だ、離れなきゃ。
思った時には遅かった。
「リーフストーム!」
轟と音を立てて、周囲のなにもかもを巻き込んで葉の竜巻がミーちゃんを持ち上げる。
捕まったら最後、技が終わるまで反撃も難しい。風に流され、葉に切られ、逆らうこともできず一方的に切り刻まれる大技。
技が途切れる前に、ミーちゃんのコアから光が消えるのが確かに見えた。
「……ミーちゃん」
「…………」
リーフストームが終わり、宙から落ちてくるミーちゃんを受け止める。
硬質に見えて柔らかいその体は、葉の刃に切り刻まれ痛々しい。完全に気絶しているらしく、コアは明滅さえもしていない。
いつも感情を届けてくれるコアは、サツキになにも伝えない。
「無様なバトルね、それでリーグに行こうなんて笑わせないで。あなたはもっとできたはずでしょう」
「…………」
「あなたがわたしに勝てない限り、タマムシジムに挑むことはわたしが許さない。その腑抜けた根性直していらっしゃい」
返事はしなかった。
ミーちゃんを抱き抱えたまま、去ろうとするユリカの背を見つめる。
けして、ただ情けない姿を見せるためにここに来たのだと思われたくなかったから。ここに来たのは最後の仕上げのためだ、それは本当に確かなのだ。
サツキのこれは、ユリカに会わない限り終わらないから。ユリカに会って、あと一歩を掴みたかったから。
だからなにを言われたって、反論はしなかった。
「答えは旅の向こうにあるわ。よく考えて」
「もう少しで見つけてみせる。また絶対に来るから!」
宣誓にユリカは返事をしない。
その背中が見えなくなってから、サツキはポケモンセンターへと走った。
+++
ユリカは競技場を後にして、自室へと歩いていく。
サツキに会うのは辛かった。負い目があるのだ。
サツキのバトルが変容したのは、去年のポケモンリーグが終わってから。その異変に気付くのは簡単だった。リーグに行かないのかと聞いたときに、彼女が曖昧に柔らかに笑ったから。
その瞬間、ユリカが負けたせいで彼女の中でバトルの在り方が変容したことに気付いた。
ユリカは強い。格闘技では負けなしを誇るし、ポケモンリーグでもたしかに優勝候補だった。その強さをユリカも自負しているし、サツキもよく知っている。
ユリカは強い。強くあらんとしてきた。ユリカは強くなければならなかった。それはユリカの矜持のためだけではない。サツキのためにも。
――あの日、サツキに泣きついたのがユリカの人生最大の汚点だ。
“ユリカは強い”ということが、どれだけサツキの中で強固なものになっていたか、あの日ユリカは思い知らされた。
滅多に泣かない、甘えないユリカが負けて泣くことが、臆病な彼女にとってどれだけリーグへの恐怖心を抱かせたかの想像は難くない。
そのことをずっと後悔していた。
実際の彼女とバトルしてみて、それはより深いものになった。
あんなにバトルができないサツキは初めて見る。
もっと彼女は敏感すぎるほど細かなものがよく見えていて、それを持ち前の運動神経で最大に生かしてバトルしてみせるのがサツキなのだ。
その目の良さはまだ生きていたが。でも彼女の目はバトルをするのを嫌がっていた。
理由は、わかっている。
ユリカは強くなければならなかった。
「…………」
「……ユリカ。……やりすぎじゃないのか?」
競技場から少し離れた廊下に、父タケシが立つ。
心配そうに娘を見る細い目をユリカは黙って見上げて対峙する。優しい父にはきっと、今のが喧嘩に見えたのだろう。
「大丈夫。多分あの子には伝わっているから」
「あんな一方的なバトルでか? もっと言葉を交わした方が……」
「お父様。わかっていないなら口を出さないでくださいな」
父に対して容赦なく切り捨てる娘に、タケシはうっと言葉を詰まらせて、そのまま黙り込んでしまう。
このまま放置しては可哀想かと、もう少しユリカは語る。
「サツキは、最後に“もう一度来る”と言いました。なにもわかっていないまま、わたしの前に来る子ではありませんわ。なにもわかっていなさそうなら、あの子はあんなに神妙に来ません。まだバトルは歪んでいたけど、ちゃんと覚悟は決めようとしていた。わたしはそれを信じています」
――来たよ、ユリカ。
なにもわかっていないなら、彼女はあんなに凪いだ表情で言葉は出さない。
覚悟を決めたとき、怒っているとき、本気になるとき――サツキは凪いだ海のように静やかな顔をする。その顔を見たから、ユリカはバトルをしたのだ。
二人はサツキが生まれた頃からの幼なじみ。
幼い頃は本当に世界に二人しかいないのだと思っていたほど、狭い世界で共に育ってきた。その絆をなめられては困る。
「お父様、サツキはわたしの幼なじみで親友ですのよ? そんなあの子が、ただ臆病で優しいだけの子であるとお思いですか?」
サツキはきっと強くなる。
きっとユリカ以上に強くなる。
こうなる前から、サツキのバトルはなにか枷がついていそうだった。それがこの旅で外せたなら。
サツキは絶対にリーグで優勝できる。断言してもいい。それくらい彼女を信頼しているし期待しているのだ。
「……そうか。たしかに、ユリカの友達になれるなら優しいだけの子じゃないな」
「そうでしょうそうでしょう。このユリカの親友なんですもの。必ずあの子はもう一度来るわ」
彼女が変容したのはユリカのせいだ。
だから、ユリカは彼女の壁にならなければならない。
サツキが答えを掴みとるための、最後の壁にならなければならない。
「わたしは、サツキを信じています」
凛とユリカは宣言した。
――だから、あまり待たせないでね、サツキ。