一生暮らせる健康生活都心「ウェルシティ横須賀」
建築学会発表論文
(注:本論は文末のウェルシティ横須賀(グラフ版)を参照しながらお読みください)
Lifelong healthy urban life “Wellcity Yokosuka” project
○伊達 美徳* 南條洋雄**
DATE,Yosinori NANJO,Hiroo
(要約)
“Wellcity Yokosuka” is an expanded town center located in front of the JR Yokosuka station, projected as an urban development with the theme “Lifelong healthy urban life” to re-create vitality and amenity in this area. A community of multi-generation with many types of dwelling unit and a facilities complex with various urban activities such as welfare, culture and convenience should be effective to realize this theme. On the point of view of urban design, the high-rise dwelling tower is a landmark of the port area and other buildings and parks are projected observing a regional sequence.
「ウェルシティ横須賀」は、横須賀市の都心再構築の一環として、健康生活都心をテーマにした総合まちづくりプロジェクトである。多世代の暮す約700戸の集合住宅と介護型有料老人ホーム、健康と文化教育のためのコミュニティ施設、利便施設、公園、道路などを総合的に整備して、一生を暮せるまちづくりを行った。都市デザインの視点からは、中高層建築群と公園による既成市街地との調和と、超高層建築による都心のランドマーク形成を図った。事業主体は都市基盤整備公団・神奈川県住宅供給公社・横須賀市の共同事業で、事業手法は住宅市街地総合整備促進事業によった。
(本論)
1.本研究報告のねらい
本報告は、「街づくりとしての地域施設の計画手法事例(その1)・(その2)」(伊達ほか1991.7.第9回地域施設計画研究シンポジウム)に続く、10年後の横須賀市中心市街地整備に関する街づくり研究である。筆者たちはこの間23年にわたって横須賀市の街づくりに関っている。
(1)都市企画から建築計画へ
一般に建築の計画設計の報告は、最後の段階の設計のみが強調されて、そこに至るプログラムを組みたててきた経緯の持つ重要性が捨象されてしまうことが多い。
ここに報告する大規模地域施設の計画・設計事例である「ウェルシティ横須賀」は、当初の都市企画から完成までに、計画思想がほぼ一貫して通った珍しい例といえる。
ここでは、都市全体としての位置付けから、都市開発レベルの企画と計画、そして建築レベルの計画と設計という一連の動きを考察する。
(2)専門家たちのコラボレイション
建築が完成するまでには、オーナーのもとに数多くの段階を経ながら、段階に応じて多様な職能の専門家たちが登場する。どのような段階で、誰が、何を定めてきたか、これを明確にしておく必要があると考え、その段階と専門家の役割を報告する。
(3)都市計画から建築群の都市デザイン
敷地を与えられ、その中に与えられた機能を、どう建築物に処理するか、それが建築計画設計ではない。地域の中で道路、公園、敷地を作り上げ、そこにもっとも適した建築群を、その都市を再構成するデザインとしてとらえて計画し設計するあり方を報告する。
(4)地域施設の複合化による効果
地域施設はその地域のコミュニティを広くまた永続的に支えるものでなくてはならないから、多様な生活に対応する多様な機能を複合的に持つものとなる。
ここではその多様な複合のあり方を、建築的にどう対応したか報告する。
2.横須賀市中心市街地整備計画
1992年から2年間かけて行った調査は、それまでの構想から進めて、誰が、何を、どのようにして、どれくらいの費用で行うか、事業に向けての計画づくりであった。実際に、このときの計画内容がほぼそのままに実現している重要な作業であった。
基本計画の持つ意義あるいは目的の第1は、何をつくるか決めることである。横須賀都心を魅力ある市街地として再構築するためには、「健康生活都心」を開発のコンセプトとして、健康な生活を都心で過ごすことができるまちづくりを目指すこととした。
そこにはまず多様な世代のための多様なライフスタイルの住宅群があり、その暮らしを支える健康増進センター、青少年の家、カルチャーセンター、研修施設、コミュニティオフィス、健康テーマショップ、プチホテルなどの地域施設を設ける。都市基盤として道路、駐車場、広場、公園、デッキ、駐輪場、上下水道などを整備する。これらは一部後期にゆずるものもあるが、前期事業の約2.5haの区域でほぼ実現した。
これらを都市計画としての適正さ、地域に調和する都市デザイン、事業成立する採算性などを検討し、規模と配置を定めた。ここで重要なことは、都市を企画することである。都市全体としていかにこの場があるべきか、それにはどのような内容か、それは都市開発の採算性に及ぶ計画となる。
第2の意義は、事業主体に誰がなるかを決めることである。2年間の検討の中で、公団・公社・市が前期事業を行い、民間が後期事業者となる枠組みができ、国鉄事業団からヤード跡地を共同して買い受けた。今回オープンしたところはこの前期事業である。
第3としては、事業化の手法を決めることである。計画制度として「再開発地区計画」(後に実際はこれを適用しないで総合設計一団地認定制度によった)、事業手法として「市街地住宅総合整備促進事業」とした。
神奈川県横須賀市は人口43万人の首都圏南部の近郊都市で、三浦半島の中央に位置し、東西を海に面し中央部は緑濃い丘陵地帯で、温暖な気候に恵まれた住宅都市であり産業都市であり観光都市である。
都心地域の中心市街地は東京湾に面した約100ヘクタール余の区域であり、すでに20年前からその活性化策が検討され、「横須賀市中心市街地整備計画」(1985)として都心再構築が進められている。
横須賀中心市街地は、京急汐入駅周辺と京急横須賀中央駅周辺を二つの拠点とする商業業務市街地であるが、都心居住の場でもあり、整備方向は商業の活性化とともに生活環境づくりが行われてきている。その点では、現在の中心市街地活性化法の先取りといえる。
1996年に都市計画法による「横須賀市都市計画マスタープラン」を策定し、そこでは中心市街地の都市機能の強化と魅力づくりをすすめるために区域を拡大し、JR横須賀駅周辺、京急汐入駅周辺、京急横須賀中央駅周辺そして海辺ニュータウンの4拠点とした。
このJR横須賀駅周辺拠点として位置づけた街が、ここに発表する「ウェルシティ横須賀」である。
3.JR横須賀駅ヤード跡地の整備構想
横須賀市は幕末に横須賀製鉄所開設以来、軍港都市として歩んできた。1889年には国鉄横須賀線が開通し、軍需物資の陸上輸送基地として横須賀駅が大きな貨物ヤードを持って開業した。
駅周辺は日本海軍の中枢として利用され、戦後も海上自衛隊の地方総監部がある。軍需物資輸送の役割を終えた貨物ヤードを、地域のまちづくりのために新たな活用ができないものかと、県や市の関係当局が模索してきたが、国鉄時代は動きようがなかったために中心市街地整備計画からもはずされていた。。
1987年に貨物ヤードが国鉄清算事業団に移管されて、その転用が重要なまちづくりの課題として浮かび上がり、1990年に都市計画法による「都市再開発方針」において、2号地区(都市再開発法第2条の3第1項2号)に定めて再開発を積極的に行う位置づけをした。
これ以降、その土地の有効活用が真剣に模索され、特に住宅市街地として総合的なまちづくりを行って、中心市街地の活性化の一環として再開発を進める方針とした。そのために横須賀市は、ヤード跡地を民間開発にまかせるのではなく、公的な制度により公的な事業として行うべきとしたのであった。
そこで、横須賀市、神奈川県住宅供給公社、住宅都市整備公団(現・都市基盤整備公団)の3者による事業を予定し、特定住宅市街地総合整備促進事業制度(現・住宅市街地総合整備促進事業)を適用する方向で、ヤード跡地と周辺の5.2haの区域について調査・計画策定を1992年から2年間かけて行った。
これが 基本計画として建設大臣承認されて事業化に至り、2001年1月に「ウェルシティ横須賀」の名称でオープンしたのである。
行政の意志の働いている都市政策に基づいて、横須賀市の都市計画に位置付けられ、公的なまちづくりとして事業が行われたために、その間のバブル景気等に左右されず、当初目標の実現ができたものとして評価できる。
4.横須賀駅周辺特住総事業整備計画による基本計画
(1)基本計画の内容
(2) 基本計画の策定手法
基本計画は委員会方式によって策定が進められた。委員会方式には、利点と欠点とがある。主な利点は、都市開発の多様な動きに対応する多様な人材が委員として登場して多くの知見が生かされること、市民が委員になることで市民参加の計画となること、委員に行政関係者が加わることにより事業化の行政手続きの前倒し的な役割を持っていること、計画が公開されることにより大義名分を持つこと、などである。
欠点は、委員会という形式にとらわれて内容も形式的になりやすいこと、時には行政の言い訳けに使われることがあること、委員の構成によっては検討内容が逸脱すること、などがある。
なお、本計画策定で市民参加はされなかったが、その後において地区住民への説明会が何回も開催された。
本計画の委員会(伊藤滋委員長)は、都市学者、建設省、自治体、事業主体候補者によるきわめて実務的なメンバーにより、事業化にむかっての検討が進められた。
委員会に協力する実務的な策定の作業は、専門家のコンソーシアムによって進められ、その専門家たちは更に建築の設計まで進んだのであった。
協働した専門家たちの分野は、総合企画(伊達)、都市計画(中澤)、都市デザイン・建築計画(南條)、交通計画(渋谷)、住宅企画(松岡)、福祉施設計画、再開発事業計画(越野)などのほかに事業者側の専門家で、この段階の全体コーディネーターは都市計画家の伊達美徳が行った。次の建築計画段階では、更に新たな専門家が登場し、コーディネーターは建築家の南條洋雄に移行した。
この専門家たちによるコラボレイションによって基本計画から工事監理まで進められたが、どの段階で、どの専門家を、何に起用するかが、事業のプロデューサーである事業主にとっては重要な仕事のひとつであり、それがコーディネーターに課せられる仕事となる。
特に計画段階では定常的な仕事の流れでないために、専門家の起用を誤ると事業の出直しになることさえある。最近特に公共団体における専門家起用に入札制度がとられて、金銭の多寡で起用すると本質を誤ることもある。
コーディネーターは計画建築事業の広い識見と人的ネットワークを期待される。本計画では伊達と南條を中心として随意契約によったので、そのもとで専門家起用は円滑に進み、コラボレイションは成功した。
5.施設の計画と設計
(1)住宅計画
都心に暮らす住民を増加させることが、中心市街地の活性化の基本である。商業も業務も人がいてこそ成り立つのである。そのような方針で、横須賀中心市街地には公共施設とともに集合住宅の建設が政策的にとられてきており、この3年ほどでほぼ1000戸程度が再開発と埋立地に建ったと見られる。
加えて本計画でも多様なライフスタイルの住宅供給により、一生暮らせる街を目指して当初は640戸を計画した。その後の実施計画では若い世代のための賃貸住宅(99戸)、一般家族向けの分譲住宅(360戸)、ケアつき高齢者住宅(156戸)そして介護専用型有料老人ホーム(59床)を、公団と公社の事業として前期計画に導入した。
住棟計画は、基本計画では中央部にランドマークとなる2本のツインタワー超高層棟とその周囲に中層棟群による構成であったが、実施計画で超高層棟は1本となり、周囲に高層棟群の構成に変った。これは土地価格が比較的安かったために、事業計画の精査により超高層によって建築容積率を稼ぐ必要性の低下と、高層化によって建設費の低減を図ったことによる。
(2)公益施設等の地域施設計画
ここで多世代が一生を過ごせるための街とするには、その活動を支える地域施設を導入しなければならない。文化・コミュニティ系施設としては「ウェルシティ市民プラザ」として、ほぼ基本計画どおりに健康増進センター、保健所、中央健康福祉センター、生涯学習センター、逸見青少年の家がひとつにまとまり、保育所も開設した。
これで幼年から老年までの多様なライフスタイルに対応する生活空間としての基盤が整ったことになる。
公益施設は横須賀市の施設として運営されるが、多様な機能は行政のシステムとしてそれぞれの担当部局が計画設計に対応するために、それらの間を調整してひとつの建物に構成するのは至難の作業であった。
複合して設置することにより、共用できるスペースが有効に使えるという反面で、それぞれの部局が縄張りを張り合うということもおきる。基本計画時に考えたような一体的な運営システムとはならなかったが、今後は利用する市民の声が使い方の方向を定めていくことを期待している。
なお、商業施設は近隣に商店街も大規模ショッピングセンターもあるので、最低規模のレストランとコンビニエンスショップを導入している。今後の後期開発が民間の街区で行われると、基本計画にあった専門店、学校、業務系施設、ホテルなども導入されるかもしれない。
(3)都市デザイン
施設の配置構成は、まちづくりとして地域との調和と都心のランドマークとして都市風景の創造を目指した。
海からの眺望と海への景観、低層の既成市街地との連携、丘陵の緑とのつながりなど、全体設計者である建築家の南條洋雄が中心となり各専門家の協力を得て、規模、高さ、形態、色彩(吉田慎吾)、照明(面出薫)、造園(井上洋司)などの「都市デザインガイドライン」をつくり、多数の建築施設のデザイン調整を行った。
その努力は報いられ、本計画を含む一帯の整備につき、2000年度都市景観大賞(都市景観百選)を受賞した。
ウェルシティ横須賀は、地域施設計画の中でも大規模で総合的な都市・建築の整備事業であるが、そのような時代の先取りを行うつもりで計画し、実現した事業であることを評価したい。 複雑な事業の形態であり、事業者、導入施設、設計者、施行者などいずれも多数であったために、その間の調整に実に多くの労力を必要としたが、幸いにしてそれらのコラボレーションは成功したと評価できよう。
しかし今後の運営にはいくつもの課題がある。ここで一生を安心して暮らすことができるように、ハードウェアは用意できたが、その運営というソフトウェアはまだ歩き始めたばかりである。
たとえば、若年層から老年層へと、この中で住み替えシステムが円滑に行うことができるだろうか。
多様な公益施設が連携して、単独施設よりも有効に活用できるように運営されるだろうか。
介護保険の時代となって、ここに限らず高齢者施設の運営もまだ的確な方向が見出せないようである。(以上)
人口が減少して超高齢化するこれからの日本、そして環境問題に真剣に取り組むべきこれからの社会では、都市政策は大きく変わる。これまでのような拡大型ではなく、都心あるいは中心市街地の既にインフラストラクチャーが整い、コミュニティが形成されている地域で、歩いて暮らせるエリアにおいて、快適に暮らし働くことが重要なまちづくり政策となる。
6.まとめと今後の課題
注:本論文は、2001年度建築学会「地域施設シンポジウム」において発表した。
●参考資料