塩山市「新しいまちづくり」の提言1987

古い仕事(RIA時代)のファイルの中から「塩山市新しいまちづくりの提言」という原稿が出てきた。

これは山梨県塩山市の商工会からの依頼された、まちづくりコンサルタント業務として、1986年度の仕事であった。

今、これを読んでみると、特に古いこともなくてそのままに生かすことができそうなので、ここに掲載した。もう、四半世紀近くも前のことだから、発注者の許可がなくてもよいだろう。

塩山市は2010年の現在は、近隣自治体と合併して「甲州市」となっている。

(2010年7月 伊達美徳)

塩山市「新しいまちづくり」の提言

1987年3月 山梨県塩山市商工会

第一章 「新しいまちづくり」への期待

私達のまち塩山市のまちづくりは、すでに行政においては再開発計画や峡東地区の観光計画等を策定して、その実現に向かっての努力がされています。

なかでも、道路整備とともに駅前地区の区画整理をすすめる事業は最も市民の関心のあるところで、目に見える形での駅前の姿が変化していきています。そして昨年は土地の利用に関する都市計画が定められましたが、これは塩山のこれからのまちづくりの幹根をなすものです。

また、民間事業のまちづくりの代表的なものとして、市役所前の蚕糸検査所跡地等に新しいショッピングセンタ-「シルク」ができました。これは中央の大型店舗を呼び寄せるのではなく、地元の商店主が一致協力して事業をするという、まさに地元主体のまちづくりの典型です。

これら官民の代表的な例をとりあげてみても、塩山にも「新しいまちづくり」の波は押し寄せていることがわかります。

しかし、まちづくりの波への市民の対応は一様ではありません。いわゆる開発をおしすすめて大都市に追随する方向もあれば、地方都市にはその地域のもつ特性をいかして静かな暮しを守る方向もあります。市民ひとりひとりが今おかれている状況に対応して、市民の数だけまちづくりの方向はあるのかもしれません。

例えば駅前の区画整理当事者になった人は、まちづくりの大波を今かぶっています。これからの街の姿と自分の家あるいは商売に対する期待と不安にゆれうごいて、新しいまちづくりに今すぐに取組まなければなりません。この方たちにとっては「新しいまちづくり」とは何かは焦眉の急と言えます。

また人口の減少で商圏の縮小傾向の中で、商店街全般に活力があるとは決して言い難い現況で、更に隣の山梨や石和の街に強い商業力が生れ、この都市間競争に塩山商人が打ち勝つにはどうするか、これからの自分たちの行くべきみちを「新しいまちづくり」に求めようとしています。

農業経営者は、跡取り息子たちが帰ってこない状況で、これからの「フル-ツの塩山」のなりゆきに不安をもっています。若者が働くところは農業ばかりではないはずですが、農業の外に働く場はきわめて限られているのが現状です。これから老人ばかりの街になって、刺激と活気ががうすれるとますます若者が帰らないのではないかと不安です。若者たちは仲間どうしでいろいろの情報を交換し、互いに刺激しあって成長するものですから、大勢の若者がいろいろな職場で働ける街になれば帰ってくるでしょう。この街で多くの若者が働けるにはどのようにすればよいか、これは「新しいまちづくり」の最大のテ-マとなっています。

家が郊外に建つようになって街がしだいに西南に移動、分散していますが、人口が増加しているわけでもないので、これではしだいに街全体が薄まって来ていることになります。かつては塩山の街は歩いて回れる範囲に中心市街地があり、歩くには遠い所の人はバス

・列車などの公共交通機関によって訪ねて来ていましたが、自家用車の普及は人々の動き方を変え、街の構造を変えてきました。人々は自家用車で動ける広い範囲に住むようになり、まとまりのある街の姿は次第に分散して焦点の無い形になろうとしています。

これは同時に市民のライフスタイルを大きく変えることになり、例えば車での動きが便利なら買物は塩山市内でなくともよくなり、あるいは車の運転できない老人は仲間に出会うのが容易でなくなります。これが塩山の「新しいまちづくり」にどのような影響を持ってくるでしょうか。

ここにも「新しいまちづくり」に期待されるところがあります。

第二章 「新しいまちづくり」の主題

1.「新しいまちづくり」の出発点

まちづくりと一言でいっても、街には永い年月の積み重ねがあり、あらゆる営みがあり、これを単純に「新しいまちづくり」にまとめることは容易ではなく、市民の数だけまち

づくりの方向があるかもしれません。

まちづくりは市民みんなの生活に関わることであり、まず誰にも異存のない主題を見つけるために、次のような3点の視点を出発点に考えます。

それは、第1に「快適な暮らし」、第2に「働きがいのある仕事」そして第3に「楽しい交際」という3点です。ここから「新しいまちづくり」を展開するとき、私たちは塩山にふさわしいまちづくりを発見できると思われます。

「快適な暮らし」とは、家族と共に生活する家庭が、環境の良い条件にあり、仲良く、豊かにすごす場となることです。

「働きがいのある仕事」とは、豊かな収入と働きがいのある仕事こそが、このまちで暮らす基礎であるということです。

「楽しい交際」とは、人々は孤立して暮らすわけではないので、近所や親戚、子供の友達、趣味の同好仲間、職場の同僚、学校の同窓生等のコミュニティ-の交流が暮らしを支えています。そのような機会があり、そのようなことのできる場が必要です。

2.「塩山での新しいまちづくり」を考える

では、「塩山での新しいまちづくり」とは、なにをテ-マにすれば良いでしょうか。私たち市民にとっては塩山での暮らし、塩山での仕事、そして塩山での楽しみを中心に求めるのであって、決して東京の奥座敷でもなければ甲府の郊外でもないのです。

それには塩山らしさ、塩山にしかないもの、塩山特有のものを見出すことから始めなければなりません。

塩山が他のどこでもなく「塩山」であることは、単に土地の名前だけで「塩山」となっているからでないことは当然としても、では、あらためて何が塩山を「塩山」たらしめているかを考えると、それはいったい何でしょうか。

まず「甲州の鎌倉」という言葉で、私たちのまちを形容することがされています。これは「小京都」と言われるまちが全国にあるのと同じように、似た雰囲気のまちを形容するときに使われる言葉でありながら、そこには「都ぶり」に憧れる中央指向の意識が裏にあることは否めません。

塩山も地方都市として今や中央でない地方都市鎌倉と肩をならべるとき、塩山が甲州の「鎌倉」であって「塩山」でないのはいかがなものでしょうか。そこから脱皮して「甲州の塩山」となった時にこそ、塩山が塩山として他のどこでもないまちになるでしょう。

では、「甲州の鎌倉」に甘んじているとして、その由来が中世の武田氏に由緒を持つ歴史的な伝統に根差していることはあらためて言うまでもないことですが、それでは、市民の私たちがその伝統をどれほどうけついでおり、その歴史をどれほど知っているでしょうか。市民が日常生活のなかで、自分の街にある歴史的環境を良好な環境として享受しているでしょうか。

そして、私たちは伝統のあるまちとしてどれほどこの「塩山」を誇りに思って行動しているでしょうか。わがまちを誇りに思えば、今中央で学んでいる若者も「塩山の出身です」と胸をはり、いつか早く良いつれあいや仲間を連れて故郷に帰ろうと思うでしょう。

ところで、他の地域の人が「甲州の塩山」を、いや「甲州の鎌倉」をどれほど知っているでしょうか。多くの人が「塩山」を「えんざん」と読まないで「しおやま」と読むことをどのように考えればよいのでしょうか。

私たちはこれからわがまちの再認識にでかける必要がありそうです。

もうひとつの塩山の有名なキャッチフレ-ズは「フル-ツの里」であり「花の桃源境」です。塩山の果物としてこれこそ塩山の独自のブランドをもつもので、塩山が塩山たるに最も貢献しています。花咲くまちの塩山は文字通り桃源境の景観を呈します。だが、この自慢の花咲くまちにどれほどの客が訪れて来ているでしょうか。隣のまちの方が有名であると言われています。更に農業生産と労働の問題が大きくたちはだかり、これが「フル-ツの塩山」に動揺を与えています。

更にもうひとつ、かつてわが町の主題を占めていた「絹の故郷の塩山」は遠いむかしになってしまいましたが、この絹が去った時に塩山の新時代への苦難の道がはじまったと今にして知るのですが、この絹に別れを告げた社会的変化にも似たことが今も始まりつつあるのかもしれません。

3.「塩山の新しいまちづくり」の主題

では、これらの「塩山らしさ」を再構成することから「塩山の新しいまちづくり」の主題(テ-マ)の設定にとりかかりましょう。

そのまえに、まちづくりに何故テ-マを設定する必要があるのでしょうか。それは、数多くの市民がいて、それぞれに多様な価値観を持っているとき、まちづくりに参加する共通の土壌が大切であり、そこに分りやすい旗印を掲げることによって、多くの市民が各自の価値観をそのテ-マに沿って展開できるからです。

これによって「まちづくりのベクトル」を見出すことができて多くの市民が参加できます。そのためにテ-マは普遍性とともに、焦点が拡散しないように独自性も要求されます。

このような基礎的な考察をへて、ここでひとつのテ-マを提案します。

『歴史ロマンの花の里 塩山』

これは解説するまでもなく、塩山の特質を表していますが、ロマンという言葉に託した“過去の栄光から未来の地平に広がる明るい視線”を、積極的に読みとられることを期待しています。これには青年会議所のまちづくりへのテ-マも「ロマン溢れる史跡の街」とされていることもふまえています。

わがまち「塩山の新しいまちづくり」は新しさと同時に、このまち特有の潜在する土地のエネルギ-を生かそうとする「新しくて古いまちづくり」というべきかもしれません。

第三章 「観光のまちづくり」への期待

1.「新しいまちづくり」は観光から手をつける

まちづくりのテ-マが「歴史ロマンの花の里」としても、このテ-マをどのようにしてまちづくりに生かすことができるでしょうか。

私たちはその方策の幹根に、『観光』をすえることにしたいと考えます。「観光からの新しいまちづくり」です。

観光に関する難しい理論はともかくとして、魅力ある観光地になればこのまちは活気を取戻すという仮定をたてます。観光を出発点にするといろいろな問題が展望を持って見えてきます。

ここで観光は「新しいまちづくり」を起すための手段であって、目的ではありません。観光をテコにしてまちづくりをするということは、観光によって人々がわがまちを訪れるようになることが、よい暮らし、よい仕事、楽しい交際につながるということです。

多くの人がやってくれば、それに対応する商業が活性化し、農産物も売れて、働く仕事もできれば若者も定着するでしょう。訪問客が増えればまちもそれなりの装いを常にあらたにたもち、美しいまちになるでしょう。みんなで来訪者をもてなすことも楽しいつきあいになるでしょう。子供たちは自分のまちがこんなに大勢の人が訪ねてくれる有名なまちであることを誇りに思って育つでしょう。老人は歴史的環境の守り役として、得意の知識を持って出番が多くなるでしょう。

観光のまちづくりに向かってこのような仕掛けが働くことを期待していきましょう。

2.「観光のまちづくり」は商業を振興する

商業は物の動きと情報の動きを基礎として発展していきます。その物と情報は人々の動きに連動していますが、今の塩山にはその基礎となる人間が少なくなりつつあります。人間を呼び戻すことを先ず考えなくてはなりませんが、そのまえに人間を呼び込むことを考えてはどうでしょうか。

観光は外部から人を呼び込みます。今の塩山の人口が少ないということに関係なく、魅力のある観光地になれば遠くの人々がやってきて、その人たちに魅力ある店舗・商品・情報があれば、商業は振興するでしょう。

この文章にすでに二つの仮定条件が入っています。「魅力のある観光地になれば」と魅力ある店舗・商品・情報があれば」というところです。前者は共通仮説なので、後ほどその仮説を実現性あるものにする方法を提案します。後者の仮説は商人の心がまえとやって来る観光客の双方の交流の中に育つものがあります。

魅力ある店舗とは、塩山の町並に個性を持った表現で商店街を整備し、魅力ある商品とは、塩山でしか買えない物を開発し、魅力ある情報とは、塩山でこそ得られる新しい・めずらしい出来事を起こすことです。

観光は郊外の山の上の大菩薩峠等の自然や、ある特定の寺社ばかりではないのです。まちの中のあちこちに塩山でしか見られない歴史的環境が点在しています。私たち市民は日常的に見ていながら気のつかないものも、観光客には価値のある存在であることもあります。あるいは由緒ある史跡等を私たち市民が知らないかもしれません。

なにしろ、塩山はまちごとそっくり博物館であり美術館にすることもできるのですから、これを巡る町中のコ-スをつくれば、観光客は観光業の客だけでなく商店街の客になるはずです。いや、商店街そのものが歴史的環境になって観光の対象にするくらいの意気込みが必要でしょう。

観光とは勝れて創造活動でもあるのです。古来からの伝統行事と思われているお祭りが意外に近年になって始ったという例は多いのです。「およっちょい祭り」もそのひとつですが、これが近郷近在を越えての観光客を集めるようになれば観光のレベルに達し、商業と観光イベントが直接に結び付くことになるでしょう。

3.「観光のまちづくり」は農業をおこす

塩山は農業のまちであることが大きな特徴です。しかも豊かな地味に恵まれて、多様な果実が実り、春には果樹園に美しい花が咲き、まちを桃源境にします。観光需要に対応する果実とその加工品とともに、季節を彩る花という高い付加価値が備わっている重要な観光資源です。

果実生産を産地で高付加価値で販売するには、観光対応の農業が真剣に検討されなければなりません。産地直売で流通経費の節減、特色づけによる高付加価値産品の開発、花咲く季節の収益事業の展開、観光参加型農業や委託生産方式の開発等が考えられます。

そして、農家と連携する焦点販売のシステムをとりいれて、観光名物の朝市、土産物の農産物の宅配取次ぎ等、商業との密接な連携方式も研究する必要があります。

こうした特色ある観光農業が都市的な需要と結びついて振興されると、そこに新しい農業システムの展開が求められることになり、これは跡継ぎの若者に課せられる期待が大きくなると思われます。若者の能力を期待される出番が来るでしょう。

4.「観光のまちづくり」は人口を呼び戻す

まちに魅力あればこそ観光客が訪れるのですから、観光のまちは魅力あるまちです。魅力あるまちは、そこを訪れることが誇りになることはもちろんのこと、そこに住んでいること、そこに生れたこと、そこで仕事をすることが誇りになります。誇りをもてる魅力ののあるまちには、みんなが住みたくなるので、若者も帰って来るでしょう。

観光関連産業が働く場をうみだし、働く場所があれば若者も帰って来るでしょう。そして観光の何より波及効果は、魅力あるまちには先端的な企業が進出しやすいことです。それは、先端的な企業であればあるほど、その企業に働く人は高学歴、高収入であり、企業が移るにあたってもそのまちの生活環境の条件が整っていなければなりません。その生活環境の条件とは、自然に恵まれているとか、静かであるとかだけではなく、多くの物、人、情報がいきかう都市であり、刺激に富んでいることも大切なことです。観光のまちには多くの人が情報を運んできます。したがって、その様な刺激的な観光のまちづくりであることも必要と言えます。

工業誘致が叫ばれその手立てをいろいろに講じたとしても、基本的にはまちに魅力が無ければ無理なことです。

5.「観光のまちづくり」は子供を育てる

子供は毎日まちを探検しています。まちのすみずみまで知っています。今私たちの努力して作るまちは今の子供たちが使うことになります。このまちを私たちは良いものにして子供たちに渡してやる義務があります。

魅力あるまちには多くの客が訪れます。子供たちはこのまちが、そんなにも有名なまちであると知り、誇りを持って育つことでしょう。

観光客が訪れるホスピタリティ-(親切なもてなし)のあるまちでは、子供たちもホスピタリティ-を学ぶことでしょう。 観光客が訪れる歴史的環境がなぜ魅力あるかを、子供たちにこのまちの成立ちとして教えることも重要です。それは単に机上の知識でなく日常の行動として、例えば「こども史跡パトロ-ル隊」を組織し、史跡を巡ってその由緒を学ぶとともに、清掃や補修に参加することで自分の故郷を愛する心を養うこともできます。その行動を通じて「こども塩山歴史読本」を子供たち自身で編集することも楽しいことであり、郷土を愛する心が育つでしょう。

6.「観光のまちづくり」は生きがいを生む

歴史のことや地域の成立ちのことなら、まちの長老たちは最も得意とする分野です。古老に学ぶことはたくさんあります。この人生の先輩たち、シニア連中に頑張っていただいて、歴史観光のまちを育てていきましょう。シニアガイドサ-クルを結成し、観光客の案内を生きがいにしていただくことはいかがでしょうか。

家庭婦人も公民館や文化教室で歴史のまちを勉強してはどうでしょうか。その講師はシニアの方にお願いしましょう。そして町の歴史を知ることで観光のまちづくりへの理解が深まり、ボランティアとして観光客へのもてなしが出来るようになるでしょう。

観光地ではその土地の人の親切なもてなし、特に主婦のもてなしが地域のイメ-ジを大きく左右することがあります。その土地を訪ねて親切にされると、また訪問したいと喜ばれるまちとなり、これこそどんな施設づくりにも増しての観光地の条件です。

7.「観光のまちづくり」は楽しい交際を生む

まちづくりのために地域の歴史、風土を市民が共に学ぶという行為から、コミュニティ-の形成が進むでしょう。更に観光地となったこのまちを訪れる人々との交際は、地域を越えるコミュニティ-づくりに発展します。人と人の交流は更にネットワ-クを広げて、地方都市に欠けるといわれる情報の流通を促すことになります。観光客は新しい情報をもたらして、まちに活気をよびおこします。

観光とは単に新しいものを見るのでなく、その地域に参加して、何かの自主的な行動を行うことが求められています。それが人々の交際であり、客と住民との交流こそ地域の活性化につながるのです。

清潔な表道ばかりでなく、その土地の匂いがする裏道、ナイトライフの通りもまちには必要です。

8.「観光のまちづくり」は快適な住環境をつくりだす

観光のまちづくりは根本的には魅力のあるまちです。その魅力は一過性のものでなく永く続くものでなくてはなりません。それは結局は快適な環境につきるのであり、有名な歴史的環境の観光地がどこでも住みよいまちになっているのは、このことを証明しています。

もともと歴史的なまちはそこが快適な環境であったからこそ、かつての為政者がその地を選んだのです。その環境がうけつがれて生かされているか、それとも近代の社会的変化が歴史的環境を破壊したかによって現在のまちの評価がされます。

塩山は歴史的環境を十分に生かしてもいませんが、破壊もしていないといえる状況でしょう。これからどちらを選択するかというときに立っているのでしょうが、これまでの述べてきたことから、当然のこととして歴史的環境の近代的再生を図ることが、快適な環境を形成することになるのです。快適な環境は住民を増加させ、人口の減少をストップさせるでしょう。

第四章「観光のまちづくり」の方法

1.「観光のまちづくり」の基本的な態度

塩山の観光資源は、言うまでもなく歴史と花と果実です。これは心に訴える歴史、視角に訴える花、味覚に訴える果実の味という観光の3拍子を揃えるものです。そして実は市民は誰でも知っていながら、観光資源となっていない特異のものに温泉があります。これは身体に訴えるものでしょう。

観光のまちづくりはこの4つの資源を上手にに生かしていくことです。そこで「歴史観光まちづくり」、「花咲く観光まちづくり」、そして「健康観光まちづくり」としてその方法を提案します。

ただし、その生かし方は観光客のためにのみ行うものではなく、地域住民、市民のために行うものであり、それが観光客にとっても市民にとっても快適で魅力のあるまちになる、というものでなくてはなりません。

観光客にとってのみ快適で市民が不快なまちとなっては、なんのための「新しいまちづくり」であるか全く意味のないことになります。いわゆる観光公害といわれるものがそれにあたるのですが、私たちのまちづくりにはその様なことのないことが、基本的な態度として確認して出発しなければなりません。

2.「歴史観光まちづくり」

歴史的環境は、歴史的な施設が単独にあるのでなくそれらが歴史の中で関連をもちながら築きあげた環境ですから、施設それぞれが関連をもって成立しています。それらが一連のものとしてのスト-リ-にくみこまれていれば、単に珍しいということだけではなく、見る人の立つ風土につながり、歴史的環境に厚みがでることでしょう。

歴史を書物でなく環境として訪ねて、武田氏の一連の興亡の歴史のなかいる私たちを再発見すれば、それは郷土を自分を育てた環境として認識することができます。それは既に武田一族の問題でなく日本史における共通の英雄としての地位を確保しているのですから、市民でない観光客にとっても興味のある環境です。

そのような一連の歴史環境としてのまちにつくりあげることが、「歴史のまちづくり」です。一連とは、まず歴史的な施設をわかりやすく連携する巡回コ-スをつくることから始めましょう。

JR塩山駅前から出発しますから、ここに塩山が歴史のまちであることが表現されていなければなりません。駅舎や駅前広場のデザインはもとより、駅前の町並にもその歴史のまちの雰囲気があふれ、分りやすい歴史巡回コ-ス案内が設けられています。

町並を楽しみながら歩く商店街には、塩山のまちにしかない商品が並んでいます。伝統工芸の復活による高価な塩山紬もありますが、目のまえでプリントしてくれる塩山Tシャツもあります。

菅田天神社、甘草屋敷、於曽屋敷等の有名な歴史的な建造物ばかりでなく、古い町屋はなかなかに風格のある町並を構成しており、それらを結んで環境を整備再生すれば、このまちはそのまま博物館となり、美術館となります。

まちには楽しみの場としてそれらの歴史的施設を補完するため、ワイン工場からの直営レストラン、伝統工芸展示・体験館等がもうけられます。ちょうど元「ひうが」の土地があいてますが、これにあててはいかがでしょうか。

歴史の観光まちづくりに欠かせないことは、観光案内をいかに上手にするかということです。前述のようにシニアガイドサ-クルをもうけましょう。人生の先輩が歴史について語ってくれると、老人には生きがいを与え、婦人や若者には知識を、子供にはいたわりをを教える事でしょう。

子供たちにはこの歴史的環境の守り役になってもらいます。こども史跡パトロ-ル隊を組織し、ボランティアの青年やシニアガイドサ-クルのメンバ-の指導のもとに、史跡を巡回してその清掃や案内標識の整備等についてのチェックをします。子供たちは自分たちのまちを自分たちで守り育てる心を養うことでしょう。そして観光客と出会うことによって新しい世界に開く情報を手に入れるでしょう。

3.「花咲く観光まちづくり」

春の演算は花の里になり桃源境そのものです。しかし、この花は遊びの場ではなく生産の場なのですが、これから生れる果実は消費の場につながってこそこの生産が成立しているのですから、花を消費の場につなげる花の観光まちづくりは、とりもなおさず生産の向上にもなるはずです。

花の里の桃源境をまち全体に実現してはどうでしょうか。これも駅前から始めましょう。駅前広場の植栽は、塩山の花の里をそのまま表すように、桃、すもも、さくらんぼ等を

とりそろえます。

商店街の街路樹も同じようにして、向岳寺の桜ともネットワ-クします。観光客がこの花見にやってくれば、町中も果樹園も一体となった桃源境にまきこまれるでしょう、観光客はこの花が実らせる果実の消費客としてもまた秋にやってくるはずです。このときに秋の収穫の産地直送の予約をとれば、市場の新しい開拓ができます。

したがって、花、ワイン、郷土料理そして郷土芸能の取合わせによるイベントが大切です。花見には食べ物が必ずつくものですが、峡東地方の味を集めて味わう大会を催しても面白いでしょう。

あるいはだれでも楽しく参加できる花のコ-スのマラソン大会もあるでしょう。

花見コ-スの定期ミニバスをその季節には駅前から走らせ、運転手はガイドも務めます。タクシ-も花見特別料金の貸切制度をつくります。

4.「健康観光まちづくり」

塩山温泉は本来的な意味で、コミュニティ-の健康の場といえるかもしれません。地域の住民の憩いの場、つまり湯治場として栄えています。

ところで、このごろ温泉ブ-ムとかでひなびた田舎の湯が急に脚光をあびていますが、これに便乗することなく、私たちの塩山温泉は新しい健康の湯としてのありかたを探ってみてはいかがでしょうか。

まち全体が健康ランドになるという考え方で、そのセンタ-を塩山温泉郷とします。ここを出発点にまちを巡る健康トリムコ-スをいくつか設けます。前述の花のマラソンコ-スもそのひとつですし、塩の山ハイキングコ-ス、塩川散歩コ-ス等があります。

温泉郷には地元関係者の共同出資で「クアハウス」を設け、これからの高齢化社会での老人に対応する宿泊、いろいろの入浴施設の整備をします。健康管理のシステムを用意して塩山での歴史環境巡りも健康コ-スになるようなトレ-ニング指導をし、屋内スポ-ツ施設もあって雨の日にも健康活動の可能な機能を備えることを提案します。

これからの高齢化社会をみるとき、高齢者のみが集まるような老人村の計画もあるでしょうが、本来的に人間は色々の者が出会うことによって刺激をうけてこそ、生活に張合いがでるので、老人はむしろ都心に住むべきであるとも言われます。

塩山は良い風土に恵まれていますし、温泉郷はまちのなかにあるので、ここを拠点としてまち全体がヘルスケアのシニアタウンとでもいう構想が開けてきます。目玉施設に日本一の規模の国際ゲ-トボ-ル場を大久保平に設けることも提案します。

第五章 「新しいまちづくり」の仕掛け

1.まちづくりのための将来像をつくりましょう

まちづくりには地元関係者の皆が協力することが必要です。それには街の将来像がみんなの頭にはいっていなければなりません。

塩山の将来像を描くマスタープランをみんなで描きましょう。地元関係者、行政、専門家等の知恵と時間と資金を持ち寄って、わが街のこれからの姿、これからの動きを描いて、これを自分のものとして目標に掲げましょう。

マスタ-プランは、その内容が大切なことはもちろんですが、それよりも大勢の市民がまちづくりに参加することにも重要な意義があります。手作りのマスタ-プランは塩山を自分のまちとして育てる市民意識を生みます。

2.まちづくりのための組織をつくりましょう

まちづくりには、これを動かすための組織が必要です。まちづくりの当事者である地元関係者が主体となった街づくりの組織をつくりましょう。

この組織には地元関係者はもちろんのこと、行政、商工業、金融、都市開発、交通、市民団体、婦人団体等の関連団体や事業者等が参加します。そして塩山の将来像を実現するために当事者となって計画立案、不動産取得、建設そして運営等の事業にあたるとともに、各種の街づくりの動きを支援します。

「新しいまちづくり」の推進協議会は、その組織の母体になることが期待されます。これからは、まち全体をどのようにするかを考える組織と、個別のプロジェクトに対応する組織の両方が必要でしょう。例えば、駅前の区画整理事業に対応する地元組織、商店街の活性化の組織、高齢者のまちづくりの組織、子供の史跡パトロ-ル隊等の個別の組織と、塩山まちづくり協議会ともいうべき大きな組織とが考えられます。

3.まちづくりのための協定を結びましょう

まちづくりには地元関係者の皆が協力し、「新しいまちづくり」の将来像に向かって進む必要があります。そのためには将来像を実現する当事者である地元の関係者が街づくりに協力・参加する協定を結びましょう。街づくり協定には、観光のまちづくりにふさわしい町並デザインをみんながおし進めるために土地・建物の使い方、建物の形や色、広場の作り方等を定めておきます。これに従って、塩山らしいまちを順次つくりあげていくことができます。

4.まちづくりのための助成策を用意しましょう

まちづくりには地元の活動を援助・支援する行政からの助成策が必要です。

例えば、地元関係者が集まってまちづくりをしようとするとき、そこに必要な専門家を招いて計画立案をし、あるいは先進地の見学等をするにあたって、その費用の一部を行政から地元に助成しましょう。模範的なまちづくりには固定資産税等の減免や事業費の一部補助をする制度をつくり、あるいは年間まちづくり賞を設けて表彰する等のまちづくりへのバックアップも必要です。

5.まちづくりのための運動を展開しましょう

塩山にまちづくりを進めていることを、市民はもちろんのこと市外のみんなに知ってもらいましょう。良いまちには良い企業がやってきます。良いまちには観光客も集まります。そんなまちをつくりつつあることを宣伝し、また自分達も認識するために地元関係者が

中心になってまちづくりイベントを開催しましょう。このイベントはそのまま商店街活性化のイベントに連携することもできます。

6.まちづくりのための基金を集めましょう

まちづくりには活動のためや事業のために資金が必要です。行政の助成策による活動資金に加えて、当事者である地元関係者の拠出する基金をつくり、これを運用して街づくりを進めましょう。

この基金で共同事業を進めたり、活動の資金にしたりすることはもちろんですが、一方ではまちづくりに市民が身銭を切って参加することで、自分の手作りのまちづくりであるという参加意識高揚にも役立ちます。

7.まちづくりのための人材を育てましょう

まちづくりは長期間にわたってビジョンをもって、複雑な内容を処理し、しかも多くの関係者の信頼関係の上に成立つ事業です。これにあたる人材に恵まれて初めて成功するものです。良い人材が良いまちを作ってましたし、これからも市民は良い人材としてはたらきます。しかし、良いリ-ダ-がいなければなりません。

そのリ-ダ-は他に頼るのでなく、地元の中に、市民の中に育てることが必要です。みんなで立派なリーダーと優秀な事務局を盛りたてながら、街づくりの人材を育成しましょう。 以上

(注) 古い仕事のファイルの中から「塩山市新しいまちづくりの提言」という原稿が出てきた。

これは山梨県塩山市の商工会からの依頼された、まちづくりコンサルタント業務として、1986年度の仕事であった。

今、これを読んでみると、特に古いこともなくてそのままに生かすことができそうなので、ここに掲載した。もう、四半世紀近くも前のことだから、発注者の許可がなくてもよいだろう。

塩山市は2010年の現在は、近隣自治体と合併して「甲州市」となっている。

(2010年7月 伊達美徳)