都市の記憶とはなにか-新聞記事に見る東京駅復元への各界意見の矛盾(2005)

都市の記憶とはなにか

-ー新聞記事に見る東京駅復元への各界意見の矛盾(2005)

伊達美徳

2005年3月中に、二つの新聞社から取材を受けた。どちらの記者もこの<まちもり通信>を見たのでとコンタクトしてきた。

まったくの個人的マイナーツールであるインターネットサイトが、マスコミュニケーションツールの新聞者の取材源になっているのだ。そういう時代になったのだなあと、面白い。

ところで、「信濃毎日」なる長野県では大きな地方紙に、東京駅赤レンガ駅舎と三菱一号館の復元計画についての記事が載った(2005年3月23日)。

「戦後、機能性や経済効率を優先して取り壊し一辺倒だった近代建築を、掛け替えのない都市の財産として見直し、美しいまちづくりにいかそうとする動き」と記者は書き、関係者や識者のコメントを載せている。

東京駅復元運動の立役者である東京芸大名誉教授の前野まさる氏のコメントは、『JRもよく決断してくれた。都市の記憶を残そうとする意識が徐々にではあるが広がってきたと思う』とある。

この発言でみるかぎりでは、東京駅を戦前の姿に復原することと、都市の記憶を残すこととは、矛盾するとしか思えない。1945年からの都市の記憶を消し去る東京駅復原には、敢然として反対してもらいたいものである。

都市景観研究者として東京駅復原へのコースを引いた東大教授の西村幸夫氏は、『都市景観は歴史がつくった作品』と延べている。

では、二つの戦争の歴史を体現する東京駅はまさに歴史がつくった作品そのものであるのだが、そこはどうお考えなのだろうか。

お二人とも取材を受けたときはもっと語ったのであろうから、記事中のコメントだけでつっこまれても困るとおっしゃるだろうが、日本のオピニオンリーダーであるお方たちであるだけに、大いに気になることである。

三菱一号館復元のオーナーである三菱地所の担当者の言葉として、『三菱一号館は百年の歴史があるビジネス街丸の内の原点。その歴史を伝えること自体が町の価値になる』とある。

三菱一号館は1968年に、建築学会などの保存の願いもむなしく、ある日突然に解体したのが三菱地所であった。その歴史的価値はその頃もよくわかっていたのにも関わらずの暴挙であった。それを今になってどうして?との感を免れない。

丸の内のビジネス街としての歴史は、時代にあわせてその機能を最先端に維持するために、建替えにつぐ建替えの歴史である。その歴史そのものが丸の内の魅力でさえあるし、アジアにおけるビジネスセンターの役割を維持し続けているのである。

三菱一号館もその歴史の流れの中の運命であったのだ。いまさら同じ形で建てるのは、アナクロニズムというか時代遅れのテーマパークか、それとも遅まきの社会貢献のつもりだろうか。

だが実は『その歴史を伝えること自体が街の価値』なるくだりに、はしなくも垣間見えるのが、歴史的な空間を保全することによる容積率の割り増し制度へのスリヨリである。

詳しくは知らないが、復元したらその分の建築容積率割り増しで儲かる、つまり『価値になる』仕掛けになっているのであろう。それはビジネスとして当然のことで、非難することではない.。できあがる風景がどんなものになるのか気にはなるが、。

重要なことは、三菱一号館が取り壊されたのは、れっきとした歴史であることだ。復元したとて取り壊した歴史が消えるものではない。

取り壊した時代の意味を『都市の記憶』として沈思して省みないままに、その復元に賛意を見せるのは、他人の儲け仕事に加担するに過ぎない。東京駅についても同様である。(20050409)