21紀型まちづくりの跡地利用を

21紀型まちづくりの跡地利用を

1999

伊達 美徳 (都市計画家・伊達計画文化研究所(株)所長)

●都心の空洞化は進む

北陸某県の小都市のこと、ご多分に漏れず中心部の人口は激減して高齢化は進み、郊外バイパス道路には沿道商業が林立して、中心商店街はがたがたである。

ところが3年前から商工会議所と総合病院が都心部から移転して、郊外バイパス道路にパチンコ屋と肩を並べて田んぼの中に建っている。小さな都市ではどちらも都心での重要な集客施設だし、市民にも一番便利な立地だったろうに、都心空洞化に拍車をかけたにちがいない。

やはり、北陸の別の小都市は城下町だったが、中心部の城跡近くに県立病院と市役所がある。施設更新の時機とて、移転のうわさがある。一方、衰えた駅前商店街の裏手には、撤退した製糸工場と大型店の広大な跡地があって、現病院と市役所用地の2倍以上の広さはある。

まちづくりの常識としては、ここに病院や市役所を持ってくれば、一石3鳥になるはず。ところが情報を総合すると、どちらも郊外に移転する計画らしい。撤退した大型店も郊外の市街化調整区域の田んぼの中に出店するらしい。

これではますます中心部は衰えるし、病院が出ていっては中心部に多い高齢者たちの生活の不安さえもある。

東京多摩の某市は、自然の山林に恵まれているが、谷の奥深くあちこちに高齢者施設がいくつもある。まさに現代の姥捨山である。

東京某区内の銀行所有の運動場が売りに出され、区が買って公園にするという。買い取る条件が更地にすることだそうだ。昭和はじめの個性的なクラブハウスも古いから壊すという。そのまま直して使って、運動公園にすれば、財政負担も少なくてよさそうなものを。

●土地さえ手に入れば・‥

これらは例外的な事例ではなく、各地で見られることだ。わたしのようなまちづくり屋の常識と、現実の跡地利用とが連動しないことが多いのである。

これらに共通することは「そこに広い土地が安く手に入ったから」である。こうして刹那的判断でどこでもなんでも作ってしまわれては、わが都市計画の無力を嘆くのみである。

そう、都市計画はいつの時代も経済に奉仕するばかりだった。殖産興業時代は産業優先で住居の分離を進めて通勤地獄や自動車公害を起こし、高度成長時代には郊外開発で今や中心市街地の空洞化を招いたのである。

いまは跡地利用促進なんて、バブル経済後始末のお手伝い中だが、跡地を売るほうは、とにかく処分が先立つのだし、買うほうは、とにかく安く手に入ればよいだから、その跡地の将来都市構造への視点などまったくない。

だから、都市計画の規制があるから土地が売れない買えないと規制緩和一本槍の要求で、都市計画関係者は責められる。

でも思い出してもらいたい。時代が変わると逆である。かの90年頃のバブル華やかなりし頃、地価が上がるのは都市計画規制が績すぎるからだと、お叱りをこうむった。慌てて都市計画法改正をしたけど、金融引き締めでバブルはパンク、都市計画は間に合わず。

●次世代のために都市経営の思想を

もうそろそろ都市計画がイニシアティプをとつてもよい頃だろう。わかっていながら中心市街地空洞化を招いたような、経済優先の都市政策はもう止めたいものだ。

今わかっている21世紀前半におきる確実なことは、人口の減少と超高齢化、食料と石油の危機などの、まさに集団殴り込みである。

これらに対応する都市経営を正面にすえた、「凝集型都市への再構築」を今から姶めるべきである。それが21世紀型まちづくりだ。

土地さえ手に入れれば姥捨山でも田んぼ病院でもよいという、都市経営思想のない放漫まちづくりをやっていては、いまに人柱が建つ。

話題の跡地利用も、しっかりと21世紀の都市の将来を見つめた土地利用をしたいものだ。時間のかかる都市づくりは、次世代のためだから、それが今の世代の義務である。

(筆者は、当機構再開発・土地有効利用支援センター専門委員)

注:小論は、「民都みんと」(1999年10月号 民間都市開発機構)に掲載した。