鯖江:斬られたファッションタウン(2002)

斬られた鯖江ファッションタウン

伊達美徳

◆中学生が「ファッションタウンを斬る」

会場を埋めた700人からの聴衆をまえに、中学生たちが終わりの礼をすると大拍手、それまで2時間あまりの間に入れかわり立ちかわり出てきた大人たちを食ってしまった。福井県鯖江市での「ファッションタウン市民報告会」での、今年の光景である。

毎年、春分の日になると開かれるこのイベントは、その年度のファッションタウン運動の成果を、いろいろな活動グループが発表しあって、次の運動展開を図るのである。

鯖江中学校2年生のグループが、「ファッションタウンを斬る」と題した総合学習の成果を、その他の大人たちの8グループの発表に伍して行った。鯖江市はファッションタウンという政策を進めているらしい、その言葉はきくことはあるが何のことか分からない。

ものづくり、まちづくり、くらしづくりの各グループで、あちこち訪ねて聞いたり見たり調べてみると、これは面白い、自分たちも提案しようということになったそうだ。

その内容は、鯖江中学のホームページ(http://www.sabae.ed.jp/~jh-sabachu/)に任せるとしても、少年少女たちのアイデアは、なかなかに興味深いものだった。くらしづくりとものづくりについては、子どもらしいアイデアにあふれた提案だった。

まちづくりグループは、自分たちの街を見つめるチャンスになったようだが、それに加えて新たな都市計画を提案するとして、新開発計画を提案している。そうか、近頃のこどもは、こんなに風に都市を見るのかと、ちょっと気になることも含みながら、なかなかに興味をわかせるものであった。

子供のときからまちづくりに参加させてこそ、よいまちができるのだが、現実は子どもも部活や塾で忙しくて難しい。それが学校の総合学習の時間にまちづくり学習がなされるようになると、これはまことに都合がよい。教師の取り組みに、わたしたち都市計画を専門としているものは、おおいに期待しており、いっしょにやれることがありそうだとも思って、模索している。

ファッションタウン運動にこどもを引きこむようになれば、親も関心を持ってくれるだろう。児島ファッションタウンのトライアスロン大会に、地元ボランティアとして高校生たちが大勢参加していたが、これは学校とは切り離した参加だったようだ。参加した高校生たちがファッションタウンとの関係を理解するにはいたっていないとしても、なんらかの興味を持つきっかけにはなったであろう。

鯖江の中学生といい、児島の高校生といい、そのようなきっかけをつみあげていくうちに、運動の意味を知るだろう。いまだにわからないという大人よりも、あるいは早く理解するかもしれない。

◆鯖江ファッションタウン制度は地方分権時代の先端に

鯖江のファッションタウン運動は、次第に形を見せている。政策としても新しい制度を取り入れている。都市計画を専門としているわたしにとっては、鯖江市河和田地区で都市計画法による特別用途地区を指定されたことに、おおいに興味をそそられる。

近年の地方分権の進む中で、都市計画はかなりその方向に変わってきた。市町村がその地域の特性に応じたまちづくりの方法を、住民参加で決めるように制度が作られてきている。

河和田の特別用途地区は、その動きを的確にとらえて、ものづくりとまちづくりを一体に進めようとするファッションタウン鯖江の河和田にふさわしい、うるしの里づくりにまさに適切なまちづくり制度であるといえる。

特別用途地区とは、県知事が決める都市計画で「用途地域」(住居、商業、工業)がありますが、それだけでは地域の実情に合わないことが起きる場合は、市長が「特別用途地区」を重ねてきめることができる制度である。

「用途地域」の規制内容だけでは、地域の実情から見て厳しすぎる、あるいは緩るすぎる場合は、緩めたり強めたりしてもよいのが、「特別用途地区」である。

河和田のような住居と産業とが一体になったようなところでは、用途地域で住居地域としたままでは規制が強すぎて、時にはものづくりを阻害するようになるおそれもある。そこで、一定の範囲までは工業を住居地域の中でもできるように緩和するのがこの制度で、河和田の特別用地区指定制度は、漆器や眼鏡などの地場産業を、生活の場で調和させていこうとするものである。

もちろん、野放図に住工混在を許容するものではなく、どちらの環境も良くなるようにしていくための制度である。制度をつくっても、うまく生かすかどうかは市民にかかっているのだから、この都市計画制度が地域産業の現場に生きて使われることをおおいに期待している。

これが全国のファッションタウン制度の見本となればよいと思う。いや、河和田のうるしの里づくりと合わせて、もう既にお手本になっている。

昔から地域や町内では、清掃など申し合わせや建物の建て方などについて不文律があり、それがその地域らしい風景をつくりあげてきて、地域のアイデンティティでもあった。それが高度成長期の社会変動の中で次第に忘れられていって、都会でも田舎でも同じような風景になり、その一方ではマンション紛争騒ぎの高層ビルや商業第一主義の派手な建物看板で、風景破壊が出てきた。

日本も成熟した時代となり、いまやっと身のまわりの生活の場の風景をもっと良くしようという運動が各地で起きて来て、不文律だけでは風景を守ることもつくることもできないと、協定や条例などをきめる動きになってきている。

鯖江でも「景観条例」が動き出し、市民がより良い景観づくりの活動をしている。これまでの工場の作り方は生産第1主義で、風景のことまで考えたつくりかたをしてこなかったようだ。

特別用途地区で住居と工場との混在を許容するとしても、良い環境をこわしては意味がない。良い環境の中には、美しい風景も重要な要素である。暮らしの風景と働く風景が調和している街、それが鯖江市風景条例の活用の大きな方向であり、ファッションタウンの方向でもある。

◆総合政策としてのファッションタウンを

戦前から戦後の高度成長期までの日本の都市計画は、人間が生きるための活動の場を、住居、商業、工業に地域を分離して、それぞれ別のところにつくるべきとしてた。これを用途純化政策という。

特に工業と住宅とは、相容れないものとして住工分離が厳しくとられてきた。それは、産業革命以来の戦前からの日本が、重厚長大な製品を、大量に生産することを理想として突き進んできた富国強兵政策の路線であり、戦後の人口増加時代の高度成長の路線でもあった。

しかし現実には、日本の都市、福井等の北陸地方は特にそうだが、近代日本をつくることを支えた産業は繊維産業であり、それはほとんどの地域で家と工場は同じところにあった。この地方では、どこの街でも機織の音が生活の中で聞こえていた。繊維ばかりではなく、漆器、眼鏡、食器、陶磁器などの地場産業はいずれもそうであった。

お上の決める都市計画がいくら用途分離と言っても、現実は住工いりみだれた町が広がっていたが、それはやむをえない現実として、「特別工業地区」という制度で都市計画はしぶしぶ認めていたのだった。

高度成長時代からしだいに、家内工業中心の地場産業が大量生産型の工業団地へと移行し、次第に住工分離が進んできて、都市計画は成功かと見た。しかし今、それがよかったのか反省のときがきている。

工業団地から工場が中国など外国に出て行って、工業団地が当初の意図から変わりつつある。街の中から工場を追い出したとともに、住民も新開発の郊外住宅団地に移り住むようになり、中心市街地の空洞化が起きてきた。

住工分離によって、家内工業のもっていた多品種生産方式はおとろえ、職人の技能も失われ、後継者がいなくなる問題もでてきた。良い製品よりも安い製品が世の中にはびこり、生活者からは品物はあるけれども本当に欲しいものがないと言われ、使い捨ての風潮は環境問題にはねかえっている。

産業政策と都市政策のどちらも、このままでよいのか、ここに登場したのが「ファッションタウン」である。

もういちど、生産と生活の調和を見出して、産業活力再生と市街地活性化をしようというものである。この話はファッションタウンのおさらいでしたが、都市計画の地方分権策は、ひとつにはそのような地方都市特有の問題を、特有の制度で解決することを期待しているのである。

さて、来年あたりから日本の人口が減少していきそうだ。農村部の人口減少はもう大分前からおきているが、地方都市でも各地で始まっている。労働人口の減少が問題なってくるが、ヨーロッパのように輸入外国人に頼るのは、簡単にはいかないであろう。まずは、高齢者と女性がもっと労働力になることが求められるだろう。

そのときに、能力はあるが体力は減退する高齢者や、乳幼児を育てながらの女性は、今のような暮らしの空間と仕事の空間が離れている都市や地域の構造では、社会参加がしにくいであろう。

元気高齢者が増えて、労働力として社会参加することができるのはよいだが、その一方では介護の必要な人々も増えてくる。今のような分散した都市や地域の構造では、分散した家々に介護の必要な人がいると、その介護コストは膨大になるであろう。お互いに近くに暮らすほうが良い。

地球環境問題として最も身近なことは、エネルギー問題である。拡散した生活圏では、移動のためにエネルギーを多く使うが、コンパクトな街なら使い方も少ないであろう。

いずれの問題も、これからの生活圏は、もっとコンパクトなまとまりのある地域や都市にすることを要請している。

問題が噴出してから地域の構造を変えようとしても、まちづくりはどんなにがんばっても10年はかかるものである。日本は来年あたりからはじまる人口減少に対応するまちづくりに、今すぐに、緊急に取り組まないと大変なことになる。

ファッションタウンの運動は、20世紀の拡大型都市計画から、21世紀の凝集型都市計画への転換する、地域が生きていくための総合政策として認識されなければならない。

(20020324)