ヤマブキシティ その2
「もしもし、ヤマブキジムでよろしいでしょうか。ジム戦の予約をお願いしたいのですが……」
日中、ブーちゃんの訓練を中心にバトルの練習をして、その日の夕方。
ヤマブキジムの事務局が閉じてしまいそうな時間に慌ててポケモンセンターに戻り、サツキは予約の電話をする。
明日は空いているかという問いに、空いていると帰ってきてひとまず安心した。
そして、そのあと事務員の返す言葉にサツキは思わず聞き返した。
『それでは、明日の夜七時にお越しいただけますでしょうか』
「……えっ? それより早い時間は残ってないんですか?」
さすがに、電話するのが遅すぎただろうか。やっぱり朝のうちに電話しておくんだった、とサツキは歯噛みする。
夜道を歩くのは嫌いだ。夏とはいえ、夜七時では外も暗くなっている。そんな時間に行くのはお断りだと、サツキは明後日に日付を変えることにした。
「それなら、明後日の日中は空いてないでしょうか」
『いいえ、サツキさんのご予約は夜七時以降に受け付けるように、ジムリーダーから申しつけられています。なので、何日でも予約は夜七時からです』
「……えっ!?」
――ジムリーダーから申しつけられている?
奇妙な言い回しに、サツキは驚愕の声を上げる。名指しで、時間を指定されているだなんておかしな話だ。理由を聞いても、事務員にはわからないとだけ返してくる。
『ですが、ナツメ様は未来さえも見通す方。たまにあるのです、トレーナーの挑戦時間を指定されること』
「……そう、なんですか……?」
『ナツメ様は、超能力者ですから』
超能力者。
別に不思議ではない。特殊能力者はサツキだってオーカを見て知っている。それにナツメはエスパータイプの使い手。そんなこともあるのかもしれない。
「……わかりました。じゃあ、明日の夜七時に……」
『かしこまりました、ご予約承ります。明日の夜七時、入り口の者に声をかけてください』
「はい。失礼します」
『失礼します』
ぷつん。切れる電話に、サツキは受話器を見つめる。
明日の夜七時、ヤマブキジムに挑戦。
その予定を頭に叩き込んで、受話器を放り出し、ベッドに座り込む。
「夜にジム戦なんて嘘でしょ~~~~、酷い~~!!」
そこでようやく、頭を抱えてばたばたと悲鳴を上げた。
シオンにいたとき夜に外に出たのだって怖くて怖くてしかたなかったのに。どうしてジム戦でわざわざ時間を指定されなければならないのか。
もしやサツキが夜を嫌いなのも見通した上で試しているんだろうか。なんていじわるなジムリーダーなのだろう。
言葉にならない悲鳴を上げて、サツキはベッドでごろごろと悶える。そんなサツキを呆れたように見てくるポケモンたちの視線もお構いなしに。
「……なぁにー、ブーちゃん」
喚くのも疲れて、涙が溢れてきたのを自覚しながらうつ伏せていると、ブーちゃんがベッドの上に登ってくる。
サツキの涙をペロペロと舐めとったかと思うと、きゃん! と一つ誇らしげに鳴いた。
「んー、ブーちゃんが守ってくれるの?」
肯定するように、また一つ鳴く。
バトルの練習をみっちりやったおかげで、なんだか今は自信に溢れているらしい。かわいらしい顔でドヤっと眉を上げて、サツキに胸を張っている。
「じゃあお願いしようかな~。ブーちゃん、守ってね」
小さな体をぬいぐるみのように抱き締めて言うと、任せてと言うようにきゃんと鳴く。
明日のジム戦は、ブーちゃんを中心に構成を考えた。だからこそ、ブーちゃんは張り切っている様子だ。
どうか明日、無事に乗り切れますように。
ブーちゃんとじゃれながら、思考を巡らせているとだんだんと眠くなってくる。そして、気がついたら夜の八時になっていた。
+++
翌日。
日中はジム戦に向けて、体を温めつつ、無理はしない程度にバトルの練習をした。
行動パターンをよく打ち合わせて、こんなときはどう、と指示をいくつも出す。もちろんこのうちの何割もサツキたちは覚えていられないが、イメージしておくだけでもマシになる。
そんなことをしながら、大半を遊びに費やして、途中から鬼ごっこだのかくれんぼだので騒ぎひたすら日が暮れるのを待った。
そして、ポケモンセンターで体力の回復ついでに晩ご飯を食べ、七時。
サツキはようやく、ヤマブキジムの中に入る。
「こんばんは、予約をしていたマサラタウンのサツキです」
「ようこそ、ヤマブキジムへ。お待ちしておりました」
中は簡素な作りだった。ジムにしては狭く、そして四隅に不思議な円形の光源がある。
それについて、受付の男は丁寧に説明を始める。
「このジムはこの部屋を含め、全部で九の部屋に分かれています。その全てに扉はなく、部屋同士はこの四隅のワープパネルにて移動をします。一度入ったら出られませんが、リタイアするときは、この腕章をつけてください。ジムトレーナーがここまで案内をします」
そう言って、リタイアと白文字で書かれた赤い腕章を渡される。とりあえず今は、ナップザックの中に突っ込んでおく。
「九の部屋のうちの一つに、ジムリーダーが待っています。それでは、ご検討を」
「ありがとうございます」
説明を聞き終えて、一度目はなにも考えずワープパネルらしい円形の光源に足を乗せる。
すると、エレベーターが降りていく瞬間のような気持ちの悪い浮遊感がサツキを襲い、一瞬にして目の前が真っ白になっていく。
思わず目を閉じると、閉じたときには地に足がついていた。足下には同じような円形の光源があり、そして入り口よりも一回り大きな、バトルのできる広さの部屋があった。
「ようこそ、ヤマブキジムへ。このジムのトレーナーはエスパーが多い……そして、俺自身もエスパーだ! さぁ、サイコパワーの恐ろしさを思い知るがいい!」
「こういうことね……!」
そして、急にバトルを挑んでくる、部屋にいたジムトレーナー。
九の部屋のうち、七部屋にはジムトレーナーがいる。ワープパネルで飛びながら、ナツメを探す必要がある。
最悪、七連勝してから挑む必要まで出てくるかもしれない。完全に運任せなジムの構成を察してぞっとしながら、サツキは腰のボールに手をかけた。
+++
ジムに入って、四人のトレーナーと戦った。
既に手持ちのキズぐすりは心許ない量になってしまっていて、これ以上連戦が続くようならリタイアも考えなければならないと思いながら、ジムリーダーの元へと行けますようにと祈り、ワープパネルを踏む。
何度も、同じ部屋に踏み込み、ジムトレーナーに行き先のヒントをもらって、ぐるぐるぐるぐる、どの部屋にいるのかわからないまま、パネルで飛び続けていた。いい加減サツキもポケモンたちも根疲れしてきて、もうどんな形でもいいから終わってほしいと思っていた。
――次は、どこの部屋かな!
いつまで経っても慣れない浮遊感に身を任せ、地に足がついたのを確認してから目を開く。
そこは、やはり今までの部屋と同じ、少し広い無機質な正方形の部屋。
そして今までと同じように、サツキに声がかかる。
「来たな」
重い、女性の声。
ジムトレーナーの不思議にテンションの高い声ではなく、落ち着き払った、女性の声。
「待っていたぞ、サツキ」
深い黒髪を短く切った、鋭く切れ長の目が印象に残る美女。その歳はもう五十に近いはずだが、そんなことは感じさせない、不思議な魅力に溢れた女性。
美魔女とは彼女のことを言うのだろうと、思った。
その容姿は、かつてテレビで見たことがある。イッシュ地方のポケウッドで、女優として活動していた頃のものだが――その頃と、さほど変わらない美貌を彼女は称えていた。
美貌の魔女――ナツメは言う。
「やはり来たな。お前が来ることは、十一年前からわかっていた」
「それ……って、あたしが、生まれた年……」
「何気なくスプーンを投げたら曲がって以来……私は超能力者。貴様の父親とはなにかと縁もある。だからずっと、いつか来ると思っていたぞ」
重く、堅い口調で、ナツメはサツキに話す。
父も母も会わせようとはしなかったジムリーダー、ナツメ。その彼女と父の縁とはなんなのかサツキは知らない。けれど過去になにかあったから、父はナツメにも、そしてマチスにも会わせようとはしないのだと、なんとなく察する。
二人とも、父との関係をほのめかすから。
「マサラタウンのサツキです! あたし、ポケモンリーグを目指してジム巡りをしています……あなたに勝てば、あとはパパだけ……。……ジム戦、お願いします!」
サツキの宣戦布告に、ナツメはにっと妖艶に笑った。
ぞくりと恐怖なのかなんなのかわからない反応が背筋を走りながら、サツキはバトルのしやすい位置へと走る。
「審判」
「これより、挑戦者サツキとジムリーダー・ナツメのバトルを開始します! 使用ポケモンは三体。内一体でも戦闘不能にした方が勝者です。両者、ポケモンを!」
ナツメが低く呼んだ瞬間、ワープパネルから審判が飛び出てくる。
その審判に促され、サツキは腰のボールに手をかける。順番は全て決めてきた。
「まずは君だ、オーちゃん!」
「いけ、フーディン!」
ナツメが繰り出したのは、綺麗な黄色の皮膚をした、長いひげの特徴的なポケモン。両手に何故かスプーンを持っている。
ケーシィの進化系だろうと目星をつけつつ、攻略の足掛けにならないかと図鑑を開く。文面には『力技をあまり好まず、超能力を自在に操って相手を倒す』とあり、やはり超能力による遠距離攻撃がメインだとわかる。逆を言えば、物理攻撃には弱い。
当てられるかは、別として。
「それでは、――はじめっ!」
「オーちゃん、ダメおし!」
「ねんりき」
「エコーボイス!」
特攻隊長のオーちゃんが合図と共に攻撃を仕掛けるも、すぐにねんりきで捕らえられてしまう。瞬時にエコーボイスで抜けられたのは、特訓の成果だ。
今回のジム戦は、トリをブーちゃんに持っていく。そのための構成として、今日前座の二匹には色々とお願いしていた。ブーちゃんに特別入れ込んでいる様子の二匹は快諾をしてくれた。
だからこそ、前座の二匹で出来るだけ削っていきたいが。エスパータイプの技はまったく厄介だと思わされる。
「……オーちゃん、こうそくいどう! そしてかげぶんしん!」
「ほう、標的をばらけさせるつもりか。たしかに、エスパー対策としては有用だ。ではこちらも利用させてもらおう。じこあんじ!」
「!」
じこあんじをかけたフーディンが、オーちゃんと同じだけ分身を増やす。
スピードも増しているのだろうが、自然体を保ったままの様子からはわからなかった。
「フーディンは高いエスパー能力だけでなく、素早さも一級品のポケモンだ。そのオニドリルに避けきれるかな。フーディン、サイコカッター!」
「く……ドリルくちばしで迎え撃って!」
複数体が一斉にスプーンを構え、放たれるサイコパワーで作られた刃がオーちゃんへと異常な速さで襲い来る。一歩間違えば見ることもできないような速さの刃に対して、オーちゃんは身を細くし鋭いくちばし一点で刃に立ち向かう。
刃とドリルがぶつかり合い偽物がかき消されながら、ガキィンと耳障りな音がしたかと思うと、本物のオーちゃんが相手した刃は一瞬で壊れて消えてしまう。
「本物は右から二番目!」
その瞬間、オーちゃんは回転の勢いをそのままに真っ直ぐにフーディンへと突撃する。サイコカッターを行うのが一匹だけ早かったのを見抜いて、サツキが指示した先へと。
オーちゃんの体がフーディンにバチンッ!! と音を立てて当たると、瞬時に離れたオーちゃんに対して、フーディンは声を上げる余裕もなくその衝撃に吹き飛ばされた。それと同時に、現れていた無数の分身も消える。
これは相当のダメージが期待できる。
そう思ったが、しかし。
「! あまり効いてない……?」
「リフレクター。物理攻撃のダメージを減らす壁が張ってある」
「なるほど……」
エスパータイプはえてして物理技に弱くなりがちだ。その対策を取るのは当然と言える。
そして、リフレクターを張ったことから察するに、あのフーディンはあそこから動く気がないことも、サツキは察した。
動かずとも戦える、遠距離タイプのポケモンだから出来ること。
ならば、その背後はがら空きと言うことか?
「オーちゃん、こうそくいどう!」
「む。まだ速くなるか」
「ドリルくちばし!」
こうそくいどうを重ねて、ついに見えるか見えないかというスピードになったオーちゃんは、ぎゅるるるるという音だけを残しフーディンの周りを旋回する。
そしてフーディンの背後へと向けて、突撃する。攻撃を察してスプーンを銃口のように構え振り向いたフーディンは再びオーちゃんのくちばしに貫かれる。
ギャアアという悲鳴があがったのに、よしと拳を握ることさえできなかった。
「オーちゃん!」
フーディンは、たしかにダメージを負っていた。腹部に鋭いくちばしで強打された傷跡が見える。しかし妙だったのは、同時に墜落したオーちゃんの方だ。
体が帯電しているのが見える。バチバチと音を立てながらその体毛を毛羽立たせているのだ。電気技を浴びたみたいに。
「――チャージビーム。どんなに速くなろうとも、私には見えている。リフレクターのない背後を狙おうとするのもお見通しだ。ならば、迎え撃つのも当然だろう?」
「…………。……オーちゃん、戻って」
オーちゃんを下がらせ、次にピカチュウのピーちゃんを足下に出す。苦手な技を、あんな至近距離で浴びてしまった後では続投するのは難しい。
ナツメは、超能力者。
その能力のせいで、どんなに煙に巻こうとも見破られてしまう。厄介だった。ただでさえエスパータイプは強いと言うのに。
その目をかいくぐるには、どうするべきなのか。全く読めない。サツキも目の良さはよく褒められるが、次元が違う。
素早さで視界から逃れることはできない。
なら、囮さえも見破られてしまうんだろうか?
「ピーちゃん、エレキボール!」
「フーディン、ねんりき」
「でんこうせっか!」
先に動いたピーちゃんがフーディンの真正面に向かってエレキボールを放つ。しかしそれは囮――エレキボールを捕まえようとしたフーディンはその隙に回ったピーちゃんのでんこうせっかを防げない。
しかし、フーディンがスプーンを構えたのはエレキボールに対してではなく。
「!」
上がったのはピーちゃんの悲鳴。
エレキボールを受けたフーディンはというと、微動だにせずねんりきでピーちゃんを苦しめている。
この程度の技では囮として相手にする必要もない、ということか。防ごうと防ぐまいと、ダメージが変わらないなら本体を防ぎに来たのだ。
高レベルなフーディンをよく信用しているからこその選択。
「フラッシュ!!」
「かなしばりだ!」
フーディンのねんりきが途切れた瞬間――サツキは叫ぶ。カッと部屋が一瞬にして白で埋まり、その隙にピーちゃんが走り逃げていく足音を聞いた。
エスパータイプの技は、相手の位置を把握させないとならない。フラッシュによって標的を見失ったフーディンのかなしばりからは辛うじて逃れられたようだ。
しかし、いくら逃げられる方法があるとは言っても、このままでは間違いなくサツキは負ける。
一抹の焦りが、サツキの中に浮かんでいた。こうして戦っていても、嫌というほどレベルの差を感じるのだ。攪乱を図ってもだめ、囮を使うのもだめ、なんとか逃げた今だって、エスパーである彼女には見えている。
見えているけれど、ジムリーダーとして逃がしている。ただそれだけに見える。
強い光がようやく薄れてきて、目が開けるようになってから、サツキはナツメを見る。
彼女は妖艶に、恐ろしさを纏いながら、サツキを見ていた。
彼女がジムリーダーであることが今、恐ろしいと感じる。
なぶり殺しにされている気分で。
「どうした、来ないのか。もう少し骨があると思ったんだがな……」
「別に、諦めたわけじゃ、ないんで」
足下まで戻ってきたピーちゃんが、サツキの背後で消える。静かに地面に潜ったピーちゃんは、このまままっすぐフーディンの背後へと回ることになる。
フーディンの目線はというと、サツキを見ていた。手に持ったスプーンをだらりと床に下げている。否、その先端が妙な揺れ方をしているのを確認した。
間違いなく、あれはピーちゃんを捕捉している。
ピーちゃんのあなをほるは、これを確認するためだった。
どうやってこんなにも見抜いているのか、を確認するために。
なにも動作なく見破れるなら、それはもはやお手上げだが。フーディンのスプーンがただの飾りなわけがないのだ。
サツキは、ポケモン図鑑に書いてあった文面のいくつかを思い出す。その中にはたしかこんなものがあった。
『両手に持つスプーンはフーディンの超能力で生み出したモノと言われている』
何故、それを作らなければならないのか。それはフーディンの動作で結論が見えた。あれは、アンテナなのだ。
さらに言うなら、発射口。より技の精度を高めるために、フーディンはそれで相手を捕らえて技を発射するのだろう。
あれを、奪ったらどうなるのか。
サツキは、こんこんと足で地面を蹴る。さらに、こんこんこんと追加で蹴る。
昨日打ち合わせしていたこと。二回蹴ったら、電気を溜めて。三回蹴ったら。
「出てこい!」
「!」
完全に捕捉していたフーディンはピーちゃんの登場には驚かなかった。しかしそこまでは予測していなかったのだろう。
登場と同時に、予備動作もなく放たれる10まんボルトを。
まったくの不意打ちに成功したピーちゃんは、ちらりとサツキを見た直後にフーディンの腕にかじりついた。
「アイアンテール!」
「テレポート!」
ナツメの指示は一歩遅かった。
ピーちゃんの鋼の尾はフーディンの腕に深く突き刺さり、その痛みに悲鳴を上げてフーディンはスプーンを一つ残して別の場所にテレポートする。
つかみかかっていた相手が消えてピーちゃんは一度尻餅をつくも、すぐに起きあがってしっぽでスプーンを両断する。
「……まず一つ」
「ほう、スプーンを狙ってきたか」
「止まらないで、攻めるよ!」
ナツメはに、と笑ってサツキを見る。その余裕にぞわりと悪寒が走った。
これで、またすぐにスプーンが作れるとしたらサツキの目論見は無駄となる。
そんな隙を少しでもなくしたいと、ピーちゃんに連続のでんこうせっかを命じる。もう一つのスプーンを庇うようにして攻撃を防ぐフーディンには、照準を合わせる余裕がないようだった。
「賢いな。確かにそれはすぐに作り出すことはできないフーディンの生命線だ。だが――それだけに頼っているわけではない」
「!」
スプーンを構えず、前動作なしに放たれたサイコカッターがびゅんびゅんとあちこちを切り裂く。なにを狙うわけでもないそれはあまりにも無闇矢鱈で、フィールド外のサツキにさえも攻撃が飛んでくる。
まるでかまいたちに切られたような傷が足や腕に出来てじくじくと痛み、サツキは傷口を押さえた。つ、と一筋の血が肌を走る。
「う…………!」
「ふふふ……すまないな。スプーンが一本ないだけで、どうもコントロールができないようだ」
「ピーちゃん、こっちに構わなくていい、ちゃんと前を見て!」
ピーちゃんが心配そうにこちらを見るのを叱咤する。
その目に怯えが隠れ見えたあたりで、そろそろ限界かもしれないな、と思いながら。
ピーちゃんは別に、臆病を克服したからバトルしているわけではない。サツキのために、怖いのを我慢してでも戦ってくれているというだけだ。だから、サツキは彼の限界を見極める必要がある。
強がりで臆病な彼に小さくごめんねと謝って、サツキは最後の指示をする。
「でんじは!」
ぶわりと電気の風が吹き込んで、サツキの肌をびりびりと撫でる。切り傷に当たると声が漏れそうなほどに鋭い痛みが走ったが、舌を噛んで耐えた。痛いと言えばピーちゃんを萎縮させてしまう。それだけは避けなければならない。
電気の風に正面から当てられたフーディンは、痺れに苦悶の表情をする。しかしぎこちなくスプーンを握っている方の手を動かし、でんじはを撃ち終わった直後のピーちゃんをサイケこうせんで貫いた。
「……戻って!」
「残り、一匹――――」
「さあ君の番だ、ブーちゃん!」
ピーちゃんをボールへと下げ、最後の一匹――ブーちゃんを繰り出す。
小さな茶色の毛並みに、右後ろ足にはRの焼き鏝。首にはかわらずの石のネックレスをしたイーブイ。ナツメは、そんなブーちゃんの右後ろ足を見据えて、おもしろそうに笑みを作った。
ここまで、オーちゃんとピーちゃんでできるだけフーディンの体力を削ってきた。相手の技の精度の理由を見抜いてスプーンも折り、でんじはで麻痺状態にもさせた。
全て、ブーちゃんが思い通りに戦えるように。
ブーちゃんは他のメンバーと違ってできるだけ戦わないようにさせてきたし、訓練だってウォームアップ程度しか参加させていない。経験値が他のメンバーに対して開きがある。
それでもトリに彼女を選んだのは、サツキなりの彼女への贖罪。
必ず勝たせてあげると、懺悔の代わりに誓ってきたのだ。
トレーナーとして。彼女の思いを察しつつも無視してきたことへの贖罪に、ブーちゃんへ勝利を捧げる。
「さぁ、行くよブーちゃん! すなかけ!」
「フーディン、サイコキネシス!」
ブーちゃんが舞い上げる砂埃を、フーディンが部屋中の埃と共に竜巻にしてしまう。サイコパワーで作られた竜巻は、コントロールが不十分なせいか不規則に暴れまわり、ブーちゃんを飲み込まんと迫ってくる。
「突っ込め!」
「!」
それに突っ込めという指示に、ブーちゃんは迷いなく走り出した。
昨日、特訓していてわかったのは、意外に彼女は肝が据わっていると言うことだ。少し怯えた顔はしても、絶対に嫌だと恐がりはしない。当たって砕けろを体現するかのように走ってみせる。
戦えないと思われるのが嫌なのかもしれない。だからサツキはそんな彼女の胆力を買った。
小さなブーちゃんの体は竜巻に勢いよく上へ上へと吹き飛ばされていく。竜巻の中は強力なサイコパワーが渦巻いているのか、ブーちゃんは苦しげに呻く。
しかしつかの間、彼女の体は竜巻の外に放り出された。
まっすぐ、フーディンの上へ。
「スピードスター!」
「サイコカッター!」
「かみつく!」
フーディンの上空へと落ちながら放つスピードスターはさらに威力を増し、放たれたサイコカッターに相殺される。その衝撃の中落ち続けた彼女はフーディンの頭に着地し、耳を喰いちぎらんばかりに噛みつく。
鋭敏な耳に噛みつかれたフーディンは悲鳴を上げて頭を振り回すが彼女は食いついたまま離れない。
やがて耐えかねたフーディンが彼女の尾を掴むと、あっさりとブーちゃんは口を離す。
「メロメロ!」
そうして目の合った時を見計らって、ブーちゃんはばちんと華麗にウインクを決める。
メロメロは、相手の性別がわからなければ撃つのが博打のような技。どう出るか。
サツキはフーディンを注視する。瞬間、フーディンは優しく彼女を降ろし、乱暴したことを大慌てで謝っているのかぺこぺこと頭を下げだした。
――賭けは勝ちだ。
「フーディン」
「ブーちゃん、たくさんキスをしてあげて」
ブーちゃんの虜とされたフーディンに、彼女はキスの雨を降らせる。
そう、魔性の女と化した彼女が贈る、“かみつく”の雨。まるで恋人にじゃれつくような可憐さでフーディンの顔や体にかみついて痕を残していく。
けして甘噛みなどというかわいらしいものではないそれは確実にフーディンのHPを削っていた。
しかしフーディンは反抗するでもなく、むしろ喜んでそのキスを受ける。ナツメはそんなフーディンの様子に手も足も出ず忌々しげな顔をしていた。
ペースはこちらのもの。あとはこのまま攻め落とせば。
そう思ったのも、つかの間。
「――――ブーちゃん逃げて!」
「サイコカッター!」
フーディンの目が正気に戻った。
気付くのが一瞬遅かった。目の前で刃に襲われ、ブーちゃんはその体に無数の傷を作られる。
コントロールが甘くなっている今、無闇矢鱈と放たれる技は急所にこそ当たらないが、きちんと当たるわけでもなく、じわじわとブーちゃんの体力を減らしていく。
まもる、という指示を叫んでも、刃の嵐にそんな余裕もないブーちゃん。このままでは、とサツキが一歩踏みだそうとした、そのとき。
「――――!!」
ぴしり、音がした。
甲高い悲鳴が上がる。
一昨日、店で加工してもらったかわらずの石に、ひびが入った。
「――――…………ぁ」
無闇矢鱈と放たれていたサイコカッターの一つが、かわらずの石に当たったのだ。
まるでスローモーションでも見ているような気分だった。
やめて。やめて。
サツキの中で警鐘が鳴り響く。やめて。だって。
それが壊れてしまったらブーちゃんは。
ブーちゃんは攻撃による衝撃で大きく吹き飛ばされ、床に倒れ込む。
やめて。やめてあげて。
ひぃ――……と、のどの奥で空気が鳴った。
バキン。
「――――ブーちゃぁぁぁあああん!!!」
悲鳴のように声を上げた。
――石が壊れないような動きをするのがあたしの――トレーナーの仕事。
守れなかった。そんな苦しみがサツキの中をかけ巡り、視界を涙で濡らしていく。
あんなことを言っておいて。
どんなに懺悔をしても足りない。彼女の望みもサツキの願いも、満たさなければならなかったのに。
彼女の体が、変化していく。
「――――!!」
体は一回り大きくなり、柔らかそうだった体が細く筋肉質なものに変わっていく。耳やしっぽが先細りの筒状になり、その太い部分には金のラインが浮かび上がる。
夜闇色となった毛並みにはまるで月のように金の輪が描かれ輝く。四肢にも浮かんだ金の輪のうち、右後ろ足のものだけはRの焼き鏝のせいか不格好に途切れていた。
彼女が、立つ。
その姿から揺らぐことはなく、あの不気味な変化は起こらない。新たに手に入れた夜闇の体は傷だらけながら力強く。
やがて、その赤い瞳を、開いた。
「――――……ぇ……?」
涙で滲む視界を開き、サツキはその姿をよく見る。
凛々しく再びフーディンと向き合った彼女は、いくらか鋭くなった眼光でフーディンを睨んでいる。その体が以前のように不安定な変化を繰り返す様子はない。
たしかに、肉感を持ってそこに立っていた。
――進化した……?
おそるおそる、サツキは図鑑を広げブーちゃんに向けて掲げる。図鑑は確かに示した。
『ブラッキー げっこうポケモン』
『興奮すると体中の毛穴から毒素の混じった汗を吹き飛ばし、身を守る』
「…………ブーちゃん……?」
そっと名前を呼ぶと、彼女は目だけでこちらを見て小さく鳴く。
凛々しく、美しく進化を遂げた彼女の仕草は妖艶と言ったもので、サツキはぎゅうを心臓を捕まれたような気分になる。
――ああ、進化したんだ。やっと現実が頭の中に入ってくる。
「ああ……ああ……!」
「……――感動は済んだか?」
ナツメの言葉に、極まっていた感情が水を被ったように現実へと引き戻されていく。
ずっと待っていてくれたのだろう。フーディンと共にナツメはじっとこちらを見ている。
サツキは改めて臨戦態勢を取り、力強く返事をした。
「いくよ、ブーちゃん。あと少しだ! かみつく!」
「フーディン、エナジーボール!」
進化しより力強くなった脚力で走り出すブーちゃんの瞬発力は今までの比ではなく、迎え撃たれたエナジーボールを軽やかに避ける。
フーディンはなんとか防ごうと腕をクロスして待ちかまえるが、それが悪かった。
彼女は迷いなくスプーンを持つ方の腕に喰いつき、噛みちぎらんばかりに鋭くなった牙を皮膚へと突き刺す。ギャアアとフーディンが悲鳴をあげてもお構いなしに。
ついに耐えかねたフーディンがスプーンを落とすと、ブーちゃんはすかさずそれを破壊した。
これでフーディンのコントロールを補正するものはない。それは逆に恐ろしさもあるが、かわらずの石が壊れた今、気にするのはサツキへの被害くらいのものだ。
そして、それについてはどうでもいいのだ。
「だましうち!」
一瞬、キスをするかのようにブーちゃんは顔を近づける。まだメロメロの効果の残っているフーディンはそれに反応できず、腹部に強い一撃を食らうことになる。
どう、とその体を弾ませ起きあがれないところに、ブーちゃんは押し倒すように体を乗せる。
それはまるで、女王が下僕を足蹴にするように。
「これで終わりだ、シャドーボール!」
無慈悲にフーディンを見下ろす彼女は、相手の眼前でエネルギー弾を作っていく。まるで風船が膨らんでいくような恐怖感に、フーディンは逃れようとするも、その貧弱な体ではブーちゃんの重みに対抗できず。
得意のサイコパワーに至っては、悪タイプに進化したブーちゃんに効果を与えることすらできない。
じり、とエネルギー弾がついにフーディンの皮膚を焼く。
放たれる。
一寸の間もなく破裂したシャドーボールは重い爆風を部屋に満たし、それが止んだ頃には――もう、フーディンは動ける様子もなかった。
「フーディン、戦闘不能! 勝者、チャレンジャー・サツキ!」
部屋に審判の声が轟く。
それが飲み込めたとき、サツキは崩れ落ちるようにブーちゃんへと駆け寄っていた。
「ブーちゃん、おめでとう……! 君がやったんだよ……! ごめん、ごめんね……!!」
大きくなった体を抱きしめて、サツキは祝福と懺悔を繰り返す。
自らの手で初めて勝利を掴んだことへの祝福。
守りきれなかったサツキの実力不足についての懺悔。
進化を遂げ揺るぎない自分の姿を手に入れたことへの歓喜。
それでも石の破壊を防ぎたかったサツキの後悔。
どれを伝えたらいいのかわからずに、サツキはおめでとうとごめんねを繰り返して彼女の体をかき抱いた。
筋肉質に成長した彼女の体は、どんなに強く抱きしめても壊れないような強靱さを備えたことが、触れるだけでわかる。
強さを求め、そして強さを手に入れた。
ブーちゃんの表情は、満ち足りたものだった。
「……おめでとう。見事だった」
「ナツメさん……」
「バッジを」
拍手をしながら歩いてくるナツメは、審判に短く告げる。
審判はどこからかバッジの乗ったトレーを差しだし、ナツメがその細い指で掴む。
「これがヤマブキジムの――ゴールドバッジだ。受け取れ」
「――――ありがとうございます!」
黄金の真円。それはブーちゃんの額に浮かぶ金の輪にも似ている。月のように光る、美しいバッジだった。
君が取ったんだよ、とブーちゃんに見せるとうれしそうにその赤い目を細めた。
「夜遅くにすまなかったな。帰りはうちの者に送らせよう」
「あ、あの! 最後に一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「こうなること――わかってて、この時間に呼んだんですか?」
ジムトレーナーがサツキを連れて行こうとする前に、サツキは慌てて問いかける。
事務員は言っていた。
――たまにあるのです、トレーナーの挑戦時間を指定されること。
サツキが来るのが視えていたと言っていた。ここまで視えていたんだろうか。
視えていたからどうというわけでもないが、そこまでお見通しだったらと思うと、いっそ畏怖してしまう。
しかし、ナツメは笑う。
「いいや。ブラッキーに進化するのは知らなかったな」
「…………」
「私が視えたのは、お前が夜に来ることだけ。未来など視えた通りにならないものだ。一応なにかあるんだろうと、その通りに行動することにしているだけで」
返事に思わずほっとする。
未来など視えた通りにならない。それはなんだか実感の籠もった言葉に聞こえた。
「予知などせいぜい指針になるかどうかだ。己の行動でいくらでも変わるし、覆せる。思うとおりに行動をしたらいい。結果は誰にも予測できないものだ」
「――はい!」
深く深く礼をして、ジムトレーナーに促され部屋の最奥にあったワープパネルを踏む。再び浮遊感がサツキを襲い、気付けば居たのは入り口だった。
「今日はおつかれさま、ブーちゃん。明日からまた、がんばらないとね」
遅れてワープしてきたブーちゃんに声をかける。
月の光に美しく輝く彼女の毛並みは、体中に走る傷さえも彩りにしてみせる。もう、守られる者ではなかった。戦女神の美しさを称える彼女は、サツキの言葉に声を返す。
「次は、パパとのバトルになる。こうなったからには――君にも、目一杯仕事をしてもらわないと!」
戦えることを証明して見せた彼女。心配ごとはなにもない。
ブーちゃんは望むところと返事をして、たおやかに笑う。こんなにも頼もしい女の子だったのかと、サツキは今更に思い知らされる。
トキワジムに、父は待っている。
ついに最後のバッジの番が来たことに、不安と、期待が、サツキの中をかけ巡った。
けれど、こんなにも頼もしい彼女がいるのなら――きっと次も大丈夫だと、思えるのだった。