能を観に行く

能を観に行く

伊達 美徳

わたしの趣味らしい趣味といえるのは、能楽鑑賞である。趣味としての覚えを記しておくとともに、もしも能楽をご存じない方がこれをお読みになって、能楽に興味をおぼえて下さるとうれしいな、というつもりで書く。

●狂言二つの流派

能楽には狂言がある。最近は野村萬斎やら茂山一家などの狂言師がタレント的なもて方をして狂言も盛んであるが、わたしは能のほうが趣味である。だからといって能一辺倒ではなく、人気の狂言師の狂言を観るのも好きである。

わたしの好きな狂言方の役者は、山本東次郎(大蔵流)である。不器用に見えるほどに、わざと硬く演技している(ように見える)。能楽を観はじめのころのわたしは、その硬さが気になってしまって、野村家や茂山家の分かりやすいやわらかい演技が好きだった。ところがなんども観ているうちに、東次郎さんの味が分かってきた。実は硬軟自在で、その一瞬の変わり目に実に味わいが深い。

能楽の舞台には、東次郎家のようにある程度は様式的なほうが合っているように思うのである。

京都大蔵流の茂山家と和泉流の野村家は、時に写実的過ぎるところがあり、時にチラと松竹新喜劇っぽいところが出るのが気になる。

●人気狂言師

和泉流野村家の野村萬斎が、今は大衆に一番人気であるが、それは蜷川シェイクスピア劇出演等の多様な舞台づくりということがあるだろう。

わたしは能舞台でしか彼を見たことはないが、演劇も面白そうではある。萬斎をはじめてみたのは、黒沢映画「乱」であった。たしかあれは、敵に破れて盲目にされた若君であったか。

そのときはあまり気がつかなかったが、その次はいつだったかのNHKTVで足利尊氏を主人公とした大河ドラマに、えらく口跡(こうせき:せりふのしゃべり方)の美しい俳優がいるものだと思ったことがある。後に狂言師(当時は野村武司といった)と知って、なるほどしゃべりの素養が生きていると思った。朝のTVドラマで吉行エイスケを演じて一躍ミーハーもてになった。

この人は実際に能舞台でも、口跡も身体演技もキレがまことによい人である。いつかの正月公演で観世能楽堂で見た「翁」の「三番叟」、あるいは銕仙会での「那須与一」が印象に残る。

●和泉流狂言師野村家四人兄弟

野村家は萬、万作、四郎、万之介の能楽界ベテラン4人兄弟がいて、それぞれ後継の息子たちがいて、萬斎は万作の子である。萬の長男の萬蔵(その前は万之丞)は、萬蔵襲名と同時に40代の若さでガンで逝った。多才な人でこれから花咲くはずだったのに惜しい。国立能楽堂で彼の「唐人相撲」をみたことがある。

次男が萬蔵を襲名したが、狂言師の襲名とは歌舞伎のそれとはかなり違うらしく、親が襲名せよというだけでよいらしい。

野村家の中で四郎だけは、狂言師ではなく能のシテ方になり、いまや観世流のトップ演者の一人である。ついこの間まで東京芸大の教授をしていたが定年退官した。普通はめったに行われることのない他の流派との共同公演ばかりか、日本舞踊や長唄などの他の日本伝統芸能と共同で新しい舞台を探っている。息子の昌司が跡継ぎでシテ方になったが、まだ先は長そうだ。

野村家は狂言3兄弟が基本的には別に動いているが、京都の茂山家は千作以下一族郎党一家を成して動いているのが面白い。

狂言の演じ方は、どこか家内工業的なところがある。能のようにその公演が一期一会の出演能楽師間の一発勝負ではないので、一家で共同稽古の積み重ねがいりそうである。

●和泉流宗家はどうなる

狂言といえば、大河ドラマ主人公になって一時は大人気だったミーハー本家とも言うべき和泉元弥はどうしているのだろうか。

和泉流狂言の宗家と称していたが、テレビでみる演技も舞台での狂言も下手だった。4年ほど前、伊豆の伊東で薪能の船弁慶を観たのだが、あの船頭の大役にはどうにも下手でお気の毒にさえ思えた。間狂言「樋の酒」を姉たちと演じたが、どうにも学芸会的になるのは、必要とされる様式性演技がまったくといってよいほど見えないからだろう。

この姉弟を教える父親・和泉元秀の急逝という不幸な事件で、芸が伝わる間がなかったからだろう。その後、あれこれスポーツ芸能新聞をにぎわせた騒動あって、結局は能楽界から締め出されたらしい。いまでは能楽堂で彼らを見ることはない。これで和泉家と三宅藤九郎家は絶えるのだろうか、まさか。

●能は日本のオペラ

さて、ここからが本題の能の話である。

わたしは能楽堂で至福のときをすごすこともよくある。その至福とは、能を観ながら聞きながら気持ちよくすやすやと一時の別世界を漂うこと、はやくいえば居眠りである。居眠りしてしまって惜しいような気もするが、それほどにも気持ちよい舞であり謡であり囃子であったということもできる。よい演奏は眠りをさそうと、野村四郎師もいっている。(参照:能の観方を野村四郎師にきく)

能はオペラでありミュージカルである。舞台には台詞をしゃべり、歌い(謡い)、踊る(舞う)役者たちが出て、オーケストラ(囃子)も合唱隊(地謡)もいる。西洋オペラとの大きな違いは、舞台に幕がないことと、舞台装置が極端に少ないことだろう。幕と装置は観客が自分の頭の中で創り組み立てろというのである。その強引さが能の特徴であり、この強引手腕に引き込まれるまでは、ちょっと時間がかかる。

●習い事としての謡曲

1991年はじめに大学の先輩から(強引に)誘われて、観世流シテ方能楽師の野村四郎師に、謡(うたい)を習い始めた。もちろん素人として習うのであり、プロの世界とは天地ほどに違う。相撲と同じで、能楽では素人と玄人との差が極端に大きい。

謡とは、この台詞と歌を楽譜つきの台本(謡曲)を見ながら、歌いしゃべるお稽古事である。オペラの俳優の歌とせりふ及び合唱団の歌の部分をならうのである。江戸時代から武士階級にも庶民にも盛んになったのだそうだから、ずいぶん昔からの遊びである。

台本に音符のような点を打った特殊な表現の譜面はあるが、絶対音階ではないし、台詞と歌とが混じり、複数の登場人物を男も女も一人で演じるのだから演技となる。これは師匠の口移しに倣うしかないのである。

まずは譜面の通りに音階が読めるようになり、次に師匠のように謡うようになるはずだが、なかなかそうは行かない。演技だから役者になる稽古なので、ちょっと奥が深い。だからこれを習うことで舞台鑑賞の奥行きがうんと深まるのだ。私はそこに謡いを習う第1番の効用を感じている。舞台を見るのは謡を上達するためではない。

江戸時代と違っていまでは、この趣味の人はそれほど多くはなさそうだが、最近の狂言ブームで少しは増えているのだろうか。大学には謡曲部なんてのもあるから、若い人もいそうなものだが、年寄りの趣味の感が強い。

能楽の稽古事は、笛、太鼓、大鼓(おおつづみ)の囃子(はやし)、シテの演技の一部の仕舞(しまい)もある。

●能を観に行く

わたしは謡いを習い始めてから、謡そのものよりも能を観ることに興味がおおいにわいてきたのだった。能楽堂に通いつめるようになり、ある年は毎週1~2回も行ったこともある。もちろん同じ演目を、違う演者で何回も見ることにもなる。

能を観に行くと、台本と首っ引きでほとんど舞台を見ていない人がよくいるが、謡のお稽古の延長のつもりの人だろう。わたしは初めて観る曲でも、とにかく舞台を観るのが楽しい。謡いを習うのは舞台を観るための、手段というか一種の手続きのようなものといってよい。

習った曲ならば、あの台本を演者がどう演技するのか、500年もの間にできあがった定型的な演技演奏の中で、いかにしてその演者の個性を生かして見せてくれるか、それを見るのが楽しみである。

●これまで観た能

これまで観た能(2005年5月現在で延数にしておよそ200、演目数にして115)を書き出す。まず古典の能である。(観世流での難曲というか位の高い曲の順)

翁(神歌)、望月、求塚、梅、安宅、道成寺、石橋、木曾(願書)、鷺、木賊、砧、卒塔婆小町、檜垣、鸚鵡小町、当麻、隅田川、藤戸、俊寛、弱法師、盛久、花筺、松風、実盛、山姥、二人静、雲林院、絵馬、高砂、源氏供養、昭君、熊野、蟻通、杜若、七騎落、江口、野宮、夕顔、葵上、千手、頼政、班女、井筒、通小町、柏崎、邯鄲、自然居士、花月、海士、鞍馬天狗、忠度、百万、屋島、国栖、氷室、善知鳥、草紙洗小町、天鼓、安達原、融、楊貴妃、清経、正尊、半蔀、三輪、鉄輪、張良、富士太鼓、葛城、龍田、巻絹、唐船、東北、知章、弓八幡、羽衣、鵜飼、賀茂、大江山、小督、項羽、殺生石、船弁慶、野守、鶴亀、竹生島、西王母、田村、吉野天人、小袖曽我、生田敦盛、岩船、菊慈童、猩々、大瓶猩々、橋弁慶、枕慈童、紅葉狩、熊坂、大仏供養、経正、六浦、車僧、合浦、小鍛冶、大会

ほとんど観世流だが一部に喜多、宝生流も観ている。これで現在ある古典演目の半分くらいだろう。このうちで同じ曲で観た回数が最も多い演目は清経(10回)、次いで葵上と隅田川である。特にそれらを選んで観にいったわけではないが、人気曲とでも言うのだろうか、演じられることの多い演目である。

●能の新作や復曲

次は、新曲または復曲で、わたしが見た能である。

新曲は文字通り、新たに作ったものであるが、復曲はかつてあったが演奏が途絶えていたものを復元して演奏したものだが、昔どのように舞い謡ったか分からないところは創作である。

松浦佐用姫(観世清和)、当願菩頭(観世銕之丞(先代))、三山(観世清和)、烏頭(喜多流だったので観世の善知鳥と同じかもしれない)、オセロー(シェイクスピア原作)、大般若(梅若六郎)、実朝(野村四郎)、鷹姫(観世銕之丞(先代)、イェーツ原作、横道萬里雄作)、鐘巻(浅見真州、道成寺の古曲)。

ところで純粋な能とは言いにくいがその系統にある芸として、「黒川能」をある年の冬、山形県の櫛引町黒川の里に見に行ったことがある。地方芸能として独特の個性がいきづいていて面白い。狂言の系統として同様に福井県池田町の「田楽舞」も2回も観にいった。

●沖縄に能楽がある

沖縄には琉球王朝から伝わる「組踊」(くみおどり)という、能をアレンジメントした伝統舞台芸術がある。10年ほど前にTV放送で、能の「放下僧(ほうかぞう)」を下敷きにした組踊「万歳敵討(まんざいてきうち)」をみて、いつか本物を観たいと思っていた。

2000年だったか東京の国立劇場で組踊公演があり、そこで組踊「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」、能の「道成寺(どうじょうじ)」のアレンジ版を見た。鐘入りの場がえらくケレンみがあって奇妙な面白さがあったが、それよりも演者のあまりに美しい姿かたち、衣装と化粧に見とれてしまい、琉球独特の節回しと囃子に酔った。言葉はまったく分からないので、字幕つきだった。琉球古語だろうから、能も古語であるからいずれも事情は同じだろう。

沖縄にも国立劇場ができたので、いつかそこでたっぷりと観たいと思っていたが、2006年9月16日、念願かなって「糸納敵討」(イトナティチウチ)を観ることができた。本土の能の翻案ではなく、琉球の歴史に題材をとる典型的な敵討ちものであり、敵役は憎らしく、敵を打つ側はあくまで美しく、戦闘場面はいとも様式的に仕立てられていた。

●一生懸命に観る

能を観るにはある程度の努力がいる。何しろ何にもない舞台での演技を観つつ、自分の頭で舞台を組み立てなければならないのだから、不精な受身の態度では観客が務まらない。

一生懸命に舞台にこちらの思いを投げかけたとき、舞台からそれなりに戻ってくるものがあると、感銘を受ける。。

多くの能の観ているが、半分くらいはその状況を思い出すことができる。その多くは感銘のある舞台だろうが、中には演者が失敗した例も記憶するものである。

絶句して後見や地謡から教えてもらったシテ、安座したけど装束の重さで立てなくなった年寄りシテ、一句早く答えてしまったワキ、居眠りして観るほうがハラハラした子方、舞扇を落としたシテ、椅子が壊れて尻もちついた小鼓方など、数多く観ているとそんなこともある。

本当はもっと深刻な演技上の事件もあるのだろうが、観ているこちらの眼力が伴わなくて分からない。

●頭と心で観る

能を観て涙が出るようなことはないが、1度だけあった。5年位前のこと、観世能楽堂での梅若六郎の「隅田川」であった。たいていの能では悲劇の主人公を成仏させて観るものを安心させるのだが、隅田川だけは悲劇のまま突き放すのである。

舞台はとうぜん照明で明るいままだが、物語の場面が次第に夜になってくると、舞台が暗くみえてくる。幽霊の子方が出るころはその姿が暗さの中で朧にしかみえない。

最後に、ほのぼのと夜は明け初めて、と地謡がうたいだすと、少し明るくなるようにおもってしまう。頭というか心で舞台を見ているのである。(ここまで2005年6月4日記)

●能の実験

シテ方能楽師の野村四郎は、能を他の日本古典芸能と積極的にアレンジして演じている。2003年には邦楽の全部を舞台に上げて能「熊野」(ゆや)を演じたし、2004年には「隅田川」を宝生流の地謡で演じ、2005年には「謡かたり隅田川」と称して豊竹咲大夫の義太夫演奏で隅田川を演じる試みをしたのを、いずれも違和感と新発見で興味深く観た。

参照:謡いカタリ隅田川(050830)(2007年1月組踊及び観た能について補綴)