鯖江:自分たちの街の将来は自分たちで決める時代(1997)

これからの地方自治のあり方について

自分たちの街の将来は自分たちで決める時代

伊達 美徳

(都市計画家・慶応義塾大学大学学院講師)

●産地で買えない名産

まず、鯖江でとまどった私のことから始めましょう。

眼鏡の日本一の産地は鯖江だと聞いていました。今から4年前、はじめて私は鯖江駅前に降り立ちました。ちょうどよい機会だから、度が合わなくなってきたわが老眼鏡を買い換えよう。きっと腕のいい職人がいる眼鏡屋さんが集まるストリートがあって、安くて良い眼鏡を2日間の滞在中につくつてくれるだろう。

そんなことを考えていましたが、期待はものの見事に外れたことはいうまでもありません。

2年前、四国の今治の駅前に降り立ちました。ここは日本一のタオルの産地の街です。その後、わが家のタオルは今治産で一杯になることもなく、やはり産地の街では買えないのです。いや、買えなくはありませんが、鎌倉のわが家の近くで買っても同じなのです。

●玄関が美しくない地方都市

次の私の鯖江訪問は、自動車でやってきました。北国街道の田園風景を楽しみながら街に近づくと、街に入る前の道筋の感じが変ってきました。

けばけばしい看板、いろとりどりの旗やのぼり、ギンギラのパチンコ屋、奇妙な形の安売り店舗、殺風景な駐車場ばかりの自動車屋などがせっかくの田園風景をこわして立ち並びます。

そこは武生か鯖江かよく分かりませんが、どちらにしても街に車で入って行く玄関口がこれでは、ちょっと異様な風景です。この先どんな街が現れるのかと恐れながら中心部に入っていくと、落ち着いた町並みが現れてホッとしたのでした。

静岡県の掛川市に行きました。一昨年でしたか、街の中心部の丘の上に、掛川城天守閣を本格的な木造で復元しました。その周りの中心街は城下町風に建物や道を直しており、なかなかしゃれた街になっています。

ところがここでも、街から一歩はずれて郊外バイパス道路に出てみると、これはいかに、上に述べたと同じようにむちゃくちゃな風景が連なっています。

●地方独白の都市計画マスタープラン

ここでのテーマの地方自治とは、法律の世界ではいろいろと解釈があるのでしょう。でも簡単にいえば、そこの地方で暮らす者が自分たちで自分のことを治めること、つまり自分たちで自分たちの将来を選択することと、私は考えることにしましょう。

私は都市計画が専門ですから、自分たちの街の将来像を自分たちで選択して、自分たちで街づくりを進める、ということについて考えて見ます。

いま全国の市町村で一斉に、住民の参加によって都市計画のマスタープラン、つまり自分たちの街や柑の将来像をつくつています。鯖江では既にできあがっているでしょうか。今つくつているところでしょうか。これをお読みになっているあなたは、鯖江市の都市計画マスタープランを、ご存じですか。

このマスタープランは、あなたの街の今後20年の将来を決める重要なものです。それを住民が参加してつくる、つまり自分たちの街の将来を住民が自分たちで選択しなさいと、都市計画法という法律に定められているのです。これは地方自治のまちづくり版の典型的なものでしょう。

●地域の将来は地域の住民が決める

都市計画といえば、役所が道路をつくることだろうと思われている向きもありますが、街の中の土地の使い方、建物の建て方、道や公園や川の位置やつくり方など、実は私たちの日常生活の場のすべてを規制しているのです。

その都市計画をだれが決めるのかといえば、実は住民が決めることになっているのです。そんなことはない、役所で勝手に決めている、という声があがるでしょう。

たしかにその面もありますが、都市計画マスタープランという都市計画の最も基本となることは、住民が参加して話し合って決めるべしと、法律が定めているのです。

もちろん法律には、都市計画マスタープランばかりでなく、それぞれの地区に特有なまちづくりの方法を、地区の住民みんなで話し合って、みんなで取り決めるこ七もできるようになっています。話し合いの結果を都市計画の手続きによつて決定すると、守らない人を罰することもできるような強制力を持つようになります。

では、道はこう付けようとか、このあたりは住宅地にしようとか、公園をここにつくろう、このあたりは開発しないでおこうなどと、現実として住民が集まって本当に決めることができるものなのでしょうか。

住民が集まってあれこれと話しをしても、道路一本引くにも、総論としては分かる、だけどうちの前は困る、などと、総論賛成・各論反対がおこつて、決めようがないだろう。決めたとしても素人の集まりで、正しい将来が分かるものなのか。いろいろな声があります。それが、実際にやってみると、案外うまくいくものなのです。

●横頴賀市での市民参加の試み

私が都市計画マスタープランづくりで、市民参加のお手伝いをしました。それは神奈川県の横須賀市でのことです。3年半かかりましたが、それまでにはなかった都市づくりの将来像が立派に市民によってつくりあげられました。

その間の会合は述ベ80回くらいはやったでしょうか。夜の協議会もあれば、昼のシンポジウムもあり、ワイワイと集まるワークショップなどのほかに、街の将来像についての懸賞論文、、一言はがき提案、アンケートなどいろいろな形の市民参加がありました。

はじめて都市計画という言葉に接するような一般の方々の集まりですから、初期の会合ではなかなかに将来像の話へは行きません。どうしてもわが家の前の道のことや隣のマンションなどの各論の話になります。

でもそのような話は会合を3回もやれば、どうしても次の段階に進むことになります。10回も集まれば、みんな総論から各論まで秩序を持つて語ることができるようになり、都市計画のことがわかるのが普通です。

とにかく街づくりについては、何回も話合うことが大切だと、そのときつくづくと思ったものです。この会議の中から確実に街づくりのリーダーが育っています。

ではその結果は完璧な将来像ができたかといえば、そのようなことはないのです。完璧な都市計画というものは専門家がやってもあり得ないのですから、それは仕方ないのです。

重要なことは、自分たちで話し合って決めるということなのです。そして決めたことを、そのまま行政まかせにしないで、自分たちでフォローすることなのです。

もしかしたら自分たちで決めたことが間違っているかも知れません。それが自分たちで決めたことならば、納得のいくことであり、速やかに変える手立てを講じることになります。あるいは時代の流れの中で、変えなければならないときもあります。

はじめの話しに戻りますが、車で街に入る玄関口の異様な風景も、都市計画で許すこともできますし、規制して美しい田園風景とすることもできます。それを選ぶのは、都市計画マスタープランをつくる市町村であり、参加する市民や住民なのです。

その風景をよそ者の私があれこれと指図する立場にはありませんが、好き嫌いを言うことはできます。はっきり言って嫌いです。

●拡敢する地方都市の暗い将来

実はこの異様な風景の、.」とは、街の中心部の問題と連動しているのです。鯖江も例外ではありませんが、地方都市ではどこでも中心部の空洞化がドンドン進んでいます。これは中心商店街の商売の不振という現象によく現れています。

つまり郊外に中心部の交通混雑の解消と称して郊外にバイパス道路ができると、その道に沿ってショッピングセンターや安売り店舗ができる。自動車の普及している地方都市ほど郊外店舗に買い物に行く。郊外が車に便利だからと住宅地ができて、中心部から人々が移住する。中心商店術は客がいなくなるし、街には人もいなくなる。バイパス道路はますます混雑して汚い風景となる。そこで今度はバイパスのバイパスができる。また、同じことがくりかえされます。

こうして地方都市の街はだんだんと希薄に広がって行き、もう街とはいえなくなってきているところもあります。その行きつく先に大問題が横たわっていることに、みんな気がついているのでしょうか。

自動車交通の便利さを前提にした郊外の生活は、実は子供と年寄りにはつらいものがあるはずです。郊外の子供は通学バスで帰ってくると、近所に遊び相手がいないのでファミコンづけです。

郊外で暮らす運転できない年寄りもおなじで、だれかに運転してもらわないと医者にも行けません。高齢者だけの世帯が増えていますから、わが家がそのままオバステ山になってしまいます。

密度が薄くても生活圏が郊外に広がると、税金を投じて道路、上下水道、学校をつくり維持し、福祉バスや通学バスを広い範囲に走らせなければなりませんから、効率の悪い行政コストのかかることは避けられません。

その一方で、学校も住宅も市役所も病院も商店街も道路も、みんなそろっている昔からの中心街はがら空きになってきて、せっかくの長い間に投資してきた社会資本が無駄になりつつあります。

これは一体どうなるのでしょうか。日本全国で人口が減ろうとするときに、地方都市の人口だって増えないのに、郊外への投資は増えつづける。その一方で中心部のこれまでの投資が無駄になる、という二重の無駄遣いをなんとかしなければなりません。

その例は一杯ありますが、新幹線駅が田園の中にできるとかならずニュータウンをつくります。そこに近くの街から住民が移動していって元の街はがら空きという現象は、鯖江も北陸新幹線で十分に予想されることでしょう。

ついでに言えば、新幹線の駅前が森と公園であってもよいと思うのです。それこそ地方と市の豊かさを見せる玄関口になるでしょう。現にイタリアの宝飾産業で有名な古都市のヴィチェンツァ市がそうです。

●イタリア・ポローニヤ市の試み

ヨーロッパの都市では、伝統的な中心街が保たれ、多くの人々がそこに暮らしており、市場がにぎわっています。これは、どうなっているのでしょうか。

イタリアにポローニヤという有名な古都市があります。歴史的な建築ばかりの旧市街の中はポルティコという、この街の特色となっている建物と一体となったアーケードが巡らされていて、歩いても車でも楽しい街です。伝統的な工芸づくりの職人たちが術の中で暮らしています。一九七〇年代から伝統的な旧市街の保存再生と都市街開発をセットにしながらの、ここの街づくりは、世界的な注目を集めています。私の現地視察と「都市計画と住民参加-ポローニヤの試み」(三上禮次著)をもとにお伝えしましょう。

ボローニヤの伝統的な旧市街の保存は、それまでは文化遺産としての価値あるものを残し、そのほかは再開発するという考えでした。しかし、伝統的な市街は共同体の場という都市本来の意味を持っているのであり、共有の資産であるという観点に変わってきました。

伝統的な市街地は、社会の保存再生の場としてとらえて、都市計画として安定した都市を将来にわたって形づくるものとし、整備を進めるという考えなのです。

この考え方の背景には、街づくりへの総合的なコストの見方もありました。新市街地を開発するための投資コストには、新たな道路や水道などの投資のほかに、歴史的市街地のまだ使える資産が見捨てられていく費用も含めるべきだ、というのです。

それに加えて更に、新市街地の開発による農地や丘陵の緑の減少という、環境の変化や食料生産の減少などの、間接的なコストも見るべきだというのです。そうすれば、伝統的な市街地の保存再生のほうが、はるかに投資額を押さえることができるのです。

ここでの街づくりには、地方自治が大きく働いています。イタリアでは国よりも地方が強い国ですが、ポローニヤでは更に地区を分けて、地区住民評議会という市長に近い権限をもつ組織があり、住民参加と分権のシステムが動いているのだそうです。

こうした考えとシステムのもとに、歴史的な市街地とその外の計画的な新市街地がセットになった街づくりを進めてきて、現代のポローニヤがあるのだそうです。なるほどと、うなづけます。

とにかくヨーロッパの古い街に行くと、旧市街地の中に住んでいることが自慢なようです。新しい郊外よりも、古い術なかの方が、居住地としてステイタスが高いのです。

●中心市街地再生の目玉は住民の呼び戻し

ところで今、中心市街地の再生が日本の都市政策のメインテーマとなりつつあります。通産省、建設省、自治省、国土庁などに文部省まで加わって、てんやわんやの有様です。

この夏には、大型店舗が郊外に進出することを規制緩和することに対して、既存の商店街へのみかえり対策という政治的なことがあるようです。例の今槍玉に上がっているウルガイラウンド関連事業そっくりですが、せっかくの機会ですから、これを地方都市の再生策に旨く使うことです。

これを中心商店街の再生という商業振興策にのみの視点でとらえると、必ず失敗すると私は考えています。うっかりすると、中心商店街の安楽死のためのバラマキになるかも知れません。肝心のお客がそばにいないのに、商店街モールやアーケードをなんとかしても限界は見えているのですから。

私の考えは、これは中心市街地に再び人々が戻ってくるための政策ととらえるべきです。人々が戻ってくれば、それがお客となって、商店街も自然と活力を取り戻す筈です。昔の街の商店街は、どこでもそうやって成り立っていたのです。

中心市街地に環境のよい住宅をたくさんつくっていることが、なによりの政策です。中心部は地価が高いからできない、というのは、上に見たように郊外への投資よりも総合的にはコストがかからないはずです。

土地の権利が複雑で難しいから、とも言われるでしょう。その通りです。だから郊外に街づくりが広がっていったのでしょうが、その結果が今の地方都市の空洞化問題を招いたのです。

要するにこれまでの都市問題への対応は、やりやすいところでやってきて、やるべきところを後まわしにしてきた、と思うのです。

●働く高齢者たちの街へ

高齢化と少子化という現象は地方都市ほど顕著に進みます。これを街づくりでいかに対応するか、という視点はまだまだ足りません。この二つの現象を積極的に評価するまちづくりをしたところが、21世紀に生き残ると思います。

高齢者は多くなるが子供が少なくなるので、働く人々が支えなければならない人口(従属人口)が増えて大変だ、というわけでもないのです。日本が戦前から成長を続けて近代国家になり得た大きな要因に、従属人口が少なかったことがあります。かつては子供は多くて、高齢者が少なかったのです。子供と老人の人口比は逆になりますが、同じことです。

いや、高齢者は就労できますから、むしろよい方向に働くでしょう。日本の高齢者は欧米先進国に比べて、就業人口が断然多い傾向にあります。例えば、65歳以上の男の労働力率は、日本では42パーセントもあるのに、アメリカでは16パーセント、フランスではなんと2パーセント以下という統計があります。

生産年齢人口が減るのですから、高齢者が労働に参加するのは必然となるでしょう。一方では生きがい論としての労働もあるでしょうが、日本の産業を支えていくには高齢者の参加が不可欠になるはずです。日本の高齢者は、働くのが好きですし、能力も高いのです。

その高齢者が働きやすい街づくりとは、中心市術地を暮らしの場とすることに尽きると思います、自動車に乗らなくても通勤できる、買い物も文化活動も都市の楽しみも、自転車で動ける範囲にある街に暮らせることが、高齢者の働く都市となる筈です。現に高齢になってからは、自動車から自転車へ乗り換える人が多いのです。

もう一つの少子化には、どの様な街づくりが対応するでしょうか。実は高齢者対応とほとんビ同じなのです。

女性が子供を産んでも、安心して社会に参加し働きやすい街とは、歩ける範囲・自転車の範囲に、暮らしの場があり、子供を預ける場があり、働く場があることなのです。これはとりもなおさず、中心市街地を環境のよい暮らしの場とすることにほかなりません。

このようなコンパクトな街のよさは、地球環境に心を留めるべき時代の街でもあるのです。通勤通学などで自動車の移動を伴うことが少なくなるので、エネルギーを使うことも少ないのです。

あるいは生物としての人間の生存を支える自然空間を、広く保つこともできます。

●地域の産業を生かす街づくり

街で働き、街で暮らす、それには街に産業を呼び戻すことも必要になってきます。鯖江にはファッションなどの産業があります。地域固有の産業が街の中で、暮らしの場とよい関係を保ちながら成立すると、活気がある街になると思います。

実はもうそのようなことが、鯖江をモデルに考えられているのです。国土庁の提案で、鯖江と武生を連携したファッションタウンにしてはどうか、というのです。ファッションタウンとは、地域の物づくりを連携して、地域で作り、地域で売り、地域で育てようとする考えです。

そのような街になれば、私だけでなく観光客がよろこんで鯖江で眼鏡をつくつて帰ることができるでしょう。

地域固有の産業を生かすことは、地域固有の街づくりとなります。こうして、地域の住民も企業も自分たちの街を、自分たちの産業と自分たちの環境としてとらえ、その将来を自分たちで決めることが、動き出しているのです。

地方自治の話しに戻りますが、これまでの街づくりがよかったのかを企業市民もいれて市民自分たちで考え、これからはどうなのかその方向を決める時代になっているのです。

その時に重要なことは、地域によいリーダーがいることです。地域によってよいリーダーとは、小言幸兵衛みたいな老人かも知れません。働き者の子育て母さんかも知れません。あるいは市長さんかもしれません。子供会の会長かもしれません。

辻かよえもんさんの肩には、そんな地域の街づくりのリーダーとしての役割が重くかかっていて期待されるのです。

注:この論文は、後に鯖江市長となった辻嘉右衛門氏の発行する「Kayoemon REPORTかよえもん」(1997年10月辻オフィス)に掲載した