大阪・倉敷:ユニバーサルスタジオとチボリ公園(2001)

大阪・倉敷:ユニバーサルスタジオとチボリ公園(2001)

伊達美徳

5月に西に行く機会があり、途中で思いついて大阪此花区の「ユニバーサルスタジオジャパン」と、倉敷駅裏の「チボリ公園」に行ってきた。

と書けば、いいトシしてテーマパークかいと言われそうだが、どっこい、そこはへそ曲がり。どちらも門の前まで行って、回れ右して帰ってきた。

見たかったのは、それらがどんな所にあるのか、だった。入場ゲートの前で、中を覗き込みその別世界の様子に感心し、次にくるっと首を回して外を見る。と、なにが見えるか知ってますか?

ユニバーサルスタジオジャパン(長ったらしいので大阪人流にUSJ)では、外ははなんと大工業地帯で、スレートや鉄板葺きの大きな工場が立ち並ぶ。塀はあるが、さして隠そうともしないで、工場群やら大ガスタンクが丸見えである。

それから、チボリに行ってみる、これはまた門の前は、あの有名な倉敷のイメージなんてなにもない、ただのありふれた日常の近隣商店街と振興住宅地である。

ありゃ、そうなのか、あの倉敷イメージと絶縁とは、結構いい度胸だなあ。ふーむ、テーマパークはいかに非日常性を偽造するか、その非日常性の中でいかに日常性を偽造するか、それが勝負どころなんだけどなあ。

昔、東京ディズニーランド(TDL)計画にタッチしたことがあるが、もともとなにもない埋立地だから、計画的に外と内の関係をコントロールできている。TDLの外周は人工の深い森で囲んでいるし、周りの土地には中から見えるような高い建物を建てない様に規制している。

さてその3テーマパークの経営といえば、TDLは別格、USJはまだ分からないが良さそうだ。チボリはつい先日の新聞に、経営立て直しで社長の首のすげ替えとのこと。やっぱりだめか。

そう思いつつ、USJの立地を考えてみると、周りが工業地帯だからあれはあれで、非日常性も極まっていると言えそうだ。その工場に通う人にはともかく、ほとんどの人には見知らぬ世界だ。向こうに見える本物のガスタンクも吊り橋も、USJの出し物に見えてくる。

JR電車も映画の書き割りペインティングで、工場地帯をかけぬけると、映画のシーンらしくみえないこともない。

そうだ、TDLの京葉線もそうしたらどうか、でも、毎朝ラッシュに揉まれる通勤客は、いやがるか。

チボリは、チボリ「公園」となっているが、もしかしたら都市公園の免許事業なのだろうか。公園とテーマパークの違いが、日常性と非日常性の差になって現れているようだ。日常性だけでは、巨大投資回収の金が稼げないのが現実であることがわかった。

そう言えば、もう30年ほども前、コペンハーゲンでチボリ公園に行ったことを思いだした。あれは多摩川園そっくりだったなあ(今はなき東京の古典遊園地)。

そうだ、TDLは計画段階には仕事でしょっちゅう行ったけど、いまだに正面から金はらって入ったことがないのだった。

それぞれに偽造の日常と非日常を求めて、今日も親子連れは偽造の街へ行く。 (偽物の街も好きな都市計画家)

注:2001/06/30 メールマガジン 「週刊まちづくり」連載 「気まぐれコラム」【その33】に掲載した