倉敷:もうひとつの興味深い倉敷・児島(2001)

倉敷:もうひとつの興味深い倉敷・児島(2001)

伊達美徳

●伝統的風景と先端技術の風景

2001年8月、倉敷の児島にいってきた。これで5度目の訪問である。倉敷市内と言っても、瀬戸内海に面する瀬戸大橋の付け根の街である。

このもうひとつの倉敷の街が、実に面白い。

もともとは、塩の街、それから繊維の街、もちろん瀬戸内海に面して漁業の街でもあるが、風待ちの港として栄えた。その海沿いの下津井、味野、琴浦の街には、それぞれ特徴ある街並みが楽しめる。

下津井(しもつい)は、備前岡山の南の海の玄関であった。江戸時代は北前船が出入りしてにぎわったので、その商家が続く伝統的な街並みと、瀬戸大橋の先端的な技術の景観と対になって、興味深い風景を見せている。観光的な修景も行われていて、もひとつの倉敷町並みとして売り出している。

●レトロ味野商店街

味野(あじの)は、かつては繊維産業の盛んな時代は、働く若い女性たちであふれて、その商店街は岡山と結ぶ鉄道駅の前にあって、にぎわいの中心であった。いまは、鉄道は廃線、商店街はご多分にもれないシャッター通りである。

枝道もいれて延べ長さ1キロたらずの味野商店街だが、ゆるやかにカーブした幅6メートルほどアーケードのかかる道なりに、立ち並ぶ商店は、どこか懐かしい風情の昔からのたたずまいである。

ぶらぶら歩くと、柱にオーダーのついた元銀行の空家、腰にナマコ壁の倉敷らしい土蔵、レトロモダン風の医院・書店・写真館、寺院や神社の門があったり、もちろん典型的な和風町屋も並んでいるのが分かる。それらはアーケードとお面看板の後ろに姿を隠しているのだが、よく見るとレトロ風の面白い町並みがあるのだ。

この通りの中を毎年夏のある日の朝、トライアスリートたちが汗みずくとなってかけぬける。「児島ファッションタウン国際トライアスロン大会」と銘打つ行事のコースとなる。今年はその3回目だった。

レトロ風景の中を応援を受けながら、水着のアスリートたちがかけ抜ける風景は、新たな街並み発見だった。かけ抜ける人たちや応援にやってきた人たちと、通りの店の人たちとの間に、応援やボランティア活動を通じて交歓があり、商店街のかつての賑わいを数時間だけよみがえらせてくれた。

この商店街も、郊外の醜い安売り店舗に負けたのか、シャッターが目立つのだが、最近はファッションタウン運動を契機に、おかみさんたちが立ちあがり,春には雛人形を店先に飾ったり、街歩きマップをつくっったりと,活躍し始めている。

味野商店街の個性的な街並み風景は,残念だがアーケードやお面看板の裏に隠れいていて通りから見えないので、誰も評価していないようだ。これをなんとかして街並み風景として売り出せないものだろうか。

商店街の一方のエンドに、この地の塩田経営者だった野崎家の旧家が、土蔵が立ち並ぶ資料館として公開されている。もうひとつのエンドには、「瀬戸大橋架橋記念館」があり、上田篤氏の企画と設計になるなかなか迫力ある展示と建物である。

これら二つを核施設とするレトロ商店街街並みは、結構面白い街づくりになるはずだが、まちづくりの方向がどうも、JR瀬戸大橋線の児島駅前の空き地とか、埋立地とかに片寄る傾向があるのは残念だ。

●琴浦の萱葺き住宅

琴浦は、今も中小線工場が街に中に立ち並ぶ、繊維産業の街である。暮らしの場と工場とが渾然一体となリ、新旧混在しながら日本の産業の街の典型的な風景がある。

もともとはこの地の山中にある由迦神社の信仰のために、船旅でやって来る参詣者相手にお土産として売る繊維製品として、特に紐のたぐいや足袋をつくっていたという。

参詣道の街並みの名残りの風景も面白いが、かつて多数あったが今はほとんどなくなった、のこぎり屋根レンガ工場の名残を発見するのも面白い。

この地で先代から縫製工場を営む、角南平治さんの家を訪ねた。ファッションタウンやらトライアスロンやらの仕掛け人のひとりである。

自宅の隣には、のこぎり屋根の工場が今も健在である。ところがなんと自宅のほうは萱葺きの家である。いまやこの街でも目に入らない萱葺きの家に、個人的な趣味で住んでいるのだという。だから、冷房もない。

すだれ障子が襖の替わりにいれられているのを見るのは久し振りであった。8月の暑さの中、開け放した縁側から、庭の打ち水を越してくる風が意外に涼しい。日本の夏です、なんていうテレビコマーシャルそっくりな風景の中に自分がいる、懐かしいひとときだった。(2001年8月)