スオウ島 その5

燦々と照りつける太陽の下で、オーカたちは自由に遊び出す。

花畑を突っ切って、岸辺へと競争して、水を掛け合い、時には海に落ちて、各々好きなようにはしゃぐだけはしゃぎだす。

カケルも見守るように少し離れた場所でカイリューと共にオーカたちを見ていた。メルだけは、ニドキングと一緒に洞窟の入り口から出てこなかったが、メルの手持ちたちは一緒に遊んでいた。

そんな中で、オーカはポケモンたちの挙動を注視することに力を注いでいた。

特に、ヤドキングに。

ヤドキングのヤドすけは、海に浸かって気持ちよさそうに涼んでいる。今までと同様、ただの一度も鳴くことなく、他のポケモンたちとは一線を画した落ち着きようだった。

メルに言われた、ポケモンたちを見れていないという言葉。

その改善のためにも、ヤドすけと距離を縮めることは再重要項目だ。

「うん?」

そうしてヤドすけに注目する目端で揺れるしっぽを見る。

黄色い雷に似たしっぽをメトロノームのように揺らしている、ピカチュウのピカすけ。時々やっているピカすけの癖だ。

「また、楽しそうだねピカすけ」

『まー見てなさいって』

その視線の先には進化したばかりの体に慣れなさそうなゲンガーのゴーすけが、岸辺の岩から岩へ慎重に飛び移っている。

今まで浮遊体だった分、慣れるための訓練なのかもしれないな、とオーカが見ていると、次の瞬間ピカすけがまっすぐに走り出す。

岸に向かって、素早く、そして草を踏む音も立てず。

まるで忍者のような走り方で、岸辺の岩へ――ゴーすけへ、めいっぱいのスピードで突っ込んでいく。

「ピカすけぇ――――!?」

『とーりゃああああぁぁぁっ』

『ほえええぇぇぇ!?』

上げに上げたスピードのまま、ゴーすけにアイアンテールをかます。

吹っ飛ばされたゴーすけは無力に海へと墜落していった。特性はふゆうなのに――どうも、とっさの出来事には使えないらしい。

『ふっ、油断は禁物よ。ゴーすけ』

「なにをしてるのお前は!」

ゴーすけを吹っ飛ばし、華麗に岩へと着地したピカすけがかっこつける。このいたずら娘にも困ったものだ。

落ちたゴーすけはというと、ヤドすけがサイコパワーで助けてくれていた。

「まったく、楽しそうにしていると思ったら…………」

『楽しいわよ!』

「あのねー」

そこでふっと、あの揺れるしっぽを思い出す。

そういえば、ピカすけのしっぽが揺れた後、大抵なにかいたずらをされている気がする。

「……しっぽ揺らしてるとき、なにかたくらんでる?」

『ほほほ、企んでるなんて人聞きの悪い』

「まったく、しょうもないやつだなぁ!」

小さな癖にも、意味がある。

こうやってちゃんと見ようとしないと、気付こうとしないと気付けないくらい、今までなにも知らなかった。

この調子で、一体一体を見ていかないといけない。

『もー、ひどいよピカすけ…………』

『だって、もたもたしてるのが面白かったんだもーん』

『もたもたしてないー、体が重いーっ』

「昨日進化したばっかりだもんね」

ゴーストの体重は○.一キロなのに対し、ゲンガーになると急に四○.五キロに大きく増える。それだけでも、ゴーすけには戸惑いの原因なのだろう。

「今日いっぱい動いて慣れたらいいよ」

『そうよ、このお姉様が教えてあげるわ! 足音を立てない走り方までばっちりとね!』

『僕そもそも足音ないよ……』

「そういえば、あれすごかったね。いつの間に身につけたの?」

初めて会った頃。サツキのピカチュウに昼ご飯を食べられて追いかけていたところで、間違えて捕まえたのがピカすけだ。

そもそも見つけた理由が、ピカすけが走る音を追っていったせいなのだが、それを思うと成長したんだろう。

『いたずらするのに見つかったらいけないでしょう? 苦労したんだから!』

「そういう苦労はバトルでしようよ……」

一体いつ練習をしたんだろうと思い返すと、やたらと走り込んでいた頃があった。あれはそういうことだったのかと、今更に気付く。

その技を次のバトルに組み込んだら面白いかもしれない。

「さて、他も見に行こうかな……」

『オーカ、助けて~……』

立ち上がったオーカの耳に届く小さなうめき声。

その方向を見ると、フシギバナのフシすけが、なにやら柄の悪そうなリザードンに絡まれていた。

『んだよ、バトルにくらい付き合えんだろ』

『今日はお休みなんでしょ~……』

『俺様の言うことに逆らうとは、お前もいい身分になったもんだな』

今にも火を吹きそうなリザードン。フシすけは迷惑そうにしながら、それでも首を縦には振ろうとしない。

慌てて二匹の間に入ってみても、小さなオーカでは抑止力にもなりがたかった。

『ただでさえバトルの回数が少なくてこっちはイライラしてるんだ、ちょっとくらい付き合え!』

『やだよ~……』

「ま、待ってよリザードン、そうやって乱暴は……あれ?」

そこまで近づいて、オーカはそのリザードンに見覚えがあることに気付く。

目つきが悪くて、乱暴で俺様。そして誰よりもバトルが好きな。

「君……研究所にいたヒトカゲ?」

『あぁん? チビかよ。邪魔すんな』

まさしく、研究所にいたヒトカゲだった。

実力のあるトレーナーの言うことしか聞かず、オーカも何度か拒絶されていたのに、一体どうしてここにいるのだろうか、進化までして。

「なんで君がここに……トレーナーを見つけたの? ここにいるの?」

『なに言ってんだ。トレーナーじゃねえ、俺が主だ。下僕ならあっちで涼んでるぜ、ひ弱な奴だ』

「えっ、メルさん!?」

リザードンが指さした向こうにいるのは、あの臙脂色の髪の美少女のみ。

言われた本人は、こちらを見てもいない。

「まさか、お父さんメルさんと知り合いだったなんて……」

『で、バトルすんのかしないのか』

『しないよぉ~……』

強引なリザードンと大人しいフシすけ。

この二匹は、研究所にいた頃からこんな感じだった。やんちゃなヒトカゲのわがままにフシギダネが振り回されていて、オーカはよくハラハラしながら、時折仲介したりしていたのだ。

『……そういや、今日はあのよくわかんないの使わないんだな』

「え?」

『あれ、やられると戦う気が失せて嫌だったんだよな』

『血の気が多すぎるからその方がちょうどいいでしょ』

『んだと、表出ろ』

『もう表だよ……』

昔、もっと小さい頃は、今以上に感情と一緒に能力が噴出してしまっていた。そのことかもしれない。

オーカの能力は、不思議といきり立つポケモンを宥めてしまうのだ。これは母にはできず、オーカ独特の効果だった。リザードンが言うのなら、少しはコントロールができるようになっているのかもしれない。

それに、そんなに必死に仲裁しなくてもいいような気もするのだ。

「なんだか、ふたりとも仲よさそうだから。喧嘩してるわけじゃないんだよね」

フシすけは大人しいから、どうしてもリザードンの勢いに圧されてしまうが別に彼は反論しないわけでもない。

昔は喧嘩をしているようにしか見えなかったのに、本当はそうでもないのかもしれないと、思えるのだ。

『やめてよオーカ、僕こんなのと仲良くなりたくない』

『仲がいいわけないだろ、こいつは俺様の下僕なんだから』

『下僕なんてもっとやだ。君ほんと変わらないよね』

『お前もその生意気なところ変わってねーな、むしろ強くなりやがったかこの野郎。バトルで決着つけるぞ!』

「ああもう、好きにしてて。僕知らないから!」

『ああっ、オーカ助けてってば~』

大人しくて面倒見のいいフシすけが、遠慮なく好きなように言えるのが、あのリザードンなのかもしれない。

リザードンも、バトルがしたいだけなら別にフシすけでなくてもいいはずなのだ。すぐそこには彼好みの実力者であるカケルとカイリューもいる。それなのに、フシすけに絡むのは久しぶりに会った友人にちょっかいをかけたいだけなんだろう。

その二匹の動作に、本気で嫌そうな、本気で無理矢理やらせるようなものがないからだ。

案外いい友人だったりするのかもしれない。

一歩引いて、見ようとするだけでこんなにも違うものに気付ける。

どれだけ、今まで表面しか見れていなかったのかがわかる。

「……やっぱり、能力なんていらないんだなぁ」

『そんなことないと思うよ』

「ビーすけ……」

フシすけとリザードンから離れて、呟いた言葉をスピアーのビーすけが拾う。

『僕は、優しい力だと思うよ。こうやってお話できるのもすごく楽しいし、オーカの近くはあったかくて落ち着くんだ』

「でも、能力のせいで僕はみんなのことをちゃんと知れてなくって……」

『オーカ、そういうのが、極端なんじゃないかな』

いつも甘えん坊なビーすけが、おずおずと反論してくる。

こうやって、能力について彼が語るのは初めてだ。

『カケルさんだって、メルさんだって、全部知れてるわけないと思うよ。能力のせいとかじゃなくって、もっともっと知れる部分があるだけだっただけだよ』

「でも……」

『その通り』

「!?」

突然背後から陰がかかったと思うと、見知らぬ声がかかる。

振り向けば、ヤドキングだった。だがこれはヤドすけではない。一体だけ見かけていた野生のヤドキングか。

『生物とは分かり合いきることのないもの。仕草だけで、言葉だけで、相手を知り切ろうなどとは傲慢なものである。それはお主の悩みにも言える』

「う、うえぇ……?」

『であるからこそ、能力のみのせいにするのはお主の怠慢であるとも言えよう。全ての問題はお主に起因するのだ』

小難しく言うヤドキングの言葉が、半分くらい入ってこない。

ノーベル賞を受賞する科学者並の頭脳を持つヤドキングは、まったく独特な雰囲気でオーカに対し対峙してみせる。

全ての問題はオーカ自身に起因する、それだけはわかるのだが。

『極端から極端へと行くのはまったく解決にならない。そう考えることはあのお方の希望にもそぐわないものだ』

「あ、あのお方……?」

『お主と共に来た我が同族である』

言われて、海で泳ぐヤドすけを見る。

なにを考えているのかわからない顔で、けれど時々、ピカすけにいたずらされそうになるのからゴーすけを助けたりして。

『あのお方が何故話さないのか、考えたことがあるか』

「……僕に、思考を読まれたくないから……」

『その答えは零点である。読まれたくないのならそもそも共に来ぬであろう』

ヤドすけと意志の疎通ができない理由を、何度か考えたことがある。

初めはヤドンそのものに意志の疎通が図れないのだと思った。しかしイワヤマトンネルでも、この島でも、ヤドンたちの声は聞こえている。今この瞬間、ヤドキングとも話している。

それならば、ヤドすけ自体が疎通を拒絶しているという理由にしかたどり着けない。時折あるのだ、こちらを警戒しているポケモンだったりすると。

だがヤドキングはそうではないと言う。

「僕を、試している……」

『お主は希有な方に見初められたな。その期待に添えるよう、私は進言しよう。能力はお主自身である。自分は大事にするといい』

そう言い放ち、ヤドキングはヤドランに呼ばれて行ってしまった。

――極端は解決にならない。

――能力は自分自身と共にあるもの。

僕は、どんな風に力に向き合えばいいんだろう。

捨てるのではなく、頼るのではなく。

ありたい姿は、どんなものか。

「おーい、昼にしないかー?」

「あ、はーい!」

考え込んでいると、遠くからカケルに呼ばれる。

ポケモンたちを一体一体呼び戻して、オーカは洞窟へと走った。

+++

力をコントロールすることだけに集中してきた。

オーカにとって能力とは劇薬で、いつも悪い方向にしか作用してくれない、そんなものだった。

だが、ここで考えを改めてみる。

劇薬ならば、向き合い方によってはオーカの思う通りの作用をするかもしれない。

「あの、……トキワの能力でやりたいことって、なんですか?」

そのために、どんな方法で、どんな状況で使うべきかを、考えてみる。

否定的に見ない場合、どんな時に使うのか。

「カケルさんは、どんな時に能力を使うんですか?」

「俺は、大抵ポケモンが急いでなにかを伝えようとしてる時……くらいだな。あとは治療の暇を惜しみたい時くらいか」

「あまり使わないんですね?」

「日常的に使うほど、俺には身近じゃないからな」

一人で三個も四個もおにぎりを食べながら、カケルは語ってくれる。

「でも親父はよく使ってるのを見るぞ。会話したりとか、治したりとか……ほとんどポケモンセンターなんて使わないんじゃないか。バトルにも利用してるし」

「バトルに能力を!?」

「公式戦じゃやってないがな」

曰く、チャンピオンとして前線で戦うことが多いため、自身の能力もフルで使ってポケモンたちの強化をしていく必要がある、らしい。

何度か世界的危機にも立ち会ったと言っているらしいが、カケル自身は懐疑的なようだ。

「伝説のポケモンと戦っただの、隕石の破壊に尽力しただの、どこまで本気かわかったもんじゃない。図鑑所有者物語でもあるまいし」

「へぇ、あれそういう内容なんですか?」

「読んだことないのか。書いたの、オーキド博士だろう?」

「はい、ひいおじいちゃんだそうです。でもお父さんもお母さんも読んじゃだめって。だから噂程度でしか知りません」

よくわからないが、父も母も図鑑所有者物語をオーカの目には触れさせたがらなかった。家になければ、研究所にもない。

血縁が書いたと言うのに不思議なものだなぁと思いながら、オーカもさほど興味を示してこなかったのもあって、今日までその内容に触れたことがない。

「まぁだから、なんでも能力に頼ってはないが、使えるものは使っているって感じだろうな」

「使えるものは使う……」

現在、オーカは無自覚に、無尽蔵に能力を使っている状態だ。これはなんとかしなければならない。

だが、自由に使えるようになったとき、むきになって何にも使わないでいる必要までは、ないのかもしれない。

極端から極端でなく。

能力も自分であると認めて。

難しいと思いながら、考えているうちに眠くなってくる。

いつも通りの昼寝の時間だ。朝から遊んだせいで、いつもより早く眠気が来た。

「ふあ~ぁ……」

「ん、昼寝か?」

「そーします……」

カケルは外でトレーニングをすると出ていき、メルもその後についていった。それを見送りながら、鞄を引っ張ってきて、さあ寝よう、と思ったところで黄金の毛並みのウインディが、オーカの枕になるように座り込む。

ウインディのディすけは、よく外で寝ようとするとこうしてきた。

「暑いよディすけ……」

『寝るんだろ?』

「寝るけど……」

もふもふとした毛に埋もれるのは気持ちがいいが、この暑い季節にやられるとなかなかに苦しいものがある。

それでも、眠気に逆らえないままオーカは夢へと落ちていった。

+++

「あれ、みんなどうしたの?」

目の前に、手持ちたちが勢ぞろいしている。

だがその違和感にすぐに気付いた。誰も話そうとしないのだ。

否、話してはいるのかもしれない、鳴き声は聞こえる。けれどいつものように、口々に色々なことを話し出すあのやかましさではなかった。

「うーん? なんて言ってるのかわからないよ……」

ビービー、ピカピカ、ギャーギャーとオーカの周りを取り囲む全員を一度なんとか落ち着かせて、おはようと言ってみる。一斉におはようと言うような鳴き声が返ってきて、少し安心した。

「それで、どうしたの?」

すかさずビーすけが代表するように前に出てきて、身振り手振りで一生懸命伝えようとしてくる。

ビービー言いながら、腕の槍をあげたりさげたりするものだから、うっかりオーカに当たりそうになっては、大丈夫と聞きたそうにまたオーカの周りを飛び回る。

「う、う~~~~んと……。あっちに、……なにか見つけたの?」

しきりに森の向こう側を指しているのを見て、おずおずと答えてみる。ビーすけは大きく頷いて、他のポケモンたちが一斉にオーカの腕を引き、背中を押し始めた。

「ま、待ってよ。そんなに押されるとこけちゃうよ~っ」

わあわあと言いながら、連れられるままに歩いていくと、やがて綺麗な池が現れる。

これが見せたかったのかな、とオーカが思ったところで、池の中心から何者かが浮かび上がってくる。

まるで金の斧銀の斧の女神のように。だがそれは女神ではなかった。

ピンクの体に、貝の冠を被った、のんきな顔つきの巨体。

「や、ヤドすけ……!?」

「よくぞ来た、オーカ。待っておったぞ」

「え、え、え~~!?」

ヤドすけがしゃべった!

なんかすごく偉そうだ!

おかしい、なんでいつもの逆なんだろう――……。

+++

「…………夢か」

ふっと目を覚ますと、目の前に広がっているのは大きな鍾乳洞の天井。ディすけのもふもふした体に包まれて、ぐっすりと寝たのを自覚する。

他の手持ちとは話せないのに、ヤドすけだけしゃべる夢。少しおかしくて、でも悪くはない夢だった。

ポケモンと話せないことは、そんなに怖いことでもないんだなぁと、思ったのだ。

「……怖い?」

ふとそこまで考えて、はっとする。

――僕は怖かったのか。

力をコントロールしたいと思っていた。それは間違いなく悲願だ。

だがオーカの望むように力を全て押さえ込むと、ポケモンとの会話もできなくなってしまう。

そうしたとき、言葉でわからないということが、オーカには怖くて、無自覚にコントロールを拒んでいたのかもしれない。

――それがないとなにもわからないから切ることができないんでしょう。

メルに言われた通り。わからないから、怖いから、今まで切ることができなかった。

オーカはこの力が嫌いだ。バトルで使えば不正になるし、ポケモンと話せば不審な目で見られるし、なによりこの力のせいでオーカは起きていることさえままならないこともある。

いいことなんて一つもない。

だが、この力を使わない世界というものが想像できなかった。それがきっと、怖かった。

でもさっきの夢は温かいもので、なにを言っているのかわからないことに戸惑いはあったけど、それでもちゃんと理解はできた。

「…………そっか」

ディすけがもぞもぞと起きあがる。

眠っていたのではなく、オーカが起きたことに気付いたらしい。顔をすりすりしてくるから、その頭を撫でて立ち上がる。

「おはようディすけ」

返事をするように、ディすけはがうと鳴く。

それは言葉に聞こえない。でも戸惑いはしない。

「君はどうして、昼寝をするときいつも一緒にいてくれるの?」

寝る前に聞きそびれたことを聞いてみる。一緒に寝ているわけでもないのに、どうしてわざわざ自分から枕になりに来るのか。

昨日寝てしまったときはボールの中にいたし、別にいつも一緒に寝るわけでもないのに。

ディすけは答えるようにがうがうと言う。力を使おうと思えば、多分言葉で知ることができる。けれどオーカはやらない。

トキワの力がせっかく不思議と鳴りを潜めているのだから、使いたくなかった。それは、ビーすけやヤドキングに言われた極端から極端に行くような理由ではなく、使う必要のない場面だからだ。

使わなくてもポケモンの言っていることをわかりたい。それだってオーカの気持ちだ。

「……僕を守ってくれようとしてるんだよね、きっと」

考えて、言ってみる。ディすけは肯定するように頷いて見せる。

ディすけは、従兄のマサミからもらったポケモン。守るように言われてきたと言った通り、きっと従兄がそうするように言い含めているんだろう。

行こっかと呟くと、彼は身を伏せる。その背中に飛び乗ると、ディすけは心地よい速さで軽々と外へと連れ出してくれた。

洞窟を出ると、ポケモンたちの遊ぶ声が聞こえる。言葉ではなく、鳴き声で。

「ディすけ、僕ヤドすけのところに行きたいな」

不思議な感覚だった。

ポケモンが声を返さない。だがそれも心地いいものだと思えるのだ。

やはり海辺で泳いでいたヤドすけは、近づくオーカに気付くとすぐに海を出てくる。まるでご苦労だったと言わんばかりにヤァンと鳴くので、ディすけががるがると唸るのを宥めてヤドすけに向き合う。

「ヤドすけ、言葉がわからなくても、怖くないね」

「ヤァン」

「君はそれを教えようとしてくれたの?」

「ヤァン」

ヤドすけは初めから言葉を発しようとはしなかった。

自分からそうしない限り、オーカの前ではそうならない。

「初めて会ったときから、僕の悩み気付いててくれたの?」

「ヤァン」

「ありがとう、ヤドすけ」

自分からボールに入ってきたときは、なんだこいつと思っていた。ポケモンに好かれて着いてこられることはままあったが、ヤドすけのように自分でボールをひっぱり出して入ってくるようなポケモンはいない。

彼はどうしてオーカを好いて、そして悩みに気付かせるために言葉を発しようとはしなかったのだろう。どうして、偶然しっぽを踏んでしまっただけで、話さないことを決めたのだろう。

だが彼は、よく周りを見ている。海に落ちたゴーすけを助けたりしていて、なにを考えているかはわからないが、少なくともとても優しいことはわかるのだ。

この解釈が正しいかはわからないが、ヤドすけの鳴き声が否定しているようにも思えなかったから、大丈夫だと言い聞かせる。

言葉がわからなくても、大丈夫。

「ビーすけ、おはよう!」

オーカが起きてきたのを見て、幼なじみが飛んでくる。

しぴぴ、と小さく鳴いたあと、少し安心したように笑顔になる。ずっと心配してくれていたから、落ち込みから回復してきたのに喜んでくれている。

「ごめんねビーすけ。でもそろそろ、大丈夫そうだよ」

「ヤァン」

ふとそこで、ヤドすけが鳴く。

今のはなんの声だろうと思いながら、ヤドすけが目をやる海へと視線を向けると、なにやら海が荒れている。

風はなく、空も穏やかだというのに。

不穏さを感じて、海辺で遊んでいたピカすけとゴーすけを呼び戻した瞬間、大きく波しぶきが上がった。

「じゅ……ジュゴン!?」

海から飛び出してきたのは、大量のジュゴン。

それらは一斉にヤドンに襲いかかるが、ヤドンたちは襲われたことにも気付いていない。

「カイリュー、ドラゴンテール!」

「カケルさん!」

「追い払えオーカ、このままだとヤドンが食われる!」

食われる、という言葉にぞっとして、ジュゴンたちを見る。

普段は魚などを食べるジュゴンたちも、時にはポケモンを襲うこともある。それは魚が少ない時だったり、個体が少ないときだったり。

だが、ヤドンを襲うのはその限りではない。

ヤドンのしっぽは甘く、こっそりと売られているほどだ。しかもヤドンは鈍いので襲われても抵抗しないし気付かない。だから、ヤドンを襲うポケモンも、実はたまにいる。

そんな話を、父から聞いたことがあった。

「……っ、ビーすけ、ヤドすけ!」

とっさに、二体の名前を呼ぶ。

信頼しているビーすけと。

ヤドンの王のヤドすけと。

「フラッシュ!」

二匹同時に放たれるフラッシュに、真夏の日差しで当たり一面が白に包まれる。

相手がどこにいるのかもわからなくなる。それでも不思議と、ポケモンたちがどんな状態なのかもわかる気がした。

「ヤドすけ、サイコキネシス!」

フラッシュが消えきらないうちに、ヤドすけに指示をする。サイコキネシスでジュゴンたちを次々浮かせ、海へと放り投げていく。

傷つけたいわけではない。ただ、無闇にヤドンを襲わないでほしいだけで。

「おうちへお帰り!」

ぶわ、と瞬間力が解放される。

今までのように無意識に使ったのではなく。自分から、ジュゴンたちの荒れた気を宥めるために。

使うときは使う。

今は、使うべき時。

あちこちで起こっていた戦闘音が、どんどん止んでいく。カケルに攻撃しようとしていたジュゴンたちが、次々に海へと帰っていく。

ある一体の言葉に耳を傾けてみると、食糧難が理由で襲ってきていたわけでもなさそうだった。ならば、これでいいだろう。

「…………」

解放をやめて、すっと息をつく。

今まで力を使ってしまったときは酷い後悔があった。

だが今はない。

能力を肯定できそうなのだ。

こうやって、ポケモンたちが争いを始めたとき、オーカは力で安全に止めることができる。これができるのは能力があるから。

使うべきときは、使っていい。

自分の心境の変化に自分でも驚いていた。

多分、能力を使わない状態が、怖くはなかったからだ。

能力がなくても、強く心が繋がっていることを実感できているからだ。

「ふたりとも、おつかれさま」

能力を使っていないことを、証明はできない。

だがオーカの心は、今とても暖かで穏やかで、今までにない充足感があった。

以前のように、力を抑え込んでバトルをするのが苦しいということもない。島の頂上へ上った時のような、不思議な欠落感もない。

充足感があって、心がつながっている感覚がある。それでもポケモンの声は聞こえず、だからといって繋がりが途絶えたわけでもない。

これが一番自然体だと思えたのだ。

だから、使っていないという自信が持てた。

「オーカ、大丈夫か」

「あ、カケルさん」

「なんか一斉に帰っていったが、なんだったんだ?」

「僕が帰るようにさせたんですよ」

オーカはポケモンたちの心を宥めることができる。

普通のトキワの力とは違う、オーカの特徴。

「どうもヤドンのしっぽ目当てだったみたいなので、大人しくなってくれてよかったです」

「……コントロールできなかったんじゃないのか?」

「なんか、今ならできる気がして」

この感覚を伝えることは難しい。だが“使えなかった”能力者のカケルには、わかってもらえたようで、そうかの一言と一緒に頭を撫でてもらえた。

「そういや、帽子飛ばされてたぞ」

「わあーっ! み、見ないでください、忘れてください!」

カケルが何気なく掲げた麦わら帽子を奪い取り、そそくさとヤドすけの後ろに隠れる。

せっかくいい気分だったのに、一瞬で羞恥心にかき消されてしまった。

強いくせ毛で、どうしても頭頂部の髪が跳ね回るのが恥ずかしくて、家族の前でも髪を隠せるように過ごしているのだ。

こんなところで人に見られるだなんて、油断した。トキワの力に意識を割きすぎて帽子が飛んでたなんて気付かなかった。

「どうしたんだ?」

「なんでもないですーっ」

「そうか? 帽子ないのもいいと思うぞ」

「~~~~っ」

あっさりと言うカケルにオーカはなんて返していいのかもわからない。じたばたするばかりで言葉も出せず、ヤドすけの後ろでおたおたしていると、メルが近付いてくるのが見えた。

「カケルさん、そろそろご飯買いに行かないと」

「ん? もうそんな時間か」

するり、カケルの腕を取りメルが言う。

まだ二時頃のはずだが、セキチクとは往復三時間かかるから、このくらいに出るのがちょうどいいのか。

「オーカは留守番していてくれる? 荷物見てて」

「あ、はい!」

カケルがメルに促されるままにセキチクへ向かおうとするのを見て、オーカは少しだけ違和感を覚える。

見ようとすることを覚える前なら気付かなかったかもしれない。

メルはあんなに、カケルに近づく人だっただろうか。

「う――――ん……?」

――――……もしかして?

なんて浮かんだ一つの可能性を思いながら、今はひとまず、能力コントロールができるようになったお祝いでもポケモンたちとしていることにした。