鎌倉世界遺産談義
大佛vs観音 世界遺産談義
コメンテ―ター 伊達美徳
観音様と大佛様とが、世界遺産談義をしている。それぞれ新旧鎌倉、肯定派と疑問派、あるいはヤングとシニアとしての立場らしい。
●鎌倉世界遺産への市民の関心
観音 鎌倉の文化財を世界遺産に登録しようとして暫定リストに載せたのが1994年でしたが、いまだに正式登録になりませんね。
大佛: 鎌倉を世界遺産に登録するって誰が言い出したか知らないが、今年もお流れになったらしいね。観音 登録するしないを決めるユネスコのお気にいるような推薦作文が、なかなか難しいらしいですよ。大佛 なんだか遠くのほうで決まる感じだなあ。そのせいか、鎌倉市民には登録応援をする人たちが多い一方で、反対や無関心な人も多いようだね。大船あたりの新鎌倉の市民はどうかね。
観音: こちらにも後北条氏関連の歴史があるけど、世界遺産登録候補地は旧鎌倉ばかりですから、無関心になるかもしれません。でも新鎌倉住民に限らず、いまさらよそのお方に世界遺産にしてもらわなくても、鎌倉は十分に誇りのある文化の地ですって、反対する人もいるようです。
大佛: 今以上に観光客が来ると、生活環境が壊れるからお断りって人もいるだろう。これだけ長く店ざらしだと、登録推進運動も疲れが出そうだねえ。
観音: いえいえ、先日も50名ほどの市民や市外の人たちが集って、『世界遺産へのまなざし』というテーマで熱心なワークショップをしましたよ。毎年秋に開いてこれで4回目、専門家や行政ではなくて、鎌倉外の人も含めて広い意味での市民レベルで世界遺産を考えようという集りでした。
●鎌倉世界遺産へのまなざし
大佛: 世界遺産へのまなざしとは、どういうことかな。
観音: 鎌倉を世界遺産に登録するには、その鎌倉の何を、誰が、どう、見ているか、見せているか、参加者たちはそんなことを熱心に話し合いました。
大佛 :そうか、そう言えば、世界遺産として登録するには、登録するしないを決めるユネスコのお偉いさんのまなざしが一番大切なんだろうねえ。
観音: それじゃあ鎌倉市民のまなざしはどこかに置き去りにされるみたいですねえ。新鎌倉と旧鎌倉から両まなざしを交わすことが課題のように、ユネスコと市民の両まなざしは交わされるかしら。
大佛: う~む、何しろ世界の遺産だから、鎌倉市民のまなざしももちろんだが、日本も含むアジアからそして世界の人々からのまなざしが、鎌倉の文化財を人類の普遍的価値として見てくれるかどうかが、いちばん重要だと思うよ。ユネスコは自分こそが世界のまなざし代表だというのだろうがね。
観音: ユネスコ、世界、市民それぞれのまなざしの間には、なにかギャップがありそうです。そこをどう埋めるか、埋めることができたら普遍的価値が認識されるでしょうね。
大佛: 市民のまなざしは今の生活に根ざしたより良いまちづくりの手段として、世界遺産になればいいなあって思っている。だけどユネスコのまなざしは、そんなことよりも人類に普遍的な文化財かどうかって鎌倉を見るのだね。
観音: そのギャップはどう埋めるのでしょうか。これって鎌倉特有の問題なのでしょうかねえ。
●環境という普遍的価値概念
大佛:鎌倉の登録への基本的なテーマは、『武家の古都』だよね。それは鎌倉固有の特徴だけれども、武家が普遍的価値を持つのかしら。もう少し大きな普遍的概念で裏うちをしないと、世界のまなざしからは鎌倉を世界遺産として見えにくいような気がする。
観音: そう言えば、市民ワークショップの二つのグループが、新たな普遍的概念として『環境』と『平和』を提案として出していましたよ。
大佛: たしか以前に、石見銀山が環境という概念をつかって世界遺産登録に成功したね。
観音:鎌倉では周りを取り囲む緑の丘陵がまさに環境保全をしているし、丘陵は鎌倉を武家の古都として取り囲んだ城砦の役割を持っていたし、その中に文化財がたくさんあり、古都法の成立に見るように市民がそれらを守ってきたと誇りとしている経緯があります。だからこそ環境を打ち出そうという意見です。
大佛 :それはそれで良いことだな。でもね、鎌倉時代の丘陵はやぐらもあったし、燃料として伐採するから松ばかり目立つまばらな山だったね。それは戦前の写真を見ても分かるよ。今みたいに常緑樹で緑豊かになったのは20世紀の後期になってからだよ。
観音:えっ、そんな最近のことなんですか。
大佛: それに鎌倉時代は街の中には鋳物師や鍛冶屋がいて煙が漂い臭かったし、袋に詰め込んだように階段状に家が積み重なっていると、当時の人が書いてあるよ。由比ガ浜も和賀江港へ出入する船で汚れていたろうね。
観音: いじわるな見方ですねえ。それを700余年かけて緑と海の環境の優れた都市にしたことで、環境という普遍的価値が鎌倉に与えられたのだと考えてはいかがですか。
●平和という普遍的価値概念
大佛: なるほど。では平和の概念の方はどうかな。
観音:これはまだ漠然としています。鎌倉は暮していてほっとするところ、平和な生活の場として普遍的価値のある場所性を持っていると言いましょうかね、そんなことが話し合われていましたよ。
大佛 :その平和と世界遺産といえば、2010年の世界遺産登録に太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁があったね。それが自然遺産じゃなく、人類の平和を乱した負の文化遺産として登録なんだよ。(参照→南海の苦楽園世界遺産)
観音:の水爆実験で日本にも被害が出た第五福竜丸事件で悪名高いさんご礁ですね。
大佛 :アメリカはここで1946年から12年間で67回もの核爆発実験を行ったので、美しく見える珊瑚礁なのに、爆発のクレータ状の傷跡があり、実験で沈めた多くの軍艦も海底にあり、残留放射能もあって、とても自然遺産とはいえないのだね。
観音: こんなことが今後はないようにと、平和への願いを込めた、広島の原爆ドームと似ています。
大佛: 平和の概念が盛り込まれた世界遺産の例に、負の遺産でないものもあるのかしら。ノーベル平和賞と同様に評価がなかなか難しい概念だね。でも実に興味深い、鎌倉の世界遺産に前向きの意味で平和の概念を盛り込めたらすばらしい。
観音:内海先生のお話では、鎌倉のお寺では元寇の戦いなどの犠牲者を敵味方の差別なく、ねんごろに弔ったそうです。平和への願いですよね。
大佛 :そうだねえ、でもその背景には血なまぐさい戦いがたびたびあったってことを忘れてはいけない。だいぶ前に、由比ガ浜あたりの土中から鎌倉時代の人骨が無数にでてきて、それが当時の戦死者らしいと分かったことがあったよ。鎌倉には負の文化遺産としての面もあるかもねえ。
観音 :そういえば、鎌倉時代は頻繁に政治抗争があって多くの人が死にましたね。今の鎌倉には平和宣言がありますが、逆に言えば世に戦争がなければ平和を言う必要がないのですね、う~ん悩みます。
大佛: 遺産登録審査するユネスコのまなざしに対して、平和の概念を背負う鎌倉をどんな形に見せるか、それを考えることは意義があるとは思うがねえ。
●まなざしの根元にあるもの
観音: まなざしの先にある世界遺産は、とりあえずは眼に見えるものを期待しているようですが、それは過去の遺産か、それとも現代の資産なのでしょうか。
大佛: 遺産なら3代目が食いつぶすものと決まっているが、鎌倉は前の時代の遺産を次の時代に継承しては、新たな資産と重層して育ててきている。
観音: 鎌倉は鎌倉時代以前から人々の営みがあった地ですから、遺物じゃなくて資産ですよね。どうも歴史という過去のある時点の遺産に目が向いていて文化という現代に生きる資産から、まなざしが逸れているような気がしています。
大佛: そこを市民は敏感に感じ取っていて、鎌倉のまちづくりのひとつの手段としての世界遺産登録だと、ある種の割り切りをしているのかもしれない。
観音: それは決して悪いことではないですよ。ユネスコのほうがどう思うかは別ですが。
大佛: わたしは思うのだが、世界遺産登録はどこか文化帝国主義の残滓のような気がするのだよ。
観音: なんですか、文化帝国主義って。
大佛: 簡単に言うと西欧先進文化が未開世界に押し寄せて、その独自の文化を破壊してきたことだよ。西欧から起こった世界遺産登録は、地球上の文化財を破壊から守ろうとする動機からだろうが、逆に言えば後進地域を変古珍奇な文物として一方的なまなざしで見た19世紀の西欧的博物蒐集時代の延長のようにも思うのだよ。
観音: それはもう古いですよ。ユネスコにはそのような考えはないと思いたいです。後進国とされた地域は、いまや乗り越える文化力を備えましたよ。
大佛 :それならいいがねえ。観光収入を狙う商業的まなざしでもなく、文化財保護の学術的まなざしでもなくて、市民が生活者としてのまなざしで世界遺産を見る、これがいかにも鎌倉らしい。(2010.11.10)
注:小論は、「 鎌倉の世界遺産登録へのまなざし 第4回ワークショップ」( 2010年10月31日(日)、 鎌倉市立御成小学校体育館、 主催:鎌倉世界遺産登録推進協議会、 共催:鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会)に、コメンテーターとして参加して発言した内容を、その実施報告書に掲載のためにアレンジしたものである。(2011.01.03)
関連ページ
◆世界遺産とはなんだろうか
◆210鎌倉の世界遺産 http://datey.blogspot.com/2009/12/210.html