ポケモンリーグ 決勝戦 その2

試合も中盤にさしかかった頃。観戦席で見ていたグリーンたちは固唾を飲んで見守っていた。試合開始前の騒がしさは一変し、誰もなにも話さないでいる。

否、話せないのだ。

かつて同じように戦ったグリーンとレッドたちは、あの日のリプレイのような娘たちのバトルから目が離せないでいた。ブルーたちはそれを察してかなにも言わず、元より口数の多くない甥たちも黙りこくっていた。

一進一退のバトルは、互いに実力の限りを尽くして進んでいる。オーカもサツキも、テクニカルタイプなだけあってバトルの予測は困難を極めた。正反対だった父親たちとは違い、どこか共通点を持って戦っている娘たちに、なにもかもが血の運命を辿るわけではないのだと感じさせられる。

そんな張り詰めた沈黙を破ったのはイエローだった。

「お父さん……」

そっと、グリーンの手に手を重ねて妻は囁く。観客席の盛り上がりの中でかすかな彼女の声を聞き逃さなかったグリーンは、視線だけを妻へと移した。イエローはどこか泣きそうになりながら、バトルから目をそらさずに言う。

「あの子、あんなにバトルを楽しそうにしてますよ。初めて見た、あんなに、あんなに楽しそうにバトルをするオーカは」

「……ああ」

小さな声を震わせて、イエローは呟く。

娘のバトルは、いつも苦しそうだった。能力を嫌うようになってからずっと、強大すぎる力に振り回されながら戦うことは辛かったのだろう。こんなにものびのびと、戦う姿は何年ぶりに見るだろうか。

サツキと戦うオーカは、とても楽しそうに笑っているのだ。

準決勝さえ娘はなにかに苛立っている様子があったのに、こうして笑顔で戦っているのだ。初めて見る様子だった。ようやく、オーカは全力で戦うことができているのだ。いいライバルに出会えたのだな、とグリーンもまた安心する。

「旅に出して正解だったな」

「……もう、僕はまだ許してないですよ」

「今日帰ってくるんだからいいだろう」

「それとこれとは違うんです」

娘を長く外へ出していたことを未だ根に持つ妻は年甲斐もなく頬を膨らませる。長いこと拗ねられたことを思い出して、げんなりしたところで妻の手が離れていく。

「オーカ、勝ちますよね」

「ああ、きっとな」

+++

ブラッキーを退け、状況はオーカが一歩リード。しかしピカチュウもダメージを負っているため、またすぐにイーブンに戻されてしまうだろう。

オーカは状況を整理する。地面は雨でぬかるみ、フィールドにはでんじはの網が張られている。歩きづらく、一歩進めばまひの可能性があるこの場は、オーカの首さえも締め付けていた。

唾を飲み込み、オーカは一呼吸つく。呼吸すらする暇のないほど逼迫したバトル。これほどまでに力量の拮抗したバトルが、かつてあっただろうか。

ジムバトルとも違う。圧倒的な実力差のあるカケルへ食いつこうとするバトルとも違う。やる気のないメルに苛立ってするようなバトルとも違う。

確かに釣り合っている実力。目を見張るような技術力。もっとよく見て、盗んで、そして勝ちたいと思える、初めての相手。

――これが、ライバル。

ポケモンリーグの興奮に、オーカもまた酔っていた。全力で、自分らしいバトルを、ぶつけることができる相手がそこにいるのだ。楽しくて仕方がなかった。次に彼女がなにを出すのか、それをどうやって倒そうか、考えることがこんなにも楽しい。

煩わしかった能力から解放されて、ただ純粋な技術力だけでバトルをすることができる。これこそが、オーカの求め続けていたバトルだった。

「さぁ、次は誰で来るんですか。相性で言えば、ガラガラでしょうか?」

「それもいいけど――今日はこっちかな。ピーちゃん!」

ブラッキーの後続としてサツキが選んだのは、オーカと同じくピカチュウ。いつ見ても不機嫌そうに目を細めたピーちゃんは、オーカのピカチュウを見るなり怯えたように警戒をし始めた。

原因は、ピカすけが嬉しそうに声を上げたことだ。

「おや、いいんですか? そのピカチュウはピカすけが苦手だったはずですが」

「まぁね。でもせっかく空気中に電気がこんなにあるんだから、利用しない手はないよね?」

キィィと威嚇をしているピーちゃんと、嬉しそうにラブコールを送るピカすけ。二匹の相性の悪さは見ていて滑稽であり、眺めているのも悪くはないが。

なにかを企んでいる様子のサツキに、思い通りにはさせたくない。ピカすけの名前を呼んで、先に動くことにする。

「そう簡単に利用させてあげるとでも? いけピカすけ、遊んであげなさい!」

意気揚々と駆けだしたピカすけは、逃げるピーちゃんを捕まえようとでんこうせっかで距離を詰める。そのスピードはこうそくいどうでどんどん上がり、やがて見失う。探ろうにも、足音さえない彼女を見つけるのは至難の技だ。

足音を消すのは、ピカすけの得意技。いたずらで培ったその技術をバトルに生かさない手はない。

ピカすけがどこから来るか。それを探そうと周囲を見渡すピーちゃんは混乱をし始めている。今だ。

そう合図をした時だ。

「ピーちゃん、左にたたきつける!!」

「!?」

襲いかかったピカすけが、ピーちゃんのしっぽに叩きつけられた。あれだけ混乱していた様子のピーちゃんは一切の躊躇なくしっぽを振りかざしたその先に、吸い込まれるかのように。

――見えていたのか! 今のが!?

「なんで、音は聞こえないはず……」

「音が聞こえなくても、足跡は残るでしょ?」

「見えるって言うんですか! 今のスピードで!」

「見えるよ」

サツキは不敵に笑う。それは虚栄でもなんでもない、確かな自信の現れだった。

彼女のこんなに堂々とした姿を、初めて見た。

「みやぶるのは得意なの」

サツキの流動的なバトルを支える一端。それこそが彼女の目のよさだ。視野が広いと言う方が正しいのか、動体視力が高いと言う方が正しいのかは定かではない。しかし、オーカにはないその高い能力は厄介だった。

――こんらん状態だと思わせておいてでんじはを張り巡らされるのもすぐに気付かれた。サツキさんを相手に小細工をするのは向かない。

オーカは“見る”能力についてはあまり自信がない。仕掛けるのは得意だが、仕掛けられたら実はひとたまりもないのだ。本当はもっと大胆な手が必要なのに違いない。

――でも僕は自分のバトルを貫く。

「そのまま行くよ! ほうでん!」

「そんなの効きませんよ、かわらわり!」

「10まんボルト!」

近距離を利用して打撃で攻めるピカすけに対して、ピーちゃんは繰り返し電撃を浴びせてくる。同じ電気タイプ同士、効果は今ひとつだとサツキも知っているはずなのに。

――サツキさんの狙いはなんだ?

なにかを仕掛けようとしている。これは下準備だ、間違いない。オーカもよくやる手段だ。では、なんのために繰り返し電撃を放つのか。まるで、空中に電気を溜めさせるためのような――。

「! まさか」

「かみなり! そして――君の番だ、カラ!」

電気が充満したフィールド上に、かみなりを受けながら現れる一匹の戦士。ガラガラは剣のように持ったホネをアンテナにして、散った電気を吸っていく。

――これが狙いか!

あのガラガラの特性はおそらくひらいしん。電気を集め吸収することで特攻を上げ、パワーを上げた状態でガラガラを場に出すためにピカチュウを選出したのだ。

ガラガラだからこそできる、疑似バトンタッチ。これではでんじはの網も吸われてしまっただろう。オーカの罠さえ利用して、彼女は強引に自分の場へと作り替えたのだ。

――水タイプの柔軟さだけが取り柄ではないようですね……!

「お見事。ですが、ガラガラにとくしゅ技はあまりなかったと記憶していますが?」

「そうかな。こんなに陽が照っているのに?」

「!」

ガラガラが大きくホネを振りかぶる。それを繰り返していると、やがてホネを纏うように炎が燃え上がり出す。ガラガラが息を吹き付ければ、ピカすけに向かって炎は竜のごとく襲いかかる。

――まだにほんばれが効いているから!

時間が経って大分陰ってきたとはいえ、にほんばれの効果は持続している。その影響下で炎タイプの技は大きく威力を上げるのだ。

ピカすけは必死に逃げるものの、威力の下がらないかえんほうしゃはどこまでも追いかけてくる。サツキの目を持ってすれば、こうそくいどうでスピードを上げたピカすけを追い続けることは可能だろう。

――いや、違う。これは。

焦りを感じたところで、サツキの目的が攻撃じゃないことに気付く。序盤の天候バトルから、どれほどの時間が経っただろうか。あれだけぬかるんでいた地面は大分乾いてきている。そこでさらにかえんほうしゃが地面を舐めれば。

――この上さらにフィールドを変えていくつもりか!

アナウンスで言われた、フィールドの支配者の二つ名は伊達ではない。この高い柔軟性こそがサツキの強みだ。ここからどうコンボを繋げてくるつもりか。オーカは心が高鳴るのを感じる。

しかし、黙ってフィールドを明け渡してやるつもりはなかった。サツキがフィールドの整地を図っているのなら、こちらも使ってやるまで。

地面が乾いていけば、元々スピードのあるピカすけはさらに加速する。こうそくいどうも相まって、その影を捕らえる方が難しいほどだ。サツキの目がどんなによくても、捕まえるのは難しいはず。それにトレーナーが見えていても、ポケモンも見えているとは限らない。

ギリギリまで加速をしたピカすけは加えてかげぶんしんを展開していく。ガラガラを取り囲み逃がさないようにしつつ、かえんほうしゃには当たらない。

ガラガラの急所は頭のホネと体の境。狙うのは困難だが、オーカにとって難しいものではない。ガラガラは直立不動のままホネを操っているばかり。誘われているのかもしれないが、ここを攻めない手はない。

「ピカすけ、たたきつける!」

「――――!」

かげぶんしんが一斉に襲いかかり、下からガラガラの首めがけてしっぽを振り上げる。本物は、背後。これを食らってただでは済むまい。

事実、ピカすけのしっぽは予定通りガラガラの首へと食い込んでいた。しかし。

「ホネこんぼう……!」

「待ってたよ、攻めてくるの」

やはり誘いだった。

オーカは歯噛みする。たたきつけるは予定通りに決まっていた。しかし、それと同時に背後に振りかぶられたホネこんぼうによってピカすけもまた大きく吹き飛ばされていた。

炎をまとったままのホネはピカすけの脇腹をしっかりととらえ、上げていたスピードもろともに吹き飛ばす。何度かバウンドをすると、ピカすけはよろよろと起き上がろうとする。

限界だ、オーカはそう判断して彼女を下げた。絶対に逃がさないために、追い込まれていたのは自分だったか。

ならば自分は、どんな風に彼女を捕らえようか。

「いけ、ヤドすけ!」

甘そうなピンクの巨体に、貝殻の王冠を被ったヤドキングが、乾いた大地に足を着く。興奮の渦の中、のんびりと、冷静な様子の王は小さなガラガラを一目見ると体を揺らした。

――正直、僕も冷静でいられている自信がない。

――だからこそ、重要な中盤。お前に託すぞ。

何事にも動じない、あるいは動じることのできないヤドンたちは時に心強い味方になりうる。それがヤドキングともなれば、なおさらだ。

「ヤドすけ、のろい!」

のそりとしたヤドキングが、さらに重心を下げていく。ぐぐ、ぐぐ、と地面すれすれまで低くなると、ヤドキングは四股を踏むような動作をする。重心をさげ、その大きな体をさらにどっしりと構えると、ヤドキングの目つきが変わる。

すばやさこそ落ちるが、ヤドキングにとってそれは重要ではない。むしろ攻撃型であるガラガラに備えるためにこれは必須だった。

そんなのろいの動作の最中も構わず距離を詰めていたガラガラのホネが振りかぶられる。ヤドキングは身じろぐことすらなく、小さな体めがけてずつきを振りかぶった。

「カラ、迎え撃て!」

ガラガラは避けず、その堅いホネの頭で受け止める。ヤドキングの貝殻の王冠、ガラガラのホネ。それらがガキリとぶつかり合った瞬間、擦れるような嫌な音が生じる。しかし、どちらも崩れることなく、バトルは超至近距離のまま続く。

ホネこんぼうの猛攻に、ヤドキングは耐える。その間ヤドキングはじっとガラガラを見つめ、彼の能力の上昇具合を分析し、ものにする。じこあんじだ。

――わざわざ能力を上げてくれたんだ、利用させてもらおう。

じこあんじが完了したところで、鬱陶しいガラガラをサイコキネシスで吹き飛ばす。

「……威力が高い!」

「さらにわるだくみ! これで終わりだ、みずのはどう!」

「がんせきふうじ!」

ガラガラの上がった特攻をコピーし、さらにわるだくみで特攻を上げ、みずのはどうで追撃する。当たればひとたまりもないだろう、上手く行けばこれで倒れる。

そう見込んだみずのはどうは、ガラガラに当たらずに終わる。ガラガラを守るように展開されたがんせきふうじに阻まれたのだ。しかし、盾とした岩も威力の上がったみずのはどうに破壊される。破片が当たればそこそこのダメージが入るはずだ。

ただでは終わらない――はずだった。

「――いない!?」

「後ろがお留守だよ!」

岩の後ろにガラガラの姿はない。どこだと顔を上げた瞬間、背後から回ったホネブーメランが頬をかすめる。ヂリッ、と嫌な音が耳に刺さり、そのままヤドキングの背を打った。

ブーメランはヤドキングに当たっても止まらぬまま、サツキに抱えられたガラガラの手に収まる。

――ポケモンを、庇ったな?

彼女がこうしてバトルに介入するのを見るのは三回目だ。一回目は二ビジムで、二回目は準決勝で。

死ぬつもりなのかと、一回目に見たときと同じ感想を抱く。だが、明らかに彼女の動きが変わっていることに気付いていた。準決勝といい、今といい、彼女は――自分もバトルに参加することさえ、作戦に組み込んでいる。

トレーナーがバトルに介入することは非常に危険だ。下手に技を受ければ後遺症が残ることさえある。それでも彼女は、自分がポケモンを守ることを想定した訓練をしてきている。

――それが、あなたの選んだバトルなんですね。

「素晴らしい運動神経です。がんせきふうじに巻き込まれないようにガラガラを連れ出すとは」

「あれ、怒らないんだね」

「いらないでしょう? 今のあなたには」

オーカには真似のできない芸当に、呆れながらも尊敬をしていた。ポケモンと共に在りたい気持ちはオーカも同じだ。だから、二ビジムの時のような説教は今の彼女にはいらないだろう。全てを承知で選んだならば。

「そう――あたしは、ポケモンと一緒に、全力で君と戦うよ。もう傷付けることを恐れたりしない。馬鹿にしたバトルだなんて言わせない」

「僕も、もうバトルを恐れたりしない。……あなたと戦うのは、本当に楽しいです。あなたがここまで来てくれて本当によかった」

「あたしも。君と戦えて嬉しい。あたしを選んでくれてありがとう」

ガラガラから離れ、サツキは立ち上がる。その表情に初めて会った時に感じたような、ふがいなさはもうない。ただ純粋に勝利を求めるポケモントレーナーがそこにはいた。

オーカは、サツキがいなくてもいずれ能力を克服しただろう。だが、きっとサツキがいなければリーグがこんなにも楽しいものにはならなかったと思うのだ。

「だから、勝たせてもらうよ! ボーンラッシュ!」

「こっちの台詞です! サイコキネシスで身を守れ!」

投げられたホネによって、再び場が動き出す。ボーンラッシュはヤドキングを狙うも、サイコキネシスで軌道をずらされその悉くが岩にぶつかる。砕け散り、砂埃を舞い上がらせるだけのボーンラッシュをそれでもサツキは止めない。

そこで今ならばホネを持たないガラガラを強襲できる、とオーカはしねんのずつきを命じる。飛び回るホネで防がれる可能性を避け、ずんずんと距離を縮めるヤドキングからガラガラは避けない。

――迎え撃つつもりか。

ホネを持たないガラガラの戦術はそれだけで狭まる。なにをするつもりだ、と警戒しているところで、ヤドキングがガラガラの元に辿り着く。背後からホネで、と狙おうともサイコキネシスで守っている体には届かない。

大丈夫、抜かりない。

「いけ、ヤドすけ!」

「カラ、あばれる!」

三度、二体は肉薄する。しねんのずつきを繰り出すヤドキングに対し、あばれるガラガラはその衝撃に怯むことなく暴れ始める。

防御、特防ともに一級品のヤドキングに対して、ガラガラのあばれるは上手く通らない。ガラガラの二倍に匹敵する巨躯で押さえ込んでしまえば、簡単に封じることができる。のそり、とガラガラの上にのしかかり、その近距離でみずのはどうを撃とうとした。

瞬間、サツキによってガラガラが下げられる。混乱対策か、あるいは不利を悟ったか。まだ体力に余裕がありそうな様子だった分、警戒をしておく必要がありそうだと思いつつ、次は誰だと見つめる。

「メーちゃん! こうそくスピン!」

現れたのは、小柄すぎるカメックス。生後四ヶ月の小さなカメックスは、姿を現すなり砂埃を巻き上げてヤドキングに向かってくる。

ピカチュウかと思ったが、カメックスか。慌てることなくこうそくスピンをいなす。それでも止まらないカメックスは、ぐるぐるとヤドキングの周りを回転していく。

――足場でも崩すつもりか?

ガラガラのボーンラッシュによって巻き上がった砂埃で視界が悪い。加えて、乾いて固まった地面を削り取るようなこうそくスピン。

なにかを狙っているのはわかるが、意図が読み切れない。カメックスは闇討ちに向いたポケモンではない、ではなにが目的だ。

「ヤドすけ、地面にしねんのずつき! カメックスを止めろ!」

「ロケットずつきに切り替えて!」

地面にしねんのずつきを撃ち、亀裂を入れた隙を狙われる。地面が揺れる衝撃を無視するようなロケットずつきは、まっすぐヤドキングの脇腹を捕らえ、揃って転がる。

しかしのろいで防御力を上げたヤドキングは未だダメージに動じない。そのままカメックスを押し倒し、至近距離からしねんのずつきを食らわせる。小柄なカメックスには痛かったのだろう、悲鳴を上げるのも構わず追撃をする。

だが、二発目になってヤドキングが額を抑えよろける。

――てっぺきか!

ダメージに備えて皮膚を硬化させたカメックスによって、逆にカウンターを食らったらしい。再び距離を取らせ、ヤドキングは様子を見る。カメックスはそれを深追いせず、しっかりと距離を取ってサツキの方を伺った。

――あの落ち着きのないゼニガメが、きちんと指示を待っている。よく育てられているな。

じゃじゃ馬だったゼニガメ、二ビを荒らしていたピカチュウ、ハナダの岬で暴れていたオニドリル。サツキのポケモンは、把握している限り問題児が多い。だがそんなことを忘れさせるくらい、サツキは彼らをよく従えていた。それだけ、彼女の実力が高いということだ。

しかし、ポケモンとのコンビネーションでこちらも負けるわけにはいかない。特にオーカは、それを主軸にしているのだから。

「ヤドすけ、ふぶき!」

サツキが作ったフィールド全体の砂埃。それはもはや砂嵐もかくやと言った視界の悪さを保持している。それを逆手にとって、さらにふぶきで視界を悪くしていく。

通常、エスパー技も相手を捕捉できなければ外れてしまう。だが、攻撃ではなく捕捉のためにエスパー技を使えば命中率など心配する必要はない。砂埃と白い霧が合わさり一寸先さえ見えない中、ヤドキングはサイコキネシスでカメックスを捕捉し慎重に近付いていく。のろいによって遅くなった足は、慎重な動きにはよく役立った。

――カメックスのいる位置まで、あと四○、三○、二○……。

距離と時間を測り、オーカは視界の悪い中、指示のタイミングを読む。カメックスはこの中動くことは出来まい。しかし、ヤドキングならば通常通りに急所を捕らえることが可能だ。

――一○、五、四、三……。

「今だ、サイコキネシス! カメックスの急所は首、撃てッ!!」

ついにヤドキングがカメックスを捕捉する。サイコキネシスで殻から引っ張り出して固定し、殻に隠すことの出来ない柔らかな首元に至近距離からのシャドーボールをお見舞いする。

その衝撃からか、やや晴れた視界の中でカメックスが吹き飛んでいくのを確認する。手応えはあった。どうだ。

「ロケットずつき!」

「!」

霧の中、今度はヤドキングが吹き飛んでいく。その威力は、先ほど受けたよりもさらに上がっていた。

吹き飛ばされたヤドキングはダメージが蓄積していたのか、ぐったりと横になっている。動けないわけではないが、これ以上は危険だと判断して下げた。

「……なにを、したんですか?」

「ふるいたてる。狙うのにあんなに時間かけてたから、準備は十分に間に合ったよ」

それに、この霧はあたしのフィールドだ。

そうサツキは笑う。敵に塩を送ったか、オーカは次のボールを取りながら、それでも冷静でいた。

この霧はサツキの領域かもしれないが――オーカの領域ではないとは、言わない。

+++

前方は砂埃と吹雪による霧で視界は遮られている。その中でふるいたてることにより、防御、攻撃、共に万全の状態まで引き上げた状態のカメックスは士気も高い。

――狙っていた状況を、さらに通りやすくしてくれるなんて。

サツキの狙いを、おそらくオーカは気付いていない。気付いていないなら、好都合だ。サツキの得意技は割れている。ならば、違う方向から攻めるだけ。

――オーカの残りは、フシギバナとゲンガー。そしてこの環境で、ゲンガーを出さない手はない。

フシギバナが場に出ると、霧は対処されてしまう可能性がある。しかし、それでも砂埃までは吸えないはずだ。なにより、オーカもこの状況は逆手に取りたいはず。彼女がポケモンの名前を呼ばないのが、その証拠だ。

――オーカの罠にかかるのは、とても厄介だ。

――だけど、君の手はとても読みやすい。

「メーちゃん、殻に籠もって、目をつぶって。よく聞くんだよ」

相手に聞き取られないように、そっとカメックスに耳打ちする。

ゲンガーは影に紛れることの出来るポケモン。この霧で音もなく忍び寄ろうとしているのは明白。あるいは、なにか罠を仕掛けて誘致を狙っているかもしれない。そこに突っ込むほど、こちらも単純ではない。

しかし、目的のためにはこの霧を維持していたい。だからこそ、不利な状況に追い込まれている自覚はあった。

そんな風に警戒をしつつ、思考を巡らせていたとき。足下にどろりと嫌な水気を感じて下を見る。濃い紫の、粘性の液体が地面に染みこんでいく。

「しま――――っ!」

「ベノムショック!!」

ギャアアアア、とカメックスの悲鳴が上がる。霧に紛れて確実にどくどくを食らわせ、ベノムショックで通常以上のダメージを与えてきたのだ。

どんなにてっぺきを重ねても、これでは無意味だ。

「殻から出たのを逃がすな! あくのはどう!」

「メーちゃん、こうそくスピン!!」

あくのはどうを弾き、そのまま土埃を巻き上げながら距離を取る。毒のせいで動きが鈍い。ここで下げるか、それとも一気に攻めるか。ヤドキングとの戦闘で、カメックスの体力は減っている。まだ余裕はあるとはいえ、どんどん回っていく毒は若いカメックスの体をあっという間に蝕んでいくだろう。

――置き土産をして交代、かな。

「メーちゃん、いわなだれ!!」

「捕まるな! あくのはどう!」

がらがらと音を立てて落ちてくる岩石の雪崩に、ゲンガーはあくのはどうで抗う。しかし無数に降ってくるそれらに抵抗が出来ず、ずるずると床に落ちていくのを見計らってカメックスは大きな地震を起こした。

逃げられない状態での、地震。毒タイプを持つゲンガーにはよく効くことだろう。一矢報いたところで、地震が止まる前にカメックスを下げた。交代したことを悟られたくはない。

再び場に姿を現したガラガラは土煙に紛れて静かに地震を引き継ぐ。どんなにがれきに飲まれても、ゲンガーがそこから解放されるのは時間の問題だ。

「ゴーすけ、いちゃもん!」

「今だ、飛び出せ!」

長く続く地震に嫌気が差したゲンガーが、いちゃもんを付けに来た隙を付いてホネこんぼうで力任せに殴る。

この視界の悪さはゲンガーの領域だ。だが、地面タイプのガラガラにだって地の利はある。

「そろそろ、そのゲンガーも辛いんじゃない?」

「ガラガラも条件は同じです」

ダメージ量はどちらも同じくらいか、あるいはガラガラの方がやや辛いか。あとはフシギバナを引っ張り出すだけ、ではあるものの、その最後の一匹を出させるのに苦労していた。

――オーカのポケモンとは、全員と戦いたいのにな。

最後の大勝負。後を気にする必要がない分、サツキはそんな気持ちを持っていた。全員の力をぶつけ合って、その上で勝利を納める。それが、この試合の目標だ。

その点、サツキは全員を既に出しているのに対してオーカはまだ一匹を体力を残した状態で保っている。このアドバンテージは大きい。早く、ゲンガーを退ける必要があった。

「いくよカラ・・・・・・カラ!?」

「かかった! ゴーすけ!」

そう心が焦れてきたとき、カラの動きが鈍っているのに気付く。ゲンガーが追い詰めようとしてきたところを救出し、地面を転げて逃げる。

――のろわれボディか!

先ほどのホネこんぼうでかかってしまったらしい。腕をかなしばりに遭ったガラガラは少し辛そうにしている。

しかし、ガラガラはまだ闘志を失ってはいない。少し動き辛いだけなようだ。信じて彼を送り出し、叫ぶ。

「じだんだ!」

サツキの腕から飛び出したガラガラが、着地と同時に大きく地面を揺らす。のろわれボディのせいで不発に終わった攻撃の分、威力はさらに上がっている。

じだんだによる揺れで体勢を崩したところを吶喊する。三度ホネを握り直し、大きく腕を振り下ろした。

瞬間。

ゲンガーと目が合った。

「……!」

「ただでなんて、終わりません」

攻撃後、ガラガラがゲンガーの上に倒れ込む。どちらも動かず、沈黙が場を包んだ。

――みちづれ。

「カラ、お疲れ様」

「おつかれ、ゴーすけ。……さぁ、残るは一匹。しかし、サツキさんの方が消耗は激しいですよ」

「大丈夫。もう終わるよ」

ついに最後の一匹が、現れる。

フシギバナ。巨大でとげとげしい色の花を背負って、現れる。それと同時に、ヤドキングが残していったふぶきの霧を吸い込んで取り込む。そして、それを養分に少し体を大きくする。――せいちょうだ。

対するサツキのポケモンは、小さな黄色の体のピカチュウ。

しかし、サツキは絶望などしていなかった。

「決着をつけよう」

「望むところです」

二体が、構える。

ピカチュウが駆けだすのと同時に、フシギバナはつるを自在に操って、まるで槍のように地面に刺していく。それらをくぐり抜けてピカチュウはフシギバナの体を登った。そこででんじはを確実に当てると、再び降りて周囲を挑発するように駆け出す。

フシギバナはそれに焦る様子はない。少し顔を歪ませはするものの、重量級であるフシギバナに動く必要はないからだろう。でんじはの仕返しのようにねむりごなを塗り込んだはっぱカッターを放ってくるのを、ピカチュウは危なげなく撃ち落とす。

――その手は散々見てきたんだ、あたしには通じない。

タマムシシティでのユリカとの特訓を思い出す。ピカチュウもまた、ユリカの好むその手法を見切っていた。

「どうしたんですか、ここにきて随分と消極的ですね」

「……」

「逃がしませんよ、はなふぶき!」

ぶわり、フシギバナの背中の花から猛烈なはなふぶきが繰り出される。目を細めて風から守りつつ、サツキは花に紛れて放たれるものを見逃さなかった。

やどりぎのタネが地面にばらまかれている。ポケモンの体を基盤にしてしか発芽しないその地雷を、オーカは仕込んでいた。

――最後にオーカがフシギバナを選んでくれたのは幸運だったな。

「ピーちゃん、あたしの言うとおりに走って!」

はなふぶきが止んだ後、再びフシギバナの外周を走り始める。サツキの指示通りにやどりぎのタネを避けて駆けるピカチュウは、途中挑発するようにフシギバナへと寄っていく。それが何度目かになったところで、挑発をいばる動作に変えれば、フシギバナは簡単に乗ってくれた。

「鬼さんこちら!」

「待て、フシすけ!」

いばるのせいで混乱をしたフシギバナは、ついに足を踏み出した。道中踏み抜いたやどりぎのタネが発芽して絡みついてくるのさえ無視して、のしのしと攻撃に向かってくる。

やどりぎのタネは草タイプには無効。あちらが蒔いた種なのだから、きちんと回収してもらおう。

「ピーちゃん、今のうちに走り回って!」

「ひかりのかべ……?」

ピカチュウが先ほどから周囲に張り巡らせていく、ひかりのかべ。それらはまるで土煙を閉じ込めるように生成されている。オーカが気付く前に、この作業を終わらせたい。

手法自体は簡単なものだ。オーカはこんなやり方を取らないだろうが、彼女が勘づくのは時間の問題といえる。その前に、フシギバナが動けない間に、終わらせたい。

時折、エレキボールなどで足止めをしながら、準備を続ける。サツキもこういった荒技をするのは得意なものではない。しかし、得意な手法を取らないことが、彼女に勝つ手段だと信じていた。

――オーカはあたしを研究してきてる。だからこそ、いつもの方法は使えない。

序盤、きっちり対策を取られたのを見てそう判断した。そしてそれは間違っていないだろう。だからこそ、サツキは慣れなくてもこのコンボを決める必要があった。

「く……聞こえるかフシすけ! あまいかおりだ! ピカチュウの動きを止めるぞ!」

オーカが叫ぶ。フシギバナの混乱はその声で解けてしまったらしく、あまい香りがひかりのかべで作られた閉鎖空間に充満していく。その匂いに釣られたピカチュウは足を止め、ふらり、とフシギバナの方へと身をよろけさせた。

――まずい!

「ピーちゃんダメ!!」

「つるのムチ、そしてはっぱカッター!」

「かげぶんしん!」

ふらふらと寄っていきそうになるピカチュウを捕らえようと、つるのムチが襲う。間一髪かげぶんしんで避けるも、その先ではっぱカッターに切り裂かれる。幸いなことに、今度はなにも塗られてはいないらしい。それでも無防備につけられた切り傷はピカチュウの体を痛めつける。

だがそれで気を保つことが出来たのか、ピカチュウは再びひかりのかべを貼るのに戻る。あと少しで完成する。ひかりのかべで出来た立方体の空間には、繰り返し巻き上げた土埃が閉じ込められている。トレーナーは立方体の外に立ち、最後にピカチュウ自身をひかりのかべで守るだけ。

あと少し。あと少しだ。

気付くな。

「完成をさせるな、フシすけ!」

「ピーちゃん急いで!!」

オーカが焦るのと同時に、サツキもまた焦っていた。

フシギバナの猛攻をかいくぐり、ピカチュウはひかりのかべの完成を急ぐ。度重なるつるのムチ、降り注ぐねむりごな、移動を阻むはなふぶき。それらをかげぶんしんや、あるいはみがわりを使って退ける。

そうした攻防を、どれだけ続けたことだろう。

お互いに後はない。これで正真正銘の最後。

持てる力を出し切って、有終の美を飾るのは。

――あたしだ!

「これで終わりだ――ほうでん!」

「ま――――……っ!!」

どかん、と巨大な爆発音と共に、爆風がフィールドを襲う。ひかりのかべによってトレーナーの元には爆風が届く程度で収まっているが、あの中にいる二体はひとたまりもないはずだ。

ガラガラのかえんほうしゃでフィールドを乾かし、カメックスで執拗に土埃を巻き上げて、ピカチュウのほうでんによって爆発を起こす。丁寧に繋げたリレーで起こした粉塵爆発。ピカチュウのダメージはひかりのかべで軽減している。あとは、フシギバナの残りの体力如何で決まる。

これで倒れなければ、サツキの負けだ。

二人は固唾を飲んでフィールドを見守った。時間切れで解けたひかりのかべから、煙が解放されていく。やがて、二体の影が見えてきて――。

「フシギバナ、戦闘不能! 勝者、サツキ――――!!」

立っていたのは、ピカチュウだった。

爆風に飲まれ葉を焦げさせたフシギバナは目を回して倒れている。対してピカチュウは大ダメージを負いつつも、たしかに二本の足で立ち、サツキを振り返って腕を上げた。

「……っしゃあ!!」

「…………うそ……」

ワァァァアアアアア!!!

会場中が歓声を上げる。サツキとオーカのバトルを讃え、鳴り止まない拍手が二人を包む。そんな中で、フィールドに立っている二人の周囲は静かなものだった。

死闘を制し、倒れ込む寸前のピカチュウをぎゅっと強く抱きしめる。この勝負は賭けだった。もしもオーカが気付くのがもっと早かったら。もしもフシギバナがひかりのかべを破壊する技を使えていたら。最後の大博打は決まらなかった。技量だけならばオーカの方が間違いなく上であると、サツキは考えていたからだ。

しかし、サツキは勝った。間違いなく。疲労と、興奮と、歓喜とがサツキを襲う。

「ピーちゃん……ありがとう、ありがとう……!」

「……お疲れ様、フシすけ。……おめでとうございます、サツキさん」

「ありがとう、オーカ。あたしの勝ちだね」

オーカと戦うために、旅をした二ヶ月間がついに終結した。実感は湧かない。ただ、これほどまでの歓喜と興奮に飲まれたことはないだろう。これのために、サツキは旅に出たのだ。

最高のリーグと、バトルと、勝利のために。

「聞いてもいいですか。あの爆発は、サツキさんの得意とする手ではないはずです。何故あんな乱暴な手を?」

「だって、あたしの得意技、バレてるでしょ?」

自分の得意な技を使い続けるのは簡単だ。しかしそれは対策が取られやすい。得意な技で負けるような恥を掻くのは遠慮したかったのだ。

サツキは“変わる者”。父はそう名付けた。それに則るように、サツキは自分のバトルの手法さえ、オーカに合わせて変えたのだ。

「オーカ、最高のバトルだった」

「はい。最高のバトルでした」

しっかりと握手を交わす。

汗に濡れたその手はじっとりと湿っていた。それさえ気にする暇もないほど、バトルに熱中をしていたのだった。

ついに、五日間続いたポケモンリーグが終わる。