グレン島 その1

八月六日。朝起きてすぐにふたご島を出発し、サツキとカルミンは昼前にはグレン島、グレンタウンへとたどり着いた。

ここまで無言で来た二人の間を、潮風が温かく通り過ぎる。

昨日、カルミンとポケモンを交換した。カルミンの幼なじみ、カラとサツキのゴーちゃんを。

カルミンの想いも、カラの立場も、ゴーちゃんの決意も、サツキは理解しているつもりだ。それでも飲み込み切れなくて、彼に話しかけられないでいる。

すぐそこに、カルミンがいるのにカラのボールを持っているのが自分であるというのが、どうしても受け入れがたいのだった。

喧嘩しているわけでもないのに、二人は無言のまま、ポケモンセンターで休憩を取る。ポケモンも出さないまま、飲み物を飲みながら、じっとお昼の時間を待っていた。

グレン島は、火山島。三十年近く前に一度噴火し、そのとき全てが溶岩によって流された場所。しかしそんな様子を伺えないほど、現在のグレンタウンは活発な町だった。

グレン島、グレンタウンは――長い年月をかけて、災害の痕も見えないほど復活した町なのだ。

サツキは思う。

カルミンみたい、と。

「……昼食べたらさ」

「う、うん」

長い長い沈黙の中、カルミンが口を開く。思わず背筋を伸ばして、彼をまっすぐ見てしまう。

そのとき、今日初めてカルミンの顔をまともに見た。

彼は明るくしようとしているが、その顔はテンションのあがりきらないもので。

――やっぱり、寂しいんじゃん。

彼らの立場が、サツキになにも言えなくするから、どうしてもずるいと、思ってしまう。

「バトルしよう、カラとゴーちゃんで。お互い連携の調節とかしないといけないし」

「そうだね、ジム戦までの調整もあるし」

そこで、会話が切れる。

こんなに沈黙が流れるのは、ハナダで喧嘩したあともなかった。

「……あのさ」

「うん」

「気なんて使わなくていいから」

「……うん」

無理だよ、そんなの。

とてもじゃないけど、言えなかった。

+++

お昼を食べて、少し休憩をして。それから、グレンタウンのバトル練習場を目指す。

タウンマップや案内看板を見ながら歩いていくと、現れるのはレトロな洋館だった。

「ポケモンバトル練習場」と書かれた看板の下に小さく解説がある。読むと、その昔「ポケモンやしき」と呼ばれていた廃屋の跡地に、洋館の外観を復元したものだそうだ。かつて火山で流されてしまった館を、もう一度。

サツキにとっては馴染みの深いデザインの、けれど現代では浮きがちな洋館の中へと入ると、盛況にバトルをしている人が大勢いた。

「な、なぁっ! あそこにいるの、ジュンジさんじゃないか……!?」

「あれー、本当だ」

興奮気味に腕を引かれて見ると、キャンプボーイが大きくなったような、動きやすそうな服装の男性がどこか陰気そうな眼鏡の男とバトルしているのが見える。

グレンジム・ジムリーダー、ジュンジ。

父よりいくらか年下な程度の彼は、童顔なせいでもう少し若く見える。一緒に戦っているウインディは勇猛に眼鏡の男のペルシアンを撃破していく。

「すげーっ、ジムリーダーの練習風景が見れるなんて……!」

「うん、そうだね……」

見ながら、カルミンと違ってサツキは違和感に襲われていた。

ジュンジと男のバトルは、白熱している。白熱ということは、互角ということだ。

そう、互角なのだ。

男は特別に強いようなバトルをしているわけではない。ジムトレーナーがせいぜいと言ったレベルのポケモン、戦略、タイミング。

サツキだって、一流というわけじゃない。まだ発展途上のただのトレーナーだ。しかし、両親がジムリーダーで、多くのバトルを見てきた。

だからこそ言える。

あの眼鏡の男は二流だ。

そして、ジュンジはその男と互角なのだ。

「…………?」

今までジムリーダーと戦ってきても、本気のジムリーダーに勝てるビジョンは見えなかった。

なのにどうしてだろう。

――ジュンジに負ける気がしない。

「ちょ、ちょっとサインもらってくる!」

「あっ、フィールド横断したら危ないよおっ!!」

止めるのも聞かずにカルミンは走り出し、まっすぐにジュンジの使っているコートへと近づいていく。そのせいであちこちでバトルが中止されてしまい、サツキはぺこぺこと謝りながら後を追った。

追いつくと、ジュンジたちも同様に、カルミンにバトルを止められて少し困ったようにサインをしているところだった。

「はい、これでいい?」

「ありがとうございますっ! あのっ、写真いいですか!?」

「もう、カルミン! 今ここでやるのは失礼だよっ」

「いや、別にいいけど……あれ、サツキちゃん」

「すみませんジュンジさん、この子ちょっと突っ走りがちで……!」

「サツキは俺の親かなにかかよ?」

ぺこぺこ謝るサツキに、カルミンは困惑したように呟くのみ。サインもらうにももう少し場所とか考えればいいのに、ジム戦でどうせ会うんだから。

そういったのも含めて睨んでやると、カルミンは仕方なさそうに頭を下げる。

「いいよ、頭上げて。写真撮ろうか」

「俺が撮るよ。嬢ちゃんも入りな」

「え、あたしも?」

「やった! ありがとうございます!!」

なし崩し的にジュンジをカルミンとサツキで挟んで記念写真を撮る。なんだかおかしな構図だとサツキは思うが、カルミンは嬉しそうに男から使い捨てカメラを受け取っていた。彼にはこれでよかったらしい。

「サツキちゃん久しぶりだね。旅に出たことはレッドさんに聞いてたよ。次はここのジム?」

「はい。少し調整を入れたらすぐにでも」

「お、俺も! 俺も挑戦します!」

「知ってる知ってる、カルミンくんだろ?」

「えっ?」

「君有名だから。サインねだって回ってるって」

くすくすと笑われると、カルミンの顔がみるみると赤くなっていく。さすがに、ジムリーダーに言われるのは恥ずかしいらしい。

確かに、こんなに目をキラキラさせてジムリーダーにサインと写真と握手をねだって回っていたら、噂にもなるだろう。と、サツキは半ば呆れながらカルミンを見ていた。

「君たちが来るなら、俺も調整しないとな」

「あ……どこへ?」

「ジムに戻るよ。そのコート、使っていいから」

男と肩を並べ、去っていくジュンジにカルミンと二人で礼をして見送る。

そうして、すぐにコートの両端へと走ってポケモンを出した。サツキはカラを、カルミンはゴーちゃんを。

こうやって、カルミンと戦うのはハナダ以来だ。

「よしっ、行くぞゴーちゃん。明日のジム戦に向けて特訓だ!」

「カラ、気軽にやっていいからね。今はやり方を見るだけだから」

自分のポケモンだったゴーちゃんと、こうして面と向かうのは変な気分だった。

それでも、サツキは気を引き締める。

カルミンと戦うのは、ハナダ以来。バトルについて怒られた、あれ以来。タマムシのときはバトルをしなかった。

変わった自分を見せなければならない。大きく深呼吸して、サツキはカルミンを見る。彼の目は、冷たく自分を試しているようだった。

――あたしは、勝つよ。

カルミンの出自がどうであれ。カラがカルミンの相棒であれ。サツキは勝つ――それを疑いはしない。

驚くほど冷静でいた。手加減なんて、馬鹿らしい。

バトルにおいて、私情は無用。

「カラ。君の力――あたしがもっと引き出してあげる!」

その言葉を合図にカラが勢いよく飛び出していく。ぶっつけで合わせるのにサツキまでコートに入るとカラが混乱するから、今回はそれを見送るだけだ。

同じようにコート中心へと走ってくるゴーちゃんに対して、カラが大きく右腕を振りあげる。

「いわくだき!」

「ずつき!」

カラのホネを頭で受け止めたゴーちゃんが、深く息を吸い込む。効果抜群の技を受けたとはいえ、いわくだきは威力の低い技。あまり効いている様子はない。

「こごえるかぜ!」

「! カラ!」

距離を取る前に、ゴーちゃんが吸った空気を勢いよく吐き出す。真っ向から苦手な技を受けたカラは、苦しげにしながらも素早く距離を取った。

ミーちゃんとやっていたときも思ったが、やはり水タイプ・氷タイプ相手では分が悪い。カラの技の多くは接近型なのだ。直接技を叩き込もうと思えば逆にいいようにやられるばかり。

しかも、カラはカルミンのやり方になれているせいか、相手の真正面に立ちがちなのも伺える。

これを勝たせるにはどうしたらいいか。

「悪いなカラ、容赦はしないぜ。ゴーちゃん、オーロラビーム!」

「カラ、あなをほる!」

とっさに地面へとカラを潜らせて、サツキもまたビームを避ける。

ビームの先にあった屋敷の外壁が凍らされ氷のコーティングを受けているのを見る。あれこそ、サツキがよくやる手だてだが、相手にやられると対処がなお難しいと歯噛みした。

サツキの得意なのは、柔軟に“変わる”バトル。

しかし、カラは地面タイプ――地面はそう簡単には変われない。どうするべきか。

変われないなら――相手に“変えさせる”しかない。

「カラ、そのまま地面を掘り続けて! ゴーちゃんの下をね!」

「なにするつもりだ? まぁいいや。ゴーちゃん、閉じこめてやれ! 地面にシグナルビーム!」

「出てきて!」

地面に向かって放たれたシグナルビームによって、大量に穴が掘られもろくなった地面が破壊される。その直前、少しずれた位置にいたらしいカラが飛び出してその勢いのままゴーちゃんへと大きくホネを振りおろす。

そしてすぐにカラを下がらせる。破壊された地面を挟んで、カラとゴーちゃんは向かい合う形になる。

サツキは少し、悩んでいた。打開策が見つからない。

あそこで穴に水を流し込んでくれたなら多少思うようにいったのだが、そんなに単純に行かないようだ。

よく考えなければならない。カルミンは、どうしたら、どんな反撃をしてくる?

「カラ! 岩をホネで打って!」

「こおりのつぶてで破壊しろ!」

荒く破壊された岩が次々にゴーちゃんの周辺に溜まっていく。それはまるで彼のための壁のよう。

カルミンはこれを好機だと思ったのか、ゴーちゃんを壁に隠して、岩の陰から次々にオーロラビームを撃ってくる。

カラが必死に逃げるも、地面が氷のリンクになっていく範囲は大きくなっていくばかり。そして、近距離型のカラはそれに近付けない。

あとはもう、逃げられなくなったカラを捕まえるだけ。

――そう思っている顔に、サツキは一つ賭けてみることにした。

「カラ、氷の上を滑って!」

「その方が逃げ場がなくなるんじゃないか? やれ、ゴーちゃん!」

「そのまま……そう、岩へと走れ!」

岩のうちの一つ――まるでジャンプ台のような角度のそれにカラは迷いなく走る。氷を滑ることで上がっているスピードにオーロラビームは追いつけない。

そのまま、まっすぐ突っ込んでいったカラは、勢いよくゴーちゃんの上へと飛び込んでいく。

「かわらわり!」

「――!!」

勝ちを確信していたカルミンは動けない。

カラはホネを刀のようにして、落ちるスピードもそのままにゴーちゃんの脳天を突き刺す。

悲鳴もなく、ただゴッ……と重い音が響いた後、カラは軽やかに着地する。それと同時にゴーちゃんの重い体が傾ぐ。

「…………!」

「カラ、お疲れさま」

戻ってきたカラは、涼しそうな顔をしながらもやはり疲労が見えた。苦手なタイプとの対決だったのもあるが、それ以上に馴染みのないトレーナーとのコンビで気疲れしたことが大きいだろう。

それはサツキも同じだった。捕まえたばかりのポケモンとバトルするのとは違う。自分とは違うバトルスタイルのトレーナーのやり方が染み着いたポケモンと一緒に戦うことが、こんなにしんどいだなんて。

ゴーちゃんはサツキと一緒にバトルをまだしていない分、カルミンの方はまだやりやすそうに見えていた。

これはひとえに、カルミンが油断を見せていたがゆえの勝利にすぎない。

まだまだ、課題は多そうだった。

「ゴーちゃん、大丈夫か?」

「お疲れさま、カルミン」

「サツキ……」

カラを抱き、ゴーちゃんを気遣うカルミンへと近寄る。

申し訳ないという気持ちはない。サツキは勝つと決めたのだから。

カルミンは少し呆然としてから、立ち上がって手を差し出してくる。

「ありがとう。強かった」

「うん。約束、果たせそうだよ」

堅く握手を交わす。

――リーグで俺に勝ってほしい。

その約束を果たすための下地はできたと、サツキは確信している。あとはバトルの腕をひたすら上げればいいだけだ。

「今はリーグをどう思ってるの?」

「そんなの、決まってる」

だからサツキは、今度こそこの質問に自信を持って答えられた。

「あたしは優勝する」

その返事に、カルミンは安心したように笑った。

これでいいのだと、サツキもまた安心した。

きっかけはユリカで、一番初めに指摘してきたのはオーカだったが――気付かせてくれたのは、カルミンだったから。どうにか彼に、誠実なバトルを見せたかった。

成長した自分の姿を。それを認めてくれた彼に、サツキは強い自信を得る。

「一度ポケモンセンターに行こっか。そしたら、お互いバトルの調整しよ。あたし、カラと合わせないといけないことがあるし」

「んー、それもそうだな。じゃ、一旦戻るか」

そうして帰路に差し掛かったところで、サツキはふと朝の気まずさが解消されていることに気付く。

思い切りバトルをしたからだろうか。それともカルミンとカラが遠慮なくぶつかり合っていたからだろうか。カルミンと話しにくくなっても、気が付いたらいつも通りになっている。これは、カルミンの雰囲気のおかげかもしれない。