グレン島 その2

ポケモンセンターでポケモンたちを休ませてから、サツキとカルミンはそれぞれの調整に入る。

グレンジムは炎タイプのジム。水タイプや地面タイプを多く持つ二人にはそんなに驚異的なジムではない。特にジュンジは――サツキの目測が正しければ、おそらくそんなに強くない。

もちろん、バトルで気を抜くつもりはないが。

だからこそ実戦に合わせて、カラとのコンビネーションを重点的に確認する。

カラはサツキがフィールドを駆け回るつもりなのを見ると、何度も何度も後ろに下がらせようとしてきて大変だった。しっかり者で優しいのはわかっているが、トレーナーを守ろうともしてくるのだ。これではバトルが成り立たない。

根気強く、こういう戦法なのだと、足手まといにならない程度に訓練はしていると。バトルの中で実証してようやく飲み込んでもらえたが、それでもカラには不満が残るようだ。

残念なことに、サツキはお姫様のようなトレーナーではないので、そこはカラに我慢してもらうことにする。

「カラ、初めは気になるだろうけど、君の見えてないところを補完するのもあたしの仕事だからさ」

言ってもカラは返事をしないが、不満気な目で睨んでくる。サツキが男だったら殴られていたかもしれない。

別のトレーナーの元にいたポケモンとは、戦いにくい。

練習しても練習しても、カルミンのやり方がカラに染み込んでしまっていて。真正面から突っ込む癖はなんとか修正の兆しを見せたが、サツキのやり方に慣れるのは時間がかかりそうだった。

それは、またカルミンとゴーちゃんの方も同じらしい。

「いってぇ、このやろう! いちいち頭突きしてくんな!」

あちらは、どちらかというとトレーナーとポケモンの信頼関係が問題になっているようだが。

ゴーちゃんは捕まえたばかりで、サツキとはバトルをしていない。だから、カルミンのやり方に慣れるのはそんなに難しい話ではないだろう。

だが、ゴーちゃんがカルミンについていくと決めた後でも気に入らないのは変わらないようで。見る限り、何度も何度もカルミンの指示に反発しては喧嘩になっているようだった。

――大丈夫かな?

「ゴーちゃん、あんまりカルミン攻撃しちゃだめだよ」

「サツキ~、こいつどうにかなんないの~?」

サツキが近付くとうってかわって、きゃううんと甘い声で体をすり付けてくる。まったくどうしてこんなに懐かれているのか、サツキにもわからない。

「君はカルミンと一緒に行くんでしょー、仲良くしないとだめだよー」

「……まったく、カラもゴーちゃんも俺ばっか攻撃しやがって」

「なんでだろうねえ」

甘えるゴーちゃんの頭を撫でながら、サツキは困ったように笑うしかない。彼らなりのカルミンへの甘え方なのかもしれない。

拗ねるカルミンに、カラは呆れたような顔で見ていた。

「そうだ、明日はどっちからバトルしようか?」

「俺から行く! サツキは見ててよ」

「わかった」

ふとジム戦の順番を決めていなかったと話を振ると、迷いなくカルミンが返事をする。

ジムリーダーに会えたことでテンションがどうも高いらしかった。それを察した上で、サツキは少し、不安を覚えていた。

ジュンジのバトルを思い出しては、どうしても不穏な予感がするのだ。

なんだかサツキに似ているような――。

「ねぇ……カルミン」

「なに?」

「ジムリーダーが、……ううん、なんでもない」

「? なんだよ」

上手く説明できなくて、なんでもないと繰り返して口を閉じる。

ただ違和感があったというだけで、こんな話をするのはよくないかもしれない。実際に戦ったらずっと強いかもしれないのだ。

ジュンジは大人だ。サツキよりもずっと。

だから、まさかと。

――まさかと、思うのだ。

この予感が当たっていたとしても、サツキはどう感じるべきなのかわからないでいる。

+++

「あっつ~……」

「もうスポドリ飲み干しそう……」

翌日。サツキとカルミンは予定通りグレンジムに挑戦していた。

炎タイプのジムだけあって、中はサウナのような暑さ。さらにバトルでの炎技で暑さを上げられて、二人はいつ熱中症になるかわからないような状態だった。

二人してとうに上着を脱いで、カルミンは袖まで捲って、できる限り熱を逃がそうとするもあまり意味をなしていない。

「クーラーがないのが信じらんない」

「換気してるのかなここ」

暑さのついでに、尋常でない汗臭さもサツキには耐え難かった。早くここを出て、お風呂に入りたい。

カルミンもやる気を大きく削がれた様子でだらだらと先へと進む。するとようやく、最後の部屋らしい場所に大きくなったキャンプボーイが立っていた。

「やぁ。待ってたよ」

「ジュンジさん、なんなんですかこの暑さ!」

「あはは、ごめん。クーラー入れても壊れちゃうんだ」

カルミンが一番に抗議をしてもジュンジは笑って答えるばかり。暑さのあまりクーラーが壊れるとは、一体何度なんだろうか。

「それで、どっちから来るのかな」

「俺からです!」

「挑戦者はバトルフィールドへ入ってください。それ以外の方は、観戦は構いませんが、無用な口出しはなさらぬようお願いいたします」

「はい」

促されるままに、カルミンがトレーナーボックスへ。サツキは、審判の後ろで壁によりかかる。

ついに、カルミンの七つめのバッジをかけたバトルが始まる。

サツキは、不安が外れることを願うばかり。

「これより、挑戦者カルミンとジムリーダー・ジュンジのバトルを開始します。使用ポケモンは三体、どちらか一体でも戦闘不能になった時点でバトルは終了です。よろしいですね」

「はい!」

「それでは――はじめ!」

開始の合図と同時に、カルミンとジュンジがボールを高く上げる。

一体目は、ジュゴンとウインディ。

二メートル近い巨体がフィールドに現れると、広く作られたフィールドさえ狭く感じる。そのサイドにいても、圧力にサツキは息苦しさを覚えるほどだ。

ジュゴンのゴーちゃんは水・氷タイプ。炎タイプに有用であり、そして不利でもある。しかしその特性は“あついしぼう”――炎タイプの技は半減する。

初のバトルで、カルミンは彼を使いこなせるかどうか。

「まずはアクアジェットだ!」

「かみなりのキバで受け止めるんだ!」

先制を取りいち早く動いたゴーちゃんを、ウインディが電気を纏ったキバで受け止める。アクアジェットの水に電気が通り、感電する痛みにゴーちゃんが大きくうなり声を上げる。

体を反射的に海老のように振り、尾でウインディの下顎を蹴り飛ばす。その勢いでゴーちゃんは距離を取ると、恨みを込めて睨みつけた。

「近づくのは危険か……! 距離を取ってアクアリング!」

言われる前に初期位置へと戻り、素早くアクアリングで傷の治療を済ませる。これで多少は長期戦ができるようになったが、それでも電気技を使われるのは痛い。

――あたしなら、この熱気利用して霧作っちゃうけど。

カルミンは、どう出る?

「しおみず!」

「しんそく!」

ゴーちゃんの吹き出した大量のしおみずをウインディはしんそくで避けながら、攻撃に動けないゴーちゃんに向かって突撃する。

一二○キロというけして軽くはないその体躯が軽々と宙を舞い、ばしんっ!! と大きな音を立てて跳ねる。

さらに、ジュンジはそこを畳みかける。

「かみなりのキバ!!」

「ゴーちゃんっ、戻れ!!」

三度に渡る攻撃に危機を感じたらしい、カルミンは慌ててゴーちゃんを戻す。

そして、次に出されたのはガルーラ。

ノーマルタイプのガルーラならば、たしかに中途半端に弱点を突かれることはない。

「行くぞルーラ! じしん!!」

「く……っ、ウインディ!」

「わ……っ」

ガルーラが大きく飛び跳ねた瞬間、ジム全体が大きく揺れる。思わずしゃがみこむサツキに対して、カルミンたちはふらつくことなく立っている。

しかし、フィールドのウインディだけはそうはいかない。大きくバランスを崩し、地震によって巻き上げられる小石などがしつこくウインディの体を攻撃する。

その表情は苦悶に満ちており、当然そんな隙をカルミンは見逃すはずがない。

「もういっちょ! ピヨピヨパンチ!」

地震が止むか止まないかのところで、ガルーラはさらに攻撃を仕掛ける。伏せて動けないウインディは、その頭を回されるような強烈なパンチにうめき声を上げ、脳しんとうからかまともに立ち上がれないようだった。

「…………」

ここまで、純粋な殴り合いのバトルが行われている。

別に、おかしいことではない。サツキは攪乱することが多いだけで、物理技を多様するタイプのトレーナーだったりすればこういうこともよくある。

ただ、サツキはやはり違和感を拭いきれなかった。

何故ならジュンジは本気で戦っていたからだ。

「畳みかけるぞ、なしくずし!」

「戻れ、ウインディ!」

「――!!」

その違和感が、証明される。

ジュンジはウインディを下げて、新たにポケモンを出す。そのモンスターボールから出てきたのは。

「ラプラス…………!?」

「ここは炎タイプのジムじゃないんですか!?」

「うん、ここは炎タイプのジムだよ。名目上はね」

通常、ジムリーダーはポケモンを交代しない。その代わりに、それぞれ自慢のポケモンを出してくる。タケシのイワーク、カスミのスターミー、エリカのキレイハナ……その一匹だけで彼らはこちらを試してくるし、これまで交代をするジムリーダーなど見たことがなかった。

一番自慢のポケモンだからこそ、手加減の仕方も知っている。そのポケモンに十分な対処ができるなら、バッジを進呈する。

これが、今までやってきたジムの形式。

それなのに、ジュンジは。

「鍛えてくれた先代に倣って、伝統をできるだけ残しておきたくて。でも僕自身にエキスパートタイプはないんだ――だから、僕は今まで共に戦ってきたポケモンを使う」

惜しみのない“本気”を、挑戦者へぶつけている。

ジムリーダーは試す者。今まで一人も、本気をぶつけてきたジムリーダーはいなかった。

だけど、ジュンジは。

「ジュンジが就任して五年、グレンのジムバッジを手に入れられた人間はほとんどいない。“最強”だと言われるレッドさんのトキワジムバッジを持った人間はそれなりにいるのに。そうか……そういうことか」

カルミンが、小さく呟く。

元々ジムバッジを八つ集めて本戦出場権を手に入れる人間はほとんどいない。それも本当だ。それでも、ユリカのように手に入れられる人間は存在する。

だけど、五年前を境にその数はさらに少なくなった。そうカルミンは言って、今日の試合に気合いを入れて望んでいた。

何故、バッジの入手が困難になったのか。何故、ジュンジは本気で挑んでくるのか。

――本気でなければ、ジムリーダーとしての威厳を保てないからだ。

「絶対に勝ってやる――ルーラ! かわらわり!」

カルミンにじわりと怒気が滲んだのがわかる。

ジムリーダーを心から尊敬している彼だ。圧倒的強者であると信じてやまないカルミンが、そんな、ジムリーダーがその地位のために全力で戦うことを許すはずがない。

ジムリーダーは神聖なものだからだ。

ガルーラはその腕を大きくあげて、カルミンの怒りと共にラプラスの脳天めがけて振り下ろそうとする。それにラプラスは素早く反応し、不安定になったガルーラの体にみずでっぽうを吹き込んだ。

その水流にバランスを崩したガルーラに叩き込むように、さらにれいとうビームを続けて撃つ。事前にぬらされたガルーラの体はみるみるうちに凍りだし、胴体が固められたことによってガルーラの動きが鈍る。

「のしかかり!」

「かみつく!」

追い打ちと言うようにラプラスが動くが、ガルーラが大きく歯をガチガチと言わせるのに怯んで攻撃が失敗する。

その隙を逃がさぬように、自前の筋力で氷を弾きとばしたガルーラはさらにメガトンパンチをお見舞いした。ラプラスはギャウウと痛ましげに声を上げると、口から白い息を吐く。

「しろいきり……」

「隠れるなんて……させるかぁっ! ルーラ、なしくずし!」

逃がさぬようにと全身を使ってガルーラは霧の中へと突撃する。

だがサツキは見逃さなかった。ジュンジが寸前で交代をしていることを。

黒い手が、ガルーラの腕を体を掴む。にたりと笑ったそれは、相手がラプラスだと信じて疑わないガルーラに、強烈な“ふいうち”をかました。

「ゲンガー……」

「行くよ、ゲンガー。お前が最後の砦だ!」

「出てこいレキ! やってやらぁ!」

相手の交代を確認した瞬間、カルミンも最後の一体を用意する。ボールから現れたのは黄色に黒の警戒色。

体中を雷を模した黒の模様が走る、いつか見た雷様の絵に似たポケモン。エレブー。

ぶんぶんとその腕を回して、体内に電気を作る運動をする。

「…………?」

びり、と静電気がサツキの体に走ったのを感じて、ふとその左手を見た。

金属もなにも、触れてはいないのに、どうして。

「かみなりパンチ!」

「ふいうち!」

エレブーのかみなりパンチがその電気を纏う前に、ゲンガーのふいうちが命中する。そしてすぐに、ゲンガーはその体をしろいきりの中に溶かしてしまう。

進化前はゴース、ゴーストとガスの体で出来ていたポケモンだ。進化し実体を得た後も、その肉体の希薄さは健在している。

図鑑にもこうある。『夜中人の陰に潜り込み、少しずつ体温を奪う』。こんな霧に包まれた、薄暗い場所はゲンガーにとって隠れ放題だろう。

「ガルーラのままにしていれば、まだ戦術を縛れたのにね。ゲンガー、シャドーボール!」

「レキ!」

霧の陰から飛んでくる攻撃に、エレブーは反応しきれず直撃する。どう、と音を立てて倒れたエレブーをさらに襲うのは、おどろおどろしい恐怖を駆り立てるあくのはどう。

ギャアア、と身悶えするエレブーの反応を見て、あのゲンガーだけレベルが一回り上だとサツキは感じた。

最後の砦と言葉の通り――ゲンガーは、特にジュンジと共にいたポケモンなのだろう。

そのコンビネーションは、他のポケモンとは比べものにならない。

「レキ、でんげきは!」

「あやしいひかり!」

でんげきはの光、あやしいひかりの光が白い霧に乱反射して部屋をカッと白く染め上げる。

霧の水分を電撃が通り、それがゲンガーを襲う。

ギャアアア、と今度声を上げたのはゲンガーだった。そして時間切れになったらしい霧が晴れてきて、闇色の体をようやく露わにする。

「出てきたな…………!」

に、とカルミンは笑う。

相手が見えなくても、でんげきはなら当たる。あやしいひかりの効果はでんげきはの光にかき消されてしまったらしい、エレブーはしっかりとした立ち姿を見せた。

びり、とまたサツキの腕に静電気の痛みが走る。左腕を動かしてみようとすると、痺れたような気持ちの悪さがあった。

「…………」

それに違和感を覚えて、サツキはよくゲンガーを見つめた。

立ち上がるゲンガーの体の動きは妙にぎこちない。動かしにくいらしくその顔には余裕がなかった。

――麻痺状態になってる?

そう思うも、でんげきはに麻痺効果などあったかと考え直す。

「逃がすな、かみなりパンチ!」

「ナイトヘッド!」

エレブーがかみなりパンチをゲンガーに当てた時、その目と目が合う。瞬間、ぶわっ、とエレブーの毛穴が大きく広がったのを見る。

エレブーの体が恐怖に震えると共に、空気が電気にびりっと音を立てた。

そこでサツキは気付く。

しろいきりに紛れていたゲンガー。しろいきりは小さな氷の粒で出来たものだが、そんなものはこの暑さの中では瞬く間に溶けてしまう。

水蒸気となった霧に、エレブーの特性せいでんきが作用して、フィールド全体がじわじわと麻痺状態になりやすい環境にしていったのだ。これを狙ってエレブーを出したのかどうかまでは、読めないが。

「巧く状態異常にしてきたけど……でも、そのエレブーもいい加減限界が近いんじゃないか? 終わりにしよう、シャドーパンチ!」

「いいや終わらないさ……エレキボール!!」

シャドーパンチが、エレキボールをもすり抜けてエレブーに当たる。しかし目の前で作られたエレキボールも当然ゲンガーへと直撃する。

サツキの見たところ、疲労度はエレブーの方がやや上と言ったところ。

このまま行けば、カルミンが負ける。

「…………」

「…………」

互いの技がぶつかり合い、しばらくの間、両者とも動かない時間ができる。

相打ちか。

全員が固唾を飲んで時が動くのを待った。そして、先に動いたのは、ゲンガー。

「――――……」

審判がついに息を吸う。

その声は緊張した空気を大きく震わせた。

「ゲンガー、戦闘不能! 勝者、チャレンジャーカルミン!」

「おっしゃ――――!!」

「…………!」

場がカルミンとエレブーの歓喜に染め上げられる。

ついに緊張から解放されたサツキは、ずるずると座り込んでしまった。体がビリビリと痺れるのは、緊張のせいだけではない。

この勝負、麻痺が勝敗を分けた。

エレキボールは相手より素早いほど威力を発揮する。そして麻痺は、相手の素早さを落とす――それゆえに、ゲンガーの技の威力を上回ったのだろう。

「……はは、負けちゃったな……。お疲れさま、ゲンガー。戻って」

ジュンジが小さく呟いて、ポケモンをボールに戻す。

喜んでいるカルミンを置いて、ふらりと背後の扉に入ったと思うと、バッジの置かれたトレーを持ってくる。

それをカルミンの側へと持ってきた瞬間、びり、と空気が緊張した。――否、サツキだけが、カルミンの動向に不安を感じていた。

「おめでとう、カルミンくん。これがグレンジムのクリムゾンバッジだ」

「……ありがとうございます」

思っていたよりも大人しく、カルミンはその炎を模したバッジを受け取る。

それをジャケットに付けて、エレブーをボールに戻して、もう一度カルミンはジュンジに向き直った。

その赤い目は、怒りこそ含まないものの圧倒されるような真摯さがあった。

「本気のジムリーダーと戦えて、俺うれしいです。だからあえて聞かせてください。どうして本気を出したんですか」

その言葉に、ジュンジが苦しげな表情を浮かべる。無理もない、彼が無類のジムリーダーファンであることなど昨日見せつけられているからだ。

「ジュンジさんがジムリーダーに就任してから、グレンジムのクリムゾンバッジは配られる数が格段に減った。ただ認められるトレーナーがいなかったのかもしれない……ユリカはバッジを揃えてリーグに出てる」

「…………」

「俺、今日はきっと厳しいジム戦になるんだろうってすごく気合い入れて来ました。ジュンジさんに認められるようにって」

「だから……失望した?」

「…………」

カルミンの言葉の意図を分かっているかのように、ジュンジは悲しく微笑む。

だがカルミンは怒りはしなかった。困惑と悲しみが混ざったような表情で、上手く言葉にできない様子で、カルミンは語る。

「俺、ジムリーダーが大好きです。みんなポケモンバトルが好きで、すごく強くて、その強さで他のトレーナーを導いてくれる。町のために、人のために戦ってくれる。ジュンジさんのポケモンだって強かった。たまたまゲンガーが麻痺にならなかったら、多分勝てなかった。俺、ジュンジさんも好きです。だから、だから……」

「…………っ」

「なんで……っ、そんな申し訳なさそうにジムリーダーやってるんですかっ!?」

「――――!」

カルミンの言葉に、ハッとする。

サツキはてっきり、彼が怒っているものだと思ったのだ。サツキに向けたように、ジムリーダー然としないジュンジに対して怒りを抱いていると思っていた。

しかし、違った。

「ラプラスのあたりでなんかおかしいなって思った。別にエキスパートタイプなんてある必要ない。たしかに前情報と違うことに驚いたけど、エキスパートタイプはレッドさんにだってない。別に全力出されたっていい、むしろうれしい! なのに、ジュンジさんはそれを申し訳なく思ってる――なんでですか、ジムリーダーなのに! そういうスタイルだっていいじゃないですか! なんでそんなに苦しそうなんですか!!」

憧れのジムリーダーが、その職に対して忌避感を抱いていることが、悲しかったのだ。

ジュンジはカルミンの言葉に、悲しげに微笑む。そして、子供の夢を折るような――そんな台詞を、口にした。

「カルミンくん。僕はね――仮のジムリーダーなんだ」

カルミンが息を飲む。

仮のジムリーダー。どういうことだ。

「カツラさんが引退するまでに、ジムリーダー候補が出なかった。そんなときの保険として、育てられ頼まれたのが僕なんだよ。だからね、僕は正しい意味でジムリーダーじゃない」

「そんな、だって、ジュンジさんも試験に通ったんだろ」

「通った。通ったけど……僕は他のジムリーダーより、ずっと弱いよ」

ずっと弱い。それは見れば分かる。

挑戦者に対して、全力でバトルをしなければならないほどに。必死にジムリーダーの名を汚さないようにしてきたことくらいは、サツキにもわかる。

人を育てるのに、その指導者のレベルが不足していてはならないから。

だからこそ、カルミンのことが心配だった。

「君みたいに、ちゃんと強くて、ジムリーダーが大好きな人が本当はなるべきなんだ」

切なく、そして大人げなく、ジュンジは吐露する。

カルミンはただ、ジュンジのことを見上げていた。どんな感情でいるのか、その表情からは読めない。

そんな沈黙が、どのくらい続いただろう。

サツキはただ、ただ、見つめていた。どちらの気持ちも、分かってしまう気がしたから。

だから、なにも言わないで見ていた。

カルミンがついに、口を開く。

「わかりました」

ジュンジもサツキも、審判さえも息を飲んだ。

まっすぐなその声は迷いなく、カルミンという少年を表していた。

「俺、ジムリーダーなります!」

「か、カルミン!?」

「ジムリーダーは俺の憧れだ。ジュンジさん、あんただって例外じゃない、間違いなく尊敬してる。そんなあんたが、そんなこと言うんなら! そんな情けないジムリーダー許してられない! その立場俺が奪ってやる!」

宣戦布告するようにカルミンは叫ぶ。

「俺はジムリーダーになる! グレンジムのジムリーダーに!」

びり、と空気がつっぱるのを感じる。

カルミンが眩しく見えた。否、いつも彼は眩しかった。

彼の望む未来に向かって、淀みなく走っていく姿が。その本当の強さを、今目の当たりにした気がする。

――カルミン、君はそうやってここまで来て、そしてこれからも行くんだね。

彼の強さに、サツキは心酔する。

「院出たあとなにするかも考えてたところだ、ちょうどいい。何年後になるか知らないけど……俺はジムリーダーになるぞ。あんたに勝って、この場所を奪い取ってやる」

「…………!」

「その戦いに手ェ抜いたら、そんときはたとえジュンジさんだろうと俺は怒るからな!」

奪われることを嫌ったカルミン。奪うこともきっと嫌いだ。そんな彼が奪うことを宣戦した――ジュンジがその地位に誠実であることを祈って。

ジュンジは答える。

「もちろん。グレンを託せる人じゃないとこの場所は渡せない」

嬉しそうに笑って。

それにカルミンも満足げな顔をした。この言葉がもらえるなら、彼にはそれでいいのだろう。

バトルが好きで、ジムが好きで、その地域が好きで。それらのために働ける――そんなジムリーダーが彼は好きなのだから。

「よしっ、そうと決まればもっとバトルの特訓しないとな!」

「じゃあカルミン、先出てていいよ。夜にポケモンセンターで落ち合おう」

「えっ、でもサツキのも見たいし……」

「いいよ。だってカルミン、新しい目標に我慢してられないでしょ。せっかくだから、グレン島のこといっぱい見てきたらいいと思う」

サツキの言葉にカルミンはぽかんとしてから、そっかと一つ頷いてあっという間に飛び出して行ってしまった。

ポケモンリーグに出るために、がんばってきたカルミン。レッドに憧れて、11歳になる年に孤児院を飛び出して。

なら、それが終わった後彼はどうするのだろうと思っていた。相棒のカラと離ればなれになって、これから彼を支えるのはなんだろうと思っていた。

きっと今度は、ジムリーダーの夢が彼を支えるのだろう。

サツキはその夢を、全力で応援したかった。

「ねぇジュンジさん。ジムリーダーでいることって、辛いですか」

「え? ……ううん。ジムリーダーの仕事は、楽しいよ」

カルミンが去ってから、サツキはジュンジにそんなことを聞く。プレッシャーが強そうだなというのは常々思っていて、だからあんなにがんばったバトルをしていたのだろうと思った。

けれど、返答はすっきりしたもので。

「それなら、どうしてカルミンにあんなことを?」

「……サツキちゃん、僕は一般人なんだよ。他のジムリーダーと違って強くない。教えるのだって上手くない。ジムリーダーとして必要な最低ラインをがんばってクリアしてきた、ただの人なんだ。やっていてつくづく思うよ、向いてないなって」

「なら、どうしてジムリーダーに?」

先代――カツラの引退のために、鍛えられたというジュンジ。

きっと断ることもできたはずだ。ジュンジは自分には向かないと、なる前からわかっていたに違いない。

それでもカツラに代役を頼まれ引き受けたのは、どうしてなのか。

ジュンジは笑う。

「カツラさんにはお世話になったし――なにより、この島が好きだったからね」

だから、がんばってきたんだ。

その言葉に――きっとこの真っ直ぐな努力は、この島の風土がなすものなのかと、サツキは思う。

グレン火山の溶岩でできた島。三十年近く昔に噴火で一時期全てが流れ、そして復活した島。それはきっと、何十年何百年と繰り返してきた歴史。繰り返せるのは――この場所が好きだという、ただ一途な気持ちがあったから。

やっぱりここは、カルミンに似ている。

「よし! ジュンジさん、あたしもジムバトルお願いします!」

「え、えーっと、ちょっと休憩してからでいいかな? 裏でジュースあげるからさ」

「えーっ!」

+++

グレンジムのジム戦を終えた夜。カルミンが戻ってきたのは、すっかり陽が落ちてからだった。

一体なにをどうしてきたのか、あんまり泥だらけだったので思わずお風呂に入らせて、サツキは彼の衣服を洗面所で先に洗ってから洗濯機に放り込んだ。

そのことを報告したとき、下着がどうのと言われたが知ったことではない。下着まで泥にまみれて帰ってくる方が悪いのだ。

「サツキのえっち……」

「もー、うるさいな。パンツくらいで」

「自分で洗濯くらいするのに!」

「カルミン絶対泥つけたまま洗濯機入れるでしょ!」

散々口論してから、ジムで別れた後のことを語る。

サツキは特に難なくバッジを手に入れた。カルミンはだろうな、と安心しきった様子で呟く。

一方彼はというと、あの後行けるところまでグレン火山を登っていたらしい。もちろん、一朝一夕で登れる高さではなかったため、麓をうろうろしていた程度だと言うが。相変わらずの行動力にサツキは聞いてる間口が開きっぱなしだった。

「手っとり早く鍛えてグレン知るならそこかなーって」

「かなー……って」

「わりと楽しかったよ! グレン火山ってさぁ、まだ生きてるって感じするんだよ! 登ってるとわかるのあの火山の生命力が! 俺旅終わったら山頂まで登るわ!!」

「まじかー……」

地面タイプが好きだと以前聞いたことがあるし、化石なども興味を示してたりしていたから予想はしていたが、想像以上に火山に惹かれるものがあったらしい。

サツキが海を好きなように、カルミンは大地が本当に好きだ。地に足をついて立っている、その瞬間こそ一番カルミンらしいと思う。

「ジムリーダー、ほんとに目指すの?」

「もちろん! もっといっぱいバトルして強くならないとな」

あれやってこれやってと、未来を語るカルミンの目はキラキラと輝いている。

彼ならなってしまうかもなぁ、と思う。どんなジムリーダーになるだろうか。そのエネルギーできっと島の人たちを迷わず先導してみせるに違いない。

ジムリーダーは、その地域の代表。町がどんな印象になるかはジムリーダーによって大きく変わるとサツキは思う。

今は活動を一時停止して穏やかなグレン島だけれど。未来は。

「まずは――この島をもっとよく知って、好きになることから始めようかな」

「きっと、好きになるよ、グレン島を」

君によく似た島だもの。

その言葉は飲み込んで、サツキはカルミンを微笑ましく見つめた。