横須賀散歩 まちもり散人

●横須賀散歩その1-激変の竜本寺界隈

横須賀の下町に久しぶりに散歩に行ってきた。基地の街は、GW(ゴールデンウィークじゃなくて原子力空母)で景気が良いというので見に行くのだ。

京急横須賀駅を降りて、そうだ、すぐ坂上の竜本寺(日蓮ゆかりの名刹)に行ってみようと思いたち、ピンク飲食店街を抜けた裏参道に取り付く。

この参道は濃い緑におおわれて、だらだらと登る気持ちのよい道である、、はずだったのが、えらく明るい。なんとまあ一本の木もない、すっぽんぽんになっている。

登る参道から市街地が下に丸見え、上はブルドーザーがうなっている。

龍本寺裏参道より

岡田屋9階から

航空写真今昔比較

の大勢の商業者たちが結束して、共同建築の三笠ビルを完成させた。これは、その頃全国各地での街づくり施策「耐火建築促進法」による「防火建築帯事業」のひとつであった。

木造ばかりだった戦後の街を、災害に強い燃えない街にしようとする事業であり、三笠ビルは全国的な模範となる事業であったとして評価されている。横須賀中心市街地整備への嚆矢となる積極的な動きであり、このあと下町は繁栄する。

日本は1960年代中ごろから高度成長期に入り、横須賀では70年代にかけて中央地域に京急中央駅ビル、丸井、西友、緑屋等の大型店舗が次々と開店して、横須賀中心市街地は三浦半島の商業業務中枢拠点としての地位を固めていった。

三笠ビルは、表側は統一した姿であるが、山側の裏から見ると2階建てや3階建て、奥行きもいろいろのでこぼこしたビルである。土地を持ち寄って隣同士が建築の柱梁壁など構造体は共同してつくったが、壁の内側はそれぞれは別の建物だから、それぞれの必要に程度に応じて建てたのだ。

いまや半世紀を越えた建物だが、店の入れ替わりはあるにしても、いまだに繁華街の中心として繁栄して使われているのが素晴らしい。

1950年代から60年代の初期街づくり時代、全国各地でつくられていった不燃化共同建築は、今、次々と建替えられつつある。

あの高度成長期の前夜のまだ苦しい時代に、まちづくりに手探りで一生懸命に携わった人たち、地域の商人、コンサルタント、建築家たちの努力が、何の評価もなく壊されるのは惜しい気もする。

だから、なんども建替えて新しい商業ビルにする計画があったにもかかわわず、今も当初のままに生き生きとして使われている三笠ビルを、都市計画の重要文化財とはいわないにしても登録文化財にはしたいのである。これは、その頃の都市形成に携わった者の夢想であろうか、。

道路の向かいの西友が建て換えすることが決まって、新たな風が吹き込めば、この三笠ビルの建て替えも出てくるだろう。そのときは、先人の努力をきちんと評価してから壊してほしいものである。(2008/11/27)

参照

横須賀:近代が育んだ国際海の手文化都市

横須賀市中心市街地形成史ー成立と施策

ウェルシティ横須賀(建築学会論文)

(2014年3月の状態 斜面の防災工事と超高層共同住宅で龍本寺あたりはすっかり丸裸になった)

思い出したが、ここに超高層共同住宅(いわゆるマンション)が建つ計画があるのだった。

それにしても、ものすごい急斜面地であるし、その真下には京急電車のトンネルがあるから、えらく難しい工事だろう。

それでも超高層建築とは、ほんとに近頃は建設技術が発達したものだ。

そしてまた、それほど土地造成にお金をかけても回収できるほどに、高い価格で売れる時代なのであろう。驚くばかりである。

あるいは今の工事は斜面地崩壊防災のための公共事業で、民間住宅開発の造成はこの後また別に行うのだろうか。よく分からない。

ブルドーザーが怖いので引き返して参道を下り、別の斜面住宅地の中の小道を登って竜本寺の墓場に着く。見下ろすと、墓場の際まで土地造成が迫っていて、樹林地は丸禿げとなってしまって、市街地が海までよく見える。

ここに超高層が建つと、どのような都市景観になるのだろうか。

横須賀下町には、JR横須賀駅そばと京急汐入駅そばに、超高層建築がすでに1棟づつ建っているが、今度は京急横須賀駅そば(と言うより駅上空か)である。主要駅ごとにランドマークが建つことになる。

今度は建つ地盤が平地から20mくらい高いから、実質120mで一番高いものになる。緑の中に立つ姿を想像したいのだが、こんなに伐ってしまったらコンクリ擁壁の上に立つ超高層だろうか。(2008/11/26)

●横須賀散歩2-半世紀生き活き三笠ビル界隈

横須賀駅前から広がる下町繁華街の中心に、「三笠ビル」がある。

ビルと言っても3階建てで、横に長くて中を縦に貫くアーケード商店街を持っている。ビル内通路と思っている人が多いが、実はれっきとした公道であり、天井のように見あるのは道路の上にかかるアーケードなのである。

この三笠ビルは都市計画の世界では、重要文化財というか史跡指定したい建築である。戦争が終って食うや食わずの時代がなんとかしぎて、まちづくりにもようやく手が回るようになったのは1950年代後半からである。

1959年、中心市街地の中枢部の中央大通りに、横須賀中心市街地