鎌倉のグランドデザインを描くエッセイ集

●鎌倉まちづくりを研究する

鎌倉プラン研究会

前口上

鎌倉に暮らす建築家や都市計画家の数名が、1992年に「鎌倉プラン研究会」なる、まちづくりを研究しようとする勉強会を立ち上げ、まちづくり構想の提案やシンポジウムなど、いろいろと活動してきた。

その活動の中に、地域情報誌の月刊「鎌倉朝日」紙に、メンバーが順送りに交替して毎号書いてきたコラムがあった。1993年4月の第1回から98年1月の第58回まで続いておわった。そのころ研究会の活動も自然休止した。

ここに掲げるいくつかのお話は、その中のわたしが執筆したものである。このページに記したもののほかに、「緑の質と役割を考え直す」「鎌倉ワーショップ都市論」がある。


まちとまちとが支えあって

(1993.04.05鎌倉朝日掲載)

ある桜見物の日、満開の花の雲の上から、なにやら声が聞こえる。長谷高徳院の大仏さまと大船の観音さまが、これからの鎌倉のことを話しているらしい。

観音『大仏さま、お元気ですか』

大仏『もう七百四十歳にもなったよ。私の生まれた頃の鎌倉のまちの範囲を、いまは旧鎌倉というようだが、そこの住民も五人に一人は六十五歳以上なんだな』

観音『私はまだ三十三歳です。新鎌倉とは私が見おろしている玉縄、大船、深沢のあたりをいうようですが、ここは老年はまだ八人に一人で、私のように若い町です』

大仏『若い町とか新鎌倉とかいっても、玉縄城やたくさんの社寺があるように、本当は旧鎌倉と同じ歴史のあるまちなのだね。合併する前の地名が鎌倉でなかっただけだよ』

観音『一応ここでは私は新鎌倉代表ということにして、新鎌倉のイメージを単語にしてみると、若者、生産、未来、開発、開放、科学、流動、玄関、下町、能動などがあがります』

大仏『では私は旧鎌倉代表ということにして、そのイメージは高齢、居住、歴史、保存、閉鎖、文化、定着、座敷、山手、受動というあたりかな』

観音『なんとなく分かりますね』

大仏『ところで、鎌倉市の財政はかなり健全なのだが、それは裕福な住民が多くて、その納める税金がもとなのだよ』

観音『でも、鎌倉は住宅の都市と思われがちですが、鎌倉市の人口一人当りの工業出荷額の水準は、県平均並みなのです。これは主として新鎌倉にある産業によるものです。もしこれらが法人住民税を払ったら、もっと富裕都市になれます。鎌倉は決して住宅都市に特化しているところではないのです』

大仏『なるほど。高度技術の産業があるということは、高収入で高度な知識をもつ人々が住んでいることだし、その逆もいえるな』

観音『高度技術産業が立地するには、そこで働く技術者や家族の住宅と教育の良い環境が必要ですし、また遊ぶところや飲むところもほしいですね』

大仏『その点では、鎌倉には全部そろっているね。ということは言い換えると、新旧両鎌倉は互いに支え合っているのだな』

観音『そうです。新旧両鎌倉があるので、働くところと住むところが調和して、それが鎌倉の大きな特色なのです。ですから、これからもこの両輪の構造をどうやって上手に合わせて伸ばしていくか、ということが大切だと思うのです』

大仏『では例えば、大船から藤沢にかけて柏尾川周辺でいま進めている大規模な都市再整備と、鎌倉全体の歴史や自然環境の保全方策とを、旨く合わせ技にする方法があるかな』

観音『方法はあります。そのひとつは「まちづくり財団」ですね』

大仏『それは、鎌倉風致保存会のようなものかね』

観音『もっと広げて、都市整備のソフト・ハード全般に使えるようにします。財団の基金は、都市開発による開発利益の一定部分を開発事業者から徴収するのです』

大仏『いまだって指導要綱による開発負担金を市はとっているがね…』

観音『その徴収制度を法的に明確にして、集めたお金の使い方も積極的にするのです』

大仏『積極的とは、例えばどうするかね』

観音『これまでのように保存緑地などを買うこともしますが、開発できるタネ地を買って基盤整備し、保全すべき緑地と交換したり計画条件つきで売るとかします。また売りに出され洋館を買って修繕し、保全しながら住むことを条件に転売もします』

大仏『ウーン、まるで不動産屋だね』

観音『よいまちを積極的につくる「公益デベロッパー」と言ってください。それからもうひとつ、「容積バンク(銀行)」というものができるといいな、と考えているのです』

大仏『容積とは、土地の広さに対する開発の規模のことだね』

観音『そうです。本当はそのまま保全するべきところでも、法の開発容積率指定が大きすぎるところもあります。それが既得権となって、環境的にみて問題のある大開発も規制しにくいことがあるのです。そのようなところを適正規模開発におさえて、余分の容積を基金の機関が銀行のように預かるのです』

大仏『預けたその容積はどうするのかね』

観音『活力のある町をつくるために、現指定よりも容積率を高くして積極的に再開発する必要があるところに売るのです』

大仏『なるほど、容積移転の仲介業だな。それで移転元は既得権行使をながら環境保全ができるし、移転先も開発の事業性がよくなり周辺環境の整備もできる、という仕掛けか…』

観音『そうです。法律的な検討は必要ですが、アメリカには例があります』

大仏『もっとも、どこからどこに容積を移すのが適切か、鎌倉全体の保全、開発、整備に関してのグランドデザインがあることが大前提だね』

観音『昨年、都市計画法が改正になって、これまでは県レベルでつくっていた都市計画のの方針を、こんどは市レベルの詳しいものを市民参加でつくることになりました。これが鎌倉グランドデザインと期待できます』

大仏『そうかヨシ、今日は新旧鎌倉両代表として花見で一杯やろう』……ン?

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●鎌倉の新しいグランドデザインを描く

謹賀新年

(940103鎌倉朝日掲載)

大黒天

みなさま、おそろいで良いお年をお迎えかな。今年も福を授けましょうぞ。

京には「洛中洛外絵図屏風」、負けじと描きたる星月夜、鎌倉占うまちづくり、

滑川から柏尾まで、東西新旧高低清濁、整備開発保全創造、過去や現在そのまた未来、

年立ち返る日ご披露するは、二双八曲小宇宙、込めた時空は絢爛豪華、

その名も『新旧鎌倉絵図屏風』

というわけで、旧新両鎌倉を一目でご覧ぜよ。緑の山と谷がしっかりと新旧を抱きかかえて結んでいるじゃろ。共に歴史の幕を開けてきたのじゃよ。新と旧は盾の両面のごとく、表裏一体であることが分かるかな。

これからも、いや、これからは新旧がもっともっと補い合いながら生きていくべきことを、この屏風の絵図に込めたつもりじゃよ。

読者よ、この屏風を枕の下に入れて楽しい初夢を…。

『暁かけて霜は置けども松が枝の、葉色は同じ深緑、立ち寄る陰の朝夕に、掻けども落ち葉の尽きせぬは、まことなり松の葉の、散り失せずして色はなほ、真さきの葛永き世の、譬へなりける常盤木の、中にも名は高砂の、末代の例にも、相生の松ぞめでたき』

世阿弥の能『高砂』の一節じゃが、初春のめでたさに少し長く謡いすぎたかな。

この謡曲のように、常緑樹の代表は30年程前までは松だったが、今では鎌倉の山にも少なくなった。

でも、これは悲しむことべきではないぞ。

この土地の本来の緑は松ではなくて、松がはびこる前までは、今現在勢いよく樹冠を見せつつあるスダジイ、アラカシ、シラカシ、タブなどの広葉の常緑樹だったのじゃよ。

鎌倉の山はまた大昔の豊かな緑の山が戻ってきている。初春にふさわしい、めでたい話題じゃ。

(注:鎌倉プラン研究会で制作した『新旧鎌倉絵図屏風』は、今は紛失してしかも記録がない)

鎌倉のグランドデザインを描く(番外その3)
(9710 鎌倉朝日掲載)

よそから学ぶ鎌倉 鎌倉は東洋のニース・相州の上田


*やってるか鎌倉物産展*

観音『今年も中央公民館で、姉妹都市の上田、足利、萩の物 産展をやっていましたね。昨年は大船の芸術館の展示ホールでやったので、お客がさっぱりだったそうで、今年はこっちに戻って大盛況です』

大仏『そもそも姉妹都市とはなんだろうね。なぜ兄弟じゃないのかね』

観音『市のパンフレットによると、友好と平和のための市民相互の結び付きだそうです』

大仏『それは宜しいが、ニースも姉妹都市なのに、どうして来てくれないのかなあ』

観音『鎌倉も姉妹都市に出かけて、ワカメやサブレやお盆を売っているのでしょうか』

大仏『物産展の会場で聞いてみたら、上田ではやったことないけど、足利では近いうちにやる予定とか』

*似ているか姉妹都市*

観音『鎌倉と共通なところがあるので姉妹都市なのでしょうが、ここでは地形を比べて見ましょうか』

大仏『ニースは鎌倉と似ているっていうには、あまりに規模が違いすぎるね』

観音『萩は三角洲の城下町で性格は違いますが、3方が丘陵で海に面するところが似てなくもないですよ』

大仏『足利は渡良瀬川から南を海と見れば、よく似ているね。大船のような工業と商業の新市街地を持ってるところもね』

観音『上田は地形としては似ているとは見えませんが、そこの塩田平は「信州の鎌倉」と称しています。鎌倉幕府の守護職が居たことや古社寺も多いので…』

*小京都とはいうけれど*

大仏『その「どこそこの鎌倉」という呼び方は、「小京都」みたいなものだね』

観音『そう、高山とか津和野など小京都で有名ですね。そういえば川越は「小江戸」といいますね。でも「小鎌倉」と言わないのはなぜでしょう』

大仏『そりゃ、すでに鎌倉が小京都だし、京都や江戸ほど大きくないからだろう』

観音『じゃあ、上田のほかにも鎌倉を名乗るところはあるのでしょうか』

大仏『ひとつ知っている。山梨県の塩山市が「甲州の鎌倉」と言っているよ』

観音『武田信玄ゆかりの地ですね。あそこの春はほんとに素晴らしい、盆地は一面の桃の花で桃源郷そのもの…』

*勝手に「ドイツの鎌倉」*

大仏『ほかには知らないから、ここで勝手に選んでみようか』

観音『あら面白い。では「上州の鎌倉」なら桐生市です。街の周りは緑の丘陵、街の北に八幡ではなくて天神様があり、本町通りが若宮大路そっくりに南北に走って、渡良瀬川が相模湾の役目、よく似ていますよ』

大仏『秋田県の横手市は「みちのくの鎌倉」だ。ほら、真冬の「かまくら」が有名だ』

観音『でも、あれは雪でつくった…、マアいいでしょ、あそこも美しい街ですから』

大仏『それじゃ、千葉県の鎌が谷市は「下総の鎌倉」ではどうだね』

観音『名前が似ているだけじゃ駄目ですよ』

大仏『いや、あそこには私と似た露座の大仏さんが居るのだよ。街もいいところだしね』

観音『それならよろしいでしょ』

大仏『こんどは外国に飛んで、古城と大学都市のハイデルベルクは「ドイツの鎌倉」だな。旧市街の3方が緑の丘陵、街を貫くメインストリートが古城に向かって若宮大路のよう。工業のある新市街地もあるよ』

観音『あちらも歴史のある街のようですから「日本のハイデルベルク」が鎌倉だろうといわれるかもしれませんね』

*模範都市か本家・鎌倉*

大仏『それなら「相州の上田・鎌倉」とか「東洋のニース・鎌倉」などとも言うべきじゃないかね』

観音『いえいえ、そこは小京都や小江戸と同じく、いにしえの政治首都のプライドがあるから、本家の鎌倉はよその地名を名乗れないのですよ』

大仏『…なんて威張れるほど模範都市なんだろうかねえ。消えた権威の影にすがっているだけじゃ困るね。これからも「○○の鎌倉」と言って頂けるような、本家にふさわしいまちづくりをしなくては…』

観音『来年はぜひニースの物産展をしてほしいわ』

大仏『うん、南仏サブレと地中海ワカメが美味いんだねえ。はっはっ』

観音『ニース彫もあるかしら、ホッホッ』 (明)

写真

「ドイツの鎌倉」ハイデルベルクのオールドタウン

「下総の鎌倉」鎌ヶ谷の大仏

「上州の鎌倉」桐生の本町筋

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新春恒例 鎌倉まち遊び-新旧加寿尽し

(9801「 鎌倉朝日」掲載)

七福神前口上

さても新春おめでとう。今年も読者のみなさまに、多くの福を授けましょうぞ。

そ~れ鎌倉春なれば、七福神は恒例の、鎌倉まちのつくり初め。

鎌倉名物名所名勝、数ある中にこれこそは、三代五山七口九代、数えて鎌倉名数と、謳い継がれてきたれども、今に残るはいくつやら。

そこで新たな名数迷数、発見発掘しようぞと、お屠蘇のいまだ醒めぬ故、酩数謎数お許し願い、初春遊びは嬉しや楽し。

新旧加寿尽し之「六」

六の出番は六歌仙、遍昭業平康秀小町、黒主喜撰は平安の、昔の名ある六歌人。

今日は真似して狂歌詠み、それでは『鎌倉六瑕選』。

はちす葉のにごりにしまぬ心もて何かは露を玉とあざむく 僧正遍昭

まちづくりにごりはないがNPO何かが辛いふところ寒く 鎌倉変人

…やっぱり人間、飯も食わなくちゃあ…

名にし負はばいざ言問わむ都鳥わが思ふひとはありやなしやと 在原業平

名にし負わばいざ古都問わん緑なす常磐の山はありやなしやと 鎌倉成金

…古都古都ってどこのコト?…

吹くからに秋の草木のしおるればむべ山風を嵐といふらん 文屋康秀

作るからは元の草木をとりはらい無理山枯らし公園というらし 鎌倉安非道

…あれは造園屋の不況対策かなあ…

うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき 小野小町

うっかりと疚しき人は受けとった金というもの返したとぞ言う 鎌倉小町通

…よくわからんなあ、なんだか口の軽い人ね…

近江のや鏡の山を立てたればかねてぞ見ゆる君が千年は 大友黒主

御谷川屈みこんで見てとれば金かけ草植えこれぞ美汚ドブ 鎌倉クローン

…わが家の裏の谷もビオトープと言おうっと…

わがいほは都の辰己しかぞ住む世を宇治山と人はいふなり 喜撰法師

わがいえは都の東の谷戸に住む夜を明石とぞ人はいうなる 鎌倉某氏

…実は明石谷戸に住んでいます…

(注:最後の狂歌の主人公は私・伊達美徳のこと)