東京駅赤レンガ駅舎復元反対(2001)

東京駅赤レンガ駅舎復元反対2001

(2001「気まぐれコラム」その34)

伊達美徳

東京駅の丸の内側にある赤レンガ駅舎のことが、復元検討と新聞(7月11日建設工業新聞)にニュースとなった。

都市計画学会の研究会で、学者、国交省、都、区、JRなどがはいって、東京駅の交通、土地利用、景観、事業手法などを検討するそうだ。

記事には、赤レンガ駅舎を復元具対策を検討すると、大きく書いてある。新聞記事は新聞記者の思いこみで書くこともあるから、どこまで本当か分からないが、3階建て・丸ドーム復元し、その余剰容積率を他に移転して大規模再開発を行う、そんな方向が文面からうかがえる。

東京駅復元問題に関しては、私は当初の姿に復元することに反対であリ、そのあたりの詳論は、東京駅復元反対論どをご覧いただきたい。もうこの論は1988年頃から言っているが、なんどでもしつこく言うことにする。

簡単に言えば、あの赤レンガ駅舎は、西の原爆ドームに匹敵する、東の重要な戦争記念碑なのだ。第1次大戦と第2次大戦の両方の記憶を、下半身と上半身に明確に形態に刻み込んだ、稀有な歴史的記念碑なのだ。
原爆ドームと大きく違うのは、それが今も使われ続けている市民の文化資産であることであり、そこに大きな意義がある。

写真を見ていただきたい。今の形が、当初の形に十分に匹敵するデザインであることがわかるだろう。そしてその姿に、日本の繁栄と悲劇の両面の歴史が込められているのだ。
昔の姿に復元して、戦争とその後の歴史を表す今の姿を抹殺してはならない。

マア、駅前広場のごたごたと、背景の八重洲鉄道会館(大丸)を取り除けば、それでよろしい。マア、ゆずっても4本の尖塔の復元くらいか。
しかし、多分、大丸は建て直して超高層にするに決まっているだろうから(隣に外国資本が超高層建ててるから負けずにやりたいだろう)、背景は風景として問題をはらんでいるなあ。

どうしても後ろに建てたいなら、金屏風みたいなビルにして、そのまえに赤レンガ駅舎が建っているのもいいかもしれない、とは、88年当時の国土庁委員会で、村松貞次郎先生がおっしゃったことがあるのを思い出した。

面白いことに、東京丸の内あたりでは赤レンガ駅舎建て替え問題も含めて、11年周期で開発騒ぎおきてくる。1966年美観論争から77年、88年、99年とあり、次は2010年かと思っていたら、こんどは早くくるらしい。都市もドッグイヤー化するのか。 (戦中から戦後を生きた都市計画家 20010720)

注:メールマガジン「週刊まりづくり」に掲載した。