景観戯造ー風景を復元して遊ぶ
景観戯造
風景を復元してみた
制作:伊達美徳
自然でも都市でも景観は時とともに変化する。
ある景観からかつては存在しなかった何かを取り除く復元遊びをする。
それを今の姿と比べると、面白いことになる。
そんな遊びのような、景観スタディのような、現実ではできないけど、
画像ならばできる景観を戯れに造ってみる。
題して景観戯造
日本のあちこちで拾った風景を戯造しています。GIFアニメで両方が3秒間隔ででてきます。
どちらが現実でどちらが戯造復元したかわかりますか。
そしてまた、あなたはどちらをお好きですか。
目 次
(クリックすると各項へジャンプします)
●浜離宮庭園 ●京都岩倉圓通寺庭園 ●小石川後楽園 ●清澄庭園
●横浜三渓園 ●鎌倉鶴岡八幡宮 ●鎌倉若宮大路 ●富田林寺内町
●国立市学園通り ●東京日本橋 ●韮崎市の八ヶ岳 ●中央高速道の富士山
●京都岩倉・円通寺庭園
日本庭園は外の風景をとり入れる借景をします。雄大な山並みと庭園とを一体にした風景を愛でます。
その借景庭園ならなんといっても京都岩倉円通寺庭園でしょう。
京都岩倉にある円通寺の庭園は、比叡山の借景で有名な名園です。
17世紀はじめに後水尾上皇の作庭と伝えられます。作庭当時は遠景として比叡山を生け捕って、
中景には農村風景を見せて、のどかな借景庭園だったのでしょう。
後水尾上皇はどんな庭園を作り、どんな風景を愛でたのでしょうか。それを見てみたいと考えて、こんな風景を復元してみました。軒の線と縁先と柱で額縁をつくっていますね。比叡の山並みは背景幕です。中景の京都の街は想像でつくりましたが、もちろん17世紀とはおおいに違います。こんなおおらかな庭園であったのかと、ちょっと感銘をもって思います。
そういえば、上皇はこの後にすぐ修学院離宮をつくっています。あのおおらかな庭つくりの準備だったのでしょうか。
でも、実は、今の風景はこれとは大きく違うのです。
(下図をクリックすると、今の姿と復元した姿が交替で3秒ごとにでてきます)
関連ページ:◆京都岩倉:怨念の景観帝国ー円通寺と後水尾上皇(2009)
●浜離宮庭園(その1)
東京の新橋駅近くにある浜離宮庭園は、17世紀半ばに徳川将軍家の別邸「浜御殿」としてつくられたそうです。戦前は天皇家の「浜離宮」でした。江戸の名庭園のひとつですね。いまは公園となっていて誰でも入れるし、将軍が眺めた風景を愛でることができます。
江戸の将軍や明治の皇室の人たちは、どんな景色の公園を見ていたのだろうかと気になりましたので、復元遊びをやってみました。のどかなものです。
でも現実はずいぶん違います。比較してご覧ください。
(下図をクリックすると、今の姿と復元した姿が交替で3秒ごとにでてきます)
●浜離宮庭園(その2)
浜離宮の中から、今度は東のほうを見ました。ほう、こちらは向うに東京湾があって、庭に海水が入るようになっていますから、広々としています。
でも、これは昔の人たちが見ていた風景です。現実とは大きく違います。その違いをご覧ください。
(下図をクリックすると、今の姿と復元した姿が交替で3秒ごとにでてきます)
●小石川後楽園(その1)
東京ドームや遊園地のある後楽園、実は小石川後楽園といって、江戸の大名庭園だったところの一部なのです。この庭園はあの有名な水戸の黄門様がつくったとか。今も庭園がありますので入って見ましょう。
池と緑と小さな空、ここに小宇宙を創っています。黄門さまが愛でたのでしょう。
そして、現実はどうか、二つの風景をご覧ください。
(下図をクリックすると、今の姿と復元した姿が交替で3秒ごとにでてきます)
●小石川後楽園(その2)
では、もうひとつ行楽年の庭の景色です。水戸黄門様が眺めた風景と、今の風景を比較してみましょう。
(下図をクリックすると、今の姿と復元した姿が交替で3秒ごとにでてきます)
●清澄庭園
東京の江東区にある清澄庭園は、元は18世紀半ばにつくられた大名庭園でした。19世紀末になって豪商の岩崎弥太郎が買い取り、岩崎家の庭園として整備しました。
おおらかなものですが、実はこれは昔の姿を復元してみたものです。現実との違いをご覧ください。
(下図をクリックすると、今の姿と復元した姿が交替で3秒ごとにでてきます)
●横浜三渓園
横浜市中区本牧にある三渓園は、横浜の豪商・原三渓がつくった名園です。庭園もさることながら、各地から重要文化財の建物も移築してきています。
東京湾を広く眺望する海岸段丘の上にあります。その眺望を愛でて三渓さんはここに庭園を設けたのでしょう。海を眺める展望台もあります。これはそこからの眺めです。
三渓さんはこんな風景をめでていたのかもしれないと、実はこの風景は復元したものです。現実はどうなっているか、比較して見てください。
(下図をクリックすると、今の姿と復元した姿が交替で3秒ごとにでてきます)
●鎌倉八幡宮境内の大銀杏
鎌倉の鶴岡八幡宮の参道大石段脇に、髪振り乱す巨大老婆の如く立っていた大銀杏が、2010年3月に強風であっけなく根元からボキーン、ドターンと倒れてしまいました。
この大銀杏は、鎌倉将軍の源実朝を暗殺するときの公暁が、この木の後ろ隠れて待ち構えていたという言い伝えがあるのですから、800歳以上でしょうか。
この画像は、実はウソです。八幡宮社殿の左半分を隠している大木がその大銀杏ですが、そこだけ昔の写真からコピーして復元したのです。もしも大銀杏が立っていたら、このような風景です。
では、現実の姿と比較してご覧ください。
(下図をクリックすると、今の姿と復元した姿が交替で3秒ごとにでてきます)
●鎌倉・若宮大路から八幡宮を見る
鎌倉の中心街の中を貫通する若宮大路は、そのつくったいわれも形態も、鎌倉のシンボルとなる道路です。北に鶴岡八幡宮をランドマークとしてすえて、南の海まで街を一直線に貫通しています。12世紀末の源頼朝 の都市計画です。
その若宮大路の中ほどにある歩道橋から、八幡宮方面を見た写真です。実はこの風景もウソです。現実はどうなのか、比較してご覧ください。
(下図をクリックすると、今の姿と復元した姿が交替で3秒ごとにでてきます)
関連ページ:◆鎌倉A級観光ガイド:若宮大路の初夏(2010.05)
●富田林寺内町から見るタワー
大阪府の富田林市の寺内町は、その名のごとくお寺を核として中世から計画的に形成された町です。今も歴史的な街割りや街並みのある街です。
ご覧のようになかなか風情があるまちです。
でもこれもウソ、現実と比べてごらんください。
(下図をクリックすると、今の姿と復元した姿が交替で3秒ごとにでてきます)
●東京日本橋の高速道路
東京の繁華街の中にある日本橋は、1911年にできた洋風デザインの石造の橋梁です。お江戸日本橋は、京都から東への東海道の終点であり、江戸から西への旅の出発点でした。
これは今の風景から、高速道路を取り除いてみた戯造風景です。取り除く前の現実風景都市隠してみてください。もっとも、この風景も今どんどん変わりつつあります。
(下図をクリックすると、今の姿と復元した姿が交替で2秒ごとにでてきます)
2005年版(画像をクリック)
2016年版(画像をクリック)
関連ページ:●景観復元に思想を持て-ディズニーランド化する都市景観(2006)(PDF)
東京駅、三菱一号館、日本橋に景観復原(復元)の思想を問う
●国立・学園通り高層共同住宅ビル
国立市のJR国立駅前から、南にまっすぐに伸びる学園通りがあります。銀杏並木が美しい道で、通り沿いにたくさんの学校があるのでこの名前です。
この画像は駅のほう、つまり北に向いて撮っています。銀杏の木の高さに建物の高さを法的に制限しています。
でも、実はこの画像はウソです。現実と比較して見てください。
(下図をクリックすると、今の姿と復元した姿が交替で3秒ごとにでてきます)
関連ページ:◆国立と鎌倉:景観と財産権のはざま2002
●韮崎市街から見る八ヶ岳
韮崎市内の田園から見る八ヶ岳は、なかなか美しい風景です。韮崎の街の中からいつも眺めることができます。
でも、現実はすごいことになっていますよ。
(下図をクリックすると、今の姿と復元した姿が交替で3秒ごとにでてきます)
●中央高速道路から見る富士山
中央高速自動車道を走っていて、富士山が美しく見えています。
さて、現実はどうか、串刺し田楽富士をお楽しみください。
(下図をクリックすると、今の姿と復元した姿が交替で3秒ごとにでてきます)