セキチクシティ その2

「はぁ……はぁ……あなたが……アンズさん、ですね?」

「その通り。よく来たな、サツキちゃん」

精神的に疲れながら、サツキはアンズと対面する。

見るからにくの一のような服装、時代錯誤な忍者口調。それとは裏腹に、かわいらしさを残した三十代女性アンズは、疲れたサツキを見て笑う。

「ずいぶんと、この仕掛けに苦労したようだな」

「まったくですよ、なんですかこのジム!」

「昔は変装だけだったのでござるが」

ジムには仕掛けがされていることも多い。

ハナダジムは水タイプに有利なプールになっているし、タマムシジムでは、サツキはやらなかったが普段は木々にジムトレーナーが隠れていて、トレーナーを襲う。

それらは、ジムリーダーの趣味であったり、エキスパートタイプの主張であったり、もしくはトレーナーへの試練の一つであったりする。

「拙者は、トレーナーの目を試すために、この透明な壁を作ったのでござる」

セキチクジムの仕掛けは、特に難解だった。

トレーナーは全てジムリーダーそっくりに変装していて、戦うまで本物か偽物かわからない。サツキはここまでに五人とぶっ通しで戦うはめになっていた。

それとはもう一つ。透明な壁による迷路が作られているのだ。

こちらが厄介だった。通り道もわからなければ、壁が見えないためバトル中にポケモンたちが壁にぶつかって怪我をしそうになるのだ。

その二段構えで、サツキはここに来るまでで疲れはてていた。

「観察眼は、バトルでも重要なものだ。隠されたものに素早く気付くのは忍びにおいても重要なもの。それらをきちんと持った者ならばここにたどり着くまでにこの仕掛けについて察するものはあるはず……そういったものを、拙者は試したいのでござる」

「隠されたものに、気付く……」

「そう、よく見なければならない」

アンズは、この仕掛けの意義を語る。

「場を、ポケモンを見ずして、どうしてバトルができようか」

+++

オーカとメルは二人、サファリゾーンを後にしてからポケモンセンターへと戻った。

あのあと、疲労からどうしても眠気に勝てなかったオーカはメルに懇願し、数時間の昼寝をさせてもらっていた。起きたときには既に夜とも言える時間になっていて、またすぐにメルに謝り倒す。

「すみません、本当にすみませんメルさん! こんなに寝るとは思わなくて、全部僕につき合わせてしまって本当にすみません!!」

「いいわよ別に。わたしも疲れてたし」

必死に謝るオーカに対し、メルは平淡な態度を崩さない。そのことがますますオーカに恐縮させるのだ。

メルがトキワの森の能力者を紹介してくれると言うから、ついお願いをしてしまったが、考えてみればこの美少女と二人で行動するだなんて、どんな神の思し召しだろう。

オーカは彼女に不愉快な気分をさせまいと、ただひたすらに恐縮し続けていた。一瞬でも彼女を悲しませたり嫌がらせたりしたら、天罰でも下るんじゃないかと心配になるのだ。

否、そもそもオーカが彼女のそんな表情を見たくない。見たらきっと即座に自殺したくなるに違いない。

そんな心持ちで、オーカはメルに接していた。

臙脂色の髪、日焼けを知らない肌、細く折れてしまいそうな腕、儚ささえも感じる白い肌の中桃色に染まっている頬。その可愛らしいの言葉を凝縮したような存在が、今目の前にいる。

夢でも見ているような気分だった。

「じゃあ、さっさと電話しちゃいましょう……あ」

「な、なんですか」

「あのね、これから紹介する人に電話する前に、約束して欲しいことがあるの」

パソコンに座ったメルが、電話をかける前にもう一度オーカに向き直る。

「まず一つ目は、紹介する人のことを親には伝えないで欲しいの」

「は、はい」

「それから、わたしのことも親には言わないで欲しいの。もし、毎日のように電話をかけているなら、セキチクにしばらくいるとか、これからグレンに向かうとか、適当に嘘ついて貰いたいのよ」

「嘘……ですか」

不思議なお願いに、オーカは少し怪訝な顔になる。

嘘をつくのは好きではない。それに父は厳格な人だから、もし嘘をついてバレるようなことがあったらどうしようとも思う。

父に激しく怒られたりするようなことはなかったが、父が厳しく怖い人であるというのは、オーカもなんとなくわかっている。

「どうして、そんなことを?」

「家出中なの」

「いえで……」

「わたしのお母さん、オーキド博士と友達みたいだから。そのせいで居場所がバレると困るのよ」

何故家出をしているのかをメルは教えてくれない。

だが、メルの母はとても心配性な人で、居場所がわかり次第きっと連れ戻しに来てしまうからと言うことだった。せっかくリーグに行くためにここまで来たのに連れ戻されては敵わないということらしい。

能力者のことを伝えてはいけない理由はわからなかったが、メルがそう言うならば協力しなければならないだろう。

「……メルさんも、リーグを目指しているんですか」

「まぁ、一応」

こんな美少女がリーグに出たら、きっと大騒ぎだろうなと思ってしまう。

そんな想像をしているうちに、メルが電話をかけ始める。

画面には“カケル”の文字が浮かんでいた。

ぶぉん、と音がすると同時に男の声が響く。

『メルか! お前今どこにいるんだ、おばさんすごく心配してたんだぞ。体の方は大丈夫か、なんか変なのに襲われたり』

ぶつん。

一瞬にして、画面が電話帳へと切り替わる。

「…………」

メルの顔は変わらず可愛らしい無表情だ。

――なんの躊躇もなく電話切った!

オーカはその行動に驚愕しながら、なにも言えなかった。

そんなことをしていいのかとか、相手に失礼じゃないかとか、能力の相談について電話してくれるんじゃなかったのかとか、色々と言いたかったがメルにはとても言えなかった。

オーカがぐるぐると考えているうちに、またぷるるるると着信音がパソコンから発される。今度こそ、メルはその電話を取った。

『……おい』

「カケルさんうるさい。ポケモンセンターなんだから静かにして」

『はぁ……』

電話の向こうで、男性が大きくため息をついた。

その気持ちは大いにわかる。なんでそんな自由なんだと、言いたくてもメルに言う気は直前になって失せてしまうのだ。

美少女って怖い。

『で、なんの用だ』

「あのね、会わせたい子がいるの。トキワの森の能力者の子。カケルさんの次の世代の」

ほう、と電話先の男が興味深そうに呟いた。

オーカはカケルという男の次の世代。トキワの森の能力者は十年に一人生まれるから、電話先の男は二十代か。

「能力のことで悩んでるんですって。相談に乗ってあげて欲しいの」

『なるほどな……。よく見つけたな』

「運がいいの」

なんのことかわからないまま、二人の話は進んでいく。

『飛べるポケモンは持ってるか? というか、今どこなんだ』

「セキチクシティにいる。飛べるのは持ってる」

『なら都合がいい、スオウ島に来てくれ』

「えー、めんどくさい。迎えに来て」

『どっちがめんどくさいんだ……』

スオウ島、という聞きなれない地名を当たり前のように会話する二人。オーカのことは置き去りに、話をまとめようとカケルという男は四苦八苦しはじめる。

「大体わたし、場所覚えてないわ」

『地図は送る』

「そんなの見ても迷うと思う」

『途中まで迎えにいくから』

「なら初めから迎えに来て」

メルの言葉が、オーカに接するような平淡さではなく、親にでも甘えるようなわがままさに変わっているのに気がついて、これはこれでかわいいなぁ、と聞きながら思う。

かなり親しいらしい二人の会話に、浮き世離れした美少女の人間らしい面が見え隠れしているのが、なんとなく親近感が湧くのだ。

『……わかった。セキチクまで迎えに行くから……』

「ありがとうカケルさん」

にこにこと礼を言うメルに対して、電話の向こうで男が大きくため息をついたのがわかる。

この美少女はやはり最強だ。

『昼には着くと思うから、おとなしく待ってろ。そうだ、体の方は大丈夫か』

「うん、今は平気」

『ならいい。ちゃんと寝ろよ、また明日』

「おやすみなさい」

ぶつり、と二回目の通話が切れる。

一応の話は着いたらしい、メルがオーカのことを見る。

「って、ことだから。明日のお昼にカケルさん迎えに来てくれるって」

「あ、はい……」

「セキチクはもう出ちゃうけど、ジムにはもう行ってある?」

「……いえ、まだ」

メルの問いかけに、オーカは苦い顔になる。

セキチクジムには、まだ行っていない。

ここに来る前のジム――タマムシジムで、能力を暴発させかけてからバトルをする勇気が湧かないのだ。

実はシオンでゴースに対し能力を激しく使ってから、無理矢理抑え込んでいた力がかなり漏れやすくなっていた。タマムシでの暴発は辛うじてバトル中では防げたが、バトル後に耐えきれなくて少し傷を治してしまった。

そのことをエリカに咎められることはなく、ジムバッジはなんとかもらえたのだが。

それもあって、セキチクジムに挑む勇気は、まだ出せていなかったのだ。それは実際正解だったろう。サファリゾーンでの暴走を思えば。

感情が高ぶれば高ぶるほど、能力を抑えきれない。そんな自分と、この能力が、本当に疎ましい。

「そう、まあここは一旦諦めてね。ご飯食べに行ってお風呂入ったら、荷造りしましょう」

「……はい」

明日から、能力コントロールと本格的に向き合うことになる。

母は能力についてを上手く言えず、父は能力を持っていないからそもそも相談が難しかった。父に紹介された師は、無理矢理抑え込む方法をなんとか教えてくれたが結局根本的な解決にはなっていない。

明日会う人は、本当にオーカの能力を解決してくれるのだろうか。

不安と共に、藁にでもすがる思いでオーカはいた。

サツキは、いつの間にか自分の問題を解決していたように見える。乗り越えたの言葉が本当かはまだわからないが、彼女の曖昧さがどこか吹っ切れていたように思う。

置いて行かれるわけにはいかない。

この旅は、サツキは、全部オーカが克服したこと、不正をしていないことの証明として存在するのだから。

リーグで、完成された状態でサツキと戦うためにも、これは最後のチャンスだった。

「やらなきゃいけない……」

きつく拳を握りしめる。

一番能力を知られたくなかったサツキには、もう知られてしまった。

ならばもう乗り越えるしかないのだ。でなければ彼女に会わせる顔がない。

リーグまで、あと一ヶ月。

オーカは暗い心持ちで、明日を待った。

+++

「勝者、チャレンジャーサツキ!」

「お疲れ、メーちゃん」

バトルが終わった今、透明だった壁は氷によって可視化されていた。

周囲をよく見ること。隠されたものに気付くこと。

そういうことはサツキの得意なもので、壁のあるところの床に白い線があることも気付いていたが、今回に限っては透明な壁があまりに面倒で結局フィールドごと凍らせてしまった。

あんまり、こういう雑な大業に頼るのはよくないとも思うのだが、やっぱりフィールドとタイプは変えてしまった方がやりやすいと実感する。

「良い勝負であった。このピンクバッジを受け取るでござる」

「ありがとうございます!」

五つ目のバッジをジャケットにつける。残りはあと三つ。

父とのバトルが、差し迫っている。

「お主の目は良いものであった。今後も磨いていくといい」

「はい。がんばります!」

アンズの激励を受けて、サツキはジムを後にする。

ポケモンの目になる戦い方は、荒削りながら慣れてきた。バトルに対する恐怖心も抵抗感もない。

勝利に対し、貪欲になってもいいと開き直れてから、自分でも見違えるほど強くなった気がする。否、おそらくそれだけ自分で抑え込んでいたのだろう。

――隠されたものに気付くこと。

サツキは、気付けた。

「オーカは、ちゃんと見つけられるかな」

特殊能力のコントロールを身につけるためにメルと一緒に行ったライバルを想う。

サツキは、彼女の能力のことがあまりわからない。

ポケモンの思考を読み、ポケモンの傷を癒すことができる。そんな能力は、トレーナーでなくても、ポケモンを愛するなら誰もが羨むものだろうと思う。だがオーカは、それをはっきりと嫌っていた。

本来手で触れて回復するところを、触れることなく回復してみせたオーカ。それも一匹ではなく、サファリでは五匹以上のポケモンを同時に、完璧に治してみせた。

その能力は、よく知らないサツキでも強いものだろうと言うのはわかる。

そんな強すぎる力をコントロールできないことは、真面目なオーカにとっては致命的なのだろうと思う。

きっと、バトル中回復しながら戦うことも可能な能力。“負けない”ことが実現できてしまう能力。

使い方によってはポケモンの能力を引き上げることもできるとメルは言った。

もうそれだけで、オーカにとって嫌う理由には十分なのだろうと思う。

それでもサツキは、せっかくの力を嫌ってしまうのはもったいないなぁと思ってしまうのだ。

「ちゃんと見れるといいな……」

彼女が、能力のことをきちんと見つめられるように。

サツキが自分の高慢さと無意味な恐怖に気付いたように、オーカも己の無意識と向き合えることを、サツキは祈る。

オーカと一緒にメルがいる。彼女なら、きっとなにか暴き出してくれる。サツキは根拠もなく思う。

完璧になってから、リーグで戦いたい。サツキに証人になってほしい。そうオーカが言ったのは、ずっとこのことで悩んでいたせいだろう。

あの時なんとなくで旅に出たが、サツキは今オーカと戦いたいと強く思う。

だからこそ。

オーカがここで倒れてしまわないことを強く願う。

そこにサツキは介入できないし、することはない。だがサツキが先にいることでオーカはきっと追ってくる。

そう、信じていた。