新発田:雪の城下町
新発田:雪の城下町
伊達美徳
2008年2月16日、17日と新発田に行ってきた。日本建築家協会(JIA)会員の建築家たちが、建築保存問題をテーマに会議を開くとて、私にも参加依頼があり、雪の城下町を訪れてきた。
私は新発田市の行政の仕事はしていないが、この10年ばかり新発田商工会議所のまちづくり活動への手伝いになどで、ちょくちょく来ているから市民運動やら商店街の方などお付き合いがある。今回のシンポジムへの登場も、JIA側ではなく地元の方からのお誘いであった。
400名もの建築家たちが集まって、JIAはさすがに力量がある。16日土曜日は、新発田城等の旧跡や街並みなどの見学だったが、バスで回ったので本当に新発田の城下町の構成を見てもらえなかったような気がする。
観光ボランティアの案内は歴史案内としては良いのだが、今回のような場合は都市や建築の専門家向けの案内の仕方を考えてもよかったように思った。
日曜日は市の生涯学習センターにて朝から会議。地元の活動家たちからの現状報告に続いて、未来へ向けてのシンポジウムで、私も壇上に登る。
JIAにおける保存問題委員会とは、主に有名建築が開発や建て替えで壊されていくことに対して、その保存策に取り組み活動しているものであろうと、私は理解している。
新発田では丁度、景観法による景観政策に取り組み始めたところであり、これに建築保存問題を組み合わせた内容となった。
おりしも、カソリック新発田教会(アントニン・レイモンド設計、新発田建設施工、1964年完成)の前の都市計画道路が拡幅事業中であり、保存問題へのひとつのテーマとなった。
木造の小さな教会だが、その小屋組み表現による内部空間は、さすがにレイモンドらしい迫力のあるものである。その軒先ぎりぎりまで都市計画道路が拡幅してくる。
いろいろな経緯はあったらしいが、道路整備当局と協議して拡幅後の道路と建物敷地を一体的に修景整備する方向になったようである。
願わくば、道路と建物の一体修景が教会の前だけでなく、このブロック間の道路とその沿道部について総合的に修景し、街並み誘導してほしい。
道路事業だから、もしかして土木屋さんがデザインするのではあるまいかと、心配だ。時にあちこちの公共工事で見られるように、善意でもって一生懸命にヘタクソな過剰装飾をして、美しく修景しましたと自慢してくれるほど、困ることはない。
レイモンドが生きていたら、よくできたといってくれるようなデザインにしてほしい。このことをシンポジウムの壇上で発言しておいた。
新発田は城下町だからとて、何でもかんでも瓦さえ使えば城下町風景だと、ある種の勘違いもありうる。城下町の風景のあり方について、今後の景観行政を新発田市がどう進めるか、大いに興味あるところである。
景観法による景観計画で、景観の基準さえ決めれば景観がよくなると思うのは大間違いで、景観行政の中心には都市デザインへの深い造詣のある専門的行政マンがいることが不可欠である。
神戸や横浜のような大都市で成功している都市デザイン行政には、そのようなマンパワーの起用があるからだ。結局は人間が決めることなのだ。
保存問題がテーマだから、丁度良い機会なので東京駅赤レンガ駅舎復原反対論を例にとって、なんでも保存、なんでも復元すればよいのではなくて、その論理をよくよく考えてからにしてほしいと、建築家に問題提起をしておいた。
また、建築家は建物保存を世に提起するときに、それが有名な建築家の設計だから保存しようと真っ先に言うが、日本では残念ながら建築家の地位はそれ程高くないから、そこに一般の同意を得にくい一因があると、これまた建築家に苦言である。
会場の建築家たちから反論を期待したが、何もなくて拍子抜けした。
地元でまちづくり活動している方たちと一緒に、駅前食堂で「反省会」をして、気持ちよく帰った。(2008年2月18日)