クチバシティ その2

 ジムを飛び出していったオーカは、結局見つけることができなかった。

 傷つける覚悟で、あんなことを言ったことにサツキはまだ苦しさを抱えていたが、あれ以上言うこともなかったので探そうとはしなかった。

もし、あの続きを話す日が来るとしたら、それはお互いに足枷を外してからだろうと思うのだ。

 完成してからでないと戦えない、そう言ったオーカは多分、自分のことに気付いている。目を逸らしていたサツキと違って。

だからサツキは、あれ以上は言わない。ここで同じ立ち位置に立ったのだから、あとは悪い癖を直すだけ。

 そのためにはまず――クチバジムを攻略しなければ。

「いい、ピーちゃんをマチスさんのポケモンとして戦うからね。ミーちゃん、メーちゃん、オーちゃん、電気の動きを読むことからはじめるよ!」

 海辺の草むらに場所を構えて、サツキたちはジム戦に向けて特訓を開始する。

唯一の電気タイプであるピーちゃんを仮想敵として、三匹の相手をさせる。十万ボルトを縦横無尽に撃たせて、避ける特訓から。

 サツキの手には、父からもらった絶縁グローブがはめられている。これをどう使うかは、まだ考えている途中だ。

父がヒントとしてこのグローブをくれたからには、なにか突破口があるはずだ。そう思っても、グローブの使い道はなかなか思いつかない。

 ポケモンバトルには、トレーナーはあまり介入する余地がない。トレーナーはあくまで指示をする者で、実際に戦うのはポケモンたちだ。

ポケモンの技を人が受けるのは危険すぎる。時々、後遺症を持っている人は見るし、それで病院に行く人だっている。

バトルは、危険なのだ。それを理解して、トレーナーは自分の身を守りながら指示しなければならない。

 だからこそ、グローブの使い道がわからない。

「一体、どうしたら……」

 休憩を挟みつつ、仮想敵ピーちゃんと他のポケモンたちのバトルを見ながら、明日のバトルの構成を練るも形が思いつかない。

 サツキがポケモンたちの力になるには、どうしたら。

「だっ、誰か助けてくれーッ!!」

「!?」

 人気のないはずの場所に響く悲鳴。

 ぎょっと肩を跳ねらせて、サツキたちは一斉に特訓の手を止める。

老人の声だった。振り返った先には、大きなドククラゲたちが群れをなしている。

普段、陸地にあがることは少ない彼らなのに。

 怯えるより先に体が動いた。

「行くよ、みんな!」

先頭切って走り出せば、みんなもついてきてくれる。

 ドククラゲは全部で五匹。怪しく光るゼラチン状の赤い半球が不気味だ。

その触手には痛い目を見たことがないわけでないから、少し苦手なポケモンでもある。だがそうは言っていられない。

「オーちゃん、ドリルくちばしでつっこめ!」

こちらに気を引こうと、特攻隊長のオーちゃんが群れに亀裂を入れる。惜しくも全員に避けられたが、気を引ければそれでいい。

「おいで、こっちだよ! ミーちゃん、メーちゃん。こうそくスピン!」

ドククラゲたちがこうそくスピンで散り散りになっていく。五匹のドククラゲに、それぞれが当たるような配置になって、もう老人に目は行っていなさそうだ。

 逃げて、とアイコンタクトを送っても、腰が抜けてしまった老人は手持ちを抱いたまま立てそうになかったが。

「ピーちゃん、でんじは! ミーちゃん、あやしいひかり!」

一対一の構図を作ってしまえば、あとは簡単だった。

戦闘に慣れたミーちゃん、バトルが大好きなオーちゃんは指示が行き届かなくても問題ない。ピーちゃんも最近ではバトルで腰が引けなくなったし、元々好奇心旺盛なメーちゃんは楽しそうに戦っている。

 これなら、あと少しで全部倒しきれるはず――――と、思ったところで、ふっと気がつく。

 全部で、五匹いたはず。

 あと一匹は?

「……!」

 慌てて振り返った頃には体が宙に浮いていた。

悲鳴をあげる暇もなく、地面に叩きつけられる。失念した。手持ちは四匹しかいないんだから、五匹のドククラゲには足りないはずなのに。

 せっかくばらけさせたドククラゲたちが、再び一列に並んでしまう。

「みんな伏せてッ!」

 バブルこうせんの一斉攻撃がサツキたちに襲いかかる。

バトルで見ると、あまりダメージがなさそうなこの技だが、当たるとかなり痛い。ゆっくりに見えて素早く当たって弾けるのだ。泡が妙に硬質で、小さな火傷を負うような痛みがある。

しかも動きが不規則で、避けにくい。

 背中をちりちりとかする泡の光線が途切れたところで、ピーちゃんにでんじはを張らせる。

今度こそ、お互いがまとまれないように。一匹一匹を電磁波の壁で囲ってしまって、身動きを取れなくする。

 でんじははダメージがあるわけではないから、無理に突破されるかもしれないが。動きを止めるにはちょうどいい。

「みんな、ここは頼んだよ! ……おじいさん、立てますか!?」

 ひとまず安全な距離を確保したところで、ようやく襲われていた老人を起こさせる。

老人にも、その手持ちらしいピィにも怪我は見当たらない。

だが腰が抜けてしまったらしい、その人の腕を肩に回して、バトルの影響がなさそうなところまで移動させなければならない。

「ああ、ありがとう……」

「おじいさん、なんでこんなことに?」

「わ、わからない。わしは海沿いを散歩していただけで……なにかあるのかも……」

 ポケモンを刺激していないなら、あの近くになにか大切なものがあるのだろうか。

サツキは思い出す。サツキも近くにいるのに、どうしてドククラゲたちはサツキを襲わなかったのか。

 振り返って、気付く。

 訓練中、なにか鳴き声が聞こえなかったか。

「もしかしたら……。ありがとう、おじいさん。ここまで来れば大丈夫だと思うんで、ちょっと待っててください」

適当な木陰に老人を置いて、サツキはまたドククラゲたちの元へと走る。

 まだバトルの決着はついていないようだ。だがサツキたちが優勢なのは変わっていない。ドククラゲたちにも疲労の色が見えてきているし、勝負の決着が着く前に間に合えばいいのだが。

「いた! やっぱり……!」

 海の方を覗きこむと、岩にポケモンが挟まっているのが見えた。

メノクラゲだ。ドククラゲたちの子供だろう。だから人を寄せたくなかったのだ。

「待ってて、今助けに――――……」

 どんっ!

「……――――!?」

 飛び込もうとした、その時。

背中に大きな衝撃が走って、体が遠くに放り投げられる。

メノクラゲよりも、遠くに。

 ドククラゲに突き飛ばされたのだと気付くのに、少し時間がかかった。

+++

 衝撃。

 大好きな水の冷ややかさが、サツキを苦しめてくる。

 なんとか体勢を立て直そうとしてみたが、思いの外潮の流れが速い。崩れたままの姿勢を直す余裕もない。

頭から突っ込んだせいか、思考回路もうまく動いてくれない。

 口から次々と空気が漏れていってしまう。息を吸う暇もなかったのに、少ない空気さえも出ていってしまうと、もう。

 体が沈んでいくのがわかる。

 苦しい。怖い。

 大好きな海が、サツキに猛威を奮う。

 助けて、だれか。

 だれか。

 ミーちゃん――――…………。

+++

「――――ッ!」

 がばっ、とサツキは飛び起きた。

 息ができる。

「ここは?」

 下は砂地。遠くに海草が踊っているのが見える。

上を見上げると、海に光が差している。

 ここは、海の中だろうか。そうとしか思えない光景と、息ができるという違和感にサツキはぽかんと口を開けてしまう。

「クチバの海にこんなところが……。……っ!? 君は!?」

 ふらふらと立ち上がると、すぐそばにスターミーがいることに今更気付く。

ぎょっとして距離を置いた後、そのコアの光に見覚えを感じた。

 意識を失う直前、赤い光を見たような気がしたが――。

「……ミーちゃんなの?」

そうだよ、と言うようにスターミーのコアが明滅する。このリズムと光り具合、ヒトデマン時代と変わらない。ミーちゃんだ。

「進化したんだ……! でも、なんで……」

ヒトデマンは水の石がないと進化できないはずなのに。

 その不思議さに首を捻っていると、ミーちゃんが早く上に戻ろうと急かしてくる。

『まだバトルは終わってないよ』と。

「そうだ……あたし、メノクラゲを助けようとして」

 ミーちゃんに言われて、どうしてここに来たのかを思い出す。

岩に挟まれたメノクラゲを助けようとして、ドククラゲに突き飛ばされたのだ。メノクラゲに危害を加えようとしているように見えたのかもしれない。

「行こう、ミーちゃん。戦う必要なんかないんだから、もう終わらせなきゃ」

進化して少し大きくなったミーちゃんの肩に乗り、天井の海のドームを突き破る。重い圧力と速い潮に耐えきって、地上に出るとまだバトルは拮抗状態だった。

 突然に現れたサツキたちに、全員がこちらを振り向く。今だ、とサツキは高らかに叫んだ。

「ミーちゃん、あやしいひかり!」

 カッ!!

 と、ミーちゃんのコアが光る。敵も味方も関係なく、その目にひかりを吸い込んで、バトルができる状態でなくなってしまった。

 相手が誰だかわからないまま、手当たり次第に攻撃し出すポケモンたちを一旦戻して、サツキとミーちゃんはようやく岩場に向かう。

「ごめんね、遅くなって。大丈夫? 苦しかったね」

 触手が岩に挟まり動けなくなっていたメノクラゲを、そっと放してあげる。挟まっていた部分は少し痕になっていて痛々しかったが、大きな損傷はないようだ。

泳ぎにも特に影響がないのを確認してから、メノクラゲを抱き上げる。

 もう混乱も解ける頃だろう。今度こそ全てを終わらせようと、再びサツキは崖の上へと飛び上がる。

 瞬間、ギョロッと一斉にドククラゲたちがこちらを見た。

 その視線に体を強ばらせながら、それでも引かないようにサツキは叫ぶ。

「君たちが守ろうとしていたのはこの子でしょう! 返してほしかったら攻撃をやめて!!」

まだ臨戦態勢を取ろうとするのに、繰り返し叫ぶ。

「攻撃をやめなさい!!」

 一匹、一匹と触手を下げたところで、ミーちゃんがゆるやかに岸へと降り立つ。

サツキたちを厳かに見つめるドククラゲたちの中心に、そっとメノクラゲを降ろしてあげると、ようやく張りつめていた空気が和らいだ。

「さあ、帰って」

 もうこんなことはしないでね、と言うサツキにお辞儀をするように頭を垂れて、ドククラゲたちはゆっくりと海に帰っていく。

 最後の一匹が去ってから、サツキは大きく息をつくとミーちゃんにもたれ掛かった。

「あー、疲れたあ」

「……君、大丈夫かい?」

へたりこむサツキに、遠くからあの老人が恐々と顔を出す。

もうとっくに逃げてしまっていると思っていたのに、最後まで見ていてくれていたらしい。怪我はないかと聞く老人に、大丈夫と微笑む。

「ミーちゃんが助けてくれたので。おじいさんも大丈夫ですか」

「わしは大丈夫だ、ありがとう。……そのままでは風邪を引いてしまうし、お腹も空いてるだろう。よかったら、一緒に来てはくれないか?」

 慇懃に申し出る老人に、サツキは手持ちの様子を見る。

みんな疲れに寝っころがって、元気なのはオーちゃんだけのようだ。お腹も空いた。

 ――知らない人にはついてっちゃだめって言われてるんだけど。

 ――まあいっか。

「いいんですか? じゃあ、行こうかな」

+++

 老人に食事をごちそうしてもらった後、連れられたそこは、小さな施設のようだった。

“ポケモンだいすきクラブ”とピカチュウがメインのロゴマークがある、簡素だがかわいらしい外観をしている。

 老人に連れられて中へ入っていくと、あちこちにポケモングッズが散りばめられたファンシーな空間が広がっている。

外観の通り、あまり大きくはない施設の中では利用者とそのポケモンたちが好きに集まって談笑していた。

「ここは……」

「ここは、ポケモンだいすきクラブ。ポケモンが大好きな人が集まってポケモンをかわいがるクラブだ」

「へぇ……」

 一番奥、簡素な施設の中で唯一少しだけグレードの高いソファに、サツキは座ることを促される。

 老人はその向かいにゆっくりと座って、改めて、と話を続ける。

「先ほどは助けてくれて、どうもありがとう。おかげで大きな怪我もなく済んだ。改めまして、わしはポケモンだいすきクラブ二代目会長です」

「いえ……ご無事でなによりです」

「ここへ連れてきたのは、君に渡したいものがあってね」

 老人が、お礼と言うにはささやかすぎるものだが、と棚からなにかを取り出した。

小さくクラシカルな箱を、そっと机に置く。

「君とヒトデマン……今はスターミーか。君たちの絆にはとても感動したんだ。君が海に突き落とされたとき、誰が反応するより早く追って飛び込んだヒトデマンは本当に君を好きなんだろうと」

「ミーちゃんが……。ミーちゃんは、小さなころからの友達で、あたしが困ってるときは一番早くに助けてくれるんです、いつも。頼りすぎちゃうときもあるけど……」

「ははは。そこで、ポケモンだいすきクラブの会長として、君たちの絆を讃えたい」

 箱を開けてみなさい、と促される。

 言われるままに開けてみると、そこにはかわいらしいリボンが入っていた。

中央にはハートのエナメルがついていて、ピンクのリボンをなお愛らしくしている。

「かわいい……これは?」

「なかよしリボン、という。ポケモンだいすきクラブの会員の中でも、特にポケモンと仲のいい者にだけ与えているものだ。これをどうしても君に受け取ってほしかった」

「え……っ、いいんですか? あたし会員じゃないのに」

「会長のわしが言うんだから、誰が反対するものか」

 老人はにっと笑って、もう一度、受け取ってほしいと言う。

 サツキとミーちゃんは、特別な友達だ。それは誰にも否定できない、強い絆があるものだと信じていた。だがこうやって第三者から認められると、どうにも気恥ずかしさが混じる。

ちょっとだけそっけなく、心を込めてありがとうと老人に言った。クラシカルなケース入りのなかよしリボンを、なくさないようにリュックに入れる。

「大切にします。……あの、少し質問があるんですけど」

「うん?」

「ミーちゃん……あたしのヒトデマンが、海の中で目覚めたときにはスターミーになっていたんです。水の石がないと進化しないはずなのに……ずっと不思議で」

クチバの人なら、もしかして知っているかもしれない、とサツキはヒトデマンの謎の進化について聞いてみる。

 海の中の、空気に包まれたドーム。

 ミーちゃんの進化。

 あの不思議な空間をあまり堪能できなかったのがいまさらになって悔やまれる。もう一度海に潜っても、どうも行けそうにないことだけはなんとなく感づいていた。

 老人は長く考えたあと、心あたりを思い出したのかぱっと顔を上げた。

「ああ……それは、クチバに伝わる言い伝えの場所だ」

「クチバの言い伝え?」

「そう。ここの海の底には、使ってもなくならない進化の石が眠っているらしい。わしも先代会長から聞いたことがある」

 あくまで言い伝え。

とは言うものの、実は二人だけ、二人の少年だけは行ったことがあるそうだ。

「でもスターミーに進化したのなら、そのあと誰かが戻したのかもしれないね」

「そうですか……。でも進化のタイミング、悩んでたからこれでよかったな」

 ボールの中のミーちゃんと笑い合う。

ミーちゃんも予期せぬ進化に戸惑いは見せていたが、やはり進化できたことは嬉しいらしい。ピカピカとコアを歓喜に染める。

「ところで、君はずいぶん強かったけど、ポケモンリーグでも目指しているのかい?」

「あ、はい。今、そのためにバッジ集めの旅してて……。なんですけど、ちょっと、色々悩んでて」

「ほう?」

「や、あの……たいしたことじゃないんですけど。クチバジムの対策が上手く浮かばなくって」

 話を振られて、今更そのことを思い出す。

そもそも、電気タイプ対策を練るために特訓をしていたはずなのにごたごたですっかり忘れてしまっていた。

「パパから絶縁グローブって言うのもらったんですけど、使い方も思いつかないし、技でカバーするにもやっぱり相性悪くて難しいし……なんかもう、あたしが自分で守っちゃおうかなーとかしか考えられなくって……」

「うーん、そうだねえ」

老人は親切に、一緒に悩んでくれる。

 バトルはしないからよくわからんが、と前置きして老人が口を開く。

「君がそうしたいなら、それでいいんじゃないかな」

「え?」

「ポケモンの技を受けるのは、ものすごく危険なことだ。だけど、大切なポケモンを守るために、体を張るのもトレーナーとしてはありだと思う。トレーナーが守ったらいけないなんてルールもないわけだし。わしはポケモンだいすきクラブの人間だ、自分のポケモンを守るためならそれくらい安いことだと思うね」

 まあバトルはしないから、口だけになってしまうけどね。そう老人は笑う。

 だが老人は、あのドククラゲたちからピィを大切そうに守っていた。

 ――トレーナーが守ったらいけないルールはない。

「君のような勇敢なトレーナーなら、そんなことも戦略になりえるんだろうね」

 今まで、そんな危ないことはできないと思っていた。

したらいけないと思っていた。サツキは、老人の言葉にはっと気付かされる。

そうだ、守ったらいけないというルールはない。

 ――型にはまらなければきっとなにか見えるよ。

 父の言葉を思い出す。

 そうだ、決められていないならやってもいいのだ。その度胸があるのなら。覚悟さえあるのなら。

サツキはグローブを握りしめて、考えて、決意する。

 それしか思いつかないなら、きっとそれが最善なのだ。

「ありがとうおじいさん。なんか見えた気がする!」

「もう行くのかい?」

「ご飯ありがとうございました。時間ないから、もっと練習しなきゃ!」

「そうか。がんばってね」

ガタッ、と不躾に立ち上がるサツキに悪い顔をせず見送ってくれる老人に大きく手を振って施設を出る。

 時間はない。あと数時間でどれだけ完成させられるか。

サツキはもう一度シミュレーションを組み直して、あの岸辺へと急いだ。

+++

 何時間と練習をしつづけた、次の日。

サツキは再びクチバジムの前に立つ。

昨日とは違う、挑戦者として立つクチバジムは異様な圧迫感がある。これまでのジムリーダーはよく知っている人であったり、母であったりしたが今度は違う。全く見知らぬ、正しくジムリーダーとしてそびえ立つ相手だからだろうか。

 クチバジム、ジムリーダーのマチスは港町クチバで船の管理もやっている。知っていることは、電気使いのジムリーダーで、外国人であるということだけだ。

サツキは両親の関係でジムリーダーたちとは縁が深い。どの人も優しく接してくれたいい人ばかりだ。

だが、その中で絶対に会わせてくれない人が二人だけいた。

 それが、マチスと、ヤマブキのジムリーダー、ナツメだ。

 この二人だけは、サツキは知らない。

 だから少し怖かった。

しかし、だからこそサツキは本気のバトルを学べそうな気がするのだ。

知らない強者とのバトル。あの強面の外国人は、いかにもサツキが萎縮しそうな男性だった。

サツキの悪い癖は、なにも本気の相手に対して手加減をしようとしてしまうだけじゃない。怖いことに萎縮しやすい性格も、観衆の声におびえてしまう性格だって直さなければならない。

 ここでサツキは、向かい合わなければならない。

「……行こう」

 大きく息を吐いて、緊張を外に逃がして、ようやくジムの扉を開く。

その先は、昨日見たいっぱいのゴミ箱と、二重になった電撃の扉がある。

+++

 たくさんのゴミ箱の底にあるスイッチを探し出し、ジムトレーナーを退けて、ようやく電撃の扉の向こうに立つ。

 電撃に強い素材の壁に囲われた、土のコート。

「よく来たな。俺が、ジムリーダーのマチスだ」

「マサラタウンのサツキです。よろしくお願いします!」

 迎えるのは、銀髪の白人男性。

結構な年のはずだが、それを感じさせない精力さと筋肉の量。元は軍人だったらしい、初老の男はサングラスを外してその鋭い眼光を見せる。

 こちらが押しつぶされるような存在感。圧迫してくる空気に、サツキは恐怖を隠しきれない。

緊張に暴れる心臓を感じながら、精一杯声を張り上げて応答する。マチスはそれさえも、嘲笑うようなどことなく意地の悪い笑みを見せた。

「待ってたぜ。挑戦者は左側のコートだ。おい審判、早く始めろ」

「これより、ジム戦を開始します。使用ポケモンは三体。先に戦闘不能が一匹出た時点で試合終了です。挑戦者、質問は」

「ありません」

腰から一番手を取り外して、準備する。

 心臓が痛いほどうるさく鳴る。この粗暴な男性が、怖い。

 怖いから、目を逸らさないように、サツキは必死に見つめた。

「両者構えて。試合――開始!」

「いけっ、エレブー!」

「頼むよ、ピーちゃん!」

 電気と電気。

相性はいまひとつ。受けるダメージは少ないが、与えるダメージも少ない。

だがそれでいい。ここでどれだけ相手を疲弊させられるかが鍵だ。

「ピーちゃん、でんこうせっか!」

 黄色の体に黒の模様が入った、うさぎの耳のような触覚の生えたポケモン――エレブーは動かない。

おやと同じように腕を組んで、こちらの出方を待っている。

 攪乱目的だったでんこうせっかも、避けられないのでは意味がない。ピーちゃんはそのまままっすぐにエレブーの腹に飛び込んでいく。

バン! と音が響いても、エレブーは衝撃もなかったように立っている。ふん、と鼻を鳴らした。

 さすがに、ジムリーダーのポケモンだけあって頑丈だ。

「エレブー、でんげきは!」

「……!」

昨日見た、あの電撃の風。

直接受けるとその力強さが身に染みる。

ばちばちと静電気が肌を撫でては弾ける感触が痛い。とても目は開けられず、空気が電気に染まったのを呼吸で感じる。

直接受けたピーちゃんの悲鳴は聞こえない。

 まだ大丈夫、そう思ったときに重い打撃音が耳に届く。

「ピーちゃん!」

「バトルで目を閉じるのは、危険だぜ嬢ちゃん」

 バトルコートの中央に沈んでいるピーちゃん。

エレブーの拳には電撃がまとっている。かみなりパンチを受けたのだ。

「ピーちゃん、まだいける?」

焦りを隠せないサツキに対し、ピーちゃんは落ち着いた声を返す。見た目ほどダメージは負っていない。ピーちゃんもまだ強がるほどでもないらしい。

 焦るな、あたし。

 コートのなにもかもを見通すように、目をかっと開く。

 まだ試合は始まったばかり。

「かげぶんしん!」

「スピードスターだ!」

「でんきショック!」

 息をもつかせぬ技のぶつかり合い。その最中、かげぶんしんの本体はマチスとエレブーの死角に入り込んでいる。

でんきショックの方向から見つかったときには、もうその姿はない。

「ふん……よく考えたな。と、いいたいところだが……あなをほるは、攻撃してくださいと言ってるようなもんだぜ」

「えっ……?」

「エレキボール!」

「ピーちゃん出て!」

言葉の意図を察したときにはもう遅かった。

穴に投げ込まれたエレキボールは、そのまま地中のピーちゃんに直撃する。小さく、か細い悲鳴がサツキの耳に届いた。

 ぞっとするような容赦のなさ。いくら同じ電気タイプと言っても、レベルの差がありすぎて対等になんて戦えない。

 穴から這い出てきたピーちゃんは、疲弊こそあれどまだ動けると訴えてくる。

その意気を買って、サツキはエレブーを引きずり降ろす方向に変える。

「ピーちゃん! なかよくする!」

 指示に、やや苦しげに笑みを作ってピーちゃんがエレブーに抱きつく。顔に貼り付いて、舐めたり甘噛みしたり、頬をすりつけたり、かなり無理をしながら好意を示す。

 エレブーはその戸惑いに動きを止めていた。その目線の先にはピーちゃんの揺れるしっぽ。

 “なかよくする”と“しっぽをふる”で攻撃と防御を一気に下げる。相手の動きも止められて、一石三鳥だ。

レベル差は引きずり降ろせる。これで、どれだけ後続を有利にできるかだ。

「……っ」

 そこで、ふと、エレブーの右腕に目が行った。

 なにか、液体が爪から漏れたような。

「ピーちゃん離れて!」

「どくどくだ!」

振りかぶられた右腕が空を切る。間一髪逃げきったピーちゃんは、再び穴の中に潜り込んで、今度こそあなをほるを決める。

 それでも決定打にはならない。効果ばつぐんの技を持ってしても、エレブーはタフだ。

だが息があがってきた。そろそろ、いいかもしれない。

「ピーちゃん、戻って」

「いい反応だな。あれに気付くやつはあまりいないぜ」

「……ありがとうございます」

 右腕から滴っていた液体。あれは猛毒だ。間一髪気付けたからよかったが、気付けなければこんなに余裕を持って交代はできなかっただろう。

「さぁ……次はなにで来る?」

 出す順番は、決めていた。

 八つのジムの中で、最も不安のある、このジム。

こんなとき、頼ろうと思うのは相性じゃない。パートナーへの、絶対的な安心感。

どうしても頼りすぎてしまうところがあるが、それでも。一番力になってくれて、一番力を引き立ててあげられるのは、後にも先にもこの子だけだ。

 その信頼を、なかよしリボンは証明している。

 ――このジム戦。君に託すよ。

「ミーちゃん!」

 高々と放りあげたボールから、紫の星が現れる。

進化して新しい姿になったミーちゃん。その力を、ここで試したい。

 ジム戦のためにはめてきた絶縁グローブが、抜けていないか再確認する。やれるのはただ一発。少しでも自分が怯めば負ける。

 ぶかぶかの絶縁グローブに、すべての期待を預けて。

「サイコキネシス!」

「ひかりのかべで応戦しろ!」

エレブーを包むひかりのかべに、サイコキネシスが軽減される。

息があがってきたとはいえタフなエレブーだ。この程度では削れもしない。

「パワージェム!」

「かみなりパンチ!」

両者一歩も譲らぬ技の応戦。相手に当たらない技の応戦は、ポケモンたちにも疲弊をさせる。

 どこかで踏み込まなければならない。そのタイミングをサツキは図る。

「スピードスターだ!」

「こっちもスピードスター!」

 早く仕掛けてこい。サツキは祈る。

 一瞬でいい、隙が欲しい。そうすれば、電気に怯えなくてすむのだ。

 技の応戦をしながら、静電気のフィールドにミーちゃんが居づらそうなのを感じる。水タイプのミーちゃんにここは辛いに決まっている。早く、楽にさせてあげたいのに。

「10まんボルト!」

 ――今だ!

「下がって!」

「なに……っ!?」

 時は来た。

 サツキはミーちゃんの前に飛び出して、ぴんと腕を伸ばす。

前から鋭く飛んでくる電撃の矢に怯まないように、大きく足を広げて、右腕を固定して、矢が刺さるのを待っている。

 不思議と、恐怖はなかった。

 心が満たされるものを感じた。サツキはずっと、こんな風にバトルに参加したかったのだ。

「ぐ……っ!」

「よせ! 怪我じゃすまねえぞ!」

 ずどん、と内臓に響く衝撃に耐え、目を開けて、電撃の矢を受け止める。

息ができない。揺さぶられるような苦しさに、サツキはけして逃げようとは思わなかった。

 こんな衝撃に、ポケモンたちは耐えてバトルをしているのだ。

 それなのにトレーナーが、守られていてどうするのだ。

 サツキはずっと、ポケモンたちと一緒に戦ってあげたかった。

「ミーちゃん、パワージェム!」

「エレキボール!」

 10まんボルトが終わった瞬間、次の技が繰り出される。

それはぶつかり合うことなく、お互いに直撃した。

重く、コートに広がる衝撃と、遅れてくる効果音。

 倒れたのは。

「エレブー、戦闘不能! 勝者、マサラタウンのサツキ!」

「……よしっ!」

 ぐっ、と拳を握って、喜びを噛みしめる。

このグローブがなければ、きっと負けていた。あそこで飛び出す勇気がなければ、きっと負けていた。

 サツキは勝ったのだ。

「やったよミーちゃん! 勝てたよー!」

「なんてCrazyなお子さまだ、あそこで飛び出してくるとは! 嬢ちゃん、最後の最後でなにやったんだ? スターミーがエレキボールを直撃したらひとたまりもなかったはずだ」

「“ほごしょく”を使ったの」

 “ほごしょく”は、フィールドによってタイプが変わる技。

クチバジムのコートは土でできている。だからこそ、タイプを地面に変えることさえできれば、ミーちゃんでも十分に戦えたのだ。

その隙を作るのが、サツキの役目だった。10まんボルトから庇われている隙にほごしょくを使ってミーちゃんは地面タイプに変わっていたのだ。

 だから、ミーちゃんはエレキボールに当たっても無傷だった。

「もし、コートが土じゃなかったらどうするつもりだったんだ」

「そのときは“ミラータイプ”を使って電気タイプに変えていました。だから、変えられる隙さえ作れたらあたしはそれでよかったんです」

 当然、電気技が対策できてもエレブーの技は一つ一つが重いものだ。下手をすれば負けていたかもしれなかったが。

「ははははは、いい度胸だ! 自分でポケモンを庇ってまで隙を作るとは! お前の親父だってそんな無茶しねえだろうよ。ほらよ、オレンジバッジだ。くれてやる」

 乱暴に放り投げられたオレンジバッジを、サツキはなんとかキャッチする。

マチスらしくない、太陽を象ったかわいらしいバッジだった。

ジャケットの裏に付けて、その存在感を確かめる。これで、三つ。

「まったく、そのグローブをそんな使い方されるとは思ってなかった」

「え?」

「あの野郎まだそんなもの持ってたんだな」

マチスが懐かしげに、サツキのグローブを見る。

 父はこれを貰いものだと言っていた。まさか、これはマチスのものなのだろうか。

「あの」

「おい、お前は臆病者だな?」

「!」

 聞こうとしたのを遮って、マチスが不意にそんなことを言い始める。

 なにか、気に障ったことをしただろうか。今のバトルで、サツキはなにかに怯えただろうか。

必死にバトルの流れを思い出しても、そんな部分は思い当たらない。

 マチスはにっと笑って続ける。

「あのどくどくに気付くのは、相当に注意深くないと難しい。注意深いっていうのは、臆病ってことだ。臆病だから、注意深くも用心深くもなる。お前は臆病で、いい目を持ってる」

「……」

「いいか、戦場で最も生き残るのは臆病者だ! 臆病なことはいいことだ! お前のそれは、武器になるぞ。よく磨きな」

 ぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜられて混乱する。

 臆病を褒められたのは、初めてだ。

「……臆病でもいいんですか」

「バトルから逃げなければ、臆病なことはなによりも強い」

 がんばりな、とマチスが言う。

 臆病は強み。

 そんなこと、思ったことがなかった。ずっと、直すべき悪い部分だと思っていたのに。

これを生かすことも、できるのだ。

 ――また課題が増えちゃったなあ。

 くすくす、と小さく笑って、マチスに礼をする。

 この臆病さを生かしてどんなバトルができるか。

 それで本気のバトルができるか。

 オーカやカルミンに、胸を張って向き合えるようになるか。

やるべきことは、たくさんある。

だがずいぶんと、どうするべきかが見えてきた。

 ジムは、あと五つ。

長いようで、短い旅路の中で、どれだけ完成させられるか。

 サツキは考えながら、次の旅へと意識を移した。