タマムシシティ その3

タマムシシティの中心から外れ、人通りのない場所でサツキはイーブイと向かい合う。

サツキになついてくれた、とは言っても人に対して恐怖心があるらしいイーブイは心を開いてくれるとまではいかない。

一応、害意がないことはわかってくれているようだが、それとこれとは別問題だ。

だからせめて、他のメンバーと打ち解けてくれたらと思って今日はみんなでイーブイにかかりっきりである。

意外にも、イーブイに親身になったのはピーちゃんであった。

同じ人に恐怖を持つポケモン同士、思うものがあるのかもしれない。イーブイの方もピーちゃんには怯えることなく接していた。

逆に同じメスのメーちゃんは無邪気になつきすぎるあまり怖がられ、サツキに泣きついている最中だった。それをあやしながらポケモンたちを見ていると、オーちゃんが妙に遠いところにいるのが見える。

いつも元気に鳴き上げているのに、今日は空も飛ばず鳴き声一つあげず。じっとイーブイを見つめながら縮こまっている。

「オーちゃんも、ブーちゃんと仲良くしたら?」

ブーちゃん。イーブイのニックネームである。

それを呼びながら近寄って声をかけてみると、オーちゃんが途方に暮れたような顔をしてサツキを見る。

これは。イーブイの弱々しさに対応がわかっていない顔だ。

「メーちゃんの方がちっちゃいのに、なんでイーブイとはお話できないかなー?」

メーちゃんは元気いっぱいの女の子。対して、イーブイは弱々しい、儚げな女の子。

そんな彼女にオーちゃんが怯えさせないように接するのは難題なのかもしれない。さっきメーちゃんが元気いっぱいに突撃して怖がられたばかりであるし。

「……ミーちゃん、どうしたの?」

心ない人がイーブイを見てなにかしてこないように、ミーちゃんには周囲の警戒もお願いしていた。

そんなミーちゃんがサツキを呼ぶ。その視線の先には、黒い日傘を差した女の子が見える。

じっと、イーブイを見つめる通りがかりの女の子。

その髪は艶やかな臙脂色で、毛先はくるりと外側に跳ねている。白い肌はこの暑い夏に日焼けも知らず透き通っていて、頬はかわいらしく薄桃色をしている。

あどけなく幼げな美貌はこの世のすべてのかわいさを詰め込んだようだ。

年はサツキと同じくらいか一つ下か。細く弱々しい体付きに、白い肌も相まってどこか儚げにさえ思える。背は低く、それがよりかわいらしさを強調する。

まるで天使か妖精でも現れたようだった。

彼女がこちらを見ていないとわかっていても、思わず体が強ばり緊張する。

美少女は、幼なじみやオーカなど、何人か見てきた。

だが彼女は規格外すぎて、サツキの脳内がショートでも起こしそうだった。同性なのに一瞬で恋に落ちてしまいそうな、甘やかな美少女。

どうして彼女が、こんなところで、イーブイを見つめるのか。

「……そのイーブイ、あなたの?」

鈴を転がしたような、愛らしい声。

その甘い声が彼女のものだと理解するのに時間がかかる。頷くのが精一杯のサツキを無視して、彼女はイーブイに触れる。

「この焼け痕は、あなたがやったの?」

イーブイの右足にある、Rの形のように焼かれた痕。

責めている風ではなく、ただ確認するために問うその平淡さを不思議に思いながら、サツキは首を横に振る。

「この文字の意味を知っている?」

Rの文字の意味。

なにかあるのだろうか。だが、サツキはなにも知らない。

マサミがきな臭いと称したなにかを表す文字なのかもしれないが、サツキはなにも知らない。彼女はなにか知っているのだろうか。

三つ目の質問に対して首を横に振ったとき、彼女はかすかに残念そうな顔をして、すっくりと立つ。

近くに並んでみると、やはりオーカほどではないがサツキよりずっと小さい。目線のあたりに彼女の頭が見える。

もっとよく顔を見たいのに、彼女はそれっきりサツキを見ないで、小さくありがとうと言って去ってしまう。

「…………」

ニドリーノを引き連れた彼女が見えなくなるまで、サツキもポケモンたちも動けなかった。

姿が見えなくなってから、ようやく詰めていた息を吐き出して、よろよろと座ってしまう。

ものすごい、美少女だった。

心臓がばくばくと鳴る。こんなに人に対して緊張するのは、オーキド博士のときでもなかったかもしれない。

――今のは、何者なんだろう?

あまりに現実味のない美貌と存在感に、サツキは天使にでも遭遇した気分だった。

+++

あのあと。

美少女の衝撃が抜けきらず、イーブイの訓練が身に入らなくて早々に切り上げてしまった。サツキもポケモンたちも、衝撃にぼんやりとするばかり。

あまりになにもする気が起こらなくて、無為にテレビを見てぼーっとする。

『ポケモンを育てたい! でも強くさせる方法なんてわからない……そんなときはウチにお任せ! コガネの育て屋さんにゴーゴー!』

ジョウト地方の育て屋さんのCMで、とびきりの美少女がポケモンと戯れている映像が流れる。

数年前から人気を誇る子役アイドルのアオイだ。ピンクの瞳をらんらんと輝かせるその笑顔ははちきれんばかりの魅力を詰めている。

やや派手目の美人、といったところだが美少女さは昼間に会った彼女とも張るかもしれない。

そんなことを、ぼんやりテレビを見ながら考える。

昼間の彼女は、どうしてイーブイに目をつけたのだろう。Rの焼き痕を気にしていた。あの質問に答えられなかった罪悪感が今更にサツキの心を苛める。

知らないものはどうしようもないのだが、あの残念そうにした顔を思い出すと許されざる罪を犯してしまったような気分になる。

「……また会えないかなあ……」

まるで恋でもしたような心地で、彼女のことを考える。

きっとあんな縁は二度とないとわかっているのに。

+++

今日も太陽は痛いほどの輝きをしている。

一晩経って、ようやくあの美少女ショックから立ち直り、訓練できるような場所を探す。

ついでに、なんとなくジムの方へと寄ってみる。

ジムの扉の向こうにはたくさんの植物が植えてある。タマムシジムは草タイプを専門にするリーダーに合わせて、ジムトレーナーや内装も草タイプらしいものになっているのだ。

しかし、今日もサツキにはその敷居を跨ぐ資格がない。

すぐに立ち去ろうとして、動きが止まる。

扉の向こうに、あの臙脂色の髪が見えた。

「あ、ああ……!」

「…………」

自動ドアが開き、現れたのはニドリーノを従えた昨日の美少女。

昨日と寸分変わらず、可愛らしい無表情でサツキを見つめる。

「き、君は、昨日の」

「…………どこかで会った?」

すっかり忘れ去られていることにショックを受けつつ、イーブイのトレーナーであることを伝えるとああ、と思い出したようにサツキに向き合う。

小柄な美少女を守るように、ニドリーノがサツキの前に立ちはだかる。

「それで、何?」

「君も、ジムを巡っているの? ……リーグを、目指しているの?」

「ええ」

淡泊に返事をする彼女に対し、サツキの緊張は増すばかり。

緊張のまま、なにも考えられない頭で彼女に対峙しているとおかしなことを口走ってしまいそうだった。

だが、リーグを目指しているなら。

リーグを目指しているトレーナーに会うことは少なかった。だからこの機会を逃すわけにはいかない。

本気の相手に、改めて挑んでみたいのだ。

「ば、バトルしませんか!?」

「なんで?」

「な、なんでって」

目と目が合ったらバトルの合図。

それは、トレーナー同士の合い言葉のようなもの。大抵二つ返事でイエスが返ってくるのに、彼女は心の底から不思議そうに返事をする。

「あ、ポケモンセンター寄るんなら、ぜんぜん構わないしむしろそうしてからバトルはするつもりだけど」

「どうしてあなたと戦わないといけないの?」

「あ、あたしが戦いたいから」

「わたしは戦いたくないけど」

そう言われると、食い下がりにくい。

段々面倒くさそうな表情になってくる彼女に焦りながら、それでもこの縁を離したくなくて言葉を続ける。

「リーグ目指してる人なかなか見つけられないから! お願いします、一対一で構わないから、すぐ終わらせるから!」

「あなた出身はどこ?」

「ま、マサラだけど……」

ふぅん、と彼女が考えるように鼻を鳴らす。

何故突然出身を聞かれたのかさっぱりわからないが、彼女なりになにか納得できたらしい。

「いいわよ。行きましょう」

さらりと言い放たれた言葉を飲み込みきれず、気付くとかなりの距離を離されていた。

+++

タマムシの中心街から離れた場所に、サツキは臙脂の髪の美少女と対峙する。

「君、すごいね、あの……」

「別に、よくあることよ」

気疲れしたサツキに対し、彼女は飄々としている。

ここまで来るのに本当は二十分もかからない。ポケモンセンターに寄ったとはいえ、それでも三十分ほどで来れるはずの距離。

だと言うのに、彼女があまりに美少女であるせいであちこちで声をかけられ、ナンパされ、見ず知らずの人に貢ぎ物をされ、気がつくと一時間経っていた。

美少女を甘く見ていた気がする。

サツキはいちいちリアクションを取りすぎてへろへろしていた。途中貢ぎ物を運ぶのも手伝ったし。

その貢ぎ物の山は、彼女によって雑多に積まれてしまっているが。

「バトル。するんでしょ」

「そ、そう。一対一で。本気で。きっちり」

今までバトルしてきた相手は、みんなバトルに対して本気で、やる気にあふれている人ばかりだった。

しかし彼女は平淡さを変えることなく、バトルを面倒くさそうにさえしているせいでなんだかやりづらさを感じる。

リーグ、目指してるんだよね?

思わずそんな疑問を持ってしまう。

「早くやりましょ、人に見つかると面倒だから。ニドリーノ、お願いね」

「う、うん……。頼むよ、ミーちゃん!」

彼女は従えていたニドリーノを、サツキは幼なじみのミーちゃんを、それぞれ場に出して姿勢を整える。

全員がバトルの体勢を取る中、彼女だけが日傘を差して平淡に見ている。

「ミーちゃん、バブルこうせん!」

まずは相手の出方を見よう、と小手調べに撃ってみる。ニドリーノは器用に避けて、時には砂を舞い上げ壁にするなど反応がいい。

そこで今度はこうそくスピンで肉弾戦へ持ち込んでみる。今度はニドリーノは避けることなく、角でミーちゃんの動きを止めに来た。

ミーちゃんが弾かれたところで、その角が毒に塗れたのを見てすぐにサツキは引き下がらせる。

「あのニドリーノ、動きがいいな……。よし、ミーちゃん、パワージェム!」

きらきらと輝く宝石のようなものがミーちゃんの周りに浮遊する。それを一気にニドリーノにぶつけにいくと、ニドリーノは口から勢い良く冷気を出してジェムの勢いを殺し落とす。

ふっとニドリーノが、背後の彼女を見てからサツキを睨んだ。

「……?」

その行動に疑問を感じていると、今度はニドリーノが動き出す。

力強く飛んだかと思うと、角をミーちゃんのコアめがけてぶつけてくる。もちろんミーちゃんも黙って攻撃はされていない、こうそくスピンで逆に叩き落としてみせる。

ニドリーノはそれでも怯まず、瞬時にどくばりを撃ち放ってミーちゃんの動きを鈍らせにかかる。

そこまで行って、サツキはなにか違和感を覚える。

バトルは順当に行っている。ニドリーノはかなり強く、ミーちゃんと互角のいい戦いを繰り広げている。

しかし、なんだろう。

どうして彼女は、さっきから指示をしないのか。

「スピードスター!」

勢い良く撃たれた星の弾丸がニドリーノを追いかける。

一つ一つを攻撃で相殺しようと奮闘するが、追いつかずにまともに食らい、ニドリーノがふらふらとよろけた。

「ニドリーノ、大丈夫?」

そうなって初めて、彼女が声を出した。

彼女の声かけにニドリーノは不機嫌そうに返事をして、一瞥もくれずミーちゃんへと向き合う。

「そう。がんばってね」

「待って!」

思わず、声を上げた。

やっぱりおかしい。こんなのバトルじゃない。

「なんで君、指示をしないの!? これはバトルなんだよ!?」

彼女はまるで指示をしない。これでは野生とのバトルとなにも変わらない。トレーナーと一緒になって戦ってなければ、それは試合にならない。

ポケモンバトルはトレーナーとポケモンが一緒に作り上げていくはずのものだ。

だが彼女は平淡に答える。

「だって、バトルをするのはポケモンでしょ」

「!?」

「わたし戦い方なんて知らないし。下手に邪魔をするくらいなら自由に戦わせてた方がポケモンも楽でしょ」

バトルをするのはポケモン。

初めて聞く価値観に戸惑う。確かにそうだ、そうだけど。だったらポケモンバトルってなんだろう。

「関係を決めるのはポケモンなのよ」

ニドリーノが、指示なくミーちゃんに攻撃してくる。

己の考え一本で攻撃を繰り広げるニドリーノの行動はバトルと違って読めずやりにくい。ただの野良と違う、トレーナーによって鍛えられた太刀筋だったからだ。

「わたしに出来るのは、ポケモンたちの穴を埋めるくらい」

彼女は呟く。

「ニドリーノ、上から行ってみたら?」

指示だかアドバイスだかわからないそれに、ニドリーノは瞬時に対応する。

なにか空中に投げたかと思うと、大きくミーちゃんに向かって吠えた。するとミーちゃんは動きを止めて、上から降ってきた巨石――ストーンエッジに直撃する。

「ミーちゃん、サイコキネシスで撃ち返して!」

動けるようになったミーちゃんはすぐにその石を破壊して、サイコキネシスで撃ち返す。早さに対応しきれなかったのか、ニドリーノはそれらをまともに受け苦しげに呻く。

サツキは内側からふつふつと沸き上がる熱に突き動かされていた。

絶対負けたくない。

「でんじは……そしてサイコショック!」

念によって作られた弾丸がニドリーノを貫いていく。

その弾丸にはでんじはが纏っていて、ニドリーノは大ダメージと共に麻痺状態へと陥る。

「これで終わり……れいとうビーム!」

畳みかけるように、動きが鈍くなったニドリーノへビームを撃つ。

タフなニドリーノだったが、重ねて行われる攻撃にとうとう目を回して倒れる。その様子に彼女は若干困ったような顔をして……それから、平淡に拍手をしてみせる。

「おめでとう、あなたの勝ちね」

「どうして!?」

サツキは叫ぶ。

怒りにも似た感情が自分の中に走っていた。

なんだろう、この感じ。

「君は、リーグを目指してるんでしょう!? どうして、真面目にバトルをしようとしないの!? バトルが好きだから、リーグに行くんじゃないの!? なんで指示をしないで、そんな、負けても平然としているの!?」

サツキが今まで会った子たちは、みんなバトルが好きだった。バトルが好きで、バトルに忠実で、真摯だった。

こんな風に負けても平然としている人は見たことがない。まるでバトルになんて興味のない様子でバトルをする人なんて見たことがない。

そんな人がリーグに行っていいわけがない。だってそれは。

――だってそれは、サツキと同じじゃないか。

「…………」

彼女は、若干面倒くさそうにサツキを見る。

それを見ながら、サツキは今までの己を振り返る。

自分を見ているようだった。スタンスは違っても、バトルへの姿勢が。負けても平然としていて、バトルとリーグに不誠実で。

サツキがこうして怒っているように、今までの人たちもサツキに怒っていたんだろう。

彼女がどう反応するのか、サツキは待った。

待って、彼女は口を開く。

「だって、別にバトルなんて興味ないもの」

「――――!?」

「リーグに行くのは、単にお母さんにこのくらい大きくなったよ、って言いたいだけの指標にすぎないの。リーグ自体に興味なんてないわ、わたしは探しものをしに行っていいって、お母さんに認めさせたいだけなんだから」

彼女は、リーグを目的どころか、道具にしようとしている。

信じられないような心地で話を聞く。

「リーグを利用するつもり?」

「利用してなにが悪いの?」

「あそこは、バトルを極めたい人が集まる場所なんだよ!?」

「そんな人がわたしに負けるならその程度の人だったってことでしょ」

「君はリーグをなんだと思っているの……?」

「あなたこそなんだと思っているの?」

心底意味がわからない、といった様子で彼女は語る。

「ポケモンリーグが人の欲以外でできてたことがあった?」

なにか飛んでもなく重いもので殴られた気分だった。

気がつくと、彼女の手を掴んで言っていた。

「少し……相談に乗ってくれないかな」

「それ、長くなる?」

また、バトルを申し込んだときのように断られるかと思った。

だが彼女の口から出た言葉は、想像とは違っていた。

「日陰に行きたいわ。くらくらしてきた」

+++

彼女と二人、木陰に座り込む。

不思議な心地だった。こんな美少女に対して、名前も知らない初対面の相手に対して自分の悩みを話すだなんて。

「あたし……バトルが怖いの」

おそらく、ユリカにさえきちんと言ったことのない恐怖心を初めて語るだろうと思う。

それができるのは、彼女が平淡でどうでもよさそうに聞いてくれるのと、彼女の独特な思想と、きっと二度と会わないだろうという希望のせいだ。

「誰よりも強かった幼なじみが負けて……泣く姿を見たら一気に怖くなったの。あんなに簡単に人の心って折れるんだって。バトルに本気の人が、負けて、観衆の罵声を浴びたら、もう立ち直れるんじゃないかって思ったら急にバトルをするのが怖くなったの。

あの心が折れた顔を見るのが辛くて……自分がそうなったらって思ったらもっと怖くて……だったら、初めから勝つのをやめようって、思ったの。自分で負けるなら怖くないから。

でも、友達の男の子をそれで怒らせちゃって……中途半端にするんでも駄目なんだって思わされて。でもそれだったらあたし、どうしたらいいんだろう? 本気で戦うしかないけどやっぱり本気で戦うのは怖いんだよ!

自分が勝つために、勝利を掴むために、平気で相手を蹴落とせるようになるのはやっぱりどうしても嫌で、だったら負けてた方が楽で、でも、でも……バトルをしないなんて、選択肢は選べないの……っ」

こんな風に、他人に吐露するのは初めてだった。

同じようにバトルを愛する人にこんなことはどうしても言えなくて、だけど全て吐き出してしまいたかった感情。

思わず涙さえこぼれそうになってくる。どんなに気付いても、変わろうと思っても、別に恐怖心を忘れられたわけじゃないのだ。

やっぱりまだ、サツキは一歩も進めていない。

「バトルが好き。あの空気感、呼吸、駆け引き、技術、全部一回一回違うの、大好き……。でも勝敗がついたとき、相手が悲しそうな顔をする瞬間がどうしても好きになれない。やっぱり向いてないのかな……あたしどうしたらいいの……」

膝を抱えて、サツキは悲しみに暮れる。

そんなサツキを彼女はどうでもよさそうに眺めていた。どうして、彼女はサツキの話を聞いてくれるのだろうか、サツキは疑問に思いながら、そこで一旦話を区切った。

彼女が、どう言い切るのかを期待する。

その返事はシンプルなものだった。

「馬鹿みたい」

可愛らしい声で、心底どうでもよさそうに、彼女は一刀両断する。

それから、嫌にはまる馬鹿にしたような顔でこうも言った。

「あなた、とんでもないエゴイストね」

エゴイスト。

知らない単語に戸惑う。

「自己チューってこと」

「そんなこと……」

彼女の大きな銀の目が、サツキのことを映す。

全てを見透かすようなその瞳に暴かれようとしている。

彼女は続ける。

「だって、そうでしょ。『本気の相手が負けたときの表情を見るのが辛い』だなんて。自分が勝つ場合だけを想定してなきゃ出てこない高慢ちきな言葉だって気付いていないの? あなたはエゴイストよ、本当は勝利しか見えてないくせに。相手のために負けて、自分が恐怖することから逃げているんでしょ?

蹴落とせるようになるのが怖いだなんて、違うでしょ? 臆病なあなたは恨まれるのが怖いんだわ。『本気の相手を負かして恨まれる』ことが怖いのよ。じゃなきゃ負かした相手を気遣うなんてそんな嫌味な発想は出てこない。

あなたは確かに優しいんだろうけど、そんな飛んでもないエゴイズム抱えてる人間もそうはいないでしょうね」

まるで審判を受けている気分だった。

彼女の銀の瞳はサツキの醜い部分を全部引きずり出してくれる。だが彼女は断罪をしない。ただ暴くだけ。

聞いた話を、彼女の価値観によって言い直すだけ。

それだけが、酷く心にすとんと落ちてくる。

「…………」

「責められてると思ってるんでしょう。別にわたし、それを否定なんてしてないのよ」

「うん、そうだね」

彼女はサツキをエゴイストと嘲笑う。

だがそれだけだ。彼女は馬鹿らしいと笑うだけで否定しない。

「エゴイストでなにが悪いの? みんなそうだと思うし、わたしはそんな優しさも嫌いじゃないわ。まぁ、勝負なんだから勝てばいいと思うけど。同じエゴイズムでもそっちの方が潔いし。……でもあんまり悩むなら、いっそバトルをやめた方がいいのかもね」

「バトルはやめない」

彼女の言葉に目から鱗が出るようだった。

今までのサツキのバトルを思い返す。どんなときも、サツキは負けることなんて考えたことがなかった。負けそうになったときは涙が出るほど焦ったし、元から勝つ気がなかったときは負けてもなんとも思わなかった。

無意識に手加減ができたのは、サツキがバトルを強いからだ。サツキはバトルが強いとわかりきっているからあんなショックを受けることができたのだ。

「リーグに行くのもやめない!」

今まで、本気のバトルをしろと言われ続けて、悩み続けていたのが嘘のようにはっきりと言える。

“勝負なんだから勝てばいい”。

こんなにシンプルな答えにどうして今まで辿り着けなかったのか。こんなシンプルな考えじゃユリカやカルミンやオーカに失礼だとも思ったが、バトルの真意はこれしかない。

難しく考えすぎて、より怯えていたかもしれない。

そうだ、サツキは“本気の相手に勝って恨まれる”ことが怖いんだろう。

あの熱量が折れたあと、なにが残るのか。悔しいという気持ちが形になったら襲われそうで、だから本気の相手に勝つのは怖かったのだ。

でも、どちらかが勝って、どちらかが負けるのがバトルだ。

ましてやリーグ。勝っても負けても恨みっこなし。折り込み済みで全員が戦っている。

だったら、全力で勝ちに行った方が誠実だ。

「開き直れた?」

「開き直れた!」

開き直っていい。

サツキはそんな場所に行こうとしている。

「あたしは、バトルが好き! 負ける想像なんてしたことないし、あたしは勝つって決まってる! 勝つし、勝ちたいし、勝ちを譲るつもりなんてない! 負けるつもりでやったバトルなんて、負けのうちにも入らないんだからー!」

エゴを吐き出すように叫ぶ。

これが、醜いもののように思えて昔からできなかった。ユリカが負けてしまう前からずっと、自分のためだけに、自分が勝つためだけにバトルすることがどうしてもできなかった。

だけど、そんなのあまりに“馬鹿らしい”。

勝負なのに勝たないなんて馬鹿らしい。勝負が自分のためじゃないなんて馬鹿らしい。そうだ、全部馬鹿馬鹿しいくらいにおかしなことだった。

これじゃあ怒られたって当然だ。なんでこうなってしまっていたんだろう。

臆病すぎる自分のせいだ。

だけど、もう、大丈夫だ。

「ありがとう、なんか吹っ切れた」

「みたいね」

“本気のバトル”なんて、難しいことは考えなくていい。ただ勝つことを考える――それが、“本気”だって言うことだ。

「じゃあ、わたし行くわね」

「ま、待って!」

去ろうとする彼女を捕まえて、サツキはナップザックからある石を一つ取り出す。

以前、マサミにもらった月の石だ。

「これ、ニドリーノにあげて」

「月の石……? いいの?」

「あたしじゃ使わないから。お礼」

「ありがとう」

にっこり、彼女が微笑むと周りが一斉に花開いたような錯覚を受ける。

衝撃に頭がくらくらするほどの破壊力。それまで彼女がずっと無表情だったからもあるだろう。平淡な彼女が、その天使のようなかわいらしさを持って微笑めば鬼さえひれ伏すに違いない。サツキは確信する。

「その、あと、名前教えてほしいな……」

くらくらしながら、ようやく言いたかった言葉を紡ぐ。

なかなか言い出すタイミングがわからなかったのだ。今度会うとき、名前を呼べばすぐに思い出してくれるかもしれないし。

「フェルメール。メルでいいわ」

「えっ、それって……マサラの妖精……!?」

メル。噂には聞いたことがある。

マサラに住む妖精の名前。天使のように可愛らしい女の子の名前で、そんなに知れ渡っているのに、誰もみたことがない妖精のこと。

彼女――メルは、絶句するサツキの腕からするりと抜けて帰路へと行ってしまう。

「じゃあね、“サツキ”。また会うこともあるかもね」

サツキの、名前を呼んで。

「な、な、なんで……え…………っ!?」

名前を呼ばれたことと、名前を知られていたことと、噂の美少女とあんなに近くにいたことを今更に思い出して、その衝撃にサツキはよろよろと座り込んだ。