桐生:日本の産業近代化の風景が重層する街

桐生:日本の産業近代化の風景が重層する街
2001

伊達 美徳

●ファッションタウン桐生「わがまち風景賞」

群馬県の桐生は、西の京都西陣、東の上州桐生と対になるほどにいわれた絹織物の町である。江戸時代はもとより日本の近代化の先端を進んだ産業である織物の街は、豊かだった財力を背景に、町の構造も建物もなかなかにしっかりしたものである。

ここも、ご多分に漏れずに中心部の空洞化が進みつつあるのだが、産業界が市民と一緒になってのまちづくり運動が、「ファッションタウン桐生」のテーマで進んでいる。織物はファッション産業だが、ファッションタウンとは更に広く生活文化の満ちているまちづくりをしようと、ソフトとハードの両面にわたる運動である。

桐生には豊かな産業に根を置く産業と生活が一体となった街並みが、近世、近代、現代と重層している。土倉、煉瓦蔵、和洋折衷、鋸屋根工場、洋風様式、寺社などの歴史を感じさせる街並みが、現代の街並みに混合しつつ、山川の自然を背景とする盆地の中に生きている。

ファッションタウン桐生推進協議会の活動は多彩だが、今年2001年から「わがまち風景賞」の募集、表彰が加わった。この桐生の特色ある風景を、街のファッション=生活文化としてとらえ直そうという市民からの運動である。風景の地元からの発見運動であるところが、行政が行う景観賞とは一味違うのである。

市民の推薦する「わがまち風景」を募集したところ、80件もの応募があった。それを審査する委員会の委員長を仰せ付かった。結果は2001年5月に発表されたが、ここにその経緯を報告しておく。

●新しい風景、伝統の風景

「シルクホールは、市民でない業者が多額の税金を使ったし、デザインも都市景観として感心しない、わたしは評価しません」

「シルクホールは、桐生に新たな風景をもたらし、随所にこだわりと意気込みがあり、小ホールは使いやすく、わたしは好きです」

「赤レンガの東京駅もパリのエッフェル塔やポンピドーセンターも、当初は評判が悪かったのですが、今や人々から愛されています。シルクホールもそうなるでしょうか」

審査会では、こんな白熱した討議が交わされた。シルクホールとは2年前にできたばかりの市民文化会館である。真っ白なタイル張りで、どう見てもUFOが舞い降りて生きたようなデザインである。

席から立ち上がって白板や地図に書き込んで評価を主張したり、街に出て実物を見てまわったり、審査会は楽しい知的なワークショップイベントだった。

賞に入った風景には、最近になってつくられたものは入っていない。意識的にはずしたのではなく、結果としてそうなったのだが、そこにこの賞の持つ意味もありそうだ。

群風景の入賞は、「山手通リ」「宮本町の和洋折衷住宅群」「本町1、2丁目周辺まちなみ」は、新旧入り混じった広いエリアの風景だが、総体的には伝統の風景であろう。

これらには賞を授与すべき相手がいないのだが、いるとすればその街並みをつくり支えてきた人たち全部となる。そして個別風景の入賞は、「ash」「泉新」「有鄰館」だが、いずれも新建築ではない。

新しい風景については、かなりの時間をかけて議論したが、わかったことは、それらが市民の多くがわがまち風景として認めるには、まだ時間がかかるだろうと言うことだった。今後、新しくても市民の支持を得る風景を期待している。

ところで、「錦町交差点の旧ロータリー」が、審査会の第1次選考に入ったが、実は今では失われた風景である。さてこのような失われた風景を賞の対象とするか。

結論は対象とすることにした。それは、風景とは市民の心が生み出すものであり、文化の所産だからである。消えた文化でも、それを顕彰することで、あらたな文化を生み出すきっかけや原動力になる可能性もある。

●風景には市民の心情が込められている

入賞しなかった新建築の「シルクホール」についての議論は、その風景に市民の心がどこまで込められ、広がり、沁み通っているか、それが評価のポイントになることを示している。

風景の2文字の間に情の字をいれてみると、風情と情景となる。風景には情が込められていると言ったのは、内田芳明氏(「風景の現象学」1985)である。

わたくしたちは日頃なにげなく眺める風景にも、それぞれの心情を込めて見ているのである。だから、見かけの形が良くても税金の無駄使いだから嫌いだとか、形は悪くとも日頃快適に使っている空間だから好きだとか、風景の評価に色々な立場が起きて当然なのである。

風景とは、人間がつくるものであり、いわば文化の所産なのであり、自然の緑や海もそれを見る人々が風景に育てるのである。

「わがまち風景賞」は、多くの市民が好意ある心情をその空間に込めている風景をとりあげようとするものである。新建築のシルクホールが入賞しなかったのは、まだ多くの市民にとって風景という文化に育っていないからであり、これから使い込まれてきて、いずれいつの日か賞の有力候補として再登場するであろう。

のこぎり屋根の工場建築を再利用した美容院「ash」が入賞したのは、のこぎり屋根という桐生だからこそ市民に親しまれた近代産業遺産の街並み風景を、新たな使い方で活力をよみがえらせたことに、桐生市民が快い心情を抱いたことと言えよう。

●風景は事物相互と人間相互の関係である

風景は、建物、橋、河、道、山などの、単独の事物だけでは成立しない。複数のそれらの間の相互にの干渉する関係があり、それに接する人間の心情があり、複数の人間が同じような心情で高い評価に値すると認識する風景を、ここでは賞にしようとしているのである。

エリアをもって入賞とした「本町通りとその周辺のまちなみ」風景は、桐生の市民にとっては共通の心情をかよわせる文化のアイデンティティであるからこそ、その中の多くの建造物の推薦応募があったのである。そして、「宮本町の和洋折衷住宅群」も「山手通り」の風景も、同じように桐生市民の資産としての風景になっていることの自覚であろう。

単独の建物もたくさんの推薦応募があったが、それが単独的には美しくとも、風景として周辺環境における関係性がなかったものは選に入らなかった。関係性とは、必ずしも一致とか調和を言うのではなく、時にはランドマークのような状態で周囲との関係を新たに創出する場合もある。

なお、今回入賞したエリアの中にある個別の建造物などを今後も推薦応募があれば、それはエリアの賞とは別に選考の対象とすることとした。

●ファッションタウン風景とは

「ファッションタウン桐生」は、まちづくり運動である。そのインタネットサイトには、「ファッションタウン構想は、地域産業のグローバルな発展を図りつつ、その地域が有する伝統、歴史、自然環境などの地域固有の資源と融合しながら、内発的で個性的なまちづくりを推進する運動です。・・・ファッションタウンの目標像は、活力ある地域産業の場と魅力ある地域生活圏をともに実現することにあります 」とある。

この風景賞は、「ファッションタウン」のコンセプトのもとに、「桐生」という地域性を持ち、しかも「わがまち」という個性を持ち、「風景」という心情が支える状況を対象とすることになる。だからこそ、桐生を支えてきた産業と豊かな生活圏とが出会う風景が、優先的に選考されたのであろう。

入賞を逃がしたが、桐生の町衆の倶楽部ともいえる「桐生クラブ」は、産業人の交流の場の美しい建築である。

同じく「金谷レース」は、煉瓦工場とスクラッチタイルの事務所そして和風の邸宅がセットになって、生活のあるまちなみの中に、近代から現代へと産業の美しい風景が個性的に引き継がれている。

新たな産業の場である工業団地「桐生テクノパーク」は、風景をコーポレイトアイデンティティ育成に寄与させようとする意気込みが見えるが、風景になりうるにはいま少し相互に関係のあるまちづくり運動を見せてほしいものである。

●次への期待

今回は第1回のために、いろいろと戸惑いもあった。しかし、これは運動である。運動に参加する市民がだんだんと育てて行くことであるから、今回はそれでよいのある。

風景は公のものであるが、その空間に市民の心情が積み重ねられて、地域の生活文化に高揚するものである。

応募してくださった市民の、風景に対する気高い心情を互いに喜び合い、これを機会に次回にはまた新たな風景の発見と創造ができ、桐生のファッションタウン運動の展開を期待している。(完 2001/05/01)