厳冬期北海道の旅 2008年2月

厳冬期北海道の旅 2008年2月

伊達美徳

ロシアのアムール川からオホーツク海に流れ込んだ水が、凍りついて風の流されてくるのだそうだ。そう聞くとこれは国際的な壮大な冬のイベントなのだと思う。船乗ってみたり、沿岸を走る列車で見たり、遊覧ヘリコプターとか、流氷の中にドライスーツではいるとか、いろいろ仕掛けをしている。

昔はこのあたりの漁師は、漁に出られなくて冬は出稼ぎだったのだろうか。流氷を観光資源にして人を呼び寄せることを、最初に考えた人はだれだろうか。毎日見ている人にとってはただただ厄介者の流氷であるが、これを金を稼ぐ種にするとはえらいものである。

ただただ海を埋め尽くす白い氷のかけら群は、どんな風に見てもただただ白いだけであり、すぐに見飽きた。宇土路から見ようが網走から見ようが同じである。また見にこようと思うような代物ではない。ただ、その壮大さには惹かれた。

自然現象を観光に仕立てるのは、文化観光の場合に比べてなかなか難しいと思う。自然の風景はそれなりに地域によって異なるが、それでも似たような風景はそこら中にある。特に北海道のような大陸的な風景では、どこも同じに見えて観光資源にしにくいだろう。

観光バスガイドの案内も、大陸的風景について話をしてくれない。実は私はこのような風景の寄ってくるところの植生とか地質とかを知りたいのだが、あの山がナニナニ山で、あの岩の形がどうとか、今通るのがナニナニ町でとか、ちまちましたことばかりである。北海道らしい雄大な風景のできたいわれなどについては何も教えてくれない。

自然風景だけでは人が呼べないからとて、宇土路ではレーザー光線による人工オーロラショーをやっている。これも1回見たらもういい。札幌の雪祭り、層雲峡の氷瀑祭りも同じようなショーであり、リピーターになりたくない。

旭山動物園では、数羽のペンギンが居並ぶ人間たちを見物しつつ散歩するのが呼び物であった。

ペンギンよりもそれを見る保育園児たちの反応が面白かった。これも1回見れば充分だ。

これまで北海道には、札幌と小樽に仕事がらみで数回訪れているが、もしも観光旅行ならば厳冬期の北海道がいいかな、と漠然と思っていたが、それを3泊4日の冬の北海道定番パック旅行に乗った。

44名もの団体であったが、9割は65歳以上だろうし、私よりもトシヨリらしい人も多くいた。いまや厳冬期の北海道さえも老人市場なのだ。

オホーツク海の流氷を、知床半島の付け根あたりの宇土路と、更に網走あたりから見ることから旅は始まった。氷の大きなかけらが海の上に雑多に敷き詰められているようで、海岸から沖合いまでびっしりと覆い尽くしている。

美瑛の展望台から十勝の美しい山並みが夕陽に輝くのを見たが、手前に土産物屋や珍妙な美術館が建っていて、風景の邪魔をする。

かのバブルパンクで有名なアルファトマムの超高層のホテルに泊った。自然の中の超高層建築は、ベターッと低層で地面を大きくいじるよりも、むしろ良いように思った。4本の超高層のうち、1本を緑、黄、赤などの極彩色で外壁を塗っている。超高層も極彩色も趣味が悪いが、周囲があまりに雄大なのでまあいいか、と思ったのであった。

札幌雪祭り会場では、雪像は一生懸命つくっているのは分かるが、裏にまわると見ちゃいられない形だったり、土産物屋や屋台の仮設建物がえらく見すぼらしくて興ざめする。層雲峡の氷瀑祭りでも同じであった。

流氷の網走海岸の海鮮市場の建物のみすぼらしいこと、その中に入って海を眺めると、この建物が見えないから風景がよくなる(エッフェル塔もそういわれたが)。

雪像やイグルーなどの見せるものだけを一生懸命につくるのだが、それと風景は一体となっているお土産屋、売店、食堂などが、なんともお粗末な仕立てであるのは、どうも古典的というか伝統的な日本の「見世物」風景であるようだ。ついでに言うが、北海道の都市の郊外も醜い風景が続くのであった。

文句ばかり言っているが、自然風景についてはななかよかったのだ。一番よかったのは、何の手も入れていない純粋の自然である流氷群であった。そして、走るバスから眺めた雄大な雪原や森林の風景であった。どちらもほかでは見られないいかにも北海道らしい風景である。(080210)