高遠:咲き誇る花の下で
伊達美徳
●信州へ櫻の花見に 2008年4月
信州の高遠に花見に行ってきた。高遠城址公園の花見はあまりに有名だが、これまで花の季節をはずして訪れていたので、花見は初めてだった。
ちょうど真っ盛り、大賑わいである。花の賑わいは上野の山でよく知っているから驚かない。驚いたのは、その花のあまりの量である。
公園のどこもかしこも桜の木で、その天を覆いつくす花また花は、どれもこれも小彼岸桜である。関東に多い染井吉野よりも赤みが濃くて花も小さいから、それだけ密度も高くみっしりと咲いている。
それがまるでポップコーンみたいにいっぺんにパーンと開きつくし咲き誇る様は、花自慢の高遠には申し訳ないが、どうもアラレモナイ、ハシタナイ、ハジライモナイ、ミモフタモナイ、なんて悪態をつきたくなるほどの迫力である。
あのねえ、もうちょっとは花模様に綾というか色合いをつけてはどうかね。花はずかしいって言葉もあるよなあ。
花は美しいからとて量を増やせば美しさも比例して増すものではないようだ。胸がもたれる。
もしかしてこれは、自然生態としては異常な単純植生群落に対して、わが身に潜む生物的な忌避感覚かもしれない。
そこで早々に公園を逃げ出して、里山の裾の民家の畑や山懐の寺院の境内に、ひっそりと咲く桜を求めに行く。暮らしの場に咲く花は、瀟洒で美しい。
それにしても、花の季節は見慣れた風景に一斉に狂気が練りこまれる。怖いのである。古人の言うように、花の下には死体が埋まるとか、花の下にて春死なむとか、むべなるかな。
高遠公園の桜を遠くから眺めると、花の雲のようで、これはまた美しい。
●甲州・信州・中越:桃と桜花そしてブナの森へ 2009年4月
この1週間、ふらふらと甲州ー信州ー中越と鈍行列車に乗って、花と若葉を訪ねてきた。
参照→中越山村・法末の四季物語
(鳥の声と虻の羽音が聞こえる動画です)
●高遠:それでも花は咲く 2011年4月
関東大震災から88年目、こんどは東日本大震災に拡大してしまった。
あの時は9月でやっぱり人々は紅葉狩りをしたのだろうと思うのだが、今度は3月だから花見である。
それでもやっぱり花は咲き、わたしも含めて人々は花見を楽しむのである。ただ、どこかしめやかで、大声のカラオケも聞こえない。
花の下には屍体が埋まっていると書いたのはだれだったか、坂口安吾だと思っていたのだが、貧者の百科事典WEBネットで見たら梶井基次郎であった。
高遠の花の下には石塔が立ち並ぶ。そうだ、東京の谷中も墓地も桜の名所である。
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中越では、いつも行く法末集落である。今は山菜の盛りであるが、今年は雪が少なくてすぐ解けたために、山菜の時期がピンポイントになってしまったそうだ。
拠点とする家の庭に生えてきたウドを今年もいただいた。もうすぐタケノコである。
同じく庭のユキワリソウの花は終わっていたが、ミズバショウが盛りだった。
ブナの木の若葉が萌黄色の炎となって空を覆い、それはそれは美しい。
尾根筋のブナの森の中でじっとしていると、山はなかなかに喧騒である。風のそよぎに、幾種類もの鳥が次から次へとやってきて、まるで会話をしているように鳴きつづける。
いつもは歩いて通り過ぎていて静寂な山中だと思っていたのに、じっとしていると実は驚くほどに、自然の声の賑わいがあるのだった。
甲州では韮崎で、桃畑に菜の花の取り合わせが、まさに桃源郷であった。
ちょうど雨が降っていたのだったが、しかしそれはそれで、原色の桃色が雨にかすんで、黄と桃のおぼろなたゆたう風景もまたよかったのであった。
実はここは生産の世界である。溶岩台地の桃畑では、花摘みの最中だから、花見をする身には惜しいような、でも花摘みするから美味い桃が食べられる、まあ仕方ない。
でも、桃畑のまわりに菜の花を植えて、畑を飾っているのが嬉しい。
雨の花見もよろしい。
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信州では高遠の桜である。高遠城跡公園の小彼岸桜は昨日の雨で半分散っていたが、それでも花見観光客は大変なものである。
まさにお花見産業が成立しているのだが、今年は花の季節が短くて、ちょっと不景気だろう。
実は昨年に最盛期にやってきて、はじめてこの有名な桜の公園を見物したが、あまりにどど~っと咲き誇っていて、どうもなんだかはしたないと閉口したのであった。あの花盛り加減には狂気がある。参照→高遠の花
今年はそこからちょっと離れたところにあるしだれ桜を観にいった。これまた有名らしく、団体バスがどどっとやってきては、さっと帰る人の波が押し寄せているのだった。
そのしだれ桜はちょうど満開である。数本があまり近づかない位置で咲いているのがよろしい。
墓場で咲く桜がなんと言ってもいちばんよろしい。花の下には死体が埋まっているといったのは、坂口安吾だったか、そんなことを思いながら、石塔群の中をうろうろするのであった。
なかに一本、このあたりの親分格の巨大しだれ桜が、花の入道雲を大きく広げている。う~む、どうもその姿は、ピンクの縫いぐるみのモンスターに見えるのであった。
やはり日本の桜花は、散りゆくものの儚さを予期させる、どこか楚々とした姿のほうがよろしい。過ぎたるは及ばざるが如し。
小彼岸桜がめったやたらの方向に枝を出し花をつけるのに比べて、しだれ桜は重力方向に垂れ下がる秩序観があるので、花の下の狂気が薄れてちょっとだけ安心させられるのだった。