水戸と宇都宮:タワーのある風景

水戸と宇都宮・タワーのある風景

伊達美徳

●水戸芸術館・20年前の二つの奇妙

人は塔を求め、また一方で抵抗を持つらしい。久しぶりに水戸と宇都宮の街をちょっとだけ歩いてきて、そんな感じを持った。

水戸には、この前は1991年に訪ねた。そのときは、その少し前にできた水戸芸術館とその周辺の街を見に行って、二つの奇妙さを感じた。

そのひとつは、この建築デザインとしても運営の先進性でも評判の芸術館だが、まわりの街並みや土地利用とは比べてあまりにも無関係なことであった。これから街とどうつながりを持って育っていくのだろうか、 ある種の期待を込めたのであった。

ふたつめは、奇妙な形(サナダムシそっくり)のタワーができていたが、 現地に来てみて現物を眺めていたら、視界に別の同じくらいの高さの2つのタワーが見えることであった。このことは「景観再考」(1992)に書いた。

それらは芸術館タワーができる前から建っていたらしいが、水戸の街の中で景観として奇妙な競合をしていたのであった。

どうしてまた3本目のタワーなのだろうか。

●街から孤立する水戸芸術館

今回は、それらのその後を確かめに行ったのだ。

結論を言えば、なにも変わっていなかった。あれから20年経っても、芸術館は周りの街とはほとんど無関係に存在しているようだった。

街路樹が育って葉張りを大きくし、北側の道が拡幅されたから、ますます芸術館と街並みの連続はなくなった。広場の前は相変わらず大型店(京成デパートは引っ越していた)の荷捌き場である。

芸術館ができたからとて、20年経ってもそれに関連する店が立ち並んでいる様子もない。美術や音楽鑑賞の後で、美味しいものでも食べようかと思うような店はあるのかしら。

周りの街の活性化と何も関係ないと、これでは郊外の田圃の中の施設と同じである。交通便利な都心部にあることだけが救いである。

これほどに有名な文化施設でも、街の活性化には役立たないものなのか。

●宇都宮美術館は不便な街はずれ

水戸の次の日に宇都宮の街も見てきたが、ここは去年に栃木県立美術館に来たので、今度は市立宇都宮美術館に行ってみたかった。

たまたま、観光ボランティアの方に出会って美術館の場所を聞くと、とんでもない郊外にあるとのこと。これでは往復の時間とタクシー代がもったいないので、やめた。

新しく作ったのに、どうしてそんな不便なところなのですかと聴けば、ボランティア氏のお答えは、駐車場を持つために広い土地が必要だったから、とのことである。

ああ、またここでも青少年や高齢者が行きにくい車運転優先の文化施設をつくっているんだと、つい愚痴を言ってしまった。

ついでにいろいろ話をしていて、今の商業拠点は高速道路のインターチェンジ付近に移っているとのこと。美術館といい、これといい、まったくもって困った都市計画ですねと言ってしまった。

また、栃木市と宇都宮市とが県庁所在地を争った昔の話もしていて、栃木市のほうが街に魅力がありますねとも言ったのだった。

ボランティア氏は住民として宇都宮の弁護をしなければならないと思われたようで、若干の反論もなさるのであった。ついこちらがプロ根性で話してしまって、先方のアマチュアボランティアの心根に水をさしたようなった。不快にさせたかと謝ったが、恐縮してしまった。

●水戸芸術館タワーは時間のランドマーク

話を水戸に戻して、次は芸術館のタワーである。

これはは健在であったが、ほかに2本の電波タワーも芸術館タワーと高さを競いつつ、ますます健在であった。

なんと駅近くに、4本目のタワーがあることも気がついた。

電波タワー群がいまや高度情報通信の司令塔として先端技術を誇示している形態であるとすれば、芸術館タワーはサナダムシそっくりに気味悪くクネりながら不安定に立ちあが る。アレハナンダ感がある。

バブル期のシンボルとして、その時代相を見事に表現する時間のランドマークの役目を果たしているところが、まさに芸術館である。

水戸の街には超高層建築が見えなかったから、4本のタワーがそれなりの水戸のランドマークの役目を果たしているらしい。

水戸駅前のデッキから街を見渡すと、駅前からまっすぐに街を貫くシンボル道路のまん前に、赤白だんだらの電波タワーが見事にアイキャッチのランドマークになっている。これは偶然なのか、それともタワー“あて”をする景観デザインをわざわざしたのだろうか(そんなことはあるまいが)。

●宇都宮の超高層ビル

超高層建築といえば、宇都宮の街の真ん中に、超高層共同住宅ビルが建っていた。二荒山神社のすぐ脇にある。

昔、ここあたりに地元の上野百貨店があったような気がして、WEBで調べたら、そのとおりで、地方百貨店はどこも衰退である。隣の銀行などの敷地と合わせて、市街地再開発事業(馬場通り西地区及び馬場通り中央地区第1種市街地再開発事業)で建設したのであった。宇都宮で初めての超高層建築のランドマークのタワーができた らしい。

だが、その建築のあまりにも唐突なる高さに、二荒山神社の緑との景観的な取り合いも含めて、水戸市民の一部と二荒山神社から建設反対論争があったらしい。

東京で言えば愛宕山とMORIタワー、山王日枝神社と山王パークタワーのような取り合わせである が、これらは神社の敷地も合わせての事業だったが、こちらは神社が反対に回ったようだ。

宇都宮にも水戸と同じように、この超高層建築の近くに電波塔が赤白だんだらで聳えていて、景観的には異様である。これが建つ時には反対論争は起きたのだろうか。

わたしとしては都心部空洞化への対抗策として、集合住宅の都心立地は原則的には歓迎したい。ただし分譲マンション、正確には区分所有型共同住宅には、震災がらみで賛成できない。

さきほど宇都宮美術館のことを書いたが、あんな郊外へ美術館をつくるのなら、ここにつくればよかったのに、と思う。

市街地再開発事業の保留床取得で美術館を整備すれば、全体の事業性もよくなって集合住宅もこれほど高くしなくても事業は成立しただろうし、美術館としても用地取得費が少なかっただろうと思う。

現実の事情は知らないが、美術館がここならなにより市民が利用しやすい位置だったろうに、はたから見ると残念である。

事情を知らないついでに無責任を承知で言えば、神社の敷地も再開発敷地に合わせた事業としたならば、上にあげた東京での2例のように神社の建物や境内の森の保全維持に積極的に役立つ仕組みがあったろうに、とも思う。

美術館の不便な郊外立地については、宇都宮市民から反対論争はあったのだろうか、それとも自動車時代だからとてみんなが賛成したのだろうか。(100606)