コンペ再考ー計画現場の視点から

コンペ再考ー計画現場の視点から

伊達美徳

●コンペでよい計画を選んできたか

『このコンペには多くの応募があり、落選案にもよいアイデアがあったので、それらを活かして使ってはどうか』

これはある公共施設のコンペで当選者が決まり、その実施に向けて初めての当選者も参加している計画検討委員会での一委員の発言である。大方の委員は問題に気がつかなかったようだし、発言者も善意でそう言ったようだが、これはコンペ対する一種の踏絵だなと、私は思ったものである。

コンペにだされた提案はだれのものになるのか、コンペ当選者や当選案の位置づけはどこにあるのか。専門家側では分りきっているようだが、世の中はそうでもないらしい。

そもそも計画あるいは設計コンペは、当選者を選ぶのか、当選案を選ぶのか、それともいろいろな智恵を募集するのか、それら全部なのか、その時々で違うのか。

都市計画や大規模開発プロジェクトのような、長期にわたる計画・設計あるいは事業者をコンペで案を求めたとしても、それが完成するまでに社会経済変化がおきて、現実は当選条件から変わっていかざるを得ないことがおきる。

事業コンペは大宮ソニックシティ(1988年)が成功の嚆矢といえるが、その後バブル景気時代の流行とその後の沈没で、内容ばかりか事業者も変わったような、成功か失敗か分らない例もある。

コンペ当選案がそのとおりに実現できないので内容が変わると、コンペ自体の成立性を疑うべきだろうか。その変わった内容が、コンペ落選案と似たものになったらどうなるのか。入選を取り消して、またやりなおすことが現実的にできるか。

それでも事業まで持ち込んで成功すればよいが、困るのは、その前に破綻してしまうことや、当選案どおりに実現した後に経営破綻がおきて、主催した行政に重大なる財政的影響をもたらすことだ。こうなればコンペそのものが問われるはずだ。

バブル期に流行した公有地土地信託コンペは、今は実態はどうなのだろうか。この制度は受託者側にリスクが及びにくい巧妙なしくみなので問題が見えにくいが、信託配当できずに事実上破綻しているものがあるだろう。

●真面目にコンペをやるのは大変だ

この原稿を書くにあたって、これまでわたしが関ったコンペを思い出してみたら、意外にもたくさんあるのだった。応募者になったり、審査員になったり、裏方になったり。

応募者としては安藤忠雄氏のように連戦連敗には足元にも及ばないが、気まぐれ参戦して連敗の果てつい最近一勝(たったの!)というところ。

面白かったのはもう15年も前、東海某県の公立複合文化施設のコンペプログラムつくりだった。ソフトからハードまで一連の作業をやってプログラムができるのだが、これほどエネルギーかけたならコンペしなくても実施できるのにと、つい思ってしまったほどだ。

それほど作業をしても、裏方の事務当局者はもとより専門家の名さえ表にでないで、当選者が全てさらっていってしまうのが無念だったが、裏方が真面目にやらないようなコンペは、やってはならないものだとも実感した。

コンペは往々にして政治的な世界の産物であることは、分っていてもだれも言わない。自薦他薦の受注希望業者の政治的包囲網を逃れる方便、その逆に特定者に取らせる出来レース、よく分らないけど世間の評判になるためなど、コンペの動機は千差万別だ。実の審査委員長は首長であるとか、もろもろをプログラムにしなければならない裏方は大変な思いだろう。

共同再開発、大規模跡地開発、埋立地利用などの事業コンペの裏方や審査員もしたが、それらの当初から事後をトレースして評価していないことに気がつき、申し分けない気分である。

コンペの良し悪しをいうにはそれが必要だろうが、その研究者はいらっしゃるだろうか。

●ある事業コンペの顛末

そのような公開研究資料を不勉強で知らないので、わたしが審査側に関係したひとつの事業コンペをふりかえってみる。横須賀市の中心部に近い埋立地「海辺ニュータウン」771haの内、商業3・業務2・住宅5の計10街区15.6haを対象に事業者と事業計画を、横須賀市が募った(1994年)。

立地から住宅系は可能性があるが、業務・商業系誘致は難しいと見られたので、住宅街区と商業・業務街区の事業者誘致を併せて提案することを応募条件とした。商業・業務誘致の貢献度を住宅街区事業者選定の評価にプラスして決めるという、事業コンペならではのテクニックを使った。

そろそろバブル崩壊の影が見えようかとしていたが、6グループ(計12企業)から提案がだされたが、いずれの提案も決め手に欠ける内容だった。

審査会は熟慮の末、それぞれの商業・業務街区への貢献度に応じて住宅事業を6グループに街区と戸数(集合住宅全1600戸)を配分をした。全グループ当選だが、いずれも中途半端とも言える。

この時点で、コンペとしてなにを決めたことになるか。まずプラニングでは6グループ全部を当選とした時点で、どのプラニングを採用することもできないので、これは事実上は決まらなかったことになる。

もうひとつは事業者であるが、この後バブル景気パンクで、当選事業者たちは着工延期策を弄してきた。実は、公有地埋立法の制限で、土地所有権を当選事業者に移転できないので、彼らは金銭リスクゼロで開発権だけが付与された形になり、延期しても市には埋立事業金利がかかるが、事業者は困らないという奇妙な関係になった。

そのうちに当選12社から本体の経営不振で撤退、他と入れ替わるなど、はじめは例外的に認めていたが、ずるずると延びているうちに商業・業務街区からも撤退がでて誘致貢献度の評価も無意味となり、もう事業者を決めた根拠を完全に失ってしまった。後の着工時点での7社のうち、当初から残るのは2社のみ、グループは雲散霧消であった。

その一方では、事業は遅々としているがそれなりに進みつつあるし、土地処分は急ぎたい、社会経済情勢はよくはならない、いまさら白紙に戻してコンペやり直すわけにはいかない。コンペの審査会は解散したが、そのメンバーはそのまま事業をフォローする事業化計画委員会へと移行したので、これら事情を承知で進めなければならない。

こうしてコンペから2年目たっても事業者が着工できない状況の時点で、委員会はコンペと実際の事業の関係を断ち切るものとし、コンペで定めたことは白紙として現状追認をしたのであった。

●審査の側から事業コンペをふりかえる

ともあれ、紆余曲折の末に海辺ニュータウンのコンペ対象区域の開発事業はほぼ完了(2003年4月)なので、事業としては成功したといえる。

だが、コンペをどう評価するべきか。

コンペ当選時に定めた事業者・戸数・街区配分のフォーメイションが崩れ去った結果では、コンペはなにをしたのだろうか。

まずは、コンペ実施の時点では応募者も多く、一応の事業計画内容も定めることができたので、成功といえるであろう。コンペで事業者を募ることができたこと、そして応募者全員を事業者とて脱落のリスクを回避できたと言える。バブルパンクの社会経済変化でも事業化できたのだから、コンペを行ったことは現時点から見て成功だろう。

一方、コンペ時点から見ると、事業者もプランもコンペで決めたとおりの内容ではほとんど実現しなかったことは、失敗したコンペである。

結果OKか計画NGか、視点で評価は異なる

この事業コンペは、プログラム作りも事後フォローも時間も体制もかなり周到に模範的に行われたのだが、それでもコンペの結果はかくも複雑な様相となったのであった。

なお、事業フォローはコンペ審査会を改組した事業とデザインの両検討委員会が行った。コンペ選定体制が崩れて、審査会が選定したものでない事業者が登場してきたが、それらのだしてくる事業内容とデザインにはレベルの低いものもあり、調整に苦労をした。その点でもコンペというフィルターを通す意義と重要性は十分にある。

●市民参加時代のコンペ

公共計画あるいは公共施設のコンペとは、行政内部でその計画をうまく策定できない時に、それを外に公開して求める手段であったと解される。そのためのプログラムまでを行政内部で作成し、行政としてコンペ案を審査し決定する。

そのような行政仕事の外注方式としてのコンペは、市民にとって公共計画が上の方から降ってくるものでよかった時代ではともかく、今のように市民参加で計画づくり・施設づくりとなると、コンペでなにを求めるのだろうか。コンペで当選した計画設計の工事をはじめたら、市民から異議がでて頓挫した例もある。首長が変わったということもあるらしいが、そのコンペはなんだったのか。

最近の建築設計コンペでは、住民参加による設計作業を行うことを前提とするプログラムが見られるようになってきた。だが、住民参加でこれからつくる計画・設計をコンペで募集するとは、たたき台案募集という強弁もあるだろうが、どうも論理に矛盾がある。ところでその設計料には、住民参加の運営にかかる費用を上乗せしているか?。

日本では都市計画コンペが少ないので(私が知らないのだが)なんともいえないが、まさか都市計画マスタープランをコンペで募集することはあるまい。だからといって入札でもあるまいが。

建築はまだしもコンペになりやすいが、都市計画はますますなりにくいように思う。これからの都市計画コンペは、計画案を競うのではなく、計画づくり能力を競うことになるだろう。そのようなコンペのプログラムはどうやればよいのか。

●あるQBSコンペ

次は応募者の側からコンペの話をする。鯖江市東部に河和田という人口約6000人弱の集落がある。ここが有名な「越前漆器」の産地である。木地漆塗り伝統工芸から樹脂塗装製近代漆器までつくり、特に業務用漆器(委員会での箱弁当や旅館のお椀類)では全国8割を占める。

その河和田のまんなかに「越前漆器伝統産業会館」を建てるので、その計画から設計、監理まで一連の業務のコンペにだされた(2002年)。

主催者は鯖江市であるが、地場産業という河和田地域の生活に密着した事業の施設なので、いわばプログラムに近い内容が漆器業界関係者と河和田地域住民とで長い間の検討がなされていた。

このコンペがQBS(資質評価方式)という珍しい方式でなされた。QBSコンペは横須賀市美術館(2001年)が日本最初とされ、鯖江市でもそれを模した応募要綱であるが、かなり異なるところもあって主催者の意図が見える。

QBSは計画案を選ぶのではなく人材を選ぶ方式であり、横須賀では建築家一人を選んでいる。鯖江では、プロジェクトマネージャー、チーフプランナー、チーフアーキテクトの3人の専門家をチームとして選ぶという、プロジェクト推進志向の強い意図が見える。

このコンペが単に建築設計コンペではなく、当選者には、この会館をベースにして地場産業が地域で生きるためのソフトとハードにわたる計画設計を求め、まちづくりの一環として産業界・住民とともに進めるコーディネーターの役割を求めるという、欲張り意図なのである。

審査のための応募者の能力判定資料として、横須賀QBSの場合は実績に重きをおかれたが、鯖江の場合はそのプロジェクトへの取り組み姿勢に重点を置かれている。

審査員は、横須賀では専門家と行政担当者、鯖江では専門家、業界、住民、行政という構成で、これは施設の性格の違いもあるだろうが、プロジェクトへの市民参加の積極性の違いも見える。

審査会への応募者のプレゼンテイションは、一般公開で行われた。会場で審査に市民が参加するのではなく、後の審査会で当選者は決まったが、応募者として公開は実によい方法だと思った。応募者の力量がさらけ出されて、審査に政治的介入が極めて難しくなるだろう。それだけにプレゼンテイションの巧緻だけに惑わされてはならない審査員の能力が問われることにもなる。

実はこのコンペで選ばれたのは、わたしのチームだった。鯖江市の都市政策に関ったことがあったので、地域の建築家と組んで応募した。現在進行中の当事者(プロジェクトマネージャー)なので言いにくいが、仕事は楽しく、懐は苦しい。

応募要綱に委託費が書かれていて分ってはいたが、仕事と報酬がマッチしていない。特にソフト計画費がない。国庫補助制度と現場との乖離もある。QBS選定専門家と落札契約業者とどう違うのか分っていないような扱いも、時には受ける。

まだ事後評価する段階に至っていないが、この人材を選ぶQBSは、もっと洗練されると使い道が広いだろうことを、現場で実感している。

●人材を求めるコンペを

最近はPFIコンペ流行の兆しがある。実態はよく知らないが、今までのところでは行政の財政事情対応システムらしい。つまり本来は行政が全て行うべきなのだが、お金がないから貸していただきたい、ついては建設手続一切お任せします、後の運営はこちらでやりますが形式的にはそちらでやってもらいます、という日本型借金方式らしい。

プライベイトファイナンスだからそれでよいのだろうが、そのうちに事業コンペの失敗例のようなものがでるかもしれない。民間事業者に任せてしまう事業コンペならリスクは事業者に行くが、公共施設の運営に関るコンペとなると、一義的には行政責任である。PFI提案を長期採算計画まで見通す判断能力を行政が備えなければならないが、いまの行政システムでそれを可能にするには道は遠いようだ。だからコンサル任せにもなる。

コンペは詳細なプログラムづくりから実行そしてフォローと運営しなければならないので、行政にもかなり力量がいることである。横須賀海辺ニュータウン事業コンペのように、実に周到であっても理想どおりにはいかないものだ。日本建築学会や日本建築家協会が行政コンペ支援策をだしているが、公的機関やNPO等でそのような支援システムを設立することが必要であろう。

公共計画を市民参加で行う時代のコンペは、2分化するだろう。プログラムが単純明確な建築物は、デザインコンペとして従来の設計競技方式が続くだろう。しかし、都市計画のようなプログラムづくりそのものがコンペのテーマのような場合には、その結果達成能力よりも過程推進能力お問うべきであろう。そこにQBSのような人材コンペが重要となる。新しい公共の時代のコンペだ。

実は事業コンペはこの両方をつき交ぜたものである。事業者という人材(法人)と計画内容というプログラムである。それぞれ事業の内容による事業者のチーム編成で提案するが、この形式を計画コンペに敷衍してはどうか。

例えば、日本全国で「都市計画の基本方針」とか「中心市街地活性化基本計画」がつくられるつつあるが、いろいろみると都市は違えど似た構成のものがある。似たようなコンサルタントがやっているのでマニュアル化しているらしい。

どうも行政がレポート構成結果OKの世界に落ち込んでいるためにそうなのだろうが、実はどちらの計画も市民参加の過程が重要とわたしは考える。結果が悪くとも、それは過程で参加した(参加しなかったことにも)市民が責任をとるべきだと思う。それが「市民参加時代のよい計画」というものだ。そろそろ、なんとかしてはどうか。

これなどはQBSでやってはどうか。プロジェクトマネージャーのもとに計画、建築、流通、イベントなどのプロチームを編成して応募させ、計画づくりの進め方について競わせるのである。

いずれにせよ、よい人材がいることからよい計画づくりは始まる。わたしも時に人材コンサルタントみたいな相談を受けてきている。

都市計画人材バンクをNPO等でつくり、そこからコンペ等で良い人材を引き出すしくみをつくることを提案してkeyboardを置く。(030406)

*小論は都市計画学会発行機関誌の2003年『都市計画』No.243特集企画『計画づくりのしくみ』に掲載した。