まちもり通信表紙・総合目次(ホーム)
「まちもり通信」は下記に移転しました
下記をクリックしてお越しください
https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
(伊達美徳=まちもり散人2012年9月)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
https://sites.google.com/site/machimorig0/
制作:まちもり散人(伊達美徳)
dateygあっとgmail.com
【まちもり通信site】とは、まちもり散人(伊達美徳)主宰のウェブサイトです
【東京駅復元反対論サイトの基本テーマ:東京駅赤レンガ駅舎の景観の歴史的意味】
◆東京駅周辺時空まち歩き似非ガイドブック:2017年5月版(https://goo.gl/3XmNTK)
東京駅から丸ノ内へ皇居前広場へと徘徊しつつ景観を考える:まちもり散人編集(pdf 4MB)
◆東京駅徘徊2016/12~17/01 【1】デブデカ超高層 【2】ナントカランド東京駅
◆【消されゆく戦争の記憶】5月25日の日本の悲惨な記念碑の東京駅をを消してしまった2015/05/24
◆東京駅開業百年赤レンガ駅舎復元に浮かれて戦災遺構消滅問題をだれも問わない2014/12/21
◆ブログ「伊達の眼鏡」連載の東京駅の復元をめぐるコラム集(2009~現在)
◆東京駅はそのまま復元してはいけません(2010.10)
建築史家の平井聖先生の講演、建築史を超える文明批評に興味が尽きない
丸ノ内に三菱1号館、昔に壊したものを再現登場、テーマパークか、歴史文化振興美談か
◆保存と開発の劇薬ジレンマ(2009.3.9)
中央郵便局を部分保全して再開発か、重文指定して全面保存か、制度ジレンマが見える
◆東京中央郵便局の保全を考える(2008.7.10)
東京中央郵便局舎の改築計画が登場、モダンデザイン建築の記念碑保全の論理と手法
◆世界遺産とはなんだろうか(2008)
もしも東京駅赤レンガ駅舎を世界遺産登録するとしたら、、
1945年、東京駅赤煉瓦駅舎炎上、苦難の時代に復興を成し遂げた人々
●東京駅復興(その2)よみがえった赤レンガ駅舎はどう評価されてきたか(2007)
煙の中から復興をした赤レンガ駅舎にその後に苦難がまちうけていた
戦災復興から60年の赤レンガ駅舎を戦前形態に復原する計画の意味はどこにあるのか
●空気を金に化けさせる術ー東京駅の復原について長屋談義(2007)
狸だって金に換えるのは葉っぱだよ、それをキョウビは空気を金に化けさせるんすかい
●東京駅赤煉瓦駅舎復原と韓国ソウル旧朝鮮総督府庁舎撤去(2006)
保存か撤去か激しい論争の末1995年8月15日、元日本総督府、現韓国国立博物館が撤去された
●景観復元に思想を持て-ディズニーランド化する都市景観(2006)(PDF)
東京駅、三菱一号館、日本橋に景観復原(復元)の思想を問う
●近代建築保全の論理について(PDF)(1988)
1988年にシンポジウム『赤煉瓦の東京駅保存をめぐって』、学者発言に保全論理の矛盾がある
●戦後の歴史を消すな-赤煉瓦の東京駅は復原せずに現在の姿で保全せよ(2002)(PDF)
2002年9月、シンポジウム『赤煉瓦の東京駅保存、どう残すのか、なにを残すのか』
●景観再考ー歴史の景観(PDF) (1992)
東京駅の保全について国土庁調査の経緯と保存運動のもつ問題点を指摘
●赤煉瓦の東京駅舎復原反対(2001)
2001年7月に新聞にJRと東京都が東京駅復原に同意したという記事が載った
●超高層の不安な風景(1997)
東京駅前に戦前からあった丸ビルが消えた風景
●都市再生-東京駅を生きた戦争記念碑に(2001)
東京駅赤レンガ駅舎は生きている戦争記念碑、凍結した原爆ドームと大きく違う意義あるところ
●都市風景をつくる文化的資産の保全を考える-特に近代以降を中心に(PDF) (2001)
近代以降の日本の都市の資産は、その価値が未評価のまま消滅しつつある
●都市の記憶とはなにかー新聞記事に見る東京駅復元へ各界意見の矛盾(2005)
2005年3月信濃毎日新聞に東京駅復原と三菱一号館復元計画の記事に一言つっこみ
●やっと現れたわたしと同じ意見の東京駅復原反対論 (2003)
2003年8月、雑誌「ラピタ」種村直樹氏のエッセイで赤レンガ駅舎復元反対と
●赤レンガ東京駅復原はその原風景を失うものです(2003)
『東京遺産』(森まゆみ 岩波新書)、原風景を大切にといいつつ東京駅赤レンガ駅舎復原を礼賛して矛盾
●丸の内はお遊びのテーマパークか(2004)
東京丸の内の三菱商事・古河・丸ノ内八重洲の3ビル建替て昔々壊した「三菱一号館」を復元とか
●【資料】東京駅周辺地区総合整備基礎調査報告(1988)
赤煉瓦の東京駅の保全を決定づけた関係省庁による八十島委員会報告全容を公開
●【資料】昭和62年度東京駅周辺地区再開発調査委員会議事録1988
八十島委員会の議事録・東京駅赤レンガ駅舎保存を決める検討はどうだったか
●【資料】東京駅周辺整備調査1988:赤レンガ駅舎をめぐる調査研究(1987)
1988年頃に東京駅周辺総合整備調査の検討資料の一部、80年代後半に何を考えていたか興味深い
丸の内と東京駅に関する歴史年表、日本のビジネスセンター成立の経緯
東京駅再開発が世間の大きな話題となっていた頃の東京駅の風景
開発の大波が押し寄せつつある頃の丸の内あたりの風景
◆【まちもり叢書】「丸の内貼り混ぜ屏風-見世物としての建築-」
丸の内の百鬼夜行風景を斜めから撃つ評論集:私家版自家製ブックレット
---------◆まちもり瓢論<景観・風景文化論>--------
人間の営みがつくる景観は文化の表現・自然の営みがつくる風景は生態の表現
◆ネパールの旅
◆ネパール:フォトエッセイ「異文化への旅・ネパール風土逍遥」(2012.01)
◆ネパール:カトマンズ‐ポカラ‐‐ルンビニ400kmバスの旅(2011)
・426政治災害の国 ・480ネパールからモティさんがやってきた
・414ネパール400kmバスの旅 ・412カトマンヅ盆地の危険な歴史的街並み
・411カトマンヅ市街と旧王宮 ・410ネパールに行ってきた
・409停電が普通の地から戻ってみれば ・366ネパールへ行こう
◆ヨーロッパの旅
◆スイス:ヨーロッパアルプスは日本の棚田と同じだった(2006)
◆スイス:アイガー北壁 (2010)
◆ヨーロッパ各国:ファッションタウンという青い鳥を求めて巡る旅1995
◆ドイツ:高速道路-現代の意志の道 (アウトバーンの自然緑化の文化史的考察1983)
◆外国あちこちあれこれ
◆オーストラリア・マリンリゾート視察(1988)
◆地球一周旅行報告:ながすぎるあとがき(1986)
◆北京:オリンピックマラソンの風景(2008)
◆タジキスタン:アフガン難民救援の友人(2002)
◆キルギス共和国ユニセフ現地事務所代表の杢尾雪絵さんの講演を聴いた2025/11/01
---------◆まちもり瓢論<東京駅復元反対論>----------
東京駅赤レンガ駅舎の復元をめぐる歴史的建築と都市景観に関する論考・資料集
東京駅赤レンガ駅舎こそは、20世紀日本の悲劇とそこからの復興を体現している貴重な歴史的遺産であった。ところが21世紀の初め、その記念碑の姿を破壊して、戦前の姿にコピー再現するとは歴史を忘却する仕業だった。あの戦後最悪の時にここまで力を入れて巧みに修復し、歴史的建築とモダンデザインの見事な融合を見せ、60年も親しまれた戦後の姿を保全するべきであった。
◆【五輪騒動】新国立競技場・神宮外苑・2020五輪運動会騒動瓢論(ブログ連載2013~)
2020世界運動会の新国立競技場建設計画は神宮外苑の景観を壊すと反対論があるが、
そもそも神宮外苑の景観はなにを意味して作ったものか、そこから考えてほしいものだ。
この30年近く孤独なキャンペーン、不幸な戦争の記憶を消してしまう復原に反対
◆【谷戸の景観変容】違法建築判決の共同住宅ビルは典型的な谷戸の斜面緑地開発だったが、2016/12/06
◆【中世浄土景観】横浜金沢の称名寺の伽藍配置軸線の微妙な歪みが気になる2016/12/01
自然風景の四季折々の変化や人文景観の昔と今の変化を定点観測して愉しむ面白ページ
◆景観戯造
妙な風景を見て、これがもしもこうならと、画像をいたずらしたら、見えてくる景観の本質
◆ネパール:フォトエッセイ「異文化への旅・ネパール風土逍遥」(2012.01)
カトマンヅ、ポカラ、ルンビにを訪ねて、異文化の風景を考えた
◆景観再考・都市と建築のはざまから(1992年新聞連載)
景観の概念、緑、土木、歴史、建築、街並み、高架、川の民俗
◆都市内高速道路の景観形成に関する文化史的考察(1987)
道路や河川などの都市空間を切り裂く構築物を文化的視点で歴史を探る講演録
わたしのふるさと高梁盆地へのオマージュ
◆緑の景観
・【緑の館コレクション】街に緑の蔦に覆われる「緑の館」が増えるが空き家問題と連動らしい2016/06/01
・道路緑化の文化史的考察1983若宮大路、日光杉並木、高速道路
・緑の質と役割を考え直す1993
・浄明寺田んぼの四季2001
・ふるさとの森の大学キャンパス2008
日本や外国のあちこちをあるきまわって、その風景をおちょくるブログ
◆東京風景
東京のあちこちをふらふら歩いて、その風景をおちょくるブログ
◆横浜みなとみらい21新港地区景観騒動、横浜都心の景観(2012)
都市景観行政の先頭を行く横浜都心部の港に巻き起こった結婚式場景観騒動の行方は?
日本はどこにいっても同じような醜い風景、わたしの醜景コレクション展覧会
棚田と森と集落の風景が美しい山村は中越震災からよみがえった、
緑に包まれる山村は中越地震で大崩壊、その復興の風景の行く末は?
◆緑の質と役割を考え直す1993
生産の緑、生活の緑、生態の緑、一様でない緑の意味を考える
◆安藤忠雄の風景:あらかじめ発掘された遺跡よ!(2009)
◆景観エッセイ
・出でよ!メガソーラー景観デザイナー2015/01/16
---------◆まちもり瓢論<中山間地の今とこれから>---------
中山間地問題については、2004年の中越震災復興支援にかかわったことから関心を持つようになった。
特に山間地では、日本の人口減少時代の最先端で起きている問題に直面していながら、
実はほとんどまともな政策がないことに気が付いた。
一方、地方都市の衰微も著しいが、日本列島全体で人口減少時代に、
地域の人口増加策は現実的ではないだろう。
今やハッピーに地域を閉じる政策が、農村にも地方都市にも必要だ。
◆中越震災から10年、復興した山里のこれから2015/0623
◆中山間地の実例「法末集落」については新潟県の項を参照のこと
豪雪の山間地は棚田と伝統民家と森林が織りなす美しい風景が四季を彩るのだが、、
◆地域の縮め方閉じ方を研究したい (2007)
住民たちがハッピーに地域を閉じる政策が日本にはないがそれでよいのか
◆「現代の白河の関」アイデア コンペ入選提案(2010年5月)
中山間地の縮減閉鎖対策を企業のソーシャル・コミュニティ事業として起す策の提案
◆伝統文化を生かした地域再生の可能性(2009.08)
長岡市の法末集落、鯖江市の河和田などで地域特性のある伝統文化を活かす地域づくりの例
◆農村振興政策を都市再生政策に(2008)
都市住民のためのクラインガルテンの逆転発想で閉鎖する農山村住民を呼び込む都市住まいの場を
◆復興に歩む福井豪雨被災地・河和田うるしの里(2004)
未曽有の豪雨災害に襲われた伝統工芸漆器産地の盆地は復興に向けて立ち上がる
◆ヨーロッパアルプスは棚田だった(2006)
遠目で美しい草原の風景は近寄ると牛や羊の凸凹のふみ跡だらけ糞だらけの農場だった
◆木喰の風景(2009.04)
高僧の残した遺産が山梨の山村に静かにいい期続けて潜在する地域力となっている
◆中越山村で茅葺屋根の小屋をつくる2008
---------◆まちもり瓢論<産業まちづくり論>---------
日本の各地に固有の特色を持つ「ものづくり」産業があるのだが、技術革新と流通改革によって、
次第に中央資本の傘下に入って特色を失ってきている。地域の個性のあるまちづくりを、
固有のものづくりと連携することで、新たな地域再生を目指して、
「ファッションタウン」(通産省)あるいは「もの・まちづくり」(国土庁)と称する政策を進めたが、失敗した。
◆不良住宅再生産ドミノ現象(名ばかりマンション→民泊ビル→空き家ビル→ドヤビル)2018/02/12
◆【マンション撲滅論①:買ってはいけない7か条】こんな不安定な資産に大借金2015/12/01
◆【横浜名ばかりマンション傾き事件】(その1) (その2) (その3) 2015/10/22
◆【横浜名ばかりマンション傾き事件その4】全部無料条件でさえ全員同意できない建替2016/09/20
◆北風政策の空き家強制撤去新法なんて日本には居住政策がない2015/05/25
……DTP出版の自著「まちもり叢書」の中の一冊で、中心街地論と都心借家居住論を書いている
……地震が来たら住宅難民続出の大規模分譲共同住宅:ブログ連載中
【名ばかりマンション広告】高層区分所有共同住宅新聞折り込み販売宣伝を読んであれこれ思った2016/07/19
◆賃貸借都市の時代へー体験的住宅論2000~2008
……わたし自身が日本の貧困住宅政策の犠牲者だったので、日本の居住政策には恨みつらみがいっぱいある
◆姉歯大震災の喚起するもの2005~2007
……建築家の性善説はもろくも崩れて性悪説に大転換、そして分譲型共同住宅の危険性もあぶり出した事件
◆長周期地震波災害-明日来る大地震に備えて借家へ(2010.03)
……大規模な分譲共同住宅(名ばかりマンションは、大地震が来たら大変なことになるよ
◆片想いの賃貸住宅政策-住宅供給公社よ、もっとがんばってくれ(2010.03)
……自分の主義で選んで賃借住宅に入っているのに、大家の県公社がだらしないったらありゃしない
◆民主党の都市と住宅政策はどうだったか(2009‐2010)
……民主党の都市政策はなんにもわかってなかった
---------◆まちもり瓢論<中心市街地論>--------
30年くらい前からわかっていた中心街地問題、経済政策優先で進める都市と住宅政策、中心街地活性化を中心商店街活性化と勘違いした政策が、日本の生活圏を破壊した。中心生活街の再生へとかじを切り替えよ
どうも「独りキャンペーン」の感じなのだが、大規模区分所有型共同住宅ビルは危険住宅だから、建てるな買うなと言い続けているのだが、世の中は相かわらず超高層分譲マンションなんてものが次々に建ち、しかも買うアホがいるのである。今に大地震が来たら、それら「名ばかりマンション」から大量の住宅難民が出てくるのになあ。
■「ものづくり」と「まちづくり」の連携による地域再生
◆もの・まちづくり運動と都市の再生(2005)
◆長寿社会のまちづくりとファッションタウン(1998)
◆パラディオ・ゴールド・グラッパーファッションタウンは青い鳥 (1995)
◆高齢・少子・環境時代のコンパクトタウン(1998)
◆藤原肇著「ものづくり都市の再生」(2005)
■もの・まちづくり都市の実践
◆児島:ファッションタウンの実験(2001)
◆鯖江ファッションタウンへの提言(2002)
◆鯖江:斬られたファッションタウン(2002)
◆鯖江:自分たちの街の将来は自分たちで決める時代(1997)
◆半田:酢と蔵と洋館の街・まちづくり・ものづくり連携の視点から(2005)
◆桐生:日本の産業近代化の風景が重層する街(2001)
---------◆まちもり瓢論<都市計画審議会を改革せよ>--------
各都市のまちづくりの基本となる法律は「都市計画法」である。都市の大勢の市民が土地を利用しつつも、
生活環境や生産活動に問題が起きないように、それぞれの使い方を規制したり、
適切な使い方に誘導したりする仕組み「都市計画」という社会的ルールを決めている。
土地はその都市計画に沿った使い方をしなければならない。
この「都市計画」を決める時には、県知事や市長が一方的に決めるのではなく、
その素案をあらかじめ市民に示し、意見を求めて改め、原案を作る。
また原案について市民の意見を求め、その上で「都市計画審議会」の審議で可決されて初めて、
この都市計画が決定する。この都市計画審議会は都道府県や市町村が設けているが、
どうやって審議しているのか、近くの市や県の都計審を傍聴したが、どうもわからないのだ。
2008年4月、横浜市都市計画審議会の市民委員の公募に応募して運良く当選、
11月から審議会に参加した。2年間やってわかったことは、
まともな審議をしていない、審議能力がないことだ。
ここに都市計画審議会関係の論をまとめて、まちづくりの今後の参考とする。
◆あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている横浜都計審の実態(要約版2013
◎あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている(総合版横浜都計審レポート2010)
◆横浜都計審:横浜ご近所探検隊が行く(ブログ「伊達の眼鏡」連載)
委員をクビになってからも趣味で傍聴に行ってあれこれと揚げ足取りをして遊んでいる
・【横浜都計審】事業が先で計画が後から追いかける横浜市の都市計画2014/11/20
・【横浜都計審】76か所もある都市計画決定を2時間で審議する超能力委員たち2014/11/18
・【横浜都計審傍聴③】住宅過剰時代に公有地を使って大規模開発をする意義はどこに?2015/01/24
・【横浜都計審傍聴②】JFE社宅跡地には超幅広超高層壁状建築が出現するのか2015/01/23
・【横浜都計審傍聴①】地区計画議案の公的大規模開発の内容がさっぱり分らない2015/01/23
・大丈夫か横浜都計審(2011.9)
・シンポ「開発審査会・建築審査会のあり方を考える」(2010.01)
・お隣の都計審を拝見・拝聴すると(2009.11)
・都市計画審議会をウッォッチする(2008.01)
---------◆まちもり瓢論<都市居住論・くたばれマンション>---------
◆都市を再生する-都市構造の再編成 (2008)
◆生活文化圏としての中心街づくり(2002)
◆中心市街地活性化問題の背景と周辺 1998~2008
◆わたしの帰る街を-土地問題の今-2000
◆わたしたちは都心に住めるか(1994)
■事例(横浜都心部)
・横浜都心「関外」風景の変化を見つめるこの12年2014年2月
・横浜都心戦災復興まちづくりをどう評価するか(2010)
・横浜関内地区戦後まちづくり史(2007)pdf (html版はこちら)
・横浜B級観光ガイドブック(2010)
■事例(静岡)・門前町の盛衰ー静岡の街並み(2010)
■事例(水戸と宇都宮)・タワーの ある風景(2010)
■事例(新発田)・同時多発の中心街再生策で5年後が楽しみ
■事例(横須賀)
・横須賀-近代が育んだ国際海の手文化都市
・横須賀市中心市街地形成史ー成立と施策 ・ウェルシティ横須賀(建築学会論文)
◆金沢近江町市場の再開発事業の成熟ぶりに驚きつつ初物の香箱蟹を賞味2016/11/10
◆都市計画の基本:都市を再生する(2008)
◆都市計画制度解説「市街地開発事業とは」(2008)
◆太田:わが30歳の大仕事・南一番街の30年後の大変貌(2001)
◆新たな都市再開発のテーマ「軽装備再開発」 (2004)
◆社会環境の変化と市街地再開発事業の新たな方向(2002)
◆再開発事業における既存建築の保全活用に関する研究(2002)
◆日本の都市再開発コンサルタント史(1991)
◆定期借地権とまちづくり-懸念される土地制度(1995)
◆21紀型まちづくりの跡地利用を(1999)
◆技術概念の転換を-再開発建築の技術問題(1973
◆都市を造り直す (2007)
◆書評『都市再生・街づくり学大阪発・民主導の実践』(2009.05)
◆戦後復興街並みをつくった市井の人々・書評:初田香成著「都市の戦後」(2011.08)
◆戦後復興期の都市建築をつくった建築家 小町治男氏にその時代を聴く(2014.01)
◆前現代期都市建築の遺産価値について―その設計者として―(2012.09)
---------◆まちもり瓢論<まちづくり論・建築論あれこれ>---------
◆渋谷区神宮外苑:新国立競技場・神宮外苑・五輪運動会騒動論考集(ブログ編)(20131/0~)
2020年オリンピック主会場新国立競技場計画の神宮外苑に再開発等促進区の地区計画が定められたが、これは都市計画としてはなかなかの問題をはらんでいる。建築家はここに目をつけるべきだよなあ。
◆都市計画入門書「初めて学ぶ都市計画」(2009年 市ヶ谷出版社 代表執筆者:伊達美徳)
学生はもとより、まちづくりに関心のある市民のために、都市計画の基本的な考え方と制度を分りやすく編集
◆東洋ゴム免震偽装事件とは姉歯耐震偽装事件の教訓は活かされなかった2015
本当に電気自動車は有効か、肥大化した自動車産業を見直せ
◆時代遅れの高速道路無料化公約(2009.08)
◆国土形成計画2007を読む(2008.04)
◆故郷のオールドタウンとニュータウン(2011.10)
◆伝統文化を生かした地域再生の可能性(2009.08) (htm版) PDF版(4MB)
◆地域の縮め方閉じ方を研究したい (2007)
人口減少時代になって住民たちがハッピーに地域を閉じる政策が日本にはないがそれでよいのか
◆地域の持続可能とはなにか(2009.02)
◆1984年から2003年まで20年で地域でなにが変わったか(1984,2003)
◆コンペ再考―計画現場の視点から(2003)
◆日本のオペラハウス・オペラタウン(1997)
◆安藤忠雄の風景-あらかじめ発掘された遺跡よ!(2009)
-----まちづくりNPO論集-----
◆第1回全国まちづくり大会は大成功だったがー草の根まちづくりはこれからら(2005)
◆まちづくりNPOと中間支援組織-東京理科大講義(2003)
◆これも都市計画なんですね(2003)
◆だれもが参加する都市計画仲間NPO(2001)
◆だれもが都市計画家になろう(2001)
◆まちづくり人材の育成活用と雇用創出(2002)
--------◆まちもり瓢論<災害とまちづくり論>--------
◆【地震津波核毒騒動】東北地方の津波被災地復興に取り組むアドボカシー都市計画家2015/10/05
◆地震津波原発核毒おろおろ日記(2011~連載)
核毒が降ってくる大おまけまでついた未曽有の災害に何もできずオロオロするだけの日々
◆再び唱える「福島第1原発を世界遺産にしよう」 (2013.4)
この惨禍を後世に伝えるためにこの現場を文化遺産に、あらゆる資料を記憶遺産に登録しよう
チェルノブイリと谷中村に見るような荒廃する森と海が日本に登場するに違いない
◆絆を解いて民族大移動時代へ(2012.04)
大地震災害が日本の高齢化と人口減少社会における変動を大きく後押しして大移動時代がくるだろう
◆津波と戦争そして原発ー1933年と2011年の日本(2011.08)
昭和三陸大津波があった1933年は中国と戦争中、2011年の東日本大震災と世相を見比べる
◆東日本大震災Before-Now(2011.05)
東日本大震災のまだなまなましい津波の爪の後を東北太平洋岸部の都市の空中写真で見る
◆陸前高田市:奇蹟の一本松のレプリカ復元保存はどのような意味を持つのか(2013/06)
◆名取市北釜地区:復興で仙台・名取都市圏はどう変わるのだろうか (2013/04)
◆核災3年目(その1)復興計画の向こうにある次の災害への対策は(2013/03)
◆震災核災3年目(その2)大被災地区を海や森の自然に還す考えはないのか(2013/03)
◆震災核災3年目(その3)まちづくりとして公営住宅建設を進め居住政策を転換せよ(2013/03)
◆震災核災3年目(その4)南三陸町の復興を遠くから眺めて(2013/03)
◆仙台:森の長城で大津波に備える市民プロジェクトが動き出した(2012/11)
◆東松島野蒜(その1):自然と人間はどこで折り合って持続する環境を維持できるのか(2012/11)
◆東松島市野蒜(その2):津波跡の旧市街跡と丘陵新市街はどう連動して復興するのか
◆石巻:石巻で映画「猿の惑星」の主人公になった眩惑に見舞われた(2012/11)
◆長岡市法末集落:震災復興に歩む山村(ブログ連載2005~)
◆小国と祖谷:自然と生活を二つの山村に見る(2005)
---------◆まちもり瓢論<都市再開発論>---------
太平洋戦争で破壊と荒廃の日本の都市は、戦後1950年代後半から次第に復興へと向かった。戦中はアメリカ軍による空襲が、戦後は失火による大火が日本各地の木造都市を荒廃させた。
とにもかくにも、不燃都市をつくろうと1950年代後半から再開発による都市復興が始まった。
大火が起きても一定の範囲で焼けどまりするように、線上に耐火建築を配置する防火建築帯造成事業があり、次のこれを面的に街区に広げた防災建築街区造成事業、更に公共施設の道路や駅前広場の整備と不燃建築を一体にして造る市街地改造事業へと進んだ。
そして都市計画事業として、総合的に公共施設と建築物を整備する市街地再開発事業へと、展開していった。
わたしはその防火建築帯時代から携わってきて、まちづくりでいろいろなことを考え発表してきた。
---------◆まちもり瓢論<山口文象+初期RIAアーカイブス>--------
建築家山口文象と彼がおこした設計集団RIA
建築家・山口文象の人生は、20世紀とともに歩みだし、関東大震災が彼を建築運動家として、呱々の声をあげさせた。ドイツでW・グロピウスに学んで帰国後は、新進スター建築家として実に順調でしたが、戦争が総てを奪った。
戦後は、運動家と作家を止揚して設計組織RIAを起こして再出発、初めは庶民住宅の設計を中心に、後には都市の計画と設計へと展開をしていく。
日本近代建築史の特異な体現者の生涯と、彼が創設したRIAの初期を追う。
◆ 山口文象の軌跡
◆【資料】山口文象 総合年表(2018年2月改訂版)
◆【資料】山口文象+初期RIA研究資料一覧
Ⅰ.山口文象(+初期RIA)の建築作品と活動
・1902~20・少年時代
・1920~23・逓信省時代
・1923~30・離陸の時代
・1930~32・ヨーロッパ遊学
・1941~49・戦中・戦争直後時代
・1949~78・戦後詳細年譜
Ⅱ.山口文象(+初期RIA)主要建築作品等
1923~30・創宇社建築会
1924~34・橋梁デザイン
1924~27・分離派建築会
1926・東京朝日新聞社社屋(東京・中央区)
1927・日本橋白木屋(東京・中央区)
1927・山崎商店(処女作)
1929・仲田勝之助邸
1930・ウクライナ・ハリコフ劇場コンペ応募(創宇社建築会)
1931・菊池一雄アトリエ(東京世田谷)
1933・小泉八雲記念館(松江)
1933・藤川勇造アトリエ
1934・日本歯科医学専門学校(東京・新宿区)
1934・北鎌倉の茶席:宝庵(旧関口邸茶席・鎌倉)
1935・小泉八雲図書館(富山)
1935・山田智三郎邸(鎌倉)
1936・梅月堂(山形)
1936・番町集合住宅(東京・麹町区)
1936・小林邸(東京・大田区)
1936・黒部川第二発電所、小屋平堰堤等(富山県宇奈月)
1936・前田青邨邸(鎌倉)
1936・青雲荘・友愛病院診療所(東京)
1936・山崎発電所及び早川取水堰堤(箱根、小田原)
1939・F邸(東京・大田区)
1940・山口文象自邸(東京・大田区)
1940・林芙美子邸(現・林芙美子記念館、東京・新宿区)
1948・広島平和記念カトリック聖堂コンぺ(準佳作)
1949・高松近代美術館(高松市立美術館)(高松)
1949・総同盟会館・全繊同盟会館(東京港区・青雲荘の隣り)
1950・久が原教会(東京・大田区)
1952~・RIA初期の住宅
1952・関東学院グレセット記念講堂(横浜)
1953~66・RIA1953~66
1953~60・RIA初期の建売住宅(3Kハウス、白雲観光、近鉄学園前モデル住宅、登美が丘ラムダハウスほか)
1954・聶耳の碑
1954~88・神奈川大学横浜キャンパス(横浜)
1955~・RIA初期の工場建築
1955~・家具デザイン
1959・大森教会(東京大田区)
1959・朝鮮大学校(小平)
1954~88・神奈川大学横浜キャンパス(横浜)
1964・新制作座文化センター(八王子)
1971・是の字寺海竜院(岡崎)
1973・平安教会(京都)
1973・町田市郷土資料館(現・博物館、町田)
Ⅲ.山口文象(+初期RIA) 著述・対談・講演
1924・制作する心(「分離派作品集第三」)
1925・創宇社建築展(「マヴォ」第7号)
1925・住宅地に建てられる店舗(「店舗及住宅」1925年12月号)
1927・橋を語る(「工芸時代」9月号)
1928・Internationale Neue Baukunst(ヒルベルザイマー著の翻訳「アトリエ」9月号)
1929・明日の建築へ(「アルト」4月号)、・新興建築について(「近代生活」1929.12月号)
1928~30・論文三部作
1932・欧州建築夜話(「建築科学」11月号)
1933・1933年を回顧する(「新建築」12月号)
1935・明日の住宅は?(「住宅」1月号)
1936・堰堤随感(国際建築9月号)
1938・ブルーノ・タウトの死(「セルパン」1938.3月号)
1938・民家風の一住宅 絵と文(「住宅」1938年?月号)
1946・『集合住宅の記録』(ブルーノタウト『Siedlungs-Memoiren』1933翻訳)
1948・THE ROTETIC VIEW OF THE MODEREN ARCHITECTUR
(講演記録1948年2月8日 新日本建築家集団歴史研究部会報告 東大建築家教室にて)
1949・講演・創宇社建築会について(明治大学講堂にて)
1952・我々の問題としてのローコスト住宅(「新建築」10月号)、・朝日住宅相談室(「婦人朝日」連載)
1953・住宅志言(「新建築」11月号)、・住宅(朝日新聞社)
1954・座談会・庶民住宅をどうするか(「新建築」4月号)
・バウハウスとグロピウス(『建築家」1954年2月)
1955・昨日・今日そして明日へ(「新建築」10月号) ・RIAレポート
・鼎談・戦前から戦後へ(山口、三輪、植田「建築文化」1955.9))
1956・RIAレポート
1957・家具はだれのものだ(建築文化3月号)
1962・対談・都市計画にヒューマンスケールを(川添登「建設ニュース6月号」)
・対談 戦前戦中戦後(「建築」1962.6月号)、
・ハイマートローゼ(「室内」1962.7月号)、
・RIA特集(「建築」1962.6月号)
1964・芝居小屋(「建築」1964.3月号)、・前衛建築家の宙かえり(「新建築」1964.6月号)
1966・プランニングにおける思想性(「新建築」1966年3月号)
1967・対談・下町かたぎの建築家(日本短波放送、海老原一郎)
1968・思想と現実の狭間における建築家の意識(「都市住宅」12月号)
1969・ワルター・グロピウス(「建築家」1969 秋号 日本建築家協会)
・座談会 分離派・中央電信局・山田守(「建築記録中央電信局」1969)
1971・座談会:建築と演劇(「現代建築家全集11:山口文象とRIA」三一書房)
1972・講演・建築はどうなる(「建築家」1972年夏季号 日本建築家協会)
・講演・建築学生は何を学ぶか
・対談・山口文象1929-1932(「近代建築の目撃者」佐々木宏1977)
1974・対談・「生活空間の創造」ワルターグロピウスについて(「建築雑誌」1974.11)
1975・対談・兄事のこと(「建築をめぐる回想と思索」長谷川尭1976)、
・対談・建築を創る(JIA会館にて 聞き手:佐々木宏)
1978・地域に根をおろした建築を(「建築士」)
1978・追悼(植田一豊 1978年6月1日 山口文象葬儀)
Ⅳ.各種論考・紹介・資料
●【バウハウス100年映画祭】ミース、グロピウス、山口文象たち世代の戦争責任は2020/01/22
●【山口文象作品追跡】横浜震災復興橋梁「都橋」は山口文象デザインと判明2018/10/11
横浜都心の大岡川にかかる都橋の竣工図に「設計 岡村」のサインがあると発見
●【論考】北鎌倉浄智寺谷戸関口茶席由来記 2018/01/31
モダニストとして売り出し始めた1934年に山口文象が設計した茶席建築は京都の名茶室の写し
●【資料】グロピウス夫人の手紙に見る1930年代初頭のグロピウスそして山口文象(2015/10)
山口文象が滞欧した1930~32年頃のベルリンにおける世情とグロピウス事務所のこと
●コラム:山口文象とブルーノ・タウトの出会いータウトの日本日記から(2015/08)
1933年から1936年まで日本にいたタウトとその間の山口文象との意外な関わり方
●コラム:未来が明るかった頃:奈良の西郊にできたモダン建売住宅・その1、その2、その3、その4(2015/03)
1956年、奈良西郊近鉄あやめが池で住宅博覧会開催、山口文象はモダンコンクリ建売住宅出展
●コラム:山口文象設計の総同盟会館・全繊会館を“発見”2014
1936年に建った青雲荘の隣りに戦後1949年に建った労働運動の拠点の施設
◆論考:J・コンドル和風建築と山口文象モダン建築の出会い(改訂2校)2014
近代日本の社会主義出発と労働運動拠点の設計はコンドルから山口文象に引き継がれた
●コラム:山口文象の自邸がTV番組に登場「古くて新しい家」2014
山口文象自邸は今はピアニストの子息が住み、春と秋にサロンでピアノコンサートを開く
●講演配布資料「松岡駒吉と山口文象が青雲荘に込めたメッセージ」(2014/05)
1936年、日本労働運動指導者・松岡駒吉は設計者としてなぜ山口文象を選んだか
●講演画像「松岡駒吉と山口文象が青雲荘に込めたメッセージ」(5MBPDF 2014/05)
2014年5月27日、友愛労働歴史館での講演に使用した画像
●瓢論・J・コンドルの和風建築と山口文象のモダン建築の出会い(2014/03)
東京都港区芝に同じ敷地内に戦災で焼けるまで隣あっていた対照的な二つの建築
●コラム・山口文象90年前の橋の設計図:新宿地下広場で土木学会百年記念展覧会2013/11/23
●瓢論・RIAが選んだ建築家共同体組織とその職能展開の軌跡 (2013/11)
山口文象が起した「住宅のRIA」から「都市のRIA」への大転換と建築家の職能新展開
●瓢論・体験的書評「まちをつくるプロセス RIAの手法」 (2013/11)
山口文象たちが1953年に創設したRIAは2013年には60年,記念誌を刊行
●紹介・山口文象設計戦前モダン木造住宅の現存を発見-菊池一雄アトリエ
1931年に建った彫刻家・菊池一雄アトリエは山口文象設計の木造モダンデザイン
◆ブックレット・まちもり叢書「建築家 山口文象の世界 作品と評伝」(pdf)
このサイトに掲載している山口文象論考の中から厳選して自家製DTP本を作った
●瓢論・山形梅月堂・街並みとしての昭和モダニズム建築2004、2008,2009
1936年は山口文象のピークの年、山形市七日町に梅月堂がモダンな姿で登場
観光地箱根の玄関口あたりにある山崎発電所と取水ダム
●瓢論・東京中央郵便局舎の改築と建築保存の諸問題(2008)
東京中央郵便局が改築されるが、原設計者は吉田鉄朗ではないと山口文象は異論
●【資料】インタビュー二人の建築家の戦中戦後(html版) (PDF版) (2008年8月11日)
建築家小町和義氏は山口文象の戦中戦後をよく知る、山口は戦争に加担しなかったか
●シンポジウム「新制作座文化センター-この建物は残せるか」(2007)
山口文象とその時代略譜、1963年に建った演劇集団の根拠地の建築群は今、
●【資料】山口文象とその時代・戦後年譜 (PDF)
モダニズム旗手建築家は戦争で逼塞、戦後の再出発から終焉までを克明に追う
建築家・山口文象の建築・ポスター・家具等(抜粋)のデザイン一覧
建築家・山口文象と初期RIAを研究する人のための文献資料等の表題一覧
●【資料】1952年からのRIAに関する参考文献一覧 (2013/10)
山口文象・植田一豊・三輪正弘・近藤正一らによる各種論考、最近のRIA出版物まで
●【資料】山口文象著述・創宇社建築会時代3部作論文(1928ー1930)
「新建築に於ける唯物史観」、「合理主義反省の要望」、「新興建築家の実践とは」
●【資料】評伝年譜「新編 山口文象人と作品」出版(2003)
1982年「建築家山口文象人と作品」(RIA)を上梓、21年ぶりに新資料による評伝を出版
●【資料】ある近代建築運動実践者の証言(竹村新太郎氏インタビュー)
創宇社建築会創立メンバー竹村新太郎氏が語る近代建築運動の現場
●【紹介】「疾風のごとく駆け抜けたRIAの住宅づくり1953-69」という長題名の本が出た(2013/10)
「住宅のリア」の時代のRIAが取り組んだ戦後庶民戸建て住宅設計は400軒を越えた
●【改定評伝】アール・アイ・エー創設の建築家 山口文象の生涯 (2013/11)
●【評伝】山口文象(2003年版)
大工棟梁の家に生まれ助走、離陸、飛翔そして止揚と建築家の道を行く
●【コラム】初期RIAと初期森ビルの出会い:第1森ビルから都市再開発へ(1993/03)
時代そのものがまだ若かった戦後、山口文象率いるRIAが森ビルの第1号を設計したが、、
●【コラム】創宇社、山口文象そして竹村さんのこと(1997)
創宇社建築会をおこして近代建築運動にまい進した二人の軌跡
●【コラム】黒部川第2発電所と小屋平ダム(1999)
自然の中の造形にかかわったデザイナーとエンジニアたち
●【コラム】造景をたずねて・黒部第2発電所(2004)
自然との調和ではなく黒部峡谷美と対峙する建築。表題コラム他にも多数。
●【コラム】富山と東京:建築家山口文象と二人の小説作家をつなぐ糸は?
松江と富山に小泉八雲ゆかりの建築、東京に林芙美子邸、両作家と山口の接点は?
●富山高校にあった山口文象設計の小泉八雲図書館 (2001)
●【コラム】山口文象デザインの家具を見に行った(2013/11)NEW
●関連する外部リンク
・システムを設計する建築家 近藤正一とRIA (WEB「建築討論」2017年6月号 日本建築学会)
・創宇社建築会について-創宇社研究者・佐藤美弥氏のWEBサイト
このページのトップへ
後列:三輪正弘、石関雍夫、上平三和子、(坂根弟)、北島道生、田中俊彦、福井稔、伊達美徳、近藤正一、山家啓助、鳥飼勢三、
中列:北住金吾、水口禎、坂根良朗、石村勇二、山澤千代子、富永六郎、
前列:植田一豊、(池辺陽)、山口栄一、山口文象、稲地一晃、樋口金治
初期RIAメンバー 1962年山口邸でのRIA10周年記念パーティにて カッコ内はRIA外
---------◆趣味の能楽等舞台鑑賞----------
わたしの趣味の能楽鑑賞は、1992年春から観世流シテ方・野村四郎師に謡を習いだしたことから始まる。この師匠はまことに教え上手で、曲目の趣旨や演者として事実も語ってくださる。能楽を観る興味が一段と深まる。わたしはそのうちに謡稽古は舞台を観るための手段のようになり、一時は毎週のように観ていたものだ。今は能楽もちょくちょく見るが、時には芝居なども見るから、舞台偏見鑑賞作文を書き連ねる。
・国立能楽堂で能「盛久」(シテ野村四郎)の英語字幕を見てお経の意味がわかった2013/11
・初めての文楽見物で「生写朝顔話」を観てきて歌舞伎よりもちょっと面白かった2013/10
・新歌舞伎座のタワーの頭に千鳥破風でも載せてちょっとはカブいてほしかった2013/10
・横浜能楽堂で若い演者たちによる若い主人公の能『敦盛』を観たが、、2013/09
・能「隅田川」の眼でオペラ「カーリューリバー」を見る2013/03
・世阿弥元清の眠くなる能と小次郎信光の面白くなる能の競演を見た2012/12
・能「定家」を初めて見て主人公が救われない夢玄能もあるのだと知った2012/12
・杉本博司演出の万作萬斎親子の三番叟2011/09
・義経千本桜を能の目で見ると2011/0
・横浜能楽堂で琉球のゆったりとした時間を過ごすぜいたく2011/06
・野村四郎の能「鵺」を観る2009/12
・関根家三代の能楽2009/05
・高千穂夜神楽を観に行った2008/12
・能「摂待」と「安宅」2008/10
・コラボレーション能「謡かたり隅田川」を見る2005/12/03
◆能を観に行く2005/06
◆自作ブックレット「能楽を観に」:これまで見てきた能楽とその関連記録
◆野村四郎師に能の観方を聴く2005
---------◆本サイト主宰者:まちもり散人(伊達美徳)に関するページ--------
プロフィル(顔写真と略歴)
◆仕事 など
・【マスター都市プランナー】都市計画家という職能を一般社会に普及啓発する2019/01/19
・伊達計画文化研究所(1989設立~2006.7廃止)
◆卒業研究論文(東京工大藤岡通夫研究室)
東京工業大学理工学部卒業研究の生まれて初めての論文
・修学院離宮中茶屋及び法然院方丈について(1961)
上記研究の一部を日本建築学会に論文発表(1961)
・京の名刹 法然院の謎ー建築と襖絵の出自を探る(2015)
上記論文の一部のドキュメンタリー風エッセイ
◆身辺いろいろ
・いま日本中で起きている空き家問題にわが身が直面2014/11/11
・少年のある日、突然に四季がみえた(2003)
・師匠の死-植田一豊氏が逝った(2009.12)
・1146【終活ゴッコ:懐かしい品々処分:カメラ編】 1147【製図用具編】2015/11/21
◆病と怪我の記録
・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが記録、、、2015/05/05~
【尻餅老人横臥戯録1】、【2】、【3】、【4】、【5】、【6】、【7】、【8】、
・白内障手術一部始終日記(2012/09) わが身体に初めてメスが入った手術体験記
大腿骨頭壊死症なる不治の難病に罹ったが、奇妙なことに自然治癒した
◆戦争エッセイ
・【敗戦忌】父は三度の戦地から三度とも生還したが兵器となった釣鐘は戻らないまま2016/08/22
・津波と戦争そして原発ー1933年と2011年の日本(2011.08)
かつて日本が中国と戦争を始めたころ大津波が東北地方を襲った。2011年の津波時と比べてみた。
敗戦は8歳の時、その日からなんだか奇妙な出来事が身の回りにあった
・神主通信兵伊達真直の手記を読み解く「父の十五年戦争」 (2010・04)
満州、日中、太平洋の各戦争に3回とも兵役についた父は、奇跡的に3度とも無事に戻ってきた。
・【父の十五年戦争】戦中の海外日本植民地の神社を研究で意外に深く苦い歴史が露呈2016/12/19
◆伊達ファミリー・アーカイブス(ファミリーのみ公開)