わたしの帰る街をー土地問題の今ー2000

わたしの帰る街を

ー土地問題の今ー

伊達 美徳 伊達計画文化研究所所長

2000/04/01

○帰る家がない、帰る街がない

"ちえ子には帰る家がなかった。"

ベストセラー「鉄道員(ぽっぽや)」(浅田次郎)にある「うらぼんえ」の冒頭の一行である。この短編集を貫くテーマでもある。映画でも泣かせてくれた表題作も、勤め先の駅舎暮らしで定年を迎えても帰る家のない主人公乙松が、迎えにきた娘の居るあの世、つまり"究極の帰る家"に帰って行く。

乙松には、帰るべき街はあった。老人ばかり百戸ほどが寄り合う集落は、雪の中でも乙松にはあたたかな街だ。そして、かつて炭坑町で栄えたその帰るべき街は、鉄道も廃止となる過疎地で、失われる寸前の物語である。

小説の中ではなくて、いまわたくしたちは日本全体で、帰る家がない、帰る街がない、その方向へと歩いているようだ。

城下町の雰囲気を今ももっている新潟県新発田市は、中心部のかつての武家地に公共施設群、商人地に商店街、その周りに住宅街と、程よい広さで安心して暮らせる街である。だが、中心部から人口がフリンジ郊外部に移って行き、中心部は高齢者ばかり、大型店が撤退した中心商店街の歯抜けも目立つ。

それなのに、県立病院と市役所の建物が古くなったので郊外部に移そうとか、市街化調整区域を区画整理で開発して撤退した大型店を誘致しようとか、妙な計画もあるようで、帰る街がなくなりつつある。

数年前に商工会議所と総合病院が都心から移転して田んぼの中に建っている福井県武生市は、時代の先進地かもしれない。

タオルの産地で有名な愛媛県今治市は、昨年3本目の本四架橋で広島県とつながった。だが、中心部人口は激減だし、郊外商業の乱立で中心商業地の衰えは目もあてられない。それなのに、地域公団による大規模郊外ニュータウン開発事業を始めるのだから、不思議である。ニュータウン開発は栃木県佐野市でも進んでいるが、中心部の空洞化はすごいものだ。

静岡県掛川市は、衰えた都心を美しい城下町として再生が進められているが、郊外の国道1号バイパスに一歩出るとその沿道商業施設の乱立は無残な風景を呈している。ここがあの城下町掛川へ入り口の道かと、わが目を疑わせる醜さだ。それが前述の城下町新発田市の国道バイパスでも同様だから嫌になる。ここがわが帰るべき街です、という人がいたら顔を見たいほどだ。

東京青梅市は、奥多摩の自然の山林に恵まれているが、市街化調整区域の山奥の狭い谷あいには、高齢者施設がいくつも点在する。まさに現代の姨捨山であり、郊外開発の究極を見る悲しい思いが込み上げてくる。

○土地問題は土地利用問題である

さて、これらに共通することはただ一つ、「そこに安い土地が手に入ったから」である。都市像や生活像をもつ土地利用計画はない。わが都市計画の無力をなげくのみであるが、そうも言っていられない。

今、日本の地方都市のどこでも起きている現象であり、これを今のうちに政策転換しないと大変なことになる大問題なので、あちこちで大問題と唱えつづけているのだが、現地ではほとんど相手にされない。なぜか。

これを土地問題といわずしてなんであろう。そう、土地問題は土地利用問題なのである。だが、本当にそれが問題か。

一昨年、眼鏡と漆器の産地で有名な福井県鯖江市で、一般市民対象のアンケート中に、これからの時代の暮らしと働く場をつくるまちづくりは、郊外開発か中心市街地かと聞いた。

慎重に質問を構成したが、回答の6割が郊外開発賛成だった。現に、都市計画白地の農振農用地が、虫食い状態に宅地化されつつある、それを農業よりも高い収益をえた農民も、街中よりも安価な住宅購入者も喜んでいる。

両方ハッピーだし、一般市民も郊外開発を望んでいるのに、都市計画家はスプロールはいけないとか、中心市街地が大切だとか、勝手なことを言う、と、言われそうだ。

でも、これからの日本で生きる次の世代のためには、やはり計画が必要なことを言っておかなければならない。

○次世代のために生活者の自覚が必要だ

これからはどこでもよいから帰る家さえあればよい時代ではない。地縁のある帰る街がいるのだ。

なぜか、4つの要因を挙げよう。

第1には、日本人口は半減・超高齢化する。百年で倍増した人口は、次の百年以内でもとにもどる予測だ。街は拡散し人口は減少なら、加速度的に街は希薄化する。超高齢化速度もすごいから、あっというまに広い範囲にちらばって介護老人がふえて介護コストは急上昇、始まったばかりの保険は破綻だ。

街の生活は、コミュニティで助け合うことで成立してきただが、少ない高齢者だけの中心街や、郊外の希薄な街では、それも難しい。親戚や兄弟が多ければファミリーの中でケアし合うシステムが機能するが、これから少子化が進むとそれができなくなり、替わって血縁よりも"地"縁の時代となる。一定の土地の範囲に暮らし働きながら助け合う地域社会を再構成しなければ、生きていけないだろう。

第2に、日常生活で地球環境に対応する時代となる。モータリゼイションにのせられた人々は、買い物も通勤も車だからどこに暮らそうと問題ないという。だが、自動車の運転できない老人や子供は、病院にも遊びにも自由に行けない。毎日の車通勤は肉体疲労だけでなく、そのエネルギー消費総量は、地球環境に膨大な負荷を与えているだろう。もっと集まって、街で帰って暮らすべきだ。

第3に、食糧危機問題の時代である。郊外の緑を食いつぶすのは問題である。街をとり囲んだ田畑や緑の丘陵地は、人間としての生存を維持してきた環境であり食料確保の場である。地価が安いからという理由だけで潰して、街にとりこんでよいはずがない。

日本のような食糧自給率4割国は、途上国の人口爆発がおきると、飢える心配が十分にあるのだ。減反したら、簡単にもとの農地には戻らないことを心得ておくべきだ。農業政策で、中山間地の保全のために巨投資がされつつあるが、あえていえば、農地としての生産力の低いのだから、田畑よりも保水力の高い自然植生の山林に戻せばよい。それよりも市街地から侵されやすい市街地フリンジ部の農用地保全のほうが大切だ。そこの保全のために公共資金を投入することこそ食糧政策から必要な土地問題への対応である。

第4に、これからは財政的も節約の時代である。人口減少する高齢社会では経済的にも凝縮傾向となり、公共投資も限られるから既存の社会資本を大切に活かして使うことになる。どこの都市の中心街でも長い時間をかけて、道をつくり家を建て町並みをつくり、市役所や病院などのコミュニティのための施設をつくってきている。なのに、街の外に産業も人も流れ出しては、これらせっかくの投資が無駄になってしまう。

わたしたちは今、土地という社会資本をいかに有効に使って、待ち受ける人口減少、超高齢、少子、環境、成熟という21世紀社会に対応すべきか問われているのだ。まちづくりは最低10年かかる仕事だから、専門家も市民も今から真剣に取り組まなければ、問題が起きてからでは遅いのだ。

30年以上も前から分かっていながら、問題が起きた今、慌てている老人介護問題のような轍を踏まないようにしたい。

それには、土地を市場経済の商品ではなく、次世代のための社会的資産として計画的にとらえる市民(企業市民も含めて)の自覚、生活者としての自覚が必要だ。(完2000/04/01)

(日本建築学会会報「建築雑誌」2000年4月号掲載)