ハナダシティ その1

「あー、遊んだ遊んだ!」

「結局なんにも特訓してねーじゃんジム戦どうすんだよー」

「カルミンだって楽しかったくせにー。特訓は明日やればいいよ」

 ハナダシティのポケモンセンターで、サツキとカルミンは二人だらだらしていた。

二人とも、もう風呂に入って寝間着の状態である。

 というのも、ハナダについて昼ご飯を食べてから今までずっと川で遊んでいたからだ。久々に泳ぐことができたサツキは心から幸せだった。

「のんびりしてんなぁ、時間だってそんなにないんだぜ?」

「でもカルミン、半日でジム対策できた? カルミンの手持ちじめんタイプしかいないじゃん」

「それも、そうなんだけどさあ」

 カルミンの手持ちはカラカラとサンド。かろうじて、オツキミ山で捕まえたパラスが草タイプとは言え、捕まえたばかりではすぐに戦力にできない。訓練する時間がいる。

「明日、ママの対策つき合ってあげるよ」

「……どーも」

 反対にサツキの手持ちはみずタイプのポケモンばかり。カルミンの相手にはちょうどよかった。

カルミンは抗議を諦めたのか、呆れたように笑って返した。

「そういや、カスミさんってハナダとマサラ往復してんの?」

「基本はね。こっちに泊まることも少なくないけど。なんせ……」

「サツキさんはいらっしゃいますかー?」

ポケモンセンターに響く、ジョーイさんの声。

 今、呼ばれたのは自分だったか?

 預けたポケモンはもう手元に戻ってきているのに。

「なんだろ?」

「さあ……」

なにか呼ばれるようなことをしたか? と二人揃って顔を見合わせる。

ジョーイさんの元へと行くと、なにやら彼女は電話の子機を持っていた。

「ああ、サツキちゃん。お母さんから電話ですよ」

「ママから? これからしようと思ってたのに……」

ポケモンセンターに着いた夜には電話するようにしている。今日もそうするつもりだったのだが、まだ夕方で、時間は浅い。

一体、なんだろう? と不思議に思いながらも子機を受け取った。

「もしもし。ママ?」

『ああ、サツキ? 今ハナダにいるのよね?』

「そうだよー、なにー?」

電話口から聞こえる母の声。さっぱりとした口調で、母は用件だけを伝えてくる。

『今からおじいちゃん家来れる? 今日ママそっちに泊まるからちょうどいいでしょ』

「えーっ、無理だよ、今友達と一緒にいるんだもん!」

『じゃあその子も連れてきたらいいわよ』

「え――ッ!!」

 サツキの声にセンター内の人々が一斉にこちらを見てくる。慌てて口を押さえて、声を潜めるも心臓がやたらうるさい。

「やだよ、おじいちゃん家に友達連れていくの」

『一人くらい増えても部屋に余裕くらいあるわよ』

「そうじゃなくて、連れてくのがいやなの!」

『もー、わがまま言ってないで、とにかく来てよ。せっかくなんだからおじいちゃんにも挨拶してって。一人でハナダまで来たんだって』

「横暴だよ!」

『じゃ、待ってるから。道わかるでしょ? じゃね』

「あっ、ちょっと、ママ!」

 ぶつん、電話が切られる。

 ――信じらんない!

「……カスミさん、なんだって?」

「……」

カルミンが状況を上手く理解できてない様子で、サツキの顔をのぞき込んでくる。

今、サツキはなんとも言えない顔をしているに違いない。

「……カルミン、すぐに荷物まとめて、寝間着は着替えて。すぐにここ出るよ」

「えっ、なんで?」

「おじいちゃん家に行くから」

 はぁっ、と大きなため息をついてジョーイさんに子機を返す。きっと、サツキが到着したら連絡するようにジョーイさんに頼んでいたんだろう。初めからこのつもりだったのだ。

 だがサツキ一人ならともかく、カルミンまで一緒になんて。

 ……どうせ、行かなかったら連れに来るだけだもんなぁ……。

「なんで俺まで?」

「知らない。行くよ」

 状況のわかっていないカルミンは、ただぽかんと不機嫌なサツキに着いていくしかなかった。

+++

 ハナダの奥地に、そこはある。

 まるで時代に取り残されたような古めかしい館。そこだけが別世界のように作りきられていて、タイムスリップしたような気分になる。

古いが手入れは行き届いているおかげで、金の装飾は輝きを失っていない。庭も余計な雑草一つ生えてはいないし、時代遅れの馬車なんかが、ぽつりと庭隅に置かれていたりする。

 本当に時代おくれの場所だ。

「な……なにここ?」

「おじいちゃん家」

 冷めた目でインターホンを押して門を開けてもらうサツキの後ろで、カルミンがぽかんと口を開けている。

無理もない。普通、こんな屋敷を見る機会などない。しかもこんな屋敷に人が住んでいるだなんて。

「サツキ、金持ちなの?」

「おじいちゃんがね。行くよ」

「待ってくれよ」

現代の服装で立ち入ることがためらうほど、隅々まで中世の様式で固めた屋敷の中にサツキは無表情で進んでいく。

カルミンがただただ感嘆の声を上げて屋敷内を見るのがたまらなく不愉快だった。一歩踏み込むたびに、サツキの表情が険しくなっていく。

 三分ほど門からの道を歩いて、重厚な扉の前に立つ。

 がらんがらん! と扉の横に下がっていた紐を揺すると呼び鈴がやかましく鳴る。神社のようだといつも思う。

「いらっしゃい、サツキ」

「来たよ、ママ」

 ギィィィィ。

 不愉快な重い音と共に開かれた扉の向こうで、ドレス姿の女が出迎える。

 カスミ。ハナダのジムリーダーであり、地主の娘であり、サツキの母。

「……嫌だって言ったのに」

+++

 屋敷に入ったとたん、二人はそれぞれ別室でメイドたちに着替えさせられる。

この家のしきたりなのだ。家の中では正装でいること。

 身に纏う薄水色のドレスを見ながら、サツキは鬱々とした気分でいた。

これだから、この家に来るのは嫌なのだ。

別に祖父に会うことは嫌ではない。むしろ大好きだ。だけどこの服装をすることだけが受け入れられない。

 鏡に映る自分の姿を見る。

 ――似合わない。

「お嬢様、ダイニングでお母様がお待ちです」

「ありがとう」

 普段の活発さはなりを潜めて、すっかりサツキのスイッチが切り替わる。

この家にふさわしいような振る舞いは、小さな頃からたたき込まれてきた。やらないようにすることの方が難しい。

 促されたとおり、サツキはダイニングへと向かう。

「……カルミン」

「さ、サツキ……」

途中、先に着替え終わっていたらしいカルミンが挙動不審に立っていた。

 あの赤いジャケットとはうってかわって、黒いタキシードに身を包んだカルミンは、どうも着られている感が否めない。さらさらとした蜂蜜色の髪はバンダナを外したせいでパッツンに落ち着いていて、なんだかカルミンがカルミンでないようだ。

「な、なに、これ……」

「この家のしきたりなの。面倒だけど我慢してね」

「ドレスで、タキシードで、メイドなのが、しきたり?」

「そ、しきたり」

慣れない空気が気持ち悪いのか、カルミンもまた浮ついた雰囲気だ。

 無理もない。

「それにしても、カルミンスーツ似合わないね。すごい着られてるじゃん」

「うるさいな、こんなの着たの初めてなんだよ」

くすくす笑うと、カルミンは気恥ずかしそうに赤くなる。どうも調子が狂っているようで、あの不用意に溢れ出る口説き文句も今は出せないようだ。

「サツキは、なんか慣れてるな」

「結構多いからね、ドレス着ること。似合う?」

カルミンの調子を戻そうと、サツキは少し軽めの口調で話を回す。

 うす水色の落ち着いたドレス。貝殻の形の髪飾り。どちらも、祖父の用意した新作だ。今はヒールを履いているから、あまり変わらなかった背はサツキの方が高くなっている。

 似合わない、と笑ってくれたらよかった。

いつもの赤いジャケットの方がいいと笑ってくれたらよかった。

 カルミンは笑う。

「うん、似合う」

 綺麗なものを見るような目で、穏やかに。

「サツキ、青の方が似合うよ。赤もいいけど。女の子らしくて、かわいい」

「……!」

冗談として笑ってくれればよかったのに、せめて道中のように軽く言ってくれればよかったのに、その言葉は静謐で真摯だ。

 迂闊に聞いたことを後悔する。

 思いの外まじめに帰ってきた答えにサツキは体が火照ってくるのを感じる。夏のせいだと言うには、無理があった。

「あはは……ありがと。でもなー、あたし黒いからなー」

「そんなん俺もだよ……う、うおお……なに、あれ」

 笑ってごまかそうとしているうちに、ダイニングへとたどり着く。

数十人が同時に食事ができる長テーブルには、三人分だけの食事が乗っていて、その周りにメイドがずらりと立っている。

祖父は、あまり知らない人に会うのが得意でないらしく部屋に閉じこもっているらしい。

そんな、異様な食卓の圧巻さに、カルミンは開いた口がふさがらないようでただ突っ立っている。

「いらっしゃい、二人とも。早く座って」

「……ママ、先にカルミンに自己紹介とか状況の説明とか、したら?」

「そんなの食べながらでいいじゃない。ご飯冷めちゃうわよ」

そんなだだっ広いダイニングで一人座っていたカスミがせかすように促す。

こう、てきぱきとしたところは好きだが、ときどき話も聞いてくれないところは好きじゃない。

 動揺で動けないカルミンの手を引いて、カスミの向かいに座る。目の前にはサツキの好きなカロス料理がずらり、並んでいる。

すぐに手をつけたいところをぐっと我慢して、サツキはカスミをまっすぐ見た。

「ママ、紹介するね。この子はカルミン。オツキミ山の入り口で会って、一緒に来たの。同じマサラの出身なんだって」

「へぇ、そうなの。初めまして、母のカスミです。この子、暗いところ嫌いだからうるさかったでしょ?」

「は、初めまして! カルミンです、マサラタウンからきました! サツキさんにはフラッシュがなくてオツキミ山の前で困ってたところを助けてもらって、だから代わりに俺が守って、あの、かわいかったです!」

「カルミン落ち着いて」

 カスミを前にガチガチに固まっているカルミンを小突く。なんか変なことを口走られたがこれ以上に爆弾を持っている彼なので早く落ち着いてほしい。

「今日はいきなり呼んじゃってごめんなさいね。サツキがお世話になったみたいだし、ゆっくりくつろいでちょうだい」

「ありがとうございます! あの、サインください!」

「ご飯食べ終わったらね~」

言いたかった言葉が言えた安心からか、カルミンの肩からようやく力が抜ける。

 それを見届けて、サツキは食事へと手をつけた。

カロス料理とはいえ、実は材料はスーパーで売っているものも多いことをサツキは知っている。見栄っ張りの料理はそれでもおいしいので、いいものを色々と食べさせてもらっていながら未だに質の違いをよくわからない。

「……カルミン、食べないの?」

 ふっと、横を見ると、カルミンが手をつけていない。

よだれをこぼしそうな顔で口をあんぐり開けているばかり。声をかけると、助けて、と言いたそうにサツキを見た。

「おいしいよ? あ、アレルギーとかあった?」

「食べ方がわからない……」

泣きそうに細い声でひっそりと、告白される。

 テーブルの上にはたくさんのナイフとフォークとスプーン。目の前にはオードブルだけ。隣にはメイドが立っていて、食べ終わった端から次の料理へと取り替えられるように控えている。

 サツキにとっては、あまり珍しくはない光景だ。

しかし、カルミンには非日常なのだ。

 まいったなあ、ちゃんと教えられるかな?

「えーとね、カルミン。一番はじめに使うのはね――……」

 拙いマナー講座が開かれたのを、カスミだけが微笑ましそうに見守っていた。

+++

 食後、すっかり夜も更けて。

お風呂に入った後、サツキはこの家でしか着ないシルクのパジャマに着替えていた。

部屋の中をピーちゃん、メーちゃんがもの珍しそうに歩き回るのを眺めて、眠くなるまでを待つ。

 これから、カスミと戦う。明日は特訓に費やすとして、明後日以降、戦うとき――サツキは成長を見せられるのか。

 眠気を待つ頭で考えて――悩んでいた。

ここに来るまでに得られたものと言えば、叱咤ばかりだ。それに対して、サツキはまだ答えを見つけられていない。

 もったいない、と言われ続けた中で、タケシに課されたのは新たな課題。

 ――よく考えておくんだ、リーグに挑むべき姿勢について。

 

サツキがリーグを目指すのは、オーカと戦う、ただそれだけのためだ。だから怒られている、そのくらいはわかっている。

 直せ直せ直せ。

言われ続けて、その言葉に苦悩して、なお、サツキの中にはこんな思いがなくはない。

 大きなお世話だよ、そんなの。

「……サツキ、起きてる?」

 コンコン、とノックと同時に扉の向こうから声が聞こえてくる。さわやかな少年の声――カルミンだ。

その声に一瞬肩を跳ねらせて、すぐにサツキは扉を開けた。

自前らしいラフなシャツに着替えたカルミンが、申し訳なさそうに目の前に立っている。さきほどカスミにサインをもらって狂喜乱舞していた彼と同一人物とは思えない大人しさだ。

「どうしたの?」

「ちょっと話したくて。あー、その。……あの部屋一人じゃ落ち着かないんだ」

 言いにくそうにカルミンが上目遣いで見てくる。こういう、広い部屋は落ち着かない。その気持ちはサツキもわかる。

「いいよ、入って。……一緒には寝れないよ?」

「さ、さすがにそこまでは言わないよ! ごめん、おじゃまします」

おずおずと入ってくるカルミンの足下には、隠れていたらしいカラもいた。カラの姿を見つけると、メーちゃんが一目散に駆け寄ってくる。ずいぶんなついたものだ。

「お茶でも飲む?」

「ポットまであんの、この部屋」

「カルミンの部屋にもあるよ。あ、ベッドにでも座ってて」

 一人で寝るには大きすぎるベッドにカルミンが腰掛けたのを見て、サツキは手早く紅茶を準備する。

寝る前にはあまり飲むなと言われているが、どうせ彼がいたらしばらく寝付けないので気にしない。

「……サツキって、ほんとお嬢様なんだなあ」

「あたしは普通だよ。お嬢様なのはママの話。……はい、紅茶」

紅茶に口をつけて、カルミンはやっと落ち着けたと疲れたように笑う。慣れない場所は疲れる。サツキも疲れた。

「カスミさん、って……何者なの?」

「元はハナダの大地主だったんだって。元はっていうか……今も? なんか、有力者とかそんな感じの家なんだって。だから今も色々なつきあいがあるし、ママはその跡取りなの」

「あれ、でもカスミさん結婚してるじゃん?」

「おじいちゃんが死んじゃったら、この家に移るって。まあ、まだ先の話だよ」

 サツキも、この家の跡取りとしての教育は着実にされている。だがそれはサツキがおばあちゃんと呼ばれるようになってからの話なので、あまり実感がない。

 そんなサツキの話より、カルミンの話が聞きたかった。

「ねえ、カルミン。聞きたいことがあるんだけど」

「なに?」

「カルミンはどうして、リーグを目指すの?」

その言葉に、カルミンの表情が固まる。

 難しそうな顔をして床を見るのに、サツキは鼓動が早くなっていく不安に襲われた。なにかいけないことを聞いたのだろうか。

「……自分だけのものが、欲しかったから」

 ぽつり、小さく言われたその言葉を飲み込むのが難しかった。

あまり、単純に純粋にバトルを愛している理由とは思えなかった。

聞き返すこともできないまま、二人の間に沈黙が流れる。部屋の中を自由に遊んでいたポケモンたちも動きを止める。

 カラだけが、すべてを理解した瞳をこちらに向けていた。

「少し重い話になるけど、いいか」

「……」

 これは、聞いていいのか。

 無理してない、と聞くとカルミンは複雑そうに微笑みながら首を横に振る。その苦しげな笑顔が逆に聞くのを躊躇った。

だが、この雰囲気から話をそらしても、もう空気は回復しそうにない。

それにサツキは聞かねばならない。

 リーグを本気で目指したいと思う人の、その理由を。

「……聞かせて」

 覚悟を決めて、カルミンの目を見る。

 ゆっくりと、カルミンは静かな部屋で語り始める。

「俺は、マサラの端にある孤児院の出身なんだ。えっと……親のいない子供の集まるところなんだけど」

「親の、いない」

「俺の親は俺が三つのときに死んでる。親戚もいなかったから、そこに居たんだけど。そこではな、自分のものっていうのがないんだ。自分の持ってた服もおもちゃも親の形見も、みんな、“みんな”のものになるんだ。だから自分だけのものがない。ポケモンだって持ってなかった」

カルミンの語る言葉は、サツキには想像しきれないものだった。

 あの狭い町でカルミンを見たことがなかったのは、孤児院の周辺に近寄ったことがなかったからだ。サツキは孤児院があることさえ知らなかった。親のいない子供というのが想像しきれなかった。

「カラは、そこの孤児院で旅立つときに貸してもらったポケモンなんだ。孤児院では一番仲がよかった」

「カラも……」

「知ってるか、カラカラっていうのは、死に別れた母親の骨を被っているポケモンなんだ」

「……同じなんだね」

「うん」

カルミンとカラの見つめあう瞳は、友情とも絆とも言いがたい独特な雰囲気を持っている。

 仲間とか、そういう暖かな言葉とは少し遠い気がする。サツキは必死に自分の辞書で言葉を探してみる。少し冷たくて、だけど誰よりも互いの心境を理解しているのだろう、二人。

 たとえるなら、同志。

「……まあ、だからさ。旅から帰ったら、カラは返さないといけないし、俺が捕まえたポケモンも、“みんなの”ポケモンになるんだ。ジムバッジも、ジムリーダーからもらったサインも、旅の中で手に入れるかもしれない特別な道具も、特別じゃない道具も全部」

「それは……」

「考えただけで空しくなるだろ」

 カルミンはサツキの目を見ない。

カラと見つめあって、カラの真っ黒な瞳の奥にきっと孤児院を見ている。

 苦しくなって、カルミンに触れたくなる。だがカルミンの孤独さが、それを許さない。

「でもな。俺が必死に考えたバトルの戦法とか技術とか経験とかは、俺以外の誰のものにもならないんだ。俺が手に入れたトロフィーは“みんなの”ものにされるかもしれないけど、そこに刻まれるのは俺の名前だけなんだ」

 それだけが希望なのだ。

 カルミンが孤児院で過ごしてきた中で、これまで、ずっと養ってきた希望を、今叶えようとしているのだ。

ぐっと手を握る。

 サツキにはこんな狂おしい願いはない。

「だから俺は、十一歳になるこの年にリーグに行くんだ。レッドさんへの憧れだけじゃない、他でもない俺だけのために」

「……」

「優勝は誰にも渡さない」

 強い強い、カルミンの赤い瞳には炎が宿っている。

 サツキは己の小ささが身に染みて、ついに目を逸らした。

 ――リーグっていうのは遊びじゃない。

 ――遊びでやりたいと思っているうちは、たとえ俺に勝っても行かせない。

 パパ、本当だね。リーグっていうのは遊びじゃない。

 本気っていうのは、こんなにも、痛い。焼けそうだ。

「……まぁ、こんな感じ。悪いな、こんなこと言って」

「ううん、ありがとう。……ごめんね」

 空気をできるだけ入れ替えようと、カルミンがさわやかに笑ってくれるがサツキの心は晴れなかった。

「ごめんね、こんなこと聞いて。もう十時近いよ、カルミン、部屋戻らなきゃ」

「え、もうそんなん?  ……もっといい話したかったな」

時計を見上げて、子供はもう寝る時間なことを確認する。

 今日はオツキミ山を抜けてきたり、散々海で遊んだり、くたくただ。明日に備えて寝なければならない。

 明日は。

 カスミとのジム戦のために特訓をしなければならない。

「じゃ、また明日。明日は特訓、がんばろうな。サツキと戦うの楽しみにしてるよ」

「うん。……おやすみ、カルミン」

「ああ、おやすみ」

 カルミンの細い背が重い扉をくぐり消えていく。

広い広い部屋の中、一人サツキは取り残されて。

 今までじっと一カ所に留まっていたミーちゃんが、ゆっくりサツキのそばに寄ってくる。

「……ううん、大丈夫だよ、ミーちゃん」

 大丈夫だよ、多分。たぶん……。

 あたしは、ちゃんと、戦えるよ。

ひやりとしたミーちゃんの体を抱きしめて、言い聞かせるように繰り返した。

 炎を燃やす瞳に、幼なじみを思い出して、消えない。

+++

 昨日はあんなに透き通った青空だったのに、今日はずいぶんと暗い雲が空を覆っている。

「なんか、雨でも降りそうだな」

「やだなー、雨。泳げない」

「今日は泳ぐ余裕なんかないだろ」

 カルミンを連れだって、朝一番にサツキは町のはずれを目指して歩く。

そこにあるのはジムが設置した競技場だ。ポケモンバトルの練習がしやすいように、全部で六つもコートがある大きな競技場だった。

競技場には屋根もあるから、たとえ雨が降っても関係はない。

 ないが、気分の塞ぐ雨雲はサツキの天敵だった。

「なぁ、ところでまだ歩くの?」

「もうすぐだよ。……ほら、見えてきた」

町のはずれに、圧倒的存在感を放つ競技場。

四つあるうちの門の一つが、サツキたちの前に現れた。

 朝一番に来たサツキたちだが、すでに中ではバトルの音が聞こえてきている。

「すげー、大盛況だ」

「えーっと、開いてるコートは……あった、一番奥」

 誰にも取られないよう、走って一番奥のコートを陣取る。

お互い定位置に着いたのを合図に、それぞれパートナーを呼び出した。ヒトデマンのミーちゃんと、カラカラのカラだ。

「いい、ママは水タイプの使い手だから、対策なしには絶対に勝てないよ。それに、ステージはプールなの! それも考えてやらないと」

「えー、なんだそのめちゃくちゃなステージ。水タイプに有利じゃん」

「だから、どれだけ対策してきたかを見るんじゃん?」

昔、まだ小さかった頃はハナダジムでバトルを見ていたこともあった。

二十五メートルプールの中に浮島があって、その両端にトレーナーが立つ。挑戦者はまずステージに驚いて、ポケモンたちは浮島の足場の悪さに驚くのだ。

浮島はとても足場が悪い。それに気を取られていると、水中から現れるカスミのポケモンに倒されてしまう。

 ジムバッジ八個を集めたら本戦出場確定は、それだけジムバッジを集めるのが難しいと言うことなのだ。サツキが見ていた中で、バッジを手に入れられていたのは数えるほどしかいない。

「まぁ、とにかくやってみようよ。タイプ相性だけで負けるんじゃ、ママと戦ったとき瞬殺だしね」

「んー。まぁ、そうだな……。よし、やるか!」

 ざっ、とお互い身構える。

ミーちゃんとカラが、中心線にて向かい合う。

ばちり、目が合って、

「カラ、ずつきだ!」

「ミーちゃん、みずでっぽう!」

一斉に技を繰り出す。

 まっすぐ正面に放たれたミーちゃんのみずでっぽうをかわし、カラは下からずつきで突き上げてくる。

しかし技の反動で後退していたミーちゃんには当たらない。

 ポケモンたちの反射神経は五分。バトルをどう動かすかは、トレーナーの腕次第。

「ホネこんぼうだ!」

「こうそくスピン!」

正面から叩き斬ろうとするカラのホネをミーちゃんはいともたやすく跳ね返す。

長距離攻撃の得意なミーちゃんと、近距離攻撃が得意なカラはタイプだけでなくバトルスタイルでも相性が悪い。

 カルミンのバトルスタイルが、サツキはまだわからない。このあとどんな隠し玉が来るのか、どきどきしながら技を弾いていく。

「地面に向かってホネこんぼう!」

「スピードスターで打ち落として!」

 ホネこんぼうで砕き上げられた地面がつぶてとなってミーちゃんに襲い来る。それをもミーちゃんは慌てることなく、打ち砕く。

両者とも、まだ傷を負わないまま攻防が繰り返される。

「おいサツキ、攻撃してこいよ。守ってばっかじゃ進まねーぞ」

「カルミンが攻撃を当てられないから進まないんだよ。そんなに真っ正面からばっかり攻撃してたって当たらないよ!」

かちん、とカルミンがたやすく挑発に乗る。

 カルミンはどうも、視野が狭い。

真正面しか見えていない。正攻法の攻撃しかできないようでは、きっとこれにも気付いていない。

「あのねカルミン。攻撃を当てるには――こうするんだよ!」

「……なっ!?」

カルミンの後ろから、瞬く星が光の早さで戻ってくる。カラが気付いたときにはもう遅く、星は勢いよくカラのわき腹に突き刺さった。

「スピードスターを撃ったとき、一つだけ遠くに飛ばしたの。スピードスターは必中技……どんなに遠くに撃ったって戻ってくるしね」

「えっぐ……」

バトルの上で、正攻法で勝つには圧倒的な技量がいる。

だからこうして、隙をついたり不意打ちをしなければ、真正面から来る技などいくらでも防げてしまうのだ。

「あたしに技を防がれるくらいじゃ、ママには勝てないよ。もっと頭を使わなきゃ!」

「くそー、余裕こきやがって。カラ、にらみつけてきあいだめだ!」

カラの鋭い眼光にミーちゃんが怯んでいる隙に、きあいだめで急所を探ってくる。

急所に技が当たりやすくしておいて、一気に畳みかけてくるつもりか。

 ならばこちらは。どう動くか。

 ミーちゃんがサツキの目を見る。

「カラ! ――あばれろ!」

「ッミーちゃん、かたくなる!」

 ぎん、と目の色を変えたカラが全身の筋肉を使ってがむしゃらに襲い来る。

ミーちゃんは下げられたぼうぎょを戻しただけで、されるがままに殴られている。

 ダンッ、ダンッ、とホネが重い音を立ててミーちゃんに肉薄する。ミーちゃんが声を上げられないのが、むしろ悲壮さに拍車をかけた。

 打開策を。上げなければ。

カラが疲れて混乱するのを待てるほど、ミーちゃんは体力はないはずだ。

 打開策を。

 ふと、カルミンを見た。

 その目は幼なじみのように、真摯で真面目で、本気だった。

 妙にその表情が苛立っているように見えたのは、気のせいか。

「……ミーちゃん、バブルこうせん!」

「カラ!」

 目の前に現れた泡の弾丸に、カラが悲鳴を上げて退く。

その隙にミーちゃんにじこさいせいを命じて、バトルは振り出しに戻った。否、回復した分サツキの方が優勢か。

「危なかった……」

「おい、よそ見してていいのかよ?」

「えっ……まさか!」

 カラがホネを持ってない。バブルこうせんを浴びせる前にはあったのに。

慌てて背後を振り返ったときには遅かった。

空気を斬る音が耳をかする。

 次の瞬間、ミーちゃんにホネが突き刺さる。

「ミーちゃん!」

「さっきサツキが教えてくれたんだぜ。攻撃をおとりにするやり方」

「うまいなあ……」

してやられた。

サツキはつい困ったような顔になる。

 これで、ミーちゃんとカラの体力は五分五分といったところか。

両者とも、疲れが見え始めてきている。

 振り返ったミーちゃんが、一回、チカリとコアを光らせた。

「さあ、そろそろ終わりにしようぜ! カラ、ホネこんぼうだ!」

怒りにも似たカルミンのコールと同時に、カラが全身の筋肉を使ってミーちゃんの懐へと飛び込んできた。

 指示を。

 しようとして、サツキは口開く。

 指示は出ない。

「ミーちゃん!」

 指示を出す前に、サツキの口から飛び出たのは相棒の名前だった。

カラのホネこんぼうが、ミーちゃんのコアの中心を突いて、勝敗はあっさりとついた。

ミーちゃんのコアは急所だ。あんなところを突かれたら、さすがのミーちゃんもひとたまりもない。倒れてコアを点滅させるミーちゃんを、ゆっくりと抱き上げる。

「はぁ……負けちゃった。さすがだね、カルミン。強いなあ」

「ふざけんなよッ!!」

 怒声がフィールドに突き抜ける。

 周囲が一斉にバトルをやめてこちらを見た。

 なに。なんで。

 体温が急激に下がっていく。

「ひっ」

「お前――……初めから手加減してただろッ!!」

ガッ、とジャケットを捕まれて、ひっぱられる。

前にひきずられるような体勢になって、サツキは恐怖と混乱に頭がいっぱいになっていく。

カルミンの顔が怖い。さっきまで一緒に笑っていたのに。

「してない、してないよ……」

「嘘をつくなよ、わかんだよ! 初めは様子見てるだけかと思ったけど全然違う。お前手加減してたな、あんなスピードスターが撃てて、……ほんとはもっと早くにカラを倒せてたな!?」

まくし立てられる言葉にサツキは恐怖する。

 手加減なんて、してない。

 ただできるだけのバトルはしていたはずだ。

 はずなのだ。

「バトルのやり方教えた後は一気に手を抜き出しただろ! オツキミ山であんなに早く反応ができたやつが、あばれるに対処するのがあんなに遅いわけない。全部一テンポずつ遅れてた――はじめはそんなことなかったのに! お前、ヒント与えるだけ与えて負けるつもりだったな!? ジムリーダーにでもなったつもりかよ!」

 息が苦しい。

「なあ……俺は手加減されるほど弱かったのか? 弱かったんだな?」

「そんなこと……」

「それとも、リーグを目指す理由に同情でもしてたのか!?」

 カルミンの表情が苦痛に歪む。

 この表情が見たくなかったのに。結局サツキはまたこの表情を見ている。

 一番のプライドが、へし折られたときの顔を。

「ちがう、ちがうよ……」

「……もういい」

 ジャケットから手が離される。

つり上げられる力がなくなって、サツキはどさりと地面に落ちた。

 カルミンが去っていく。

 その背中を見ながら、サツキはどうしていいのかわからない。