タマムシシティ その5

「バトル中に人間が近寄るなら、まずは徹底的に足腰を鍛えることと、あとは受け身が取れるようにならないとね」

ユリカに格闘技を教えてくれ、と頼んだ後、今後のスケジュールを二人で立てる。

リーグに間に合わせる以上、サツキはあまり長くタマムシにいられない。ここにいる間にトレーニング方法を確立させておく必要があるのだ。

「走り込みなら普段からやってるけど……」

「それにスクワットも加えて。受け身の方法は昔にやったの覚えてるだろうけど、三日くらいやって体に叩き込んだ方がいいわね」

「足太くなりそう……」

「なんなら加圧トレーニングもやる?」

「スクワットやりまーす」

紙面に書き出されるトレーニングの山に、サツキは言い出しっぺであるのに少しげんなりする。

一応これでも、大柄で筋肉質なのは気にしているのだ。

――あー、もっと太くなる。やだなー。

細いまま筋肉がつけばいいのに。ユリカと違って、サツキはどうも体に出やすいのだ。

「あとどのくらいここに居れそう?」

「うーん……せいぜい五日かな。八月まで居ると、後半詰まりそうだし……」

今は七月の下旬。タマムシに来てから既に四日は経過している。

一ヶ月でバッジ四個ならちょうどいいペースだが、後半はグレン島のような離島もある。あまりゆっくりはしていられないだろう。

「そう。なら、やっぱり三日は受け身とトレーニングね。残り二日を実戦で試してみて、それからジム戦がいいわ。ジム戦で通用するレベルにできたら、あとはわたしが着く必要もないでしょう」

「ありがとうユリカ。でも、その間大会とか練習とか大丈夫?」

「ええ、その間は大丈夫。それに筋トレをサボるわけじゃないし、投げるのわたしなんだし、平気よ平気」

これから五日間、一体どれだけ過酷なものを強いられなければいけないのか。

その暗い予想以上に、現実とは辛いものだと理解するのにそう時間はいらなかった。

まずは準備運動のあと軽く三十分の走り込み。そのあとスクワットをして、縄跳びもする。

普段は雨の日くらいしかしない筋トレに体がビリビリするのを感じながら、受け身の練習をする。

昔まだ幼かった頃、ユリカの真似をして一通りの格闘技は軽くやったがそんなものは綺麗に忘れているもので、ひたすら自分で体を叩きつける。

そんなことで一日のほとんどを費やした後、ユリカとバトルして一日が終わる。

サツキが体を鍛えている間、ポケモンたちはまたユリカのポケモンたちと一緒に訓練をしている。その擦り合わせのために一日の最後だけバトルをする。

たった数日程度でいきなり強くなれるわけがない。

だが、トレーニングを習慣づけるための基礎訓練期間。これを疎かにはできなかった。

二日目も、三日目も、筋肉痛を感じながらそれを繰り返す。

そうして四日目と五日目は、ポケモンの技を避ける練習をするのだ。

「バトルに入り込むなら、当然技に巻き込まれないようにしないといけないわ。トレーナーが怪我したんじゃポケモンたちはやりにくい。受け身の練習は、技で吹き飛ばされたときの対処法」

「それで、足腰を鍛えた後で避ける訓練をするわけだね。色んなポケモン、使ってね」

ウツボットのはっぱカッター、モジャンボのパワーウィップ、ミーちゃんのスピードスター、ピーちゃんの十万ボルト……――――。

ポケモンたちに順繰りに技を繰り出させ、それをひたすら避ける。

時に当たってしまって、痛みに怯みそうになっても続けた。これにポケモンたちは耐えているのだ、サツキだって耐えなければならない。

サツキは、ポケモンたちと一緒に戦いたい。

その痛みを分かちあいたい。

けして、それが自分も攻撃を受けるなどという意味ではないことはわかっている。

だが守られる存在で居てはならない。

サツキはトレーナーなのだから。ポケモンたちの支えとなり、共に戦い、寄り添っていかなければ。

そんな想いを実現するために、サツキは熱心にトレーニングに励んだ。

「あぁ~……今日で最後か」

「わたしがいなくても続けるのよ、これ」

「わかってる。でも疲れたぁ~……本気で筋トレしたの初めて~」

そうして五日目が終わり、ユリカの部屋でだらんと寝ころぶ。全身の筋肉が痛みを発していて、とても目的がなければ耐えられない。

体を動かさないと寝れないので、雨の日だと一日中筋トレしているようなこともあるが本格的に体を鍛えるのは初めてだ。

こんなことをユリカはいつもしているのだろう、サツキと違って疲れている様子もない彼女を改めて尊敬する。

「ほら、布団敷いたから、せめて布団に寝なさい」

「はぁーい」

ユリカの部屋に敷かれる、一枚の布団。

中に二人で入るには、もうずいぶんと窮屈でユリカとかなり密着することになる。

小さな頃はこれで十分だったのだが、二人とも大人と大して変わりない大きさになってきている。こうやって同じ布団で寝るのもそろそろ限界かもしれない。

「次来たら、あたしの布団もお願いしないといけないね」

「別にこのままでもいいけど」

「寝にくくない?」

「寝にくいけど」

うだうだとユリカの細い体に腕を回して、寝る体勢に入る。

よく動いたおかげで最近は快眠だ。布団に入ったとたん、睡魔がいい具合に襲ってくる。

「明日のジム戦、がんばってね」

「うん。練習の成果、ちゃんと見せるからね」

明日は、タマムシジムに挑む。

そこのジムリーダーはユリカの母、エリカだ。

上品なようで破天荒な娘と違って、正真正銘の大和撫子。そんなエリカが、どんなバトルをするのかを実は知らない。

だが、今は負ける気がしないのだ。

「上手くできるといいな……新しいほうほう……」

最後の方は寝言のようになって、サツキはそのまま眠りについた。

+++

八月になった。

そんな朝はギラギラとした太陽によって、今日も照らされている。

ポケモンたちのコンディションは、連日の訓練の影響もなく完璧。トレーナーであるサツキの方はというと、やや筋肉痛で体が痛いがもうそれは慣れた。

ユリカと二人、タマムシジムへと足を踏み込む。

中は草木が多く生えていて、草タイプらしいジムになっている。

しかし、ジムトレーナーはバトルをしかけて来るわけではなく、ただ奥へ奥へと進めてくる。

「いらっしゃいませ、ユリカ様、サツキ様。奥でエリカ様がお待ちです」

草タイプを愛する綺麗な女性たちが、口を揃えてそう言うのだ。

不思議に思うサツキと、特に気にした風ではないユリカは言われるがままに奥へと進む。

やがて、他よりも拓けた場所に大きなバトルフィールドと、そこに立つ着物の女性が見えてくる。

「いらっしゃいませ。お待ちしていましたわ」

「ユリカのお母さん……」

橙色の着物に、かんざしでまとめた髪。その目は優しく、顔つきは上品な着物美人。ユリカの母らしい、そのたおやかな立ち振る舞いは家で見ていたより圧力を感じる。

「ここまで、ジムトレーナーの人たちに通されたんですけど……いいんですか?」

「ええ、ユリカに勝ったのでしょう。それだけで十分、私に挑む実力があることはわかりますわ。あの子は、ここの娘たちが束でかかっても勝ちますからね」

「当然ですわ」

すたすたとユリカはセンターライン――審判の位置まで歩いていき、堂々と肯定する。

そんなこと言って大丈夫か、とジムトレーナーを振り返ると女性は笑顔で頷いた。過去にやったことでもあるのかもしれない。

「そんなあなたに、今更ジムトレーナーの試練はいらないでしょう。ずっと、ユリカと特訓をしていたでしょう? 私、早くその成果を見せていただきたいわ」

「期待には、応えますよ……!」

二人。向かい合いボールを構える。

「使用ポケモンは三体。どちらか一方のポケモンが倒れた時点で勝負は終了ですわ、よろしくて?」

「ユリカ、観戦じゃなくて審判のために来てたの?」

「お母様にお願いしたのよ」

審判の位置に立つユリカがそのまま仕切る。

てっきり他にジムトレーナーが立つのだと思っていたら違ったようだ。背後のジムトレーナーたちはなにをしているのかと見てみると、観戦というよりユリカの姿にきゃあきゃあ言っているらしかった。

どうも昔から男にも女にもモテる幼なじみである。

「両者、構え!」

ユリカが右腕を前に下ろし、宣言する。

その腕が、高く降りあげられて。

「始め!」

合図と共に、両者ポケモンを繰り出す。

サツキはメーちゃんを、エリカはキレイハナを。

そしてサツキは開始と共に走り出し、フィールドの側面へと位置を取る。

「サツキちゃん、そんなところにいては危なくてよ」

「!」

いつ攻撃を繰り出したのか、わからないほどさりげなくキレイハナのマジカルリーフが宙を舞う。

攻撃はさりげなく。

それはユリカがバトルを教わったときに言われたことだと聞いていたが、ユリカが決まり手をわかりにくくするのに対し、エリカは攻撃の瞬間を悟らせないでやる“さりげなさ”らしい。

慌ててメーちゃんに甲羅へ籠もらせ防御させる。特殊攻撃だからあまり意味はないが、直撃するよりマシだ。

「メーちゃん、こうそくスピンでみずでっぽう!」

「水タイプの技、どれだけ通用するかしら」

ばばば、とスプリンクラーのように水を吐き出すメーちゃんの技を、キレイハナは気持ちよさそうに水を浴びる。

この攻撃自体に効果がないのは知っている。

サツキはキレイハナの動作から目をそらさないように、練習の通り命令する。

「ふぶき!」

吐き出していた水が氷の粒へと代わり、撒いた水が凍っていく。

とにかく、フィールドを整えるのが先決だ。

エリカとキレイハナの動きはよく合っていて、どんなときどんな風にするのかジムリーダーとしての動きも決まっているのか技の指示もほとんどなくわかりにくい。

指示をしないのはメルもだったが、こちらはトレーナーの仕事を放棄しない分余計にやりにくい。

「メーちゃん、こうそくスピン!」

「キレイハナ」

凍った地面を勢いよく滑るメーちゃんに対し、エリカがキレイハナに語りかける。

瞬間、キレイハナは美しく舞い、それに反しマジカルリーフが凶暴に地面へと突き刺さる。激しく割れる氷は滑っていたメーちゃんの体勢を崩し、刺し、直接攻撃を受けているわけではないのに大きくダメージが刺さる。

大きくヒビの入る地面にメーちゃんが落ちないよう抱えて、その間襲い来るマジカルリーフを訓練の通り避ける。

ユリカのウツボットたちよりも、スピードはなさそうだ。

「フィールドを自分に有利にする。とても良い判断です。ですが、そこで終わっては簡単に壊せてしまうのですよ」

「……このままでは終わりません」

比較的落ち着いた足場を見つけてメーちゃんを下ろし、小さな声で指示をする。

フィールドは壊されたが、有利にした場が溶けたわけではない。壊れたならば、使うまで。

「かわらわり!」

割れた氷に拳を入れて、キレイハナへとぶっとばす。

手製のつららばりは、小さなキレイハナには十分なダメージがありそうだ。その調子、とメーちゃんに氷を投げさせながら、再びサツキは両者が側面から見える位置へと立つ。

サツキは、ポケモンたちと一緒に戦いたい。

ポケモンたちの力になりたい。

ではトレーナーはなにができるかと考えたとき、メルの戦い方を思い出したのだ。

――わたしに出来るのは、ポケモンたちの穴を埋めるくらい。

トレーナーには、ポケモンだけではできない穴を埋めることができる。じゃあサツキには、なにができる。作戦を考えて指示をするだけじゃなくて、なにができる。

考えて、マチスがサツキを“いい目を持っている”と褒めたことを思い出す。

――あたしは、ポケモンたちの目になりたい。

『サツキは多分、視野が広いんだわ。細かいことにすぐ気付けるくらい』

ユリカもまたそう言った。

この特徴を生かすには、と考えたときたどり着いたのがこれだった。

ポケモンたちからは見えない部分を埋める。サツキはポケモンたちの死角を埋める目となる。

これが、一緒に戦うために選んだ手段だった。

「エナジーボール」

「みずのはどう!」

技同士がぶつかり合い、煙が場を包む。

しかしサツキは捉えていた。この煙に紛れて放たれたしびれごなが。

吸い込まないように息を止めて、メーちゃんをボールへと戻す。場に異様に充満する煙は、あまいかおりでも混ぜたのかもしれない。あれは濃く出すと色がつく。

「……いない」

「行くよっ、オーちゃん!」

けたたましく唸りを上げ、オーちゃんが上空へと現れる。

晴れかけた煙にきりばらいをかけて本格的にクリアになった場は、もう息を吸っても体はしびれもしなければ動きが鈍くなることもない。

「つばめがえし!」

「しびれごな!」

「! オーちゃん吸っちゃだめ、回って!」

オーちゃんがつっこんだ正面から、しびれごなが顔からかけられる。驚いたオーちゃんは必死に体を回転させて粉を振り払おうとするも、既に手遅れのようで動きにくそうに羽を羽ばたかせる。

やられた。

「先ほど交代したのは……しびれごなに気付いてのことかしら。だとしたら、とても良い目をしているわ。でも、その目も真正面からでは役に立ちませんわね」

エリカはずっと、バトルをしながらサツキの腕を評価していく。ジムリーダーらしく、余裕があって、そしてなんだか腹立たしい。

弄ばれている気分だ、好きじゃない。

勝つことは最低条件。エリカの余裕、どうにか剥がしてやりたい。

「はなふぶき」

「オーちゃん、オウムがえし!」

ぶわっ、と視界が花で埋まるほどに放たれる花吹雪合戦。その中、サツキはキレイハナの動向を探る。

なにか、力を溜める仕草。ぴんと来たのはソーラービームだ。あの技は少し時間がかかる。しかもこの花吹雪の中では光を集めるのも難しい。

片手ではなふぶきを操り、片手で光を集める。その器用さはさすがジムリーダーのポケモンと言えるところだ。

だがその器用さ、オーちゃんだって真似はできる。

花吹雪で相手が見えにくいのはあちらも同じ。

オーちゃんはオウムがえしの鏡を残し、かげぶんしんでニ体にだけ分裂する。そして本体だけ、そっとキレイハナの上空へと移動させた。ギリギリ、相手のトレーナーからは見えない、サツキだけが位置のわかるところへ。

はなふぶきが途切れた瞬間――相手の準備が終わったときがその時だ。

「キレイハナ!」

「とんぼがえり!」

ソーラービームが放たれた先にあるのはオーちゃんの分身だけ。本体はキレイハナのすぐ上にあり、急降下してその小さな体にダメージを与える。

その勢いを殺さぬままオーちゃんはボールへと戻り、代わりにサツキが繰り出したのは小さな茶色のポケモン。

かわらずの石を首にかけた、イーブイだ。

「ふむ……」

――ごめんねブーちゃん、君を長く外には出さないつもりだけど、ちょっとだけ協力してくれる?

出す直前、そっと囁いたときはやや緊張した面もちだったブーちゃんは、思っていたよりもしっかりと立っている。

数日の特訓で、ブーちゃんも大分バトルに慣れてきていたし、バトルへの恐怖心もなかったようだが、いかんせん石があっても体調が不安定でブーちゃんは外にいさせるのが不安だった。

それに人に怯えているところのあるイーブイだ、あまり無理にバトルをさせて怖がられるのも避けたかった。それでもブーちゃんを出したのは、彼女にしかできないことがあるから。

「ブーちゃん、ふるいたてる!」

雄叫びをあげて、ブーちゃんは自身を鼓舞する。これで攻撃と特攻が上がる。

キレイハナは様子を見ているのか攻撃を仕掛けてこない。その間にもう一度、ふるいたてて能力を上げる。

「キレイハナ、メガドレイン」

「すなかけ!」

メガドレインは形なく対抗しにくい。だが標的をずらすことは可能だ。ブーちゃんの蹴り飛ばした氷の粒が目に入ったキレイハナはメガドレインを発動する標的を見失い、上手く放てず失敗する。

その隙をついて場にひかりのかべを張り、次いであまごいをする。

冷たいフィールドはさらに温度が下がり、再び凍り付いても不思議ではない気温になる。

「マジカルリーフ」

「バトンタッチ!」

そこまでやって、ブーちゃんをボールへと戻した。

場をもう一度整える。それがブーちゃんの役割だ。

慣れないバトルだが、彼女はそれなりに楽しかったらしく、満足そうにボールに収まっている。

「さあ、終わらせよう、メーちゃん!」

もう一度、メーちゃんが場に戻る。

雨の降っている有利なフィールドに、バトンタッチで引き継がれた能力変化で上がった攻撃力と特攻。さらに味方側を守るのは特殊攻撃の技の威力を下げるひかりのかべ。

準備は万端だ。

「ふぶき!」

「はなびらのまい」

メーちゃんの放つ吹雪が、雨も水たまりも、花びらさえも飲み込んで凍らせていく。

まるでオブジェのように立ち上がる氷山。凍った花は美しく重く床に打ちつけられてきらびやかな破片と変わる。

真正面から受けたキレイハナは、凍傷を負って地へと伏せた。

「――勝者、チャレンジャーサツキ!」

ユリカの声が凛と通る。

瞬間、ジムトレーナーたちから拍手が沸き上がり、サツキの勝利を祝う。

エリカもまた、そのうちの一人。

最後まで、焦らせることはできなかった。

ふぶきに対抗して放たれたはなびらのまい。あれでキレイハナ自身へのダメージをかなり減らされた。技の威力を上げていなければまだバトルは続いていただろう。

最後まで、エリカはジムリーダーのままだった。

おそらく、今までのジムリーダーもそうなのだろう。ジムリーダーは、挑戦者の実力を試す存在。本気で戦っているわけではなく、本気で挑戦者の動きに驚いているわけじゃない。

――まだ、勝てない。

「おめでとう、サツキちゃん。あなたの勝ちですわ」

「ありがとうございます、ユリカのお母さん……エリカさん」

ジムリーダーとの実力差を実感して、その悔しさを隠しながらジムバッジを受け取る。

花びらを象ったレインボーバッジは、このジムらしいかわいらしさがあった。

「悔しいって顔ね」

「ユリカ」

「ちょっと本気で戦えるようになったからって、つけあがりすぎよ。少し前まで悔しいなんて思ったことないくせに」

ぴん、とでこを弾かれて、サツキは己の心境の変わりようを初めて自覚した。思えば一度も、悔しいなんて思ったことがなかった。

本気でバトルがしたいから。

本気で強くなりたいから。

でなければ、こんな感情は湧いてこない。多少は、根性もましになったようだ。

「トレーナーらしくなったでしょ」

「なるのが遅い」

「それは言っちゃだめだって」

くすくす、と二人で笑い合う。

ジャケットにはバッジが四つ。これで、半分が集まった。

残り半分――最後には、父だってそびえ立つ。

あと一ヶ月でどれだけ仕上げられるだろう。自分のバトル、感情、モチベーション。リーグまでに完璧にならなければ。

少し、焦りを感じる。

ここまでが長すぎて、手の回っていないところばかりに思えて。

「サツキ。出るのは明日でしょう、今日は少しゆっくりしない? ジム戦も終わったことだし」

「でも、もうちょっと特訓したいよ」

「今日みたいな日は落ち着くものよ。それに、まだ旅の中での話を聞いてないわ。ほら行くわよ」

「ひっぱんないでよー」

「ユリカ、サツキちゃんを困らせないように」

「考えておきますわ、お母様。ごきげんよう~」

バッジを見て複雑な顔をするサツキを、ユリカは引きずりながら外に出る。

強引な幼なじみは、こうなったら反抗したって無駄なのは知っている。サツキは諦めて、一緒に楽しんでしまうことを決めた。

+++

「ねぇ……どうして旅に出ようと思ったのか聞かせてちょうだい」

寝る前、布団の中で。

囁くような小さな声でユリカと話す。

昼間は遊んでいてゆっくり話す暇もなく、特訓中は疲れてすぐに寝てしまっていたから、やはりこうやって話す時間がなかった。

タマムシシティ最後の夜に、ユリカにねだられるまま、サツキは語る。

オーカに挑まれて、断りきれずに旅に出ることを決意したこと。

メーちゃんやピーちゃんに困らされたときのこと。カルミンの話と、彼に怒られ自覚したときのこと。

「それでね、シオンタウンはすごく怖かったんだよ。夜、おばあちゃんがここは呪われてるのよーッって叫ぶし、オーキド博士の娘さんはなにかに呼ばれてふらふら出ちゃうし」

「バトルはましになったのに、その恐がりは直ってないのね」

「ユリカも見ればわかるよーっ、ほんとに怖かったんだから! 結局正体はゴースだったんだけどね。娘さんの様子がずっとおかしくて怖かったんだから」

そしてタマムシに来て、カルミンとブーちゃんを捕まえたときの話をRの文字だけぼかして話し、そしてメルと出会ったときのことを話す。

メルがいかにかわいく愛らしく、妖精のような儚さと美しさだったかを語ると引かれながら拗ねられる。それを話してから、メルに言われた言葉で気付けたのだとサツキは続けた。

「美少女に言われたからって」

「いやいや、関係ないよ……。だってさ、みんなバトル好きじゃない。だからバトルの悩みを馬鹿らしいなんて言わないでしょ」

「言わないけど」

「あたしは、真剣に悩まないでもっと単純でいいって言われて、やっと開き直れたの」

サツキの周りの人は、バトルが好きで真剣な人たちばかりだ。それに釣られて、もっとしっかりバトルを考えないといけないとがんじがらめになって抜け出せなかったのがサツキだった。

あれを言えるのは、きっとメルだけに違いない。

「そう。……それで、娘さんと、カルミンって子と戦うために、リーグに行くのね」

「うん。……んー、今はそれだけじゃないかもね。今日バトルで悔しいって、もっと強くなりたいって思えたし。うん、もっと強くなりたいから、あたしはリーグでまず優勝したいな」

サツキは、強い。

だがまだ、本物の実力者には勝てない。その事実がたまらなく悔しくてならない。もっと強くなりたい――そう、思える。

バトルで負けることなんて考えない。

勝って当然。勝ってやる。勝利が欲しいから。

誰のためにとかでなく、自分のためでもなく、ただ勝ちたいから。

そんな単純な衝動に突き動かされるのは、心地いい。

「応援しているわ、サツキ」

「ありがとうユリカ」

もちろん、理由はオーカやカルミンもある。

オーカとはまだバトルさえしたことがないのだ。だが、彼女のバトルが高い技術と知識の上になりたっていることは短い時間見ただけでもよくわかった。

そんな彼女とバトルしてみたい。そんな欲求も、ちゃんとある。オーカに情けない姿も見せたくない。サツキは年上なのだから。

カルミンも、あんなやりとりをしてしまった後でもちゃんとサツキを信じてくれた。その想いに応えるために、本気でバトルをしたい。約束通り、打ち勝ちたい。

旅に出たときよりも、真剣にバトルとリーグを見据えている。

小さくて、真面目で、そしてなにかを抱えているライバル未満のオーカ。彼女に見せて問題ない、自分になりたい。

「サツキ、あなた短時間でずいぶん変わったわ。だから、大丈夫よ」

「うん」

「今日は、もうおやすみなさい。話を聞かせてくれてありがとう」

「うん、おやすみユリカ」

優しく梳かれる髪にまどろみを感じて、サツキは言われるがままに瞳を閉じる。

この雄大なぬくもりと、明日は別れなければならない。

それは、ほんの少し寂しかった。

+++

八月の太陽が照りつける中、サツキが久々にリュックを背負って玄関先に立つ。

見送りはユリカと、その両親タケシとエリカだ。

「すみません、仕事あるのに見送ってもらって」

「いいんだよ、今日はジム開ける予定でもないしね」

「サツキちゃんが行くのですから、ちゃんと見届けたいわ」

にこやかに送り出してくれる両親とうってかわって、破天荒で自信家なユリカはパーンと幼なじみのリュックを叩く。

「背筋を伸ばしなさい、旅立ちなのにだらしない」

「なんでユリカはそう、うーんそう……」

「似てないって台詞なら聞きあきたわ」

上品なエリカに無骨だが優しいタケシ。どうして娘はこんなに破天荒なのかとたまに問われるが、ユリカは初めからこうであったので言われても困るのである。

「次はセキチクへ行くの?」

「うん、自転車借りて、サイクリングロード下るつもり」

タマムシシティの次はセキチクシティへと向かう。そこは急で大きな下り坂があり、サイクリングロードで一気に進めるようになっているのだ。

「あそこ、結構柄悪い人多いから気をつけてね」

「えっ、そうなの!?」

「そうよー。カツアゲされたり、喧嘩売られたりしちゃうのよ」

「ユリカ、脅すな。大丈夫だよサツキちゃん、バトル挑んでくることはあるかもしれないけど、基本は関わらなければなにもしてこないから」

タケシがフォローするも、否定はしないから結局サツキは恐々としてしまう。

その怯える姿を笑い飛ばして、ユリカはどーんと言ってのける。

「全部バトルで倒しちゃえばいいのよ」

「うー……」

「姐さんって呼ばれるの結構楽しいわよ」

「なにしたの」

意味わからない、という顔をされてユリカはさらに笑ってやる。

バトルで全部倒したが、格闘技でも全部のしてやったのは両親にも内緒の話だ。

「もー、ユリカったら。あたし、もう行くからね」

「うん、行ってらっしゃい」

旅立とうとするサツキをユリカは見送る。

次に会えるのは一ヶ月後、リーグだろう。

それまでどれだけ彼女が成長しているか、ユリカはただただ楽しみだった。ずっと、サツキがユリカよりも強いと確信していただけあって、彼女が覚醒することを待ち望んでいたのだ。

それのきっかけが、自分でなかったことは少し寂しかったが。

「リーグ、かならず行くからね」

「うん、絶対来てね! またねー!」

去りゆく幼なじみの背中を見ながら、ユリカは切なさを覚える。

ユリカは先人だ。常にサツキの前を歩き、彼女にその背中を見せていく。ずっとそうだったし、きっとこれからもそうだ。

サツキはユリカを見て歪み、そしてユリカにきちんと乗り越えた姿を見せてみせた。

ユリカはサツキにとっての壁であり続けなければならない。少しだけ不安定な彼女を支えるための壁であらなければならない。

だからこそ、絶対に手に入らない立ち位置が狂おしくうらやましいと、見知らぬ少女に思うのだ。

――わたしが、サツキのライバルになりたかった。

――わたしが、サツキとリーグで戦いたかった。

バッジは八個持っている。シード権に期限はない。当日突発的に参加することは十分に可能だし、そんな人間もおそらくいるだろう。

だが、サツキが立ち向かう姿をユリカは見ていなければならない。彼女のライバルはユリカではないのだから。

寂しく思う。彼女が別の誰かと特別な関係を結ぶことを。

「いってらっしゃい、サツキ」

旅は世界を広げるもの。

旅の向こうに答えはある。

ユリカも通った道を、彼女は同じように進んでいる。

先人として、ユリカは待っていなければならない。そしてまた、先に進んでいなければならない。

複雑な気持ちでサツキの背が見えなくなるまで見届ける。

次会うときは、どうかもっと素敵なあなたでいて。

その背にそっと、祈る。