新国立競技場と明治神宮外苑で都市計画は何をしてきたのか

この論考は雑誌『建築ジャーナル』(2015年12月号 企業組合建築ジャーナル発行)に寄稿したものである。執筆は2015年11月16日。

新国立競技場と明治神宮外苑で

都市計画家は何をしてきたのか

伊達 美徳 都市計画批評家

この新競技場建築計画に関しては、多様な問題が世間の話題になったが、

要はその建築のあまりの巨大さへの批判である。

では事業主の日本スポーツ振興センター(JSC)のもとでその巨大さを決める仕事をした専門家は誰であったか。

新競技場の建築計画をまとめ、国際コンペの裏方を務め、実現のための都市計画案を策定し、

東隣の神宮外苑も含む大規模な都市計画へと歩を進める役割をした都市計画家と

その都市計画の抱える問題に目を向けよう。

都市計画家は

建築から都市までマネージする

これまで新国立競技場について多くの建築家が登場したが、では都市計画家は誰なのか。有識者会議に都市計画家の岸井隆幸(日本大学)が名を連ねており、2012年11月決定の国際コンペの審査員でもあった。しかし、都市計画の実務作業をしたのは、その下に技術調査専門員としてついた都市計画家・関口太一(都市計画設計研究所)であった。

JSCが関口が主宰する都市研に「国立霞ヶ丘競技場整備に係る基本計画策定等」の業務を発注したのは2012年4月だが、実際にはかなり前から作業していたであろう。

その内容は、新国立競技場の建築計画、国際コンペ実施の裏方支援、それを実現させるための都市計画案づくりなど多岐にわたった。都市計画家・関口太一による基本計画の上に、建築家たちがあの巨大な新競技場の絵を描いたのであった。

その基本計画をもとにして国際コンペによるザハ・ハディドの競技場案が生まれるのだが、巨大すぎて現在敷地におさまらない。だが、オリンピックの錦の御旗のもとに無理矢理はめこむとて、足りない敷地は隣地も公園も道路もとりこみ、厳しい都市計画規制の緩和措置も必要だ。これは都市計画の出番であり、都市計画家の仕事である。

そして新競技場関連地区の都市計画の変更案や新設の地区計画の詳細案をつくる。

これとは別に、東隣の神宮外苑に関しても計画が進められてきている。2003年に都市計画学者の伊藤滋を長とする委員会が「明治神宮外苑再整備構想調査」報告書をまとめた。

外苑の出自に留意しつつ新時代の都市公園としてのあり方を構想しており、この都市計画家は今井孝之(都市設計研究所)である。

これら東西ふたつの計画をひとつに合体した都市計画が、「神宮外苑地区地区計画」である。これはJSCを代表者として国、都、明治神宮、隣接民間企業等の土地所有者が共同で、東京都に都市計画法に基づく提案(2012/12)をして、受理した都が評価の上で都市計画決定(63.3ha、2013/06)をした。

地区計画はそこに整備する建築をベースにした都市計画であるから、都市計画家は官と民の多数の関係者の建築計画をひとつの地区計画にまとめて、このプロジェクトの実現へのマネージメントをしてきたことになる。

都市計画公園指定の神宮外苑は

どのような姿で開園するのか

西側の"新競技場地区"の地区計画は具体的であり、ザハ・ハディド新競技場案と日本青年館・JSC新ビル計画案に合わせて高さ、容積率、用途の緩和がその内容である。

高さ制限の緩和は、許可基準を変更して風致地区も高度地区も大幅に突き抜けた。これについて都市計画としても都市公園としても妥当か否か、総合的な検討があったのだろうか。

東側の"神宮外苑地区"の地区計画は、大きく2分して、絵画館と銀杏並木のあるラケット型エリアは保全地区として、創建当初への復元を目指している。

この保全地区を除く神宮球場等のある外苑と、外苑外のラグビー場及び企業用地等については再開発等促進区としている。企業用地が取り込まれた事情がわからないが、地区整備計画も未指定で詳細はいまだに不明である。

しかし、外苑再開発地区の土地利用基本方針には、"既存スポーツ施設及び関連施設の更新・再編、新時代のスポーツニーズに対応した施設整備、神宮外苑の緑豊かな風格ある都市景観と調和、魅力的な賑わいの商業、文化、交流、業務機能の集積"とある。

地権者たちのつくった地区計画企画提案書には、"見直し用途地域は商業地域、見直し容積率は現行の指定容積率に上乗せ設定"と、都市計画的にドラスティックな表現がある。

一部に企業用地を含むからか、これでは何でもありの商業地再開発の意図で、神社境内だからとて縁日の見世物小屋や屋台店を常設の大規模商業ビルにして立ち並ばせるのか。

地区計画は、開発構想計画に基づいてそれを実現するように定めるものだが、都市計画家はどのような絵を描いているのだろうか。既に地区計画指定しながらその構想図さえも非公表であるのが不可解である。

忘れてならないのは、この神宮外苑には都市計画公園の指定があることだ。そもそも神宮外苑はかつて国家神道の国有地であり、戦後に宗教法人となった明治神宮に時価の半額で譲渡(約5.5億円、1956)したから、いわば半分は国民の財産である。

であればこそ東京復興内環状緑地(1945)、都市計画公園(1957)、風致地区定(1970)等の指定をして、都市公園という公共的施設への方向づけをしたのであろう。

しかし、公園指定から半世紀を過ぎた今も未開園のままである。この機会にその歴史を踏まえた構想計画を練りあげて公表し、例えば特許公園としてでも、全面開園へと進めてほしいものである。

地区計画の区域設定が

都市計画として不可解である

この地区計画区域には都市計画として不可解な点がいくつかある。都市計画家たちはどう考えたのだろうか。

第1に、西側の事業が明確な新競技場地区と、東側の内容不確実な神宮外苑地区とは、実体的には無関係なのに同時にひとつの地区計画としたことだ。

オリンピックで急ぐ官側の計画を目くらましに使って、ドサクサまぎれに民側開発がこっそり便乗したのか。

第2に、霞ヶ丘都営住宅の廃止である。JSCが都に都市計画提案した時点では、東京都住宅マスタープランに霞ヶ丘都営住宅は"建替え等の事業実施が見込まれる特定促進地区に指定、公営住宅建替事業"との文言があるから、廃止する提案は上位計画との整合性に問題があった。

この廃止が必要になった都市計画的理由は、移転する日本青年館・JSC新ビル用地(図の)が都市公園指定地であり、公園には建てられない建築用途だから公園指定を廃止、だが都市公園法により公園面積の減少をできないので、都営住宅地を代替公園としたからであろう。オリンピック敗退第1号が公営住宅である。

第3に、その南隣の民間共同住宅ビル(図の)は、盲腸のようにぶら下がり、都市計画的に何の脈略もない。及び都営住宅と一体再開発ならまだしも、民間ビル単独建て替えを規制緩和して優遇の一方で、公営住宅を消滅させるとは不公平かつ不可解である。

第4に、青山通り沿いの複数民有地(図の)には、既に大規模建築が大規模敷地に建ち並び、都市的整備済みであるのに再開発計画に含むのはなぜか。その一方で、外苑前交差点あたりの細分化した土地に鉛筆ビル群が並ぶ整備が必要な地区(図の)を除外しており、いずれも不可解である。

都市計画批評を試みるつもりが批判となってしまった。建築批評のように、専門家の間に都市計画批評が根づき、一般社会に広まることを期待している。

だて・よしのり

1937年生れ、1961年からRIAに所属、50歳からフリーランス。建築や都市の企画計画を職能とし、主に政府や自治体の仕事(東京駅地区総合整備構想、横須賀市の各種都市計画等)をしつつ、非常勤の大学教員(東工大、慶應大学院等)やNPO日本都市計画家協会常務理事を歴任、仕事引退の今は建築と都市徘徊を趣味とする自称・都市計画批評家。主な編著書:『建築家山口文象人と作品』、『初めて学ぶ都市計画』。サイト:まちもり通信http://goo.gl/TPE230、伊達の眼鏡http://datey.blogspot.com/