ポケモンリーグ 決勝戦 その1

ポケモンリーグ最終日。

午前中はポケモンたちと最終調整を行っていたオーカは、家族と食事を取った後、ようやく自分の控え室に入った。テレビで流れているニュース速報で、三位になったのはカルミンという男だと言うことを知る。どちらが勝つかそこまで興味がない試合ではあったが、それを見たときは軽い落胆があった。

――メルさんは負けたんですね。

自分をトレーナーではないと言ったメルが負けるのは、必然なのかもしれない。しかし、知っている人間が負けたと聞くのはあまりいい気分ではなかった。

「オーカ、準備はどうだ」

「大丈夫? 緊張とかしてない?」

「うん、大丈夫だよ。やれることはやったから」

両親が気にかけてくれるのに、オーカはきっぱりと返事をする。緊張しないと言えば嘘になるが、これから戦う相手を思えば緊張など吹き飛ぶ。

元々は、オーカが能力を不正に使ってなどいないという証明のためにポケモンリーグを志した。そして今や自在に操れるようになったオーカに隙はない。そうして完璧になったオーカが、ようやくサツキと戦うのだ。

楽しみで仕方がなかった。

サツキのバトルを見て、彼女の戦い方が大きく変わっていることには気付いている。それに合わせて作戦も練ってきた。どちらも抱えていたものを解消して、ようやく今日戦うことが出来る。長いようで短かった二ヶ月間の成果を、初めて相手にぶつけることが出来るのだ。緊張よりも興奮が勝っていた。一刻も早く、サツキと戦ってみたいのだ。

「そっか。楽しみだな-、お母さん、ポケモンリーグってちゃんと見たことがないから」

「そうなの?」

「お父さんがリーグに出たとき、お母さんまだ知り合いじゃなかったからねー」

時が待ち遠しくてたまらないオーカを宥めるように、母がのんきに抱きしめてくる。両親はかなり古い付き合いだと聞いていたから、てっきりリーグも見ていたのだと思っていた。ただ、バトルを好まない母なので見たことがないと言われても納得がいく。母はポケモンリーグの時期でも対してテレビを見なかった。普段から見ていないが。

そんな風に時間を潰していると、やや乱暴に扉が開かれる。

「ごめん、遅れた! オーカ、あ、よかったー、まだおった」

「兄さん! お仕事終わったの?」

「おう、急ぎのやつがんばって終わらせて来たでー。もうすぐ試合よな、がんばってな」

走ってきたらしい従兄のマサミが、少し疲れた様子ながら頭を撫でてくれる。父にそっくりな切れ長の目を優しく細めるその表情にどきどきしながら、オーカは精一杯返事をした。

両親もマサミも見守ってくれているのだ。最後の試合、気合いを入れて望まねばならない。そう気を持ち直したところで、コンコンとノックがされる。試合の時間だ。

「オーカ。行ってこい」

「うん。行ってきます!」

ポケモンリーグ、決勝戦。

七月のあの日、サツキと約束したバトルがようやく行われる。

+++

昼食を取るのもそこそこにバトルの最終調整を図っていたサツキが控え室に入ったのは、試合の直前のことだった。カルミンの試合を見ていたために準備時間が取れなかったのだ。しかし、十分に準備運動に時間を使ってしっかり体を温めることができれば不安はない。

母の入れてくれるお茶を飲みながら、サツキは不思議と冷静な気持ちでいた。

「ふふ、余裕そうね」

「まぁね、ここまで来ると泣いても笑ってもって感じだし。ユリカがいつも緊張してないのわかった気がする」

「わたしでもポケモンリーグは緊張したわよ」

「だって、知ってる相手なんだもん」

泣いても笑ってもこれで最後。オーカは、ここで戦う時を待ち望んでいた相手だ。緊張などするはずもなかった。楽しみで仕方ないのだ。

――人を馬鹿にするバトルをする。

二ヶ月前、そう言われた言葉の意味を探るために。彼女と戦うために。ここまで来た。今日この日まで、オーカとは一戦も交えることがなかったのだ。完璧になった状態で戦いたいという、彼女の意思のために。

ようやく戦える。あの精密なコントロールと綿密に練られたバトルメイクを得意とする、素晴らしいトレーナーと。

楽しみで仕方なかった。ポケモンリーグという大舞台に慣れ始めたサツキにとって、周囲の歓声はもはやなんの足かせにもなり得なかった。

コンコン、とノックがされる。試合の時間だ。サツキが立ち上がると同時にユリカも立ち上がって、見送りに出る。

「ユリカ。少し早いけど、きっといい誕生日プレゼントをあげるからね」

「生意気。いってらっしゃい、楽しみにしているわ」

扉の前で、きつく抱きしめ合う。一年前、ユリカを送った時のように。ユリカのパワーを吸い取るように。

大丈夫、あたしは勝てる。

+++

娘を見送って、レッドたちは揃って観戦席へと向かう。途中会ったオーキド夫妻とも合流し、ひたすらうちの娘が勝つと言い合っているとあっという間だった。昨日と同様に席を取ってくれていたブルーたちは既に座って待っている。声をかけようとすると、昨日はいなかった少女の影が一つ。

「あれ、メルちゃんやっと捕まったのか」

「あ、レッド。そうなのよやっとよ! もう絶対逃がさないんだから!」

「……」

ブルーの膝に乗せられている、赤毛の天使。無表情にレッドを見もしない少女はこうやって抱きしめられていると人形のようだった。

娘がいなくなった時のブルーの動転は凄まじく、ようやく捕まったのを見るとレッドも安心した。娘がいなくなるなど、さぞ恐ろしい悪夢だっただろう。もしもサツキが姿を消したら、レッドは世界をひっくり返しても探し出したに違いない。

「久しぶりメルちゃん、落ち込んだりしてなさそうでなによりだよ」

「……」

「……せめてこっちむいてほしいなー?」

世間話的に声をかけても、メルは振り向きもしない。ジムに来たときも淡泊な少女だと思っていたが、愛想の悪さは父親以上だ。カスミに助けを求めると、だる絡みしないのと逆に怒られてしまう。

「まぁ、もうママになにも言わないで旅に出たりしたら駄目だぞー?」

「……オーキド博士が、ちゃんと居てくれたら、お母さんにも言った」

「博士のせいにしないの! お母さんに直接言えばいいじゃない!」

「だってお母さん、わたしの話なんて聞いてくれないから」

鈴を転がしたような甘い声を、拗ねた色で発する。そして、それまで人形のように大人しくしていたかと思うとブルーの腕から抜け出して隣の父親の膝へと座り込んだ。

「ちゃんと聞いてくれないと、また勝手に出てく」

「あ、あなたね」

「ほら試合が始まるぞ」

「その話し方はやめなさい!」

母親を挑発する天使のような美少女に、外野は揃って顔を合わせる。ブルーが外に出したがらなかったために顔も見たことがなかったメルだが、これは母親同様に面倒くさい性格をしていそうだった。

シルバーは困った様子で娘をあやして、話を試合の方に逸らす。

「メルは、どっちが勝つと思うんだ。たしか、知り合いなんだろう?」

「知らない、興味ない。そういうのはそこのおじさんたちに聞いたらいいぞ」

「もちろんそれはサツキだな!」

「いいやオーカだ」

「あんたたちややこしくなるから黙っててよ!」

「ほらー、始まるからもう」

「あ、オーカ出てきましたよー」

ワァァァアアア!!

今日一番の歓声が上がる。その中心に、少女が二人。足取りは勇ましく、一歩一歩を踏みしめて中心へと歩いて行く。

モニターに映されたサツキの表情は落ち着き払っている。少し前までなら、少しの注目にさえ怯えるような子供だったのに。

――さぁ、がんばれよ。

レッドは期待を込めて娘を見る。泣いても笑ってもこれで最後。どんな結果でも娘を受け入れてやる準備は整っていた。

+++

『さぁいよいよ決勝戦! 相対するのは、かつて十一歳でこの場に立ったあのジムリーダー・レッドとオーキド博士の娘! 数十年の月日を経て、ここで因縁の対決が幕を上げる!』

大げさな前口上を合図に、サツキは入場する。耳が壊れそうなほどの歓声が迎えてくれる。それを恐ろしいとも、嬉しいとも感じない、凪いだ海のような気持ちで受け入れた。

『まず入場するのはジムリーダー・レッドとカスミの娘! 準決勝では余裕を持った圧倒的なバトルを繰り広げてくれましたが、決勝戦はどうなるか――フィールドの支配者、サツキ!』

恥ずかしくなるような二つ名に吹き出すのを我慢する。準決勝でも思ったが、一体どういうセンスでつけているのだろう。そんな綺麗な口上を付けられると困ってしまう。

そう心の内で文句を言っている間に、オーカの登場へと移る。

『対するはオーキド博士の娘。準決勝でもその緻密なバトルによって勝利を納めた! 彼女の繰り出す網は人魚をも捕らえられるのか! 天才リトルスナイパー、オーカ!』

向かいから、オーカが歩いてくる。小さな体で、周囲の重圧など無視して、まっすぐサツキを見て。二人は焦らすようにセンターラインまでゆっくり歩いた。しかしその時間も短く、ついに二人は対面する。

サツキの肩ほどまでしかない、小さなライバル。彼女を見た目で判断することなどできないことは、よく知っている。彼女と戦うためにここまで来た。クチバジムで彼女のバトルを見てから、ずっと彼女と戦う時を焦がれていたのだ。

それが、ついに。

「待ってたよ、オーカ。君と戦える時を、ずっと!」

「僕もです。ようやくあなたと戦えるようになりました」

二人はボールを手に言葉を交わす。そして握手の代わりにボールを持った拳をぶつけ、そのままボールを落とした。瞬間、それぞれ対局の場へと走り出す。

場に現れたのはスターミーとスピアー。二人の幼なじみである一匹だった。

「君に」

「あなたに」

「この旅の全てをぶつける!」

重なった声と同時に、二匹は動き出す。先手を取ったのはスピアーだ。距離を取ろうとするスターミーを逃がすことなく、その鋭い針で素早く、正確にコアを二突きする。その勢いで吹き飛ばされるスターミーも負けじとスピードスターで応戦する。

スピアーは迫るスピードスターを軽々と打ち落としていく。しかしそれは予想の範囲内。気を取られているうちにミラータイプで弱点を潰し、タイプをスピアーと同じにしてしまう。タイプが変わることで技の威力は減ってしまうが、サツキは元々パワーで押すことが少ないので関係がなかった。

「ハイドロポンプ!」

「当たりませんよ! こうそくいどう!」

「いいんだよ、当たらなくても……! れいとうビーム!」

ハイドロポンプで濡らした箇所を、れいとうビームで凍らせていく。そこからさらに、地面から突き上がるつららを作ってスピアーの行動を制限する。れいとうビームを避けようとすればつららが阻み、つららを避けようとすればれいとうビームに捕まる。そんなギリギリの道をこうそくいどうで上がったスピードで通りきれるわけもなく。

スピアーが勢い余ってつららにぶつかっていくのを確認して、サツキはサイコキネシスで追い打ちをかける。

一体目はもらったか。そう確信したところで、とどめを刺そうと近付くスターミーの動きが止まる。

「僕がただ、あなたに惑わされるとでも? この攻撃パターンは想定済み。ならば逆に利用するまで!」

「いとをはく……!」

つららに張り巡らされた糸にスターミーが捕まっていた。氷に反射し見えにくくなっていたそれに気付けなかったのだ。策を逆に利用してくるとは、とサツキは思わず笑う。

オーカの張り巡らされる戦術は、初めて見たときから芸術的だ。サツキはずっと、彼女のそんなバトルと対面したかった。それが叶っているのだと、思わずわくわくしてしまう。

「とどめばり!」

「パワージェム!」

パワージェムがとどめばりを真っ向から破壊し、スピアーに襲いかかる。その直前に上昇したスピアーは岩の餌食とはならず、再びスターミーへと攻撃をしかけてくる。こうそくスピンでまとわりつく糸を断ち切って、その勢いのまま二体は肉薄した。

一進一退の攻防に、サツキは手に汗を握る。九月の残暑のためではない、興奮からの汗だった。

「あまごい!」

「準備なんてさせない、にほんばれ!」

次鋒に向けてフィールドを整えたい、と雨を降らせた矢先ににほんばれで打ち消されてしまう。強制的に雨雲を追いやった太陽はその強烈な熱でフィールドに張られた氷を溶かしていく。溶けた氷は地面に染みこみ、どろりと沼へと化してく。

――あまごいは妨害されたけど、別に水と氷だけがあたしの得意分野じゃない。

氷と共に張り巡らされた糸も地に落ちて、再びフィールドはフラットな状態へと戻る。オーカは確実にサツキのバトルの癖を研究してきている。どう対抗するか、思考を巡らせた。

――下は泥沼、天気は快晴。もう一度凍らせるのは芸がない。

「悩む時間が長いですよ。ソーラービーム!」

「ミーちゃん、ハイドロポンプを下に!」

太陽の光を大いに吸収して放たれるソーラービームの直前、スターミーは地面に勢いよくハイドロポンプを噴射する。その反動でスターミーの体は斜め上へと飛び、泥へと噴射したハイドロポンプは大きく跳ね上がりスピアーに被る。眼前を泥で防がれたスピアーが混乱に陥っている隙に急接近すると、スターミーはそのままこうそくスピンで腹を刺した。

「そのままとどめだ! サイコショック!」

「逃がすな、はかいこうせん!」

至近距離で二体の技が同時に発射されると、カッと光って様子が見えなくなる。どちらが勝ったか、とサツキたちは固唾を飲んで見守っていると――光の中から、二体の体が同時に現れた。

――相打ちか!

二人は共にポケモンを下げて、次のボールに手を伸ばす。最も信用する最初の一体が相打ち。これがなにを意味するか。

相手にとって不足なしということだ。

「楽しくなってきたよ、オーちゃん!」

「いくぞディすけ、様子見は終わりだ!」

オーカも、旅の中で弱点を克服してきたのがよくわかった。クチバで見た芸術的なバトルの中での焦りが、今の彼女には見受けられない。もう焦る必要がないのだろう。セキチクで自身の能力に恐れ苦しみ泣いていた彼女はもういない。だから、このリーグに来たのだとよくわかった。

場に姿を現したオニドリルがケ――――ン!! と高らかに鳴く。

――そうだねオーちゃん、あたしもすごく楽しい。

「ドリルライナー!」

「かげぶんしん!」

「逃がすな、こうそくいどう!」

突っ込むオニドリルからウインディが逃げようとするのを、こうそくいどうしながら追う。地面すれすれを飛行しながら影分身を貫くも、その先は全て偽物。本物はオニドリルの背後を取って、かえんほうしゃを撃ち放った。

しかしそれで墜落するオニドリルではない。炎を振り切って高く飛び上がると、彼はそのまま再び急降下して勢いのままにドリルライナーを繰り出す。スピードを上げたオニドリルは今度こそウインディを捕らえ、その柔らかな脇腹に鋭いくちばしを突き刺す。

避けきれないウインディは泥の中に体を突っ込み、美しい黄金色を汚す。だがその目は闘志を消さずに煌めいた。

「オーちゃん、勢いを止めないで!」

「行儀の悪い鳥だ。ディすけ、ほえる!」

「!?」

勢いを殺さずに再び突っ込もうとしたオニドリルに、ウインディが吠える。ビリビリと肌を震わせるその声は思わず怯えてしまうほどだ。一歩、サツキが後ずさりすると共にオニドリルが動きを止める。

本来は交代をさせる技のはず。それなのにオニドリルは、ボールに戻ろうとすることさえできずに空中で動きを止めてしまう。

その隙にウインディがほのおのキバで噛みついてくる。低空飛行していたオニドリルはたやすく捕まり、その翼を焼かれ地へと引きずり下ろされた。それをきっかけに正気を取り戻したのか、オウムがえしで同じようにウインディを焼き貫きなんとか牙から逃げ出す。しかし、オニドリルの消耗は激しい。

「どうして……」

「おや、知りませんでしたか? “ほえる”や“にらみつける”でも、高レベルのポケモンであれば相手を止めることが出来るんですよ。メルさんがやっていたので真似をしてみたんですが……あなたは見ていなかったんですね?」

「……っ」

オーカの準決勝はもちろん見ていた。しかし、会話も聞こえずカメラワークも悪い中継ではそんな細かい部分まではわからない。あの試合でそんなやりとりをしていたとは。

初歩技でもそんな工夫の仕方があるのか、と思わず唸る。知識量ではオーカに劣る。それをカバーするには応用力しかないが。

「もう限界でしょう? ディすけ!」

「オーちゃん!」

とどめを刺そうとするウインディに対して、羽ばたくこともできないオニドリルを見て下げる。ウインディも体力はそんなに残っていないはずだと踏んで、ブラッキーを場に繰り出した。

美しい漆黒の毛並みを煌めかせて、ブラッキーはしなやかに降り立つ。瞬間、音もなくウインディへと詰め寄り、バシン!! とその巨体を地へと落とした。でんこうせっかだ。しかしウインディもただでは落ちまいと、着地を見計らってかえんほうしゃを放つ。ブラッキーは焦ることなくすなかけでダメージを軽減し、技が切れる頃にダメおしした。

それが効いたのか、地に伏せたウインディは体を震わせる。まだ立つだけの体力はあるようだが、そこでオーカもウインディを下げた。

「準決勝、見ていましたよ。その厄介なメスのブラッキー。思う通りにはさせません、ピカすけ!」

「メス対決ってわけね……!」

準決勝、カルミン戦で多用したハニートラップ。それを警戒するオーカは同じくメスのピカチュウをフィールドへ呼んだ。いたずらっ子な瞳をにっと細ませた彼女は、構えると同時に走り出す。

でんこうせっかを仕掛けてくるピカチュウに対して、ブラッキーは悲鳴を上げる。周波音の高い、キィキィとしたいやなおと。ほえるで動きを止められるならば、と目論んだが思った通り、ブラッキーに突っ込んできて転げたピカチュウは耳を押さえ悶える。いやなおとは止めないまま、ブラッキーはピカチュウの腹に足を置いて見下ろした。

ピカチュウを組み敷き、顔を近づけるブラッキーはそっと目を細める。逃げられない至近距離で、赤い目をあやしく光らせた。

「残念だけど、誘惑するのにオスもメスもないんだよね」

「く……あやしいひかりか!」

いやなおとを止め、ブラッキーはその口を広げる。そして鋭い犬歯を露出させ、混乱して無防備になったピカチュウの柔らかそうな首へと噛みついた。響く悲鳴と共に、ピカチュウは放電する。自身さえも焼きながら放たれる電撃にブラッキーは距離を取って、混乱に暴れるピカチュウへ向けてシャドーボールを撃つ。しかし、これは外れてしまう。

なおもよたよたとブラッキーの周りを歩くピカチュウに、再三攻撃をするもすれすれのところで避けられてしまい、そこで気付いた。

――もしかして、もう混乱が解けてる?

「ブーちゃん、すなかけ!」

ぬかるんだ泥をピカチュウの背後へ飛ばすと、そこでなにかに高温で焼かれ蒸発する。

やはり。ピカチュウが通ったところに、でんじはが張られている。

「気付くのが早いですね。ピカすけ! ブラッキーを囲め!」

「捕まっちゃダメ! ちょうはつ!」

「今更止めても遅いですよ! 見えないでんじはの網に突っ込んでくるといい!」

ちょうはつによってピカチュウのでんじはは止められるも、既に張られた網は消えない。その場から動かないか、あるいは麻痺を承知で突っ込むかしかない。そこで、地面のぬかるんだ泥を見る。

女の子であるブラッキーは嫌がるかもしれない。そう思いながらジェスチャーをすると、彼女はためらいなく身を突っ込んで、体に泥を塗りたくった。これが本当に対策になるかはわからないが、さきほど蒸発した泥を思えば多少のしのぎにはなるはずだ。

「泥程度で防げるとでも? ピカすけ、たたきつける!」

「ブーちゃん、だましうち!」

素早いピカチュウ相手では遠距離攻撃は避けられてしまう。そう踏んだところで両者が肉薄する。でんじはの網によって身に擦り付けた泥が蒸発して剥がれていく。しかし、それによってブラッキーの動きが鈍っている様子はない。狙ったとおりではあるが、これが通用するのもこれきりではある。

次の一手を、と思考を巡らせたところでピカチュウがワイルドボルトを決める。はじきとばされたブラッキーの先に、でんじはの網が残っていたのか彼女は大きく身をひねらせた。

「ほら、その場しのぎをしたところで、動きが制限されては動けないじゃないですか」

「……! 戻れ!」

「かみなり!」

かみなりが落ちる寸でのところでブラッキーを戻す。指示より早くピカチュウは動き出していた。普段から何十にも作戦を作って練習しているのだろう、そうでなければあんなに早い動きはできない。

――オーカの網に捕まらないためには、どうしたらいい。

――水を簡単に射抜かせはしない!

+++

人一人いない静かな控え室で、カルミンはテレビを睨む。中ではサツキとオーカが攻防を繰り返しているところだ。

本戦が進むにつれ人がいなくなった控え室の数々の中で、こうしているのはカルミンだけだ。観戦席に行く選択肢も当然にあった。しかし、サツキのバトルを他人の歓声の中で見る気にはなれなかった。

一進一退の攻防が続いている。カメラが遠く、読めない技も多いのは中継の難点だ。あの二人はベスト4でも特にテクニカルなバトルを好んでするタイプ。きっと見えていない中で様々な罠と策が張り巡らされているのだろう、審判の席で見られないのがつくづく残念でならない。

サツキのブラッキーが下げられたところで、残りは三体。まだ結果は読めないが、カルミンはサツキの勝利を信じていた。

なにより、まだ彼は出てきていない。

――カラ。

サツキに託した、同志の運命。女のために戦うバトルは許せない。しかし、大切な女を守れなくて何が男だと言うのか。そんな矛盾の中で、カルミンは同志へ祈る。

――お前、絶対勝てよ。

今か今かと、彼の登場を待った。運命を分かった盟友の、その雄志を見届けるために。