著作・調査報告・編集出版物等

主な著述・編纂した出版物・報告書

伊達美徳

編集と共同執筆した出版物

『建築家 山口文象 人と作品』 編著

発行:相模書房

メモ:1961年から88年までわたしが勤めていた㈱アール・アイ・エーの創設者で当時は会長であった建築家・山口文象の生涯を、日本近代建築史として構成することを意図して、佐々木宏、河東義之、長谷川尭の各氏に時期を分担して評伝を書いてもらい、わたしは編集全般と一部の執筆を担当した。参照→建築家・山口文象論

『新編 山口文象 人と作品』

発行:アール・アイ・エー

メモ:上の出版物の改訂・普及版として、アール・アイーエー創立50年、山口文象生誕百年を記念した出版物である。参照→評伝年譜「新編 山口文象人と作品」出版

『初めて学ぶ都市計画』編著

発行:市ヶ谷出版社

参照→初めて学ぶ都市計画

編集と共同執筆した出版物


執筆した出版物


共同執筆した出版物


共同執筆した出版物

発行:市ヶ谷出版社

共同執筆した出版物


共同執筆した出版物

発行:社団法人全国市街地再開発協会

参照:日本の都市再開発コンサルタント史(1991)

共同執筆した出版物

発行:技法堂出版

共同執筆した出版物

発行:板橋区

メモ:共同執筆者は商業コンサルタントの高橋敏夫氏であった。

共同執筆した出版物

発行:日本建築学会

メモ:わたしの始めての出版物だった。

共同執筆出版物

発行:財団法人日本ファッション協会

参照:長寿社会のまちづくりとファッションタウン(1998)

編集担当月刊誌

発行:市ヶ谷出版社

メモ:建築とまちづくりに関する月刊誌として発行し、編集メンバーとなっていたが、5号まで発行して、あえなく休刊となった。

編集執筆協力出版物

発行:国土庁大都市圏整備局

メモ:首都移転した後の東京都心のあり方を検討した国土庁の企画であり、わたしは主に構想図やイラストを担当した(表紙の図)。

担当した計画の報告書

発行:国土庁・運輸省・建設省

メモ:バブル前夜の頃、政府主導の三大東京開発計画のひとつ(そのほかの二つは新橋汐留、13号埋立地)で、国鉄民営化と絡んでの計画だった。

これで赤レンガの東京駅舎の保存が決まった。

計画担当の私のもっぱらの興味は、赤れんが駅舎をいかに評価し保全するかということだった。

参照:東京駅赤レンガ駅舎復元反対論

担当した計画の報告書

発行財団法人年金保養協会

メモ:全国で11ヶ所の保養基地をつくる計画で、わたしはそのうちの4ヶ所(岐阜・恵那、福岡・黒木、熊本・久木野、広島・安浦)のマスタープランを担当した。

「グリーンピア○○」の名称で実現したが、わたしが実施まで踏み込んだのは広島だけであった。

広大な山林や海岸部のリゾート開発は、バブル期の公的資金投入の典型的な事業であったが、年金財政の行き詰まりや施設の経営難により、民間や自治体への移管が進められている。

担当した計画のパンフレット(上)と本報告書(下)

発行:墨田区

メモ:景観法もまだできない1980年代の終わりごろであるが、先進的に景観計画に取り組んだ。

景観に関する思想から尾説き起こして、かなり詳細に書き込んで、まちづくり計画にまで踏み込んだもので、わたしとしてはかなりレベルの高いものと思っている。

参照:すみ田風景づくり 「墨田区景観形成計画」(1990)

担当した計画の報告書

発行:国土庁大都市圏整備局

メモ:上野公園とその周辺部を文化のメッカとして再生させる計画であった。このとき国立ギャラリー構想を組み込んでいたが、結局は六本木に行ってしまった。

担当した計画の報告書

発行:新発田商工会議所

メモ:越後の城下町・新発田の中心市街地を再生させようとする商工業界の民間からの発送をまとめたもので、行政に提案したが、どこまで生かされただろうか。

わたしとしては、これは白眉の中心市街地活性化計画であると思っている。

参照:新発田:同時多発の中心街再生策で5年後が楽しみ

担当した計画のパンフレット

発行:鯖江ファッションタウン協議会

参照:鯖江ファッションタウンへの提言(2002)

担当した計画の報告書

発行:横須賀市

参照:横須賀-近代が育んだ国際海の手文化都市

担当した計画の報告書

発行:青梅市

担当した計画のパンフレット

発行:浦安市

編集した出版物

著者:辻かよえもん

参照:鯖江ファッションタウンへの提言(2002)

編集した出版物

著者:藤原 肇

参照:

藤原肇著「ものづくり都市の再生」(2005)

もの・まちづくり運動と都市の再生(2005)