無人発電所

 ハナダシティから外れた川沿い。

清らかな水とは裏腹に、荒廃したその場所。

かつては人が居たかもしれないが、今はもう、ごく一部の種類のポケモンを除けば誰も好んで近寄ったりはしない、人里離れたところにあるその建物。

 無人発電所と、人は言う。

もう動いていないその廃墟は、それでも取り壊されていない。何故なら、ポケモンたちの住処として定着しているから。

「……あれかー。無人発電所。グスタフがキザイアと初めて戦った……」

それが見える位置に、カルミンはようやくたどり着いた。

まだ若干遠いが、あと十分も歩けば着けるだろう。

 カルミンがここに来たのは、二つ理由がある。

 一つは、図鑑所有者物語の由来の地を巡ること。

 もう一つは、電気タイプを捕まえることだ。

カルミンの手持ちは、ほとんどが地面タイプばかり。

マサミから連絡が来次第仲間になるプテラも岩タイプだ。

せめて水タイプ対策に、と思ってここに望みをかけてきた。ここ以上に電気タイプがいそうな場所もない。

「電気だと……コイルとエレブーとピカチュウとかか……どうしよっかなー」

 悠長に悩みながら、だらだらと発電所の近くに行くと、だんだん、ただの荒廃とは思えない雰囲気に気付く。

なにか嫌な臭いがする。アンモニアに似た、複雑な臭気。

「……なんの臭いだ?」

「おい、お前!」

「!」

 疑問が頭をかすめたところに、低い男の声が耳を突き刺す。

直後、やかましいエンジン音と共に男が姿を現した。

 フルフェイスのヘルメットを被った、体つきのしっかりしたバイク男。この暑いのに分厚いライダースーツを着ていて、汗もかいていない。

「こんなところになんの用だ。子供の来るところじゃないぞ」

「あ……俺は、観光に……」

「観光……? よくわからないが、行くなら今はやめておけ」

有無を言わせない圧力に、カルミンは思わず身をすくめる。

 今はやめておけ、というのはカルミンでもなんとなく理由がわかる。あの無人発電所は、なんだか嫌な感じがする。

「で、でも、あまりのんびりしてられないんだ! 俺、リーグ目指してて……早く次の町に行かないと」

「ならここは諦めて行くんだな。観光なら、見れただけでいいだろう」

「そういうわけにいくか! ポケモンだって探したいんだ!」

バイクに依然乗ったままの男と、カルミンが口論をしていると、よたよたとなにかが近づいてくるのに二人とも気付く。

 黄色い体に黒い線の模様。頭はコンセントに差すプラグに形が似ている。

 エレキッドだ。それも、かなり傷を負っている。

「……こいつ、毒状態になってる?」

「貸せ」

いち早く近づいたカルミンから、エレキッドを男が奪う。

モモンの実を一つかじらせたかと思うと、男の手が不思議な発光をする。

 その発光を受けたエレキッドの体の傷が、じんわりとふさがっていく様子がわかった。エレキッドは痛みが引いてきたのか、顔つきが若干穏やかになる。

「……あんた何者? どうやったの?」

「応急処置をしただけだ。……お前は帰れ」

「だからやだって! このポケモン、発電所から来たよな、発電所になにかあるんだろ」

「俺が見に行く。子供は帰れ、危険だ」

男は頑として譲らない。

だがカルミンも譲れないのは同じだ。

「バトルには自信がある。なんと言われても勝手に行く」

 ばちり、男と睨み合う。

しばらくの無言の後、男がはぁとため息をついた。

 勝った。

「このエレキッドは何者かに住処を占拠されたようだ。無人発電所だろう。正体を確認する必要がある」

「なんでわかるの?」

「行くなら俺から離れるな。勝手に行かれて怪我をされても決まりが悪い」

ヘルメットを放り投げられて、乗れと男が指示をする。

 昨日のマサミといい、今日のこの男といい、どうも一方的な年上の男に縁があるようだ。

渋々ヘルメットを被って、エレキッドと一緒にバイクの後ろに乗り込んだ。

 ポケモンに乗らないで、わざわざバイクなんて使うとは。不思議な趣味の男である。

「行くぞ、しっかり捕まっておけ」

+++

 バイクに乗って、無人発電所に着くのはすぐだった。

臭気が濃いのが、ヘルメットをしていてもわかる。なんだろう、こんな異様な臭気はベトベターやドガースの住処でもそうしないだろうに。

「……これは、ゴースの毒ガスか?」

「えっ、毒ガスが充満してんの」

「ゴース本体に取り込まれなければ問題ない。ヘルメットは外せ、着けたままだと視野が狭い」

返せ、と言われるままにヘルメットを渡す。

外すと一層臭気が酷くなって、カルミンは思わず苦い顔になる。自分で行くとは言ったが、ここまで酷いなら帰ってもよかったかもしれない。

「帰るか」

「か、帰るもんか!  ……あ……」

「どうした」

 男がヘルメットを外す。

 橙色の髪をオールバックに結んだ長髪。マサミに比べるとかなり背が低いが、鍛えているのか分厚い体。

精悍な顔立ちの、二十歳そこそこの若い男。

 見たことがある。

「去年のリーグ優勝者の、カケル……!?」

「……ああ、そうだ」

 カケル。トキワ出身のドラゴン使いだ。

 去年のリーグをカルミンは見ていた。歴代優勝者の中で、マサラ出身でない珍しいトレーナーだった。

『リーグ優勝者はマサラ出身』のジンクスを覆した、そんな男を忘れはしない。

しかも、カケルはチャンピオンのワタルの息子だ。その橙色の髪はよく似ている。

 だが、カルミンがカケルを強く覚えているのはそれだけじゃない。

「俺、去年の準決勝、見てたんだ! タマムシのユリカとの試合! ドラゴンと草の対決、すごかった……。あれが実質決勝だって言ってもいいくらい、すごい試合だった! あんな高レベルの試合はリーグでも久々に見て、すごく興奮したんだ、まさか会えるなんて……!」

「あ、ああ……あの子供はたしかに強かったが・・・」

「サインください!」

「はぁ?」

 カケルは予選からの出場者だった。

そのときから実力は抜き出ていて、さらには草タイプ使いのユリカとの準決勝。

今でもよく覚えている。あれは名試合だった。

 カルミンは毎年リーグを見ていたし、最近では売り子もかねて現場で見ているが、その中で一番の実力者だろうと断言できるのがカケルとユリカだったのだ。

 ユリカは元々優勝候補だった。

両親がタケシとエリカというだけでも期待は集まるのに、本人も期待以上の実力を持っていた上に、独特なマシンガン戦法。

そんなジムリーダーの娘のユリカと、チャンピオンの息子のカケルが当たった時の観客の盛り上がりと期待は熱狂的だった。

 そうして、ユリカが膝を着き、カケルがそれを見下ろした瞬間の歓声。

 互いのタイプの全てをぶつけ合った準決勝。

 忘れられるわけがない。

「……俺は遊びに来てるんじゃない、ふざけるな」

「俺は真剣に言ってますが。サイン帳もサインペンもありますが」

 強いトレーナーは大好きだ。

 心の底から尊敬をしている。

だからこそ、そんなトレーナーたちと接触した証が欲しい。そしてその標的はなにもジムリーダーだけじゃない。リーグ優勝者もだ。

 チャンピオンの息子ではなく、純粋に憧れの強者としてカケルとの接触の証が欲しい。

「ちょっと名前書いてくれるだけでいいんだ! 簡単だろ!」

「こんなものなにに使うんだ……?」

「眺めてにやける」

「気色悪ぃ」

 渋々とカケルが名前を書いてくれる。

まるで署名みたいなサインに、生真面目さを感じて楽しくなる。

実際真面目なんだろう。

「置いていくぞ」

「あ、待ってくれよー」

 喜ぶ隙も与えず入口へと踏み出したカケルに、カルミンは慌ててサイン帳を仕舞った。

+++

 無人発電所の中は、黒い霧が漂っている。

臭気は依然として濃く、ところどころにエレキッドの住処を乗っ取った者にやられたのだろう、ポケモンたちが倒れている。

 その一匹一匹にカケルは手をかざし、不思議な力で治療をしては事情を聞いていく。

「ここを乗っ取ったのはゴースのようだな。元々ここを住処としていたものとは違うやつのようだ」

「……なあ、カケルのお兄ちゃんは超能力者なのか?」

「……そんなものだ。……大したことはできん」

 カケルが手をほどこしたポケモンたちは、傷こそ塞がりきっていないが、痛みを感じない程度には回復ができている。

はじめに会ったエレキッドもだ。はじめは息も絶え絶えだったのに、今は危なげなくカルミンたちに着いてくる。

 十分に大したことをしているというのに、大したことではないというカケルが不思議だった。

「十分大したことだよ……なー、エレブー」

「あまり声を立てるな。ゴースは無人発電所全体を見張ってるに等しいんだぞ」

「ゴース一匹でそんなことできるの?」

「ガスで発電所を覆っているだろう、異変があれば気付ける。それができるくらい、ゴースには負の感情が強い」

「負の感情……?」

 こんな状況で、カケルにはそんなことまでわかるのか。

 言われて、ガスを見渡してみるが異様な雰囲気だけで見張られているような感じはしない。好奇心で触れてみると、ゆらり、不気味に揺れただけだった。

エレキッドはその行為にやけに慌てて、カルミンの足を締め付けてきた。

カルミンにはカケルのように気持ちなど読めないが、ただ不安で怖いんだろうことだけはわかる。

 少しでも安心できるように、エレキッドを抱き上げてカケルについて歩く。

「なあ、お兄ちゃん、どれだけポケモンからわかるの?」

「ほとんどわからん」

「えっ、そんなに自信満々にいろいろ言ってるのに?」

「ほとんどわからん。抽象的なものが伝わってくるだけだ、俺はそれを繋ぎあわせて推理しているにすぎない」

 曰く。カケルの能力は、ポケモンの意志を読みとったり、傷を癒したりできる能力らしい。

ただカケルの能力はその中でも弱すぎて、ろくに使いものにならないそうだ。

 ポケモンの傷は塞ぎきれるわけでなく、気休め程度の回復力。

 思考を読みとろうとしても、ぼんやりとしたイメージが伝わってくるだけで、普段は普通のトレーナーのように接した方が早いくらいらしい。

「俺の前の世代や、俺の後の世代なら……もっと強いらしいが。俺はこれとは相性が悪かったらしい。使いものにするにはかなり時間がかかった」

「能力って使えるようにするもんなの?」

「でなければどうやってコントロールするんだ、お前は」

言われてみればそうなのだが。

特殊能力とは縁のないカルミンには想像がしにくかった。

「でもそれって……トキワの森の能力みたいだ」

「みたいもなにも、その通りだ。知ってるのか」

「えっ。それってあれだろ、図鑑所有者物語のイザベラと同じだろ、実在したんだ!」

「……声が大きい」

 興奮に声が大きくなるのを、カケルに口を塞がれる。

 能力を聞いてぱっと思いついたのがそれだったのだが、まさか実在する能力だとは思わなかった。あれはファンタジーなものだと思っていた。

「……それで、ゴースは、なんでここを乗っ取ったの?」

「知らん」

「知らんって……」

「ゴースがここに来て、乗っ取って、ゴースやゴーストの群れを拘束しているような図が多くのポケモンから見えた。ゴースは悲しそうな顔をしていた……そんな図しか見えてない。どいつも知らないんだろう、直接行くしかない」

「そういうとこはアナログなんだな」

 本当に、そこにいることしかわからないらしい。

 ただ、ゴースなどの意志が強く関係する技を使うタイプ――エスパーやゴーストタイプ――は、感情によって技の強さや範囲も変わることがあるという。

この濃い臭気は、ゴースの強い負の感情によって拡散しているのではないか、というのがカケルの推理だった。

「なにがあったか知らないけど……他人の住処を乗っ取るなんて酷いやつだな。エレキッド、お前の家、絶対取り戻してやるからな」

 不安にずっとカルミンから手を離さないエレキッドを抱きしめる。

 カルミンにはエレキッドの記憶も感情も読めないが、カケルの言葉で想像することはできる。

 はらわたが煮えくりかえそうだった。

住処は、家族は、なによりもかけがえのないものだ。

カルミンには、どう願っても手に入らないものだ。

 それを他人に奪われるなんて、想像しただけで爆発しそうな怒りが湧いてくるのだ。奪われた瞬間のことをもう覚えていないからこそ、これから先ずっとこの時のことを忘れられないだろうエレキッドが可哀想でならないのだ。

「絶対、なんとかしてやるからな……」

 エレキッドがほんの少しだけ、安心したように微笑んだ。

「入り口から、三つ曲がった先……ここだ。この先にゴースがいる」

「う……すごい臭いだ」

「ポケモンを出せ。なにが来るかわからん」

 言われるままに、ボールを取り出す。

場に出たのは昨日進化したばかりのガラガラ――カラと、カケルのカイリューだ。

 その二匹に、エレキッドを加えた二人と三匹で、ついに奥のフロアへと出た。

 奥は最も濃い臭気に溢れている。

 温泉の源泉の近くにでもいるような、濃いアンモニアに似た臭い。あまりにきつく、近寄るだけで毒に冒されそうに思えてくる。

そのガスの中心に、ゴースたちが集まっていた。

 うつろな目をしたゴースやゴースト、ゲンガー。同じ種類のポケモンだというのに、このガスに操られているような、そんな嫌な目つきをしている。

そのポケモンたちを従えているのが。

「ゴース……」

「まずは……邪魔を退けてもらおうか。カイリュー、ぼうふう!」

 ごぉぉぉぉ!!

狭い室内に暴風が吹き荒れる。

空気が一気にかき混ぜられる衝撃と、新しい風が入ってくることによる空気の循環に、臭気が薄くなっていく。

 軽いガスじょうポケモンのゴースたちは一気にその風に流されてしまって、散り散りに壁の隙間をすり抜けて飛んで行ってしまった。

 たった一匹、問題のゴースを除いては。

「……くろいまなざしか」

 強力な暴風の中で、微動だにしないゴース。

そのまなざしはきっちりとカイリューをマークしている。いつのまに仕掛けたのか。その早さに恐れ入る。

 カケルは動揺することもなく、次の一手をし向ける。

「アクアテールだ!」

水を纏ったカイリューのしっぽが、ゴースの核へと刺さりに行く。

ばきん! と大きな音を立てて、ゴースが背後の機械へと吹っ飛んだ。しかしゴースはダメージを負った様子もなく、ふわりと宙に浮く。

「お兄ちゃん……」

「下がってろ」

 俺も戦う、と言おうとした言葉を遮られる。

「カイリュー、りゅうのはどう!」

轟、と重い音と共に強い衝撃波がゴースへと飛んでいく。

ゴースは避けられる暇もなく、その衝撃波に悲鳴を上げて苦しみ悶えていた。

 先ほどとは打って変わって、その重厚な攻撃に耐えられないようだった。

身をねじり、悲鳴を上げ、逃げようとしても体を動かせない。

 ゴースはガスじょうポケモンのゴーストタイプ。物理技には強くても、特殊技には弱い。

たった、この一撃でゴースを瀕死に追いやってしまいそうなカイリューの攻撃は、受けていないカルミンでもその重さに恐怖してしまいそうだった。

 カケルの強さは、この“重さ”だ。

 けして技を撃つ回数は多くない。だが一撃一撃が重く、強く、重厚で、たった一撃でも致命傷になるような攻撃を撃つのだ。

ドラゴンタイプの強さを、最大限にまで引き出すトレーナー。

 それが、カケルだ。

「さぁ、お前の話を聞かせてもらおう。悪いようにはしない……」

 りゅうのはどうに身悶えするゴースに、カケルは遠慮なく近づいていく。

今の無力化されたゴースならば、カケルも安全に能力が使える。

手を伸ばしてその顔に触れるため、カイリューが攻撃を中断する。

 その瞬間。

「……うっ!?」

 おおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおお………………!

 ぐらり、カケルが膝をつく。

頭を抱えてうなり出す。その傍らで、ゴースが低い雄叫びを上げている。

 なにか攻撃をしているようではない。それなのに、カケルが苦しんでいるせいで、カルミンもカイリューも状況が読めない。

その咆哮に釣られてか、次第にさっき吹き飛ばしたはずのゴースやゴーストたちが集まってくる。

まるで渦に飲み込まれているように寄ってくるのが気味悪く、その敵意のなさにカルミンはどう対処したらいいのかわからない。

「か、カラ! ボーンラッシュ!」

自分に危害が及びそうなことに遅く気付き、取り囲まれているところをカラに頼む。

毒タイプも持つゴーストたちには地面タイプのカラの攻撃は効果ばつぐん。……そのはずなのに、どうも手応えがない。

「ああっ、そうだゴーストは“ふゆう”だ!」

 その違和感に思い出す。ゴーストたちの特性は“ふゆう”……地面タイプの技は効果がない。慌てて指示をしたせいでそんなことも飛び抜けていた。

「くっそー、ストーンエッジだ!」

今度こそ、ゴーストの群れに岩が食い込んでいく。

これでしばらくは戦えるはずだ。

「お兄ちゃん! カケルお兄ちゃん! しっかりしてくれ……カイリュー、ちゃんとお兄ちゃん守ってやれよ!」

トレーナーの行動不能、攻撃に反応のないゴーストの群、異常な咆哮を続けるゴース……その不気味としか言いようのない雰囲気に飲まれてしまったカイリューを叱咤する。

 はっとしたカイリューがカケルをゴースから引き離すと、ついにゴースが動き出した。

「カラ、がんせきふうじ!」

迫るゴースに、カラが真っ向から立ち向かっていく。

 怯えるエレキッドを背中に隠して、絶対にゴースに手出しさせるものかとカルミンは意気込んだ。

 しかし。

「――――……えっ」

 ゴースは、カラも、カケルも、カイリューもエレキッドも無視をして、まっすぐにカルミンへと飛び込んできた。

+++

 そこは暗闇だった。

 なにも見えない暗闇だった。

 体を動かそうにも、なにもできない。

 ただ、誰かに心を覗かれて、誰かの心が流れ込んでくる感触だけは、はっきりしていた。

 ――ゴース……なのか……?

カルミンが暗闇に問いかけても、返事はない。

 ただ、その返事の代わりに、流れ込んでくる心が映像に変わっていった。

どこかの森の、奥深く。ゴースやゴースト、ゲンガーがたくさん住んでいる。

その中には発電所を占拠した問題のゴースもいた。

 にこやかに笑っていて、楽しそうなゴース。

 次の瞬間、黒い服の男たちが、次々ゴースたちを倒し始める。倒し、捕獲し、連れ去っていく。

ゲットという感じではない。密漁とか、捕縛とか、そんな嫌な言葉が似合う光景。

 寂しい。

 寂しい。寂しい。

 寂しい。寂しい。寂しい――――…………。

 故郷の仲間は、みんないなくなった。

その中でゴースだけが、一匹取り残されて、寂しいと嘆きながら暗闇に消えていく――。

 ――これは、お前の過去?

 返事はない。

返事の代わりに、またぼんやりと映像が浮かび上がってくる。

 赤いジャケット。オレンジ色の水着。黒い髪をサイドテールにした、浅葱色の目の女の子。

 ――サツキ?

その表情はいつもの明るく優しい微笑みじゃなかった。

まるでカルミンを軽蔑するかのような、嫌悪を隠さない表情をしている。まるで似合わないその表情が、逆にカルミンを動揺させた。

『あたし、カルミンのこと嫌いなの』

 記憶にあるその声で、サツキの口から飛び出してくる言葉。

『カルミンのこと、友達なんて思ったことない。屋敷に入れたのだって、ママがうるさいから連れてっただけ。勘違いしないでよね』

ぎりり、と胸の奥が苦しくなっていく。

 ――やめろゴース、こんなものを俺に見せてどうするつもりだ。

叫び出したかった。今すぐにわめいてサツキの口から出てくる言葉をかき消してやりたかった。

だが体は動かない。

『じゃあね、カルミン。他で会っても、もう関係ないからね――……』

 待ってくれサツキ。

 悪いところがあるなら直すから。

 いくらでも直すから、友達でいてくれ。

 初めてできた友達なんだ。サツキ。あんな風におしゃべりしたり、喧嘩したり、仲直りしたり、俺は初めてできて楽しかったんだ。

 無くしたくないから、あの時向き合おうと思えたんだ。

 サツキが俺の特別なのは、ジムリーダーの子供だからとかじゃなくて、俺の初めての友達だからなんだ。

 お願いだよ、側にいてくれ。友達でいてくれ。

 もう一人は嫌なんだ。

 サツキ――――。

+++

 カケルは、頭の中に響きわたる『寂しい』の言葉に耐えるだけで精一杯だった。

 否、言葉が聞こえてくるわけではない。ただ流れ込んでくる感情に、内側からその言葉が溢れてくる。

こんなことは初めてだった。あのゴースの心を読もうとした瞬間、この現象が収まらない。

 トキワの森の能力者としての感受性が著しく低いカケルには、大抵一瞬画が見えてくるだけだというのに。

この現象が、カケルの能力を利用してゴースの送り込んでいるものであることはわかる。わかるからこそ、カケルにはこれをどう断ち切ればいいのかわからない。

力を断ち切ろうとしても、なにかに能力を閉じこめる蓋を取り上げられているような感じだった。

「う、ううぅぅぅ……」

 頭がかち割れそうな痛みに、ただひたすら耐える。

傍らで心配するカイリューに指示を出してやることもできない。

 気付けば、ゴースの“あくむ”に囚われている少年を助けてやることもできない。

 無人発電所から感じた嫌な予感の正体を調べに来たというのに、こんな失態では笑えない。リーグ優勝者が聞いてあきれる。

「ぐぅぁっ!  ……ぁ…………っ、はぁ……っ」

 バチィッ!!

 体に電流が流され、その瞬間、思考を占領していたあの“寂しさ”が霧散する。

ようやく解放された気持ち悪さに、カケルは思わず噎せてしまう。息でも止めていたのかと思うほど、急激に酸素が入ってくる感触がする。

「……エレキッド……。すまない、助かった」

 電流を流してきた相手――エレキッドは、依然不安そうな顔でカケルを見上げてくる。

 その不安の根元――少年に“あくむ”をかけ続けているゴースを、カケルは見る。

こちらの意識が戻ったことなど気にもせず、ゴースは少年にまとわりついている。棺桶のような空間に閉じこめられた少年は、時折叫びながら、唸っては苦しんでいた。

 ゴースとの接続が遮断された今、ゴースがなにを思ってこんなことをしているのかはわからない。

 だがあの膨大な寂しさにカケルは推察する。

「お前は仲間が欲しいんだな、ゴース……だが、そんな方法では意味がないぞ! カイリュー、ゴースを引きはがせ!」

おろおろしていたカイリューが、ようやく与えられた指示に気張って攻撃に行った。

右手に炎をまとわせて、大きくゴースへと振りかぶれば軽いゴースは予想以上に飛ぶ。瞬間、“あくむ”の効果が切れたのか、宙に固定されていた少年の体が大きく傾いだ。

 ゴースが再び少年を取り込もうとするのを阻止して、カケルは少年を受け止める。少し揺すってみるが、起きる気配はない。

「エレキッド、こいつを守ってやれ、お前にしかできない」

 フロアの隅へ少年を寝かせて、傍らのエレキッドにそう命じる。

エレキッドはやや表情が固かったが、指示に力強く頷いた。どこかなついている節がある、エレキッドならばやってくれるだろう。

 もう一度ゴースを振り返ると、少年の連れていたガラガラがずっとゴースの操るゴーストたちを退け続けているのが見える。

 あまり一匹だけに負担はかけられまい。

「さぁ、今度こそ……!」

 それにしても。

 カケルは思う。このゴースの力や共鳴力の強さは、一体どこから湧いているのか。

 普通のゴースに比べて強すぎはしないか――……。

+++

 サツキの手は取れなかった。

 取れなかった代わりに、悲しみに満ちた暗闇が溶ける。

だが、息苦しさに解放されても体の自由は効かないままだ。思考だけがずっとクリアに働いている。

 ――サツキ。

 ――俺を嫌いにならないでくれ……。

ゴースの見せた幻影だろう、サツキへの感情が生々しく残っている。本物ではないと思っているのに、どうしても深くしこりになる。

 ゴースは何故、カルミンにあんなものを見せたのか。

「うぐぁぁぁあああっ!!」

 ただ思考するばかりだった体に電撃が走る。

比喩でなく、体全身に電流が流れ一気に金縛りが溶けていく。

 カッ!! と入ってくる視界からの情報に思わず目を塞いだ。ろくに光のない空間なのにまぶしく思えるくらい、カルミンは長く暗闇を見ていた。

「……エレキッド……?」

呼吸が落ち着いた頃、ようやく傍らのエレキッドの存在に気付く。

意識がないカルミンを守ってくれていたらしかった。

「……ありがとう、エレキッド。助かったよ」

ちょっとだけ安堵したエレキッドが、頭を撫でるカルミンの手を嬉しげに触れる。

 エレキッドは、たった一匹で無人発電所の外に助けを求めに来ていた。このおぞましいゴースの支配下に置かれた場所から。

 カルミンは、その恐怖も、悲しさも、わかるつもりだった。

「……エレキッド、お前ゴースを一発殴ってみたくないか」

肩を掴んで問いかける。

 エレキッドは一瞬驚いて、それから緊張した顔で頷いた。

あまり、バトルはしたことがないのかもしれない。だがこれは、このゴースは、ここのポケモンであるエレキッドがなんとかするべきだ。

「――おい、ゴース!!」

 戦闘を遮るように、カルミンは叫ぶ。

同時にカラをボールへと戻して、側にエレキッドを呼んだ。

 戦闘中のカケルとゴースが、一瞬にこちらを見たのに、カルミンは畳みかけるように宣戦布告する。

「俺はお前を許さないぞ!!」

 カルミンは、ゴースが見せた映像の理由をわかっていた。

 考えるまでもない。

「お前が故郷を奪われたのは同情してやるよ! 寂しかっただろうよ、怖かっただろうよ。だけどなぁ!! だからって代わりに誰かの故郷を奪っていいわけじゃねーんだよ!!」

あれは、『自分だったらずっと側にいられるよ』というメッセージだったのだ。

 反吐が出る。

「俺だって家も家族も親もいないよ! 俺が持ってるものなんか俺の記憶と感情くらいだよ! だけど! 俺はお前みたいに誰かの家族を奪ってまでその中に居たいなんて思わないね! 友達ってのは、仲間ってのは、自分で相手を思いやれて、相手が自分を思いやってくれて初めてなれるものなんだ! それがわからないお前に仲間なんかできるもんか!」

カルミンが唯一、絶対視しているサツキにカルミンを拒絶させることで、その隙に自分が入り込もうとしたのだ。

ゴースはカルミンもまた孤独だということに気付いていた。だから、カラもカケルも無視して自分を取り込もうとした。

「そんなお前を俺は許さないぞ! 俺の初めての……一番大切な友達を利用したお前を許さないぞ!」

 煮えくり返る想いがする。

 自分の感情さえも、他人に奪われ利用されるだなんてまっぴらだ。

カルミンはカルミンであることだけに執着している。そこに入り込もうとするやつは何人たりとも許しはしない。

「そしてお前を許さないのは俺だけじゃない! ここを奪われた……エレキッドもだ!」

エレキッドが飛び出していく。

ゴースは宣戦布告に目を白黒させて、エレキッドが立ち向かってくるのに動かない。

 ――エレキッド、お前の怒りをぶつけてやれ。

 ――ダメージがなくたって伝わるから。

「エレキボール!!」

電撃で作られた巨大な球が、ゴースに向かって飛んでいく。

軽いゴースは飛んでいく。球と一緒に、びゅんと音を立てて。

壁にはぶつからずに――開いていた窓にめがけて。

「おとといきやがれ、このやろー!!」

窓の外にゴースの姿が見えなくなって、カルミンは勝利宣告に叫ぶ。

 すっきりはしないが、憂さ晴らしにはなった。

 こんなに叫んだのは初めてだ。

「……空気が薄れたな」

カケルの呟きに、周囲の空気が変わっていることに気付く。

さっきまでカラと戦闘をしていたゴーストたちも正気を取り戻したらしく、ぽかんとしている。いつの間にか、あの濃い臭気もしなくなった。

 ゴースが出ていって、本当に終わったらしい。

「……やったぞエレキッド、お前がここを救ったんだ!」

 慣れない攻撃に息を切らしていたエレキッドを、抱き上げて讃える。

 壁からおそるおそる顔を出したエレブーやエレキッドたちも、こっそりと拍手をしていた。エレキッドの家族たちだろう。

そっと降ろして、仲間の元へと戻してやる。

「よかったな、エレキッド。お前ヒーローだぞ」

照れるエレキッドの頭を撫でたあと、今度はその家族たちがエレキッドをもみくちゃにする。

仲がいいらしい。カルミンは嬉しくなる。

 ――仲間がいないからって、仲間を裂いちゃだめだよ、やっぱ。

 家族は、かけがえのないものだ。孤独だからこそ、よくわかる。

孤独な者は、その中には入れない。

「行こう、お兄ちゃん」

「……いいのか。ポケモンを探しに来てたんだろう」

「いいよ。疲れたから」

 カケルに声をかけて、そっとエレキッドから離れる。

 ポケモンは探しに来たが、こんな状態の後の発電所からポケモンを連れていく気にはなれなかった。

今日はイワヤマトンネル麓のセンターまで行ったら休もう。気分が落ち込んだまま、晴れそうにない。

「ありがとう、お兄ちゃん」

+++

 発電所の外はすっかり臭気が晴れていた。

元はそれなりに空気がきれいだったらしい、大きく深呼吸をして、カルミンは体の中にたまった毒素を吐き出す。

 時計を見てみたらそんなに時間が経っていなかった。時間と疲労感の釣りあわなさに嫌気がする。

「悪かったな、結局あまり守ってやれないで」

「いいよ、あいつの目当ては俺だったみたいだし。それに優勝者のポケモン生で見れて楽しかったから気にしてないよ」

 イワヤマまで送ってくれるというカケルの好意に甘えて、カルミンはフルフェイスのヘルメットを受け取る。

「まぁ、悪い夢も見たけどさ。いいんだ、そういうのは」

「そういえば、一体なにを見せられたんだ?」

「んー……いろいろ」

悪夢の内容は秘匿する。

 ゴースの過去。カルミンの弱点。

 あまり話したいような内容ではなかった。

カケルは疑問符を浮かべたが、特に追求せずバイクにまたがる。それに続いてカルミンも後ろに乗り込む。

 腰に掴まると、つくづくカケルの筋肉量に驚いてしまう。

「さ、レッツゴー」

「……おい、小僧、あれ」

エンジンを入れたところで、カケルが発電所の入り口を指さす。

「お前…………」

「ほら、やっぱり大丈夫じゃないじゃないか」

黄色の体に黒いライン。コンセントのプラグによく似た頭部。

「エレキッド……お前、見送りに来たの?」

 慌ててヘルメットを外して駆け寄る。

 ありがとう、と言うとぶんぶんと顔を横に振って手を差し出した。

「え、何? なに?」

「鈍いやつだな、一緒に行きたいんだろ」

「お兄ちゃんいつの間にエレキッド読んだの?」

「読まなくてもわかるだろう」

にやにや笑うカケルと、それに同意するように笑うエレキッド。

 信じられなかった。

「なんで……お前、家族は? いいの? 俺と一緒で?」

何度質問しても、エレキッドはイエスと頷く。

 エレキッドは、家族と別れても自分を選んでくれるのか。

 信じられない想いと、うれしい気持ちと、本当に連れてっていいのかという悩みで頭がいっぱいになっていく。

 家族がいるなら、いることを知ってしまったなら。

 裂くのは、辛い。

「カラ……パン……」

悩むカルミンを後押しするように、ボールからカラとパンが飛び出してきて、エレキッドを勧める。

 特にパンはもう仲間になった気になって、エレキッドにやたらと話しかけては先輩面しているようだ。エレキッドは戸惑いながら嬉しげに応えている。

それを尻目に、カラがぽん、とカルミンの膝に手を置いた。

 いいじゃないか、と。

 素直に一緒に行けば。どうせ知らなかったら連れていってたんだから。

 あんなことがあった後だからって、気にしなくたって。

その目と見つめ合って、カルミンは自問する。

 本当に、いいのかな。俺は家族より大切にしてやれるのかな。

「……よし。エレキッド、俺と一緒に行こう!」

 覚悟を決めて、手を差し出す。

 エレキッドが嬉しそうに、手をすり抜けて抱きついてきた。驚いてから、その体を抱きしめ返す。

「エレキッドだから……レキ。レキがいいな。お前の名前は今日からレキだ!」

よろしく、とエレキッド――改めレキに挨拶すると共に、空のボールを押し当てる。

カチリ、音がしたボールを見れば、レキが満足そうな表情で収まっていた。

「大丈夫か?」

「ああ。行こう、お兄ちゃん!」

 カケルの後ろにもう一度乗って、今度こそ明るい気持ちで無人発電所を後にする。

 ――ゴース、お前にもちゃんと向き合えば受け入れてくれる人はいるよ。

 ――だからあんな手段取らないで、誰かと向き合ったらいいんだよ。

姿の見えないゴースに、心の中でつぶやく。

 怒らないで、もっとわかりあうことはできただろうか。

 考えても、カルミンには答えが出せそうになかった。

+++

 光のないイワヤマトンネルの中で、オーカはだらだらと歩く。

噂に違わぬ暗さと、どこからともなく湧いてくる天然水によってぬかるんだ足下に、いつまでたっても見えてこない出口。

もうかれこれ二時間近く迷っているのに出口にたどり着かず、オーカは気疲れしてきた。

 休むにも下は水浸しでよく滑るのでできやしない。

 日課の昼寝もできないままで、いい加減睡魔と戦うのも面倒になってきている。眠いのに眠れない、その苛立ちがオーカの思考に積もってくる。

「いつになったら出られるの……」

 誰に答えられるわけでもなく、呟く。

 明かり役のピカすけも、疲れてきたのか一緒に酷いうめき声をあげる。

このまま着かないと、本当にそこらへんで行き倒れてしまいそうだ。

「――――っ!?」

 ぶにっ。

 気色悪い感触のする物を踏んで、悲鳴にならない悲鳴を上げて後ずさる。

なにかの生き物だった。明らかに。

 だがその生き物の声が上がらない。

「……?  ……なんだ、ヤドンか……」

 ピカすけを近づけて、もう一度踏んだあたりを見てみると、ピンクの体のとぼけた顔したポケモンが寝そべっていた。

『ヤドン。まぬけポケモン。

みずべでボーッとしている。なにかがシッポにかみついても、まるいちにちきづかない』

 図鑑をかざすと、そんな説明が流される。

噛みついても気付かないなら、踏んだって気付くわけがない。

「ごめんよヤドン。じゃあ、僕は行くね」

 謝りながらしっぽを一撫でして、またオーカは歩き出す。

 しかしその拍子に、ぽろりとモンスターボールがリュックからこぼれ落ちた。

カツン、と音がしたのに、不審に思いながら振り返る。

「あれ、落ちるようなとこに入れたっけ……しかたないなぁ……」

拾おうと、手を伸ばした。その前に。

「え」

 ピンクの腕がボールに触れる。

当たり前のようにボールの中へと吸い込まれて、ボールは揺れることなく落ち着いた。

 あまりに滑らかな一連に、オーカはぽかんとしてしまう。

 ――え? ヤドンゲットした? 自分の意志でこいつ入った?

そっとボールを拾って中を覗くと、たしかにヤドンが寛いでいる。

まるで何十年と中にいるようだ。なんだこいつ。

「……一緒に来たいの?」

 ヤァン。

肯定とも否定ともわからない鳴き声が一つ。

 思わず、聞いてしまったが。

 どうしよう。どうしよう。なに考えてるんだろうこいつ。

悩んでいるうちに、今度は勝手に中から出てきた。

 野生のはずなのに、人というかモンスターボールの勝手を知りすぎじゃないかこいつ。

「…………案内してくれるの?」

 戸惑うオーカを置いてけぼりにして、ぽてぽてとヤドンは歩き出す。

歩きだしてから、こちらを振り返ってもう一度ヤァンと鳴いた。

 肯定、でいいのだろうか。

戸惑いに思考を停止しようとするオーカを無視して、ヤドンはぽてぽてと歩いていく。その速度は遅く、オーカがスローモーションで歩いたとしてもまだ遅い。

 お前が案内してたら三日くらいかかりそうだけどなぁ。

「……はぁ、しかたないな。よろしくね、ヤドすけ」

追いついて、名前を呼ぶ。

 ヤァン。

 再三上げる鳴き声は、やっぱりなんの意図があるのかオーカにはわからなかった。