スオウ島 その1

カケルに電話をした翌日、オーカとメルはポケモンたちの様子を見ながら彼の到着を待っていた。

『オーカ、大丈夫?』

「うん、大丈夫。僕がんばるよ……」

メルに聞こえないように、小さな声でスピアーのビーすけと対話する。

ビーすけはそのとげとげしい見た目に反して穏やかで甘えん坊な子で、つやつやした頭を撫でると気持ちよさそうにする。それでも、オーカに対する心配そうな表情はやめない。

ビーすけはオーカが能力に気付く前からの友達。ずっとそばで、オーカが苦しんでいるのを見ていた。だからこそ、今回も不安なのだろう。

何度も、この力を制御しようとして、失敗して、悲しんできたオーカだから。

『もー、オーカ荷物ちゃんとしまえてない! いつもちゃんと入れたらもっときれいに入るんだって言ってるのに』

「フシすけ、いつもありがとう。でも昨日はちゃんとしまったんだけどなぁ……?」

『あ、それやったのあたしー』

「ピカすけ、いたずらしないでっていつも言ってるじゃないか」

ポケモンたちが好き勝手話すのに、オーカは楽しく返してあげる。

次第に声が大きくなっていくのを自覚して、時々声量を下げる。人の視線が集まるたびにこうなるのは、もはや慣れたものだった。

そんなオーカを、メルは気にすることなくニドキングと共に入り口を見つめていた。

オーカにお願いを聞いてもらう代わりに、カケルを紹介すると言った時以来、彼女がオーカを特別気にするそぶりはない。そんな無関心が、ありがたいのか悲しいのかは判断できなかった。

「あ、来た」

「メル」

ポケモンセンターの自動ドアをくぐり抜け、まっすぐにメルへと近寄ってくる一人の男。慌ててオーカも立ち上がり、二人の側へと駆け寄った。

オレンジ色の髪をオールバックの形で一括りに結んだ男らしい顔立ちをした男。背は従兄のマサミに比べるとかなり低く、代わりに厚みがある体格をしている。

どこか不良然とした外見のわりに、言葉に軽薄さはない。

この暑い中ライダースーツを着て汗一つかいておらず、その様子は異様とさえ言えた。

その顔を、オーカはどこかで見たことがある。

「オーカ、紹介するわ。この人はカケルさん、あなたと同じ能力者よ」

「あ、あ……! 去年の優勝者!」

そうだ、と思い出す。

師に連れられてオーカもリーグを見ていた。顔をよく見てようやく思い出した、彼はドラゴン使いのカケルだった。

まさか、優勝者が自分と同じ能力者だとは。

「……そうだ、去年リーグを優勝したカケルだ。メル、こいつが俺の次の世代でいいんだな」

「うん」

「初めまして、オーキド・オーカです。これからよろしくおねがいします!」

オーカが深々と礼をした瞬間、カケルの顔が一瞬曇る。その理由がわからず、オーカは小首をかしげてカケルを見上げた。

「お前あとで説教な」

「なんで、意味わかんない」

メルの頭を遠慮なく鷲掴み、カケルは彼女にそう脅す。

この全てを魅了するような美少女にそんなことができる人間が存在することにオーカは酷く衝撃を受けて、ぽかんと口を開けてしまう。

電話のときでも思ったが、二人はかなり仲がいいらしい。

「あの……お二人は、どのような関係で……?」

「うーん……ご近所でないお兄さん」

「親同士が友人でな、こいつがやたら俺になつくからよく子守をさせられているんだ」

「なんで現在形なの」

「今も子守の最中だからな」

やいのやいのと二人が話す内容を聞く限り、カケルはメルが生まれたときから知っているらしい。

小さな頃のメルの話を是非聞いてみたい、と思う反面、今はリーグに向けて能力をどうにかしなければと思い直す。

「スオウ島は遠いからな、早く出るぞ。おい、オーカだったか。飛べるポケモンか泳げるポケモンはいるか」

「飛べるポケモンは、持ってません。泳げるのは……ヤドンなので……」

「なら俺と来い。メル、お前は後から着いてこい」

「えー、乗せてくれないの」

「……飛べるポケモン持ってるんだろうが」

カケルの言う言葉に逐一メルが小さく反抗をして、彼が面倒くさそうに相手をするのが、この二人にはお約束らしい。

カケルは諦めたようにため息をついて、当然のようにメルの荷物を持ち、はいはいとメルを流しながら浜辺へと二人を誘導する。

人通りのないセキチクの浜辺は、もう少し別の方に行けばグレン島への連絡船もあるが今回向かうのはそこではない。

カケルが一つボールを放り投げると、オレンジ色の巨体――カイリューが現れる。

「乗れ」

短く彼が命令する前に、メルがその後ろに飛び乗る。

細く折れそうな体をしていながら、なんて軽快に動くのだろうと驚きながら見ていると、メルの細い手がオーカへと差し出される。

「早く」

その手を取ることに一瞬躊躇してから、メルの手に引きずりあげられてもがきながらもなんとかオーカもカイリューの背に乗ることに成功する。

己の運動神経の悪さがこんなところで露見するとは思わず、どうせメルは気にしないとわかっていても恥ずかしくなった。

「行くぞ、ちゃんと捕まっていろ」

カケルが短く言ったあと、カイリューが高く飛び上がった。

+++

スオウ島。

そこは地図には乗っておらず、図鑑に入っているマップを見ても場所がわからなかった。セキチクから約一時間半を飛びっぱなしにして、ようやくついたその島は、花が咲き乱れている中ヤドンたちが暮らしている、平和な無人島のようだった。

中心の山の中は鍾乳洞になっているらしく、そこは無骨でなにもないものだから、外とのギャップが激しい。

「ここが……スオウ島……」

「今も地図には乗ってない小さな島だ。昔はもっとなにもない場所だったらしいが、ここを花で埋め尽くしたのはトキワの力の影響だ」

「トキワの力の?」

「中に入るぞ、来い」

カケルに言われるまま、メルとオーカは鍾乳洞へと連れて行かれる。

真夏の日照りから逃げられた反面、急激に冷やされる体温に身震いする。メルが鞄から上着を取り出して着ているのにオーカも続いた。

そうして、スオウ島を十分ほど歩いたところでカケルは立ち止まる。

他の場所に比べて、床に湿り気がない、そんな場所を選んでカケルは適当な岩に座る。オーカやメルも続いて適当な岩を選んでいるうちに、カケルは火を起こして話せる場を整えていた。

「それで、お前はトキワの力で悩んでるって聞いたんだが」

「はい……昔から、抑えることができなくて。いつも漏れだしてしまうんです」

「それはどのくらいだ?」

聞かれて、オーカは考えながら語る。

オーカの能力は、おそらくかなり強いものだ。

ポケモンに触れることなく、ほぼ人と同じように会話することができ、バトルなどで高揚しているときは触れずに回復することができる。激しく怒っているポケモンが能力で怒りを収めることもある。

常に漏れだしている力の影響か、ポケモンが誘われて着いてきてしまうことも多かった。

「僕……七歳くらいになるまで、ポケモンがしゃべらないことすら知らなかったんです。特にエスパータイプやゴーストタイプは人と変わらないくらい綺麗に話しかけてくるので……。他のポケモンも、時々聞き取れないこともあるけど、大抵の場合はわかります」

「トキワの力は、普通思考や記憶を読みとる程度だが……なるほど、かなり強いようだな」

「カケルさんの分全部オーカが持ってっちゃったのね」

「うるせえ」

「どういうことですか?」

カケルはメルの茶々に面倒くさそうな顔をして、それから簡潔に告白する。

「力の強すぎるお前とは逆で、俺はほとんど能力が使えない。思考を読むのも一場面を切り取った程度にしか使えないし、回復もせいぜい血を止める程度だ」

「そ、そんなこともありえるんですか!?」

「それに、俺が能力に気がついたのは十五のときだった」

オーカ本人が気付くのは遅かったが、両親はオーカが三つほどのときから能力の存在に気付いていた。

だがカケルは能力があまりに弱く、かつ自力で使えるものではなかったために、その年の能力者は生まれなかったのではないかという話にさえなっていたらしい。

能力者同士で力の差があることはわかる。だが、ここまで大きな格差が生まれることがあるのか。オーカは驚愕する。同じ能力者である母とさえ、そんなに大きな差があるとは思っていなかった。

「俺は、能力に気付いてからトキワの力について調査して、その理論を解明し自力で使えるようになるまでにしたんだ。……だから、お前に協力することもできるだろう」

メルがカケルを呼んだのは、彼も能力コントロールの壁を乗り越えてきたからだったのか。

これなら、もしかして。

じわりと希望が見えてくる。

「そのためにもまずは話が聞きたい。どうして能力に気付いたのか、能力を使っている時の感じはどうなのか、その能力をどうしたいのか」

「僕は、この力を捨てたいです」

はっきりと、切実にオーカは訴える。

「この力を使おうと思って使えたことなんてありません。この力でよかったことなんて一度もありません。僕は……僕はこんな力を捨てたいんです!」

カケルは表情を少し変えて、やや前かがみになってオーカを見る。

「詳しく聞かせろ」

促されるままにオーカは告白する。

能力への嫌悪と、そのきっかけを。

+++

「オーカちゃん、あそぼー!」

「まってー、今いくー!」

八歳のとき。まだ友達と呼べる存在がいた頃の話。

オーカは人より少し早くポケモンを捕まえていて、人よりもずっとバトルが好きで、そして強くて有名だった。

父とトキワに行ったときに着いてきてしまったのを捕まえたビードルは、五歳で捕まえ六歳のときには既にスピアーへと進化していた。この時ポケモンを進化させられていたのもオーカだけだった。

ポケモン研究家、オーキド博士の娘というよりも、まだ幼いわりにかなり強い女の子として見られていた時代。

「ねえねえ、オーカちゃん。あたしのポケモンがなに考えてるのか、教えて!」

そんな中で、バトル以上に多かったのがそんな依頼。

みんなができるものだと思っていた、ポケモンと会話すること。それができないのだと知ったのは友達がポケモンを持ちはじめてからだった。

「えーとねえ……」

「ばっかばかしー」

そういうやりとりをしているとき、そんな茶々が入るのは珍しくなかった。

よく同じ公園で遊んでいる男子たちが、ぞろぞろとオーカたちを取り囲む。その顔は嫌らしく馬鹿にしたような表情で、オーカたち女子はお互いに身を寄せあう。

「ポケモンの声が聞こえるわけねーじゃん。うそつきオーカ!」

「うそじゃないもん、聞こえない方が変なんだよ、おかあさんはわかるもん!」

「へーんなの、ママは聞こえないって言ってたぞ!」

「自分が聞こえないからってオーカちゃんに当たるのダメだと思う!」

男子対女子の形になって、侃々諤々の大喧嘩が始まる。

こういった争いは、オーカの能力が知れ渡ってからよくあった。男子だけではなく、女子からさえも言われることがあった。

トキワの力は、トキワでも浸透しきっているわけではないマイナーな能力。ただ脈々と語り継がれるだけのそれを、マサラの子供たちが知っているわけもなく。

だからオーカは、ポケモンの声が聞けると言い張っているだけの子供にすぎなかった。

「なぁオーカ、おまえバトル強いんだろ? だったら勝負しようぜ、俺が勝ったらおまえがうそつきだって認めろ!」

「オーカちゃん、こんなの相手しなくっていいよ……」

「やる! バトルで負けなんかしない!」

それでも、聞こえるものは聞こえるのだ。

けして幻聴などではなく、たしかにオーカの中には能力が宿っている。

母と同じ、その優しい力を、馬鹿にされるのはどうしても我慢ならなかった。

公園の中央で、男子と向き合いポケモンを出す。

相手は、まだ親にもらったばかりのロコン。オーカは相棒のスピアーで。二人の間にはオーカの友達と、男子の友達が観客としていた。

そのうちの一人が、審判のまねごとをする。

「いいか、どっちかがせんとーふのーになったら負けだからな!」

「どーせおまえなんか、大したことないんだ。こてんぱんにしてやるよ!」

「その言葉、そのまま返してあげるよ!」

はじめ、の合図と同時にポケモンたちが動き出す。

まだ小さなロコンに対し、スピアーは最終進化形。ぶぶぶぶぶと羽音を鳴らしながら、素早くロコンの周りを飛び回る。

まずは様子を見よう、とオーカは指示をしない。

この時から、オーカを危機に追い込めるような子供はマサラにはいなかった。

「ロコン、ほのおのうず!」

轟、と勢いよくロコンが吐き出した渦がスピアーのビーすけを捕らえる。体が焼かれ、羽が焼かれ、徐々にビーすけの高度が下がっていく。

「ビーすけ、みだれづき!」

だがこちらもただ攻撃を受けてはいない。

ほのおのうずで敵を捕らえるということは、自分も捕らえられるということなのだ。まっすぐにその中を落ちていけば、攻撃は必ず標的に当たる。

ビーすけの大きく鋭い槍が、ロコンの急所をたやすく貫いていく。

瞬間、渦が消えて、倒れたロコンとビーすけが中央に現れる。

「ロコン!」

「あっ……ロコン、せんとうふのう! オーカの勝ち!」

「ふふん、口ほどにもない」

一撃で決まったバトルに、男子は戸惑いながらロコンを抱き上げる。

それを横目に見ながら、帰ってきたビーすけをオーカは褒めた。撫でるオーカの小さな手に、ビーすけは気持ちよさそうにする。

「おつかれさま、ビーすけ」

『ぼく、すごい?』

「うん、おまえはすごいよ! 僕の自慢のパートナーだもん!」

強くて、少し甘えん坊な相棒を思い切り褒めたたえる。

これからもっと強くなっていこうねと、誓い合った仲だ。

「……おい。オーカ」

そうしてじゃれるオーカたちを見る視線が、どこか変容したことに気付いたのは、その男子の声を聞いてからだった。

はじめはただのやっかみだと思った。しかし違う。

その目は異様なものを見るような目で、男子も女子も一様にオーカを見ていた。

「なんで、ビーすけ治ってんだよ」

オーカの力は、ポケモンの声を聞き、その傷を癒せる力。

それはオーカにとってなんら不思議なものではなかったが、彼らにはそうではなかった。彼らには、オーカの力とはポケモンの声を聞くことができるだけの超能力でしかなかった。

それは、オーカが彼らの前で使うことがほとんどなかったからだ。

「なんでって……もともと、こういう力だから」

そのことにオーカは疑問を抱いてはいなかった。

力をコントロールはできなかったが、癒す力を使う場面にもほとんどならなかったから、知らないのも無理はない。

しかしそれを言えば、当たり前に受け入れてくれるものだと思っていた。

「トキワの森の力っていってね、ポケモンのかんがえてることもわかるんだけど、ポケモンのケガを治すこともできるんだよ」

すごいでしょう、とオーカが言えば、みんなが険しい顔になる。

そのうち一人が、ずるい、と呟いた。

「そんなのずるい。そんなんじゃバトルじゃない」

「そうだよ、今のナシじゃない?」

「バトル中に回復できちゃったりするんだろ、そんなの卑怯だよな」

「今まで強かったのもずるしてたから?」

「さいあく。しんじてたのに」

口々にオーカを責める声に、オーカは混乱する。

間違いなく、そんな不正はしていなかった。ビーすけは正々堂々と戦ったし、オーカも能力で後押しするようなことはしていなかった。

だが、本当にそうだったんだろうかと、オーカの中に疑念が生まれる。

――オーカは能力のコントロールができない。

意識的に使ったことなど一度もない。

ポケモンの声は常時聞こえているものだし、回復は気がついたらされているものだった。

だからこそ、自信を持ってそんなことはしていないと言えなかった。

――バトル中に能力で回復をさせていないと、自信を持って言うことなどできなかった。

「ぼ、ぼくは……」

「うそつきじゃなくて、ずるオーカなんだな」

「し、してない……してないよそんなこと!」

かろうじて放った言葉も、ブーイングの中には届かない。

やがて、みんなはオーカを置いて公園を去っていく。

「してないよ……そんなこと……」

ぽつん、と残されたオーカは静かに涙を流すことしかできなかった。

+++

――能力で回復できるなんてずるい。

そんなことを言わせないためにも、胸を張ってそれを否定するためにも、それからオーカは必死に訓練を重ねた。

父の師を頼って親元を離れ、修行に打ち込むことさえした。

それでも、オーカは押さえつけることしかできず、今も自由に能力を使えないでいる。

「この力は、不正なものです。こんな力があるから、バトルの邪魔になるんです。けして不正なんてしていないのに、コントロールができないから、いつ無意識に使っているかわからなくて不安なんです。バトルに誠実でいたいのに、この力はそうさせてくれない! 僕はこの力を捨てたいんです、この力を捨てて、正しく僕が強いことを証明したいんです!!」

それだけが、あの日からのオーカの悲願だった。

ずるいなんて言わせないように。ずるなんてしていないと言えるように。

バトルの強さは本物であると言えるように。

そんなオーカの吐露を、カケルはメモを取りながら聞く。

そのメモとオーカを見比べて、やがてカケルは理解したように頷いた。

「なるほど。……わかった、協力しよう」

「ほ、本当ですか!!」

「だが、その力を使うのも、意識を変えなきゃならないのもお前自身だ。あまり俺をあてにするなよ」

妙に突き放した言葉で、カケルはオーカを見る。

なにかを探られている、そんな目線にオーカは戸惑いながら頷く。

「まずは……そうだな。バトルでもしてみようか」

とりあえず、と言うようにカケルは立ち上がる。

なにかがわかるかもしれない、と呟いて促すのに、オーカは慌てて着いていった。